【2011年9月26日〜10月2日】


■ハッカーニ叔父と甥のシラージュとの違い[111002 News]

パキスタンとアメリカの間の緊張は緩和されたが、先のことはまだまだわからない(中略)。

パキスタンの全党会議All Parties Conference(APC)は木曜日に、パキスタンの部族地帯の人々と話し合う新たな機構を作ることを推奨した。もし米・アフガン政府がタリバンと話し合うことができるなら、パキスタン人も自国民と話し合えるはずだと考え始めるようになった。

(中略)カルザイと米政府関係者は、オマール師だけでなく、シラージュッディン・ハッカーニとも何度も会うことを試みたという。しかし、ハッカーニ組織の作戦司令官であるシラージュッディン・ハッカーニは、カルザイ大統領と会うことを去年3度も断わった。また2011年6月に、アフガニスタン国外で米政府と会うことも拒否した。

カルザイ大統領と故ブルハヌッディン・ラッバーニ元大統領は、シラージュッディンの叔父であるハッジ・イブラヒム・ハッカーニを通して何度も彼に会うことを試み、パクティア州の知事の座さえ提供したが、彼はこれを断わった。ハッジ・イブラヒムは、ジャラウッディン・ハッカーニの弟である。米関係者は2002年にパクティア州知事の座をイブラヒムに提供して彼を兄から離そうとしたが、結局この約束は果たされなかった。

後にハッジ・イブラヒム・ハッカーニは、2002年に、カルザイによりパクティア州の軍長官に任命されたが、その後パクティア州に始終介入していた、ホースト州知事のバッドシャー・ハーン・ザドラーンと仲違いするようになった。バッドシャーもイブラヒムもザドラーン族に属すが、両者は対立している。最終的にイブラヒム・ハッカーニは政府の仕事を辞めたが、いつの日にかカブールの大臣になることを期待して、カルザイ大統領とは離れずにいる。カルザイ大統領のために何度も甥のシラージュに接触したが、ジャラウッディン・ハッカーニが息子に、タリバンを裏切らないように忠告した。

シラージュッディンは叔父に、オマール師の許可なくしては、カルザイともラッバーニともアメリカとも話せないと述べた。イブラヒムとシラージュが最後に会ったのはペシャワールで、イブラヒムが甥に、タリバンはタヤーブ・アガを通じてアメリカと話し合っているのに、なぜお前はカブールやワシントンと話し合うことを拒否しているのかと尋ねた。シラージュは答えを少し待ってくれるように要求し、アフガニスタン東部に渡った。しかし、帰ってこなかった。シラージュに近い情報源によると、彼はメッセンジャーを通じてオマール師に、叔父と話し合ったことを伝えたという。

オマール師はシラージュに、タリバンはアメリカともカブールとも話し合っていないと明言した。オマール師はシラージュに、タリバンは様子を探るために米国人に人質交換のリストを渡したが、アメリカが自分たちを分裂させることを目的としていると確信している、と述べた。オマール師は3ヵ月前に、米政府関係者に会わないようにタヤーブ・アガに頼み、そのために今度はシラージュに接触してきたのだという。

アフガニスタン東部の情報源によると、シラージュはガルデーズとパクティアの間を自由に行き来しており、ジャラウッディンは病弱のために、パキスタンに隠れている。情報源によると、ラッバーニ暗殺は、タリバンがアメリカとの話し合いを望んでいないことの現れだという。

ラッバーニ暗殺により、パキスタンはアメリカに多大な圧力をかけられ、そのためにシラージュはパキスタン人タリバンに、パキスタン軍を攻撃しないように頼んだ。最近シラージュが南ワジリスタンのパキスタン人タリバン司令官であるワリウル・レーマン・マスードに、次のようなメッセージを送った。「アメリカがISIやパキスタンを疑っていることに注目したまえ。アメリカはパキスタンを信じていない。私がオマール師を裏切ることを拒否したために、ミュレン提督はパキスタンのことを敵のごとく語っている。ホワイトハウスもミュレンのパキスタンに対する批判を支持している。それならなぜあなたがたは、敵の敵と戦っているのか」。

ohThe difference between uncle Haqqani and nephew Siraj
Hamid Mir、ISLAMABAD

■パキスタン人過激派指導者、米ミサイルで死亡[111002 AP]

パキスタンとアメリカの関係者が、アフガニスタンとの国境付近で実施されたアメリカの無人偵察機の攻撃で、アルカイダ系パキスタン人過激派司令官が殺害されたと述べた。

2人のパキスタン人諜報官が土曜日に、金曜日に南ワジリスタンで実施されたアメリカのミサイル攻撃で死亡した3人の過激派の中に、ハリーム・ウッラー司令官がいたと述べた。

米政府関係者によると、ウッラーはモーラビ・ナジールの腹心だという。組織はアルカイダ司令官と行動し、アフガニスタンにいる米軍やNATO軍を攻撃している(後略)。

hoonPakistani militant leader killed in U.S. missile strike
PESHAWAR

■アフガニスタンでハッカーニ司令官幹部を逮捕[111001 Reuters]

土曜日にNATO主導軍が、先週アフガニスタンのパクティア州で、ハッカーニ組織の幹部司令官ハッジ・マリ・ハーンを逮捕したと発表した。

ハーンは「シラージュとバドルッディ・ハッカーニの叔父で、ハッカーニ組織の最高幹部であり、またハッカーニ氏族の中で、敬意を受けている長老だ」という。

シラージュッディン・ハッカーニと弟のバドルッディン・ハッカーニは、ジャラウッディン・ハッカーニの息子である。

ハーンは火曜日にパクティア州のジャニ・ヘール地区で、ボディーガードとともに逮捕された。重装備していたが、抵抗しないで投降した」という。ハーンの身元をどのように確認したかは、明らかにしなかった。

タリバンは、ハーンが逮捕されたことを否定した。「今さっきハッジ・マリ・ハーンと話した。彼は元気で、ある場所にいる。逮捕されていない」と、ザビフッラー・ムジャーヒッドが『ロイター』に語った。「事実無根で、ムジャヒディンの士気をくじこうとするものだ」。

ハッカーニ組織のメンバーは、ISAFの声明にコメントすることを拒否したが、ハーンがシラージュッディン・ハッカーニの叔父であることは認めた。彼は幹部司令官ではないが、その親戚はアフガニスタンにいるNATO軍との戦いに関与しているという。

しかしパキスタンの諜報関係者は、ハーンはハッカーニの動きに関与していて、パキスタンの部族地帯の他の過激派組織との関係を調整していたという。「ハッカーニにとっては大きな打撃だ」という。

NATOによると、今年になってハッカーニの組織の人間1300人と指導者300人を、500回に及ぶ作戦で逮捕したという。また20人を殺害したと述べた(後略)。

hoonNATO captures senior Haqqani commander in Afghanistan
KABUL |

■ラッバーニ殺人者は「パキスタン人」[111001 BBC]

ブルハヌッディン・ラッバーニの殺害犯はパキスタン人だったと、アフガニスタンの大統領が調査官の話に言及して発表した。

証拠から、殺害はパキスタンのクエッタで企てられたという(後略)。

hoonAfghan aide Burhanuddin Rabbani's killer 'Pakistani'

■元大統領暗殺計画、海外で[110927 Reuters]

月曜日にアフガニスタンの諜報機関が、先週起きたラッバーニ元大統領暗殺に関与して重要参考人を逮捕したと述べた。

National Directorate of Security(NDS) が、アフガン人容疑者がラッバーニを殺害した自爆攻撃は、国外で首謀されたと述べたと発表した。「やっと事件が、誰によりどこで計画され、どのように実行されたかがわかった。じきに国民に発表する」と、NDSのジヤが述べた。月曜日に急遽行なわれた記者会見で、捜査の妨げになる可能性があるので、逮捕された男の身元は明らかにしないと述べた。

(中略)ジヤは、クエッタ・シューラがラッバーニ暗殺に大きな役割を果たした可能性をにおわせ、カルザイ大統領に、アフガニスタンの国境を越えたところで捜索を行なうことを勧めた。

「この件に関してクエッタ・シューラが関与していなかったとは言わない」と述べ、「アフガン大統領と話し合い、アフガニスタン国外で捜索を行なうべきだと勧めてみる」。

ラッバーニ暗殺の数時間後に、タリバンがパキスタンにいる『ロイター』の報道官に、暗殺に関与していたと主張した。しかし、この報道官はその後犯行声明を出したことを否定し、タリバンはラッバーニの暗殺に関してコメントするつもりはないと述べている。

smellEx-president's killing plotted abroad - Afghan agency
KABUL

■2007年の米国人に対する国境攻撃、パキスタンが関与[110926 New York Times]

米軍とアフガン政府関係者がパキスタン側の村の学校で、国境間の問題を5時間に渡って話し合っていたところ、パキスタン人たちに襲撃された。

米軍少佐が殺害され、米国関係者3人とアフガン人通訳が負傷した。現場にいたアフガン人と米国人によると、名ばかりの仲間から、複雑で用意周到な攻撃を受けたという。パキスタン人が米国人に発砲し、米国人は血に濡れたブラック・ホーク・ヘリで逃げた。

ワシントンは、2007年5月14日にテリ・マンガールで起きたこの攻撃を公にしなかった。数年にわたり、パキスタンが自分たちの目的のために行動し、時には敵になりうる兆候を無視してきた可能性がある。

攻撃を振り返ってみると、米国人がアフガン人またはパキスタン人を殺害していることの復讐といえ、ワシントンとイスラマバードの間の関係悪化が、新たに浮き彫りとなった。戦略上パキスタンは重要であるために、これまではなんとか両国間の関係は保たれてきた。

先週ミュレン提督が議会で、パキスタンのISIがアフガニスタンにおけるアメリカの努力を踏みにじり、今月起きたカブールの米大使館を攻撃した過激派を支持したと述べているが、攻撃の詳細が明らかになるとともに、米国人たちは、パキスタンが時に二枚舌を使っていることを以前から知っていたことが明らかになった。

両国ともこの襲撃に関する調査を公表していないが、この時期が正にパキスタンとの関係が悪化するターニングポイントだったといえる。

パキスタンの関係者は当初攻撃を過激派のせいにしていたが、調査を強制すると、国境を守る部族民軍隊の一兵士のせいにした。今日に至るまで、両国間の関係悪化を恐れ、この日何が起きたかを両国の政府は明らかにしていない。

元国連関係者によると、「パキスタンとの関係を悪化させないために、詳細は伏せられた」という。「2007年5月という時期は、パキスタンがアフガニスタンを不安定にしようとしていると、アナリストたちが指摘していた時期だった。そして、ちょうどその典型的な事件が起きたが、何らかの理由で伏せられた」という。

なぜパキスタン人たちがテリ・マンガールを事件の舞台にし、誰が攻撃することを決めたのかは、明らかではない。パキスタン軍に情報を求め、この記事を書くためのインタビューを求めたが、反応がなかった。この会合に出席したあるパキスタン人関係者は、事件は非常にデリケートな問題で、ジャーナリストに話すことはできないという。この件に関与していた米軍司令官のマーティン・シュヴィイツァー准将も、インタビューを受けることを拒否した。

当初、国境問題を解決するための会談は、うまくいっているように見えた。何度か緊張する場面もあったが、一行は一緒に昼食を食べ、電話番号を交換して、再び会うことを決めた。そして米国人とアフガン人が帰ろうとしたところ、パキスタン人たちが警告なしに発砲しはじめた。多数のガンマン、パキスタン人諜報工作員や軍関係者が関与し、米国人幹部やアフガン関係者を拉致したり連れ去ろうとした。

パキスタンに詳しい米関係者によると、この攻撃は一定のパターンに適合するという。パキスタン人たちは、米軍による偶発的な攻撃で受けた被害にたびたび報復を試み、故意に米軍を攻撃する。おそらく自国軍の士気をあげるためか、米国人のいやがらせは受けないということを知らしめすためだと、元米軍関係者が述べた。

「思い返してみると、必ず特定の事件に対する報復のようだった」という。パキスタン軍は、5月14日の前に、被害を受けていた。

パキスタンとはさまざまな問題が生じているが、他の例にもれず、この事件もうやむやになった。

2007年の攻撃は、国境沿いで起きた最悪の小競り合いのあとだった。パキスタン軍とISIの支持を受けたタリバンは、この頃からパキスタンを拠点とするようになり、パキスタンの国境監視所から良く見える場所で国境を越え、アフガン政府を挑発していた。米軍とアフガン軍は5月の始めに、国境近くで過激派25人を殺害していた。

過激派の流れを遮断するために、過激派が国境越えに頻繁に使用していたジャジ地区のガウィなどに国境監視所を設置したと、パクティア州知事のラハマトゥッラー・ラハマットが述べた。

パキスタン軍は新たに設置した監視所に対して、自分たちの領土内に入っているとして武力で抗議し、アフガン人13人を殺害した。その数日間で、アフガン軍とパキスタン軍が迫撃砲を用いて交戦し、軍や砲撃隊を国境沿いに集結させ、数十人が死亡した。カルザイ大統領は何が何でも国境を守るように命じたと、当時のアフガニスタンにおける米軍幹部のマクニール将軍が語った。

国境で会談を行なうことになり、米国人とアフガン人が全部で12人、ヘリコプターでパキスタン領内のテリ・マンガールに運ばれた。ラハマットもこの中に含まれていた。アフガン人たちによると、会談は難航したが、最終的には決着したという。陸軍アナリストで、この会談に参加した人間の話を聞いたことのある元准将のマフムード・シャーによると、パキスタンにとっては勇気づけられるものだったという。

米国人によると、まるで子供の喧嘩を仲裁するようなものだったというが、5時間のどうどう巡りのあと、パキスタン人は検問所から撤退し、アフガン人たちもこれを放棄することに同意した。

そして米国人とアフガン人たちがヘリコプターの着地地点までのわずかの距離を行くために車に乗り込んでいたそのとき、1人のパキスタン兵が自動ライフルで発砲し、たった5〜10ヤードしか離れていない距離から、米軍のラリー・ボーゲス・ジュニアに多数の銃弾を撃ち込んで即死させた。

米兵がすぐに攻撃者を撃って殺害したが、同時に他のパキスタン人たちが教室の中から車に乗っていた一団を攻撃したと、アフガン司令官2人が語った。2人は車から飛び出して、難をのがれた。

「米国人が倒れ、他の米国人たちが構えて発砲するのを見た」と、アフガン軍司令官のムハンマド・アクラム・サメ准将が述べた。「一方向から撃たれたのではなく、2〜3方向から撃たれた」。

アフガン国境警備隊司令官のシェール・アフマッド・クチャイ大佐によると、車の窓が粉々になり、ガラスが振りかかったという。「20秒も続かなかったが、生死の問題だった」。

周りをみると、少なくともパキスタン人2人が教室の窓から発砲し、もう1人が車に搭載された機関銃に向かってベランダを横切っていたところを、米国人に発砲されて倒れた。また車のバックシートからの発砲で、パキスタン人が撃たれるのを見た。迅速な米国人の反応により、自分たちの命が救われたという。

元知事のラフマットによると、パキスタン人たちが発砲したとき、米国人とアフガン人司令官たちは、建物があった敷地内から車で連れ出され、ヘリコプターの着陸地点を過ぎたところまで連れて行かれていたという。フロントシートに乗っていたパキスタン人大佐は、米国人司令官がピストルを抜くまで、車を制止するように求めても無視したという。一団は車を出て、ヘリコプターに乗るために畑を横切らなければならなかった。

その夕方戻ってきたメンバーから話を聞いた国連関係者も、ラフマットの話を裏づける。

クチャイ大佐は、パキスタン人関係者が、発砲が始まる数分前に別れもつげずに建物からいなくなったことを思い出し、これから起きることを知っていたことを示していたと振り返る。攻撃者の何人かは、平服の諜報関係者だったという。

ラハマットによると、カブールに戻るとパキスタン人による州知事に対する攻撃は、極秘にされたという。関係悪化を恐れ、この事件に対するアフガン側の調査はなかった。

カブールとNATOからの公的な声明は、抵抗勢力の攻撃だったというパキスタン人が主張に則したものだった。2日後まで、NATOはパキスタンに調査を依頼しなかった(後略)。

garrPakistanis Tied to 2007 Border Ambush on Americans
CARLOTTA GALL、KABUL

■パキスタンはハッカーニを攻撃しない[110926 Reuters]

パキスタン軍は、カブールの米大使館を攻撃したとワシントンが非難している過激派組織を取り締まる意志はないと、パキスタン紙が月曜日に報道した。アメリカはパキスタンに、取り調べを行なうように強い圧力をかけている。

パキスタン陸軍参謀長のキアニ将軍が日曜日に「緊急」会議に出席して、陸軍幹部と治安状態を話し合った。

アメリカは、パキスタンのISIがハッカーニを支持していると強く非難している。

軍関係者の話として、司令官たちは、ハッカーニが隠れていると疑っている北ワジリスタンをパキスタン軍は攻撃するべきだという、アメリカの強い要求を退けることに同意したと、『Express Tribune』紙が報道した。「我々はすでにアメリカに、パキスタンはこれまでやってきたこと以上のことはできないと伝えた」と、関係者が同紙に語ったという。

(中略)アナリストによると、軍がハッカーニ組織を攻撃した場合、大きな被害を受けることは間違いないという(中略)。

シラージュ・ハッカーニは、自分たちはもはやパキスタンに隠れる必要はなく、アフガニスタンで自由に行動できるようになったと述べている。

2週間前に過激派が、カブールと米大使館とNATO本部を攻撃した。米政府関係者は、ハッカーニ組織の仕業と見ている。

米関係者によると、電話の傍受などから、攻撃者がパキスタンのISIと接触していたという諜報情報があるという(後略)。

hoonPakistan will not attack Haqqani group, defying U.S.
ISLAMABAD

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2011.