【2010年11月29日〜12月5日】


■アルカイダ、スワート攻撃を支援[101205 Asia Times]

アルカイダ指導者たちが、カイバル行政区に20億ルピー(2300万ドル)と、新たな訓練プログラムを提供し、ハイバル・パシュトゥーンフワ州のスワートとマラカンド地区で大掛かりな抵抗運動を来夏開始する準備をしていることがわかった。

(中略)また過激派が語ったところによると、アルカイダは抵抗勢力のために、スワートにいるパキスタン軍と戦うための計画をすでに立てたという。

アメリカが望んでいるような、北ワジリスタンに対する全面的な作戦を軍が実施することを、妨害するためである。

筆者がマラカンドにいたところ、携帯電話でメッセージを受け、近くのホテルで誰かと会うことになった。やってきた男はシャミン・フセイン(偽名)という若い男で、近くの村で1晩過ごし、スワートの抵抗勢力の見解を聞くように言われた。

(中略)「毎日のように少なくとも3人のタリバンの遺体を発見したが、軍は埋葬することを許可しなかった。カラスやタカ、ワシなどに食べさせた」と、アブドゥル・レーマンという学生が語った。

(中略)フセインの車が、サトウキビ畑の近くの家の前で停まり、私は部屋の中に入った。

「政府によると、タリバンはすでに歴史だというが」。「もちろん我々は動いていないが、いなくなったわけではない。作戦を完全に変えた。来夏、強力になって戻ってくる」。

「最近、地元のアワミ国民党の知事や法律家などが殺害されている報道を知っているか。これはタリバンの、ライバル暗殺のための用意周到の、しかも極秘計画だ。数ヵ月以内にこの作戦はもっと頻繁に起きるようになり、抵抗勢力は来夏には谷に戻り、軍と戦う」とフセインが述べた。確かに、軍を支持していたファルーク・ハーン博士などが殺害される事件があった(中略)。

ブレルヴィというスーフィーの一派が人口の大半を占めるカイバル行政区では、2007年までタリバンは目立った存在ではなかったが、ここでも同じような作戦が行なわれている。

数ヵ月前にカイバル行政区の国会議員で連邦大臣のピール・ヌール・ハッジ・カディールが語ったところによると、タリバンが暗殺するべき3000人のリストを作り、2008年になると、タリバンに抵抗するものは誰もいなくなってしまったと述べている。タリバンはさまざまな地域からメンバーを集め、カイバル行政区を自分たちの拠点にした。

NATOに補給物資の75%が輸送されるカイバル行政区に、アルカイダも注目している。今年はかつてないほど多くの補給物資を運ぶ車列が、攻撃された。

フセインも、アルカイダがスワートに注目していることを認めた。

「アルカイダはスワートの問題を直接管轄している。TTPのスワート部門責任者のファズルッラー師は北ワジリスタンに招集され、アルカイダが直接彼に指示を出している。作戦司令官責任者のイブネ・アミン(またの名をビン・イエメニ)がモーマンドに配置され、そこからスワート谷を指揮する。また戦闘員たちが訓練を受けるために、カイバル行政区のティラ谷に集っている。

「当初抵抗勢力たちは、すぐさまスワートでの活動を中止して撤退するように命じられた。そして全員ティラ谷に行くようにいわれた。スワートでは、身代金目当ての誘拐も中止され、スワートとマラカンドに関する作戦は、他の抵抗勢力たちに任された」。

「ペシャワル大学の副学長のアジュマル・ハーンは、ムスリム・ハーンと交換するために、ダラ・アダム・ヘールのタリーク・アフリディの組織が誘拐した。いっぽうスワートの抵抗勢力はすべての活動を中止し、もっと力をつけることに専念した」。

「アルカイダはスワートの計画に20億ルピーを提供し、アラブ人、パキスタン人、トルコ人訓練師をスワートの過激派の訓練のために派遣し、洗練された作戦ができるようにしようとしている」。過激派たちの訓練が終ったら、再びスワートではターゲット殺人が開始する。

この戦略は、イリアス・カシミクがアフガニスタンにも導入している(後略)。

hoonAl-Qaeda backs massive push in Swat
Syed Saleem Shahzad、MALAKAND

■パキスタンの自爆攻撃、数十人を殺害[101205 BBC]

パキスタンの北西部で自爆攻撃があり、少なくとも40人が死亡したと、地元関係者が述べた。

モーマンド行政区の政府の建物が攻撃され、ここで反タリバン勢力が政府関係者と会合を開いていた。このほかに数十人が負傷した。

(中略)モーマンドのガラルナイ町の地元行政府の建物が、2人の自爆犯に攻撃された。建物内には100人以上がいて、政府と地元の反タリバングループとの間で、話し合いが行なわれていた(後略)。

hoonPakistan suicide bomb attack kills dozens

■パキスタン、死の谷を凝視[101202 Asia Times]

パキスタン陸軍本部は原則として、来年アフガニスタンでタリバンが夏の攻撃を開始する前に、北ワジリスタンで大きな軍事作戦を実施することを決めた。

ワシントンがタリバンとの話し合いをするという考えを捨て、力だけで対戦することを決めた時期に、北ワジリスタン攻撃が決められた。戦略急変である。

同時にパキスタンの政治指導者たちは、北ワジリスタンの作戦に口出しすることを拒否し、軍が独自に戦略を決めることになる(中略)。

最近失敗に終わったタリバンとの間の平和会談に詳しいパキスタンの対テロ関係者は、「パキスタン軍はタリバンとの話し合いに持っていこうとしていた。しかし、アメリカはすべてを放棄して、軍事作戦を押し進めようとしている」。「『いいタリバン』と話し合いたいと言っていた。しかしハッカーニの組織は、もはやいい組織ではない。北ワジリスタンで何らかの作戦が実施されたら、たとえそれが小規模なものであっても、話し合いで問題を解決する可能性はなくなる。好き勝手に話し合いを始めたり、やめたりすることはできない」と語った。キアニは動きが取れなくなっている。軍を動かしても呪われ、動かさなくても呪われる。そして、政治指導者たちからも見放されている。

hoonPakistan stares into a valley of death
Syed Saleem Shahzad、ISLAMABAD

■核燃料メモ、パキスタンとの危うい踊りを暴露[101130 New York Times]

オバマ大統領が2009年に、パキスタンの核材料は「過激派の手の届かない場所にある」と報道陣に確信させたにもかかわらず、駐パキスタン米大使はワシントンに極秘のメッセージを送り、まさにその点を心配していると述べていた。

大使が心配していたのは、古くなりつつあるパキスタンの核開発研究所に数年間置いてある、パキスタンの濃縮ウラニウムのことである。

2009年5月27日にアン・パターソン大使は、パキスタン政府は2年前にウラニウムを移動させることをアメリカと同意したにもかかわらず、再びこれに積極的ではなくなっていると報告した。

彼女は米政府幹部に、パキスタン政府は、パキスタンの核兵器に対する「センセーショナル」な国際・地元メディアの極秘報道のために、この時期にこれを実施することが不可能になったと決めたと書いた。パキスタン政府関係者が、アメリカが燃料を排除することに協力しているということがリークされれば、地元紙は「アメリカがパキスタンの核兵器を奪おうとしていると書くに違いない」という。

燃料は、まだそこにある。

(中略)イスラマバードの米大使館から発信された『ウィキリークス』が発表した電信によると、アメリカの外交関係者たちが、選挙により選出された人気のないパキスタン政府を支持しようとしている様子がわかる。パキスタンの本当の権力である軍や諜報組織は、アメリカの目的にはあまり協力的ではない。電信により、いかに文民政府が弱いかが明らかになる。ザルダリ大統領はアメリカのバイデン副大統領に、軍が「私を排除する」ことを心配していると述べた。

(中略)バイデン副大統領は2009年1月に、キアニ陸軍参謀長に会った際に何度も、パキスタンとアメリカは「我々が前進していくときに、同じ敵を持っているか」どうか訊ねた。2009年2月6日の電信では、「アメリカは、パキスタンが自分たちの約束を守っているという前向きの評価を得たい」と述べた。

これに対してキアニは「我々はアフガニスタンでは同じ土俵にいる。しかし、別の戦術を取るかもしれない」と述べた。バイデンは、「結果」からそれは明らかになるだろうと答えた。

オバマ政権下でこれまで極秘にされていた、協力態勢の一例も明らかになった。去年の秋にパキスタン軍は、パキスタン軍とともに米特殊部隊兵士12人を、アフガニスタンとの国境近くの部族地帯に配置することを極秘に許した。米国人たちは、戦闘に参加することは禁じられた。数は少なかったが、南ワジリスタンのバジョールの陸軍本部に彼らが駐屯できたことは、「軍の考えに変化があった」ことがわかると、大使館が報告した。

ただし、大使館は忠告する。米軍の配置は極秘にしなければ、「パキスタン軍は協力を要求してこなくなる」という。

ここ数年、パキスタンとアメリカは、アメリカの野戦アドバイザーが活動していることを、慎重にではあるが公的に認め始めた。イスラマバードの米軍報道官のマイケル・シェイバーズ中佐は、「パキスタン人の要求で」特殊部隊の小隊が「パキスタン軍とともに、パキスタン国内各地に入った」と発表している。

さらに先週行なわれたアフガニスタンの議会報告で、パキスタン軍がクエッタに米・同盟軍アドザイザーを受入れたと、ペンタゴンが述べた(中略)。

しかし全体としては、パキスタンが過激派組織と戦うために本当に協力するかを疑っていることがわかる(中略)。

2008年にペシャワルの領事が、ハッカーニ組織のメンバーは無人偵察機の攻撃を免れるために北ワジリスタンから逃走したと思うと書いた。その家族はペシャワルに移ったり、パキスタン陸軍幹部が住むラワルピンディに移ったという。

(中略)パターソン女史が排除したがっていた高純度ウランは、1960年代にアメリカから送られた。当時の平和原子力プログラムのもとで、核拡散に関する配慮はなく、パキスタンは核競争に参加するにはあまりにも貧しく、遅れているように思えた。

(中略)1990年代に原子炉は、核爆弾級には達しない低純度ウラニウムを使用できるように作り替えられた。しかし核兵器の製造が可能な高純度ウランは、アメリカに返されることはなく、いまだに備蓄されている。バターソンの電信によると、パキスタンは「2007年に燃料を移動させることに同意した」という。

しかし、再びパキスタンにその気がなくなり、パキスタン政府内の組織が、燃料を国外に持ち出すために予定されていた米技術専門家のパキスタン訪問が、キャンセルされたという(中略)。

また米大使館は、オバマ大統領が問題を認める前に、パキスタン陸軍が超法外的に囚人を処刑している事実を知っていたこともわかる。処刑のビデオが、まだビデオがインターネット上で出回る以前のことである。

(中略)2009年9月10日に、大使館はスワート谷や他の部族地帯で、人権問題が起きていることをつかんでいた(中略)。パキスタン陸軍は「テロの囚人」約5000人を拘束しており、その数は陸軍が発表している数の2倍である(後略)。

hoonNuclear Fuel Memos Expose Wary Dance With Pakistan
JANE PERLEZ, DAVID E. SANGER and ERIC SCHMITT、ISLAMABAD

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2010.