【2003年02月17日〜03月02日】


■パキスタンがKSMをこの時期逮捕した意味[03302 Ruters]

パキがKSMをこの時期逮捕した意味。

イラクへの攻撃を反対できる。
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しかし、対アメリカということでは時間稼ぎにはなったが、これらのテロリストが国内にいるという事実は、原理主義者たちとの関係を考えると、致命的だ。

Arrest could spur Pakistan to abstain from Iraq vote
By Tahir Ikram


■Khalid Sheikh Mohammed尋問される[030302 Reuters]

パキスタンがKhalid Sheikh Mohammedを逮捕。まだパキスタンにいるが、尋問が終わったらアメリカに渡すことも考えられる。

KSM逮捕に関してはさまざまな疑問点が残る。かくまわれていたというAhmed Quddusの家にはいなかったという説、他で逮捕されたという説など、さまざま。

US, Pakistan question suspected Sept 11 mastermind
By Tahir Ikram and David Brunnstrom
ISLAMABAD


■カラチのモスクでのシーア派殺害の背景[030227 Asia Times]

2月22日のカラチのモスクで、シーアがスンニに殺された事件に関して。

殺されたほとんどがギルギットのシーア派。

中国の軍隊の援助でカラコルム・ハイウェー建設した。中国製のミサイルはここを通ってパキスタンに入る。一方、パキスタンの過激派がシンキャン省に行って、ウイグルを独立させようとした結果、中国は、ベナジール・ブット大統領時代、ハイウェイ建設を中止した。パキスタン人にビザ発給も止める。

ムシャラフ時代に、パキスタン北朝鮮に建設を依頼、2001年に北朝鮮が視察にきた。

2001年、パキスタンは中国に、中国経由-カラコルム・ハイウェイで、北朝鮮からミサイルを輸送する許可を得る。パキスタンから北朝鮮にはウラニウムを輸送。インドとの関係が悪化すると、中国と北朝鮮はパキスタンをこのルートで援助。

ハイウェイの重要性から、北部地域の安定が不可欠。イラン革命以来、この地域のシーア派は活発になり、Karakorum Provinceを作ろうとする。シーア派の抑圧はハク時代に強くなり、オサマに導かれたアフガニスタンやNWFPの武装グループをギルギットに派遣する。ハク暗殺は、これに激怒したギルギット空軍によって図られたと一般的に考えられている。

この地域のシーア派をコントロールするため、政府は原理主義とその軍部のオフィスを置く。一方、シーア派も組織とその軍部のオフィスをおく(1980年代)。ここの原理主義はアメリカ、イラク、サウジから援助を受け、シーアはテヘランから援助を受ける。その後、アメリカとサウジは手を引くが、ISIとイラクが援助。

1998にオサマが軍隊をもったときに、ここの原理主義者が参加、アフガニスタンとタリバンを支援。9.11以後、この一団の生き残りがアルカイダとともに、再びパキスタンに戻る。以後、外国人なども含む全てのテロはこのグループがしている。

ムシャラフは、これらの原理主義を封じ込めようとしているが、効果なし。そもそも、シンド、パンジャブ、NWFPとバロチスタンの原理主義を対象としていて、FATAやPOK北部地域は対象ではない。

パキスタンのシーア派は、アメリカの一連の介入やイラク問題に抗議していない。カラチ在住のシーア派がSheikh Rashid Mohammadの居場所など、アメリカに情報を流しているともいえる。

The anatomy of a sectarian killing
By B Raman


■2/24の飛行機事故[030225 BBC]

アフガニスタン鉱山大臣とパキスタンの外務省の人間と中国人技師他が死亡。

Plane crash kills Afghan minister


■アフガニスタンの最近の情勢[030224 Afghanistan Online]

アフガニスタンの最近の情勢。

アルカイダ・タリバン・ハクマチアル・パキスタン原理主義者がパキスタン側で結束
して攻撃をかけてくる。

ロシア・インドが非パシュトゥーンを陰で援助。


■パキスタンがアフガニスタンに武器を[030222 Asia Times]

今週、パキスタンがアフガンの正規軍に武器を送ったことは、パキスタンが、タリバン後のアフガン政権に、大きな影響力を持ちつづけることを意味する。

パキスタンは特定の軍閥にではなく、アフガニスタン全体に武器を贈ることで、武将を援助しているのではないという印象を植えつけようとしている。イランはイスマイル・ハーンに、ロシアはドスタムに、インドはファヒーム大臣を援助している。

Arms gift signals Pakistan's Afghan aims
By Nadeem Iqbal
ISLAMABAD


■ゆきだるま式にふえる不穏要素[030222 The Nation]

アメリカ軍によると、北部には20の小さな反抗グループがあり、そのいくつかはロシアとの関係がある。

最近のスピンボルダックでアメリカ軍は18人殺したと言っているが、証拠がない。反抗分子側も、31人殺したといっている。

オサマが最近発したテープの内容では、ムジャイディンが結束をはじめたといっている。

アルカイダと関連があるホームページで示されたアメリカ兵の惨殺死体。アルカイダがかなり自由に動いていること、またアルカイダ関係のサイトをつぶそうとしているアメリカ側を出し抜いて行動していること。

オサマ逮捕がスローダウンしていること、一般の関心がアフガンからイラクに移っていること。

今まで安全だった北部で、アメリカ軍が攻撃されはじめたこと。

新アフガン政権に対する攻撃。

アメリカに対する憎悪の増大。ヘルマンド地区で17人の市民が殺されたにもかかわらず、アメリカは隠している。

Snowball resistance in Afghanistan
By Ahmad Muaffaq Zaidan
KABUL


■みんなでぐる[030218 National Review]

ヨルダン生まれの Abu Musab Zarqawiはイラクの生物化学兵器製造と深く関わっている。パキスタンはイラクの科学者を招待して、アルカイダ・タリバンと接触させる。リチンを製造。Zarqawによって世界各地にばらまかれる。イラクもパキスタンもこのことは否定。

クルドの原理主義グループAnsar al-Islamはアルカイダのキャンプで訓練され、フセインと対立する世俗クルドを攻撃。

ZarqawiがAnsarにアンマンの外交官の殺害を示唆。その後Ansarは2月9日に反フセインの世俗クルドの大将等5名を暗殺。

2001年10月、アルカイダを嫌うタリバンのハト派が、アメリカに爆撃しないように説得してもらえないかという話し合いをしたいと、筆者にもちたいともちかける。筆者とCIAはカブールに行くことを同意。話し合いをすることの見返りとして、当時人質にされていた8人のクリスチャンの解放を約束。このとき、イラクとの関係を必ず話すよう、条件をつける。結局なかなか話がまとまらず、やっとコペンハーゲンにみんなが集まった3時間後に、爆撃が始まった。

Hand in Glove Iraq and al Qaeda.
By Mansoor Ijaz


■Saeed Sheikhについての疑惑[030217 CCR]

アフガン戦争のとき、CIA、サウジがISIを通してムジャヒディンを援助。アヘンを資金源とする。アフガン戦争後もISIはアヘンで儲ける。アヘンによって、ISIとオサマは強く結びつく。

Saeed Sheikhはロンドンで育ち、92年にボスニアに行き、帰国後、原理主義者になる。93年カシミール戦争に参加。そのころからISIと関係。アフガンキャンプで訓練を受けアルカイダと接触。オサマの寵愛を受ける。

94年、西欧人観光客誘拐未遂事件でインド・カシミールで逮捕。ISIが保釈金を払うが、インドで投獄。アルカイダとの関係を話すのであればイギリスに迎え入れるという、イギリスの申し出を断わる。

99年、Air Indiaハイジャック事件で、人質と交換される。アルカイダ、タリバン、ISIに保護。以後、ISIに常に保護される。イギリスにも自由に行き来できた。

2000年から2001年、Mustafa Mohamed Ahmadという偽名で9.11のための資金を動かしはじめたと考えられている。

2001年10月、ムシャラフがISI長官Mahmood Ahmedを更迭。Mahmood AhmedがSaeed Sheikhに、9.11の資金を流させたという噂が飛び交う。Mahmood Ahmedはタリバンと親しかったという説もある。その後のMahmood Ahmedの動向は不明。

Saeed Sheikhもこの頃から急に表舞台から消える。資金を動かしていたのが誰かは、いろいろな説が出るだけで、わかってない。謎の人物、Mustafa Ahmed Al-Hisawiも浮上。

Saeed Sheikhがインド刑務所にいたころ、インド人、Asif Raza Khanと親しくなる。インドの金持ちの靴職人を誘拐して、身代金を取る。その一部をSaeed Sheikhにまわし、それがモハメット・アタに行ったといわれる。この金額と、ISI長官がSaeed Sheikhにやったという金額が一致している。しかし資金源はこれだけでなくMiddle Eastern "hawala" moneyが流されていた。FBIは資金源はドバイを常に経由していたとしているが、当時、Saeed Sheikhはドバイに頻繁に行っていた。

ISIは常にビンラディンをかくまっている。9.11後も、アメリカに反して、タリバンを支援。

2001年の9.10に、後に更迭されたISI長官、Mahmood Ahmedはワシントンにいて、CIA Directorなどと会合。さらに9.11当日は、テロやオサマのことを話し合っていたといわれる。9.12にはアーミテージと会談。協力を約束。

9.11前後、UAEの資金提供者、おそらくSaeed Sheikhからお金が頻繁に流れる。9. 11の事件の数時間後、UAEから帰ってきて、カラチのATMでお金を出している。その後、沈黙。ISIにかくまわれ、ラホールに。後にインドで起きたテロ事件に関わっていたと考えられる。

Saeed Sheikhは不思議と騒がれない。2001年8月、イギリスが動きだす。これは前の事件に関係してか?2001年9月23日にその筋がさがしているという報告が出てくる。11月に、アメリカが捜しはじめる。ようやく2002年1月に正式にアメリカがパキスタンに捜索、逮捕を依頼。しかしパキスタンは何もしない。そしてダニエル・バール事件となる。

ダニエル・パールは12月24日にISIとビンラディンの関係を報告。Richard Reidとパキスタン軍人との関係、ISIが核開発をオサマに教えたことなど、ISIがアメリカに援助されていたことなどを調べる。後にCIAのRobert Baer laterがダニエル・パールとKSMについて調査していたと主張。

インド政府がFBIにSaeed Sheikhがモハメット・アタに資金をまわしていたという情報を与える。FBIがムシャラフにSaeed Sheikhを逮捕するように要請。そのときは、パールとの関係は明らかになっていなかった。Saeed Sheikhは2月5日にISIに出頭。ISIのことを話さない条件で、アメリカに引き渡さないことを約束したと思われる。Saeed SheikhがISIに出頭したことは、他の誰もしらなかったし、パールとの関係も知らなかった。その後警察に出頭。2月13日に公になる。

結局、Saeed Sheikhを生かしておくのは危険すぎるということで、パキスタン政府は彼を死刑にすることにする。最終的に、パウエルが、パールとISIの間には関係がなかったと公言する。一般的にはそう思われるようになった。Saeed SheikhとISIとの関係は封じられる。

4月の公判は厳重態勢で行われる。直後に新たな犯人が浮上。Saeed Sheikhはパールをおびきよせた罪にあり、実際に殺したのは別の人間だったが、この直接パールを殺した犯人はSaeed Sheikhの裁判が終わりかけているときに逮捕された。結局Saeed Sheikhは死刑を宣告される。後にKSMもパール殺害に加わったという話もでてくる。

ムシャラフは西欧寄りのポーズをとっているが、実際は? アメリカに圧力をかけられて原理主義グループを逮捕しているが、実際にはほとんどを釈放している。

なぜアメリカはパキスタンを見逃しているか? パキスタンは9.11のあと、タリバンに特使を出して、ビンラディンをアメリカに引き渡さず、戦うよう助言。アメリカはISIがタリバンを支援しているのを知りながら、タリバンとの戦いではISIに頼る。アメリカは、タリバンとともに戦ったパキスタン人兵をクンドゥーズから飛行機で助け出すきを黙認。その結果、多くのタリバンとアルカイダが脱出。アルカイダの幹部のほとんどがパキスタンに住んでいるのをアメリカはどうして黙認しているのか?パキスタンが北朝鮮に核を提供しているのをなぜ黙認しているのか? いつまでアメリカはパキスタンを黙認しているのか? 黙認しているのは、知られたくないもっと大きな秘密があるからか? Saeed SheikhはCIAのエージェントか? CIAはいまだに ISIとつながりがある公言している。CIAとアヘンの関係があるのか?

9/11_Paymaster_Saeed_Sheikh
Paul Thompson


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003.