【2003年01月10日】


■南ワジリスタンの血生臭い運命[030110 Asia Times]

(前略)Angoor Addaでは、去年の12月29日にアフガニスタン側から米軍が越境してきて、パキスタン側を爆撃し、パキスタン軍と銃撃戦が行なわれた。パキスタン人が2人死亡し、米兵1人が負傷したというが、一説では米兵数名が死亡したともいわれる。

Angoor Addaは、Federally Administered Tribal Areas(FATA)にある、南ワジリスタン行政区のワナから65キロ入ったところにある。南ワジリスタンは6500平方キロの、非常にデリケートな地域である。ワナはクエッタからもペシャワルからも500キロの所に位置する。住民はワジール族で、非常に戦闘的で危険な部族といわれ、アフガニスタン側にいるワジール族ともとつながっている。9つの氏族がいる。最大がZali Khelで、イギリスと激しく戦ったと言われている。武器を常に所持することが伝統だ。

もうひとつの伝統が、旅をすることだ。国境はまったくなく、アフガニスタンと自由に行き来する。アフガン側のワジールもパキスタン側のワジールも、見かけは全く同じだ。誰がアフガン人で、誰がパキスタン人か、見分けがつく人が誰もいない。したがってアメリカの諜報部が、ゲリラたちがアフガニスタンとパキスタンを行き来するために、南ワジリスタンを使っていると考えるのは当然である。部族民たちは頻繁に行き来するので、戦闘員と非戦闘員の区別がつけられない。

これを受けて、FBIはアフガニスタンとパキスタン両方にスパイネットワークを組織した。パキスタン側では、行政官として、治安維持軍として、聖職者としてスパイを送り込んだ。

去年の暮れの事件を振り返ってみる。まずパキスタン軍が、Angoor Addaからすぐの国境地帯でアフガンの同盟軍と交戦し始めた。米軍と激しい銃撃戦が展開し、8人の同盟軍が負傷したと目撃者は言う。後に米軍が、マドラッサとそれに付随したモスクを爆撃。パキスタン人2人を殺害した。緊張を緩和するために、1月4日バグラム空港で調停が行なわれ、米軍はパキスタン側には侵入せず、パキスタンは自力でテロリストを排除することになった。

情報によると、今回の戦いは、この地域の2つのマドラッサのリーダー間の争いに起因するようだ。Maulvi Shakirullahは親米派である。いっぽう、Maulana Mohammed Hassanは反米派なのだ。Maulvi Shakirullahは、アフガンの国境地帯にいる米軍と親密で、自分のマドラッサに米軍司令官をたびたび客として呼び入れている。彼らにターバンを巻いてやったこともある。これは尊敬を示し、命令を受け入れることを象徴する。Maulvi Shakirullahは、敵のMaulana Muhammad Hassanが反米派であり、パクティア州で戦っているテロリストを匿っていると密告した。米軍は何度もMaulana Muhammad Hassanのマドラッサを封鎖しようとしたが、その地域にいるパキスタン人の部下たちはこれを拒んできた。去年も米軍は同じ地域で捜索を行なったが、結局犠牲者を出したに過ぎなかった。地元民によると、怒った地元民たちと銃撃戦となり、30人のパキスタン兵が死亡したのだ。

1月1日の銃撃戦では、最初パキスタン人の地元司令官が、アフガン側にいた米兵に4つの迫撃砲の在りかを示したという。米軍はこれを除去したあと、パキスタン側でも武器の捜査を実施し、そのために米軍をエスコートするパキスタン軍の派遣を要請した。パキスタン側はこれを拒否。さらにパキスタンは、抵抗分子がパキスタン側に入ったことを否定した。激しい言葉の応酬の際、パキスタン兵の1人がかっとなり、米軍を銃撃し始めたのだ。米軍はすぐに空軍の援護を要請し、戦闘機が爆撃を始めた。Hassanのマドラッサとモスクも目標になった(0-1注・この事件の経緯として、いくつものバージョンが報告されている)。

この地域には、米軍の支持者たちが何人かいる。約80人のワジール族をパキスタン側からリクルートし、キャンプを見晴らせているのだ。これらの部族民たちには、1ヵ月200ドル支払われている。タリバンやその支持者の動向を見張るために雇われた者もいる。(後略)

イスラム教徒にとって最も重要なマドラッサやモスクが爆撃されて、この地域では不安定な状態になってきた。この政情不安さは、いつでも大きな暴動に変わり得る。

garrsmellA bloody destiny for South Waziristan
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003.