【2011年1月24日〜1月30日】


■コハート・トンネルで2重爆弾[110129 News]

金曜日にコハート・トンネルでトラックを用いた爆発が2件あり、女性2人を含む4人が死亡したと、関係者が述べた。

(中略)最初の攻撃では、爆発物を搭載したトラックがトンネルに入るやいなや爆発して、後ろのトラックを破壊して負傷者が出た。日本の援助で作られたトンネルは過激派に狙われるのを避けるために、日中だけ通行が認められていたが、最近になってやっと24時間の通行が許されたところだった。

次の攻撃では、爆発物を搭載したタンクローリーが、トンネルの外の治安部隊と軍の合同検問所で爆発した。「検問所は無人だったが、通行中の女性2人を含む一般市民4人が死亡した」という。検問所は、ダラ・アダム・ヘールにある(後略)。

garrTwin bombings in Kohat tunnel; 4 dead PESHAWAR

■パキスタンの米関係者、発砲で起訴も[110128 AP]

パキスタンで、強奪しようとしていた可能性のある銃を持った男2人を射殺した米領事館職員は、起訴されることも考えられると、警察が金曜日に警察が述べた。

木曜日にラホールでは、3人目のパキスタン人が、この米国人を助けようとして急行した車に追突されて、死亡した。

警察官のウスマル・サイードが語ったところによると、米国人は事件の直前にATMからお金を引き出したところだったと述べ、殺害された2人の男は彼を追跡していた可能性がある(中略)。

hoonUS official in Pakistan shooting may face charges
BABAR DOGAR、LAHORE

■米関係者、ラホールでバイクの2人を射殺[110127 Dawn]

木曜日、「米領事館職員」がバイクに乗った若者2人を射殺した疑いがかけられている。また別のバイクに乗った若者が、別の車に乗っていた犯人の仲間に追突されたと、目撃者と警察が語った。

レイモンド・デイビッドが警察に語ったところによると、自己防衛のために発砲したという。警察と目撃者によると、追突されたバイクに乗った若者は、デイビッドを助けようとしてクルタバ・チョークに来たという。「乱暴運転のPradoが道路を横切り、若いバイクの男に追突してあっという間に逃げた」と、目撃者が述べた。デイビッドも逃走したが、交通監視官が追跡して警察に引き渡した。

事件のあと100人以上が道路を封鎖して、殺人に対して抗議した(中略)。警察は若者たちを殺害した9mmのグロック社ピストルを押収した。

レイモンド・デイビッドを始めとする4人が、ラホールのシェルパオ橋の近くで治安関係者に逮捕された。洗練された武器を所持していた。

米領事館が介入して、釈放されたという。「この国では、外交官でも武器を所持してはならない。治安関係者だけが許されるが、それも事前に地元の治安組織に許可を得手から出なければならない」という。米領事館関係者は、武器を所持することを認める許可書を持っていなかった。

デビッドの話では、武装したバイクに乗った男に追跡されていたという。クルタバ・チョークに着くやいなや、そのうちの1人に殺されそうになったという。バイクに乗った男たちがこの外国人を襲おうとしたために、自己防衛のために殺害したという(中略)。

目撃者によると、ホンダに乗った外国人がピストルを手にあわてて車から出てきたという。「数秒後に、クルタバ・チョークの信号で止まっていた、バイクに乗った2人の男に発砲した」。2人とも多数の銃弾を受けて倒れた。外国人はすぐに車で立ち去った。バイクの男のうち1人は即死し、1人は病院で死亡した。バイクの男たちも、ピストルを持っていたという。

デイビッドは、米領事館に身柄を移された(中略)。警察官によると、デイビッドはラホールの米領事館の技師で、アフガニスタンで2年過ごして、戦闘や危機管理の訓練を受けているという。バイクの男がピストルを出すやいなや、数秒のうちに4発撃ち、隣にいた男に3発発砲した。7発のうち外れたのは1発だけだったという。デビッドの仲間が使用していたPradoは偽造ナンバープレートをつけていた。

hoonUS official guns down two motorcyclists in LahoreFrom the Newspaper

■パキスタン、北西部で過激派12人殺害[110127 AFP]

木曜日にパキスタンの北西部の各地で、2人の自爆犯を含む過激派12人が殺害されたと、関係者が述べた。まずパキスタン軍が戦闘機を使用して、モーマンドの過激派のアジトを襲撃して、抵抗勢力10人を殺害した。

「インザレー村で治安部隊の作戦があり、過激派10人が死亡した」と、隣りのバジョールの行政官ザキール・フセイン・アフリディが語った。「地上軍が迫撃砲を用い、戦闘ヘリコプターは過激派の拠点を襲撃した」という。

(中略)これとは別に、ハールでは自爆犯が追い詰められ、1人は射殺され、1人は自爆した。「犯人たちはハール南部のサラマン村で追い詰められたが、人々に危害はなかった。1人は射殺され、1人は自爆した」という。

hoonPakistan forces kill 12 militants in NW: officials
KHAR

■北ワジリスタンで無人偵察機の攻撃3回、13人死亡[110126 Dawn]

日曜日にアメリカの無人偵察機が部族地帯を攻撃し、過激派13人が殺害された。部族民たちが町に出て、攻撃に対して抗議した。

最初の2回の攻撃は、北ワジリスタンのダッタ・ヘールで起きた。3回目の攻撃は、ミランシャーから60キロ離れた、マンド・ヘールで起きた。

「米偵察機が、車が民家の外に駐車した途端にミサイルを発射した。過激派4人が死亡した」と、ミランシャーの諜報関係者が述べた。車が全壊し、民家も大きな被害を受けた。「全員地元の過激派だといわれているが、情報収集をしている」という。

別の諜報関係者が、無人偵察機がミサイル2発を撃ち込んだと述べた。

その後別の無人偵察機がバイクにミサイルを発射して、過激派3人を殺害したという。「2度目の攻撃で、過激派3人が殺害された」と、ミランシャーの関係者が述べた(中略)。

3度目の攻撃では、過激派の建物がある敷地内に駐車していた車が攻撃された。「米偵察機が車を追跡していた。車が駐車するやいなや、ミサイルを発射した。過激派6人が死亡し、3人が負傷した」と、ミランシャーの諜報関係者が述べた。

hoonThree US drone strikes kill 13 in NW
MIRANSHAH

■イマーム大佐、拉致中「心臓病で死亡」[110124 News]

有名なスパイで元ISI関係者のスルタン・アミール・タラール、別名イマーム大佐が、過激派に拉致されたまま、心臓病で死亡したことが日曜日に報告された。

イマーム大佐は、ハキームッラー・マフスードが率いるTTP系の過激派に拘束されていた。家族によると、土曜日以来彼の死に関する噂が流れているが、まだ確認はとれていないという。

タリバンと部族民の情報源が語ったところによると、イマームは拉致されて以来健康を害し、心臓病で死亡したという。タリバンの情報源によると、彼はホースト州に連れて行かれ、そこで心臓発作で死亡したという。

遺体は北ワジリスタンのシャーワル谷に運んでいるという。彼が死亡したことを証明するために、過激派たちは今日遺体の写真を発表する予定である。

遺体はまだ過激派のもとにあり、月曜日にシャーワル谷に運ばれる予定である。すでにシャーワルに到着したという報告もある。

過激派が遺体を家族に引き渡すか、あるいは以前に求めていた要求と引き換えに引き渡すかは明らかではない。TTP幹部司令官が数日前に、イマーム大佐とペシャワルのイスラミア大学の副学長アジュマル・ハーンを両方拘束していると主張していた。

TTP司令官は、イマーム大佐の解放のための話し合いを家族と行なっていると語り、もうじき実現することをほのめかしていた。TTPは、まだイマーム大佐に関する声明は出していない。

(中略)イマーム大佐とハリッド・ハワジャが、英国人ジャーナリストのアサド・クレイシーと2010年3月に拉致された。その後エイジアン・タイガーというこれまで無名の組織が、ハリッド・ハワジャがCIAのためにスパイ行為をしていたとして、彼を殺害した。

アサド・クレイシーと運転手は数ヵ月後に身代金と引き換えに、解放された。犯人たちはサビール・マフスードとウスマン・パンジャビが率いるマフスード族の過激派と、パンジャビ・タリバンから成る組織である。

サビール・マフスードとウスマン・パンジャビはその後身代金に関して仲違いし、2010年8月28日にミランシャー近くのダンデイ・ダルパヘール村で、サビール・マフスード系の過激派がウスマン・パンジャビと部下5人を殺害した。

そのためにハキームッラー・マフスードが率いる過激派がミランシャーのバザールにあるサビール・マフスードのアジトを襲撃し、彼と仲間を拉致した。その日の夕方、サビール・マフスードと仲間の銃で撃たれた遺体が、ミランシャー近くの路上で発見された。

TTPの過激派はサビールの組織の武器や資金を奪ってから、イマーム大佐を拘束し、どこかに連れて行った。その際アジアマル・ハーン副校長とイマーム大佐を南ワジリスタンのシャクトイに連れて行ったと主張した。

(中略)以前ウスマン・パンジャビが、イマーム大佐がアフガン人タリバンを支持しながら、パキスタン人の仲間を支持しなかったために不愉快に思い、拉致したと述べていた。

あるメディアの報道によると、イマーム大佐は、いまだに支払われていない身代金のために、殺害されたという。イマーム大佐と引き換えに、4〜500万ルピーを家族に要求していたという(後略)。

smellColonel Imam‘dies of cardiac arrest’in captivity
Mushtaq Yusufzai、PESHAWAR

■イマーム大佐、心臓発作で死亡[110124 Dawn]

元パキスタン人諜報関係者のスルタン・アミール・タラール、別名イマーム大佐が、過激派により拉致されて1年近くたったあと心臓発作で死亡したと、政府幹部関係者が述べた。

去年3月にタラールが拉致された北西部の部族地帯の政府関係者であるタリーク・ハヤートが月曜日に、遺体はないものの、彼が死亡したという確認がとれたという。

ハヤートによると、過激派はタラールの遺体と引き換えに、20万ドル以上を要求している(後略)。

smellColonel Imam died of heart attack
SLAMABAD

■軍、和平調停人の運命に身構える[110124 Asia Times]

伝説的なISI関係者のスルタン・アミール・タラール、別名イマーム大佐の殺害のニュースが流れ、パキスタンの要人たちはその状況を疑問視している。

67歳のイマームは、土曜日に北ワジリスタンで彼を拉致した犯人たちに殺害されたと思われる。過激派と治安部隊との間に和平協定を結ばさせようと交渉中に、去年3月に拉致された。

テレビ番組が、イマームが土曜日の夕方銃殺されたというニュースを流した。殺害されたのではなく、心臓発作で死亡したとする情報源も出現した。遺体が確認されていないこと、犯行声明が出されていないこと、過激派たちは「スパイ」を放置するのが常であることなどの事実を指摘する者たちもいる。

イマームの殺害をめぐる状況は−−彼が死亡したとすれば−−パキスタンにとっては大きな転機となり、ついにアメリカの要求に屈して北ワジリスタンで作戦を実施することにもなりかねない。

日曜日の朝になっても、イマームの家族は、彼の死は噂に過ぎないと主張し、それを証明できるかもしれないとしていた。

先週イマームは、電話で家族と話している。過激派たちも家族と話し、とても丁寧だったという。「イマーム大佐は、我々にとっては尊敬するべき長老だ。我々は政府にある要求をした。我々の要求が通れば、彼を解放する。我々が置かれている状況を理解してほしい。彼は家にいるようなものだ。薬も与えられ、世話をしている」。イマームもくつろいでいる様子で、良い環境にいる雰囲気を臭わせていた。

(中略)ほとんどの過激派組織が、イマームの拉致を非難した。タリバン指導者のオマール師も過激派たちにメッセージを送り、解放を要求した。しかし首謀者のアリー・イムラン、別名ウスマン・パンジャビは耳を傾けず、一緒に拉致されたハワジャを殺害した。イギリス人ジャーナリストのクレイシーは解放されたが、巨額の身代金が支払われたと思われる。イマームをどうするかは、意見が割れた。サビール・マフスードが率いるグループが、ウスマン・パンジャビと彼の部下5人を殺害した。問題はTTP責任者のハキームッラーに受け継がれたが、ハキームッラーはイマームを保護してから、ウスマン・パンジャビを殺害したとしてサビール・マフスードを処刑した。

それ以来、パキスタンの治安部隊はイマームの解放のために、マフスードと接触しようとした。仲介者は、ハラカトゥル・ムジャヒディン責任者のファズウル・レーマン・ハリル師である。ハリルは過激派と交渉し、イマームを殺害しないことを保証した。

イマームは、ソ連侵攻の際にアフガン抵抗勢力司令官たちを訓練した。アフマッド・シャー・マスード、グルブディン・ヘクマチアル、オマール師は、彼によって訓練された。タリバンがカンダハルに出現すると、彼らの有効性をイスラマバードに報告し、軍閥を一掃する親パキスタン運動になると説得した。

その後パキスタン軍の協力を得て、カンダハルからジャララバード、そしてカブールにタリバンたちを導いた(中略)。

欧米メディアは、イマームをタリバンの父として、あるいは超過激的タリバン思想を共有して彼らの戦略を支持する人間として描いている。過激派の中でも−−カシミールでインド軍と戦ったパキスタン人は−−特に、イマームをこのように見る者が多かった。

しかし、それは真実ではない。軍関係者やハック大統領、そして元陸軍参謀長のアフタール・アブドゥル・レーマンたちは、イマームをアフガン・ムジャヒディンを操る技量がある人間と見ていた。過激派たちは、イマームとともに、ハミッド・グルのようなISIの人間に期待していた。しかし、彼らに期待できないことがわかると、特に9.11以後「テロとの戦争」が始まると、過激派たちは2人に腹を立てた。

ハックが1988年に航空機墜落事故で死亡すると、当時ISI責任者だったグルがハクを引き継いで、アフガンジハードを取り仕切った。グルは野望ある高官で、当時の軍責任者、アスラム・ベーグを操っていた。アメリカの圧力のために、グルは陸軍参謀長になれなかったが、影響力のある指導者でありつづけた。ムシャラフ将軍はその後大統領になったが、グルをお手本となる人物だと言っている。

イマームはグルのチームの一員で、9.11以後、ムシャラフを信頼し、ムシャラフがパキスタンとイスラームを裏切ることはないと過激派たちに信じこませた。しかし、9.11以後もグルとイマームがムシャラフを支持したことや、ムシャラフがアメリカを罠にはめてアフガニスタンに墓穴を掘るように仕向けたかったとして、グルとイマームを非難した。

グルとムシャラフは結局袂を分け、2007年11月3日にムシャラフが戒厳令を出してから、グルは数百人の退役軍人を集めてムシャラフと対立させることで、軍を分裂させた。彼は最初に取り締まりを受け、投獄された。

イマームはISIの看板として、アフガニスタンのタリバン司令官幹部と接触していたが、2007年後半に彼もムシャラフと袂をわけて、その後干された。

イリアス・カシミーリのような過激派幹部指導者は、グルとイマームがムシャラフを最初は支持しながらその後分かれたことで、アフガニスタンのジハード活動に修復できないほどの大きな打撃を与えたと語る

グルとベーグに支持されたイマームは、2010年3月に北ワジリスタンを訪れたが、政府内では、タリバンやアルカイダは彼の話に耳を傾けるだろうと見ていた。しかし親アルカイダ過激派にとって、イマームは尊敬に値しない。オマール師はイマームの解放を求めたが、ハーフィズ・グル・バハドゥールのようなパキスタン人司令官やシラージュ・ハッカーニは、このメッセージをイマーム拉致犯に伝えなかったのである。またTTPににらまれるのが怖く、彼の解放にも介入しなかった。イマームのような人間のために、それだけのリスクを犯したくなかったのだ。

イマームの死をとりまく状況により、軍はTTPが信頼できるかどうかを判断するだろう。

2010年は、和平協定を結んだおかげで、軍にとっては比較的平穏な日々だった。しかし、アメリカが北ワジリスタンに作戦を実施するように圧力をかけるようになると、親アルカイダ過激派のカリ・ジアウル・レーマンがクナール州から出現し、パキスタンのモーマンド地域で大がかりな活動を開始した。

数十人の兵士が殺害され、拉致された。これは、軍事作戦が起きたらどうなるかということの見せしめだった。過激派には、パキスタンで新たな前線を開く能力がある。そこでパキスタンは、アメリカ人たちを往生させた。

同時にパキスタンは過激派たちと接触し、北ワジリスタンで軍事作戦を行なわないことを約束した。ハリルは過激派として行動してはいないが過激派幹部との関係があるために、保証人となった。そしてイマームの安全も、保証した。

経済的・政治的に自立できないパキスタンは、2007年と2008年に行なったようなタリバンが主導する抵抗運動に対処することができない。従ってタリバンが自分たちの約束を守りさえすれば、和平協定を結ぶことが重要だった。

同時にパキスタンは、タリバンが国家の安全を脅かすほどにまで成長してほしくない。

イマームの死をめぐる状況により、タリバンがパキスタンと平和的にやっていくか、あるいは時間かせぎをしているだけかがわかる。その結果、北ワジリスタンに軍が入るかどうかが、決まる。

smellArmy poised over peace broker's fate
Syed Saleem Shahzad、ISLAMABAD

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.