【2010年8月2日〜8月8日】


■アルカイダ、カラチ炎上に介入[100804 Asia Times]

パキスタンの警察が火曜日に、MQMのサイード・ラザ・ハイダルが、南ワジリスタンを拠点とするアルカイダ系のファズル・マフスードの組織に殺害されたと発表した。

月曜日にハイダルと彼の護衛が、カラチのナジマバード地域のモスクで、銃を持った男たちに殺害された。この殺人で暴力沙汰がカラチで広がり、反アルカイダのMQM支持者と親過激派組織との間で衝突が発生し、少なくとも65人が死亡した(中略)。

この小競り合いは、カイバル・パフトゥンフワとパンジャーブ南部、バローチスタンで、かつてない洪水に見舞われている最中に起きた。

ここ6ヵ月の間にカラチでは民族抗争と宗教抗争が再発し、全部で165人が死亡している。ハイダルはウルドゥー共同体の出身で、シーア派である。犯人たちがファズル・マフスードの組織の人間であるとしたら、スンナ派で、パシュトゥーンである。

カラチの抗争で、NATOの補給線が完全に遮断された。燃料以外の物資の60%と燃料の半分が、この港町を通過してアフガニスタンに運ばれる。

アルカイダはカラチの抗争を利用して、パンジャーブ中央部に新たな前線を開き、洪水で打撃を受けたカイバル・バフトゥンフワに、さらなる打撃を与えようとしている。アルカイダの首脳陣たちは、NATOの戦いを今年の終わりまでに中止させようとしている。

アルカイダは、ザワヒリや故アル・ヤジドの考えに従って、パキスタン軍をできるだけパキスタン各地に拡散させようと考えている。これにより、パキスタンが「アメリカの戦争」を支持しなくなると見ている。

従ってアルカイダは、例えばカイバル行政区やオラクザイ行政区、クラーム行政区、南ワジリスタンなど、部族地帯各地に多数の前線を開いた。その結果、軍は北ワジリスタンのアルカイダの本部を攻撃するだけの能力がなくなった。アルカイダはパンジャーブ中央部でも同じような計画を立てており、まずはラホールを狙った。

パキスタンの対テロ関係者によると、最近逮捕された過激派の取り締まりから、アルカイダは2008年11月にムンバイで起こしたテロよりも、もっと大きな計画を首謀していたという。ラホールで膨大な量の武器や爆発物が押収されたにもかかわらず、過激派たちはまだここで大きな攻撃をしようと狙っている。

しかしアルカイダの観点からは、銀行や株式場、国際機関が林立するカラチがパキスタンの最大の弱点であり、ここを混乱させることで国家は混乱し、アフガニスタンのNATOも被害を被ることになる。

(中略)ムシャラフ時代の2008年の選挙の際、ワシントンはMQMとANPを支持することを明白にした。そのために、これまでカラチで5議席を占めていた宗教政党がANPに敗北した。その後カラチではパシュトゥーンとウルドゥー話者との間の新たな戦いが始まり、アルカイダはこれを利用した。南ワジリスタンを拠点とするマフスード族共同体がカラチのANPを占め、マフスード族全体が、故バイトゥッラー・マフスード、現ハキームッラー・マフスードに支配されている。

アルカイダはANPとMQMを対決させている。今年の初めになって、民族的なターゲット殺人がシーア派対スンナ派、デオバンド派対ブラヴィス派の宗教抗争になったときに、ANP指導者たちは初めて問題の大きさに気がつき始めた。

カラチのANP指導者シャヒ・サイドが仲間に、MQMと敵対することをやめるように命じ、アルカイダやパシュトゥーンであるタリバンが混乱を画策していると警告した。しかしパシュトゥーンの若者たちはこれに逆らってウルドゥー共同体を攻撃しはじめ、MQMの事務所を攻撃、従業員を殺害した。

カラチの米領事館が状況の沈静化に大きく関わったが、再び状況が悪化し、月曜日になってハイダルが殺害されたのである。

再び新たな抗争が始まり、ジハード組織とパシュトゥーンが団結した。MQM、スンニ・テヘリーク(反タリバンスンナ派組織)、シーア派組織に対戦しようとしている。一触即発の状況にあり、いつこれが爆発するかわからない。アルカイダが火付け役である。

garrAl-Qaeda meddles while Karachi burns
Syed Saleem Shahzad、ISLAMABAD

■生まれたばかりのアフガンを湯船に放り込む[100804 BBC]

アメリカとヨーロッパでは、ウィキリークの極秘文章の公開以来、アフガン戦争や国際軍のさらなる早期撤退に、疑問を投げかけ始めた(中略)。

ウィキリークは、新しい事実を提供したわけではない。しかし、これまで私たちが知っていた以上の、詳しい事実が明らかになった。悪い時期に事実がリークされたために、世界がパニックに陥った。

アメリカ、NATO、パキスタン、さらにアフガニスタンの主要関係者たちの政策は、戦争の終結方法や軍の撤退方法を模索しながら変化してきた。

米議会などは、アフガニスタンを平定し、タリバンと話し合い、地域の安全を確保することで、戦いを終結させなければならないと認識している。この最後の段階になって、イスラマバードやカブールに対する経済援助中止を考えても始まらない(中略)。

米軍は、タリバン戦闘員を政治に取り込み、一般人をできるだけ犠牲にしないという対抵抗勢力作戦を開始し始めた。しかし、結局戦争は戦場で勝利することでは解決せず、タリバンとの話しいが必要だということに気づいている。

陸軍参謀長のマイク・ミュレン提督とリチャード・ホルブルック特使、さらにジョン・ケリーとヒラリー・クリントンがたびたびパキスタンを訪問し、新たな動きが開始されている(中略)。

アメリカの圧力と軍事援助のせいで、パキスタン陸軍はついにパキスタン人タリバンの取り締まりを開始した。この作戦は15ヵ月前に始まったばかりで、陸軍は1000人以上の兵士を失った。

カルザイとISI長官のシュジャ・パシャ将軍を含むパキスタンの指導者は、9年振りに互いの首都を訪れた。両陣営はタリバンと話し合い、戦争を終らせるという共通の政策を成功させようとしている。

アメリカの圧力と影響力の下で、両国は歴史的な通貨貿易に同意した。アフガンの物資がパキスタンを通過して、インドに輸出される。これは1965年以来のことである。

これまでISIは、常に不安定要因だった。これについて、ほとんどの人が触れていない。しかしウィキリークは、新たな情報を加えたわけではない。

ISIは1994年にタリバンを誕生させ、2003年には再結成することに協力し、2005年にはカンダハル占拠を後押しした。

キアニ陸軍参謀長も、責任をとらなければならない。彼は2004年から07年にかけて、ISI長官だった。キアニは、さらに3年間、陸軍長官の任務が延長された。

しかし状況は変わった。

キアニ将軍はアフガン戦争を終結させ、パキスタンを安定化したい。そのためには、隣国やアフガニスタンの非パシュトゥーン系少数民族を取り込まなければならない。彼らはこれまで歴史的にISIを憎んできた。

最近のカブール会議は、アフガン治安軍が欧米軍に取って代わる期限を2014年とした。しかしそれ以前に、パキスタンの協力のもとで、タリバンとの和解を行なわなければならない。

ジョン・ケリーは7月27日に、「結果は、アフガニスタンで起きる出来事よりも、パキスタンが大事だ」と述べ、「パキスタンが中心で、鍵を握っている」という。

ケリーの発言は正しい。アメリカやヨーロッパの議会が、すでに悲惨な状況を手遅れにしているような場合ではない。

hoonThrowing the Afghan baby out with bath water
Ahmed Rashid

■抵抗勢力、災害を狙う[100803 Asia Times]

パキスタンの歴史上最悪の洪水で、1100人以上の命が失われた(中略)。救出作戦に3万兵以上が従事し、過激派が一掃された地域が、自然災害にみまわれた。

スワートのTTP指導者ファズルッラー師がビデオメッセージで、タリバンがスワートに戻りつつあると発表した。ファズルッラーは以前、ヌーリスタン州でアフガン軍に殺害されたと報告されたこともある。

パキスタンの対テロ関係者によると、洪水などの災害のために、カイバル行政区とオラクザイ行政区に対する過激派に対する軍事作戦が中止になったという。パンジャーブ州南部の過激派の取り締まりも中断した。

(中略)アフガニスタンのNATO軍に送られる物資も、遮断されている(後略)。

hoonMilitants see opportunity in disaster
Syed Saleem Shahzad、ISLAMABAD

■アルカイダ313師団、ウェブサイト掲載[100802 Longwar Journal]

パキスタンのアルカイダ軍事部門と関係するウェブサイトが、立ち上げられた。アルカイダ313師団と呼ばれるウェブサイトがwww.aqbrigade313.comのアドレスで、2010年6月2日に立ち上がり、7月初めに活発になった。

このサイトには86の登録ユーザー、5人のシステム管理者がいることが、Open Source Centerから入手した報告からわかった。ウェブサイトにはフォーラムとブログがあり、タイムズ・スクエア爆弾未遂犯のファイサル・シャーザッドの声明を含む、タリバンのプロパガンダにリンクを張る。

米諜報関係者やテロウェブサイトの専門家によると、アルカイダ313師団のウェブサイトは本物で、アルカイダと関係があるという。

313師団のウェブサイトのメイン・ベージには「アルカイダ313師団」という言葉が真ん中に、ハラカトゥル・ジハード・イスラミ、ラシュカレ・ジャングヴィ、ジュンダッラー、TTPが、ページの中の4つのコーナーを占める。

アルカイダ313師団の中に入ると、アルカイダの責任者だった故ムスタファ・アブ・ヤジドと、アブ・ヤハヤ・アル・リビのイデオロギーが左に、イリアス・カシミリのイメージが右端に出てくる。ヤジドはホラーサン、つまりパキスタンとアフガニスタンのアルカイダ指導者だったが、2010年6月に北ワジリスタンに対するアメリカの無人偵察機の攻撃で死亡した。

313師団は、パキスタンのアルカイダ軍事組織で、タリバンと関連するジハード組織で構成される。ラシュカレ・ジャングヴィ、ハラカトゥル・ジハドゥル・イスラミ、ラシュカレ・タイバ、ジャイシェ・ムハンマド、ジュンダッラー(カラチのアルカイダ系組織)などのパキスタンテロ組織で構成され、これらがパキスタンのアルカイダと団結し、313師団という名前のもとで活動している。この組織はパキスタンのタリバンと密接な関係を築き、パキスタン陸軍や諜報組織の幹部メンバーなども仲間に引き込んでいるという。

(中略)313師団はイリアス・カシミリが率いるが、彼はラシュカル・アル・ジズまたは「影の軍」の指導者である。これはアフガニスタンとパキスタンの国境地帯を統括する、アルカイダの軍事組織である。カシミリは、アフガニスタンやパキスタンで、洗練された攻撃のほとんどを首謀しているといわれる。2009年にニューヨークの地下鉄で自爆攻撃を行なおうとしたナジブッラー・ザジにも、協力していたという。

ラシュカル・アル・ジルはジャイシュ・アル・ウスラまたは「盾の軍」とも呼ばれる。ラシュカル・アル・ジルはパキスタンとアフガニスタンの国境地帯で、6つの師団を動かしている。そのうちの055師団はもともと存在していたアルカイダの軍隊で、1990年代のタリバン政権時代に設立された。アブ・ライス・アル・リビが055師団の責任者だった。アフガニスタンを拠点とするアルカイダの軍隊だったが、彼は2008年1月に、北ワジリスタンに対する無人偵察機の攻撃で殺害された。

ラシュカレ・アル・ジルは、ソマリアやイエメンでも活動している。アメリカはラシュカル・アル・ジルの元司令官、アブドゥッラー・サイド・アル・リビを、2009年12月に、北ワジリスタンに対する無人偵察機の攻撃で殺害した。

313師団は、バドルの戦いでムハンマドと戦った313人の仲間にちなんでつけられた。

イリアス・カシミリは、アルカイダの最も危険な司令官の1人とみられている。彼はパキスタン、カシミール、インド、アフガニスタン、バングラデシュで活動するアルカイダ系のハラカトゥル・ジハード・アル・イスラミの作戦責任者で、パキスタンでは4番目に重要な指名手配者になっている。

「サイフ・アル・アデルがいなくなったために、彼が軍事部門の実質的責任者」だという。イランを拠点に活動するサイフ・アル・アデルは、アメリカの陸軍参謀長のような役目を果たしていた(後略)。

garrAl Qaeda Brigade 313 website goes online
BILL ROGGIO

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2010.