【2010年1月4日〜1月10日】


■いかに自爆犯が、アルカイダ戦争に新しい前線を開いたか[100110 Times]

(前略)ムマーン・ハリル・アブ・ムラール・アル・バラウィは、パキスタンで約1年暮らし、ザワヒリと親しくなった。12月30日にバラウィは、迎えに来たアルガワンという名前のアフガン軍司令官の車に乗った。アルガワンは、チェップマン基地の警備を担当していた。2人はホーストの近くのメールマンディ村に向かった。そこで午後12時半頃、アルガワンの運転手に迎えられた。

運転手によると、1週間前、ボスから白いトヨタ・カローラを赤く塗り変え、スモーク・グラスをつけ、軽帯電話を常時オンにするように命じられていた。

「アルガワンはバラウィと一緒に白いカローラに乗って私を待っていた」という。運転手は一度もバラウィに会ったことはなかったが「私の上司アルガワンの信頼を受け、互いを信頼していたようだ」。

2人は赤い車に乗り込んだ。アルガワンは運転席に乗り、バラウィは後ろに座った。ショールで顔と体を隠し、黄色いターバンを捲き、サングラスで目を隠していた。運転手は置いていかれた。

40分後にチャップマン基地に着いた(中略)。驚いたことに、運転手は一度も身体検査を受けることなしに、中に入った。基地のある警備官によると、「車が到着しても、取り調べをしないように命じられていた」という。

警備官によると、バラウィは以前も基地に来たことがあった。医師が最初のゲートに到着すると、第一ゲートを担当していたアフガン人の警備官は、米兵に、部屋に戻るよう命じられた。「バラウィを、アフガン人に見られたくなかった」という。そのあと米軍の車に誘導され、2つのゲートを通過し、CIAと軍諜報組織が使用する一連の建物の外に停車した。

バラウィが車から出ると、7人のCIA関係者と一団の兵士が集った。警備官によると、このときバラウィが自爆し、8人を殺害、6人を負傷させた。

このときアルガワンは、まだ運転席に座っていた。彼は最初の爆発後も生存していたが、米兵にピストルで頭を撃たれた。爆弾計画の一味だと疑われたからである。

「肉片が散乱していた」と警備官が語る「自爆犯が残したものは、足だけだった。爆発物をショールの下に隠していた」。

ある米諜報関係者によると、爆発威力は非常に大きく、50フィートも離れていたCIA関係者さえ殺害したという。全部で7人のCIA関係者が死亡した。

(中略)かつてCIA関係者は、嘘発見機を使用してバラウィを試した。あるCIA関係者によると、彼は数人のアルカイダを探し出したために、米軍が攻撃できた。「多大な報酬」を得たという。

彼は反米的見解をウェブに発表し続けていたが、CIAはこれを表向きのものと捉え、彼の真意であるとは誰も考えなかった。

ヨルダン人によると、12月にバラウィはCIAとシャリーフ・アリ・ビン・ザイドに、緊急に会議を開くように申し出た。ザワヒリの居場所がわかったことを示す暗号を用いながら、断片的な情報を提供した。

非常に重要な申し出ととらえた地元のCIA支部が、CIA本部やホワイトハウスにいる幹部に通告し、通常の手順を踏まなかったのである(後略)。

hoonHow this suicide bomber opened a new front in Al-Qaeda's war
Christina Lamb and Miles Amoore

■CIA爆弾犯人、ビデオでアメリカ攻撃を呼びかける[010110 New York Times]

(前略)土曜日にパキスタン人タリバンがリリースし、テレビで放映されたビデオテーブで、自爆犯のフマーン・ハリール・アブ・ムラール・アル・バラウィはムスリムたちに、バイトゥッラー・マフスードが殺害されたことに対して復讐するよう、呼びかけた。

土曜日に電話インタビューに応じたタリバン関係者が語ったところによると、バラウィは8ヵ月前に北ワジリスタンにやってきて、「我々のアラブ人の友人たち」に近づいたという。これはタリバンの活動地域を拠点とするアルカイダ工作員のことであるが、当初彼の行動は、警戒されていたという。

その後バラウィは地元タリバン指導者たちと会い、訓練士のカリ・フセインに引き合わされ、自爆攻撃の仕方を教わった。ヨルダン人たちは「アラブ人自由戦士」と「マフスードに対する復讐をするために、アメリカ人たちを殺害することに命をかけていた」という。「我々にとって、非常に役に立つ人間だった」。

(中略)ハキームッラー・マフスードが抵抗勢力の新たな指導者になると、パキスタン人の専門家たちは、彼はバイトゥッラー・マフスードよりも残虐だと述べた。しかし、彼がバラウィに協力したことに、大きな驚きを示す。パキスタンの専門家たちは、ヨルダン人はハッカーニの組織の協力を得ていたと述べる。

「時間をかけて計画され、さまざまな組織の協力で実現した、洗練された作戦だった」と、治安アナリストのタラート・マスードが語る。「タリバンとアルカイダの関係を見たまえ。グローバル化され、危険になってきた。アメリカ人たちは、対テロ政策を考え直さなければならなくなってきた」。

hoonCIA bomber calls for attacks on U.S. in video
Pamela Constable and Haq Nawaz Khan

■CIA爆弾犯、捜索直前に攻撃[100110 Washington Post]

ヨルダン人は「スーパー・スターの登場と予告」されていた。12月30日まで、基地のアメリカ人は、誰も彼に会ったことがなかった。

ヨルダン人医師は、赤いステーション・ワゴンに乗ってパキスタンから直接やってきて、アフガニスタンのCIA基地の検問所を通過し、急ごしらえの取り調べセンターに急停車した。CIAのアルカイダ専門家幹部が医師を迎えるために外で待ち受け、ザワヒリの居場所を聞き出そうとしていた。

ヨルダン人は手をボケットに入れて、車から出てきたという。アメリカ人の警備官が簡単な身体検査をしたあと、手をボケットから出すように頼んだ。そこでヨルダン人はスイッチを入れた。

大きな「クランプ」という音と閃光や煙が舞い上がり、数千の鉄の釘がカラスや金属、セメント、人肉を四方八方に飛び散った。

(中略)自爆犯のそばにいた全員が、即死した。CIAの基地の責任者だったアルカイダ専門家、30歳のアナリストの他、3人の関係者。さらにCIAが雇ったアメリカ人警備官2人とヨルダン人諜報関係者、車の運転手。この他にアフガニスタンのCIAの副責任者を含む、駐車場とその近くに立っていた6人が、負傷した。

12月30日に現場にいた者たちは、情報員に対する敬意と警戒心を計りにかけて、男を待ち受けていた。この地域の伝統に従って直接本人を待ち受けながらも、警備官を伴うことで対処した。

しかし警備に問題がなかったとはいえない(中略)。何よりも、これまで一度も基地に招かれたことがなかった、ヨルダン人医師フマーン・ハリル・アブ・ムラサール・アル・バラウィを、信頼しすぎていた。

CIA関係者は、犯人は警備員が身体検査をしようとした瞬間に爆発物を起爆させたのであり、不手際があったわけではないと述べた。「注意深く行なった」。「重要な情報源が、信頼のおける友人に連れてこられ、彼は大きな情報を持っていた。彼を基地に招き入れるだけの根拠はあった」。

CIA長官のレオン・パネッタも、やり方が間違ったために犠牲者が出たのではないと述べた(中略)。

チャップマン前哨基地に人々を徴集したこの男は、数週間、関係者の希望の星だった。しかし12月30日の午後まで、彼に会ったアメリカ人は1人もいなかった。32歳のバラウィは色が黒いハンサムな男で、自分が持っていると主張していたザワヒリの情報のために、カブールのアナリストからCIAの本部の人間まで、彼を注目を浴びていた。

2009年1月に、彼が過激派のウェブサイトに書き込みをしていたために一時的に拘束されたが、その後3月にパキスタンに向かった。医学の勉強のためという建前だった。彼はヨルダンの諜報関係者にeメールで有益な情報を送り、情報はアメリカ人たちに渡された。情報には、アルカイダやタリバンの訓練所や隠れ家に対するアメリカのミサイル攻撃が与えた被害の様子や、ごく一部の諜報アナリストとテロリスト自身しか知らない、犠牲者や標的となった建物の詳細が含まれていた。

この男から情報を入手していたワシントンのCIA幹部指導者は、彼がアルカイダ指導者の元にいることを示す「まぎれもない証拠」を示していたために、感銘を受けたという。証拠には、「証拠写真」なども含まれていた。

2008年に彼は、自爆者になりたいとインターネットで宣言していた(中略)。家族は、彼がヨルダン政府に協力していたことは知らないかったという。しかし拘束されてからは、怒りっぽく、ストレスを受けているようだった。ヨルダン人アナリストは、彼の情報を有益と考えた。「彼に情報提供をしてくれるように仕向けた」と、ヨルダン政府関係者が述べた。

最終的にCIA関係者たちは、彼と直接会うことが必要と考えた。しかし国境地帯は危険であり、CIAは情報員たちと会うための隠れ家がなかった。CIA関係者によると、ワシントンのCIA関係者は、彼と会う計画を知っており、これを支持していた。

ホーストにあるCIAの拠点は、アフガニスタンで組織が直接コントロールしている2つの拠点の1つである。他の拠点は、米軍基地内になる。しかしこの基地は、ハッカーニが活動するパキスタンの国境から、10マイルしか離れていない。

(中略)ホーストの基地では、外のゲートは常にタリバンのスパイに監視されている。したがってバラウィを連れて来た車はゲートで停止しなかった。運転手は敷地内の比較的誰もいない場所に来るように指示された。CIAの建物から離れた、急ごしらえの取り調べセンターがある場所である(後略)。

hoonCIA bomber struck just before search
R. Jeffrey Smith, Joby Warrick and Ellen Nakashima

■パキスタン北西部で米無人偵察機による攻撃、4人死亡[100109 AFP]

土曜日に米無人偵察機がパキスタンの部族地帯を攻撃し、抵抗勢力が少なくとも4人死亡したと、パキスタンの治安関係者と諜報組織関係者が述べた。

ミサイルは、北ワジリスタンのミランシャーから西に40キロの地点にある、イスマイル・ヘール村の建物を攻撃した。「米無人偵察機がミサイル2発を、抵抗勢力の訓練所に撃ち込んだ」と、治安関係者が述べた。抵抗勢力の身元は明らかではない。

諜報関係者も、攻撃があったことと犠牲者が出たことを認めた。「今のところ犠牲者の数は4人だ」という。

住民によると、建物は地元の部族民ラスタ・マルハーンのもので、タリバンと関係があったという。無人偵察機5機が、ミサイル攻撃を行なう前に、低空飛行をしてい。

関係者によると、攻撃はハーフィズ・グル・バハドゥールの拠点で行なわれた(後略)。

hoonUS drone strike kills four in NW Pakistan: officials
MIRANSHAH

■CIA爆弾事件とパキスタン人タリバンの関係を示すビデオ[100109 AP]

ヨルダン人自爆犯があぐらをかいて、パキスタン人タリバン新責任者の隣にすわっていいるビデオが、彼の死後発表された。

(中略)アル・バラウィは、二重スパイ、あるいは三重スパイで、約1分半のビデオで、CIAに対する攻撃はパキスタン人タリバン責任者バイトゥッラー・マフスード殺害に対する復讐だと述べた。

「今回のジハード攻撃は、パキスタンの国境を越えて行なわれる、米国人と無人偵察機のチームに対する最初の復讐戦だ」とビデオで述べた。「バイトゥッラー・マフスードの血を、決して忘れない。アメリカの国外・国内で、彼に対する復讐を行なう」という。

アフガン人タリバンとアルカイダ指導者たちが今回の攻撃に対する声明を発表していたために、どの組織が実際に犯行を実施していたかが、あいまいになっていた。パキスタン人タリバンと関係がある、ある過激派幹部は、犯人はパキスタン人タリバン司令官で自爆訓練所を運営するカリ・フセインから訓練を受けていたと述べた。彼によると、アルカイダとハッカーニの組織も介入しているという。

フセインが率いるラシュカレ・ジャングヴィ軍団は、反シーア派組織であるが、自爆犯たちを送り出しているといわれる(中略)。

またアルカイダのナンバー3のシェイク・ムスタファ・アル・ヤジドが、バイトゥッラー・マフスードの復讐のために、CIAが標的となったという声明を発表した(後略)。

garrVideo links Pakistan Taliban to deadly CIA bombing
DEB RIECHMANN、KABUL

■CIA工作員に対する自爆攻撃は「ビンラディンの内部関係者が計画」[100107 Times]

米諜報関係者は、アフガニスタンでCIAを標的にした自爆攻撃は、ビンラディンと密接に関係する内部の人間の仕業だとみている(中略)。ハッカーニが事件のことを事前に知り、さらに協力がなければ、実現しえなかった。

(中略)あるCIA関係者によると、CIAはパキスタン軍関係者がハッカーニにこの作戦に関して忠告し、パキスタンの諜報関係詞者が「ハッカーニは我々の仲間だ」と自慢しているのを盗聴したという。

(中略)ビンラディンの捜索を担当していた元CIAのマイケル・ショウアーは、「コーストでの作戦は、ジャラウッディン・ハッカーニか彼の息子の協力がなければ、ありえなかった」という。「彼らがこの地域を支配しているために、彼らが事前に知り、OKを出さない限り、ここでは何事もできない。さらにビンラディンのためなら、喜んでやるだろう」。

パキスタンの部族地帯の治安責任者だったマフムード・シャーも、「アルカイダが計画したかもしれないが、ハッカーニの協力がなければ不可能だったはずだ」と述べた(後略)。

hoonSuicide attack on CIA agents 'was planned by bin Laden inner circle'
Tim Reid、Washington

■自爆攻撃、CIAの活動の新たな面を暴く[100106 New York Times]

(前略)アフガニスタンのCIAに対する自爆攻撃があって以来、犠牲者−−男性5人と女性2人、そのうち2人はブラックウォーターとして知られていたCIAの請負会社職員−−の身元が少しずつ明るみに出てきた(中略)。

水曜日にアフガニスタンのアルカイダの作戦指導者が、自爆犯、フマーン・ハリル・アブ・ムラル・アル・バラウィを讃える声明を出した。コーストの自爆攻撃は、CIAの無人偵察機で殺害された過激派幹部指導者のための復讐だという。

「彼はよく考案された、すばらしい爆発物を爆発させた。あの世を信じない者たちの目は、これを見抜けなかった」と、アルカイダ指導者のムスタファ・アブ・アル・ヤジドが声明を出した。

(中略)犠牲者のうちの2人、元海軍の海兵隊関係者ともう1人は、以前ブラックウォーターとして知られていたサービスの警備官だった。同社はコメントを拒否しているが、地元の新聞では、大きく取りあげられている(後略)。

hoonSuicide Bombing Puts a Rare Face on C.I.A.’s Work
SHERYL GAY STOLBERG and MARK MAZZETTI、WASHINGTON

■無人偵察機、パキスタンで13人殺害[100106 AP]

水曜日にパキスタン北西部で米無人偵察機によるミサイル攻撃があり、13人が殺害された(中略)。

水曜日の最初の攻撃で、無人偵察機がキダワロのダッタ・ヘールの民家にミサイル2発を撃ち込んだ。この攻撃で7人が死亡したと、諜報関係者が述べた。その後民家の瓦礫の中から遺体を運び出しているところに再び攻撃があり、さらに6人が死亡ししたという。アラブ人2人を含む外国人4人が、犠牲者の中に含まれているという(後略)。

hoonSuspected US drones kill 13 in Pakistan
RASOOL DAWAR、ISLAMABAD

■ヨルダン人自爆犯、「3重スパイ」[100106 Times]

先週アフガニスタンでCIA工作員を殺害したヨルダン人自爆犯は、自分がアルカイダ指導者たちをスパイできる信頼のおける情報員であると、アンマンの諜報組織に信じ込ませた。

しかしフマーン・ハリル・アブ・ムラル・アル・バラウィは3重スパイで、イスラーム過激主義と戦うアメリカの戦争の前線において、複雑な人生を歩んでいた。『The Times』の調査によると、医者としての訓練を受けたこの男は、公然とアルカイダを支持するいっぽうで、極秘にヨルダンの諜報組織に協力するふりをし、最終的にはジハードのために命を犠牲にした。

(中略)ヨルダン政府関係者は、数ヵ月前にアル・バラウィはヨルダンの超総組織General Intelligence Department(GID) に重要な「ネタ」を提供したために、「国家の安全と安定を脅威に陥れたはずのテロ作戦を食い止める」ることができたと述べた。

アル・バラウィは2009年3月に不審な行動をしたとして、GIDの取り調べを受けた。しかし「特に不審なもの」がなかったために、釈放された。

「数ヵ月後に彼は我々にeメールを寄越し、ヨルダンに対する悪意ある計画に関する情報を提供し、我々は王国を標的とするテロ作戦を暴くことができた。従って我々は国家の安全のために、彼との関係を保つことにした」と関係者が述べた。

しかしジハード組織のウェブサイトには、バラウィが自分のハンドラーの敵に協力していることを示す書き込みをしている。GIDは自分たちの2重スパイであると信じて、彼をアフガニスタン東部に連れていき、ザワヒリの捜索に協力させた。ヨルダンは9.11以後、CIAと諜報協力を行なってきた(中略)。

ヨルダンの医学協会の記録によると、アル・バラウィは2002年にイスタンブール大学を卒業した。その後2つの病院で勤務。そのうちの1つはムスリム同胞団の慈善団体が経営していた。その後も、ヨルダンのザルカ近くにあるヒティン・バレスチナ難民キャンプで仕事をした。

アル・バラウィはイスラーム過激主義に惹かれるようになり、イエメンのイスラームのオンライン・フォーラム「Hisbah.net」に関わるようになった。ここで自分の究極の夢は、アメリカとイスラエルに対する聖戦で殉教することだと述べている。去年の9月26日に受けたインタビューで、「幼少のころからジハードに惹かれてきた」と述べている(中略)。

「彼は重要なアルカイダ報道官の1人だ」と、イスラーム過激主義に詳しいヨルダン人アナリスト、ムハンマド・アブ・ルマーンが語る。「彼はアメリカとイスラエルに対するジハードを常に提唱してきた」。ジハードのウェブサイトによると、アル・バラウィは「ムジャヒディンのための医師」というあだ名を就けていた。彼はパキスタン人タリバンの幹部になった、最初のアラブ人だという。

アル・バラウィは1977年12月25日にクエートで生まれ、その後イラクが1991年にクエートに侵攻したあと、ヨルダンに家族とともに移った。父親はザルカで薬局2店を経営している。アル・バラウィは、ジャーナリストだというトルコ人女性と結婚し、娘が2人がいる(中略)。高校時代の友人のハンマド・ユーセフによると、アル・バラウィは家族に、アメリカで薬学を勉強するための試験をトルコに受けに行くと述べていた。トルコに行く代わりにアフガニスタンに行き、他のアラブ人戦闘員とともに、アルカイダに合流した。

hoonJordanian suicide bomber who killed CIA agents 'was triple agent'
Rana Sabbagh-Gargourin、Amman

■CIA基地を攻撃した自爆犯は、ヨルダン出身の信頼のおける情報提供者[100105 Washington Post]

(前略)『SiTE Intelligence Group』によると、CIAの前哨基地で自爆した犯人のバルワウィはこれまでジハードを支持してきた経歴を持ち、2007年に逮捕された。彼はヨルダンの諜報組織に逮捕され、情報員になるよう説得されたという。

逮捕前、バラウィはオンライン上でアブ・ドゥジュナ・アル・ホラサニという名前を使用し、有名なジハード支持者のフォーラム『アル・ヘスバ』で活躍していた。最終的には、ウェブサイトの管理人にもなった。。

去年の9月にアフガニスタンのアルカイダ系の雑誌、『ホラーサンの監視人』のインタビューに応じた。彼を操っていた関係者は恐らくこのインタビューを知っていたが、彼の作戦と捉えていたようだ。

しかしバラウィは長いインタビューに応じ、時にジハードや殉教に傾倒していることを臭わす言葉を発していた。「私は子供の頃からジハードと殉教を愛していた」と、語ったという。「ジハードに対する愛が人間の心に到達すれば、それを払拭したくても払拭できない」。

また彼が一緒に生活していたムジャヒディンの禁欲主義を、賞賛した。「もし知っている殉教者の名前が出ると、美しい花の露が口に落ちてきたような間隔に陥り、血管を流れる血が凍るのがわかる」。「彼らの迷い込んだような表情は、叫び声よりも優雅で、泣きたくなるような感情に襲われる」(後略)。

hoonSuicide bomber who attacked CIA post in Afghanistan was trusted informant from Jordan
Joby Warrick and Peter Finn

■CIA基地爆弾犯は、2重スパイ[100104 AP]

アフガニスタンのCIA基地内で8人を殺害した自爆犯は、ザワヒリの情報を提供すると主張したために基地内に入ることを許された、ヨルダン生まれの2重スパイだったと、米元諜報関係者と外国の政府関係者が確認した。

この自爆攻撃でCIA職員7人−−うち関係者4人と警備員3人と、ヨルダン人諜報官アリ・ビン・ザイドが死亡したと、別の元米諜報関係者が述べた。

最初の諜報関係者と外国の関係者によると、犯人はフマーン・ハリル・アブ・ムライ・アル・バラウィで、ヨルダンのザルカ出身の36歳の医師である(中略)。

男は1年以上前にヨルダンの諜報組織に逮捕され、アルカイダに対する捜索に関して、アメリカとヨルダンに協力することを説得されたという。アフガニスタンとパキスタンの国境地帯に関する情報提供をしていたために、コーストにあるCIAの前哨基地に招き入れられた。ザワヒリに関する情報を追跡していたという。

パキスタン人タリバンの報道官だというハッジ・ヤクーブが、ムスリム過激派ウェブサイトで、犯人をハマーン・ハリル・ムハンマド、別名アブ・ドゥジャナ・アル・フルサニであるとした。これに対する裏付けはない。

(中略)『SITE Moniteing』によると、2009年9月のジハードのオンライン・マガジンが、アル・バラウィのインタビューを掲載したという。この掲示板の中で、自分がいかにしてオンライン・ジハード・フォーラムから台頭してきたかを語ったという。戦うためにアフガニスタンを訪れ、暴力行為を行なうことを呼びかけていた。

「言葉よりも、行為で示すことが大事だ。従ってもしそのムスリムが生き残れば、彼は自分の言葉を行為で証明したことになる。もし彼がアッラーのために死んだら、彼は自分の言葉に従い、アッラーの許しのもとで、ジハードの道に証を残したことになる」と、書いていた。

ヨルダン政府関係詞者は、政府はこの犯人と関係していないと述べ、彼がヨルダン人であることもまだ明らかではないという。

タリバンのヤクーブによると、ヨルダン人諜報官のビン・ザイドがCIAに協力して、アフガニスタンにいるアルカイダをスパイするために工作員を集めていたという。ビン・ザイドが、今回の自爆犯を採用した。

(中略)ヨルダン政府は、ビン・ザイドがアフガニスタンで殺害されたという声明を発表したが、彼がヨルダン諜報組織の人間であることや、CIAに協力していたことは明らかにしていない。

ビン・ザイドの家族は、コメントを拒否している。

ビン・ザイドはヨルダン国王アブドゥッラーII世の親戚だといわれる。彼はシャリーフ(貴族)の称号を持ち、これはヨルダン王家から与えれたものである。

アブドゥッラー国王と王家一族がビン・ザイドの遺体を引き取り、日曜日に葬儀が行なわれた。葬儀は王宮で行なわれた(後略)。

ohAP sources: Bomber at CIA base was a double agent
PAMELA HESS and ADAM GOLDMAN、WASHINGTON

■CIA基地の自爆犯、ヨルダンの諜報組織と関係[100104 New York Times]

CIA関係者7人とヨルダン人諜報関係者1人を殺害した自爆犯は、アルカイダ組織のメンバーを追跡するためにアフガニスタンに連れて来られたヨルダン諜報組織の情報提供者だったと、この事件に詳しい欧米関係者が述べた。

犯人はヨルダンで逮捕され、同国の諜報組織にリクルートされた。仲間に引き込んだと信じた結果アフガニスタンに送り、外国人ジハード志願者を装ってアルカイダ組織に入り込ませようとしていた。「彼は非常に役立ち、重要な人間だった」という。

しかしこの工作員は二重スパイで、アフガニスタンとパキスタンの間の国境地帯で過激派から爆発物を与えられ、これを身につけて爆基地チャェプマン前哨基地におけるミーティングに臨んだ。

彼は基地のセキュリティーをすり抜けることができ、米軍をアルカイダ幹部に導くことができる重要人物と考えられ、また彼のハンドラーだったヨルダンの諜報官が彼を重要な諜報提供者と認めたために、十分身体検査を受けていなかったという。

このハンドラーだったシャリーフ・アリ・ビン・ゼイド大将は、自爆攻撃で死亡した8人目の人間である。彼の死は最近になって、ヨルダン人関係者によって報告されたが、彼がどこで殺害され、またアフガニスタンで何をしていたかは明らかにされていなかった。

ヨルダン諜報関係者がインタビューで、犯人の身元は知らないと述べた。「ヨルダン人かサウジ人だと聞いている」。「しかしまだわからない」。

欧米関係者によると、犯人はアフガン国軍に扮して基地に入ったのではないという。しかし諜報提供者と信じられていたために、基地に連れてこられた。

パキスタン人タリバンと関係のある人間によると、犯人はフマーン・ハリル・ムハンマドで、ヨルダン人の医者だという。『アルジャジーラ』は犯人の名前をヒマーン・ハリル・アブ・ムラール・アル・バルウィと報道した。

このテレビ局によると、アル・バルウィはザワヒリを追跡するために、アフガニスタンに連れて来られた。

ヨルダンの諜報組織はここ数年、CIAと密接に動いていると報道されている。CIAはイランに侵攻したあと、ヨルダンの諜報組織に数百万ドルを提供し、組織はイラク人抵抗勢力に対する作戦において、重要な役割を果たしている(後略)。

smellBomber at C.I.A. Base Had Ties to Jordan Spy Agency
RICHARD A. OPPEL Jr. and SOUAD MEKHENNETISLAMABAD

■ヨルダンの情報員、CIA工作員を標的に自爆攻撃[100104 Washington Post]

先週アフガニスタンでCIA工作員7人を殺害した自爆犯はヨルダン人情報員で、アルカイダ幹部指導者に関する新たな情報提供を約束し、諜報官たちとのミーティングを予定していたという。

この情報員は数週間アフガニスタン東部で極秘任務に就き、アメリカのスパイたちを罠にかけた際に、「行動に移れる諜報情報」を提供したという。

コースト州のCIA基地で起きた爆発では7人のCIA工作員のほかに、この情報員と一緒に仕事をする予定だったヨルダン人諜報関係者も死亡した。

犯人のフマーム・ハリル・アブ・ムラール・アル・バラウィは、CIAの拠点から離れた場所で車に乗り込み、徹底的な身体検査なしに敷地内に入り込んだという。「我々とすでに仕事をしたことがある人間だった」と関係者は語り、この情報源はアメリカとヨルダンの諜報組織が一緒に選んだ男だったという。

CIAはコメントを拒否している。

『アルジャジーラ』が最初に犯人の名前を報道し、バラウィはヨルダンのザルカ出身の医師だと発表した。この町は、イラクのアルカイダ元指導者だったアブ・ムサブ・アルザルカウィの出身地でもある。『アルジャジーラ』によると、バラウィはザワヒリ追跡のために雇われたとし、『MSNBC』は、バラウィが爆弾犯だと報道した。

死亡したヨルダン人諜報工作員の遺体が、埋葬のためにアンマン送られたために、週末にはCIAのチャップマン前哨基地にけるヨルダン諜報組織の役割が表沙汰になった。ゼイドという男性は、バラウィの「ハンドラー」として、仕事をしていたと、米元対テロ関係者が述べた。

「彼らは悪党たちの文化、仲間、彼らが属している組織に関して、誰よりも知っている」と、元CIA関係者のジャミー・スミスが述べた。ヨルダン人たちは、誰よりも「過激主義組織やシーア・スンニ文化に詳しい」ために、逮捕者の取り調べや情報員の開拓に長けている。

しかしヨルダンが大きな役目を負っているにもかかわらず、両国ともヨルダンの関与は極秘であることを主張している。ムスリム国家における、アンマンの立場を保護するためである。

米諜報関係者たちは、ヨルダン人関係者の死や、この地域でヨルダン人工作員たちが果たす役割に関してコメントすることを拒否した。「我々は対テロ事項に関して、ヨルダン人たちと密接に協力し合っている」と、米対テロ関係者が述べた。「我々の国がテロ攻撃で大きな被害を受けてから、彼らは過激主義者たちの脅威を十分認識するようになった」。

ビン・ゼイドは、アフガニスタン東部にあるCIAの最も重要な情報収集基地にいた。自爆犯が基地内でCIA関係者やその関係者が集った場所で、爆発物を爆発させた。CIAの基地責任者を含む、米国人7人が死亡した。

この基地は、アフガニスタンとパキスタンとの国境に沿って作戦を行なうCIAの拠点である。アルカイダやタリバンの位置を特定し、ミサイル攻撃を実施するための諜報情報を提供する。また情報提供者から話を聞くための場所でもある。

ヨルダンの公的報道機関『ペトラ』によると、ビン・ゼイドは水曜日の夜、アフガニスタンに駐屯するヨルダン軍のために、神聖なる任務に就いていたところ、殉教した」と報道した。地元の報道機関は、ビン・ゼイドの家族の話として、彼はアフガニスタンに20年前からいたと報道し、事件があった日に帰国予定だったという。

彼の棺は土曜日にアンマンに到着し、葬儀が行なわれた軍の墓地には、アブドゥッラーII世ヨルダン国王と妻のラニアも出席した。

現・元米諜報関係者によると、ヨルダンとの特別な関係はすでに30年以上続いており、最近ではCIAの連絡官は、アンマンにあるヨルダンのスパイ組織本部を、全く自由に出入りすることができるという。このような緊密な関係により、これまでさまざまなテロ計画が暴かれている(中略)。

2001年の9.11以降、ヨルダンはCIAと一緒に2国作戦センターを設立することに同意して、CIAが逮捕し、今となっては悪名高い「引き渡し」飛行で容疑者をヨルダンに送り、ヨルダン国籍以外の容疑者を取り調べることに協力している。

ヨルダンの親米路線政策は、毎年アメリカから5億ドル相当の経済・軍事援助をアメリカから受けていることや、ヨルダンはイスラエルと和平協定を結んでいる2つのアラブ国家のうちの1つであることに拠るところが大きい。

smellJordanian informant lured CIA operatives into suicide attack, officials say
Joby Warrick and Peter Finn

■ネック・ムハンマドの弟、南ワジリスタンのタリバン責任者に[100104 News]

日曜日に南ワジリスタンのパキスタン人タリバンが、故ネーク・ムハンマド元司令官の弟を、組織の新たな指導者に任命した。

24歳のワリウル・レーマンが、木曜日の夜に北ワジリスタンのマチヘール村で無人偵察機により殺害された、有名なタリバン司令官のハッジ・オマルの代わりとなった。ハッジ・オマルの遺体は、後にワナの近くのカルーシャ村に運ばれた。

ハッジ・オマルはウズベク人戦闘員を匿っていたために、ムッラー・ナジールが率いる地元タリバンと対立していたが、それにもかかわらず、葬儀には多数が参列した。

オマルと仲間の抵抗勢力が、地元ジャーナリストのカリム・ハーン・ワジリスタニのゲストハウスであるフジュラにいたところ、CIAの偵察機に攻撃された。この攻撃で隣接するジャーナリストの家も破壊され、彼の息子と弟のアシフ・ハーンも殺害された。

新司令官のワリウル・レーマンの兄のネーク・ムハンマドは、2004年6月18日に米無人偵察機に殺害された。タリバンの情報源によると、30人からなるタリバン司令官の集まりで、ワリウル・レーマンが組織の新たな責任者に推薦された。ワリウル・レーマンは既婚者で、息子がいる。兄がまだ生存していた時期に、南ワジリスタンで軍事訓練を受けた。

組織は、2007年に司令官たちとその家族が南ワジリスタンから追い払われたあとは、パキスタン軍と戦うのを止めたという。この組織は現在アフガニスタンで、活発に行動している。

ワリウル・レーマンは、最も危険な時期に戦闘員たちを先導するという重要な役目に就く、最も若い司令官である。彼は自分の組織の他の人間とともに北ワジリスタンに住み、ムッラー・ナジールとその司令官たちと何度も和解を試み、南ワジリスタンに帰る許可をとろうとしている。

ムッラー・ナジールは、彼らが南ワジリスタンに帰れば再びウズベク人たちがワナやシャカイに戻ってくることを恐れ、これを拒否している。

hoonBrother of Nek Mohammad made chief of SWA Taliban
Mushtaq Yusufzai、PESHAWAR

■北ワジリスタンの無人偵察機攻撃で、外国人を含む5人死亡[100104 News]

日曜日の夜、北ワジリスタンのミラリ地区のモサキ村で、CIAの無人偵察機がフジュラとそれに付随した家を攻撃し、地元の人間2人と外国人3人の5人が殺害された。

行政関係者やモサキ村の住民によると、無人偵察機は日曜日以来ずっと飛んでいるという。彼らによると、無人偵察機が地元部族民ジャン・ローズと弟のサディク・ヌールのフジュラに、ミサイルを撃ち込んだ。近くの家も、被害を受けた。

村人たちは壊れた2つの建物の瓦礫の中から、5人の遺体を掘り起こした。そのうちの1人は、ジャン・ロズの孫だったという。もう1人も、家族の一員である。

この他に死亡した3人は外国人だというが、名前や国籍はわからない(後略)。

hoonForeigners among five killed in NWA drone strike
Mushtaq Yusufzai & Malik Mumtaz Khan、PESHAWAR/MIRAMSHAH

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2010.