【2011年8月15日〜8月21日】


■ハッカーニと和解可能とパキスタン[110818 AP]

パキスタン軍が、ハッカーニの組織と和解することができると述べた(中略)。パキスタン軍幹部関係者によると、パキスタンはこれまでジャラウディン・ハッカーニとのパイプを保ち続けてきたと述べた。

(中略)パキスタン政府関係者によると、ハッカーニの拠点に対して軍事作戦を実施した場合、部族地帯全体が戦場となり、パキスタン軍は勝利することはできないという。

これまでハッカーニの組織をどう扱うかで、パキスタンはアメリカと対立してきた(中略)。アフガニスタン東部の同盟軍司令官のダニエル・アリン中将は、オマール師を退けて、ハッカーニ組織を「ナンバー・ワンの敵」と呼んだ。

火曜日のアメリカは、ハッカーニ組織の司令官であるサンギーン・ザトサン師をテロリストと指命して、アメリカにある彼の銀行口座を凍結し、米国人が彼とビジネスをすることを禁じた。

アリンは、パキスタンにあるハッカーニの隠れ家に関しても不平を現す。「ハッカーニの残虐な戦略や彼が数百人のアフガン人を殺害していることを考えれば、パキスタンが彼と和解しようということや彼らの拠点がミランシャーにあることなど、信じられない」。

北ワジリスタンのミランシャーにあるハッカーニのマドラッサは何度も無人偵察機に攻撃され、抵抗勢力が殺害されている。それでもいまだに多数の抵抗勢力が比較的自由にうろついている。アラブ人アルカイダ戦闘員や、ウズベクイスラーム運動の活動家などもいる。

アメリカやNATOは、アフガニスタン東部にさらに多数の兵士を配置する準備をするとともに、パキスタンにもハッカーニの拠点に対して軍事作戦を実施するように要求している。デビッド・ペトラウス将軍はアフガニスタンを発つ前に、ハッカーニのアフガン側の拠点がある東部に対する攻撃を今後激化すると表明した。

しかし欧米政府関係者によると、ハッカーニの組織は軍事的に排除することはできないという。欧米軍に関係する関係者によると、パキスタン兵は訓練をほとんど受けておらず、兵器も貧弱である。北ワジリスタンのミランシャーに対する軍事作戦は、一時的にはハッカーニの行動を妨げるかもしれないが、敗北させることは不可能だという。

また、ミランシャーのハッカーニの拠点を攻撃するように圧力をかけているのは、抵抗勢力を話し合いの場に引き入れるための、アメリカの作戦の一部でもあるという。

(中略)ハッカーニと和解できると主張するパキスタン軍関係者も、彼らが話し合いに応じたとしても、彼らに何を提供できるかはまだわからないと語った。

アフガニスタンの和平委員会代表のムハンマド・イスマイ・カセミャーは、「ハッカーニとは取り引きしない」という。彼らに提供できるのは、身の安全に対する保証と、「アフガン国民全員に与えられる権利」だという。それと引き換えにハッカーニは、アルカイダを非難しなければならないと語った。

hoonPakistan says it can bring Haqqani to peace talks
KATHY GANNON、ISLAMABAD

■パキスタン、無人偵察機に拒否権を要求[110817 Asia Times]

パキスタンの文民政府と軍指導者が、アメリカの無人偵察機の攻撃に対する拒否権を要求している。(中略)パキスタンがアメリカと抵抗勢力に対する戦いで協力しあうためには、拒否権に関する政府間の合意は不可欠だという。

(中略)パキスタンの元軍事指導者や外交官によると、CIAは長年無人偵察機による戦争をパキスタンで実施することを許されていたが、ごく最近になってパキスタンはこれに抵抗し始めた。

ムシャラフ元大統領は、政権の座についていた2004年から2007年の間、無人偵察機がパキスタン国内を攻撃することを許していたと、1997年から2002年の間にパキスタンの国連大使だったシャムシャッド・アフマッドが述べた。ISIの元長官だったアサド・デュラニ将軍は、「当時パキスタンは、アルカイダに関して米国人と協力しなければならない」と感じていたと語る。

(中略)ムシャラフ政権は、無人偵察機の攻撃の後始末として、自家製爆弾を製造中に爆発が起きたというような作り話も提供した。しかし、無人偵察機が一般市民多数を殺害するようになって、互いの関係が悪化した。特に2006年10月30日に、82人が殺害された、バジョールのマドラッサに対する攻撃は最悪だった。ムシャラフはアメリカがパキスタン国内を標的にしていることを隠すために、パキスタン軍に責任をとらせようとした。

パキスタン軍報道官は、「テロリストの訓練所として使用していたマドラッサに隠れていた抵抗勢力70〜80人」に、パキスタン軍がミサイル攻撃を行なったと主張した。しかし村の目撃者たちによると、攻撃を行なったのはアメリカの無人偵察機で、犠牲者全員がマドラッサの地元の学生で、そのうちの25人は7歳から15歳だったとして、遺体の写真を提供した。写真は『The News International』に掲載された。

軍関係者によると、CIAにはバジョールを攻撃する理由があったという。攻撃の前日にバジョールの長老たちが集まり、政府と和平協定を結ぶことに同意していた。その見返りとして、政府は過激派を含む部族民9人を釈放した。

元ISI長官のデュラニは、攻撃はバジョールでこのような「合意が交わされることを妨害するもの」だったと語る。和平協定を結んではならないという、CIAからの「明らかなメッセージ」であった。バジョールのマドラッサに対する攻撃は、政府関係者にとっては大きな転機だった。「多数の関係者が、ばかげたことだと主張した」という。

2007年にムシャラフが軍参謀長の座を退き、キアニ将軍が彼を引き継いでも、CIAの無人偵察機戦争は続いたと、2004年から2006年まで駐米大使だったジェハンゲル・カルマット将軍が述べた。

2008年になると、ブッシュ政権はパキスタン政府と和平協定を結んだ人間を、集中的に攻撃した。その年の攻撃の3分の2は、ジャラウッディン・ハッカーニとナジール師の組織に対するものだった。2人は、パキスタン政府を攻撃することに反対している抵抗勢力である。

ハッカーニ組織が標的になることは、パキスタン政府にとっては危険である。南ワジリスタンで戦うパキスタン軍がハッカーニの支配地域を兵站学的拠点としていたためで、基地の安全が危うくなる。

いっぽうISIはCIAに、タリバン指導者のバイトゥッラー・マフスードの居場所を4回にわたってアメリカに提供していたと、ショーカット・カディール元将軍が2009年5月に書いている。2009年の無人偵察機攻撃の40%がマフスードの組織に対するもので、最終的にマフスード自身も殺害された。

しかし、その効力は長くなかった。2010年になると、マフスードの組織に対する攻撃は3回だけで、その他のほとんどがハッカーニの仲間やハーフィズ・グル・バハドゥールの組織に対するものとなった。バハドゥールは2006年に、パキスタンに歯向かう過激派は匿わないと、パキスタン政府と取り引きを交わしている。

オバマ政権は2010年中頃になると、パキスタンに関係なくハッカーニや親パキスタン過激派組織を攻撃することに決め、これにパキスタン人たちは憤慨した。しかしキアニにとっての大きな転機となった、2つの出来事が起きる。

最初の出来事は、1月にパキスタン人2人を殺害したとしてCIA工作員のレイモンド・デイビスが逮捕され、その後アメリカの圧力により彼が釈放されたこと。そして3月17日にデイビスが釈放された翌日に起きた、無人偵察機の攻撃である。当初は、ハッカーニの関係者の集会が標的だったと報道された。しかし実際には、経済問題を話し合うために、北ワジリスタン全体から長老たちが集まっていたにすぎなかったことがわかった。

元米政府関係者は、デイビスが7週間も拘束されていたことに「憤慨」したCIAの報復だったことを認めた。

この攻撃で、パキスタンの軍事指導者たちは動き出した。ISI長官のシュジャ・パシャは特に憤慨した。彼はデイビス釈放のために、個人的に大きく働いたからである。キアニは軍参謀長として、初めて無人偵察機を非難する声明を発表した。

4月にパシャがワシントンを訪れると、無人偵察機の攻撃に対する発言権をパキスタンも平等に持つことを、アメリカに正式に要求した。

hoonPakistan demands veto on drones
Gareth Porter、ISLAMABAD

■パキスタン、米ヘリを中国に見せる[110815 Financial Times]

パキスタンが、ビンラディンを殺害した際に現場に残したアメリカの極秘ステルス・ヘリコプターを中国軍の技師に見せていたことがわかった。

(中略)「パキスタン、特にISIが、アボタバードで墜落したヘリコプターを中国軍に見せていたという情報を得た」と、諜報組織内部の人間が語った。中国軍技師たちはヘリコプターの残骸を見学して写真を撮ることが許され、米チームがパキスタンのレーダーをくぐって国内に侵入することを可能にした、特殊な「ステルス」外被のサンプルを持ち帰ることを許したという。オバマの国家安全委員会はこの出来事を話し合い、どのよう対処するか検討中だという。政府幹部は、状況を「我々は喜んでいない」が、現在ほとんど情報がないという。

(中略)改良されたブラック・ホークが、ビンラディンが隠れていた建物の塀に衝突して、動かなくなった。シールは軍事テクノロジーを守るためにハンマーで機器をこわし、その後爆破した。しかし尾翼部分が塀の外に墜落し、形を留めていた。襲撃の2週間後に合衆国上院外交委員会のジョン・ケリー委員長がパキスタンを訪問し、尾翼の返還を求めていた。当時パキスタン政府関係者は、中国が尾翼の残骸を見学することに興味を持っていることをほのめかし、その写真がインターネットに出回った。しかしホワイトハウスとCIAに近い関係者によると、実際に中国はヘリコプターを見ることを許されたという。

「我々は襲撃の直後にパキスタン人に、ヘリコプターの残骸に誰も近づけないでほしいと依頼した」と、CIAに近い関係者が述べた(中略)。

「中国は、この最新テクノロジーに多大な興味を持っている」と、ある関係者が述べた。「シールは、理由なくして機体を爆破したのではない」。しかし政府幹部は、情報がどのていど役立ったか「確かなことはわからない」と述べた。「ヘリコプターのほとんどは作戦の最中に破壊された」。

smellPakistan lets China see US helicopter
Anna Fifield、Washington

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