【2011年1月17日〜1月23日】


■ダニエル・パール殺人者、「誤って逮捕」[110120 BBC]

米国人ジャーナリストのダニエル・パールを殺害したとして逮捕された4人は、パール記者の斬首を行なっていなかったことが、報告書から明らかになった。

4人は、カラチで記者を拉致することに協力したことは確かだと、パール・ブロジェクトという米ジャーナリストの報告書が明らかにした。

しかし法医学的な見地から、アルカイダのナンバー3のハリッド・シェイク・ムハンマドのパール殺害に対する告白が真実であることがわかったという。

(中略)事件の数ヵ月後、英国系パキスタン人のアフマッド・サイード・シェイク他3人が、記者の殺害に関与したとして逮捕された。シェイクには死刑が宣告され、他は終身刑となった。

パール・プロジェクトによると、パキスタン政府は、裁判で重要人物とされているタクシー運転手にこれまでの供述を覆して、パールが拉致されたときにレストランの近くにシェイクがいるのを目撃したと供述するように説得したという。

シェイクは拉致を計画したことは認めているが、実際に事件が起きたときにカラチにいたことは、これまで常に否定してきた。

パール・プロジェクトは、9.11と関与したとして裁判が行なわれている、ハリッド・シェイク・ムハンマドが斬首を行なったという証拠を掴んだと発表した。血管を比べる技術で、ムハンマドの手がパールの殺人者の手と同じであることがわかったという(中略)。

水攻めの拷問を受けたムハンマドは、ジャーナリストの頸を切り落とすために、自分の「祝福された右手」を使用したと告白した。

パール・プロジェクトは、ジャーナリストの頸が切られた後にカメラマンが撮影を再開するように頼んだために、ビデオの撮影が失敗したことがわかったという。ムハンマドは2度目に頸を切った(後略)。

smellDaniel Pearl's killers 'wrongly convicted'

■報告によると、パール殺人犯、いまだ逃走中[110120 New York Times]

米国人記者ダニエル・バールがパキスタンでアルカイダに拉致され殺害されてからすでに9年たつが、事件に関与した過激派12人がまだ逃走中であることが、木曜日に発表された報告書によって明らかになった。いまだに証言もそろってなく、パキスタン政府は事件を解決する能力も意思もないようだ。

パール記者殺害に関与したと思われる14人は、カラチで起きたフランス人技師11人が死亡したホテルに対するテロ行為などに関与したり、ムシャラフ大統領を暗殺しようとしていたという。

パールの事件を熟知し、米国人の捜査官に協力しているパキスタン人政府関係者が木曜日に、この14人がまだ起訴されていないことを認めた。このパキスタン人関係者によると、「彼らをパールの事件と関連づける十分な証拠がある」という。

「これらの男たちがどこにいるか、そして彼らがなぜ逮捕され、起訴されていないかという大きな疑問がある」と述べた。14人全員が、パール殺害後の4〜5年の間に、「大きなテロ行為」に関与していたという。

(中略)イギリス系パキスタン人のアフマッド・オマル・シェイク他3人が、2002年7月にパキスタンの裁判所で起訴されて死刑を宣告された。彼らはパール氏拉致に関与したといわれるが、報告書によると、カラチのスラム街で行なわれた実際の殺人には関与していないという。

米関係者が発表した公聴会の報告書によると、2007年に、9.11事件との関連で逮捕されたアルカイダ工作員のハリッド・シェイク・ムハンマドが、パール殺害を告白したという。

殺害の様子を映したビデオに映っていた手の血管と、グアンタナモ収容所で映した手の写真を比べると、ムハンマドが確かにパールを殺害したことが明らかであると、報告書は結論づけている。

パール殺害は、アルカイダの工作員が首謀し、有名なパキスタンの過激派組織が実行したが、この時から両者の協力が始まったという。「パキスタン人過激派がアルカイダに協力したのは、この殺人が始めてだ」と報告書にある。

パール殺人に関与した組織の1つであるラシュカレ・ジャングヴィが、パキスタン人タリバンの中心となった(中略)。ラシュカレ・ジャングヴィは2009年にパキスタン陸軍本部を攻撃し、パキスタン軍を辱めた。攻撃は、ラシュカレ・ジャングヴィのアムジャッド・ファルークにちなんで名前がつけられた、組織の支部が首謀した。ファルークはパキスタン政府により、パール拉致犯人の1人と指名されたが、2004年にパキスタン南部で起きた銃撃戦で殺害された。

いまだに逃走中の14人の中には、アブドゥル・ハイーがいる。ハイーは2003年にシーア派6人を殺害したとして逮捕されたが無罪となり、現在パンジャーブ州で暮らしている。

別の過激派ムハンマド・ソハイルは、ファルークと一緒にパールを拉致し、2003年にフランス人技師を殺害したカラチの爆弾事件に関与したとして、死刑を宣告された。2009年に保釈となり、現在は自由の身になった。

もう1人の過激派マリーク・タッサダク・フセインは、eメールで出回ったパールの写真を撮ったとされ、2004年に逮捕された。しかし起訴されることはなく、その後警察の車輛を攻撃したことで起訴され、2007年に釈放されたという(後略)。

smellReport Says Militants in Pearl Killing Still at Large
JANE PERLEZ、ISLAMABAD

■アルカイダ、西洋人ジハード者を解き放つ[110117 Asia Times]

アフガン戦争が10年目を迎え、パキスタン領内でアメリカの無人偵察機の攻撃が続く最中、アルカイダは新たな人員募集を行なって、西洋・コーカサス系の人間を母国に解き放ち、南アジアの戦争を西洋に持ち込もうとしている。

(中略)タリバンの情報源によると、カナダ人戦闘員が北ワジリスタンで訓練を受け、カナダでテロ攻撃を行なおうとしている。

北ワジリスタンのダルパヘールの地元戦闘員アリーフ・ワジールが語ったところによると、「最初の段階で、カナダ人たちは2010年2月にアフガニスタンに行った。12人いた。9ヵ月後にアルカイダの責任者たちは彼らを北ワジリスタンに送ることを決め、去年の11月にダルパヘールにやってきた」。

「アフガニスタンで彼らは基本的なジハードの訓練を受け、現在は専門的な訓練をしている。彼らは洗練された武器の扱い方や、北米の地元の密輸団との関係を築こうとしている。また砂糖やごく身近な物質で強力な爆弾を製造する方法を研究している。これらの過激派たちは順次母国に戻り、カナダの大都市を標的にするというアルカイダの計画を実行する」。

情報によると、カナダ人たちはジハード・アル・イスラミ(JAI)というエジプト人過激派組織に合流した。この組織が彼らをアフガニスタンに招いた。アブ・シャヒードというあだ名で通る男が率いる。金色の顎髭をはやした30歳の男で、2007年にイスラームに改宗してJAIに参加した。組織のために資金を集めるのが仕事である。シャヒードは北ワジリスタンのカナダ人の活動を統括している。タリバンの情報源によると、12人はカナダでテロ行為をする準備ができるまで、部族地帯に留まる。シャヒードは、さらにカナダ人の仲間を増やす自信があるという。

情報源が、訓練を受けているカナダ人の仲間を挙げた。ジーム・ボール(現地名サディーク・ウッラー)、リーマン・ラングロス(サナ・ウッラー)、ジェームズ・リチャード(アブドゥル・レーマン)、オット・ボール(アブ・ウスマン)、トマス(アブドゥッラー)、ボール・ガール(ハーフィズ・ウッラー)である。

他の国籍の過激派も北ワジリスタンで訓練されている。アラブ人や中央アジアの過激派のほかに、アメリカ、イギリス、ドイツ出身者がいる。

2010年10月に外国人8人がアメリカの無人偵察機で殺害された。殺害されたのは、ブルスリー(地元名ファヤーズ)、ガガリン・ギル(シラージュ)、スミス(ジャマール)、アンダーソン(ワカス)、ビーターソン(シャヒーン)、ウェルシュ(ムスタファ)、ジョンソン(ワイサル)、ピーターソン・マッケンジー(ウスマン)である。これに先立ち、2010年9月には、アブドゥル・ガッファルという名前のドイツ人過激派幹部も殺害された。

2010年12月15日には、ダルパヘールで英国国籍の2人が無人偵察機のミサイル攻撃で死亡した。2人はスティーブン(48歳)とダリー・スミス(25歳)である。ステーブン(アブ・バカールキ)はイスラームに改宗後、2009年にアフガニスタンに行き、アルカイダに参加した。殺害されたスミス(マンスール・アフマッド)と一緒だった。

10月には別のイギリス人過激派幹部、アブ・ジャバールが殺害されている。彼はヨーロッパを攻撃するために、イギリスにタリバン支部を確立しようとしていた。

garrAl-Qaeda to unleash Western jihadis
Syed Saleem Shahzad and Tahir Ali、ISLAMABAD

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.