【2004年5月10日〜5月16日】


■米兵、アフガニスタンの襲撃で死亡[040516 AP]

土曜日にアフガニスタンのヘマルンド州で、抵抗勢力が合同軍のパトロール隊を襲撃し、米兵1人が死亡、2人が負傷した。

またアメリカはGirishkで橋に仕掛けてあった爆弾を、取り除いたという。容疑者6人が逮捕された。

5月7日の夜、海兵隊1人がウルズガン州をパトロールしていた最中に襲撃されて、死亡している。

hoonU.S. Soldier Killed in Afghanistan Attack
KABUL


■部族地帯で軍が行動[040516 Kyodo]

土曜日に軍の車列が、北ワジリスタンの部族地帯に向かって動きだした。南ワジリスタンのワナの住民によると、79台の車輌がワナの基地から北ワジリスタンのラズマックに向かって移動を始めたという。

smellLarge military movement seen in Pakistan tribal area
ISLAMABAD


■カラチの爆破事件、警察官か[040515 AP]

5月7日に起きたカラチのモスク自爆テロ事件の容疑者は、警察官だったことが判明した。以前は、シーア派の聖職者の格好をした人間の犯行といわれていた。現場から警察官が着用するベルトが発見された。(中略)

カラチにあるこの警察官の家から、スンナ派の過激派組織Lashkar-e-Jhangviと関係する証拠が押収されたという。またこの人物は2002年に警察官になる前に、アフガニスタンでタリバンとともに戦っていたという。

警察は、この警察官を指図したと思われるスンナ過激派の聖職者を捜索中だという。 (後略)

garrPolice Officer Suspected in Karachi Blast


■米軍のパキスタン側への越境、続く[040515 Daily Times]

米軍がパキスタンの領土に、3時間の間に2度越境しようと試みた。住民によると、「米軍特殊部隊が北ワジリスタンのDatakhel地域に、4台の車輌と2台の兵員輸送装甲車に分乗して越境しようとした」という。パキスタン軍のキャプテンが対応し、追い返したという。

パキスタン軍報道官は、米軍が国境を侵害したことを否定した。「木曜日、国境の侵害はなかった」と、報道官のMaj Gen Shaukat Sultanが『Daily Times』に語った。「木曜日、同地域で、米軍とパキスタン軍との間の『国同士の話し合い』が開催され、地元の問題を話し合った」という。「これを、メディアは米軍の越境ととらえたようだ」という。

住民によると、米軍特殊部隊が越境してくると、アフガニスタン側を米軍ヘリコプターが旋回し始めたという。「パキスタン側の兵士が英語をしゃべれなかったために、パキスタン軍キャプテンが呼び出され、帰るよう交渉した」という。しかし90分後、再び米軍は国境を超え、Lowara Mandiの住民によると、この地域の店舗の捜索を始めた。再びパキスタン軍が説得し、米軍たちはアフガニスタンに戻ったという。

garrAfghans not abiding by border ceasefire
By Muqarrum Khan、GHALANAI


■米軍、ワジリスタンへの越境を試みる[040515 The Nation]

アフガニスタン側のパキスタンとの国境付近に駐屯するアメリカ軍は木曜日に、2度、北ワジリスタンのLawara Mandiに入ろうと試みた。目撃者によると、国境付近を警戒しているTochi Scoutsと話し合い、引き返したという。

4台の兵員輸送装甲車と2台の車輌に分乗した米軍が、Lawara Mandiの設営中のTochi Scoutsのチェックポストに到着した。Tochi Scoutsの兵士は英語を話すことができなかったので、キャンプ本部に連絡。Tochi Scoutsのキャンプテンが到着し、米軍と話し合い、引き返させた。

しかし1時間後に再びアメリカ軍がポストに戻り、パキスタン側で捜索を行なうことを交渉した。しかし国境警察官は再び交渉を開始し、追い払ったという。米軍はアパッチ・ヘリコプターやジェット戦闘機を伴ってやってきたといい、部族民たちの間にパニックが起きた

これまで米軍はLawara Mandiを4度も越境している。

garrUS troops bid to enter Waziristan >From Haji Mujtaba、MIRANSHAH


■ジルガ、登録問題を今日話し合う予定[040515 Daily Times]

政府筋が『Daily Times』に語ったところによると、行政側に出頭するべき外国人たちは、諜報部の質問に答えなければならないという。また外国人は自分で政府機関に出頭し、自分で登録することを義務づけるという。

いっぽうネック・ムハンマドの一行は「登録されたら、外国人の行動に対する責任はもうない」と語った。これは以前と反する発言であるが、政府は夜遅くまで、ネック一行とこの件に関して話し合っていたと情報源が語った。

ネックは行政側と軍に、Shakaiで行なわれた取り引きには外国人の登録は含まれてないと再び主張。もし政府が「ムジャヒディン」である外国人を登録することを望むのであれば、新たに取り引きをするべきだと述べたという。

部族の長老たちは、政府の登録問題の扱い方に不満を示し、自分たちを無視し、ネックと直接話し合っていると非難した。「我々の意見を聞くことなしにネックと直接話しあっていたというのに、今になって我々が行動することを望まれても困る」と怒る。

いっぽう軍はワナ空港やキャンプ本部のまわりに塹壕をを掘り、陣地を固めた。

hoonJirga takes up registration issue today
By 1qbal Khattak、PESHAWAR


■政府、部族地帯の外国人登録遅延に強硬手段を警告[040514 AP]

政府は部族地帯の部族民たちに、外国人の登録に対する取り引きを守らなければ、強行手段を用いると警告した。

外国人は金曜日に登録を開始する予定であったが、部族民たちが彼らを説得するための時間を与えるために、延期された。

南ワジリスタン行政官のAsmatullah Gandapurはワナの部族の長老たとち会い、政府の堪忍袋は切れ始めていると述べた。「辛抱強く待っているが、部族民たちが責任を果たさないのであれば、政府は行動する」という。外国人を登録するためのキャンプを設営するという。

部族の長老の1人Malik Noor Ali Khanは、「よくわかっている。明日まで時間がほしい」と語った。別の長老Malik Mohammed Iqbalは、土曜日になっても登録は始まらないだろうと述べた。「遠くから来る人々がほとんどだ。ここまで来るのに、時間がかかる」。

hoonRegistration of foreign militants in Pakistani tribal region delayed,
official warns of action


■アフガン人、モーマンド行政区に発砲[040514 Daily Times]

モーマンド行政区の行政官は木曜日に、行政区の一部が、アフガニスタン側から攻撃されていると述べた。

行政官Sahibzada Muhammad Aneesは、発砲事件はアフガンの個人の仕業で、カブール政府とは関係がないと述べているという。今のところ、負傷者や損害はない模様である。

hoonAfghans firing into Mohmand Agency
GHALANAI


■山中の革命・第6部…部族地帯の問題[040514 Asia Times]

(前略)9.11以来、パキスタンの部族地帯の様子は変わった。一夜のうちにこの地域はスポットライトを浴びるようになり、住民はこれを喜んでいない。パキスタン軍による最近の南ワジリスタンでの軍事作戦は、その変化を浮き彫りにする。

これまでも軍は部族地帯で行動していたが、そのときは歓迎されていた。去年、南ワジリスタンでいくつかの小さな作戦を実施し、チェチェンやウズベク、アラブ人など、外国人数人が逮捕された。しかし先月の作戦は、全く様子が異なる。アメリカの指示を受け、イスラマバードは数千人の兵士を、外国人戦士たちの捜索のために派遣した。しかし部族民に歓迎されるかわりに、部族民たちは外国人に協力し、抵抗した。パキスタン兵数十人が死亡した。結局軍は和平を結び、部族民たちは罰されることはなかった。

(中略)部族地帯は「連邦政府の管轄外」である。パキスタンの法律は、この地域には適応されない。1901年にイギリス統治時代の遺産である特別なコード、FCR 40と呼ばれるが、分離独立した今もそのまま使用される。これと関連して、行政側、つまりパキスタンのエリートDistrict Management Groupの下役の官吏は、資金の分配を含めて完全な権力を持ち、地元の部族民たちとの関係で行使する。ソ連のアフガニスタン侵攻以後、部族民たちを味方につけ、カブールの共産主義と結託したパシュトゥンのナショナリストの力を封じるために、部族長たちに膨大な金をばらまき、アフガニスタンとの密輸に目をつむり、電気も無料で提供した。他の地域では、電気代は各家庭の支出の30%を占める。

その結果、この地域は豊かになった。一般の人々も、自家用車を持つ。他では2万ドルもする日本製の1600ccの車が、FATAでは4000〜5000ドルで買える。アフガニスタンを通して密輸されるからだ。ほとんどの家にはエアコンがある。

行政は武器の所有にも目をつむった。武器を持たない部族民は、片手で数えられるほどだ。誘拐も余暇のひとつだ。基本的に行政官は部族民がお互いどうしで争わないよう、見張っているにすぎない。

《変化の兆し》

つい最近まで、部族民たちが行政官の事務所に行くと、彼らの反抗的な性格は一時的に消える。一応、行政官の機嫌を損ないたくないのだ。朝か夕方まで、部族の長老たちは行政官の事務所の外でたむろし、若い高官をちらりと見ようとする。古い植民地時代的な慣例に従って、行政官はめったに民衆の前には現われない。そのかわりに、スタッフを通して、適当に賄賂を分配した。長老たちが行政官のいる部屋に入ることなどはない。

米軍がアフガニスタンに侵攻し、パキスタンがタリバン支持を取り下げたあとも、部族地帯は平和だった。先月の南ワジリスタンは、全く別問題だ。部族地帯が根本的に変化し、行政官との力関係が変わった。彼の命令は無視され、イスラマバードに警鐘が鳴った。部族地帯の一部の者たちがパキスタン軍に抵抗し、外国人戦士の捜索を拒否した。部族地帯全体に、反乱が起きた。

これまで部族地帯の政治的、宗教的組織は国家の手の内にあったが、最近の南北ワジリスタンには、強力なジハード地下組織が活動しているようだ。今部族地帯に、CDが出まわっている。アマチュアのビデオカメラでとらえられた、パキスタン軍による部族民への攻撃が映っている。問題はパシュトゥ語のコメントだ。部族民たちに団結し、パキスタン軍と戦うように呼びかける。パキスタン軍は“Firqa-i-Pervez”(Pervez派、つまりムシャラフ大統領)と呼ばれ、ムシャラフ自身が「十字軍」の仲間というレッテルを貼られている。普通パキスタンでCDは1〜1.5ドルだが、今問題になっているミランシャーや近隣の部族地帯のCDは、4ドルもする。

さらに「兵士たちへのメッセージ」と書かれたウルドゥー語の2ページに及ぶチラシも出まわり、(中略)ムシャラフを非難し、戦いを辞めることを促す。チラシの最後は「南ワジリスタンでは300のき兵士たちが殺され、3人が捕虜にされ、軍のトラック15台を破壊した。もうやめろと警告する。アメリカとその仲間は、我々に対して行動することはできない。ワジリスタンの部族民より」と結ばれる。

この数ヵ月間、報道されていないが、部族地帯では何人もの人間が殺害されている。どの遺体にも、「タリバンを裏切った者の最期」というメモが残されていた。これらのことを考え合わせると、つまり南ワジリスタンにおけるパキスタン軍への抵抗、行政官の無視、攻撃的なCDやチラシ、密告者の遺体などから、部族地帯の風向きが変わったことがわかる。

アメリカは、ここに隠れていると信じる外国人戦士やアルカイダ幹部を引き渡すよう、ムシャラフに圧力をかけ続ける。このような状況のなかで、パキスタン軍は再び部族地帯で軍事作戦を開始しようとしているのだ。

garrPart 6: Trouble in the tribal areas
By Syed Saleem Shahzad、MIRANSHAH


■CIA、アルカイダ幹部に厳しい取り調べ[040513 New York Times]

CIAは、アルカイダ幹部に対して厳しい取り調べを行なっていると、前対テロ高官が語った。少なくとも1人が、取り調べに銃を用いて脅かしたために、免職になったという。

Khalid Shaikh Mohammadに対しては、段階を踏みながら強制的な措置を取っているという。そのひとつの“water boarding”として知られる方法では、囚人を縛ったまま、溺れそうになるまで水の中に沈めらる方法だ。これらのテクニックは、アルカイダ幹部に対する極秘取り調べ法として、法務省とCIAに承認されている。これらの規定は9.11以後、ブッシュ政権によって採用され、以後、拘留者を手荒く扱うことを許す傾向が高まったといえる。

取り調べ官たちによると、拷問になる直前で止めているために、法律を犯すものではなく、非協力的な拘束者から情報を得るためには必要だという。アメリカに対して新たな攻撃があるかどうか、聞き出そうとした際に用いられたようだ。

CIAが用いる方法は非常に厳しく、FBIの捜査官たちは、自分たちのエージェントにアルカイダ幹部たちとの取り調べには参加しないよう、指示しているという。FBI高官はFBI長官Robert S. Mueller IIIに、取り調べ方法は普通の犯罪の場合には禁止されるようなもので、同じ方法を使用したら、今後の犯罪捜査に傷がつく可能性があると述べた。

9.11以後ブッシュは、CIAがビンラディンのネットワークと極秘戦争を展開することを許可する指令書にサインした。この指令書により、CIAはビンラディンを殺害または逮捕できるが、ホワイトハウスが取り調べに関する特別規定を承認しているかどうかは、不明である。ホワイトハウスとCIAは、この件についてのコメントは避けた。

CIAの、アルカイダ幹部に対する取り調べプログラムは極秘にされている。イラクやアフガニスタンでの囚人の扱い方が問題化している今、CIAのアルカイダの取り調方法にも、捜索が向く可能性がある。これまでCIAは、人権団体や個人的オブザーバーを、取り調べ中の幹部と会見させないできた。彼らの居場所は極秘であり、ある幹部によると、ブッシュは拘留者がどこにいるか、知りたくないと述べたという。

対テロ高官によると、拘留者は第三国で取り調べを受けている場合もあるという。処刑されるか処刑される場所に護送されたと、信じこませるのだという。顔に袋をかぶされ、手荒く扱われ、水に沈められ、水も光もを与えられず、治療も受けさせない。

拷問や手荒な扱いをすれば、有益な情報を入手できると確信されている。CIAの高官の中には、現在の取り調べ方法を疑問視する者もいる。「関係者の中には、大統領が交代、国家の風潮が変われば、自分たちの行動が問われるのではないかと心配する者もいる」と、ある取り調べ官が述べた。「思ったより、その時期が早く来るかもしれない」。

極秘の取り調べ施設には、12〜20人の囚人がいると政府高官は述べる。ある者たちは直線アメリカの取り調べを受けるが、外国政府に管轄される者もいる。CIAの高度な取り調べプログラムにより、2002年4月に逮捕されたAbu Zubaidaは、すぐに口を割った。Abu Zubaidaはビンラディンの側近で、アルカイダのメンバーをアフガニスタンの訓練所に集めていた。彼の情報から、アルカイダ下級メンバーのJose Padillaが2002年6月に逮捕された。彼はダーティ・ボムを作ろうとしていた。さらにKhalid Shaikh Mohammadについての情報、9.11首謀者の1人Ramzi bin al-Shibhや1998年の東アフリカの大使館爆破事件や2000年10月のコール船爆破事件の首謀者の1人、Walid Ba'Attashについての情報も提供した。

政府が全く知らない囚人や、アルカイダとは末端でだけ繋がっている者もいる。たとえばある中東出身の男は、ビンラディンに金をやりくりしていたと諜報部に目をつけられ、アラブ首長国連邦で逮捕された。首長国が彼の銀行口座を凍結し、CIAに通報すると、極秘の取り調べブログラムの中に消えていった。

Khalid Shaikh Mohammadがパキスタンで逮捕されたときに、ビンラディンが家族に出した手紙を持っていたため、CIAはさらに厳しい取り調べのテクニックを用いて、ビンラディンの居場所を聞き出そうとしたという。CIAはアルカイダの取り調べシステムを、CIAと法務省の弁護士の意見を聞きながらとりおこなってきた。それにより、Khalid Shaikh Mohammadに用いたような、水に沈めるなどの手荒い取り調べ法は、法的基準を満たしているとされる。

ある高官によると、もし囚人が第三国にいれば、たとえ拷問を行なったりジュネーブ条約に反することをしたとしても、アメリカの責任にはならないと書かれた覚え書きがあるという。拷問を禁止するのはアメリカの法律であり、問題はいかにしてアメリカ人高官が関わっているか、ということなのだ。囚人が第三国にいれば、アメリカの取り調べ方法に対する規制はこの場合あてはまらず、たとえアメリカが取り調べから恩恵を受けたとしても、責任は第三国にある。

ブッシュ政権がこのプログラムを開始したたのは、アフガニスタンで逮捕された何人かの逮捕者たちが貴重な情報を持つことに気づいたために、グアンタナモに収監されているような下部メンバーたちと隔離しておく必要を感じたからだ。CIAには取調官が不足し、アルカイダ幹部たちを置いておく場所がなかった。したがって9.11以後、囚人たちを秘密、かつ安全に隔離する場所を、世界の各地の友好国から探し出した。9.11以後、どのように人間を消すかが論争されたと、ある諜報部高官が述べる。結局CIAは海外の極秘の施設を、こっそり使うことになった。

今のところブッシュ政権は、重要人物たちをどうするつもりなのか、何も語ってない。弁護士もつけず、長期的に拘留するのか、裁判にかけるのか、その方針はわからない。軍事裁判にかけるか第三国に引き渡すなどの意見もあるが、対テロ高官たちは、ブッシュ政権はこれらの拘留者たちに「結末」を与えないでいることを非難する。グアンタナモに建てられた、長期的刑務所に、無期限に拘留されることもありうるという。

garrsmellHarsh C.I.A. Methods Cited in Top Qaeda Interrogations
By JAMES RISEN, DAVID JOHNSTON and NEIL A. LEWIS、Washington


■山中の革命・第5部…ジハードの代償[040513 Asia Times]

ソ連侵攻時代、アラブ・アフガンたちが、アフガンの抵抗運動の背後で活躍した。「我々の軍に抵抗しているのはアフガン人ではなく、パンジャーブ人とアラブ人だ」と、ナジブラー大統領が語っていた。米軍がアフガニスタンでタリバン政権を崩壊させると、彼らはパキスタン側の部族地帯に撤退した。ここに新しい住みかを見いだした。そしてアフガニスタンにいる占領者に対する情熱は、さらに燃え上がった。

トラボラからZarmatのシャヒ・コットの谷まで、アフガニスタンの抵抗勢力の大部分は外国人戦士だ。サイフラー・マンスールやジャラウディン・ハッカーニのような司令官の軍隊の中で、アラブ人戦士が紛れ、果敢に戦う。

『Asia Times』はこれらの外国人戦士と直接会う機会はなかったが、部族民たちの目をとおして、彼らについての話を聞くことができた。「我々国境で分断されているアフガン人たちは、金に操られる。しかし外国人ジハードたちは、我々を魅了する」とミランシャーの商人は語る。「米軍がアフガニスタンに侵略してくると、我々のもとに負傷した者が何人もやってきた。でも、誰もが意気揚々としていた」という。

「アラブ人、チェチェンや外国人戦士たちは、使命感に燃えている。パキスタンに滞在するためにやってきたのではない。最後にやってきたのは10人程度だった。そして女性が50人、子供が数十人いた。彼らは妻と離婚し、我々のもとにいる年老いた長老たちと再婚させ、彼ら自身はアフガニスタンで戦うことに専念した。何人かはサウジ人だった。イエメン、ウズベク、中国人もいた。全員、教育を受けた者たちで、医者や技師、ビジネスマンだった。彼らは山に行って(Ghulam Khanを指差し)その後、帰って来ない」。

Taligi Jamaat(イスラム宣教師で、イスラム学を説いて廻る)のメンバーのJavedによると、ほとんどの戦士たちはアルカイダとは関係がなかったという。「タリバンの撤退が報道されると、タリバンの下にいた司令官たちは、アフガニスタン中に消えていった。彼らは土地の人々であり、部族民たちの庇護のもとにいる。しかし外国人たちは、たとえばガルデズ、コースト、パクティア、パクティカで医者として生活していた者たち、または学校の教師や福祉関係者たちは途方にくれた。そこでタリバンがいくつかのピックアップを手配し、ミランシャーに連れてきたのだ」。「北ワジリスタンに入ったときに、Eishaのチェックポストを通過したと思うが、その近くのマドラッサやモスクに、彼らの家族が住んでいた。数日間そこに匿ってあげて食事を与え、その後5人から10人のグループで帰国できるよう、手配してあげた」。

部族民たちが外国人戦士たちを歓迎したのは、もっともだ。民族的に異なっても、外国人たちの情熱に魅了され、アフガニスタンから「異教徒」の占領者を追い払うために、命を捧げる彼らに共感したのだ。アフガンと強い関係を持つ部族民たちは、同じ気持ちを共有した。4月24日に交わされた部族民と政府との取り引きの結果、外国人たちが登録して平和に暮らすことを約束すれば、彼らは部族地帯に留まることができる。

外国人戦士たちの多くはアフガニスタンに戻り、彼らの将来ははっきりしない。タリバン運動は再結成している。アフガニスタンのいくつもの地域を、再び支配下に置いている。今カルザイ大統領はタリバンに政治に参加させようと交渉している。タリバンを受け入れるための条件は、外国人戦士たちと縁を切ることだ。ジハード志願者たちは、平和という祭壇の生贄にされる。

hoonPart 5: Jihadis pay the ultimate price
MIRANSHAH


■アメリカに訓練されたエリートパキスタン隊、テロとの戦いに参加[040512 AP]

9人のアメリカ人インストラクターが、6週間にわたって、パキスタンのエリート警察官を訓練した。世界中で地元のテロリストたちを一掃するための、アメリカ国務省の計画のひとつである。

インストラクターの責任者Richard Jonesによると、この新しい隊は今後の対テロ活動に参加するという。「国家の安定や、国内問題に対処するために大事なことだと思う」という。パキスタンの4つの州に、8月までにエリート対テロ隊を持つことになる。(後略)

hoonElite, U.S.-trained Pakistani force joins terror fight


■パキスタンの外国人戦士、登録予定[040512 AFP]

政府と部族民との間の話し合いで、南ワジリスタンの部族地帯にいる外国人の登録が、金曜日に開始されることになった。ネック・ムハンマドも話し合いに参加した。

「ネック・ムハンマドとその仲間たちは協力してくれた。客人として自分たちと一緒に生活している外国人たちに、登録するよう説得することに同意してくれた」と、国会議員のAbdul Malikがジルガで語った。

hoonSuspected foreign militants in Pakistan to register for amnesty
WANA


■アフガン人、米軍の暴力についての体験を語る[040512 New York Times]

前アフガン警察の大佐が今週、去年の夏にアフガニスタンで米軍に40日間拘束され、その間叩かれたり眠りを禁止されたり、性的ないやがらせをされたことを証言した。繰り返し写真を撮られ、裸の写真を撮られたこともたびたびあったという。

「イラクの刑務所と同じことが、私にも起きたことを神にかけて誓う」と、前警察高官のSayed Nabi Siddiquiがガルデズで述べた。

彼の話の裏は取れてないが、インタビューに同行したアフガンの人権団体によると、彼が釈放された直後に彼から聞いた話と全く同じだと述べた。彼の釈放は、バグダッドの刑務所の暴行が明るみになる以前のことである。

2002年にカルザイ政権によって組織された調査委員会は、アメリカや外国の援助金で運営され、最近アメリカによるさまざまな行動に対する訴訟44件を受けている。イラクでの問題が明るみに出る以前から、暴力を受け、裸にされたり冷たい水を浴びせられたりしたという訴えが浮上していた。アフガン軍や警察官によると、逮捕された者やその家族から、同じような話を聞いているという。

Siddiquiの件をペンタゴンに訴えたところ、カブールの米大使館は水曜日に、「米軍が直接調査を始めた」と発表した。カリルザド米大使は、「軍や米大使館が、暴力について聞いたのは初めてだ」という。しかし人権団体によると、すでに去年、Siddiquiが性的暴力を受けたという訴えを米軍時高官に伝えたとのことである。

Siddiquiによると、彼は7月15日に警察の腐敗について報告したところ、ある者が、彼がタリバンのメンバーだと訴えたために、不当に逮捕されたという。国防省から発行された、バクラム空港に8月13日から20日まで拘留され、その後、「米軍やアフガニスタンの国軍に対して脅威ではない」ということが証明されたために、釈放されると書かれた証明書を持つ。しかしSiddiquiはガルデズのアメリカ空軍基地に22日間拘留され、ここでひどい目にあったという。その後カンダハルに12日間拘留され、最終的にバグラムに1週間いた。

拘留された全部の場所で、人権を侵害されたという。「私をばかにし、あざけり、意地悪な質問をした。たとえば、どんな動物とセックスをするのが好きかとか、セックスをするために、どの動物を連れてこようかとか言われた」と、ガルデズの体験を話した。(中略)「アメリカ人が質問をし、通訳がそれを訳し、みんなで笑っていた。私は警官の制服を着て、私の地位を証明するバッヂもつけていたのに」。性的暴力もそのつど、受けたという。(中略)

米軍司令官Lt. Gen. David Barnoは、これまでこのような話は聞いたことがないと述べたが、「真剣に受け止める」という。「犯罪的な行動があるようだ」という。米軍の主要な拘留所はバグラム空港にある。米軍歩兵隊と米軍特殊部隊はガルデズの基地を使っているが、当時誰がガルデズの責任者だったかは、わからないという。当時は「軍隊以外」つまりCIAが管轄していた可能性があるという。アフガニスタンの僻地の基地では、いくつかの「問題」があり、自分が管轄するようになってから、拘留者に対する7件の暴力事件があったと述べた。

ガルデズの人権団体の調査委員会責任者Rafiullah Bedarは、Siddiquiは信頼できる男であることをみんな知っており、彼の話を信じると語る。委員会の1人Mohammad Farid Hamidiは、去年2度米軍高官たちと委員会を開き、Siddiquiの件を含む、米軍の拘留者や市民の扱いについて訴えたという。(後略)

garrAn Afghan Gives His Own Account of U.S. Abuse
By CARLOTTA GALL、Kabul


■アルカイダのビデオ、ワナで死亡した戦士の復讐を誓う[040512 Daily Times]

アメリカ人がイラクにおけるイスラム過激派に首を切り落とされるシーンを撮影したビデオのなかで、アルカイダと関係を持つグループが、アフガニスタンとの国境付近にいるパキスタン兵士を攻撃する準備をしていると述べた。

「Abu Musab al-Zarqawiがアメリカ人の首を切る」と題されたビデオで、覆面をした男がムシャラフ大統領に声明を発表した。「もうひとつ、裏切り者ムシャラフにメッセージがある。あなたの兵士たちに会うのを楽しみにしている。アメリカ人たちをやっつける前に彼らを探し出し、ワナの兄弟たちの血のために復讐する」と述べた。

garrQaeda video threatens revenge for fighters killed in Wana
CAIRO


■取り引きの内容が明らかになるまで、ラシュカル延期[040512 Daily Times]

部族民による志願兵ラシュカルは火曜日に、4月24日の合意書の内容が明らかになるまで、外国人の捜索を延期することにした。「取り引きに外国人の登録が明記されてなければ、彼らに対して行動は起こさない」と、Khojelkhel枝族のMalik Behram Khanが『Daily Times』に述べた。

ネック・ムハンマドはジルガで、「もし私が同意書に反することをしているなら、ラシュカルはいかようにも自分を罰してもかまわない。外国人の登録に関しては、同意書には何も記されてない」と発言した。Malik Behram Khanは、ネックと政府のどちらが真実を言っているか確認するという。(後略)

hoonLashkar delays offensive until terms of deal revealed
By Iqbal Khattak、PESHAWAR


■前首相の弟、追放[040512 BBC]

パキスタンの野党のリーダー、シャッバース・シャリーフは帰国して数時間後に、サウジ・アラビアに戻った。アブダビ経由でロンドンからラホールに飛び、約2時間後には再び機内に戻された。

ラホールに着くと同時に、前大臣はコマンド隊に連行された。シャリーフに同行した『BBC』のZaffar Abbasも、カメラマンとともに連行された。今回の出来事は、パキスタンではまだ民主主義が根づいておらず、自由に発言したり、野党が再組織化することを許可しないことの証明になるという。

hoonPakistan deports ex-PM's brother


■ビンラディンとアルカイダはどこにいる?[040511 OutLook India]

(前略)南ワジリスタンの作戦が失敗したのは、米軍の圧力のせいだとパキスタン軍内部で、批判が強まっている。米軍の話が真実だとしたら、南ワジリスタンに避難していたアルカイダ残党たちはパキスタン軍に逮捕されるか、アフガニスタン側で待ち構える米軍に捕らえられるはずだった。しかし、何も起きなかった。

前ISI長官のアスラム・ベーグ将軍によると、もはやアルカイダはパキスタンにもアフガニスタンにもいないからだという。彼らは米軍と戦うためにイラクに移動し、南ワジリスタンにはほんのわずかが残っているにすぎないと述べる。ベーグの背後関係や影響力を考えると、彼の発言は重要だ。ベーグは2004年3月14日に『The Nation』に投稿し、次のように書く。

「1982年にアフガニスタンにソ連兵は15万人いたが、アフガン兵は4万人に満たないほどだった。そこで、アメリカとパキスタンがムジャヒディンの援助に乗り出した。ジハードの意気が活発になり、アメリカにいるムスリムの宗教リーダー、Omar Abdur RahmanとFarah Khanが若者たちに、アフガンの抵抗運動に参加するよう、呼びかけた」。「アフガニスタンにいる共産勢力に対抗するために、パキスタンとの国境地帯にいくつものマドラッサが出現し、パキスタン、サウジ、アメリカの援助を得た。タリバンはこれらのマドラッサの産物だ」。

「アブドゥッラー・アザム博士はヨルダン人で、アフガニスタンのGhunda ShahadatにGhunda-e-Jadeedと名づけた教育兼軍事組織を設立した。アラブが資金提供をして、ビンラディンがこの施設と関わるようになる。ビンラディンは山中に道路を作り、隠れ家を作り、ムジャヒディンたちを守った。アザムはペシャワルのハヤタバードに家族がいたためにそこをたびたび訪れ、そこで暗殺された」。「アザムの死後、オサマがGhunda Shahadatの訓練所を管轄した。アラブのムジャヒディンたちは、チェチェン、インドネシア、マレーシア、フィリピン、インドなどから戦士たちを迎えた」。

「この頃になって、Abdul Rauf Saif(Sayyaf) 博士がTat city近くのSaddaにマドラッサを開いた。ここで5千人のムジャヒディンが訓練された。いっぽうオサマは国際イスラム戦線を設立し、世界的なイスラム運動と関係を持ち始める」。「アメリカはオサマの活動を知っていただけでなく、援助した」。

1989年に、ジャララバードのナジブッラー軍と衝突したが、うまくいかなかった。 (筆者記・当時のISI長官ハミッド・グル将軍の指揮で、オサマの配下とアフガンムジャヒディン、パキスタンコマンド隊がジャララバードのアフガン軍ポストを襲撃したが、失敗した。ベナジール・ブットはこの機を利用してハミッド・グルを更迭し、ブット父の側近だったMaj.Gen.Shamshur Rahman KallueをISI長官に仕立てた。ベーク将軍は、これに強く抗議した。KallueはISIの権力を縮小し、当時警察組織の中にあった諜報部の力を増大しようとした。ベーグ将軍はこれに強く反対して当時の大統領、Ghulam Ishaq Khanを説得。最終的にこれが原因で、ブット首相は更迭される。)

「ジャララバードの作戦が失敗すると、アフガンムジャヒディンとビンラディンの間に亀裂が生じたため、彼の率いる世界的なイスラム運動に支障を来たした。パキスタン政府にも問題が出てきた」。「1992年に、ラッバーニ政権が設立した。オサマはサウジに戻ろうとしたが、ちょうどこのとき、サウジはオサマの市民権を剥奪したため、オサマはスーダンに渡る。そしてこのころ、タリバンが出現、ラッバーニを追放する。オサマは1996年にアフガニスタンに戻り、再びイスラム戦線を組織、タリバンは彼を匿うことにする」。

「アルカイダは1996〜97年に組織された。1997〜2001年の間にアルカイダは国際的レベルで組織され、さまざまなイスラム組織が再び団結した。世界各国で活動しはじめたために、名前が知られるようになる」。「アルカイダの力が広がることを恐れたアメリカは、1998年にジャララバードにあったアルカイダの基地を巡航ミサイルで攻撃、タリバン政府に制裁を与えた。アルカイダは打撃を受け、ジャララバードからカンダハル近辺に移動。人数も激減し、国際的な援助も縮小された」。

「アルカイダは米軍のアフガニスタン侵略のあと、イラクに移動。アフガニスタンでは組織は縮小し、その残党が南ワジリスタンのアンゴールアダとワナにいるにすぎない。オサマの生死はわからない。しかし彼は伝説となり、弱者の抵抗運動のシンボルとなった。そのイメージは、彼の生死の問題よりも大きい。

この発言から、次のような興味深い事実が浮上する。

イスラム各国のジハード団が団結した国際イスラム戦線は、1980年代から存在していた。いっぽうアルカイダが出現したのは1996〜97年で、ビンラディンがスーダンからジャララバードに移った頃だという。これまでアルカイダは1980年代末に組織され、国際イスラム戦線は1998年2月に組織されたというのが定説だ。ビンラディンがアメリカとイスラエルに対して、国際イスラム戦線の名前でファトワを発表したときである。ベーグは1998年の出来事は、国際イスラム戦線の「再組織化」と呼ぶ。1992〜96年の間オサマと他国のジハード組織との関係は途切れたが、96〜97年にアルカイダを組織してから、再び繋がったらしい。

これまでオサマは、1989年のジャララバードの戦いのあとアフガニスタンを去ったといわれる。しかしベーグは、1992年にナジブッラー政府がアフガンムジャヒディンの手に落ちたあとに、脱出したと述べる。

ベーグは1980年代からビンラディンの訓練所で、マレーシア、インドネシア、フィリピン人を訓練していたと指摘する。これまでこのような説はない。

ベークは、アルカイダはイラクに移動したと述べるが、次のような説もある。2004年3月29日の『The Nation』の記事に、次のような記事が掲載された。

「若い密輸業者によると、最近の最大の顧客は武装勢力だと述べ、難民やドラッグ密輸業者の10倍の値段を払ってくれるという。密輸業者によると、2002年3月に実施された『アナコンダ作戦』以後、アルカイダ戦士たちはパキスタンの部族地帯に密かに流れたらしい」。

「諜報部の情報源によると、ビンラディンを含むタリバン幹部たちが、パキスタンの北部地帯からトラボラ南部の部族地帯に移動しているのが目撃されている。最近のことでは、ビンラディンは3週間前にディールにいたという」。「ザワヒリはチトラルの町の西30マイルのShah Salim村に、新たなアルカイダの基地を作ったといわれる。ギルギットの北90マイルにある、中国との国境付近のMurkushiにも基地を設立した」。

「アルカイダの残党たちはアフガニスタンの山中に消えたともいわれるが、パキスタンに相当な数が入ったという確かな報告がある。パキスタンのISIの協力を得てFATAや、例えばカラチのビノリ・マドラッサや北西辺境州のUloom Akora Khattak、ラホールのJamia Ashrafiyaのモスクやマドラッサにいるといわれる。ISIはこれらのモスクまたはマドラッサを常に監視しているために、彼らの目をくぐって潜入することは不可能だ」。(後略)

いっぽう過激派Lashkar-e-Toiba(LET)のリーダーで、国際イスラム戦線の活動を指揮しているProf. Hafeez Mohammad Sayeedは、次のような声明を発表した。

「LETは、パキスタン政府がビンラディンをアメリカに引き渡すことを禁じる。ビンラディンはムスリムであり、パキスタン政府がいかなる条件においても、彼をアメリカに引き渡すことを認めない。オサマの保護は、パキスタン人ムスリムの義務だ。カシミール、アフガニスタン、イラク、パレスチナのジハードを止めることは誰にもできない。今後も続く」。

LETはイラク人囚人が虐待される写真を大量にばらまいており、イラク人だけでなく、米軍に逮捕されたアフガン人や他国のムスリムも同じように虐待されていると指摘し、ムスリムに、アメリカに対してジハードを行なうよう、呼びかけた。

garrWhere Are Bin Laden And Al Qaeda?
B. RAMAN


■パキスタンのリーダー、亡命から帰国[040511 BBC]

パキスタンの野党のリーダー、シャッバース・シャリーフが、3年の亡命を終えて帰国した。ロンドンからアブダビを経て、ラホールに到着した。

兄のナワーズ・シャリーフ前首相の亡命後、亡命したシャリーフ氏が逮捕されるかどうかは、明らかではない。シャリーフ氏の帰国は、軍にとっては最大の挑戦である。

シャリーフ氏の帰国に伴い、ラホールでは支持者が何人も逮捕されている。彼の帰国を迎えようと集まった活動家たちを追い払うために、警察が催涙弾が撃ち込んだ。当局は50人を逮捕したと発表したが、シャリーフ氏側は数百人が逮捕されたと主張。そのなかには、氏の息子のハムザも含まれている。

ロンドンを発つ前にシャリーフ氏は、パキスタン政府がPML-Nの活動家を逮捕したことを非難した。また政治的敵対者を殺害したと訴えられていることに対して、弁護できると述べた。

シャリーフが逮捕されるか、再び追放されるかはいまだ不明である。シャリーフ氏は、自分がパキスタンに帰れるかどうかで、パキスタンに民主主義が本当に根づいたかどうかがわかると述べた。

『BBC』のPaul Andersonによると、もしシャリーフ氏の帰国が許されれば、大統領と政府が築こうとしている政治的基盤が崩される恐れがあるという。シャリーフの家族のほとんどが、サウジに亡命した。何人かが帰国を試みたが、強制的に再び飛行機に乗せられたという。(中略)

hoonPakistan leader back from exile


■米軍取り調べの秘密の世界[040511 Washington Post]

アフガニスタンでは、カブールにあるCIAの極秘取り調べセンターは「穴」と呼ばれ、恐れられている。イラクでは、もっとも重要な囚人はバグダッド空港の滑走路近くに収容され、さらに一部は、カタールの砂漠の中にある、巨大な米軍空軍基地に収監されている。イラクのAbu Ghraib刑務所は、米軍とCIAが対テロという名目で運営している、極秘取り調べセンターのひとつであるにすぎない。(中略)

極秘取り調べセンターには、3種類ある。まずはペンタゴンが運営する刑務所ネットワーク、つまりイラク、アフガニスタン、グアンタナモなどにある刑務所、そしてアルカイダ幹部などが収監されている、CIAが運営する小規模の秘密のセンター。最後に、外国の諜報組織の取り調べ部屋である。ここに米政府は、中級、あるいは下級テロリストたちを送り込み、尋問する。

ペンタゴンによると、海外には、約9000人が収容されているといわれる。彼らは法的な権利を剥奪されている。審問に参加することもできず、 少なくともAbu Ghraibの1A収監所に収監されている囚人には、ジェノバ条約に基づく、人道的な扱いに対する保証はない。

赤十字はイラク、アフガニスタンとグアンタナモの一部を視察しているが、CIAが逮捕した者の何人かは、消えているようだ。CIAの「幽霊囚人」はAbu Ghraibの憲兵たちに、「何のために逮捕されたかも知らせれずに」拘束され、赤十字に見られないように、「あちこち収容所内を移動させられた」という。

現在CIAの職員は、過去6ヵ月のうちに死亡した3人の囚人に関して、司法省の取り調べを受けいる。2人はイラクで死亡し、3人目はアフガニスタンで、CIAが契約する取調官の取り調べを受けている最中に死亡した。(中略)

《軍の刑務所と囚人》

中略

アフガニスタンの囚人の扱いは、これまであまり注目されてなかった。米軍はバグラム、カンダハル、ジャララバード、アサダバードに、約300人収監している。これまで約700人が釈放された。ほとんどの者が数週間あるいは、それ以下の期間、拘束された。特殊部隊も、ガルデズとコーストに刑務所を持つ。

2002年12月に、アフガニスタンの米軍に拘束されていた2人のアフガン人が死亡した。米軍は、2人は殺害されたと発表した。もう1人が2003年6月、アサダバードの近くにある刑務所で死亡した。

「2002年のバグラム空港で拘束されたアフガン人たちは、眠りを許されず、ひざまずいたり、立ったままの格好を続けることを強いられたと、人権団体は報告している。「逮捕時や、眠らせないために、蹴られたり、叩かれたりした者もいる。何人かは真冬に、氷のような水を浴びせられた」という。

《CIAの囚人》

米軍がアフガニスタンとイラクで容疑者の取り調べを開始する前、CIAはパキスタン、イエメン、スーダンなどで、アルカイダのリーダーたちを取り調べていた。現在CIAは約20〜30人を拘束している。そのうちパキスタンにはアルカイダのリーダーKhalid Shaikh MohammadやRamzi Binalshibhがおり、Abu Zubaidaなども挙げられる。CIAはフセインの取り調べも担当している。フセインはバグダッドにいるといわれる。

CIAの取り調べセンターの場所は極秘であるために、House and Senate intelligence committeesでさえ、知らない。定期的に捕虜についての情報が提出されるが、彼らがどのような条件下で拘束されているか、何も情報がなく、これまで尋ねたこともないという。CIAは拷問は行なってないと主張する。

CIAは以前アフガニスタンでは、バグラム空軍基地のコンテナの中で取り調べを実施していた。これがまだ使用されているかは不明だが、現在はカブールに、取り調べセンターがあるようだ。「穴」というあだ名がつけられている。

アフガニスタンでCIAの取り調べ官と近い軍高官によると、「囚人の虐待は、今に始まったことではない」という。2002年に『Washington Post』が聴取した国家警備員10人ほどは、囚人に対する拷問や暴力は正統的で、必要だと述べた。(中略)

CIAは9.11以後、新たな取り調べに対する決まりを作った。これは法務省の認可を受け、国防省も承認している。「特別なガイドラインがあり、綿密に検討されている」とあるアメリカ高官は述べる。「すべて法的に認められている」。一時的に、肉体的、精神的痛みが生じるような「強制的な方法」を用いるときは、ワシントンから承認を得ることになっている。

CIAの高官によると、テレビなどで一般的なCIAの印象とはちがって、CIAには取り調べの専門家はいないという。アナリストや心理学者に頼っているという。厳しい取り調べのテクニックではなく、時間と辛抱が重要だと述べた。

《「通訳」》

CIAが拘束している囚人たちよりも多いのが、CIAやアメリカ政府が逮捕して、第三国の諜報組織に引き渡された者たちだ。「アメリカは何人もの人間をヨルダンに引き渡している」とサウジの高官が述べる。「第三国に引き渡せば、そこでは何をしてもかまわない。アメリカは、『自分の所にはいない』といえば済む」。アメリカが囚人を引き渡す国に、もう1ヵ国増えた。シリアだ。(中略)

国務省の前諜報官のChristopher Kojmは、「テロ容疑者がアメリカ国外にいる場合、CIAはその人間を逮捕し、アメリカか第三国に引き渡す」。「FBIもこれに参加するが、CIAが主役で、外国の諜報組織や国内の警備組織との関係を築いている」。サウジは現在、約800人のテロリストを拘束しているといわれる。彼らの運命はサウジの諜報組織と、CIA、FBI、そしてアメリカの警察が握っている。サウジ高官によると、サウジは通訳には立ちあわず、アメリカの要求で、2〜3人を拘束しているにすぎないという。しかし、これもいい方次第だ。

たとえば、アメリカとサウジの専門家が容疑者に対する質問と戦略を考える。取り調べの間、アメリカ側は隠し鏡から見ている。サウジの人間が取り調べを行なうが、アメリカとサウジは協力しているのではなく、一緒に仕事をしているのだという。CIAにとっては、サウジやアラブ世界で取り調べを行なったほうが都合がいい。なぜなら、取調官は囚人と同じ言葉、伝統や習慣を持つからだ。「サウジでは、囚人に暴力を与えることは考えられない」。そのかわりにイマームを連れてきて、囚人との間に信頼関係を築く。「ほとんどが白状する」という。

サウジには、アメリカの諜報専門家の指図は必要ないという。アメリカ人は自分たちの文化や部族間の関係を知らない。「我々は彼らがどこで育ち、家族も知っている。彼らの家の家具さえ、わかっているのだ」。

smellSecret World of U.S. Interrogation
By Dana Priest and Joe Stephens


■パキスタンのリーダー、亡命から帰国[040511 BBC]

パキスタンの野党のリーダー、シャッバース・シャリーフが、3年の亡命を終えて帰国した。ロンドンからアブダビを経て、ラホールに到着した。

兄のナワーズ・シャリーフ前首相の亡命後、亡命したシャリーフ氏が逮捕されるかどうかは、明らかではない。シャリーフ氏の帰国は、軍にとっては最大の挑戦である。

シャリーフ氏の帰国に伴い、ラホールでは支持者が何人も逮捕されている。彼の帰国を迎えようと集まった活動家たちを追い払うために、警察が催涙弾が撃ち込んだ。当局は50人を逮捕したと発表したが、シャリーフ氏側は数百人が逮捕されたと主張。そのなかには、氏の息子のハムザも含まれている。

ロンドンを発つ前にシャリーフ氏は、パキスタン政府がPML-Nの活動家を逮捕したことを非難した。また政治的敵対者を殺害したと訴えられていることに対して、弁護できると述べた。

シャリーフが逮捕されるか、再び追放されるかはいまだ不明である。シャリーフ氏は、自分がパキスタンに帰れるかどうかで、パキスタンに民主主義が本当に根づいたかどうかがわかると述べた。

『BBC』のPaul Andersonによると、もしシャリーフ氏の帰国が許されれば、大統領と政府が築こうとしている政治的基盤が崩される恐れがあるという。シャリーフの家族のほとんどが、サウジに亡命した。何人かが帰国を試みたが、強制的に再び飛行機に乗せられたという。(中略)

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■米軍取り調べの秘密の世界[040511 Washington Post]

アフガニスタンでは、カブールにあるCIAの極秘取り調べセンターは「穴」と呼ばれ、恐れられている。イラクでは、もっとも重要な囚人はバグダッド空港の滑走路近くに収容され、さらに一部は、カタールの砂漠の中にある、巨大な米軍空軍基地に収監されている。イラクのAbu Ghraib刑務所は、米軍とCIAが対テロという名目で運営している、極秘取り調べセンターのひとつであるにすぎない。(中略)

極秘取り調べセンターには、3種類ある。まずはペンタゴンが運営する刑務所ネットワーク、つまりイラク、アフガニスタン、グアンタナモなどにある刑務所、そしてアルカイダ幹部などが収監されている、CIAが運営する小規模の秘密のセンター。最後に、外国の諜報組織の取り調べ部屋である。ここに米政府は、中級、あるいは下級テロリストたちを送り込み、尋問する。

ペンタゴンによると、海外には、約9000人が収容されているといわれる。彼らは法的な権利を剥奪されている。審問に参加することもできず、 少なくともAbu Ghraibの1A収監所に収監されている囚人には、ジェノバ条約に基づく、人道的な扱いに対する保証はない。

赤十字はイラク、アフガニスタンとグアンタナモの一部を視察しているが、CIAが逮捕した者の何人かは、消えているようだ。CIAの「幽霊囚人」はAbu Ghraibの憲兵たちに、「何のために逮捕されたかも知らせれずに」拘束され、赤十字に見られないように、「あちこち収容所内を移動させられた」という。

現在CIAの職員は、過去6ヵ月のうちに死亡した3人の囚人に関して、司法省の取り調べを受けいる。2人はイラクで死亡し、3人目はアフガニスタンで、CIAが契約する取調官の取り調べを受けている最中に死亡した。(中略)

《軍の刑務所と囚人》

中略

アフガニスタンの囚人の扱いは、これまであまり注目されてなかった。米軍はバグラム、カンダハル、ジャララバード、アサダバードに、約300人収監している。これまで約700人が釈放された。ほとんどの者が数週間あるいは、それ以下の期間、拘束された。特殊部隊も、ガルデズとコーストに刑務所を持つ。

2002年12月に、アフガニスタンの米軍に拘束されていた2人のアフガン人が死亡した。米軍は、2人は殺害されたと発表した。もう1人が2003年6月、アサダバードの近くにある刑務所で死亡した。

「2002年のバグラム空港で拘束されたアフガン人たちは、眠りを許されず、ひざまずいたり、立ったままの格好を続けることを強いられたと、人権団体は報告している。「逮捕時や、眠らせないために、蹴られたり、叩かれたりした者もいる。何人かは真冬に、氷のような水を浴びせられた」という。

《CIAの囚人》

米軍がアフガニスタンとイラクで容疑者の取り調べを開始する前、CIAはパキスタン、イエメン、スーダンなどで、アルカイダのリーダーたちを取り調べていた。現在CIAは約20〜30人を拘束している。そのうちパキスタンにはアルカイダのリーダーKhalid Shaikh MohammadやRamzi Binalshibhがおり、Abu Zubaidaなども挙げられる。CIAはフセインの取り調べも担当している。フセインはバグダッドにいるといわれる。

CIAの取り調べセンターの場所は極秘であるために、House and Senate intelligence committeesでさえ、知らない。定期的に捕虜についての情報が提出されるが、彼らがどのような条件下で拘束されているか、何も情報がなく、これまで尋ねたこともないという。CIAは拷問は行なってないと主張する。

CIAは以前アフガニスタンでは、バグラム空軍基地のコンテナの中で取り調べを実施していた。これがまだ使用されているかは不明だが、現在はカブールに、取り調べセンターがあるようだ。「穴」というあだ名がつけられている。

アフガニスタンでCIAの取り調べ官と近い軍高官によると、「囚人の虐待は、今に始まったことではない」という。2002年に『Washington Post』が聴取した国家警備員10人ほどは、囚人に対する拷問や暴力は正統的で、必要だと述べた。(中略)

CIAは9.11以後、新たな取り調べに対する決まりを作った。これは法務省の認可を受け、国防省も承認している。「特別なガイドラインがあり、綿密に検討されている」とあるアメリカ高官は述べる。「すべて法的に認められている」。一時的に、肉体的、精神的痛みが生じるような「強制的な方法」を用いるときは、ワシントンから承認を得ることになっている。

CIAの高官によると、テレビなどで一般的なCIAの印象とはちがって、CIAには取り調べの専門家はいないという。アナリストや心理学者に頼っているという。厳しい取り調べのテクニックではなく、時間と辛抱が重要だと述べた。

《「通訳」》

CIAが拘束している囚人たちよりも多いのが、CIAやアメリカ政府が逮捕して、第三国の諜報組織に引き渡された者たちだ。「アメリカは何人もの人間をヨルダンに引き渡している」とサウジの高官が述べる。「第三国に引き渡せば、そこでは何をしてもかまわない。アメリカは、『自分の所にはいない』といえば済む」。アメリカが囚人を引き渡す国に、もう1ヵ国増えた。シリアだ。(中略)

国務省の前諜報官のChristopher Kojmは、「テロ容疑者がアメリカ国外にいる場合、CIAはその人間を逮捕し、アメリカか第三国に引き渡す」。「FBIもこれに参加するが、CIAが主役で、外国の諜報組織や国内の警備組織との関係を築いている」。サウジは現在、約800人のテロリストを拘束しているといわれる。彼らの運命はサウジの諜報組織と、CIA、FBI、そしてアメリカの警察が握っている。サウジ高官によると、サウジは通訳には立ちあわず、アメリカの要求で、2〜3人を拘束しているにすぎないという。しかし、これもいい方次第だ。

たとえば、アメリカとサウジの専門家が容疑者に対する質問と戦略を考える。取り調べの間、アメリカ側は隠し鏡から見ている。サウジの人間が取り調べを行なうが、アメリカとサウジは協力しているのではなく、一緒に仕事をしているのだという。CIAにとっては、サウジやアラブ世界で取り調べを行なったほうが都合がいい。なぜなら、取調官は囚人と同じ言葉、伝統や習慣を持つからだ。「サウジでは、囚人に暴力を与えることは考えられない」。そのかわりにイマームを連れてきて、囚人との間に信頼関係を築く。「ほとんどが白状する」という。

サウジには、アメリカの諜報専門家の指図は必要ないという。アメリカ人は自分たちの文化や部族間の関係を知らない。「我々は彼らがどこで育ち、家族も知っている。彼らの家の家具さえ、わかっているのだ」。

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By Dana Priest and Joe Stephens


■ヘクマチアル、カルザイとタリバンの双方と取り引き[040511 Daily Times]

ヘクマチアルはタリバンとアメリカにジハードを行ないながらも、アフガニスタン新政府で地位を得ようと画策している。

ある信頼のおける情報源によると、Hizb-e-Islamiの政治部門代表のQutububddin Hilalがカルザイと接触し、タリバンやジハード勢力と取り引きし、選挙でHizbの支持を得ようとしているという。Hilalがヘクマチアルと袂を分けたという噂は嘘であり、「ヘクマチアルの支持を得ており、別の2人のHizbのリーダー、Waheedullah SahawanとQazi Waqar Aminからも協力を受け、政府内の職に就けるように画策している」という。

ヘクマチアルは米軍に対するジハードに従事し、タリバンとの関係も確立している。「最近はオマール師に従う準備ができている」と言っている。「これは矛盾していない。なぜなら、Hezbは2つの面をもつからだ。ジハードと政治。どちらもそれぞれの分野で活動しており、互いに連携を取っている」とう情報源は語る。政治に関わることで、Hezbが妥協するわけでもない。「Hezbは外国人勢力に対立している。ヘクマチアルはカルザイに、政府内でのアメリカの役割を縮小するなら、彼と協力してもいいと述べた」という。

Hezbの政治部門は、たとえHilal氏がカルザイ政府との話し合いに失敗したとしても、選挙に参加できるという。「もしHezbの政治部門が選挙に参加すると決めれば、タリバンはヘクマチアルに反対しないだろう。なぜなら、ヘクマチアルから情報を流してもらえるからだ」。カルザイはHilal氏に、Hezbとアメリカの間で完全に和解してほしいと要求し、和解すれば、これまで逮捕されたHezbのメンバーを釈放すると取り引きを申し出ているらしい。さらに選挙でもHezbを支持するという。「両陣営とも最終的決断を下してない。しかし肯定的な方向に動いている」と情報源は語った。

smellHekmatyar trying to woo both Karzai and Taliban
By Amir Rana、LAHORE


■政府、ネックが約束を守らないと非難[040511 Daily Times]

政府がネック・ムハンマドに、外国人過激派を登録するとした4月24日の約束を守ってないと非難し、当日交わされた取り引きを初めて明らかにした。いっぽう、外国人過激派の捜索のために、1800人からなる部族の軍隊ラシュカルが組織されることになった。

当局によると、4月24日に当局がネックと取り交わした条件は、「今後5人の容疑者とその配下の者たちは、テロ活動に参加しない。パキスタンの本国が、テロ活動に利用されることはない。外国人は、誠意のある態度で生活する権利を与えられる」という3点である。

最初の二つは明確だが、この三番目の外国人の登録に関してが問題となっている。政府は「外国の市民が第三国に入った場合、入国した場所で登録するのは当たり前だ」。「したがって、外国人は登録され、滞在を許可される」と説明するが、ネックはこのようには解釈してない。

さらにネックはアフガン難民以外に外国人はいないと主張しているが、これは嘘だという。なぜなら、これまで外国人の登録の最終期限は延期されてきており、ネックはそのたびに外国人の元に戻っては、別の要求を持ち帰ってきた。仲介者たちは「外国人過激派は登録したくないと言っている」と述べているのだから、ネックの主張は誤りだという。

hoonGovernment slams Nek for backtracking on pledge
By Iqbal Khattak、PESHAWAR


■親タリバン派の部族民、外国人過激派保護を否定[040511 AP]

親タリバン派のパキスタン人過激派は、アフガニスタンとの国境付近でアルカイダを匿っていることを否定し、外国人過激派はこの地域にはいないと述べた。しかし政府はこれを否定し、外国人はいると主張する。(中略)

過激派のリーダー、ネック・ムハンマドは月曜日に、部族民はアルカイダを匿っていないと述べた。この地域にいるのは、アフガン人難民だけだという。当局は、和平の条件として、ムハンマドが外国人過激派に武器を捨てさせるために努力をすることになっているというが、ムハンマドはこれを否定する。「これに関する合意書には、サインしてない」という。「この件に関しては、ひと言もなかった。我々はパキスタンの法律を守り、テロリストを一掃することだけに同意した」という。

「アフガン難民以外に外国人はいない、とする主張は間違いだ」と、政府側は主張する。過激派との取り引きで、部族地帯に住む外国人は「誠意ある態度で生活をする権利」が与えられたのであり、それは登録をすることを意味するという。「もしこの合意が遵守されず、外国人が登録しないのであれば、別の選択肢を実行するしかない」と武力の駆使をほのめかした。

月曜日の午後のジルガで、火曜日に2000人の武装部族民をワナに集め、外国人テロリスト容疑者の捜索を始めるとこにしたと、長老の1人、Malik Noor Aliが述べた。

イスラマバードの諜報部高官によると、外国人はパキスタンの法律を遵守するという口約束をしているが、自分たちについての情報を当局に教えたくないのだと述べた。「写真を撮られたくない。情報が本国やアメリカに渡ることを恐れている」という。

hoonPro-Taliban Pakistan tribal leader denies sheltering foreign militants


■タリバン司令官、逮捕さる[040510 Dawn]

ザーブル州で、タリバン幹部Mulla Roozi Khanが逮捕された。このほかに、30人以上の武装したタリバンが、パキスタンとの国境付近のさまざまな場所で逮捕されたという。

hoonTaliban commander arrested
KABUL


■部族民、登録に抵抗[040510 Dawn]

抵抗勢力のリーダーが日曜日に、政府と先月Shakaiで交わした和解が侵害されれば、再び武器を取って戦うと警告した。「我々は政府と完全に協力するつもりだが、もし政府がShakaiでの合意に反することをしたら、我々は武器を再び取る」と、ネック・ムハンマドは述べた。

政府側は、外国人の登録に協力するという条件のもとで、5人の過激派を許すことにしたと主張する。ネックは、外国人の登録は和解の条件の一部ではないと反論する。「外国人の登録が合意の一部であったとこはない。最終期限を設けることで、警察司令官は合意に反した」。「紙に書いてある」という。「外国人の登録が合意の一部であることを証明することができる者がいたら、来てほしい。これは合意の一部ではなかった。なぜなら、外国人抵抗勢力はここにはいないからだ」。合意に立ち会い、証人となった部族地帯出身の国会議員Maulana Abdul Malikも、外国人登録は合意の一部ではないと述べた。

ネックは、「ここには外国人抵抗勢力はいない。彼らを匿った者もいない」。「もし軍が再び作戦を行なったら、合意に反することになる。最後の1人まで戦う。我々自身を防ぐ権利がある」。「再び我々のもとにやってきて、和解するまで戦う」と、『BBC』のパシュトゥ語放送に語った。

しかし高官たちは、外国人はまだいると主張する。彼らによると、ネックは外国人の登録を含む合意には応じないとは述べてないという。ネックはShakaiの和解のあと当局に、3月16日の作戦の際、27人の外国人抵抗勢力が彼を守るために命を捧げたと述べたという。またウズベクの過激派、タヒール・ユルダシェフは作戦の開始時、自分と一緒にいたことを認めたようだ。「今となって外国人がいないなど、どうして否定できるだろうか」と情報源は語る。

「いくつか、和解の同意に含まれてない事柄があった。しかし政府は誠意のある話し合いを行なった。彼らが外国人の登録に協力するという前提のもとで、すべての合意が成り立った。この根底を否定するのなら、合意は成りたたない」という。「タヒール・ユルダシェフを含む外国人抵抗勢力が、まだあそこに隠れていると信じている」。

garrsmellTribesmen resist registration
By Ismail Khan and Dilawar Khan Wazir、WANA


■ワジリスタンの部族民に、新たな警告[040510 The News]

南ワジリスタンに隠れている外国人の登録に関する話し合いは失敗に終わり、行政側はあと24時間以内に登録しなければ、新たな作戦が行なわれると警告した。

ネック・ムハンマドが、外国人の登録はShakaiでの和解の条件の一部ではなかったと、登録を拒否したために、話し合いは分裂におわった。

Uthmankhel枝族のジルガが、なんとかAhmad Wazir族に「客人」を政府に登録することを説得して流血を防ぐよう、走り回っている。いっぽう、“Khabardar”(警告)と手書きのパシュトゥ語で書かれたビラが、南ワジリスタンの国境地帯に配られた。Angor Ada、Naway Ada、Shakeen、Zor Commando Gateで、アメリカ人すべてがアフガニスタンから去るまで、ジハードを続けるよう説得するビラが発見された。

「ムスリムの兄弟よ、アメリカ人は世界中のムスリムに十字軍を送っている。アフガニスタンのイスラム政権を追放し、イラクのムスリムに残虐行為を行ない、パレスチナ人を殺し、追放するイスラエルに協力している。このためにアメリカに協力する者にジハードを行なう。アフガニスタン東部のNGOを通して建設されている、学校や病院、モスクも井戸もほしくない。アメリカ主導の計画に、すべて反対する。アメリカ人の最後の1人が去るまで、ジハードを行なう。またキリスト教徒やユダヤ教徒が行なうNGOに警告する。アフガニスタンで仕事をやめろ。やめなければ、それなりの結果を見ることになるだろう。オマールは再び権力の座につき、カブールにタリバンの旗がはためくだろう」。

garrOfficials give fresh warning to Waziristan tribes
WANA


■外国人の登録に取り引きなし[040510 Daily Times]

日曜日にネック・ムハンマドが、南ワジリスタンに隠れている外国人抵抗勢力たちの登録は、取り引きの一部ではないと述べた。

『Daily Times』との電話インタビューでネック・ムハンマドは、ペシャワルの警察長官フセイン将軍は外国人の登録を要求したことで、和解に反したと非難した。「取り引きには、そのような条件はなかった」という。「これは彼のアイデアだ。私はこの問題を相談しようと述べたのに、彼は1人で突っ走った」。

ネックが言うには、フセイン将軍は登録計画を、単なるアイデアだと述べたという。「彼は今日あるアイデアを思いつき、明日また他のアイデアを思いつく。だから言ってやった。毎日違うアイデアを出しても、受け入れないと」。もし現在の取り引きに不満であれば、新たな取り引きをするよう、政府に進言したという。政府の要求している外国人登録の背後に、別の目的があると非難した。「私が外人を匿ったということにしたいのだろう。しかし明らかにしておきたい。この地域には外国人は隠れていない。登録をしてないアフガン難民がおり、それぞれの言語を話すだけだ」。外国人が登録を拒否した場合、政府が軍事作戦に出たらどうするかと尋ねると、軍事作戦はいかなる場合も和解を侵害するものだと述べた。

いっぽう南ワジリスタン行政官のAsmatullah GandapurはAhmedzai Wazir族に、外国人の登録のために、24時間の猶予を与えた。「24時間以内に行動しなかったら、その結果はあなたがたの責任だ」と、ワナのジルガで述べた。「月曜日の最終期限が守られなかったら、私のところに来ても、助けてあげられない」。

ohNo deal on foreigners' registration: Nek Muhammad
By Iqbal Khattak、PESHAWAR


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003, 2004.