【2010年10月25日〜10月31日】


■クラームの国境封鎖、地元民に負担[101031 Dawn]

NATO軍がクラーム行政区を攻撃したあと、アフガニスタンとの国境は完全に封鎖された。

アッパー・クラームの占拠に失敗した抵抗勢力がこの地域に出入りするすべての道路を遮断したために、住民たちはアフガニスタン経由でパキスタンの他の地域に出ざるを得ない。日常品も通商も、このルートを用いる。

最近NATO軍がパキスタンの検問所を攻撃した後、アフガニスタンとの国境が封鎖された。

日曜日に国境警察のタウシーフ・アフタル大佐が、安全と治安のために国境を封鎖することが必要だと述べた。

hoonSealed border in Kurram causes inconveniences locals
PESHAWAR

■タリバン、アフガン大統領と極秘の話し合い[101031 AP]

タリバン3人が2週間前にカルザイと極秘に会った(中略)。元アフガニスタン政府関係者によると、カブールで実施されたこの話し合いには、元タリバン知事のモーラビ・アブドゥル・カビールが参加したという。ハッカーニ組織の責任者たちと同じザドラン族出身である。

アメリカとアフガン政府関係者は、カビールが抵抗運動を止めた場合、ザルダン族が分裂し、ハッカーニが戦闘員を増やすことに打撃を与えることができると期待している。話し合いに進展があったかどうかは、明らかではない。

(中略)カビールはタリバン政権時代にはナンガルハル州知事で、副首相だった。ペシャワルのタリバン議会を仕切っているといわれる。

この他に参加したのは、ムッラー・サドレ・アザームとアンワル・ウルハク・ムジャーヒッドである。

ムジャーヒッドはアメリカがトラボラを攻撃した際、ビンラディンが逃走するのを手助けしたことで知られている。ペシャワルで取り締まりがあった去年の6月以来、パキスタンに拘束されている。

男たちはペシャワルからヘリコプターでカブールに飛び、豪華ホテルで2日過ごしたあと、パキスタンに帰った。

(中略)あるアフガン関係者によると、カビールとその仲間たちを「中堅レベル」の要員と述べ、強力なタリバン関係者に対しては影響力がないという。

欧米関係者も会談があったことを認めたが、結果については知らないという。

(中略)元タリバンで現在カルザイが組織した平和委員会のメンバーの1人のアルサラ・レーマニによると、アフガン政府はパキスタンに、タリバン容疑者31人をアフガニスタンに引き渡すよう要求したという。拘束されている最も重要な人物は、アブドゥル・ガニ・バラダール師である。パキスタン政府は彼が釈放されたという噂を繰り返し否定し、まだ拘束されていると主張している。

hoonTaliban hold secret talks with Afghan president
KATHY GANNON、KABUL

■カルザイ、麻薬捜索にロシア工作員の介入を批判[101030 New York Times]

アフガニスタン東部の麻薬製造工場に対する捜索に、アメリカとアフガニスタンの関係者に混じってロシアの対麻薬工作員が参加していたことを、カルザイ大統領が強く批判した。

カルザイ大統領は、中央アフガニスタン政府が、少なくとも2人のロシア人工作員が取り締まりに参加していたことを知らされていなかったことに驚いたと述べた。「アフガニスタンの主権と国際法に強く違反している」と述べ、「今後このような行為が繰り返されれば、国家として必要な対応をとる」と警告した。

(中略)副大臣のバズ・ムハンマド・アフマッドが、捜索はアフガン対麻薬チームが主導したと述べた。ロシアや他の外国の工作員が関与したかどうかの質問に対しては、「出身地に関しては尋ねなかった。全員同じように見えた。ロシア人の麻薬専門家2人が作戦に参加しているとは、聞かされていなかった」と述べた。

カルザイの発言は、たとえ麻薬の取り調べであったとしても、アフガニスタンでロシアが何であろうと武装活動をすることがデリケートであることを浮き彫りにする。

(中略)最近ロシアとの和解がみられるものの、アフガニスタンにおけるロシアの介入は懐疑的に見られ、カルザイにとってはデリケートな問題である(後略)。

hoonKarzai Protests Russian Agents in Drug Raid
ALISSA J. RUBIN、KABUL

■パキスタン兵2人、ワジリスタンで殺害される[101030 AP]

過激派たちが土曜日にパキスタン軍の検問所を攻撃し、兵士2人を殺害した。攻撃は南ワジリスタンのワナから30キロ離れたバダールで起きた。

過激派たちが今日南ワジリスタンの検問所を攻撃して、兵士2人を殺害した」と、治安幹部関係者が述べた(後略)。

hoonTwo Pak soldiers killed in Waziristan: officials
PESHAWAR

■パキスタンの和平の話し合い、頓挫[101030 Asia Times]

タリバンとの和解への道は、ワシントンが、話し合いの場に出席した場合の身の安全を保証することを要求していたタリバンの申し出を拒否したためにご破算になったと、タリバンの代表が語った。

これが永久的なものであれば、今後のアフガニスタンの状況は非常に難しくなる。

アメリカとパキスタンの間では戦略的な話し合いが行なわれ、5年にわたって20億ドルの治安協力を行なうことが決められたが、パキスタンとアフガニスタンの間の部族地帯にあるアルカイダの拠点を攻撃することに焦点が集まっている。

これに対してアルカイダは、世界各地のスリーパー・セルを活性化し、パキスタンとアフガニスタンの国境地帯を拠点とする新しい組織がこれを指揮する。

タリバンとの和解の動きは、2008年の終わりから始まった。サウジがこれを主導したと言われ、元タリバンやヒズビ・イスラミ・アフガニスタンのメンバーが、巡礼の時期に合わせて夕食に招待された。

これがアメリカとタリバンの間接的な話し合いの最初の場となった。興味深いことに、このあとからアメリカは無人偵察機による攻撃を強化し始めた。

今年の10月までに、重要なアルカイダメンバー24人が殺害された。新たにメンバーとなり、訓練を受けたヨーロッパ国籍の人間多数も殺害された。アルカイダの派生組織、TTPやウズベク人過激派も、大きな打撃を受けた。

部族地帯に張り巡らされた諜報ネットワークにより、アメリカ人たちはアルカイダの動きや北ワジリスタンの状況を完全に把握した。焦点は、ラシュカレ・タイバの元メンバーで、イリアス・カシミーリの313師団と団結したナスッラー・ハーンである。

10月14日にデリーで終ったコモンウェルス競技が始まる前に、ハーンは313師団の中から選ばれて、競技を攻撃する計画を指揮することになった。

しかし9月20日に、彼と他の5人が北ワジリスタンのミールアリで、無人偵察機に殺害された。ハーンはインドやインド領カシミールに多数の仲間がいたが、彼の死によりインドに対する攻撃ができなくなった。

さらに9月と10月に何度も無人偵察機による攻撃が繰り返され、北ワジリスタンにあったアルカイダのヨーロッパ攻撃作戦組織が機能しなくなった。

部族地帯で犠牲者が増えるいっぽうで、タリバンとの和平に関する話し合いが続けられ、8月に新たな局面を迎えた。タリバンたちの態度が少し軟化し、やっとアメリカかアフガン政府との話し合いが実現しそうになった。

10年続いた戦いを解決するために、すべての国際的な関係者が巻き込まれた。話し合いが進むにつれ、タリバンも態度を軟化させた。タリバンの信頼を勝ち取るために、アブドゥル・ガニ・バラダール師が、釈放された(中略)。

公的には、タリバンは話し合いが行なわれていることを認めなかった。最近次のような声明が発表された。アメリカや操り人形のアフガン政府と話し合ったタリバン関係者はいない。逮捕された者(バラダール)、寝返った者(元タリバン外務大臣のアブドゥル・ワキール・ムタワキルとアルサラ・レーマン議員)、アフガン政府の監視下にいる者(元駐パキスタンアフガン大使ザイーフ師)は、タリバンの代表ではない。彼らの行為は、タリバンとは関係がない。タリバンは厳しく監視されているために、幹部関係者は本当のタリバン側の意見を述べるために公に出た者はいない。

しかし結果的に中堅タリバンが『エイジアン・タイムズ』との会見に応じ、自分たちの公的な話を裏付けた。

「和解戦略は罠で、我々はそれを選択肢として考えた」と、カンダハルからやってきたタリバン代表が語った。

「米国人たちはタリバンと和解することは、全く望んでいなかった。我々に直接接触してきた者は誰もいなかった。サウジやパキスタン、UAEなどの第三国が接触してきたが、それを真剣に受け止めなかった」という。

これは、ジャラウッディン・ハッカーニの息子でシラージュッディン・ハッカーニの弟のナシールウッディン・ハッカーニが、9月にイスラマバードのサウジ大使館を訪問したこととは食い違う。大使館は、彼と彼の家族がサウジに巡礼に行くためのお膳立てをした。(ナシールッディン・ハッカーニは2009年にパキスタンの治安部隊に逮捕されたが、パキスタン兵と引き換えに釈放された。この人質交換は、故バイトゥッラー・マフスードが仕切った)

私は上記の事実を述べた。「それはハッカーニ組織の、サウジを通じてアメリカまたはアフガン政府との極秘の関係であり、欧米メディアが指摘するような接触ではない」。

私はこのタリバン代表の話に食い下がった。「問題は、タリバンは話し合いに柔軟性を見せたことだ。しかしなぜ突然失敗したのか」。

「いっぽうで彼らはオリーブの枝を提供していたが、いっぽうでは我々を追い詰めようとしている。和解のゲームは、我々に権力を与えようとするものではなく、我々に打撃を与えるためのものだった」。

彼によると、「いっぽうでハッカーニとの関係を築こうとしているが、今でもなお軍がホーストに集っている。ホーストで大きな軍の動きがある。なぜか」。

「北ワジリスタンでハッカーニを取り締まるように、パキスタンに圧力がかけられている。ハッカーニを挟み撃ちにしようとしていることは明らかだ。さらにチャマンで、これまでにない不可解な動きが始まった。これを見ると、和解プロセスとはいったい何かと思ってしまう。すべての中で、パキスタンの役割は重要だ。NATO軍の味方になれば、タリバンにとっては大変だ。和解プロセスという見せかけの計画の背後に、激しい戦いが待っているからだ」。

パキスタンとアフガニスタンのUAE特使で、アメリカのためにドバイでタリバン幹部の会合をお膳立てしたアリ・アルシャムシは、今月辞表を提出した。(シャムシは、1996〜2001年の間、タリバン政権時代の駐パキスタンUAE大使だった)。

しかしUAE政府は、来月アフガニスタンが予定している、ドドイでの和平会議まで留任するように説得した。この会議はアフガン政府が主導している。

シャムシの動きは、米国人たちが、タリバンが申し出ている対話のための身柄の保証という条件に応じるつもりはない、と発表した後のことである。

いっぽうアルカイダは、アメリカが標的としているのは自分たちであることを承知で、大きな打撃を受けた後も再び再結成している。

今年の初め、アルカイダはとうとうイランで拘束されていたメンバー16人を釈放させた。(4月30日の記事参照。ビンラディンの息子のサード・ビンラディン、サイフル・アディル、スレイマン・アルガイス、アブ・ハフス・アル・モーリタニなどがいる)。

彼らはパキスタンとアフガニスタンの間の部族地帯に拠点を移した。しかしイランで8年過ごしたために、アルカイダたちは彼らを隔離していた。シューラにも参加することが許されていなかった。

しかしアルカイダは打撃を受けたために、彼らを再び作戦に参加させることにした。サイフル・アディルが、2011年のアルカイダの新しい顔になるだろう。パキスタンからソマリア、イエメン、トルコなどでも作戦が実施され、ヨーロッパやインドなどでも活動が始まる。

2011年が近づくとともに、タリバンはアルカイダの新しいチームとともに、アフガニスタンでの戦いを続ける。そしてヨーロッパやインドを攻撃する計画を始めるだろう。

garrTaliban peace talks come to a halt
Syed Saleem Shahzad

■アフガニスタンでロシアが麻薬捜索に参加、米との関係向上[101029 New York Times]

ロシアの対麻薬工作員が、今週アフガニスタンで実施された麻薬製造所に対するアフガンとアメリカの対麻薬軍に参加したことで、モスクワとワシントンの関係の向上を示されたと、金曜日に関係者が述べた。

麻薬精製工場4ヵ所で押収された2000ポンド以上の上質ヘロインが処分されたが、この捜索にロシア人工作員が参加した。アメリカに支援されたアフガン人戦闘員がソ連軍を敗北させたアフガニスタンに、ロシアが介入することを強く望んでいることが見受けられる。

(中略)ロシアはアフガニスタンの戦争の結末に大きな関心を持っているが、NATO主導軍には参加せず、自分たちの裏庭でアメリカが活動している事に対して、曖昧な態度を取っている。

ロシアとアメリカの関係者はアフガニスタンは両国が協力すべき重要な地域と見ているが、戦略に関しては衝突してきた。ロシアはアフガニスタンに入る非戦闘物資がロシア領内を通過することを認めているが、元ソ連邦のキルギスタンに、キルギス内にある米軍基地を閉鎖するように圧力をかけている。キルギスの基地は、米軍にとっては重要な補給基地である。今のところ基地はまだ閉鎖されていない。

同時にロシアは安定した、協力的なアフガニスタンに対して強い関心を示す。アフガニスタンにおけるタリバン抵抗運動やアルカイダの再来は、中央アジアやロシア南部の過激主義を刺激する恐れがある。ロシアはチェチェンとその近隣諸国で、イスラーム抵抗運動と戦っている。

(中略)アフガンのヘロインは、隣の中央アジア諸国からロシアに入ってきている。ロシアのヘロインの90%がアフガニスタンから入っている。

(中略)ロシアとアメリカは去年対麻薬活動グループを結成して、両国の亀裂をなくそうとしている。

木曜日の早朝に実施された取り調べに参加した70人のうち、4人がロシアの連邦隊麻薬組織の工作員だった。残りはアメリカの麻薬局とアフガニスタンの麻薬警察である(後略)。

hoonRussia Joins Drug Raid in Afghanistan, Marking Advance in Relations With U.S.
MICHAEL SCHWIRTZ、MOSCOW

■アルカイダ殉教テープ、アフガニスタンにおけるテロ組織の性格と範囲を表わす[101028 Longwar Journal]

最近配布されたアルカイダの殉教ビデオは、過去数年間の間にアフガニスタンで戦い、死亡した5人の外国人司令官を明らかにしている。これらの司令官の経歴を見ると、アメリカの幹部諜報関係者の主張に反し、アルカイダはアフガニスタンで広範囲な組織を持ち、経験の深い指導者たちが多数いることがわかる。また殉教声明から、アルカイダは指導者幹部の場所を移動させ、常に熟練した司令官を重要な地域に送っていることがわかる。

「天国の風 その5−−5人の『殉教者』への賛美」と題されたテープが、アルカイダのプロパガンダ部門アス・サッハーブから発表され、いくつかのジハード・フォーラムに配信された。そのテープの翻訳が、『Longwar Journal』に提供された。

5人のアルカイダ司令官、アブ・アブドゥル・レーマン・アル・マデニ、アブ・アルワキル・アル・パキスターニ、アブ・サラマー・アル・ナジュディ、ルクマン・アル・マッキ、アブアル・ワリッド・アルジャジーリで、アフガニスタンで戦って死亡した。

殺害されたアルカイダ司令官たちは、アルカイダの軍隊であるラシュカル・アル・ジルまたはジャイシュ・アル・ウスラの中の「大佐級」だったと、米諜報関係者が述べた。それぞれアルカイダで10年程度の経験を積み、アフガニスタンの広範囲で比較的大きな軍を率いていた。

司令官たちは、幹部指導者たちがパキスタンでアメリカの無人偵察機で殺害された場合に、彼らを引き継ぐ次期アルカイダ幹部である。

「これらは、これまであまり知られていなかったアルカイダの中堅メンバーたちの構成がわかり、いかに才能のある者たちが控えているかが明らかになる」と、諜報関係者が説明した。

アル・アジディとアル・マッキの2人は、アブ・ライス・アル・リビの推薦で昇進した。リビはアルカイダの055元指導者で、2008年に北ワジリスタンで米無人偵察機に殺害された。055師団はアフガニスタンにおけるアルカイダの本来の軍隊で、1990代にタリバンとともに北部同盟と戦った。

アル・マッキとアルジャジリは、アフガニスタンの舞台に上がる前に、別の場所で戦っていた。アル・ジャジリは2004年にアフガニスタンに入る前にイラクで戦い、マッキはサウジアラビアでアルカイダと活動した。2人とも別の地域で戦った経験を、アフガニスタンのアルカイダやタリバンと共有した。

5人のアルカイダ司令官たちは、アフガニスタンで重要なアルカイダとタリバン軍を率いた。南部ではカンダハル、ヘルマンド、ファラ、ザーブル、東ではパクティア、パクティカ、ホーストの7つの州でアルカイダ軍を指揮した。

これはこれまで『LongwarJournal』が分析していたアフガニスタンにおけるアルカイダの実態を実証し、オバマ政権の諜報関係者、CIA長官などの発言を覆すものだ。彼らはアフガニスタンで活動するアルカイダは50〜100人程度と言っていた。

アルカイダがアフガニスタン各地に広がって存在していることは、ISAFの発表からもわかる。アルカイダとその系列の組織は、2007年3月以来、アフガニスタンの34州のうち、19の州の62地域にいることがわかる。

(中略)NATOはアルカイダを定期的に標的とし、その司令官を殺害している。ここ数ヵ月の間に、2人の外国人アルカイダ工作員、アブドゥッラー・ウマル・アル・クレイシーというサウジ出身のアルカイダ幹部指導者と、シアブ・アッタ・アル・クウェイティという爆発物専門家をクナールに対する空爆で殺害した。この攻撃で、「アラブ人外国人戦闘員」数人も殺害されたといわれる。サウジの元大佐の息子でジハード組織で長年活動していたサード・ムハンマド・アル・シャハリが、その1人と思われる(後略)。

hoonAl Qaeda martyrdom tape shows nature and extent of terror group's reach in Afghanistan
BILL ROGGIO

■無人偵察機の攻撃で過激派11人死亡[101028 BBC]

24時間のうちに、無人偵察機が過激派11人を殺害したと、地元関係者が述べた。

関係者によると、木曜日に北ワジリスタンにあった建物にミサイル2発が撃ち込まれ、5人が殺害された。水曜日には、6人が殺害されている。

(中略)木曜日の攻撃は、ミランシャー西部のイスマイル・ジェール村で起きた。外国人過激派3人が死亡したという。アラブ人だったらしい。

関係者によると、このほかに2人が負傷した(後略)。

hoonEleven militants killed' in Pakistan drone attack

■オラクザイ-パキスタンの過激主義に対する戦い[101027 Dawn]

オラクザイのタリバンに対して空と地上から攻撃して7ヵ月後、パキスタンの将軍はこの山岳地帯は「90%」政府の支配下にあると宣言した。

つまり、仕事はほとんど終わった。ただ6月に軍は、戦闘作戦はほとんど終わったが、単発的な衝突はまだあると述べた。

また将軍によると、この地域から抵抗勢力を一掃したものの、タリバン指導者たちは近隣地域に逃走したという。

(中略)パキスタンの旗が、オラクザイのカラヤ基地を臨む崖にはためく。ナディール・ゼブ国境警察司令官は、誇らしげだった(中略)。

パキスタンの治安関係者によると、火曜日に抵抗勢力がカラヤから3キロ離れたタンダにある準軍隊の検問所を攻撃して、兵士1人を殺害した。金曜日には、定期バトロールに出ていた兵士6人が、爆弾で死亡した。

この関係者によると、タリバンはダボリとガジオに拠点があり、またアッパー・オラクザイのマムザイにもあるという。軍は道路沿いから抵抗勢力を一掃したが、山岳部は手つかずだという(中略)。

ゼブ将軍によると、タリバン指導者たちは近隣のカイバルとクラームに逃げたという。いたちごっこだ。以前は南ワジリスタンで軍事作戦が実施され、オラクザイに逃げてきた(後略)。

hoonOrakzai: Window on Pakistan's war against militancy
KALAYA

■北ワジリスタンの無人偵察機の2度の攻撃で6人死亡[101027 Longwar Journal]

今日北ワジリスタンで無人偵察機による攻撃で2度行なわれた。9日ぶりの攻撃である。

最初の攻撃は、ミールアリのスピン・ワムにあった建物が攻撃され、2人が死亡した。外国人アルカイダがここにいたと思われる。

「標的はナシムッラー・ハーンが所有する家で、外国人たちが客人として滞在していた」と、パキスタンの諜報関係者が述べた。

2度目の攻撃が12時間後にあり、北ワジリスタンのダッタ・ヘールのデガン村の車が標的となった(後略)。

hoonUS kills 6 in pair of Predator strikes in North Waziristan
Bill Roggio

■パキスタン陸軍、クラームの反タリバン部族民を封鎖[101026 BBC]

パキスタン軍は、パキスタン北部の戦略的に重要な地域を封鎖し、強力な反タリバン部族民を封鎖した。トゥリ族は、これまでクラームにタリバンが入らないようにしていた。

クラームの人々は、彼らの土地を通過することを認めることを求めるタリバンの要求を受入れるように、政府が圧力をかけているとみている。

トゥリとタリバンが取り引きを交わせば、アフガニスタンのNATO軍にとっては大きな打撃となる。

(中略)トゥリが、再びタリバンがクラーム経由でアフガニスタンに入ることを拒んだという報告があった最中に、封鎖が行なわれた。

(中略)これでトゥリは、軍とタリバンに挟まれた形になったことを意味する。

パキスタンの治安部隊のタウシフ・アフタル大佐が、月曜日にパラチナールでこのことを明らかにした。テリマンガール、スビナ・シャガ、ヘイルラチ、ブルキ、シャヒダノ・ダンドの5つの通過地点が封鎖されている。「治安上の問題からこれを行なった。クラームでは宗教抗争があるために、外部の人間に介入されたくない」と、アフタール大佐が述べた。

しかし、最近クラームを訪れたイスラマバードのイリアス・ハーン特派員によると、この動きは目をそらすためのものだという。

トゥリは、これまでハッカーニがクラームに入るのを妨害してきた。2008年に激しい戦いがあり、過激派たちを追い払った。

その報復としてタリバンは、クラーム東部を封鎖して、彼らを孤立させている(後略)。

smellPakistan army blockades anti-Taliban tribe in Kurram

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2010.