【2011年2月28日〜3月6日】


■「アルカイダ・センター」での試練[110302 New York Times]

アブドゥル・ハリーク・ファラヒを誘拐した者たちの攻撃はすばやかった。彼の車に激突して車内に入り込み、彼を捕まえると電話をかけようとしていた運転手を処刑した。数秒後、たった20分しか離れていない隠れ家に、彼を車で連れ去った。

2008年9月23日のことである。ペシャワルのアフガン領事だったファラヒは、仕事から帰る途中で拉致された。この事件以後、イランの外交官が拉致されたり、米外交官のリン・トレイシーの誘拐未遂事件が続いた。

ファラヒはパキスタンの部族地帯で、アラブ人アルカイダメンバーに2年2ヵ月間拘束された。最初の6ヵ月の間は拷問を受けて尋問され、17ヵ所隠れ家を移動した。地元のパキスタン人やアフガン人過激派が彼を扱った最初の数日以後は、アラブ人の手に渡った。

約2年間の試練に関して、カブールのホテルでインタビューに応じた(中略)。ファラヒが拉致された数日後に、南ワジリスタンの山中に連れて行かれた(中略)。僻地の谷にいることがわかった。小さな掘っ建て小屋の中で、アラブ人が待っていた。「ほしいものは、何でももってくる」と、アラブ人が言ったという。「尋問は明日開始する」。

「アルカイダの拠点であることがわかった」とファラヒが語った。取り調べを行なったのは20代の男で、ハッサンと名乗り、英国なまりの英語を話した。「彼らを見て、アルカイダだとわかった。殺されると思った。最初質問して、その後殺されると」。

(中略)「最初は、なぜ私が拉致されたかわからなかった」。「彼らに『おまえはアメリカの代表だ。おまえの政府はムスリムの政府ではない。おまえを殺す権利がある。おまえはムスリムではない』と言われた」。CIAで働いているだろうとも言われたという。

「その後、彼らの目的は仲間を解放させ、金をもらうことだと気づいた」。「誘拐を計画したと、結論づけた」。

組織は大きく、多数の部門からなり、アフガニスタンのソ連支配の時代から戦っていた40代のアラブ人が率いていた。男はいくつかの名前を使っていた。そのひとつがアブドゥル・ハックだったが、本名ではなかった。ファラヒはこの男に12〜15回会ったが、去年の春、男は無人偵察機で殺害された。

警備担当の別の男性もいた。30歳くらいのサウジ出身のアラブで、アリやムハンマド、ムスタファなど、いくつかの名前を使用した。「最初の6ヵ月ほどは何度も拷問され、たくさんの質問を受けた。その後はもう少し扱いが良くなった」。

目隠しされ、手錠をかけられ、足かせをされて手にくさりでつながれた。あるいは12〜13時間、立ったままで閉じ込められた後に、1時間以上尋問された。

24〜30時間後、やっと手洗いに行くことを許された。3〜4分おきに、腕でぶらさげられたこともある。ある時期、塀のそばに掘られた井戸に4〜5日監禁された。あとで、井戸の中の部屋は、無人偵察機などの空からの攻撃から隠れるためのものであることがわかった。

「無数の質問を受けた。『ブラックウォーターのセンターはどこにあるか。無人偵察機のセンターはどこか』。イスラマバードの米大使館についても聞かれた。アフガン政府の諜報組織の場所も聞かれた。私は知らなかった」。

アラブ人たちは自分たちだけで生活し、活動しているようだったが、パキスタンの過激派組織と関係があることもわかってきた。ある時点で、パキスタンの村から谷にある別の村に連れて行かれ、地元パキスタン人との連帯があることがわかった。

あるとき、2人のパキスタン人タリバンでパシュトウ語を話す男たちが、彼の見張りになった。「パキスタン人たちは、アラブ人がいることを熟知していた。というのは、このアルカイダのグループには、パキスタン人タリバンがたくさんいた」という。

6ヵ月後、もう1人の囚人がカーテンを隔てて拘束されていた大きな部屋に移された。「当初、彼はヘラートのビジネスマンかと思った。しかしその後、イラン人外交官であることがわかった」という。

一緒に拘束されていたのは、ペシャワルのイラン領事館のヘシュマトゥッラー・アタルザデであることがわかった。彼はファラヒの2ヵ月後に拉致された。その後1年間2人は一緒に監禁されたが、去年3月になって、アタルザデが解放された。

話を交わすことを禁じられたが、時折こっそり話すこともできた。アタルザデも、彼と同じような結論に達していた。アルカイダは政府から仲間を釈放させるために、自分たちを拉致したのだ。

パキスタン政府関係者は、イラン政府はアルカイダと直接交渉してアタルザデの解放に至ったという。あるパキスタン人関係者は、イラン政府は彼と引き換えに対空ミサイルを提供したと語った。

治安関係者は、アイフル・アディルなどのアルカイダ幹部やアルカイダメンバーの家族と人質交換したと述べた。その頃、ビンラディンの娘と息子が、イランから出国することを許されたと言われる。パキスタン人関係者によると、アタルザデの自由と引き換えに、彼らは自宅軟禁が解かれたという。

イラン人が解放されたことで、ファラヒも希望を持った。6ヵ月後に彼は解放され、コハート近くの国境に置き去りにされた。何か取り引きが行なわれたのかどうかは知らないというが、アフガン政府関係者は、金と引き換えだったことをほのめかした(後略)。

hoonAfghan Tells of Ordeal at the 'Center of Al Qaeda'
CARLOTTA GALL、KABUL

■レイモンド・デイビスのスパイ「サガ」の背後[110301 BBC]

米関係者によるパキスタン人2人の射殺事件は、大きな外交問題に発展した。慰謝料やCIAのスパイの噂が飛び交うなか、『BBC』のイリアス・ハーンがラホールを訪れたところ、犠牲者の問題が宗教過激派や政治組織に利用されている様子が浮き彫りになった。

2011年1月27日に、米国人がパキスタン人男性2人を射殺した。そこのところまでは、わかっている。彼の名前はレイモンド・デイビスであるが、パキスタン人たちは、それが本名かどうか疑っている。米国は、大使館職員だと主張する。匿名の米政府関係者は、CIAの請負人だったと発言している。

射殺された2人の男性は、18歳のムハンマド・ファヒームと23歳のファイザン・ハイダルである。デイビスによると、2人はバイクに乗り、赤信号のときに彼の車の傍らに寄り、銃を突き付けた。自己防衛のため両者を射殺したという。直後に米大使館所有の2台目の車が現場にやってきて、通行人に追突して殺害した。

《慰謝料》

ラホールに行くと、過激派組織が犠牲者の家族に、アメリカからの慰謝料の提供を拒否するように説得していた。問題を継続させるためで、パキスタンにおける反米感情を刺激するのに好都合である。

しかし先週、パキスタンの新聞のなかに埋もれた事件があった。何者かが男性の家に侵入してきて、毒を飲み込ませようとした事件である。

問題の男性は、レイモンド・デイビスに射殺された未亡人の叔父、ムハンマド・サルワールである。

夫の死後、カンワール婦人はファイサラバードの叔父の家で暮らしていた。直後にネズミ駆除の毒を飲み、自殺した。息を引き取る直前、政府がレイモンド・デイビスを裁くことに期待できないために、自殺したいと述べた。

カンワール婦人が自殺する前日、私はラホールの彼女の親戚と一緒にいた。家族の男性が、パンジャーブを拠点とする有名な過激派組織のメンバーだと自称する、2人の客人の話を静かに聞いていた部屋に同席した。

男性の1人が地元の新聞を広げたが、そこにはファイサラバードにいるカンワールの家族が、レイモンド・デイビスを許すことと引き換えに、慰謝料を受け取ることを考えているという記事が載っていた。彼は新聞をたたみ、「このような報告があと2つ出たら、これまで我々が苦労して築きあげた民衆の支持が、すべて無駄になる」。「シュマイラの家族にすぐ接触して、その記事を否定するように言ってほしい。我々は白人をつかまえた。彼を逃がしてはならない」。

男たちが換える前、新聞を持った男が聞いた。「我々の組織に、何かことづけはないのか」。「まだ慰謝料の話は受けていない。しかしあったとしたら、受け取らない」と、家族の1人が答えた。

これらのできごとは、家族がレイモンド・デイビスの問題を法廷外で解決するのをやめるように、圧力をかけていることを示す一例だ。パキスタンの法律のもとで、犠牲者の遺族は慰謝料と引き換えに、殺人者を許すことを認める。

《パンジャーブは認めず》

デイビスに外交官ビザを支給したパキスタン政府は、彼を釈放して外交問題に終止符を打つかのように見えた。

ギラニ首相は、慰謝料で問題を解決することが選択肢にあることを臭わせた。しかし政府の意図は、ジャマット・ウッダーワやイスラーム神学者協会のような、原理主義宗教組織により妨害されている。これらの組織は抗議運動を行ない、「レイモンド・デイビスが裁判にかけられてパキスタンで起訴されなければ、大掛かりなデモを行なうと脅迫」していると、ラホールを拠点とするアナリストのハッサン・アスカリ・リズビ博士が語る。

さらに別の思惑が加わる。パンジシャーブ州政府の考えも、「イスラーム主義者の考えに大きく偏っている」とアスカリ博士は語る。パンジャーブを支配するPML-Nは、「人々の意気があがっていて、連邦政府の味方にならない」ことを知っている。

パンジャーブ法務大臣のラナ・サナウッラーはかつて、連邦政府がレイモンド・デイビスの外交官特権に関して「混乱を作り出している」と非難した。

さらにメディアの一部もこれらの勢力に加わり、「パキスタン政府の奴隷的な志向性を暴露」しようとしている。従って地方政府と中央政府の間には、大きな亀裂がある。

《動機?》

ムハンマド・ファヒームの兄のムハンマド・ワシームは『BBC』に、1月27日直後に現場に直行して目撃者と警察に会い、何が起きたのか聞き出そうとした。「デイビスの車は小さな事故を起こした。バイクに乗った弟と友人が事故を見て逃げようとしたデイビスを止めようとした。追ってマザン・チュンギ交差点で赤信号で止まっているところを追いついた」。

2人ともピストルを持っていたために、デイビスが主張していた自己防衛は信憑性があるように見えた。裁判所に提出された警察の報告書によると、男たちが持っていた銃はどちらも撃鉄が起こされておらず、デイビスの身が危険にさらされていなかったのに行動していたことがわかる。しかし報告には、デイビスの動機を明らかにしようとしていない。

ラホール警察責任者のアスラム・タリーンは、「動機に関しては何も出てきていない。デイビスは自己防衛を主張し、我々はそれを調査している」。

もうひとつの、一見動機の見えない攻撃は、サルワールに対するものである。彼は警察に、3人の男が家に押し入って殴られ、毒を口に入れられそうになったという。家族も警察も、犯人たちの動機を明らかにしていない。慰謝料と関係があるのだろうか。

ひとつだけ明らかなことがある。今後もさまざまなことが起き、国内外で説明のできない、いやな事件が起きるだろう。

smellBehind the scenes of Pakistan Raymond Davis 'spy' saga

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.