【2004年8月9日〜8月15日】


■州知事に対する攻撃で、21人死亡[040815 New York Times]

ヘラートで激しい戦闘があり、国防省の司令官2人を含む21人が死亡した。イスマル・ハーンのライバルたちが、ヘラートと接する3つの州から攻め込んだようだ。

大砲や戦車が出動し、土曜日の午後も、ヘラート南部のShindandではまだ戦いが続いていると、ヘラートの外務省の代表Mohammadullah Afzaliが述べた。両陣営とも、21人が死亡したことを認めた。

カルザイ大統領は国家治安会議に出席したあと、ヘラートへの侵攻を不法という声明を発表し、撤退を要求した。議会はヘラート知事の側に立ち、彼の軍は州を守る権利があると国防省報道官が述べた。これまでハーンは、中央政府の権限を認めていないとして、批判されてきた。

ハーンに攻め入ったのは彼に敵対するライバルたちで、自分たちの領域に介入してくると、ハーンに対して批判を繰り返してきた。ヘラート南部では、Amanullah Khan司令官がShindandにある空軍基地を占拠した。土曜日現在、まだこの地域にいる。ジャーナリストとのインタビューでAmanullahは、イスマイル・ハーンに反対する地元民たちが蜂起したと述べた。東部では、Chesht地域の2村を、Abdul Salam司令官が制御したという。1つの村を占拠しているが、中心地を奪うことはできなかったようだ。北西部では、3月にハーンの息子を殺害したZaher Naibzada司令官が、ハーンと戦っているらしい。

ハーンは、幹部司令官2人が8人の兵士とともに殺害されたあと、ヘラートから軍をShindandに向けて出動させた。ヘラートにはアフガン国軍が配置されているが、今のところまだ出動していない。

hoon21 Killed in Afghanistan Attacks Directed at Provincial Governor
By CARLOTTA GALL


■パキスタン、暗殺計画と関連して2人を逮捕[040814 AP]

パキスタンはラホールで、次期首相候補暗殺を企てた2人の容疑者を逮捕した。

警察と諜報部は、計画の首謀者とされるアフガン人のQari Noor Mohammedと、パキスタン人のMohammed Imranを、それぞれ別の捜査で逮捕した。

hoonPakistan Arrests Two in Assassination Try
By ASIF SHAHZAD、LAHORE


■外国人400人、アフガニスタンに侵入[040814 Nations]

南ワジリスタンに隠れていた400人の外国人たちは、タリバンのオマール師の指示により、密かにアフガニスタンに侵入。部族地帯にはいまだに150人が居残っていると、情報源が述べた。

約400人の戦闘員たちがタリバン司令官、ダドゥッラー師とともに、南ワジリスタンからアフガニスタンに入ったという。ダドゥッラー師は8日前に南ワジリスタンを訪れていた。オマール師は6月にもダドゥッラー師をネック・ムハンマドのもとに送り、パキスタン軍と戦うことを中止するよう要求していたという。しかし、ネックはこれに応じなかった。ネックの死後、再び外国人がタリバンのリーダーたちとコンタクトをとり、部族地帯かちアフガニスタン側に侵入することに協力してほしいと、要請していた。

情報源によると、ダドゥッラー師は部族地帯を訪れ、話し合いの結果400人の外国人がアフガニスタンに侵入することにしたという。しかしタヒール・ユルダシェフを始め、150人の外国人は部族地帯に留まるという。アフガニスタンに入る際、外国人たちは軍に攻撃され、8人が死亡したらしい。

タリバン司令官のSirajiに電話でこのことを確認したところ、大勢の外国人がアフガニスタンに去ったことを認めた。「我々の戦いはパキスタン軍との戦いではない。アメリカとその同盟軍との戦いだ」と述べた。Sirajiによると、オマール師は最初から南ワジリスタンでの戦いを中止するよう忠告し、結束してアフガニスタンにいる米軍と戦うよう、外国人たちに呼びかけていたという。彼によると、タリバンはアフガニスタンの29の州で、地盤を固めているらしい。また部族地帯に居残っている抵抗勢力たちは、ネック・ムハンマドのための復讐を誓い、サントイ、マントイ、シャワル地域で、軍や準軍隊と戦うだろうと述べた。

oh400 foreigners sneak into Afghanistan >From Hayat Ullah、MIRALI(North Waziristan Agency)


■政府、外国人抵抗勢力と話し合う予定[040814 Daily Times]

部族の長老たちが部族地帯に隠れる外国人抵抗勢力に、登録を説得できないでいるために、政府は直接抵抗勢力たちと話し合うことにしたと、情報源が『Daily Times』に語った。AhmadzaiとMehsud族、 そしてMuttahida Majlis-e-Amal(MMA)の議員たちは、いまだに外国人抵抗勢力の登録に成功していない。

政府は、抵抗勢力と接触することに協力してくれる、部族地帯において影響力のある人間を探しているという。「神学者協会(Sami group)のKarak Maulana Shah Abdul Aziz HashmやJUI-Fazl WanaのMaulana Annul HaqとMaulana Noorullahが候補者だ」という。これらの人間は、抵抗勢力のリーダーたちと接触があるため、政府に協力してくれるかもしれない」。

しかし情報源によると、抵抗勢力のリーダーであるMuhammad Omer、Biatulllah MahsudとCommander Javedなどは、政府と交渉する権限を持たないという。「彼らには、権限はない。殺害されたネック・ムハンマドでさえ、そのような権限はなかった。だから、彼はシャカイの合意に従わなかったのだ」という。部族地帯にいる外国人抵抗勢力に関して、政府に協力できる部族のリーダーはいないという。

別の部族民によると、外国人たちは政府が情報をアメリカに流す可能性があるので、協力しないと述べた。政府が登録を取り下げたら、攻撃はやめるという。

hoonGovt to talk with foreign militants
By Amir Rana、LAHORE


■政府に協力するかどうか、部族民、もめる[040814 Daily Times]

Ahmedzai Wazirが金曜日にジルガを開催した際、抵抗勢力に関して政府と協力するかどうか部族民の間で論争し、一時はお互いに銃を向け合い、緊張した。

ジルガは36人委員会について議論し、政府に協力するかどうか話し合っていたという。「Ahmedzai Wazirの歴史の中で、もっとも荒れたジルガだった。あわやというところで長老たちが皆を落ち着かせ、流血騒ぎにならなかった」という。ワジリスタンにいる9つの部族民の主流を占めるAhmedzai Wazirは、36人委員会が担う役割について、大きく意見が食い違っている。36人委員会は2ヵ月前に組織され、部族民の軍隊ラシュカルを指揮することになっている。

「ジルガは、以前に政府と結んだ『シャカイの合意』と似たような合意を再び結ぶかどうか、意見が分かれている」と部族の長老は述べた。シャカイの3部族、Sperkai、Shudyakhel、Khuniyakhelは7月5日に、外国人抵抗勢力に関して政府と合意に達した。この合意で、5月29日に課された経済制裁が解除されている。Ahmedzai Wazir族の長老たちも政府と同様の合意を結び、経済制裁を解こうとしている。

いっぽう、Jamiat Ulema-e-Islamが運営するマドラッサのMaulvi Hasanが乗った車がシャカイで地雷を踏み、運転手とボディーガードとともに負傷した。

hoonTribes nearly come to blows over govt support
By Mujeebur Rehman、WANA


■米軍ヘリ、ミランシャ上空で目撃さる[040814 Daily Times]

北ワジリスタン上空で、米軍のヘリコプターが目撃された。

戦闘ヘリコプターが、北ワジリスタンのLawara Mandiで低空飛行したと住民が述べた。約15分低空飛行したあと、パキスタン軍戦闘機によって追い返されたという。

garrUS helicopters sighted over Miranshah
By Rehmatullah Darpakhel、MIRANSHAH


■Jundallahのインド人、ラホールで逮捕[040814 News]

治安部隊は、カラチの警察司令官を暗殺しようとした抵抗勢力のリーダーの腹心と思われる、インド国籍の男を逮捕したと、高官が金曜日に語った。

治安部の高官によると、木曜日にMaqsood Ansariと名乗る男が逮捕された。Ansariは、カラチで木曜日に逮捕されたJundallah幹部Rao Khalidからの情報で、ラホールのGhaziabadにいることろを逮捕された。Ansariは9年前にパキスタンに来て、パキスタン人女性と結婚、ラホールとカラチに住んでいたらしい。Khalidと行動をともにしていた。

Ansariはアフガニスタンで訓練を受け、Tableeghi Jamaatのメンバーだったようだ。直接テロ行為には関わっていないようだが、Jundallahの仲介者として、メッセージや資金をグループのメンバーに送っていたらしい。南ワジリスタンを訪問したこともあるという。(後略)

hoonIndian aide of Jundallah militant held in Lahore
LAHORE


■パキスタン、アルカイダ幹部2人を捜索[040813 AFP]

パキスタンではアルカイダ幹部2人がまだ逃走中だと、諜報部員が述べた。それぞれ500万ドルの懸賞金が懸かっている、リビア人Abu Fajrとエジプト人Hamza Rabiaがパキスタンにいるという。

リビア人Fajrは、ムシャラフを暗殺計画の首謀者だという。「パキスタンにおけるアルカイダの活動を指揮し、他国のアルカイダのスリーパー・セルもコントロールする」と述べた。 (後略)

hoonPakistan hunts two top Arab Al-Qaeda masterminds
ISLAMABAD


■ラホールで、Jundullahと関係のインド人逮捕[040813 Daily Times]

ラホールで、Jundullahと関係があるインド人のMaqsood Ansariが逮捕された。「Ansariは、アルカイダと関係がある最初のインド人」だという。

過激派組織は、6月10日に発生したカラチの警察司令官暗殺を計画、10人が殺害された。情報によると、逮捕されたJundullahのメンバーRao Muhammad Khalidが、ラホールに隠れていたAnsariの情報を提供したという。Ansariはインドのウッタル・プラデシュ出身らしい。(後略)

hoonIndian linked to Jundullah arrested in Lahore
LAHORE


■パキスタン、さらに5人のテロリストを逮捕[040812 AP]

パキスタンか、ビンラディンのメンバー5人と、ムシャラフ暗殺を計画した抵抗勢力のリーダ−を逮捕したと、木曜日に高官が述べた。

当局はこの5人の身元をまだ発表していないが、外国人を含む「重要人物」だという。日曜日には、ワジリスタンから逃走してきたとトルコ人2人を、ラホールで逮捕している。このトルコ人たちは、トルコでのテロ行為に関わっていたと見られている。トルコ大使館が、現在取り調べを開始しようとしているようだ。先月逮捕されたタンザニア人Khalfan Ghailaniも、部族地帯から逃走してきた。

さらに警察は木曜日にカラチで、6月10日に警察司令官を殺害しようとしたアルカイダ関係のグループ幹部を逮捕した。Rao Khalid、別名Harisは、Jundallahの三番手といわれる。アルカイダのコンピューター技師、カーンの協力で逮捕された、10番目のテロリストである。

これとは別にパキスタンの北西部で、アルカイダと関係のあるアラブ人とウズベク人が水曜日に逮捕された。アラブ首長国連邦出身のMohammed Khalid Rashid Ahmedとパキスタン人2人が、モーマンド行政区に入ろうとしていたところを逮捕された。またノーシェラのバス乗り場で、Mansoorというウズベク人が逮捕された。ある諜報部員によると、Mansoorはウズベク人の妻を持つGhailaniと関係がありそうだという。Mansoorは自爆テロの訓練を受けているらしい。

hoonPakistan Nabs Five More Terror Suspects
By MATTHEW PENNINGTON、ISLAMABAD


■軍関係者の家族、釈放を要求[040812 News]

アルカイダと関係があるとして逮捕された、6人の陸軍高官の家族が水曜日に、逮捕された理由はムスリムであったためだけだとして、直ちに釈放してほしいと要求した。

逮捕者の家族、ヴェールをまとった女性や子供たち20人以上が、イスラマバードのモスクに集まり、抗議をした。「我々はテロリストではない。我々の罪はムスリムであることだ。ヴェールをまとい、男たちは髭をはやし、祈っているだけ」と、Adil少佐の妻Khadija Adilが述べた。Khadijaによると、彼女の夫は2003年3月に、軍隊の食堂に行くと言って出かけて以来「消えた」という。「夫からは何も連絡がない。当局も、私の質問に何も答えてくれない」と『AFP』に述べた。

またAbdul Ghaffar中佐の娘Fatima Ghaffarは、彼の罪は唯一髭をはやしていることと、必ず祈ることだと述べた。「父の罪が何なのか、何も教えてくれない」という。カナダ国籍のエジプト人で、去年の10月に部族地帯で殺害されたAhmed Khadarの娘は、父の遺体を家族に返しほしいと訴えた。「父はどこにいるの? 冷蔵庫の中なの、それとも墓なの?」と書かれたプラカードを掲げた。

当局は、Khalid Shaikh Mohammadが18ヵ月前の3月1日に逮捕されたあと、少佐と中佐を含む3人の陸軍高官が逮捕されたことを認めている。

hoonFamilies seek release of Army
ISLAMABAD


■前タリバン大臣、タリバンを去る[040812 Daily Times]

前アフガン内務大臣で、タリバンの最高幹部のメンバーだったMulla Abdul Razaqがタリバンを脱退したと、情報源が『Daily Times』に語った。

Razaqは、オマール師がタリバン議会にかけずに、アラブ人抵抗勢力たちをアフガン人リーダーより優遇する政策をとったことに不満だったという。「アフガン人のほうが、国の地形や戦術を熟知している。アフガン人のほうが効果的な作戦を立てられるのに、決定権がない」とRazaqは述べている。

Razaqは、タリバンは互いに連絡がとれないために、ゲリラ戦を行なう上で、大きな障害が出ていると述べる。情報源によると、アラブ人たちはグループで行動し、援護なしで、グループが責任をもって作戦全体を遂行するという作戦をとる。「援護がなかったために、あと一息のところで、目標を達することができないことが何度もあった」という。

情報源は、Razaqがオマール師に、アラブ人たちは効果的な作戦を立てることができないので、縁を切るようにと主張したという。他のタリバン司令官たちも、アラブ人たちがオマール師に大きな影響力を及ぼしていることに対して、不満を持ち始めているらしい。

アフガニスタン南部のタリバン司令官Sabir Mominは、Taliban Jamiat Jaish-e-Muslimeenという自身の組織を形成した。情報源によると、Razaqは「汚れてない」タリバンといわれるすべてのグループを、連合させようとしているという。

smellFormer Afghan minister leaves Taliban
By Amir Rana、LAHORE


■Farooq、Jamiatul Ansarの会長に[040812 Daily Times]

Maulana Fazlur Rehman Khalilが逮捕されている間、Maulana Farooq Kashmiriが、過激派Jamiatul Ansarの会長を勤めることになった。Jamiatul Ansarは、以前Harkatul Mujahideenとして知らせていた。

Jamiatul Ansarのリーダーたちは、Khalilはしばらく釈放されないだろうと見て、Kashmiriを任命した。KashmiriはHarkatul Ansarの創設メンバーで、Harkatul Mujahideenの重要人物でもある。「Kashmiriはソ連と戦ったアフガン戦争時代の、現役司令官の1人」だという。

hoonFarooq made acting Jamiatul Ansar chief
By Mohammad Imran、ISLAMABAD


■パキスタンのジハードの核をこじあける[040812 Asia Times]

パキスタンのジハード組織の2人の幹部、Maulana Fazalur Rehman KhalilとQari Saifullah Akhtarの逮捕は、1980年中頃に開始した、国際ムスリム軍団の夢が終わり始めたことを意味する。この夢は、ビンラディンの傘下で国際イスラーム戦線という形で現実化し、パキスタンのラシュカレ・トイバ(LET)によってまとめられてきた。

逮捕の目的は、ジハード組織の根元にメスを入れることであるが、この部分は、パキスタンの戦術の根幹と一体化している。パキスタンの前ISI捜査官で空軍高官であるKhalid Khawajaは、この2人の逮捕について次のように語った。「逮捕されたジハードリーダーたちは、さまざまな時代の陸軍高官のトップと繋がっている」。逮捕者は、ムシャラフ大統領暗殺計画やジハード志願者を集めたなどの容疑がかけられている。しかし本当の動機は、もっと大きい。

「テロとの戦争」の問題点は、1980年代のソ連のアフガニスタン侵攻時代のアフガン抵抗運動にさかのぼる。CIAがISIを利用して、これらのジハード運動を支援した。アメリカはアフガン戦士を援助するために、武器をまずイスラマバードに送り、そこからラワルピンディのISIに運ばれ、さらにそこからムジャヒディンたちに分配された。アメリカはアフガンの組織に直接武器を供給しなかったために、どのムジャシディンが武器を得るかは、ISI任せだった。これはアメリカにとっては、大きな戦術の過ちである。

こうしてジアウル・ハク将軍と彼の腹心でISI長官だったLieutenant-General Akhtar Abdur Rehmanは、世界的なムスリム解放運動の基礎を作った。この2人は1988年に飛行機事故で死亡している。アメリカは、パキスタンが大西洋からアフリカにかけて、ムスリムの若者によるジハード志願者を募集し、訓練していることを見逃していた。フィリピンのアブ・サヤーフや、ミャンマーのアラカンなどから、若者たちが集まった。

ISIはこの運動をコントロールするために、al-Badr、the Harkat-i-Jihad-i-Islami、Harkatul Ansar(またはHarkatul Mujahideen)などの組織を作った。AkhtarはHarkat-i-Jihad-i-Islamiのリーダーであり、KhalilはHarkatul Ansarの会長だ。これらの組織は、CIAの感知しないところで作られた。したがって、イスラーム運動のリーダーたちは、ISIの支配力については熟知していた。

アラブ人の運動をコントロールするために、al-Badrの施設がアフガニスタンのコーストに作られた。カラチ大学の卒業生でイスラーム神学者協会 (JI)のメンバーだったBakhat Zameen Khanが、司令官となった。彼はアラブ人ジハード志願者たちをすべて、自分の施設に集め、幹部たちをISIに紹介した。このキャンプから、パレスチナのハマスが出現。アラブがスポンサーとなったアブ・サヤーフのモロ解放運動も、ここから出発している。

Khanは次第にJIから遠のき、al-Badrをヘクマチアルが率いるヒズビ・イスラミ(HIA)に近づけていった。その結果、1989年にal-BadrがカシミールでHizbul Mujahideenの抵抗運動を開始したときに、JIはal-Badrとは袂を分けたと発表した。

1990年代にタリバンが出現すると、al-BadrはHIAとつながっていたために、アフガニスタンから追い払われる。そこでISIはal-Badrのために、アザド・カシミールに新しい訓練所を建設した。1999年のカルギル戦争のとき、パキスタン軍はal-Badrの戦士たちをまず前線に送り出した。続いてもうひとつのISIの関連組織、KhalilのHarkatul Ansarが送り出され、KhalilとKhanは、パキスタン軍と一緒になってインド軍と戦ったのである。

《ISI、地盤を固める》

伝説的なムジャヒディンのヘクマチアルは、2001年にタリバンが政権を取ると、テヘランに亡命した。しかしタリバン政権が崩壊すると、アメリカはテヘランに圧力をかけて、ヘクマチアルを追放させた。彼がアフガニスタンに戻ったところで、逮捕しようと計画したのである。

そのころ、タリバンを見放し、アメリカと同盟することを説得されていたイスラマバードは、アフガニスタンとの関係を保つために、タリバンに代わる誰かを探していた。当然、ヘクマチアルが選ばれた。Khanはテヘランに派遣され、もしヘクマチアルがアフガニスタンに戻ったら、パキスタンは彼を支援すると約束した。Al-Badrのメンバーはヘクマチアルをイランからアフガニスタンにエスコートし、アメリカ人が近づけないようにした。ヘクマチアルはチトラルに匿われ、ここでal-Badrのメンバーがパキスタンの奇襲隊とともに、彼を護衛した。al-BadrがKashmir KhanやUstad Fareedなど、他のHIA司令官を探し出すと、ヘクマチアルはアフガニスタンのクナール州に移り、HIAはアフガニスタンにおけるISIの代表となった。いっぽうal-Badrは、アラブ人やその家族を匿い、偽造パスポートを供給し、本国に送還するために協力した。

1980年代中庸以降から現在に至まで、ISIとal-Badrは一心同体だった。アメリカはal-Badrをテロリストと名指しした。そしてイスラマバードに工作員たちを逮捕するよう、圧力をかけ続けた。しかし、パキスタンはこれには答えていない。

《Harkat》

Harkat-i-Jihadi-i-Islamiは、デオバンド派の聖職者が作った、最初のパキスタン抵抗組織である。この組織はすぐにISIの支持を受け、ジハード志願者を育てるために、南ワジリスタンとアフガニスタンのコーストに訓練所が作られた。この組織の保守的で伝統的な一面が、パングラデシュやミャンマーのムスリムたちを魅了した。彼らは逮捕されたAkhtarが率いるHarkat-i-Jihad-i-Islami al-Alamiの下でまとまった。後にHarkatがアメリカによってテロリストと名指しされると、Harkatul Ansarが組織された。しかしHarkatの構造はそのまま残った。

Akhtarは、1995年にパキスタン陸軍高官たちがブット政権を転覆させようと画策した、“Operation Caliphate”の首謀者といわれる。彼とともに行動したのが、Major-General Zaheer ul-Islam AbbasiとBrigadier Mustansir Billahである。これらの高官たちは、Akhtarが率いるゲリラの手を借り、クーデターを計画。しかし失敗し、高官多数が逮捕され、膨大な量の爆発物がAkhtarの車から押収された。

ムシャラフが1999年にクーデターを起こして政権に就くと、逮捕者たちは釈放された。Akhtarも釈放された者の1人である。彼はすぐにカブールに向かい、オマール師に近づいた。オマール師はAkhtarに、タリバン政権内のさまざまな重要な職を与えた。

いっぽうKhalilはアフガン戦争のベテランだった。1991年にコーストで、共産主義軍に勝利し、英雄になった。コーストはソ連のアフガニスタン撤退後、ムジャヒディンが占領した最初の町である。ISI長官のアサド・デュラニは、コーストの陥落をペシャワルで知る。

1989年のソ連撤退のあと、当時のISI長官ハミッド・グルは“Operation Jalalabad” を計画し、ヘクマチアルのHIAがこの計画の主役を演じることになっていた。まずジャララバードを占領し、そこからカブールに進み、共産主義政権を転覆させるのである。しかしこの計画は実現しない。デュラニがISI長官になると、この計画を破棄したからだ。デュラニはジャララバードではなく、コーストを作戦の中心として、そこから軍はムジャヒディンとともにカブールに入る。この新たな戦略で、HIAは前線から外され、ハッカーニが主導。それを、Khalilが指揮するパキスタン人戦士たちが助けるという計画だ。この計画は成功し、コーストはムジャヒディンの手に落ちた。ムジャヒディンたちはいまだに、「コーストはパンジャーブ人たちによって占領された」と語る。

アルカイダがアフリカの米大使館を攻撃したあと、米軍はカンダハルとコーストをミサイルで攻撃。このときにHarkatul Ansarのメンバー何人かが殺害された。Khalilは復讐を誓う。そのころKhalilは、lieutenant-general Aziz Khanに、カルギル作戦の主役の1人に選ばれ、インド領で襲撃を行なうことになる。Bakht Zameen Khanがカルギルの峰を数カ所占領すると、Khalilはパキスタン軍やal-Badr戦士たちと一緒にインド軍と戦った。

9.11以後、Khalilはアフガニスタンに数千人の戦闘員を送り込み、自分自身、軍を指揮した。しかし当時のマフムード・アーマッドISI長官が更迭されると、Khalilはパキスタンに戻るが、パキスタンがアメリカに説得されてタリバン支持を止めたために、イスラマバートで軟禁状態になる。

ISI、ジハードリーダー、パキスタン軍は長いあいだ、深く結びついていた。特にアフガニスタンにおいて、その関係は非常に深い。しかし今、2人のジハードリーダー、KhalilとAkhtarが逮捕された。これで何もかもか終わるわけではない。パキスタン当局には、常に誰か糸を引く者がいる。「猫は壁に追いつめられ、軍内部のゲームが今まさに始まろうとしている」と、あるワシントンのオブザーバーが語った。

hoonCracking open Pakistan's jihadi core
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■アルカイダ工作員の協力者、逮捕[040811 AP]

警察は、最近アラブ首長国連邦で逮捕された、パキスタン人アルカイダ幹部の腹心の男国内で逮捕したと、水曜日に発表した。

男はArshadとだけ発表され、月曜日にラホールのシアルコットで逮捕されたという。Arshadと一緒にいた2人は逃げたようだ。警察は武器を押収した。Arshadは先日逮捕され、アフガニスタンでテロ訓練所を運営していたQari Saifullah Akhtarの腹心といわれる。AkhtarはHarkat-e-Jihad-e-IslamiやLashkar-e-Jhangviと関係がある。

hoonAide of al-Qaida Operative Arrested
By ASIF SHAHZAD


■部族長老、抵抗勢力を匿った容疑者を引き渡す[040811 AP]

火曜日に部族の長老たちは、パキスタンの治安部隊を攻撃した外国人抵抗勢力を匿った5人の容疑者を、行政側に引き渡した。

Ahmedzai Wazirの長老たちは、先週ワナ付近で車列を攻撃した抵抗勢力たちを匿った5人を当局に引き渡した。治安部隊は5人のうちの2人、Khair MohammedとHanan Khanの家を、攻撃のあとも抵抗勢力たちが隠れていたとして、取り壊した。

hoonTribal elders hand over fugitives wanted for sheltering militants in
Pakistan


■アルカイダ、繋がる[040810 AP]

ワシントンが疑っているとおり、ビンラディンがアメリカ攻撃計画を指示しているのであれば、彼はアフガニスタンとパキスタンの山中から、ロバに乗り、またはショールを巻いた村人を装いながら、指令を出していることになる。ビンラディンとザワヒリは教訓を学んでいると、パキスタンの諜報部高官は述べる。衛星電話や携帯電話は使わない。内部の人間以外は信用しない。決して新しい空気を吸うために浮上しない。

メッセージは、たくさんの人の手を通して送られてくる。託された人々は、元々どこからメッセージが来て、どこ宛なのか、皆目見当がつかない。Eメールになって送られることもあれば、電話で送られることもある。

「ビンラディンが何か伝えたければ、内部の人間に手紙を渡す。その者はかなり離れたところまでそれを持っていき、他の者に託す。そして次の人に託すというように、最終的に目的地にたどり着くまで、続けられる。最初に手紙を持っていった男以外、この手紙が誰から送られたのか、わからないようになっている」という。

ブッシュ政権は、テロ攻撃はアルカイダのリーダー格の最高幹部によって、指示されていると、アメリカ諜報部高官が『AP』に語った。幹部たちがどの程度情報を得ているのかはまだよくわからないが、逮捕されたアルカイダたちはビンラディンから指示を得ていたと述べているらしい。「おそらく彼は生きているのだろう。パキスタンで逮捕された者たちは、さまざまなルートから伝言を受けているらしい」とパキスタンの諜報部高官は述べる。

ビンラディンとザワヒリについての確実な情報は、ほとんどない。9.11以後、彼のオーディオメッセージの他には、ビンラディンの形跡はほとんどない。この沈黙が、彼を神秘的な人間にしたてている。しかし彼はまだ現実であり、危険だ。

パキスタンの諜報部高官によると、2003年に逮捕されたKhalid Shaikh Mohammadは、ビンラディンから直接託された手紙を持っていたらしい。この手紙が個人的な手紙で、イランにいるビンラディンの親戚宛てだった。「Khalid Shaikh Mohammadは、手紙は直接ビンラディンから渡されたと述べ、それを他の者に渡すことになっていたという。こうして手紙はイランに届くことになっていた」と高官は述語る。この手紙により、ビンラディンは2003年にはまだ生存していたことがわかる。パキスタンで逮捕された他のアルカイダ幹部たちは、衛星電話を傍受されて逮捕されている。

アルカイダのコンピーター専門家のカーン(Mohammed Naeem Noor Khan)の逮捕からも、メッセージの伝達には慎重にならなければならないことがわかる。カーンのコンピュータには、他の工作員たちに宛てた暗号化されたメッセージを含む、さまざまな情報があった。逮捕後、当局に協力してこれらの者たちにEメールを送り、おびき出すことに合意していたという。(中略)

「テロリストたちは我々のように、インターネットなしに生きていけないことを知っている。離れた所にいる人々と、連絡を取り合うのは難しい」と、スコットランドのセント・アンドリュース大学のテロリズム・政治暴力研究センターのボール・ウィルキンソン(Paul Wilkinson)は語る。アルカイダは、暗号化したEメールや写真に、メッセージを隠してきた。しかしいつまでも隠れていることはできない。当局がディスクやハード・ドライブを手に入れれば、テロに大きな打撃を与えることができる。「アルカイダが巧みに用いてきた方法は、アキレスの踵になり得る」。

「アルカイダ幹部を逮捕するたびに、みんな興奮する。ビンラディンやザワヒリに近づくのではないかと、期待する」と内務相のハヤートが述べる。「しかし、注意しなければならない。このネットワークは、パキスタンにとっては危険であることには変わりない」。パキスタンの諜報部高官は、ビンラディンについての具体的な情報はないという。「剣を空中で振り回せば、いつかは鳥をしとめられるかもしれない」。「運の問題だ」。

hoonal-Qaida Stays Connected in Number of Ways
By PAUL HAVEN、ISLAMABAD


■Harkat活動家と外国人3人、アルカイダとの関係で逮捕[040810 Daily Times]

諜報部は、アルカイダ組織と関係のある容疑者4人を、月曜日に逮捕した。

トルコ人2人とアフリカ人1人、そしてパキスタン人Arshad、別名Sikandarが、ラホールで逮捕された。Arshadは12件以上の宗教的抗争に関係した、重要人物である。

外国人たちは、Shadbaghにあるマドラッサで逮捕され、先日逮捕されたNaeem Noor Khanの関係から浮上したという。またArshadは、Harkatul Jihad-e-Islami Al Alamiのメンバーである。

hoonHarkat activist, 3 foreigners arrested for Qaeda link
By Mubasher Bukhari、LAHORE


■Qari Saifullah Akhtarの逮捕の重要性[040809 Daily Times]

情報によると、Harkatul Jihad al-Islamiの会長、Qari Saifullah Akhtarがドバイからパキスタンに送還されたという。去年、QariのHarkatulはHarkatul Mujahideen al-Alamiと改称し、アルカイダのためにムシャラフを暗殺しようとした。今回の逮捕は、国内とジハード運動とアルカイダとの関係を抹殺する好機といえる。

Qariは2001年に、アメリカがアフガニスタンに侵攻すると南ワジリスタンに逃亡し、その後、国外に出た。彼はデオバンド派の主流を率い、アフガニスタンの宗教指導者、Nabi Muhammadi(対ソ戦争で戦った7つのジハード団のリーダーで、イスラマバードで死去)に傾倒していた。Nabi Muhammadiの組織からタリバンの主要戦士たちが生まれた。

Jaish-e-MuhammadのMaulana Masood Azharのように、南ワジリスタンで生まれたQariは、カラチのビノリマドラッサを卒業している。ビノリマドラッサの校長のMufti Shamzaiは、ビンラディンとオマール師を引き合わせ、ともにジハードを戦わせるために大きな努力を計ったが、これにQariも一役買っている。

Qari Saifullah Akhtarは1995年に、Major-General Zaheerul Islam Abbasiが率いる軍のクーデター首謀者として逮捕され、世間に知られる。しかし「目撃者」に転ずることで、命拾いする。(一部では、疑いは残っていたが、釈放されたといわれる。)その後1996年に、オマール師のアドバイザーとして、カンダハルに現われる。彼の戦士は「パンジャビ」タリバンと呼ばれ、オマール師の信頼を買った。さらに彼の配下はタリバン政府の中にも組み込まれ、3人の大臣と22人の裁判官が、Harkatのメンバーだった。

Harkatの戦士たちはオマール師とともに北部同盟と戦い、約300人が死亡した。これにオマール師は満足して、Harkatにカンダハル、カブール、コーストに6つの訓練所を設営することを許した。タリバン軍と警察が、ここで軍事訓練を受けた。アフガニスタンの基地からHarkatは、ウズベキスタン、タジキスタン、チェチェンに戦士を送り込んだ。こうして、カンダハルの最大のジハード基地となったのである。

Harkatは自身を「全ムスリムのための第二の防衛ライン」と呼び、ビルマ、バングラデシュ、新疆省で活動した。同じビノリモスク出身であるために、Harkat al-Jihad al-IslamiとHarkatul Mujahideenは1993年に融合し、カシミールで戦った。こうしてHarkatul Ansarが生まれる。そのなかの1人の司令官がAl Faranと名乗る組織を作り、1995年にカシミールで欧米観光客を誘拐、殺害したことから、Harkatはアメリカからテロ組織というレッテルを張られた。Qari Saifullah Akhtarは2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻後、南ワジリスタンに逃げた。

Qari Saifullahの組織は、国際的だった。戦士たちはパンジャーブ人司令官のもとで、タジキスタンのフェルガナ盆地でウズベクの支配者階級と戦う、ユマ・ナガンマニとタヒール・ユルダシェフと協力して戦った。アフガニスタンでオマールが匿ったこの2人のウズベク人のうち、ナガンマニは殺害され、ユルダシェフはワナで負傷したといわれる。

Harkatは普段はカラチのKorangiにいて、ビルマ人戦士の面倒をみている。この地域はmini-Arakanと呼ばれることもある。HarkatはKorangiに30のマドラッサを持つ。さらにカラチの別の場所に18のマドラッサがある。Orangiの最大のマドラッサはMadrasa Khalid bin Walidで、ここには500人のビルマ人が訓練を受けていた。後にアフガニスタンで訓練を受け、北部同盟やカシミールのインド軍と戦った。 (後略)

hoonSignificance of Qari Saifullah Akhtar's arrest


■エリート専門家、パキスタンを徘徊[040809 Washington Times]

アメリカは、CIAの前特殊部隊戦士や他の組織と契約して、パキスタンにおける対テロ作戦を大規模に展開し、ビンラディンを捜索している。

パキスタンの国境に沿って、アフガニスタンでは数千人の米軍が戦っている。アメリカの政策としては、米軍はパキスタン国内では活動しないことになっている。しかしある情報源によると、現実には特殊部隊のベテランや他のエリート部隊をパキスタン内に派遣する、「さまざまな契約」があるという。

公的には、ムシャラフが米軍がパキスタン国内に入ることを禁止しているために、米軍の活動は禁止である。3月に開催された記者会見でラムズフェルドに、米軍はパキスタン内に軍を派遣しているかどうか尋ねると、「国防省の人間を? そんなことはないと思う。私の知る限り」と答えている。

しかし特殊部隊について詳しい2件の情報によると、ワシントンは、前デルタ・フォース隊員、SEALやグリーン・ベレーなどと契約して、パキスタンで特殊任務を行なわせているという。「前特殊部隊員たちが、さまざまな組織と契約を交わしている」と情報源は述べる。これらの前戦士たちはパキスタンにいるCIAと合流し、地元の兵士を訓練し、戦術を伝授しているらしい。米軍を採用しているというこの事実は、いかにパキスタンが、アメリカの同盟国になっているかを知る、良い例である。(後略)

smellElite veterans prowl Pakistan
By Rowan Scarborough


■Aafia Siddiqui、アルカイダのためにダイヤを購入[040809 Daily Times]

逃走しているパキスタン人Aafia Siddiquiは、1999年以来アルカイダの銀行口座が凍結されてしまったために、リベリアからダイアモンドを購入して、足がつかない資金を得ていたという。

Siddiquiは、唯一の有名な女性アルカイダメンバーである。メディアによるとSiddiquiは、アルカイダのフィクサーと言われ、他のアルカイダ間の問題を解決するために、Monroviaに滞在していたらしい。国連の調査によると、アルカイダは1998年9月から2002年にかけて、西アフリカにいたことが明らかになっている。またアメリカ諜報部高官によると、アルカイダとダイヤとの関係は驚くべきもので、ダイヤの商売で約150万ドルの利益を得ていたという。

garrAafia Siddiqui bought diamonds for Qaeda
By Khalid Hasan、WASHINGTON


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003, 2004.