【2003年07月21日〜07月27日】


■テロ教師、タリバンを育てる[030727 Daily Telegraph]

カンダハルを後にして1週間後、テロリスト・トレーナーのミール・ジャン(Mir Jan)は早く帰りたくてたまらなかった。新入生、タリバンの新しい世代が、彼の帰りを待ち望んでいるからだ。彼らはいかにしてアメリカ軍と戦うか、そして人間爆弾になる準備をしている。

疑われないために、ジャンは村から村へと、アフガニスタンとパキスタンの間を行ったり来たりしている。爆発物に関する授業をもち、アメリカの基地が所在する地図を配り、いかにして彼らを効果的に攻撃するかを指導する。

「ジハードはアフガン人の血の中にある」という。「イギリスと戦い、ロシアを追い出し、アフガニスタンをアメリカ人たちの墓場にしてやる」。

先週、アフガニスタン政府はパキスタンに、ジャンのようなタリバン戦士が国境を越えないよう、もっと努力するよう要請した。パキスタンの部族地帯を隠れ家として使ってはならない。

アフガニスタンの内務大臣のAli Ahmad Jalaliは、アフガン人たちはパキスタンの失敗に怒っているという。「アフガン人のために働いている外国人を殺すために、国境を越えてやってくる。そして国境を越えて逃げていく。みんな疑問に思っている。なぜこんなことが起こるのか」。しかしパキスタンが約束したにもかかわらず、タリバンは健在だ。

ジャンが教育している新人たちは、ロケット弾やAK-47ライフルを簡単に扱う。「彼らに武器を使う技術を教える必要はない。銃を使うことは我々の文化であり、赤ん坊のころから知っているんだ」と誇らしげだ。「どうやって爆発物を使うか、どうやって時限爆弾を使い、それを爆発させるかを教える。高度な技術や機械なんか必要ない。洗濯機や扇風機のタイマーがあれば充分」。

タリバンのボスから、アフガニスタンに帰るように命令されるのを待つ間、ジャンはチャマンの難民キャンプで待機した。このベテラン戦士は20年前ソ連と戦い、9.11以後行なわれたアメリカの攻撃で兄弟を2人失った。スピンボルダック、カンダハル、ウルザガン、ザブル、ヘルマンド、そしてナンガハールの東部、クナール、ラグマンで「授業」を実施している。どれもタリバンの砦だ。

ジハードを呼びかけたオマール師に呼応して、最近約100人のアフガン兵と市民が殺されている。約2500人のタリバンシンパとアルカイダ・メンバーがこの呼びかけに応じた。「ヒット・エンド・ラン、つまりゲリラ的手法を用いているため、彼らの攻撃は効果的だ」とアフガニスタン高官。

ジャンによると、タリバンはカブールが崩壊する前に急いで隠された武器をまだ使用しているという。「ロケット弾やアルカイダの自爆テロ団も味方につけている。彼らは歩く爆弾だ」という。「何よりも神の意志がある。彼らが慈悲を乞うまで、殺し、殺し、殺しまくる」。

garrTerror tutors revive threat from Taliban
By Massoud Ansari in Chaman, Pakistan


■国連への攻撃により、パキスタン北西辺境州での援助活動停止[030726 Reuters]

パキスタン北西辺境州のペシャワルで、国連の車輌が3人のガンマンたちによって攻撃されたと、国連UNHCRスポークスマンのJack Reddenが述べた。負傷した者はいないが、「きわめて異例なこと」であるという。「活動は停止された」「単なる威嚇射撃ではなく、車のダッシュボードが狙われた。これは、人間を傷つけようという意図がある」とロイターに語った。

garrAttack halts U.N. operations in Pakistan province
PESHAWAR


■タリバンのオマール師、アメリカ軍攻撃を命令[030726 Reuters]

タリバンのリーダー、オマール師が、土曜日にアフガニスタン南部に新たな軍司令官を任命し、アメリカと政府軍に対して、さらに攻撃を強化するよう命令したとタリバン高官が述べた。これは先週末、1万1500人のアメリカ主導軍隊のうち9人を負傷させた出来事の後に発表された。

タリバンの諜報部高官のMullah Abdul Samadがロイターに衛星電話で語ったことによると、オマール師はMullah Sabir、別名Mominをタリバンの議会で指名し、「オマール師はアメリカとアフガニスタン政府に対してジハードを強化するように指示した」という。

Samadによると、Mominはアフガニスタン南部のタリバン軍司令官、Hafiz Abdur Rahimを補助することになるという。またサマドによると、タリバン高官と部族長たちは3日間、アフガニスタン南部で集まり、外国勢力とアフガン軍に対する攻撃について話し合ったという。土曜日に話し合いは終わったというが、その詳細については語らなかった。

hoonTaliban's Omar orders more attacks on US-led troops
SPIN BOLDAK


■アメリカとアフガン軍、ゲリラではなく武器を発見[030725 AP]

アメリカ主導の部隊が展開している作戦“Warrior Sweep”で、数百のロケット弾やその他の武器がアフガニスタン南西部で発見されたが、タリバンやアルカイダのメンバーはまだ逮捕されていないという。これらの武器はパキスタン国境付近のパクティア州のゾルマット地方(Zormat region)で発見された。

hoonArms, not guerrillas found in US-led Afghan sweep
By Yousuf Azimy、BAGRAM


■インド、耳を傾ける[030723 Asia Times]

パキスタンはよく3つのAで動いていると言われる。順番に、America、ArmyそしてAllah。この後ろの2つを代表する、イスラム原理主義者と軍におけるその支持者たちは、最初のAつまり、アメリカの影響を払拭するため、そして親米、さらに最近は親イスラエルの立場を取るリベラルなムシャラフ大統領を失墜させるために、インドを支配するヒンドゥ原理主義者たちと結託しはじめた。インド側のテーマは、カシミールの現状打破とムシャラフが指揮した99年のカルギル戦争に対する復讐である。パキスタンの宗教過激派と軍にとっては、パキスタンのタリバン化とアフガニスタンの再タリバン化である。

パキスタンの原理主義者たちのパトロンで、「タリバンの父」としても知られ、またビンラディンの支持者でもあるMaulana Fazlur Rahmanは、4日にわたるインド訪問を終えた。彼はJamiat-ul-Ulema Islam(JUI)のリーダーであり、また6つの宗教連合政党であるMuttahida Majlis-e-Amal(MMA)のリーダーでもある。彼は暖かく迎えられた。パジパイ首相は90分の会談を行なった。またVishwa Hindu ParishadとRashtriya Swayamsewak Sangh(インドのヒンドゥ原理主義)の代表とも会った。パキスタンのイスラム教徒とインドのヒンドゥ原理主義者が会談するだけでも驚くべきことだが、インドをもっと驚かせたのは、彼が平和を説いたことである。

インドは、Rahman一派が主催するマドラッサから、タリバンが生まれたことを忘れることはできない。彼のマドラッサは武装集団やジハード志願兵を養成し、貧しい子供たちをイスラム過激派として洗脳することで知られている。しかし、Rahmanの平和の修辞学は説得力があった。彼はカシミールを含むすべての問題に、対話を通した平和的な解決を求めただけでなく、第3者の介入(アメリカ)を特に拒否した。パキスタンはこれまで常に第3者の介入を求めてきた経緯がある。また停戦ライン(line of control:LoC) の問題を解決することに積極的なだけでなく、ドイツのベルリンの壁が取り除かれたように、インドとパキスタンが合体することも考えようとしていた。彼はパキスタンに対して寛容なだけでなく、インドのムスリムに対しても寛容になろうとしていた。彼のインド訪問は、彼の政党の片割れでもある、Jamiat-ul-Ulema-e-Hindの招待によって実現したのである。

中略。

Rahmanはカシミールの紛争を解決するのに、アメリカが介入することに反対という立場を説いた。これはパキスタンとインド両国の問題であり、第3国が介入する必要はないとした。このような介入は問題をもたらすと主張。(中略)。

Rahmanの言葉にもかかわらず、パキスタンにとって最も重要なのは軍である。軍の原理主義者たちはパキスタンにおけるアメリカの影響の増大をどう捕らえているか。そしてムシャラフに対抗するリーダーを指示するだけの度胸があるかどうか。これまではないと考えられていた。しかし今、いろいろな変化が起きている。

先月ムシャラフがアメリカにいる間、ムシャラフが直接関与しているJoint Chief of Staff Committeeの会長であるGeneral Mohammed Aziz Khanが、公の場で「アメリカはムスリムコミュニティ会最大の敵であり、世界中のムスリムコミュニティに対して、陰謀を企てている」と述べた。これは、ムシャラフの親米政策に対する挑戦である。軍のInter-Services Public Relationsは、なんとかこの話がマスコミに漏れないようにした。しかしAzizを支持する者が軍にいないかぎり、彼はこのような挑戦はしなかったと思われる。

AzizはRahmanやMMAの多くの人々と同様、ワッハーブ派の原理主義者である。しかし両者には大きな違いがある。Azizはもうひとつの重要な原理主義政党、Jamaat-e-Islamiの青年部の出身である。Jamaat-e-IslamiはMMAのひとつであり、そのリーダーのQazi Hussain AhmadはRahmanのライバルでもある。またカシミール生まれのAzizにとって、カシミール問題を見逃すことはできない。カシミール出身者にとって、カシミールは彼らのアイデンティティだ。Azizは47年の分離のときにインドと戦った、Poonchの勇敢なSuddan族に属する。

イデオロギーの違いがありながらもムシャラフがAzizを支持するのは、前ナワーズ
・シャリフ首相を更迭し、ムシャラフを現在の地位につけたのがAzizであるからだ。したがってムシャラフがアメリカを支持したときに、彼はAzizを2階に追いやっただけで、彼を追放しなかったのだ。

しかしAzizは、彼のお飾りの役職を利用して、ムシャラフの親米政策に対して反対運動をしていることは確かだ。彼に都合がよかったのは、アメリカのイラク侵攻だ。アメリカがなぜ戦争に踏み切ったのかは誰にもわからないが、パキスタン人には、アメリカがムスリム社会に植民地を作ろうとしていると映る。パキスタン人自身もアメリカの標的になっていると見る。しかしムシャラフがさらに親米寄りになっているにもかかわらず、原理主義者たちの答えは、パキスタンのタリバン化とアフガニスタンにタリバン政権を再び作り、アメリカの独裁に対抗することだ。彼らはヒンドゥ原理主義者の力を借り、カシミールを犠牲にしようとさえしているのだ。

パキスタンの原理主義者たちは、単にアメリカの脅威のためだけではなく、ムシャラフを追放しなければならない、大きな理由がある。10月の選挙の前ムシャラフは、選挙に立候補できるの者は大学卒業の資格があるものだけという法律を作った。これは、原理主義者たちを選挙から締め出そうとするためだった。しかし、結局、宗教学校卒業者も、大学卒業者と同じ資格を持つということになった。しかし今になって、ムシャラフ政権は有効と思われる単位を持たない国会議員や地方議員たちを摘発しようとし始めた。もしパキスタンの最高裁判所がMMAに資格がないという決議を下せば、原理主義者たちは影響力を失うことになる。

中略

しかし、なぜパキスタンの原理主義者たちは今インドにちょっかいを出しているのか? Rahmanはアメリカを南アジアから締め出すために、インドの支持を得ようとしているように見える。もしインドが原理主義義政党が力を得るために協力するのであれば、カシミール問題を解決するために努力すると、約束している。またインドのイスラム教徒たちを説得することも約束している。おそらくインドは、イスラマバードに対して影響力を得るために、巨額な金を費やしている。この影響力は原理主義者たちにとっても、大いに役立つものだ。さらに、インドがパニックに陥り、アメリカと結託することは最も怖れていることだ。

パキスタンの原理主義者たちは、アメリカがパキスタンをカシミール問題などについて説得しきれなかったために、アメリカに不満をもっているときに接近してきた。アメリカはカシミール問題でインドを怒らせたばかりだ。(中略)。

しかしアメリカや親米のムシャラフに対してインドがどのような感情を持っているかは別として、インドの世俗社会やヒンドゥ原理主義者たちが、イスラム原理主義者たちと合意に達することができるだろうか。できるだろう。リベラルなイスラム教徒よりも、イスラム原理主義者とのほうが、話が通じる。

南アジアにおけるイスラム原理主義との関わりは、1920年のガンジーから始まった。当時イスラムのリーダーとして認められていたジンナーは、パキスタンを建国した。彼は、非常に世俗的でリベラルなイスラム教徒だった。彼は議会の一員であり続けながら、イスラム教徒の恐れや要求を表明する圧力団体、ムスリム同盟に参加した。しかしガンジーは彼とやり合う代わりに、Jamiat-ul-Ulemaを政治の主流に取り込んだ。
その後パキスタンでJamiat-ul-UlemaはRahmanによって導かれ、タリバンを生み出すことになる。インド政府は今日ヒンドゥ原理主義者たちによって動かされているにもかかわらず、イスラム原理主義者としか接触しない。

中略

今日インドのリーダーたちが、イスラム原理主義者たちと付合おうとしていることは明らかだ。ムシャラフがいかに扱いにくいかということを、アグラの会談で思い知らされた。ムシャラフは頭が良く、細かい。しかし原理主義者たちは何もかも大皿の上に載せて提供してくる。しかし近道はたびたび失敗を招く。ガンジーも間違った決定を行なった。今日の問題、インドの問題だけでなく、パキスタンやパングラデシュの問題は、前世代のJamiat-ul-Ulemaに与えられた特権から生じている。ガンジーがもっとジンナーをうまく扱うことができたなら、今日インドは、アメリカに次いで強力な国になっていたにちがいない。ヴァジバイが現世代のJamiat-ul-Ulemaのリーダーたちと、同じ過ちを繰り返さないよう、注意しなければならない。

hoonIndia sits up and listens
By Sultan Shahin、NEW DELHI


■誰が誰をだましている?[030723 Asia Times]

パキスタンのJamiat-ul-ulema Islam(JUI)のリーダー、Maulana Fazlur Rahmanのインド訪問、そして、彼に同行した政府・非政府要人たちについて、アメリカのインド・ウォッチャーたちのは驚きと警戒心をもって注目している。Rahmanは原理主義者ではあるが、1990年に、前首相のベナジール・ブットを支持し、女性が首相になることに対して反対運動を起こしたJamaat-e-Islami(JEI) に対抗した。Pakistan People's Party Parliamentarians(PPPP)のブットはその見返りとして、RahmanをParliamentary Foreign Affairs Committeeの会長にし、彼が海外に出たときに自由に膨大な金を使えるよう、ISIに取り計らった。

93年から94年の間、パキスタンの綿産業は害虫のために膨大な被害を受けた。ブット首相の夫のAsif Zirdariは香港でトルクメニスタンと接触し、この急場をしのぐために、綿をアフガニスタン経由でパキスタンに輸入しようとした。しかしこのコットン・コンボイは、ヘクマチアルとイスマイル・ハーンに攻撃され、積み荷は奪われた。そこでZirdariはブットの内務大臣であるMajor General(retd)Naseerullah Babbarに、この綿を積んだコンポイに護衛をつけるよう、要求した。Naseerullahは今のムシャラフ大統領に助けられ、タリバンたちを集めて組織化した。Rahmanと彼の子分であるカラチのビノリ・マドラッサのMufi Shamzaiも、これに一役買った。こうして94年にタリバンが生まれた。Rahmanが、ベナジールと彼女の夫を助けるためにタリバンを組織化したことにより、彼とJEIのQazi Hussain Ahmedとの間に大きな溝ができた。Qazi Hussain Ahmedはヘクマチアルの支持者であった。もう1人、Rahmanがブットとその夫に親切にしたことに批判的だったのが、Lieutenant-General Hamid Gulである。彼は彼女の首相時代にISI長官であった。

アメリカは95年にRahmanを警戒していた。これは彼がMaulana Fazlur Rahman Khalilによって指導されていたKhalilHarkat-ul-Ansar(HUA)と接近していたためである。95年に、有名なジャーナリストのKamran Khanが日刊紙のthe Newsで、“Jihad Worldwide”という連載記事を書いた。ここで彼はHUAがインドのジャムー・カシミール地方(J&K)やミャンマー、チェチェンでテロを組織していることを暴露しただけでなく、アフロアメリカン・ムスリムを訓練してアメリカでもジハードを行なおうとしていることを指摘した。これ、はRahman氏がHUAを支援することなしに、HUAがこのような活動はできないと、見られていた。

さらにジャムー・カシミール地方でal-Faranという名で、HUAによるアメリカ人2人を含む西欧人誘拐事件が続いた。クリントン政権はベナジール・ブット首相に、彼らを解放するよう、援助を要請した。ブットはRahmanにできるだけ早くインドに行き、HUAを説得するよう、指示した。

ニューデリーのアメリカ大使館の要請により、当時のNarasimha Rao政権はRahmanがインドに来ることを許した。Rao政権はRahmanがこれを内密にすることと思っていたところ、彼はこれを公にした。Rahmanはスリナガルに行くことを要求し、インド政府はこれに反対した。Rahmanのインド訪問がわかると、野党がRao政権を強く批判した。HUAのパトロンをインドに招いたからだ。そこで、政府は結局Rahmanとの接触をすべて絶ち、彼はパキスタンに帰った。

97年の10月、アメリカはHUAをテロリスト・グループとして認定した。したがってアメリカにとって、このグループと接触を持つことは犯罪であり、このグループと接触している外国人はアメリカのヴィザを取得することができない。このあとHUAは2つに分かれ、ひとつはHarkat-ul-Mujahideen(HUM) になり、他方はHarkat-ul-Jihad-al-Islami(HUJI)となった。Rahmanはこの2つのパトロンであると、パキスタンでもアメリカでも考えられている。

98年のケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件の後、クリントン政権はナワズ・シャリフ政権と当時のISI長官だったLieutenant-General Ziauddinに、カンダハルにいたビンラディンの逮捕に協力するよう要請した。しかしシャリフ首相は当時の軍長官であったムシャラフの反応を怖れ、これを引き伸ばしていた。しかしカルギル戦争後にISI長官のZiauddinが訪米したのを境に、シャリーフ首相はタリバンに圧力をかけ、ビンラディンをアメリカに引き渡すことに同意した。Ziauddinは、カンダハルのオマール師と会った。オマール師はビンラディンを引き渡すことは拒否したが、彼を海外に追放することは同意。このことを知らされてなかったムシャラフはこれを知ると、部下のMohammad AzizをRahmanとともにカンダハルに送り、オマール師にZiauddinの言う通りにはしないよう、要請した。これを知り、シャリーフ首相はムシャラフを更迭しようとし、逆に99年に彼が失墜する。

Ziauddinのカンダハル訪問後、アメリカがすでに北西辺境州にやって来たなど、パキスタンではいろいろな憶測が飛んだ。Rahmanはアメリカに、もしビンラディンが殺されたり捕まることがあったら、パキスタンにいるアメリカ人は安全ではいられないと脅かした。逆にイスラマバードのアメリカ外交官は彼を訪問し、もしパキスタン国内のアメリカ人に何かあったらただではおかないと、彼を脅した。Rahmanは反米感情を弱めることになる。

9.11後、ムシャラフはカラチのビノリ・マドラッサのMufti Shamzaiをカンダハルに送り、タリバンにビンラディンを引き渡すよう説得させた。この一行に、当時のISI長官であったLieutenant-General Mehmood Ahmedが同行した。カンダハルに向かう前、ムラーとISI長官はペシャワルでRahmanに会った。そしてカンダハルでオマール師に会見した後、ムシャラフにオマール師は協力を拒んだことを報告した。しかしアメリカは、じつはこの一行はオマール師にビンラディンを引き渡すよう要求したのではなく、アメリカに圧力をかけたことを称え、今後もそれを続けるように勧めたという事実をつかんだという。このあとアメリカはムシャラフに圧力をかけ、Rahmanに近かったMehmood Ahmed ISI長官を更迭するよう仕向けた。2001年10月にムシャラフはLieutenant-General Ehsanul HaqをISI長官に任命した。HaqはJEIのQazi Hussain Ahmedに近い。

ムシャラフがアメリカに協力したことにより、JEIとJUIは、Rahmanがブット首相時代にGulbuddinのHEIと対抗するためにタリバンを組織したことによって離反していたことは忘れ、ビンラディン、タリバン、ヘクマチアルを応援することになる。

しかしJEIとJUIが中心となる原理主義政党、Muttahida Majlis-e-Amal(MMA)は連合したにもかかわらず、2つの政党のあいだで常に警戒し合い、互いに軍の諜報部と接触を持ち続けていることを疑っている。9.11以後、アメリカはal-Alami-InternationalとHarkat-ul-Jihad-al-Islami(HUJI)という名前を使ってHUMが行動していることで、Rahmanをさらに警戒しはじめた。これらのグループはカラチでのフランス人やアメリカ人に対するテロを首謀したとみられている。アメリカのイラク侵攻以前、HUMはジハードをするために、その要員をサウジに送ったというレポートもある。またRahmanの子分でカラチのマドラッサにいるMufti Shamzaiは、8月まで負傷したビンラディンを匿っていた。

パキスタンのジハード軍団のうち、5つがビンラディンのInternational Islamic Front(IIF)に属する。まずHUM、そしてHUJI、Lashkar-e-Toiba(LET)、Jaish-e-Mohammad(JEM)、そしてLashkar-e-Jhangvi(LEJ)である。このうちHUMと HUJI、JEM、そしてLEJがRahmanに近い。LETはワッハーブ派であるにもかかわらず、これだけは別だ。

アメリカで広まっている疑問は、Rahmanは自分の意志でインドに行ったのか、それともインド政府やBharatiya Janata Partyの助言で行ったのか、動機は何か、何を意味するのか、ということである。アメリカでは、インド政府はベナジール・ブットに近いBharatiya Janata Partyを通してRahmanと接触していると言われている。Rahmanに近いインドでの主要なリーダーたちに、Kanchi Shankaracharyaが出した提案を飲んで、Ayodhya Babri寺院問題を解決し、インドでのジハード団組織へ圧力をかけさせよういうのだ。しかしこれには危険性がある。逆にジャムー・カシミール地方でのテロが悪化することにつながる可能性がある。

smellJust who is fooling whom?
By B Raman


■アフガニスタン軍、初めての作戦を開始[030723 AP]

アフガニスタンの約1000人からなる新しい部隊が、アメリカ軍と一緒にアフガニスタン西部地域で、初めて大きな作戦に参加した。この部隊は、アメリカ軍とフランス軍が1年ほどかけて訓練、最終的には7万人を訓練する予定とのこと。

今回の作戦、“Warrior Sweep”は、月曜日に始まり、パクティア地方のスルマッド地区(Surmad district)で行動を開始。連合軍も一緒に行動しているというが、その役割と人数などの詳細については発表されてない。

hoonAfghan Army Launches First Operation
By TODD PITMAN、KABUL


■パキスタン、大量の武器を押収[030723 Reuters]

バローチスタン州警察長官がロイターに語ったことによると、アフガニスタンから密輸された武器を、クエッタ西部のダシュト地区(Dasht area)で押収したという。これらはパキスタンで用いられるためのもので、数百のロシア製のロケット弾や、対空ミサイル、対車地雷や爆発物などが含まれていた。「我々はパキスタンとバローチスタンの秩序を乱すための陰謀を暴いた」と州大臣のユースフ氏が述べた。

garrPakistani officials say seize big arms cache
QUETTA


■イラン、アルカイダを拘束していると述べる[030723 Reuters]

イランは、アルカイダのメンバーを何人か拘束していることを、初めて公に認めた。イランの治安大臣が述べたことによると、「タリバン政権崩壊後、我々はアルカイダのメンバーを多数拘束した」。「多くのものは国外追放になり、また我々が拘束している者もたくさんいる。大物も小物もいる」と述べた。しかし、具体的に誰が拘束されているのかは明らかにしなかった。

この記者会見は、ブッシュ大統領が、イランがテロリストを匿っていることを非難した直後に出された。ホワイトハウスのスポークスマンはこの会見に対して、イランが「拘束している」ということはどういう意味なのか、「我々はまだ確信を持っていない」と述べた。

hoonIran says has some senior al Qaeda in custody
TEHRAN


■アフガニスタンとパキスタン、関係改善を約束[030723 Reuters]

アフガニスタン内務大臣のジャラリ氏は、パキスタンで内務大臣のハヤット氏とジャマリ首相に会い、ここのところ続いている両国間の国境をめぐるいざこざを解決し、テロに対して、ともに協力し合うことを約束した。

hoonAfghans, Pakistanis vow better cooperation
By Zeeshan Haider、ISLAMABAD


■タリバン、連合軍を攻撃するために戻る[030721 Daily Telegraph]

パキスタンから何百というタリバンがアフガニスタンに越境し、国で大規模な攻撃をかけているとカブールのアメリカ司令官が昨日語った。

週末にかけてタリバンがアメリカとアフガニスタン軍を攻撃。F L“Buster”Hagenbeck将軍によると、タリバンとその仲間はパキスタンで再結成し、クエッタの宗教学校から戦士をリクルート。ドラッグで資金を得ているという。

戦士たちはアフガニスタン西部で3グループに分かれ、攻撃をしている。これに新しいアルカイダ司令官たちも加わり、アメリカ兵を捕らえようとしている。「アフガニスタン南部にはタリバンが大人数で戻ってきたが、我々は最近の攻撃に勝利している」とHagenbeck司令官。「我々の諜報部は発達していて、タリバンを追跡するために、あらゆる所に行く」とつけ加えた。25人〜100人からなる3つのグルーフがあり、ヘルマンド州で活動、ドラッグで資金を得ている。

ヘルマンド州はパキスタンのバローチスタン州の反対側にあたり、現在クエッタには何千ものタリバンが住んでいる。クエッタにはイスラム大学があり、ここで集会を開きアフガニスタンで戦うために、若者をリクルートしていると思われる。パキスタンはタリバンを支援していることは否定しているが、彼らの行動を止めるために何もしてない。

カブールとイスラマバードの関係は、最近緊張している。パキスタン軍とアフガニスタン兵は、カイバル峠近くの紛争地帯のBada-Doudで交戦した。

Hagenbeck将軍によると、アフガニスタン北西部のパキスタン国境付近では、ヘクマチアル軍の一派が「ジャララバードで活動していて、うろうろしている」という。また「コシュト(Khost)とガルデズ(Gardez)の間の道路で陣地を築こうとしているアルカイダのリーダーたちがいる」。「タリバンとアルカイダは、アフガニスタン政府の評判を落とすために、アメリカ軍兵士を殺害または捕らえ者に賞金を与えている。しかし、ほとんど地元の協力は得られてない。約5000ドルから10万ドルの賞金がかけられている」。

これらの新しい戦力はカブール政府に大きな脅威を与えている。先週末、タリバンによる攻撃が立て続けにおきた。もっとも被害が大きかったのは、土曜日に連合軍のコンポイに対する攻撃である。約24人のタリバンが殺された。アメリカ軍はアパッチ・ヘリコプターで追跡し、丘の上に追い詰めた。

タリバン司令官のムラー・アブドゥル・ラウフ(Mullah Abdul Rauf)は、200人のタリバン戦士たちがスピンボルダック付近で、20人のアフガン政府軍兵士を殺害したと主張。しかしこれはカブール政府はこれを認めてない。

今年になって約120人のアフガン政府軍兵士が殺されている。

garrTaliban fighters return to ambush coalition forces
By Ahmed Rashid in Kabul


■1985年にパキスタンはムジャヒディンのためにロバを“輸入”[030721 Daily Times]

1985年に、アフガニスタンにおける対ソ連戦争で、パキスタンはムジャヒディンのために、ブラジルやエジプトから約1000頭にものぼるロバとラバを輸入したという。この驚くような話は、George Crileが最近出版した、アメリカの議員チャーリー・ウィルソンとアフガン戦争についての本のなかで紹介されている。

当時アメリカは、大量の武器をアフガニスタンのために輸送しなければならなかった。CIAは何百万もの弾薬をパキスタンに輸送。パキスタンに入ると、鉄道とトラックで国境まで運ばれた。しかしそれからは、昔ながらの方法、人間が背負って運ぶか、ロバまたはラクダが頼りだった。ロシア人たちは、これらの隊列を徹底的に攻撃した。したがって、85年にはこれらの動物はほとんど全滅。CIAは、武器輸送の危機に直面することになる。CIAのエージェントは世界中の「良い」ロバを捜しはじめた。

後略

ohBook reveals Pakistan“imported”donkeys for mujahideen in 1985
Daily Times Monitor、WASHINGTON


■アフガニスタンのパキスタン大使館、再開[030721 Nations]

カブールのパキスタン大使館は、襲撃事件以来2週間ぶりに業務を再開した。この件についてカルザイ大統領は謝罪し、外交官筋によると、20万ドルが賠償金として支払われたという。

hoonPakistan embassy in Kabul reopens two weeks after ransacking
KABUL(AFP)


■アメリカの報復[030721 Daily Times]

アメリカ軍のコンボイが土曜日に、スピンボルダック付近で、正体不明の武装団に攻撃され、その報復として24人を殺害したという。攻撃してきた5人を殺害したあと、アパッチ・ヘリコプターが一味を追跡し、さらに17人から19人を殺害。

またパキスタン国境付近でも、アメリカ軍の飛行機がタリバンを攻撃した。攻撃は土曜日の夜、スピンボルダックの西6キロで発生し、政府のチェックポイントが攻撃された。交戦は約5時間続いたという。両方で死者がでた模様だが人数は不明と、アフガンの地方オフィサーKhalid Achakzai。少なくとも4人の政府軍側兵士の遺体を確認したという。

またタリバン高官のムラー・アブドゥル・ラウフ(Mulla Abdul Rauf)が電話で語ったことによると、この戦闘で約20人の政府軍が殺され、約200人のゲリラが参加したという。「我々の仲間の1人も殺された」。「タリバンは後に撤退した」とも。

Achakzaiによると、前タリバン大臣のムラー・アブドゥル・ラザック(Mullah Abdul Razzaq)とハーフィーズ・アブドゥル・ラヒーム(Hafiz Abdur Rahim)司令官、前地方知事のラウフ(Rauf)らに指揮された約75人のタリバン兵士が戦いに参加。これらのゲリラたちは、パキスタン国境側からやって来たという。

ラウフによると、タリバンはアメリカ軍基地も攻撃したというが、どの程度の被害を与えたかは不明。これらの攻撃は、3日前にタリバンの最高司令官オマール師との話し合いで決定したという。

このほか日曜日に、ガルデズ地方で爆発があり、2人のイタリア兵とアフガニスタン人通訳が負傷した。

一方、アフガニスタン治安部隊は、カブール・テレビを攻撃しようと計画していた2人の外国人を逮捕した。2人の国籍は不明。

garrRetaliation by US forces
Reuters/AFP、KABUL


■アメリカ軍、タリバン殺害[030721 AP]

日曜日、アメリカ軍はスピンボルダック(Spin Buldak)付近でタリバンに襲撃されたが、19人のタリバン武装団を殺害した。連合軍側には負傷者はいない模様。

武装団はアメリカ軍のコンボイを襲撃。アメリカ軍のアパッチ・ヘリコプターが出動した。

土曜日、約60人のタリバン兵士がアフガニスタン南部の国境のShero Obah government postを襲撃。パキスタン側に逃げ込むまでに、激しい銃撃戦が続いた。この襲撃でタリバン2人が死亡、5人が負傷した。カンダハルから約100人のアフガニスタン正規軍と20人のアメリカ兵からなる応援部隊が派遣された。「襲撃者たちはパキスタン方面からきた。アメリカ兵と応援部隊が来ると、パキスタン側に逃げた」とアフガニスタン高官。

日曜日には、国連の車輌がクナール州で襲撃された。乗車していた3人は無事に逃げたという。

最近、アフガニスタンでの襲撃事件が増えている。タリバンとアルカイダ、ヘクマチアルのシンパの仕業と見られている。

月曜日には、約100人のカナダ兵の国際平和維持隊がカブールに到着した。今後、約1800人のカナダ兵が合流する予定。

garrU.S. Soldiers Kill Suspected Taliban
By NOOR KHAN


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003.