【2011年5月2日〜5月8日】


■ビンラディンの暗い、限定された世界における極秘生活[110507 New York Times]

(前略)ビンラディンが殺害された夜、彼は一番若い妻であるアマル・アフマッド・アブドゥルファタと一緒にいた。彼女のイエメンのパスボートから、29歳であることがわかる。

この妻は夫を助けようとして、奇襲部隊に足を撃たれた。米関係者の裏付けはないが、12歳の少女が、自分はビンラディンの娘で、米国人が父親を撃つのを目撃したと諜報関係者に述べたという。世話人が殺害されたときに巻き添えになり、別の女性が殺害されている。パキスタン人元諜報関係者によると、この女性はアラブ人医師だったという。

(中略)これまでビンラディンは人工透析を受けていたと伝えられているが、先週パキスタンの取調官が発表したことによると、最年少の妻が、彼は健康であったと語ったという。「病弱でもなく、衰弱もしていなかった」という。10年かそれ以上前、アガニスタン南部で受けた治療により、腎臓は完全に治ったという。スイカを含む、自家製の薬のおかげだそうだ。

(中略)米関係者たちによると、この5年間、ビンラディンは1年に約6本のオーディオメッセージをアボタバードの家の中で録音した。これをCDか小さなドライブに保存し、世話役から世話役に受け渡され、最終的に「アス・サッハーブ」に届けられた。ここでビンラディンの写真を付け、翻訳やクルアーンなどからの引用などが付け加えられて、ジハード組織のウェブサイトに掲載されたり『アルジャジーラ』などにも届けられたと思われている(後略)。

hoonBin Laden's Secret Life in a Diminished, Dark World
ELISABETH BUMILLER, CARLOTTA GALL and SALMANMASOOD、WASHINGTON

■アボタバードの本当の主婦[110506 Time]

(前略)2002年にビンラディンの妻のアマルがサウジの女性誌『Al Majalla』に、彼女がいかに9.11以後にアフガニスタンから脱出してイエメンに帰国したかを語った。「アメリカがアフガニスタンを爆撃し始めると、子供たちの一部と山中に移り、約2ヵ月間洞窟で暮らした。そのうち彼(ビンラディン)の息子の1人が部族民の一団を連れてきて、私たちを一緒に連れ出した。パキスタン政府に引き渡されるまで、パキスタンに行くということは知らなかった」という。

『Time』が行なった、アフガニスタンでビンラディンを個人的に知っていて、その家族がビンラディンの内部組織に属していたあるアラブ人女性とのインタビューも、このことを裏付けている。9.11以後、ビンラディンの首脳陣たちは家族と別れることにした。「家族は直ちにアフガニスタンを去ることになった」。「女性や子供たちが捕まることを望まなかった」という。しかしイエメンにいるビンラディンの元腹心の中には、アマルは実家に辿り着かなかったと語る者もいる。

当時19歳だったアマルがパキスタン政府に引き渡されると、彼女と娘のサフィーヤは釈放されて、イエメンの首都サナから近いイッブに帰ることが許された。

しかしビンラディンはその後アマルと彼女の子供たちを、パキスタンに呼び寄せた。『Al Majalla』とのインタビューで、彼女がビンラディンのもとに戻るかどうか問われると、「どうだかみてみましょう」と、返事をしている。

(中略)CIAの対テロリズムセンターの元責任者、ロバート・グレニアは、パキスタンはアマルの出国を許可しておきながら、彼女が帰ってきたときに気がつかないはずがないと語った(後略)。

smellThe Real Housewife of Abbottabad: What bin Laden's Spouse Knows
TIM MCGIRK

■部族地帯で米無人偵察機、15人殺害[110506 AP]

ビンラディン殺害のあと、アメリカが初めて無地偵察機の攻撃を実施し、15人を殺害した。

北ワジリスタンで、外国人過激派を乗せた車が狙われた。道路に沿ったレストランの近くを車輌が走行しているところに、偵察機がミサイル8発を発射して、外国人過激派を含む15人が殺害された。ミサイルがレストランと近くの民家も破壊し、一般市民が少なくとも1人死亡したという(後略)。

hoonUS drone attack kills 15 in Pakistan tribal area
RASOOL DAWAR、PESHAWAR

■タリバンとアルカイダ、戦友[110505 Asia Times]

南ワジリスタンのワジール族指導者のナジールは、NATOから「最悪の敵」と見られている(中略)。しかしタリバンとの和解プログラムの中では、NATOとアメリカはナジールを「良い」タリバンと見ている。

ムッラー・ナジールまたはモーラビ・ナジールが、初めてインタビューに応じた(中略)。これまでナジールは、例外をのぞいて、南ワジリスタンにいるパキスタン軍に歯向かったことはない。TTPに対して作戦を実施したときも、彼は中立の立場を取った。

2007年にはパキスタン軍に抵抗するウズベキスタンイスラーム運動のメンバーに対する虐殺を首謀し、ウズベク人250人が殺害され、数百人が南ワジリスタンから逃走した。

ナジールの拠点は南ワジリスタンからパクティカ、ザーブル、ヘルマンドからカンダハルに至る(中略)。CIAはこれまで何度も無人偵察機でナジールを狙い、2008年には負傷してあわや殺害されるところだった。

(中略)「良いタリバン」と和解計画を進めようとしているアメリカとNATOは、ナジールとアルカイダの関係に気づかないようだ。「われわれは、アメリカ人たちの話し合いの恩恵を被っているが、今は話し合いの時期ではない」とナジールが語った。「アメリカ人たちは息をつこうとしているが、我々はそれを許さない」。「現在、対話する理由がない。対話はNATOがアフガニスタンから撤退して初めて可能になる」。

(中略)「アルカイダとタリバンはひとつだ。作戦上の戦略は異なるかもしれない。しかし政策上は同じだ」。「しかし、あなたは反アルカイダではないのですか。以前南ワジリスタンからウズベクイスラーム運動を追い出したのではないですか」と訊ねると、ナジールは真面目に答えた。「私が反アルカイダだというのは間違いだ。私はアルカイダの一部である。我々とウズベク人の間のことは内部分裂であり、誰かのために行なったことではない」。

ナジールによると、ウズベクイスラーム運動指導者のタヒール・ユルダシェフが2009年に無人偵察機で殺害されたあと、ナジールとウズベク司令官たちは再び仲直りしたという。

「最後の日には、すべてのムジャヒディンがひとつになり、ジハードはアフガニスタンに留まることはない。まだまだ先がある。アラブ世界の独裁者な王族たちは犯罪者だ」(中略)。

タリバンとの和解に関して話を戻した。「タリバンの代表事務所がトルコにあり、タリバンが話し合いに応じたとメディアが報道している」。「私は一戦士にすぎない。しかしわかっていることは、NATOはタリバンに対して良い意図はない。トルコの事務所は、タリバン組織やその活動を偵察するための陰謀にすぎない。オマール師に忠実な司令官は、このような罠には陥らない」。

「春の攻撃には、新たな計画があるのだろうか」という質問に対しては、「対話」だと、ナジールが答えた。「我々はアフガン国軍との対話を開始した。さまざまなレベルでの対話だ。我々は、今後できるだけアフガン人を殺害しないようにする」。

「つまり国防省や内務省と話し合いをしていると?」「違う。政治家との取り引きはない。これは両野戦司令官の間の話し合いだ。このインタビューの前に、アフガン軍の重要な司令官からのメッセージを受け取った。私と話したいという。我々は、外国人と戦えるように放っておいてほしいと頼んでいるだけで、彼らもそれに同意している。ときには協力してくれることもある」とナジールは語った。

北部同盟に関して訊ねると、「彼らは最初熱狂的だったが、彼らも何らかの犠牲を払わなければならないと強調した。そうしたら、あきらめた」。北部同盟の何人かも、今後のことをタリバンと話し合いたがっているという。

「パンシールのファヒームなどの司令官も、その中にいる。オマール師が率いる将来の政府を認めるという案が出てきた。その中で北部同盟は、二番目の勢力になる」。「我々は彼らの申し出を受入れ、彼らに政治内の地位を与えることに異論はないと述べた。でもそのためにはまず現職から退き、外国の占領と戦うために、タリバンに協力しなければならないと言ったら、あきらめた」。

「しかし、彼らだけではない。去年外国人たちからも、背面下で申し出があった。ヘルマンド州の英軍がタリバンにメッセージを送り、すべての大きな作戦は米軍が行なったものであり、我々が英軍を攻撃しなければ、英軍も我々を攻撃しないというものだ」(後略)。

hoonTaliban and al-Qaeda: Friends in arms
Syed Saleem Shahzad、WANA

■ビンラディン、「同じ家に5年間」と妻[110505 BBC]

ビンラディンの妻が、自分たちはアボタバードの建物に5年間住んでいたと述べたと、パキスタン軍関係者が語った。

月曜日の襲撃後に逮捕されたビンラディンの3人の妻のうちの1人が、自分たちはその間一度も外に出たことがないと言っている。この関係者によると、13人の子供が一緒に保護されたという。

(中略)パキスタン軍関係者によると、ビンラディンの3人の妻を拘束し、その1人はイエメン人だという。残りの2人に関しては明らかではない。

イエメン人の妻が語ったところによると、自分たちは5年ぶりに部屋から出たと述べ、夫も同じ期間ここにいたという。妻が、ビンラディンも彼女と同様建物内にずっといたのか、あるいは外出したか語ったかは語らなかった。

妻は襲撃の際撃たれて気を失ったが、その時点ではまだビンラディンは生きていたという。後に彼女の娘が彼女に、父親が撃たれるのを目撃したと語ったという。

パキスタン軍は女子2人と男子11人の合計13人の子供を保護したが、そのうちの何人がビンラディンの子供なのかはまだ明らかではない。

hoonBin Laden 'in same house for five years, says wife'

■パキスタンは何を知っていたのか[110505 BBC]

パキスタンは、アメリカがビンラディンをアボタバードで殺害するまで、本当にビンラディンの居場所を知らなかったのか? どうしてアメリカのヘリコプターは、察知されずにパキスタンの国内奥深くに入り込んだのか。

「我々が彼らがやってきたということを初めて知ったのは、デュランド・ラインを越えたときだった」と、諜報関係者のアヤーズが語った。アヤーズは本名ではない。

「低空飛行しているヘリコプターが4機いた。すぐにプロトコールが始まり、ジェット機がスクランブルをかけたが、アメリカが最高司令部に連絡をしてきたために、戻った。グリッドを送ってきて、『非常に重要』な標的を追跡していると言った。このようなことが起きると、ある特定のプロトコールがある。我々は外から監視しながら、彼らが仕事をする。我々はそこに何があるのか、はっきりつかんでいなかった」。

アヤーズは、アメリカがパキスタンのレーダーを妨害したという主張を否定した。「これらのヘリは、非常に低空飛行すれば、機影が映らない。しかし、直接見るできる。事実飛行しているのが見え、警告が出た」。

アヤーズは、パキスタン政府関係者は米国人たちがアボタバードの近くの山中の隠れ家を襲撃すると思っていたという。「町中だとは、全く思っていなかった」。誰もがそう思っていた。ビンラディンが諜報組織の鼻の下にいるなど、誰も思わなかった。

パキスタンの治安関係者は、諜報情報の過ちだったというが、ほとんどの人はこれを信じない。

諜報関係者によると、あの場所は、隠れるには不適切な場所だという。「彼があそこに住んでいたとしたら、長くは住まないはずだ」と、別の治安関係者マフムードが語る。「ビンラディンを追跡した人なら、彼がひとつの場所に数週間以上は留まらないことを知っている」。「それが、彼が安全でいられる鍵だった。当然人々は噂し、彼に関する情報が漏れる」。

アヤーズも同意する。しかし、別の理由からも、あの隠れ家が不適当である。「あの家をみてほしい。遠くからでも目立つ。アボタバードを知っているなら、いかに小さな町であるかもわかるはずだ」。「誰もが、相手のことを知っている。怪しい人間は、調べられる。警察の仕事だ。家について知りたければ、地元の警察に聞けばいい」。

さらにもしオサマがISIに匿われていたとしたら、ここに彼を置くはずがない」と、彼は反論する。「彼を都市部に置いておきたいなら、もっと守られた、安全な場所がある。もしISIがオサマを保護し、ここに匿っていたとしたら、その責任者は裁かれるべきだ」(後略)。

smellBin Laden killing: What did Pakistan know?

■内部抗争でオサマ殺害されるとサウジ紙[110505 News]

権力をめぐる内部抗争の結果、米軍をビンラディンに導いたのはザワヒリだと、サウジの新聞が報じた。

『Al Watan』紙が「地域の情報源」の情報として、アルカイダの2人の幹部の間には考え方の違いが生じ、アメリカをビンラディンに導いた世話人はザワヒリのために動いていたと報道した。

世話人はパキスタン国籍で、アメリカが疑っているようにクェート人ではないという。男は米軍に追跡されていることを知っていたが、知らぬふりをしていた。「実際には組織を動かしているのは、アルカイダのエジプト人部門だ。2004年にビンラディンが病気になってからは、彼らに完全に支配されている」という。

ザワヒリの一派が部族地帯からアボタバードに隠れるようにビンラディンを説得し、最終的に米奇襲隊により殺害された。

アルカイダのエジプト人メンバーのサイフ・ウル・アデルが去年の秋にイランから戻ると、エジプト人たちはサウジ生まれのビンラディンを追放しようと計画したと、『Al Watan』が報じた。

smellInternal rift led to Osama killing: Saudi paper
RIYADH

■パキスタン、貸しを作る[110504 Asia Times]

米政府関係者は、月曜日に行なわれたビンラディン殺害に関して、パキスタンはほとんど関与していなかったと述べた。

しかし治安関係者の情報源によると、アボタバードで実施された作戦はパキスタンとアメリカの協力のもとで実施され、後方支援はすべてパキスタン国内で行なわれたことは疑いないという。

しかしパキスタン軍は、作戦が重要な容疑者を標的としたもので、それがビンラディンであるということは、完全に知らなかった。

ビンラディンを捕らえるための作戦は、インドネシア人のアルカイダ工作員のウマル・パテック逮捕の時と似ていた。

従ってパキスタンの諜報組織がアメリカの戦闘ヘリコプターがタルベーラ・ガジからアボタバードに飛ぶことを許可したとき、パキスタン人たちはウマル・パテックの仲間を逮捕するのだとばかり思っていた。

ヘリコプターに許可を与えると、アボタバードのパキスタン治安軍には注意が促され、アメリカの作戦に対して全面協力を提供することが命じられた。

2008年に、限定的ではあったが、タルベーラ・ガジにアメリカが基地を置くことが許可された。40分間の作戦のあと、パキスタン政府はビンラディンの遺体がアラビア海に沈められたことを知らされた。その後パキスタン軍がビンラディンが住んでいた敷地内に入り、掌握した。

(中略)ビンラディンが殺害されるまで、親タリバン過激派の10%だけがパキスタンと戦っていた(中略)。しかしビンラディンの死で、すべての過激派が団結するだろう。

たとえば、TTPはすぐにビンラディンの死に報復する声明を出した。月曜日にはハイバル・パフトゥンフワ州の警察に対して、自爆攻撃があった。TTPが犯行声明を出した(後略)。

smellPakistan has a price to pay
Syed Saleem Shahzad、ISLAMABAD

■なぜ米はパキスタンの諜報組織を疑うか[110504 Reuters]

2003年か2004年に、パキスタンの諜報組織が過激派の世話人と思われる人間を、アボタバードの家まで追跡した。そこでこの世話人は、指名手配になっているアブ・ファラージュ・アルリビと接触すると思われた。ハリッド・シェイク・ムハンマドを引き継いだ人間である。ISIはこの家を捜索したが、アル・リビを見つける事ができなかったと、パキスタンの諜報関係者が今週になって『ロイター』に語った。

元パキスタン大統領のムシャラフが彼の備忘録に、世話人を取り調べたところ、アル・リビがアボタバードで3軒の家を使用していることを暴露したという。これらの1つは、アメリカがビンラディンを殺害した家と同じだった可能性があると述べた。

なかなかいい話だ。しかし本当か? パキスタンの外務省は今週になって、この以前の捜索を引き合いに出し、テロリズムと戦ってきたことの証拠とした。

しかし、米国防省は2004年に撮った衛星写真から、ビンラディンが殺害された現場はただの畑だったことがわかる。米関係者は、パキスタンの捜索に関しては何も聞いていないと述べた。

パキスタンの外務省は、アボタバードは2003年以来監視してきたという。それならば、なぜ警備されたこの家に何年間も住んでいたにもかかわらず、ISIはビンラディンを追跡できなかったのか(後略)。

smellSpecial report: Why the U.S. mistrusts Pakistan's spy agency
Chris Allbritton and Mark Hosenball、ISLAMABAD/WASHINGTON

■パキスタン人医師、ビンラディンに土地を売却[110504 AP]

(前略)ビンラディンが隠れ家を建てた土地を売った医師によると、購入したのはビンラディンを匿ったパキスタン人で、過激派のようには見えない「謙虚で控えめ」な男だったという。

(中略)ビンラディンの面倒を見ていた男たちの中心は、アルシャッド・ハーンという名前の男で、建物に住んでいた2人のパキスタン人のうちの1人だったと隣人が述べた。『AP』が入手した土地の目録によると、ムハンマド・アルシャッドが2004年と2005年に、4万8000ドルで4回にわたり、隣接する土地を買った。この2人の人間は同1人物のようで、名前は偽名と思われる。

カジ・マフーズ・ウル・ハク医師によると、2005年にアルシャッドに土地を売ったという。購入したのは体格の良い男で、あご髭を生やし、ワジリスタン出身者のような訛があったという。「素朴な謙虚で控えめな男」で、「叔父」のために土地を買うことに「興味を示して」いたという。

アルシャッドは、ビンラディンとその息子を含む、襲撃で殺害された5人のうちの1人である可能性が高い。米関係者によると、ビンラディンが最も信頼していた世話人と世話人の妻と弟も死亡したという。

アルシャッドと世話人がどういう関係があり、同1人物であるかはまだ明らかではない。

米関係者は、世話人をシェイク・アブ・アフマッドと特定し、アブ・アフマッド・アルクウェーティという名前で通った、クエート生まれのパキスタン人としている。東ヨーロッパのCIAの極秘収容所で名前を聞き出し、ハリッド・シェイク・ムハンマドのような9.11アルカイダ容疑者などの幹部から確認した。

この世話人はアルカイダにとって非常に重要な人物で、ムハンマドはこの男に、20人目のハイジャック犯となるべき男の面倒を見させた。この世話人は2001年7月に、カラチのインターネット・カフェでマート・アル・カータニにコンピュータの訓練をして、ムハンマド・アタとeメールで連絡し合うことができるようにした。しかしアル・カータニは覚えが悪く、結局米国の入国官吏に怪しまれて入国できなかったことが、最近発表されたグアンタナモ・ベイの調査に関する書類から明らかになった。

グアンタナモの書類から、この世話人は、2001年12月にアフガニスタンのトラボラからビンラディンと一緒に脱出した一行の1人である可能性も高い。

アルクウェイティは、去年誰かと電話で話したときにアメリカに盗聴された。CIAはアルウェイティを、アボタバードの建物にまで追跡した。

(中略)いっぽうインドネシアは、今年の始めに逮捕されたアボタバードで逮捕された指名手配になっていたテロリストは、ビンラディンに会うために町にいたと述べた。国防省のプルノモ・ユスギウントロの発言から、2002年のバリ島ナイトクラブ爆弾事件で指名手配になっていたアルカイダのパテックの逮捕が、ビンラディンの襲撃と関係があった可能性が考えられる。

パテックはパキスタンのISIが1月25日にアボタバードで逮捕したが、逮捕に関しては3月下旬にリークされた。彼はフィリピン人妻と旅していた。現在パキスタンにいるが、インドネシアに引き渡される可能性がある。

hoonPakistani doctor sold land for bin Laden compound
ZARAR KHAN and NAHAL TOOSI、ABBOTTABAD

■ビンラディンの隠れ家、「アメリカの主張ほど価値はない」[110504 Guardian]

米政府はビンラディンの隠れ家を百万ドル相当の家と説明していたが、アボタバードの不動産屋によると、25万ドル以上はしなかったという。

今ホワイトハウスが発表した、ビンラディンの隠れ家や彼が死亡した経緯などのさまざまなことが、偽りであったことが明らかになった。

火曜日に米関係者は、ビンラディンは殺害されたときに武装し、妻の1人を人間の盾として使ったと主張していたが、後にこれを撤回した。

ビンラディンの隠れ家に関しても、誇張していた。オバマ政権関係者が、建物に関して「高級な郊外」に建てられた「非常に特異な建物」は100万ドル相当だったと主張していた。

しかし静かな軍が駐屯する町であるアボタバードの不動産専門家は、正確ではないと主張した。大きさや家の形から、2005年頃に建てられ、恐らく25万ドル以上はしないという。

(中略)土地を売った医師によると、買ったのはムハンマド・アルシャッドという男性で、この家に住んでいた兄弟の1人との同盟者である。不覚にもビンラディンをCIAに導いてしまった、彼の世話人であると思われる(後略)。

hoonOsama bin Laden hideout 'worth far less than US claimed'
Declan Walsh、Abbottabad

■パキスタン軍、ビンラディンの隠れ家を捜索[110504 New York Times]

パキスタン軍が、ビンラディンがいかにアボタバードに住むようになったか、その状況を調査し始めた。

諜報組織は、かつて一家のために働いたことがある隣の家の住民と、家を建築した建築責任者を含む11人を取り調べているという。また米海兵特殊部隊のチームが殺害した4人の人間の遺体を、保管した。

女性3人と子供9人が家に残されていたが、全員諜報組織に保護された。少なくとも2人はビンラディンと関係があるという。12〜3歳の娘と足を撃たれた妻が病院で治療を受けているが、命に別状はない。

『News』紙が、ビンラディンの妻のパスポートの写真を発表した。パスポートはイエメン国籍で、アマル・アフマッド・アブドゥルファタという名前の1987年3月29日生まれである。24歳であり、ビンラディンよりも30歳年下になる。

関係者は、特殊部隊のチームが去った後に残された4人の遺体の身元を調査している。遺体は兄弟とビンラディンの息子だと、ある治安関係者が述べた。米政府関係者は、殺害された4人目は女性だというが、パキスタンの治安関係者によると、身元不明の男性だという。

2人の兄弟は家の所有者のアルシャッド・ハーンとタリーク・ハーンだという。隣人たちによると、兄弟か従兄弟同士である。当初名前は本名ではなく、身元を偽って偽名で家を買ったと疑われた。

アルシャッド・ハーンはコンピュータ化されていないパキスタンのIDカードを持ち、チャルサッダ近くのタンギ地区にあるハート・クルナ村の出身になっていた。しかしハート・クルナにはアルシャド・ハーンという人間がいる記録はなく、IDカードは偽造されたと思われる。

パキスタンは数年前にIDカードをコンピュータ化した。アフガン難民を中心に、偽造カードが売買されていたからである。

別の関係者によると、アルシャッド・ハーンはビンラディンの信頼のおける世話人が地元で使用していた名前で、アルカイダの組織内ではアブ・アフマッド・アルクウェイティという。名前の語尾が示すように、彼はクエートで育ったパキスタン人で、ハリッド・シェイク・ムハンマドとアブ・ファラージュ・アルリビの信頼された腹心だった。

男たちと建物は、諜報組織に注目されたことがあった。アフガンとパキスタン政府関係者は、数年前にCIAにこの建物について指摘していたという。

パキスタンの外務省のサラーム・バシールが『BBC』に語ったところによると、ビンラディンの隠れ家である可能性があると2009年に指摘していた。しかし怪しい場所は、このほかに「数百万」もあった。

アフガンの諜報組織が『AFP』に語ったところによると、アフガン諜報組織は去年の8月にこの建物に焦点をしぼっていたが、タリバンの幹部司令官のモーラヴィ・アブドゥル・カビールが住んでいると見ていた。

「ビンラディンが住んでいた家は、最初アフガン諜報組織が注目した」という。近くのハリプールの古い難民キャンプに住むアフガン人工作員が、家を偵察したらしい。アフガンが入手した諜報情報は「米国人たちに提供され、彼らは大いに興味を持った」という。しかしアフガンのスパイは、今回の作戦には参加していない。

hoonPakistani Military Investigates Bin Laden's Hide-Out
CARLOTTA GALL、ABBOTTABAD

■ビンラディンの敷地内の3人の遺体の写真[110504 Reuters]

『ロイター』が、アボタバードにあったビンラディンの住居を襲撃したアメリカが、作戦を終えて引き上げた約1時間後に撮られたと思われる写真を入手した。武器を持たず、血の海の中に横たわる3人の男性が映っている。

月曜日にパキスタンの治安関係者が撮った写真には、伝統的なパキスタンの服装をした男性2人と、Tシャツを着た男性が映され、耳や鼻、口から血が流れ出ていた。

関係者が、写真を『ロイター』に売った。

3人とも、ビンラディンではない。オバマ大統領は、ビンラディンを写真を公表することを中止したと述べ、暴力を引き起こしたりアルカイダのプロパガンダツールとして利用される恐れがあると述べた(中略)。

写真のタイムスタンプによると、最初の写真は午前2時半に映されている。ビンラディンが殺害された作戦が終了した、約1時間後と思われる。

他の写真は午前5時21分と6時43分の間に撮られ、敷地の外のゴミの山や、アメリカが放棄したヘリコプターの残骸が映っている。尾翼が普通のものではなく、これまで知られていない性能を持つ可能性がある。

『ロイター』は、襲撃の際に破壊されたヘリコプターの細部を検証した結果、これとは別に月曜日に撮った写真と比較し、同じであることが判明したために、購入したこれらの写真が本物であると確信している。一連の写真は同じピクセル数のもので、偽造された可能性がない(中略)。

至近距離から撮った写真に映された男性の遺体には、武器が見られない。しかし写真は中距離から撮られているため、男性の手や腕が映されていない。

写真のうちの1枚の横たわる男の遺体の右肩の下に、コンピュータのケーブルや、子供のプラスチック製の緑とオレンジ色の水鉄砲と思われるものが見られる。彼の頭の下には、血が大きくたまっている。

2人目の男性は、鼻の右の頬の上から血が流れ、胸には大きな血痕がある。

Tシャツを着た3人目の男は血の海の中で仰向けに倒れ、頭に傷を受けたと思われる。

アメリカは火曜日にビンラディンが武器を持っていなかったことを認め、ワシントンが国際法を犯したと非難されている(後略)。

garrPhotos show three dead in bin Laden compound
Chris Allbritton、ISLAMABAD

■オサマのイエメン人妻のパスポート写真、発見[110504 News]

『Geo』ニュースは、ビンラディンのイエメン人妻のパスポート写真を入手した。

アラブのテレビ局が、アマル・アフマッド・アブドゥル・ファテは、ビンラディンの妻だという。

情報源によると、作戦の際、ビンラディンの息子のイブラヒムも殺害され、娘2人が負傷した。娘たちは取り調べを受けるために、ある場所に連れて行かれたという。

また情報源によると、オサマの住んでいた建物は2つの部分に分かれていた。アルシャッドとタリークという兄弟が、同じ敷地内の別の建物に住んでいた。2人は兄弟だったという。

hoonImage of Osama's Yemeni wife passport received

■オサマ、米軍に殺害されたのか? それとも自分の護衛?[110504 Dawn]

日曜日にビンラディンが息子と3人のボディーガードとともに殺害され、アメリカの世紀の大追跡が終わった。

情報によると、ビンラディンは抵抗したために頭に一発を撃ち込まれたというが、ある関係者は、捕まることを恐れて事前に撃ち合わせていたように自分のボディーガードに殺された可能性があるという。「銃撃戦があった現場の状況を見て、抵抗しながらそのような至近距離から殺害されたとは思えない」と、アメリカの襲撃隊が引き上げた直後に現場を訪れた関係者が述べた。

(中略)関係者によると、夜中の12時半頃にヘリコプターが現場上空を旋回していた(中略)。襲撃に関与していた2機のヘリコプターのうちの1機は作戦の最中に墜落したが、ロケット弾に撃たれたり地上から撃墜されたような証拠はなかった。「ヘリコプターが撃墜された証拠はない。残骸を見ると、墜落したようだ」。

ただ、銃撃戦の最中に大きな爆発音が聞こえ、おそらく襲撃隊が作戦を終えて引き上げた際に、ヘリコプターを爆破したと思われる。

敷地内に横たわっていたビンラディンの護衛の1人の遺体は、アフガン人か部族民だった。

残りのビンラディンの2人の護衛の遺体は、建物内に残されていた。興味深いことに、アメリカの襲撃隊はビンラディンの遺体を持ち去ったが、女性や子供多数を残していた。

殺害された者のうちの1人は、ビンラディンの息子だった。

これらのことから、これまでアルカイダ指導者は重装備の頑強な戦闘員に囲まれているという神話が崩れさった。

ビンラディンの2人の妻は両方とも50代の始めで、そのうちの1人はイエメン人である。3人目の妻は負傷し、軍の病院に連れて行かれた。

また全部で子供が9人残され、男女2歳から12歳である。子供たちの中には、ビンラディンの娘の1人の11歳の女の子がいた。女性や子供たちは、パキスタンの治安部隊が保護している(中略)。「片言の英語を話す女性の1人によると、敷地には数ヵ月前に移ってきたと述べた」と、この関係者が述べた(後略)。

smellWas Osama killed by US troops or his own guard?
Ismail Khan、PESHAWAR

■パキスタン、ビンラディンの諜報が失敗したことを認める[110503 BBC]

パキスタンのISIが、ビンラディンが住んでいたアボタバードの敷地は2003年に捜索したと述べた。しかしそれ以来「我々のレーダーから消えた」という。

(中略)また新たな情報としては、ビンラディンの若い娘が、父親が射殺されるのを目撃したと述べた。

(中略)ISIの関係者が語ったところによると、2003年に建物がまだ建築中のときに捜査したという。アルカイダ工作員のアブ・ファラージュ・アルリビが住んでいたと思われた。しかしその後「建物は我々のレーダーから消えてしまい、ISIにとっては大きな恥となった」という。「我々は良くやるが、神ではない」。

(中略)また新たな情報やこれまでと違った情報としては次のようなものがある。

・攻撃された当時敷地内には17〜18人いた。 ・米国人は1人の人間−−ビンラディンの息子の可能性がある−−を生きたまま連れ去った。 ・生き残った人間は妻と娘の他にビンラディンの子供ではない8〜9人の子供がいて、全員手を縛られていた。 ・生存したイエメン人妻によると、数ヵ月前に建物に移った。 ・12〜3歳のビンラディンの娘が、父親が射殺されたのを目撃した。

関係者によると、米国人たちは建物にいた全員を連れ去りたかったが、ヘリコプター1機が破損したために、諦めなければならなかったという。ヘリコプターは、特殊部隊により破壊された。

ホワイトハウスの対テロアドバイザーのジョン・ブレーナンが、パキスタン軍が米海兵シールのチームが襲撃できないように妨害するかと心配したが、そのようなことはなかったと述べた。ISIは、「我々は全く知らなかった。我々が反応する前にやってきて、出ていった」と述べた。

アボタバードの近くの住民によると、攻撃がある1時間前にパキスタン兵がやってきて、電気を消すように頼んだという。しかしISI関係者はこれを否定して、襲撃のことは事前に知らなかったと述べた(後略)。

hoonPakistan admits Bin Laden intelligence failure

■パキスタンでの襲撃後、世界はこれまでより「安全」とオバマ[110502 New York Times]

(前略)オバマと国家安全アドバイザーたちが、作戦が行なわれる様子をホワイトハウスで監視していたという(中略)。もっとも緊張したのは、建物に米軍兵士を運んだヘリ2機のうちの1機が、目的の建物がある敷地に着陸する際に墜落したときだった。作戦のあと、墜落したヘリコプターは爆破され、予備のために用意されていた2機のうちの1機が呼ばれた。作戦には、奇襲部隊兵士79人と犬1匹が参加した。

作戦後1日たったあとも、まだすべてが明らかになっていない。ビンラディンと一緒に敷地内で暮らしていたビンラディンの妻の1人が、戦いの後、彼の遺体を確認したという。CIAのアナリストによると、遺体はDNA鑑定の結果「ほぼ100%」ビンラディンと彼の家族のメンバー数人のものであることが確認できたという。

(中略)40分にわたる作戦で、ビンラディンのほかに3人の男性が殺害された。そのうちの1人は彼の息子で、残りは彼の世話人だったという。ビンラディンを守ろうとして女性が殺害された。ビンラディンの妻とも、そうではないとも言われる。その他に2人が負傷した。

深夜のオバマの声明によると「米国人の犠牲者はなく」、銃撃戦のあとビンラディンを殺害し、遺体を確保したという。

(中略)遺体はイスラームの習慣に基づいて清められ、白いシーツで包み、重りをいれた袋に入れたという。北アラビア海上でCarl Vinson航空母艦の上で、アラビア語に訳された宗教的な説が朗読され、遺体はボードの上に乗せたあと「海に沈めた」という。元々作戦はビンラディンを逮捕することだったが、抵抗することは予測されていた。「生きて逮捕できればそうした」。殺害したことで、裁判にかけられる可能性がなくなった。

米諜報関係者によると、一行はビンラディンの隠れ家から多数の書類や資料を押収し、CIAが今後これらを調べていくという。

(中略)ウィキリークが暴露したグアンタナモに収容されている囚人のファイルから、今回の新たな動きのきっかけとなった諜報情報が明らかになった。

2006年9月にCIAの極秘収容所からグアンタナモに移送されたリビの告白に関する資料には、UBLのイニシャルを用いて、ビンラディンの世話人との接触に関して語られている。これらの文章に添えられた注から、2005と2006年に行なわれた、CIAのリビに関する取り調べであることがわかる。

「2003年7月に拘束者はUBLの世話人、マウラヴィ・アブダル・ハリーン・ジャンから彼の手紙を受け取り、献金を集め、旅を計画し、パキスタンにいる家族に資金を分配する仕事を管轄するように依頼された。拘束者は、UBLとパキスタンにいる他者たちとの間の公式なメッセンジャーに任命された」という。

このファイルでは、当時リビはアボタバードで活動していたと分析され、「2003年中頃、拘束者は自分の家族をパキスタンのアポタバードに移動させ、アボタバードとペシャワルの間を行き来していた」という。

この部分の注釈には、2005年5月にリビは「パキスタンの居住地域での便宜を計り、UBLと外部世界とのコミュニケーションを管轄していた」と書いてある。「海外のアルカイダと接触し、アルカイダのメンバーから資金や人材を確保していた」という(後略)。

ohObama Calls World 'Safer' After Pakistan Raid
STEVEN LEE MYERS and ELISABETH BUMILLER、WASHINGTON

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.