【2010年8月9日〜8月15日】


■タリバンとアルカイダ、アフガニスタン東部のアフガン国軍の襲撃に報復[100813 Longwar Journal]

ラグマーン州でアフガン国軍大隊の襲撃にタリバンとアルカイダが報復し、アフガン側に多数の犠牲者が出た。

戦いは8月4日に、ラグマーンのバッド・パーフで始まった。この地域は、アルカイダやタリバンの拠点として知られるクナールと接する。

アフガン軍は米軍や同盟軍に頼らず、独自で攻撃を行なった(中略)。

アフガン軍に報復したラグマーンのタリバンは、ラシュカル・アル・ジルまたは陰の軍と呼ばれる、アフガン人、パキスタン人タリバン、アラブ人や、パキスタンや中央アジアのジハード組織からなるアルカイダの軍隊だと、米軍諜報関係者が述べた。ラシュカル・アル・ジルはジャイシュ・アル・ジル、あるいは「盾の軍」とも呼ばれる。ラシュカル・アル・ジルは、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯で、6つの師団を動かしている。これには1990年代に組織された、本来のアルカイダの軍隊、055師団も含まれる。イエメンやソマリアでも、小隊が組織されている。

「ラグマーンで起きたように、組織軍の大隊を敗北させる能力は、それがたとえアフガン国軍であっても、簡単なことではない」と、関係者が述べた。「タリバン軍は大隊と面と向かって対戦し、惨敗させた」。

外国人が含まれている証拠は、アフガンの報道機関で報道された。24時間以内にラグマーンの戦いで、アラブ人とチェチェン人がそれぞれ1人ずつ殺害されたと、ホースト・ラジオ・ニュースが報道した。州知事報道官によると、外国人戦闘員4人が逮捕されたというが、国籍は明らかにされていない。

ラシュカル・アル・ジルは、ここ数年の間、アフガニスタンで起きた大きな事件に関与している。2008年7月にヌーリスタンのワナートで米軍前哨基地の襲撃、2008年8月にカブールのフランス隊に対する攻撃、2009年10月にヌーリスタンのカムデッシュの前哨基地2ヵ所に対する襲撃、さらに2010年7月に、ヌーリスタンのバルゲ・マタール地区の襲撃である。

ISAFとアフガン軍がカンダハルとヘルマンドで作戦を行なっている最中、タリバンとアルカイダはアフガニスタン東部を攻撃している(中略)。アフガン人タリバンは「アルカイダ、タジキスタン人、チェチェン人、パキスタン人タリバンなどのテロ組織に援助されている」。さらにワジリスタンのタリバン戦闘員などもいるという。東部の国境警察司令官のムハンマド・ザマン・ママザイ将軍によると、タリバンとアルカイダは、バジョールで作戦を首謀している。幹部司令官はアラブ人、パキスタン人、チェチェン人、あるいはタジーク人だという。

garrTaliban, al Qaeda force repel Afghan Army assault in eastern Afghanistan
AHMAD WAHEED & BILL ROGGIO

■試験的アフガン国軍作戦、大失敗[100812 New York Times]

アフガニスタン東部に派遣された、成長が期待されていた軍の作戦が大失敗に終わった。タリバン戦闘員がアフガン軍大隊を惨敗させ、NATO軍が仏軍と米軍チームを救出に派遣しなければならなかった。

激しい戦いが先週中続き、赤十字は死者や負傷者を救出するために戦場に向かうことができないでいる。

カブール東部で実施された作戦は、従来のようにNATO軍主導で計画されず、同盟軍や空軍の援護も当初は含まれていなかった。アフガン人たちは戦いが始まってから9日経過して、兵士10人が殺害されその2倍の数が拉致されたあと、初めて救援を要請した。

「多くの教訓が残された」と、ある米軍幹部が述べた。「どのように、どうしてあの戦いを始めたのか」。

アフガン国軍は現在13万4000兵になり、ペトラウス米軍司令官が水曜日にアフガン人たちに、3ヵ月も前に目標数に達したことを讃えたばかりである。

しかしアフガン国軍は独自の作戦、特に大掛かりな作戦はほとんど行なっていない。同盟軍兵士も約同数駐屯しているが、アフガン兵の死者は、外国人兵士の約半分にすぎない(2009年に同盟軍兵士521人が死亡しているのに対して、アフガン兵は282人である)。米国人アドバイザーが、ほとんどのアフガン軍の作戦に参加しているが、今回は関与していたかどうかは明らかではない。

戦いは、クナールと接するラグマン州のバッド・パー村に、第1大隊201師団に属すアフガン兵300人が派遣されて始まった。8月3日の夜に、タリバンの排除が開始された。最初はアフガン軍のヘリコプターを使用し、タリバンの位置の後方に分隊が配置され、本体は正面から攻撃した。

しかしアフガン国防省幹部によると、計画は失敗した。タリバンは、本隊を襲撃するために待ち構えていた。その後悪天候のためにヘリコプターが着陸を余儀なくされたために、空からの援護ができなくなった。

混乱の中で、201師団の司令官たちは本体と連絡ができなくなった。大隊の第3部隊−−100人−−に多数の犠牲者が出たという。多数が殺害されたり行方不明になり、水曜日の時点では、残りの隊の状況は明らかではない。

しかし米軍関係者によると、隊は失われていないという。「大隊がいる場所は把握している。行方不明の者、死者が数名いるが」という。「兵士10人」ほどが殺害されたが、行方不明なのは1小隊、つまり20兵以下だという。

赤新月の関係者によると、政府側の犠牲者は非常に大きく、タリバンはフォード・レンジャー・トラック35台を破壊したという。この輸送車は、1台に兵士約6人を運ぶ。

防衛省報道官の公式発表によると、兵士7人だけが死亡し、14人が負傷したという。拉致された人数は明らかではない。「何人かは接触するのが難しい土地にいたために、拉致された人数ははっきりしない。しかし数人がタリバンに拉致された」と、ムハンマド・ザフール・アジミ将軍が水曜日に述べた。さらに軍の車輛数台が放火されたという。「敵の手に渡ったものはない」と付け加えた。

タリバン報道官のザビブッラー・ムジャーヒッドは、犠牲者数はもっと多数だと述べた。抵抗勢力がアフガン兵27人を殺害し、14人を負傷させ、8人を拉致。軍の車輛18台と戦車6台を奪ったという。「NATO・アフガン人テロリストは多数の犠牲者を出して辱められ、撤退せざるを得なかった」という。タリバンは、たびたび自分たちの攻撃を大げさに発表する。

アフガンと米関係者は、タリバン戦闘員多数が殺害され、木曜日になっても抵抗勢力の犠牲者は増えていると述べ、現在タリバンは包囲されたという。

カブールの赤十字報道官によると、遺体や負傷者を引き取りに向かおうとしたところ、戦闘があまりにも激しかったために引き返したことを認めた(中略)。

元タリバンで現在は政府側に寝返った長老によると、タリバンが自分に連絡を取ってきて、赤新月と赤十字に犠牲者を引き取りに来させるように言ったという。「タリバン司令官によると遺体が腐敗しており、我々にとっては大きな問題になっている」という。「タリバンの1人が、『自分はアフガン国軍兵士3人を拉致して自宅に連れて行き、家の中で殺害した。これで私の家は英雄の家になった』と語った」という。

ISAFは、提出した作戦に関する質問項目をすべてアフガン関係者に委ねた。「これはアフガン人の作戦なので、情報を確認することはできない」と、NATO軍報道官のブッシュ大佐が述べた。「個人救出」作戦が進行中だという。これは負傷者や死亡・行方不明兵士に対する救出作戦を意味する。「ISAFが個人救出作戦を行なう場合」、「これは極秘作戦として行ない、安全のために詳細は公表しないのが慣例だ」という。

ラグマーン州の政府関係者は、戦闘に関するコメントを拒否した。ラグマーン州知事によると、今回の戦いは小規模なもので、警察官1人が死亡しただけだという。

この記事を報道した『バジュウォック・アフガン・ニュース』の地元のジャーナリストが国家安全省に招集され、取り調べを受けたという。

hoonShowcase Afghan Army Mission Turns to Debacle
ROD NORDLAND、KABUL

■アフガニスタン東部で外国人が抵抗運動[100812 AP]

アフガン戦争は南部で最も注目されているが、最近では抵抗運動が東部でも盛んで、アラブ人などアルカイダ系の外国人戦闘員が、パキスタン人過激派の協力を得て入り込んでいる。

アフガニスタン東部の治安は、カブールに近いということで重要である。抵抗勢力はカブールを包囲して、他の地域から孤立させようとしている。

アフガン国境にいる治安部隊責任者のザマン・マフムードザイ将軍によると、アルカイダ系の戦闘員は、3月以来増えてきた。「3人に1人はアラブ人だ」と述べ、ほとんどがパキスタンのバジョールかモーマンドから入ってきているという。春以後は峠を越えてアフガニスタンに入ることが容易になるが、アラブ人の増加は、単に季節的なものではなさそうだ。

NATO関係者は、マフムードザイが提示しているアラブ人の数は多すぎるというが、「平均以上の数」の外国人が東部で活動しているという。ほとんどがパキスタン人、チェチェン人、タジーク人だというが、国籍を確認することは難しい。

時に過激派たちはトルハムの検問所を合法的に通過して、アフガニスタンに入ってくる。ラシュカレ・トイバが発行する、偽造パスボートやビザを所持しているという。

「アフガン人タリバン内に情報源がいるために、ラシュカレ・トイバの仕業であることはわかっている」。「ラシュカレ・トイバを通じて、アラブ人が入ってきている」と、マフムードザイが述べた。

先月NATOが、ラシュカレ・トイバに協力していたタリバン司令官2人を逮捕した。2人目が逮捕されたときに、ラシュカレ・トイバのメンバーがナンガルハルに「最近侵入している」ことに言及した。

(中略)NATO関係者によると、もしアルカイダがアフガニスタンにいるとしたら、それはクナールだという(中略)。

東部のアフガン軍司令官のムハンマド・アフザルは、抵抗勢力たちはクナールとヌーリスタンで活動を集中させていると述べた。「敵は今年、戦術を変えてきた。アルカイダは今年、今まで以上に強くなった」。NATO軍の補給物資を運ぶ車列を中心に、自爆攻撃や簡易爆弾を使用している。これらの戦術は南部と同様、東部の山岳地帯でも見られる。

「政府は日中いるが、夜になるとタリバンが支配している」と、ナンガルハルから議会に立候補予定のマリック・ナシールが述べた。「住民たちが、外国人たちが入り込んできたと言っている」。

NATO関係者によると、タリバンがナンダルハルで人々を脅迫し、住民たちに外国人や政府関係者と取り引きしたり、音楽を聞いてはならないと警告するビラを夜間ばらまいている。

ラシュカレ・トイバの関与は、問題視される。南アジア各地に過激派組織を持ち、ISIとも関係している(後略)。

hoonForeigners boost insurgency in eastern Afghanistan
KATHY GANNON、JALALABAD

■援助活動家10人を殺害したのは強盗ではなく戦闘員[100812 AP]

木曜日にキリスト教慈善団体が、先週アフガニスタン北部に派遣した医療チームのメンバー10人を殺害したのは、強盗ではなく抵抗勢力だと述べた。

タリバンが犯行声明を出していたが、当初は強盗の犯行と思われると発表していた。地元の警察も、バダクシャン州で殺害された米国人6人、アフガン人2人、ドイツ人1人と英国人1人は、犯罪団の犠牲になったと述べていた。

「調査から、盗賊の仕業でないことがわかった」と、International Assistance Mission責任者のダーク・フランが述べた。「地元の人間ではない戦闘員」の集団により、運悪く襲撃されたようだ」という。

(中略)一行の運転手で生存したサイフッラーによると、一行が河を渡ろうとしていたところ、1人のアフガン人が協力してくれたという(中略)。フォードを浅瀬まで押してなんとか河を渡ったあと、林の中で休憩した。協力してくれたアフガン人が去ると、銃を持った男たちに襲撃され、全員頭を撃たれたという。

サイフッラーによると、男たちはヌーリスタンのバルゲ・マタール地区の方向からやってきた。この地域はパキスタンと接し、米軍が前哨基地を閉鎖したあと、抵抗勢力が入り込んできているという。サイフッラーは、指揮していた男が「ジャディー、ジャディー」と叫んでいたために、パキスタン人だと思うと述べた。これは「急いで」という意味で、アフガニスタンではなく、パキスタンやインドで使用される言葉である。犯人たちは全員アフガニスタンで使用するダリとパシュトゥを理解していたが、会話はパシャイ語で行なっていたという。この言語はアフガニスタン北東部だけで使用される。

サイフッラーは捕虜にされ、一行は最近政府軍と抵抗勢力との間で激しい戦闘があったバルゲ・マタールの近くの村に連れて行かれたという。

その後サイフッラーは解放され、ヌーリスタンの町に辿り着いたところ、犯人たちが奪った四輪駆動車と一行が借りた馬頭がいたという(後略)。

garrAid group: Fighters not thieves killed 10 workers
DEB RIECHMANN、KABUL

■パキスタンの洪水でタリバンに再結成のチャンス[100811 AP]

洪水に苦しむパキスタンが、混乱の中でタリバンが再結成されることを警戒している(中略)。

洪水の被害が最も大きかった場所のひとつが、パキスタン人タリバンなどの抵抗勢力がいる北西部だ。軍はここで軍事作戦を行なっていたが(中略)、今兵士数千人は洪水の救助活動を行なっている(中略)。「軍にとっては、やることが多すぎる」と、軍事アナリストのアイシャ・シヤディカが述べた。

アサール・アッバス軍報道官によると、6万兵が現在救助活動をしているという(中略)。

抵抗勢力は、2週間に及ぶ洪水の最中も、攻撃を続けている。

自爆犯がアメリカに支援された準軍隊責任者を殺害し、銃を持った男たちが、北西部の政治指導者の1人の妹を負傷させた。火曜日にはパキスタン人タリバンが、洪水は世俗リーダーを受入れたパキスタン人に対する罰だと述べ、パキスタン人に外国の援助をボイコットするように要求した。

(中略)アメリカは水曜日に、パキスタンに約束している支援金5500万ドルに加え、1625万ドルを追加した。またパキスタン軍が援助物資や人間をスワートに運ぶことに協力するために、米軍のヘリコプター6機を派遣した。ヘリコプターはさらに追加される予定である。

ホワイトハウス報道官のビル・バートンは、目的のひとつはタリバンのバランスに機会を与えないことだという。「毎日、民主主義を転覆させようと、誰かが混乱を起こそうとしていることが心配だ。洪水のことはもちろん心配だが、抵抗勢力のことも心配だ。これらの点に関して、適切に対処している」。

洪水は、軍事作戦にも障害を与えている。

南ワジリスタンでは、天候のためにヘリコプターが活動できなくなっている。橋を14失ったことで、隊の動きも制限されている。

抵抗勢力自身も、洪水の被害を受けたかもしれない。橋がなければ、車爆弾は使えない。しかし彼らは軍よりも小規模で動いている。そして軍の圧力がなくなれば、もっと柔軟に動けるようになる。

「抵抗勢力は、大きな攻撃を受けることはないと安心しているだろう」と、パキスタン人ジャーナリストのラヒムッラー・ユーサフザイが述べた。「最も大事なのは洪水だが、過激派にも注意を払わなければならない。なんとかバランスをとらなければならない」。アメリカはCIAの極秘プログラムに関しては語らないので、最近攻撃が中断していることと洪水の関係はわからない。しかし、アメリカがこのようなデリケートな時期にミサイルを発射すれば、援助活動でかせいだ民意を失うだろうと、ユーサフザイが語った。

洪水の影響が長引けば、パキスタン政府の信用も失う。すでに犠牲者たちは、救援活動の遅延を訴えている。またザルダリ大統領が洪水の最中ヨーロッパに出かけたことで、失望も大きくなった。

心を勝ち取る戦いでは、過激派とも関係のあるイスラーム主義の組織が、犠牲者に食料や避難所などを提供している。

今週始めにチャールサッダ地区では、ファラヘ・インサニアット基金が、泥で埋まった路地や深い水たまりの中をボートや徒歩で遠くの村まででかけていき、米を配給していった。この組織はラシュカレ・タイバと関係がある(後略)。

smellPakistan floods could give Taliban time to regroup
NAHAL TOOSI、ISLAMABAD

■タリバン、外国の食料援助を拒否するように促す[100811 AFP]

パキスタンのタリバンが、国内の洪水犠牲者に対する外国の援助をすべて拒否し、自分たちはアメリカが申し出ている2000万ドル相当の援助ができると述べた。

「我々はアメリカや外国の援助をすべて非難する。我々を支配しようという魂胆だからだ。我々のアメリカに対するジハードは続く」と、パキスタン人タリバン報道官のアザム・タリークが述べた。「政府はアメリカの援助を受けるべきではない。我々は援助金として洪水の犠牲者に2000万ドル相当を支援できる。政府が我々を逮捕しないということを約束すれば、ハキームッラー・マフスードのもとで、我々自身が援助物資を配布する」という。

(中略)批評家たちによると、政府の援助活動はもたついており、イスラーム慈善団体がその穴埋めをしている(後略)。

hoonTaliban urges Pakistan to reject foreign flood aid
Behrouz Mehri

■ザルダリ批判、パキスタンの政治ゲームが露に[100809 BBC]

パキスタンのメディアが、イギリスを訪問しているザルダリ大統領を批判している。

新聞やテレビの報道番組は、パキスタンが史上最悪の洪水を受けているこの時期に彼が国外にいることを批判した。

大統領がいない間に、1500人以上が死亡し、村が流された。4万人以上の人間が家を失い、飢えと乾きに直面している。

災害が始まった当初、政府の反応は遅く、今になって政治家が非難されている。対照的にメディアは、災害の規模を考えれば軍の反応も不十分ではあったが、少なくとも兵士は派遣されていたことを繰り返した。

大統領の不在は国際メディアにも取りあげられ、彼の無関心さが注目された。しかしパキスタンのメディアが彼に対して批判的なのは、もっと深い理由と目的がある。国家の文民民主主義と、強力な軍組織との対立である。

「ザルダリ大統領は、たとえ国内にいたとしても何もしなかっただろうが、少なくとも国家の感情をさかなでることはなかっただろう」と、『Friday』の人気コラムニストのアヤーズ・アミールが書く。『Dawn』紙の土曜日の社説で、ザルダリは「自宅で起きている問題に無関心な、取り憑かれた人間」のようにイギリスに旅したと書いた。

しかしいったいなぜ、彼はツアーに出かけたのか。

これには2つの理由がある。まずは、個人的な動機のためである。彼は薄暗闇の中で輝き、ヨーロッパの夏を楽しみ、息子のビルワル・ブット・ザルダリの政治活動を開始したかった。

次に、パキスタンの軍事態勢を無視していることを印象づけられるために、旅に出た。

ザルダリ支持者たちは、たとえ彼が旅をキャンセルしたとしても、何も変わらないと考えた。「パキスタンに洪水がなかったとしても、彼は記憶され、批判されただろう」と、木曜日にギラニ首相が語った。

事実、メディアの反ザルダリ・キャンペーンは、洪水が始まる前から登場していた。デビッド・キャメロン英首相が7月28日にインドで、パキスタンは隣国にテロを輸出しながら「両方向を見ている」と批判したことに始まる。

7月31日にパキスタンの『Geo』テレビが、ISI長官のアフマッド・シュジャ・パシャがキャメロンの発言に抗議して訪英を中止したが、ザルダリは予定どおり訪英すると報道し、テレビ報道番組が、ザルダリの愛国主義や人間性を疑問視し始めた。

印刷メディアもこれに続いた。

『Pakistan Observer』紙の社説では、キャメロンの発言のあとザルダリのヨーロッパ・ツアーは「娯楽旅行」になったが、「軍はタイムリーに、節度ある態度で反応して」ISI長官の訪英を中止したと述べた。『News』紙は、ザルダリの訪問は「自分の王朝拡大を追求」するためと書いた。洪水は、この国内批判をさらに大きくしたにすぎない。

木曜日に2つの重要な出来事があった。まずビラワール・ブット・ザルダリが、PPPのバーミントンの集会で、演説する計画はないと述べた。これはザルダリ訪英の大きな目的のひとつだった。

次にギラニ首相がジャーナリストたちに、ISI長官はそもそも訪英を計画していなかったと述べた。

ビラワール・ブットがバーミントンの集会に出席することを「キャンセル」したのは、ザルダリのアドバイザーたちの意向で、政治的な被害を最小限に押さえるためと見られている。

しかし、ISIの訪英に関する混乱はどうだろう。

『Geo』テレビの当初の報道がそもそも不思議で、情報源が明らかにされなかった。さらに軍のメディア部門も、この報道に触れなかった。報道を監視し、問題が生じた場合はすぐに訂正するのが、これまでのやり方である。

軍とメディアの関係は強い。軍は、自分たちの大帝国を維持するために、メディアを使ってきた。1980年代、軍は検閲することで、自分たちを守った。1990年代、さらる方法を使用した。ほとんどの大きな話題をコントロールし、コネを通じてパキスタンのメディアの主要な仕事を支配する、「親軍」ジャーナリストを育ててきた。

ザルダリ支持者たちは、メディアが、ISIが訪英計画をキャンセルしたという話をでっちあげ、反ザルダリキャンペーンを繰り広げようとしていると疑っている。洪水被害が明らかになると、それがさらに大きくなった。

軍、法、イスラーム過激主義を支持する政党などから攻撃され続けている政府は、メディアの取り扱いに苦戦しているという。「もし政府は、悪いプロパガンダを広めるために利用できる情報があるとすれば、最大効果が予測されれば使用する」とある関係者が述べた。

キャメロンの発言に多かれ少なかれ同調する政治家は、軍自体がタリバンに対して「両方向を見ている」と語る。

これらの政治家は、インドやアフガニスタンとの関係を修復する必要性を感じている。有権者に職を提供できる唯一の方法であり、それにより支持者の票を獲得できる。

しかし軍は、これにより商業帝国が生まれ、定年を迎える人々に、新たな仕事を提供することになると恐れている。

hoonCriticism of Zardari in Pakistan hides a political game
M Ilyas Khan、Islamabad

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2010.