【2011年1月3日〜1月9日】


■ミサイル、パキスタンで5人殺害[110107 AFP]

金曜日に北ワジリスタンでアメリカのミサイル攻撃があり、過激派5人が殺害され、イスラーム戦闘員が使用する車輛を破壊したと、治安関係者が述べた。

パキスタンの治安関係者によると、ガール・レレイ村で抵抗勢力5人が殺害された。「米無人偵察機が車輛と建物を標的にしてミサイル4発を発射した」という。「今のことろ、5人の遺体が回収された。タリバンが現場を包囲しているが、まだ犠牲者が増える可能性がある」。現場はハーフィズホグル・バハドゥールの管轄下にある。

「バイクで逃げようとしていた抵抗勢力が狙われた」と、別の関係者が述べ、犠牲者の数は2人だという。「この地域は過激派の拠点で、外国人のアルカイダ戦闘員もいる」。

hoonmissiles kill five in Pakistan: officials
Hasbanullah Khan、MIRANSHAH

■暗殺により、パキスタンの亀裂が浮き彫り[110105 New York Times]

水曜日に暗殺されたパンジャーブ州知事の葬儀が行なわれる最中、裁判所に犯人が出現すると喝采が起きて、パキスタンにおける世俗と宗教勢力の亀裂が露になった。

26歳の犯人マリーク・ムムターズ・カドリが、殺人とテロの容疑でイスラマバードで裁判官の前に現れると、数百人の支持者たちがバラの花びらや花輪を投げかけた。穏健派宗教指導者たちは暗殺を非難することを拒否し、過激派宗教指導者は攻撃を黙認した。

いっぽうラホールで行なわれたサラーム・タシール知事の葬儀には、数千人が集まった。タシールは世俗主義の有名な提唱者で、最近はパキスタンの厳格な冒涜法に反対して、宗教者たちの怒りを買った。

タシールのライバルで野党指導者のナワーズ・シャリーフを始め、多数の政治家幹部が彼の葬儀に参列しなかった。タシールの友人で仲間であるザルダリ大統領も、警備上の理由で参列しなかった。

政府は、タシールが支持していた冒涜法の改訂キャンペーンを取り下げるようである。殺害に宗教過激派の関与していた可能性があるかどうか、葬儀でコメントした者はいない。コメントしなかった者たちは政府の立場が変わったことを示唆し、暗殺は宗教的なものではなく、政治的・謀略的なものであるとほのめかした。

(中略)暗殺者のカドリは、イスラマバード郊外のバラ・カフ出身である。カラチを拠点とする宗教組織のデワテ・イスラーミの追随者で、2002年にパンジャーブ警察のスペシャワル・フォースに入隊した。当時は過激的な宗教心を持っていた事や宗教抗争活動に関与していたために、危険人物とされた。

しかし、2008年にパンジャーブ警察のエリート・フォースに入隊して知事の警備にあてがわれたために、元警察関係者や元知事の関係者が、警備関係者の採用の基準を疑問視したという。

火曜日にカドリがタシール氏の背中に20弾以上を撃ち込みながらも、他の警備員たちが誰1人として彼を止めなかったために、他の者たちが暗殺計画を事前に知っていたのかどうか、疑問が湧いている。

カドリはすぐに投降して自分は「預言者の奴隷」と叫び、タシール師が冒涜法に反対するキャンペーンを行なったために暗殺したことをほのめかした。

今のところ、彼と過激な宗教組織との関係は判明していない(中略)。

パキスタンにおいては、冒涜は非常に感情的な問題で、暗殺のあとも、非難されることを恐れてか、多くのものが犯人を擁護した。

デオバンド宗教政党のイスラーム神学者協会のファズウル・レーマン師は、冒涜者に協調する者は冒涜と同じだと、タシール氏の支持者に対して暗に警告した。バーレビ宗教政党のジャマッティ・アレ・スンナの宗教指導者500人が、タシールの葬儀に参加したり彼のために祈ることを禁じたという(後略)。

smellAssassination Deepens Divide in Pakistan
CARLOTTA GALL、ISLAMABAD

■パンシャーブ州知事サラーム・タシール、イスラマバードで暗殺される[110104 BBC]

パンジャーブ州の著名な知事サラーム・タシールが、イスラマバードでボディーガードに撃たれて死亡した。タシールはPPP幹部で、マーケットで車に乗り込もうとしていた。

レーマン・マリーク内相によると、警備員が、タシールがパキスタンの冒涜法に反対したために殺害したと述べていたと発表した。タシールが死刑を宣告されたキリスト教徒の女性を擁護したために、多くの者たちを憤慨させた(中略)。

タシールは、イスラマバードのショッピングセンターのコサール・マーケットで車に乗り込もうとしていたところを、エリート・フォースの警備員に至近距離から何度も撃たれた。「知事が倒れ、彼に発砲した男は銃を捨てて両手をあげた」と、目撃者のアリ・イムランが述べた。医師によると、タシールは26回撃たれていたという。容疑者はサブマシンガンを持っていた。

(中略)タシールは最近、ムハンマドを冒涜したとして死刑を宣告されていたキリスト教徒の女性、エイジア・ビビに恩赦を与えようとして話題になった。知事の友人によると、自分の発言により命が危うくなることを承知していたという。

(中略)最近の『BBC』とのインタビューで、彼に対して出されたファトゥアに関して「無学」の宗教者たちを非難すると発言をしていた(中略)。

内相が、犯人はラワルピンディから知事をエスコートしていたマリーク・ムムターズ・フセイン・カドリと発表した。カドリは25歳で、イスラマバード郊外のバラハオ出身である。警察官として採用され、その後2008年にエリート・フォースに移った。「サラーム・タシールは冒涜者で、これが冒涜者に対する罰だ」と、『ドゥニア・テレビ』のインタビューで発言した(後略)。

garrPunjab Governor Salman Taseer assassinated in Islamabad

■パキスタン、アルカイダテロリスト指導者を釈放[110104 Longwar Journal]

これまで身の安全のために勾留されていた、アルカイダとISIと関係のあるパキスタン人テロリストが釈放された。

2010年8月以来勾留されていた、ハラカトゥル・ジハーダル・イスラーミ(HUJI)責任者のカリ・サイフッラー・アフタルが、12月初旬に釈放された(中略)。アフタルの釈放は12月28日に、『News』紙が報道していたが、米関係者もこれを認めた。

パキスタンの諜報関係者が、8月に北ワジリスタンで実施されたアメリカの無人偵察機による攻撃で負傷したアフタルを勾留したと、『News』が報道した。彼はペシャワル経由でラワルピンディに向かい勾留され、その後治療のためにラホールに移され、最終的にISIの保護のもとにあった。

米諜報関係者によると、アフタルは逮捕されたのではなく「傷の手当をして尋問するために保護された」という。

アフタルは、HUJIがリクルートした5人の米国人が、パキスタンの裁判所で有罪判決を受けた時と同時期に、逮捕された。5人は、アルカイダに参加して、テロ組織のために攻撃を行なおうとしていた。アフタルがインターネットを通じて5人をリクルートし、2009年11月にパキスタンに呼び寄せたが、北ワジリスタンに入る前にサルゴーダで逮捕された。

別の米諜報関係者が、アフタルが拘束されたタイミングが米国人ジハード志願者の有罪判決が出た時期と一致しているのは、「偶然ではない」と述べた。

「パキスタンのISIは、問題が生じてくると自分たちの手下を逮捕する。標的になることを防ぐため、または明るみに出ることを防ぐために、隠れ家に置かれる」という。「2008年のムンバイテロ攻撃のあと、ラシュカレ・トイバ責任者のハーフィズ・サイードとジャイシャ・ムハンマド責任者のマスード・アザールが逮捕されたときも、同じだ」。

サイードとアザールはインド政府により、ムンバイテロ攻撃に関与していたと名指しされている。両者とも軟禁され、その数ヵ月後には釈放された(中略)。

アフタルは、1985年にHUJIの指導者がソ連と戦って死亡したあとに責任者となった。彼はHUJIの組織をパキスタン全体とアフガニスタンに拡大していったが、1995年にパキスタン政府を転覆させる計画で、初めて脚光を浴びる(中略)。

96年に釈放されるとすぐにアフガニスタンに逃走し、そこでタリバンのオマール師のアドバイザーとなった。タリバン議会の3人と裁判官22人が、アフタルが率いるHUJIのメンバーだった。オマール師とビンラディンを結託させたのも、アフタルの功績といわれる。

HUJIはカンダハル、カブール、ホーストに訓練所を持った。タリバンの軍隊や警察もHUJIの訓練所で訓練を受け、タリバンが90年代にアフガニスタンでが権力を振るうことができたのも、HUJIのおかげである。北部同盟との戦いで、HUJIの戦闘員300人以上が死亡した。またHUJIはアフガニスタンの基地を使用して、チェチェン、ウズベキスタン、タジキスタンで作戦を指揮した。

アフタルはオマール師とともに9.11以後クエッタに逃走した。その後、彼の故郷である南ワジリスタンに隠れ、バイトゥッラー・マフスードとの関係を築いた(中略)。

2003年にムシャラフ暗殺未遂事件に関与してからサウジアラビアに逃走し、その後アラブ首長国連邦に潜む。2004年8月に首長国はアフタルを逮捕してパキスタンに更迭し、その後2年間、裁判を受けないまま投獄された。2007年5月に、パキスタンの治安組織が彼を釈放した。

その後、2008年2月、さまざまな爆弾事件に関与したとして、再び治安組織に逮捕された。そのうち最大の事件が、2007年10月のベナジール・ブット暗殺未遂事件である。

その後、2007年12月に暗殺されたブット女史は、死後発表された回顧録の中でアフタルに言及している(中略)。パキスタン政府は2008年6月にアフタルを保釈した。その後北ワジリスタンに逃走したと思われる。

(中略)アフタルは、2008年に起きたイスラマバードのマリオット・ホテル爆弾事件の首謀者の1人でもある。アフタルはカリ・ザファールとともに計画を首謀した。ザファールはアルカイダとタリバンの協力組織フェディーニ・イスラームの責任者だったが、2010年2月24日に北ワジリスタンのダンギ・マンディに対するアメリカの無人偵察機による攻撃で死亡した。

smellPakistan releases top al Qaeda-linked terrorist leader
BILL ROGGIO

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.