2004年チトラル・カフィリスタン行計画書

メンバー
  • 丸山純…MARUYAMA Jun/1955.06.27
      Passport No. MR0770902(2001.06.26 Tokyo)
      

  • 丸山(小島)令子…MARUYAMA (KOJIMA) Reiko/1957.07.08
      Passport No. TE6690881(1997.08.27 Tokyo)
      

  • Site Sharahttp://www.site-shara.net/

期間
2004年8月16日(月)〜9月10日(金)

おもな滞在先
  • シャリーフ・ウッディン・ハーン殿下の館(チトラル)
      パキスタン北西辺境州チトラル県ドロムツ
      c/o Prince Hasanat ud-din Khan:Dolomuts, Chitral, N.W.F.P. Pakistan

  • サルダル・ウル・ムルク殿下の館(ドローシュ)
      パキスタン北西辺境州チトラル県ドローシュ地区シャニガル村
      c/o Prince Sardar ul-Mulk:Shanigar, Drosh, Chitral, N.W.F.P. Pakistan
      (コミュニティスクール・シャニガルは、サルダル殿下の敷地内にある)

  • ブンブール・カーン氏宅(ムンムレット谷)
      パキスタン北西辺境州チトラル県ムンムレット谷ブルーア村
      c/o Mr. Bumbur Khan:Village Brun, Bumburet Vallay, Ayun Post Office, Chitral, N.W.F.P. Pakistan

  • サイフラー・ジャン氏宅(ルクムー谷)
      パキスタン北西辺境州チトラル県ルクムー谷バラングルー村
      c/o Mr. Saifullah Jan:Village Baranguru, Rumbur Vallay, Ayun Post Office, Chitral, N.W.F.P. Pakistan

今回の目的
[Mihoko's Fundの活動の一環としてのアートクラス実施]
 パキスタンの子どもと女性のために役立たせてほしいと、故西山美穂子さんが資金を提供されて、日本・パキスタン協会内に設置された「西山美穂子寄付金」(通称Mihoko's Fund)。その支援先として、ドローシュ地区にある貧しい子どもたちのための小学校「コミュニティスクール・シャニガル」(ジャマール・サルダル校長)が候補となり、1999年以来、支援と交流を続けている。

 2001年には、校庭にフィールドアスレチックの施設を作るために日本から2人の建築家(団塚栄喜さんと熊谷玄さん)に同行していただき、地元の大工や職人たちと共に7つの遊具を完成させて「Mihoko's Playground」として公開し、子どもたちの歓声が校庭に響き渡った。

 前回(2002年)は再び団塚さん、熊谷さんに同行していただき、遊具に使ったロープの張り替えと人気の薄い遊具の撤去や新設、さらに子どもたちと共に花壇を造ったりして、校庭全体のランドスケープの整備をおこない、あわせて画家の今井みろりさんに校舎の壁などに絵を描いていただいて、2年にわたるこのプレイグラウンド建設プロジェクトをひとまず完結させた。また、絵本の読み聞かせを実施し、それを題材(トルストイ採話の「おおきなかぶ」)にして子どもたちに劇を上演してもらって、合奏や歌と共に母親参観日に披露した。

 今回は、ノーベル平和賞にもノミネートされたというパキスタン人の女性画家、フォジアさんにチトラルまで来ていただき、このコミュニティスクール・シャニガルと後述するルクムー谷の小学校で、子どもたちのためのアートクラス(お絵描きワークショップ)を実施したいと考えている。情操教育がほとんどおこなわれていないパキスタンで、子どもたちに表現する喜びを伝える活動を続けてきたフォジアさんが、どんな授業を繰り広げてくれるのか、私たちも受け入れ側も心待ちにしている。

[ルクムー谷でのアートクラス実施]
 カラーシャの住む3つの谷のひとつルクムー谷は、さまざまな事情から最初の旅(1978年)以来一度も行く機会がなかったが、前回(2002年)、現地に滞在されているわだ晶子さんがMihoko's Fundの活動の一環として進めてくださっていた「移動図書箱」設置のために、ひさしぶりに訪れることができた。ここでも絵本の読み聞かせや紙芝居の上演をおこなったが、カラーシャの先生たちがカラーシャ語で日本製の紙芝居を上演し、子どもたちが目を輝かせて見入っていたのが、強く印象に残っている。

 今回は前述のフォジアさんに、このルクムー谷の小学校でもアートクラスを実施していただくことになっている。カラーシャの子どもたちが描く絵は、チトラルのイスラーム教徒の子どもたちとどんな違いが出るのだろうか。楽しみである。

[ウチャオ祭の音楽・パフォーマンス取材]
 ルクムー谷滞在中の8月22日頃に、カラーシャの四大祭りのひとつ、ウチャオ祭が開催される。1984年にムンムレット谷で参加して以来、20年ぶりにウチャオの歌やパフォーマンスの取材・記録ができるのも、今回の楽しみのひとつである。


[デジタルカメラのワークショップ開催]
 昨年から準備をして今年5月に、デジタルカメラの講習会やワークショップを“出前”(ケータリング)する「デジカメK太倶楽部」という組織を、写真家の山田愼二さんと共に立ち上げた。その活動の一環として、コミュニティスクール・シャニガルとカラーシャの学校のどこか(私たちの“弟”が教師をつとめるビリウ谷の学校が第一候補)の計2ヵ所で、デジカメ教室を開催したいと考えている。キヤノン販売株式会社広報部のご好意で、カメラやプリンターなどの機材の貸与も受けた。

[ムンムレット谷の現状の確認]
 前回(2002年)は3年間のブランクを経てようやく親しい家族たちと旧交を温めることができたが、村の真ん中にギリシャのNGOの援助で鉄筋コンクリート3階建ての巨大な「博物館」が建設中で、大きなショックを受けた。日雇いの賃金が払われるので村人たちは大歓迎だが、肝心の展示物はどうするのか。また、環境への負荷や、カラーシャだけに援助が集中することを快く思わない近隣のイスラーム教徒との軋轢なども心配だ。この博物館のその後をフォローしたい。

[プレイグラウンド建設に向けたアドバイスと予備調査]
 前回(2002年)は、ぜひ自分の住む地域にもドローシュのようなプレイグラウンドを建設したいというペシャワール在住のアスマット・ウラー氏の申し出を受け、ペシャワールの大工らをチトラルに呼んで、技術指導をおこなった。その後、この大工たちがペシャワール近郊の2ヵ所の学校に造ったプレイグラウンドを視察し、安全性や技術的ポイントのチェックをした。電動ノコギリや電動ドリルが使える都市部では、驚くほどのスピードで遊具が作れる。

 今回も、チトラル西部のガラムチャシュマ地区や東のギルギット地域でプレイグラウンドを造りたいので指導してほしいという希望が寄せられている。ガラムチャシュマでは建設予定地の視察をおこない、またチトラルで育成した大工や職人たちの派遣方法を検討したいと考えている。

[女性のための公営ショップの調査]
 イスラームの伝統が強いチトラルでは、女性が市場(バザール)を訪れて買い物をすることなどありえないが、女性の自立を支援するため、女性だけしか入店できない公営ショップがNGOの支援で2年前から運営されている。その実態調査と、持参する日本製商品への反応なども調べてみたい。

日程(出発日と帰国日を除いてあとは目標としている予定日にすぎず、数日の前後はありうる)
  • 08/16(月)…東京14:00発→北京→イスラマバード21:30着(パキスタン航空PK0853便。給油のため北京に着陸する。イスラマバードでは、Melody Market近くのHotel Ornateに2泊)

  • 08/18(水)…イスラマバード→ディール(ペシャワールには寄らずにディールまで直行。Al-Manzar Hotel泊)

  • 08/19(木)…ディール→ドローシュ→チトラル(レワライ峠を越えてドローシュ経由、チトラルへ。フォジアさん、わださんと合流。ドロムツのシャリーフ殿下館泊)

  • 08/20(金)…チトラル→ドローシュ→ルクムー谷(ドローシュで打ち合わせのあと、ルクムー谷へ。以後、サイフラー・ジャン氏のゲストハウスに3泊)

  • 08/21(土)…アートクラス開催(ルクムー谷小学校にて)

  • 08/22(日)…ウチャオ祭参加

  • 08/23(月)…ルクムー谷→チトラル(アートクラス開催後、チトラルへ。シャリーフ殿下館泊)

  • 08/24(火)…チトラル→ドローシュ(ドローシュでアートクラス開催。フォジアさんらは夕方チトラルに戻り、08/25朝にイスラマバードへ向けて出発。純・令子はそのままサルダル殿下館泊)

  • 08/25(水)…ドローシュ→チトラル(ドローシュで音楽レッスン、絵本読み聞かせなどの後、チトラルへ。シャリーフ殿下館泊)

  • 08/26(木)…チトラル滞在(女性のための公営ショップ調査。シャリーフ殿下館泊)

  • 08/27(金)…チトラル→ガラムチャシュマ(プレイグラウンド建設打ち合わせ。ウスマン・ウッディン兄弟家泊。場合によっては日帰りする可能性もあり)

  • 08/28(土)…ガラムチャシュマ→チトラル(プレイグラウンド建設予定地見学後、チトラルへ。シャリーフ殿下館泊)

  • 08/29(日)…チトラル→ムンムレット谷(以後、いつものブンブール・カーン氏宅に4泊)

  • 09/02(木)…ムンムレット谷→ビリウ谷(デジカメワークショップ開催。イルファン氏宅泊)

  • 09/03(金)…ビリウ谷→ドローシュ(デジカメワークショップ開催後、ドローシュへ。サルダル殿下の館泊)

  • 09/04(土)…ドローシュ→チトラル(デジカメワークショップ開催後、チトラルへ。シャリーフ殿下館泊)

  • 09/07(火)…チトラル→ペシャワール(空路を予定。悪天候でフライトキャンセルが続けば陸路に変更も。アスマット・ウラー氏宅泊)

  • 09/08(水)…ペシャワール→イスラマバード(陸路で。ワルジ夫人宅泊)

  • 09/09(木)…イスラマバード22:35発→北京(PK0852便。給油のため北京に着陸)

  • 09/10(金)…北京→東京12:40着

現地緊急連絡先(国際通話局番をダイヤルしたあと、国番号として92を加え、以下をダイヤルする)
  • Embassy of Japan[在イスラマバード日本大使館]:
      51-2279320/Plot Nos.53-70, Ramna-5/4, Diplomatic Enclave 1, Islamabad
      (草の根無償資金協力事業担当の森川真樹さんに計画内容をお伝えしていく)

  • Mrs. Shirin Walji(Travel Walji's Ltd.)[ワルジ夫人]:
      51-2270749/10 Khayaban Suhrawardy, Islamabad, P.O.Box 1088
      (ワルジ夫人不在時はスタッフのノーニハール・シャー氏:Mr. Naunehal Shahへ)

  • Prince Sharif ud-din Khan[シャリーフ・ウッディン殿下]:
      933-413413/Dolomuts, Chitral, N.W.F.P.(チトラル滞在先)

  • Prince Sardar ul-Mulk[サルダル・ウル・ムルク殿下]:
      933-480350/Shanigar, Drosh, Chitral, N.W.F.P.(ドローシュ滞在先)

  • Prince Sikandar ul-Mulk[スィカンダール・ウル・ムルク殿下]:
      933-412266/Balachi, Chitral, N.W.F.P.(故ブルハン殿下の甥で孫娘の婿)

  • Mr. Sher Mohammad(Steno to D.C.O.)[シェール・ムハンマド氏]:
      933-412055/933-412949/c/o Deputy Commissioner Office, Chitral, N.W.F.P.
      (チトラル県知事の秘書官で行政の要。自宅は933-412838)

  • Mr. Asmat Ullah Afridi[アスマット・ウラー氏]:
      91-287755/5/6 House Lafiqui Lane, Mall Road, Peshawar, N.W.F.P.
      (ペシャワール滞在先。日中はオフィスへ:91-210555)

日本からの連絡手段
[1]チトラルへはHotel Mountain Inn(マウンテン・イン)のオーナー、Hyder Ali Shah(ハイダリー・シャー)氏気付でファクスを入れると確実:+92-933-41-2668(国際電話で直接ファクス受信可能。土地の人たちの溜まり場なので、誰かにことづけて数日以内に届けてくれるはず。カラーシャ谷滞在中だけでなく、チトラルやドローシュ滞在中もこの方法が確実だと思う)

[2]上記スィカンダール・ウル・ムルク殿下宅か、県知事秘書官のシェール・ムハンマド氏のオフィスに直接電話を入れる。両氏とも英語が堪能で、てきぱきと対応してくれる。ただし、家族や使用人が出ると、英語が通じないことがある。ドロムツのシャリーフ殿下の館も、最近は比較的よくつながるようになったが、殿下が不在のことが多い。ドローシュ滞在地中は、サルダル殿下の館にも直接電話が通じるが、雨天や強風時には回線が不安定になる(夏時間のため、時差3時間)

[3]航空便は通常10日〜2週間かかるので、今回はすれ違いになって受け取れない可能性が高い

[4]前回はチトラルの町に出た折りにHotel Mountain Innの電話回線を借りて、インターネットにアクセスできた。回線スピードは14400bpsが最高。ドローシュ滞在中もサルダル殿下の電話を使ってアクセスできた日が何度かあったが、回線の状態が悪く、ひどい時には2400bpsしか出ないこともあった。今回も状況はあまり変わっていないらしく、頻繁にメールを送受信することは困難だと思われる。画像など、添付ファイルを送るのは避けていただけるとありがたい。カラーシャ谷には電話はないので、メール受信はチトラルに戻ってからになる。しばらく連絡がなくても、心配しないでいただきたい。
    • (これまで使ってきたjun-mar@site-sharaは、最近迷惑メールがあまりにも増えてしまったので、現地では受信しないつもり)


[5]イスラマバードへの連絡は、上記のワルジ夫人のオフィスへ(往路にイスラマバードで宿泊するホテルやディールへの車の手配などは、トラベル・ワルジを通じてお願いしている。帰路はワルジ夫人の自宅に泊めていただく予定)

[6]ペシャワール滞在中は、上記のアスマット・ウラー氏宅へ(日中はオフィスのほうへ)

略歴と著作など

  丸山純……MARUYAMA Jun
  
1955年6月27日東京生まれ

  • 中学生時代から洞窟探検(ケイビング)に傾倒
  • 1978.8〜12…パキスタン北西辺境州チトラル県のカラーシャ谷に滞在(プー祭・チョウモス祭参加)。10〜12月にかけて、陸路でアフガニスタン、イランを往復
  • 1980.3…早稲田大学第一文学部西洋史学科卒業
  • 1980.7〜1982.10…広告代理店株式会社ナックス勤務
  • 1982.11〜1983.5…チトラル、カラーシャ谷に滞在(チョウモス祭・キラサーラス祭・ジョシ祭参加)
  • 1983.11〜1984.2…チトラル、カラーシャ谷に滞在(チョウモス祭参加)
  • 1984.7〜9…チトラル、カラーシャ谷に滞在(ウチャオ祭参加)
  • 1984.11〜1985.1…チトラル、カラーシャ谷に滞在(ハンサリック・チョウモス祭参加)
  • 1985.11〜1986.1…チトラル、カラーシャ谷に滞在(チョウモス祭参加)
  • 1987.11〜1988.1…チトラル、カラーシャ谷に滞在(チョウモス祭参加)
  • 1989.4〜6…チトラル、カラーシャ谷に滞在(ジョシ祭参加)
  • 1992.3〜4…チトラル、カラーシャ谷に滞在(キラサーラス祭参加)
  • 1995.11〜1996.1…チトラル、カラーシャ谷に滞在(チョウモス祭参加)
  • 1997.9〜10…チトラル、カラーシャ谷に滞在(プー祭参加)
  • 1999.9〜10…チトラル(マストゥージ、ラスプール)、カラーシャ谷に滞在
  • 2001.9…チトラル(ドローシュ)に滞在(カラーシャ谷を3時間訪問)
  • 2002.8〜10…チトラル(ドローシュでプレイグラウンド建設、紙芝居上演と識字教育実施)、カラーシャ谷(紙芝居上演と識字教育実施)
  • 2003.4〜…西武文理大学サービス経営学部非常勤講師として、専門ゼミ「異文化理解の実際」を担当
  • 2004.4〜…政治経済研究所主任研究員として附属大島社会文化研究所に所属
    ※1985年以降は小島令子と同行

  ◆主な著作(カラーシャ関係のみ)

  • 1984…「異教徒の神々−−アレキサンダー大王の子孫が生きる谷間 1〜5」 『宗教と現代』59-62 鎌倉新書
  • 1985…「ムンムレット谷の春−−カラーシャ族の春祭り」 『あるくみるきく』218 近畿日本ツーリスト観光文化研究所
  • 1985…「“異教徒”の里カフィリスタン−−チトラルへ・国境の谷に眠る岩絵を訪ねて」 『山と渓谷』 山と溪谷社
  • 1985…「『異教徒』の谷に魅かれて−−会いたい人々の『社会』に通い続ける」 『望星』183 東海教育研究所
  • 1985〜6…「イシュパータ・バーヤ−−ぼくのカラーシャ語修業1〜5」 『パーキスターン』85-89 日本パキスタン協会
  • 1986…「カフィリスタン−−ムンムレット谷の一年」 『季刊民族学』36 千里文化財団
  • 1986…「哀悼の歌と踊り−−カラーシャ族の葬儀に参加して」 『通信』58 東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所
  • 1987…「カラーシャ族の生活」 小西正捷編『もっと知りたいパキスタン』 弘文堂
  • 1987…「カフィリスタン・ムンムレット谷??チョウモス祭」 『季刊民族学』39 千里文化財団
  • 1987…「カラーシャ族の衣生活」 『季刊民族学』41 千里文化財団
  • 1987…「〈特集・地球トイレ体験〉石を愛用するカラーシャ族」 『地平線から・7』 地平線会議
  • 1989…「〈私のパキスタン印象記〉大きな転換期を迎えた“異教徒”の谷」 『月刊アピック APIC』136 国際協力推進協会
  • 1992…「変わりゆくカラーシャ谷の14年−−1992年の滞在で考えたこと」 『パーキスターン』126 日本パキスタン協会
  • 1996…「ヒンドゥー・クシュに住む『異教徒たち』−−カラーシャ族の生活と文化」 『ヒマラヤ名峰事典』 平凡社
  • 2000…「カラーシャ」(項目執筆) 綾部恒雄編『世界民族事典』 弘文堂
  • 2000…「〈シリーズ発見の旅・1〉パキスタンの“異教徒の谷”で−−人々の“野蛮”なエネルギーに呼び覚まされた“内なる野性”」 『望星』359 東海教育研究所

  小島令子……KOJIMA Reiko(丸山令子)
  
1957年7月8日東京生まれ

  • 5歳〜12歳まで家族でインド(ニューデリー、ボンベイ)に滞在
  • 1980.7〜8…パキスタンギルギット行政区(主にフンザ)で民族音楽学のフィールドワークを実施
  • 1981.3…桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業
  • 1982.8〜9…パキスタン北西辺境州チトラル県で民族音楽学のフィールドワークを実施
  • 1983.3…桐朋学園大学音楽学部研究科卒業
  • 1983.4〜1985.3…桐朋学園大学音楽学部音楽学研究室非常勤助手
  • 1984.7〜9…チトラル、カラーシャ谷、フンザで民族音楽学のフィールドワークを実施
    ※1985年以降、丸山純と一緒にチトラル、カラーシャ谷に通う

  • 2004.4〜…昭和音楽大学音楽学部非常勤講師として、「民族音楽学」を担当
  • 2004.4〜…政治経済研究所研究員として附属大島社会文化研究所に所属

  ◆主な著作・音源

  • 1987…「カラーシャ族の音楽・ダジャイーラックについて−−夏祭りウチャオに見るその構造と社会的意味」 『音楽学』32 日本音楽学会
  • 1991…「カラーシャ族の春祭り・ジョシとその音楽」 藤井知昭編『儀礼と音楽II』(民族音楽叢書5) 東京書籍
  • 1991…「カフィリスタン・ムンムレット谷??カラーシャ交響曲(ジョシ)」 『季刊民族学』56 千里文化財団
  • 1992…「〈パキスタン〉ヒンドゥークシュの楽人たち??チトラル地方の音楽」 『地球の音楽−−フィールドワーカーによる音の民族誌』15 日本ビクター
  • 1992…「〈パキスタン〉異教徒の谷の祭典−−カラーシャ族の春祭り」 『地球の音楽−−フィールドワーカーによる音の民族誌』16 日本ビクター
  • 1992…「〈パキスタン〉異教徒の谷の祭典−−カラーシャ族の夏祭り・冬祭り」 『地球の音楽−−フィールドワーカーによる音の民族誌』17 日本ビクター
  • 1993…「ニューグローブ世界音楽大事典」(項目翻訳担当) 講談社
  • 1995…「〈インド〉信」」(選曲・曲目解説) 『時の旅人−−Asian Folk Songs CD Collection』7 日本ビクター
  • 1995…「〈パキスタン/バングラデシュ〉熱」(選曲・曲目解説) 『時の旅人−−Asian Folk Songs CD Collection』9 日本ビクター
  • 1995…「〈アフガニスタン/イラン〉道」(選曲・曲目解説) 『時の旅人−−Asian Folk Songs CD Collection』11 日本ビクター
  • 1996…「谷間に咲く異教徒文化−−パキスタン・カラーシャ族」 『GEO』vol.3 No.8 同朋社出版
  • 1996…「チトラルの音楽」 『季刊民族学』78 千里文化財団
  • 2002…「Wynne Maggi, Our Women Are Free: Gender and Ethnicity in the Hindukush(書評)」『アジア経済』43 アジア経済研究所