【2004年9月27日〜10月3日】


■選挙が近づくにつれ、アフガンの死者増加する[041003 AP]

アメリカはアフガニスタンの治安回復に成功していると述べているが、アフガニスタンの大統領選挙が近づくとともに、死者の数が増加している。

新たな報告によると、アフガン兵3人と抵抗勢力2人がし先週末に死亡し、今年になってから死者の数は、少なくとも957人に達した。この中には、米兵も30人含まれている。(中略)

欧米の諜報情報によると、カンダハル周辺の国連事務所を攻撃するために、抵抗勢力がパキスタンから入り込んでいるという。今後、車を用いた爆弾テロ事件などが発生する可能性も高いという。(中略)

日曜日に、抵抗勢力の新たな動きが目撃された。米軍とアフガン軍が、パキスタン国境付近のスピンボルダックでタリバンと思われる者たちと戦い、1人を殺害、16人を逮捕したと、カンダハル州知事報道官が述べた。

また土曜日には、抵抗勢力たちがウルズガン州の前政府高官宅警備員2人を殺害した。犯人たちが逃走の際に銃撃戦となり、兵士1人も死亡した。

いっぽうアフガン刑務所から数百人の前戦闘員たちを釈放して恩赦を与え、タリバンの抵抗運動に歯止めをかけようと試みたが、なんの効果もなく、政策は失敗に終わっている。

hoonAfghan Death Toll Mounts As Voting Nears
By STEPHEN GRAHAM、KANDAHAR


■新統合参謀長議長と陸軍副長官、任命さる[041003 News]

ハクEhsanul Haq将軍が、Muhammad Aziz Khan将軍を引き継いで統合参謀長議長に任命され、Saleem将軍がMuhammad Yusuf将軍を引き継ぐことが決定した。AzizとYusaufは、今週引退する予定である。ハク将軍の昇格は、多くの者を驚かせた。国家の安全を重視した選択といえる。

2人の3つ星将軍の昇格により、6人の他の3つ星将軍の昇格が保留となり、辞職を強いられる者も出るようだ。(中略)

hoonNew JCSC chief, VCOAS appointed
By Shakil Shaikh、ISLAMABAD


■諜報部長官、統合参謀本部議長に[041002 AP]

ムシャラフ大統領がISI長官を統合参謀本部議長に任命したと、土曜日に軍が発表した。さらに最近暗殺を免れたばかりのカラチの警察司令官を、陸軍副長官に任命した。今回のパキスタン軍の階級の異動により、陸軍長官を辞職するという大統領の約束は覆されるという見方が強くなってきた。

ISI長官のハク(Ahsanul Haq)が、10月に引退予定のMuhammad Aziz Khan将軍を引き継ぐ。ハクは土曜日に4つ星将軍に昇格した。ムシャラフはハクを、2001年10月にアメリカがアフガニスタンを攻撃する直前に、ISI長官に任命した。ハクの前任者、マフムード中将はタリバンと密接な関係を持っていたが、9.11以後、ビンラディンを引き渡させることに失敗した。ハクを引き継ぐ者については、いまのところ、発表されていない。

土曜日にムシャラフは、カラチ警察司令官のAhsan Saleem Hayatを4つ星将軍に昇格させた。Hayatは、今回引退する陸軍副長官Yousaf Khanを引き継ぐ。

hoonPakistan's Musharraf appoints head of spy agency as chairman of joint chiefs of staff


■ファルーキは、Qari Saifによって足がついた[041002 Daily Times]

ファルーキは、過激派Harkatul Jihad Islamilのリーダー、Qari Saif Ullah Akhtarからの情報で足がついたと、諜報部高官が語った。Akhtarは8月にドバイで逮捕され、パキスタンに引き渡されている。取り調べの際、Qari Saifとほかのアルカイダ工作員たちが、過激派数人の名前を挙げているらしい。

ファルーキとQari Saifは、Qari Saifが8月に逮捕されるまで、密接な関係を撮り続けていたという。2人はムシャラフを暗殺しようとしたが、失敗。その後、できるだけ多くの政府関係者を殺害することになっていた。2人は、ブット政府に対する陰謀で服役していたQari Saifが1995年に釈放された時期に出会ったという。

情報源によると、ファルーキはHarkatul AnsarとHarkatul Jihad Islamiのメンバーで、Qari Safiがオマール師のアシスタントをしていた時代、カブールの訓練所の責任者だったらしい。ファルーキの遺体は、家族の要請にもかかわらず、いまだ埋葬のために返られていない。

hoon'Farooqi was tracked down on a tip-off from Qari Saif'
Staff Report


■ザワヒリ、新たな攻撃を予告[041001 AP]

ザワヒリのものと思われるテープが、アル・ジャジーラテレビで放送された。イスラームの若者たちに、アメリカとその同盟国に対する攻撃を行ない、もしアルカイダのリーダーたちが殺害あるいは逮捕されたりしても、戦いを続行するよう呼びかけた。(後略)

garrBin Laden Deputy Purportedly Seeks Strikes
By TAREK AL-ISSAWI、DUBAI


■シーア派モスクで爆弾、25人死亡[041001 AP]

ブリーフ・ケースに爆弾を詰めた男が、数百人の礼拝者が集まっていたシーア派のモスクで自爆し、少なくとも25人が死亡、50人以上が負傷した。爆発の数分後、モスクの外に仕掛けられていた第2の爆弾を専門家が処理した。

現在、自爆テロ犯の背後関係はわかっていないが、あるシーア派聖職者は、先日殺害されたアルカイダ幹部に対する報復ではないかと述べた。

garrBlast Kills at Least 25 at Shiite Mosque
By ASIF SHAHZAD、SIALKOT


■部族地帯での学校建設計画に、日本とアメリカが協力[041001 Kyodo]

日本とアメリカの大使が木曜日に、パキスタンのFATA地域に学校130校を建設する費用として、500万ドルのジョイント・プロジェクトを開始した。

日本の田中大使とアメリカのパウエル大使は、最初の1校目となるペシャワル付近のSur kamarに、石を設置した。この記念祭には、南北ワジタスタン、カイバル、モーマンド、クラム、オルクザイ行政区の部族地帯の長老が集まった。

hoonJapan, U.S. join hands in Pakistan's tribal school project


■ブラジルに、カーンから核テクノロジーを購入した容疑[041001 Kyodo]

International Atomic Energy Agencyは、ブラジルがパキスタンのカーン博士から機密核テクノロジーを購入したと疑っている。

アメリカ国防省前高官で現在ワシントンにあるNonproliferation Policy Education CenterのHenry Sokolskiの話にもとづき、『O Estado de Sao Paulo』紙が報告をまとめた。「ブラジルが、カーン博士から核テクノロジーを購入したと疑っている」というSokolskiの言葉を引用している。

IAEAはブラジル政府に、リオ・デ・ジャネイロの核燃料工場の視察を申し出ているが、ブラジル政府はこれを拒否している。ブラジルは、現在用いているウラニウム濃縮機は、世界で一般的に使用されているものよりも高度なものであるために、そのテクノローを保護するために視察はあり得ないという。「ブラジルが、パキスタンで用いているような古いタイプを購入するなど、考えられない」。(後略)

hoonBrazil suspected of buying nuke technology from Khan


■南ワジリスタンで部族民2人死亡[041001News]

南ワジリスタンで抵抗勢力と軍の間の銃撃戦に巻き込まれ、部族民2人が死亡、女性1人が負傷した。(中略)

いっぽう木曜日の午後、マキン付近で抵抗勢力と軍の間で、激しい戦闘が勃発した。死傷者についての報告はない。Karwan Manzaの頂上を再び占拠した抵抗勢力が、LaddahとAsman Manzaにいる軍と戦った。両陣営とも長距離兵器を用いている。

これとは別に、抵抗勢力司令官のAbdullah Mahsudが『News』に、捕虜をジャーナリストに引き渡そうとしているが、政府がこれを許可しないと述べ、今後Sepoy Mohammad Shaban Khanの安全に対する保障はないという。「これまでは彼の両親の要求に従って、捕虜をジャーナリストに引き渡そうという誠意を示していたのに」と説明した。おそらく軍は、兵士の解放に関心がないのだろうとも語った。

アフガニスタンでの戦いで、片足を失ったAbdullah Mahsudは、去年、グアンタナモ刑務所から釈放された。彼によると、抵抗勢力はアメリカと対抗して南ワジリスタンで作戦を行なっているという。「我々はパキスタン軍とは戦いたくない。しかしアメリカに協力する者であれば、誰とでも戦う。アメリカとその同盟に対して戦うことが、本当のジハードだ」と主張した。また抵抗勢力は南ワジリスタンにいる軍を包囲し、各地でゲリラ線を展開していると語った。

garrTwo tribesmen killed in S Waziristan
By Sailab Mahsud、WANA


■新たなアルカイダ捜索[041001 BBC]

ファルーキの死亡とともに、世界の関心は再びビンラディンとザワヒリに向いてきた。最近殺害されたファルーキの一味が、多数逮捕された。しかし治安当局は、世界にはあまり知られていないが、パキスタンにとっては重要な2人を捜索している。1人はリビア人で、ファルーキと関係があったアルカイダ幹部Abu Farajである。Abu FarajはFBIの手配者リストにも挙げられ、500万ドルの賞金が懸かっている。

高官によると、彼がファルーキを通じて、パキスタン内のテロ活動に資金を流していたという。現在逃走中と思われ、もう1人の重要人物、Hamza Arabiとともに、おそらく部族地帯にいるといわれる。Hamza Arabiはパキスタンを拠点として利用し、ここから世界各国にあるアルカイダ組織に指令を出しているようだ。

当局はHamza Arabi自身や彼の役割については、極秘にしている。ここ数週間にわたって、パキスタン諜報部は国内のイスラーム過激派の活動規模や内容について、異例といえる発表をしている。パキスタンに住み着いたアラブ人過激派たちのほとんどは、9.11前後にイラクに移動したといわれる。しかし、全部が移動したわけではない。最近の情報によると、アルカイダは国内の政治家たちを標的にし始めたようだ。

組織は、ますますハイテク化しているといわれる。ファルーキは空中の標的を攻撃できる、無人衛星を探していたという。高官によると、彼がこのようなデリケートなテクノロジーをいかに入手しようとしていたのか、見当もつかないという。しかし彼の意図は確かだったようだ。

smellNext steps in Pakistan's al-Qaeda hunt
by Zaffar Abbas


■パキスタンのジハード組織の背後にアルカイダ頭脳[041001 Asia Times]

「治安当局は、アルカイダの背骨に打撃を与えた」と、内務相のAftab Ahmad Khan Sherpaoが水曜日に語った。しかしパキスタンのジハード組織は、まだその力を失ってはいない。さらにジハード組織がよりどころとしているアルカイダは、まだ一掃されていない。

治安当局の情報源によると、パキスタンは近々重要人物の逮捕を発表するという。ここ数ヵ月にわたり、ジハード組織や外国人が多数、逮捕されてきた。カラチのシェラトン・ホテルでフランス人技術者たちが狙われた、2002年5月8日の事件と関連があるとして手配されているSohail Akhtarは、すでに5ヵ月前に逮捕されており、近々一般に逮捕が公表されるという。

重要人物の親戚を誘拐したり殺害する計画も、暴かれた。南ワジリスタンでは、アラブ人たちに訓練されたジハード志願者たちが、多数逮捕された。ムシャラフの1人息子を誘拐し、首を切り落とす計画もあった。アメリカで地元のギャングを雇い、アラブ首長国連邦に送り込む計画もあった。しかしその首謀者の1人がカラチで逮捕され、このグループ全体が摘発された。

《しかしまだ陰謀がある》

「『テロとの戦争』にあるていど成功しているが、まだネットワークすべてを一掃してはいない。今のところいくつかの理由で、ジハード組織はまだ本当の実力を出していない」と、ある治安当局の高官が述べた。

「ジハード組織の中には、ある種のジレンマがあり、分裂している。ひとつの傘の下で、動くことができない。またジハード組織内の幹部は、それぞれ自分のテリトリーがあり、他のグループと協力しない。そのために、我々はなんとかやってきた。もし彼らが協力して全員でかかってきたら、我々はどうすることもできない。彼らをコントロールすることは不可能だ」。

「ここ数ヵ月間、ジハード組織の攻撃力に打撃を与える要素がいくつかあった。まず、幹部が逮捕された。取り調べで彼らは自分たちのことを話したために、組織内の者は身を守るために寝返った。もちろんこれは正しいことだ。しかし結果的にジハード志願者たちは、自分たちのグループ内に大きな代理組織が形成さることを恐れはじめた。だから彼らは守りの態勢に入り始め、ゆっくり動いている」。

「次に、資金の問題だ。今まではドバイからハワラ(両替商などのエージェントが行なう個人的な流通網)を通して、いくらでも金が入った。しかし規制がかけられた今、資金に困っている。彼らは最近この問題に対処し始めたようで、そのうちその結果が見えてくるだろう」。

しかしジハード組織を取り締まるだけでなく、アルカイダを逮捕しなければならない。「アルカイダはジハード組織を機能させる力をもつ。18ヵ月に満たないうちに、彼らは南ワジリスタンに訓練所を設けた。さまざまなグループを組織し、訓練し、使命感を与え、資金や爆発物などを供給した。そしてさまざまな仕事を与え、それぞれが心のおもむくままに攻撃するため、送り出された」。

「地元のジハード組織は爆発物の作り方や銃の撃ち方も知っている。しかし戦略に関しては、それほど長けていない。ほとんどの地元ジハード志願者たちは、教育を受けていない(ファルーキのように)。訓練所の責任者(ファルーキのように)かもしれないし、爆発物の扱い方も知っているだろうが、高度な殺人や作戦を計画することはできない。これをやるためには、アラブ人戦士が必要だ。アルカイダがいなくなれば、ジハード組織をコントロールすることは、たいして難しくないだろう」。

garrThe al-Qaeda brains behind Pakistan's jihadis
By Syed Saleem Shahzad


■パキスタン、国連のカーン取り調べを拒否[040930 AFP]

パキスタンは、国連の核監視団がパキスタンの核科学者、カディール・カーン博士を質問することを拒否したと、エルバデル会長がBBCに語った。IAEAが、パキスタンがカーンに対する取り調べを拒否したことを認めたのは、初めてである。(中略)

エルバドルによると、カーンの組織は30カ国以上に30以上の会社をもち、核の密輸に関わっているという。しかし「私が知る限り、カーンはパキスタン人以外には、何も語っていない」という。(後略)

smellPakistan refuses to let UN nuclear watchdog interview Pakistani scientist VIENNA


■パキスタン当局、リビア人を逮捕[040930 AP]

パキスタン諜報部か木曜日に、ペシャワルでアルカイダと関係があると見られるリビア人を逮捕したと、治安当局高官が述べた。

容疑者はAhmed Abdullahと名乗り、ペシャワル付近のMatanni地域に住んでいた。

hoonPakistani Authorities Arrest Libyan
By RIAZ KHAN、PESHAWAR


■パキスタン、テロ容疑者殺害で「アルカイダの背骨」に打撃と発表[040930 AP]

パキスタンは、ファルーキの殺害で、アルカイダ組織の「背骨」に打撃を与えたと述べた。(中略)当局によるとは、最近パキスタンで発生している主なテロ事件のほとんどに関わっていたことがわかったという。(中略)

治安当局は、ファルーキの死後、彼と関係があった少なくとも11人を逮捕した。水曜日にはスワートで2人が逮捕された。2人は、教師のQadim Bachaとカー・ディーラーのMohammed Iqbalだという。別の男1人も、拘束されているようだ。

警察は、パール記者の首を切り落としたのは、ファルーキだったと見ている。

hoonPakistan says it has broken the "back of al-Qaida" by killing top terror suspect


■ファルーキが死ななければならなかった理由[040930 Asia Times]

パキスタン治安当局は日曜日に、ファルーキAmjad Hussain Farooqiを殺害した。(中略)パキスタン当局は8月20日に、ファルーキとリビア国籍のAbu Faraj al-Libbiに関する情報を提供した者に対して、それぞれ200万ルピーの報奨金をかけた。(中略)どう考えても、パキスタン当局は彼を生きたまま逮捕することはできたはずだ。しかし彼らは、ファルーキを生かしたまま逮捕はしたくなかった。

パキスタンのジャナーリスト、Kamran Khanは次のように書いている(「Farooqiの殺害で、重要な疑問が残る」[040928 News]参照)。真実は結局わからない。パキスタン陸軍、諜報部、警察当局の誰かが、真実が明るみに出ることをきらったのだ。なぜ?ファルーキとはいったい誰なのか? 彼と陸軍、ISIとの間の関係は何なのか? 彼はどの組織に属しているのか?

《タリバン、綿、アフガニスタン》

1992年4月、ドスタム将軍がナジブラー大統領に反旗を翻したのを利用して、アフガンのムジャヒディングループがカブールを占拠した。ナジブラーは国連の保護下に入り、カブールに軟禁された。国連はナジブラーをインドに亡命させようとしたが、失敗した。

ムジャヒディンの勝利は、パキスタンのマドラッサ出身のジハード団のおかげだった。ISIが彼らを訓練し、武器を与え、ムジャヒディンたちを助けるためにアフガニスタンに送り込んだのだ。カブールに突入した者は、反シーア派過激派、Sipah-e-Sahaba Pakistan(SSP)、 Harkatul Ansar(HUA)またはHarkat ul-Mujahideen(HUM)、そしてLashkar-e-Toiba(LET)である。ファルーキは当時10代だったが、SSPのメンバーとして、カブールに入った。

1994年にパキスタン国内の綿が不作で綿産業が大きな打撃を受けたとき、ベナジール・ブット大統領の夫、Asif Zardariが、綿をトルクメニスタンからアフガニスタン経由、陸路で運ぼうとした。ところが最初の綿を積んだ車列の2台が、ヘラートで、ムジャヒディンたちに襲撃された。Zardariは当時の内相のMajor-General Nasirullah Babbarと当時一陸軍軍人だったムシャラフをアフガニスタンに派遣し、綿の車列の警護を担当させた。彼らはオマール師に、パキスタンのマドラッサから学生たちを連れてこさせ、綿の車列の警護にあたらせた。これがタリバンとなった。

Babbarとムシャラフは、1992年にカブールにいたファルーキのことを聞きつけ、オマール師に協力して警備を手伝うよう、要請した。ファルーキはこれに従った。Babbar自身が先頭の車列に乗り込み、ファルーキとその一団がこれをエスコートした。

数ヵ月後、オマール師はファルーキにヘラート占拠を命じた。1995年9月、ファルーキはこれを楽々成し遂げた。こうして綿の車列の警護グループだったタリバンは、カンダハル、ヘラートの支配者となり、ファルーキとその一味の協力により、次第にその影響力を拡大していった。

1995年にファルーキはSSPをやめ、HUAに入った。HUAは彼を含む何人かをジャンムー・カシミールに派遣し、al-Faranという名の下で、欧米観光客のグループを誘拐した。観光客の1人は首を切られ、1人はなんとか逃げ出した。残りの者たちの運命は、いまだにわからない。

1995年10月、当時陸軍長官だったGeneral Abdul Waheed Kakkarが、Major-General Zaheer ul-Islam Abbasiを中心とした陸軍のグループが、自分とベナジールを暗殺しようとしていることを知る。Abbasi一味は逮捕された。背後にQari Saifullah Akhtarが率いるHUAがあることがわかるが、Abbasi一味は有罪となったにもかかわらず、Akhtarは無条件で釈放された。

1990年以前、ジハード組織はHarkat-ul-Mujahideen(HUM) とHarkat-ul-Jihad-al-Islami(HUJI)が中心だった。Maulana Fazalur Rehman KhalilがHUMを、Qari Saifullah AkhtarがHUJIを率いていた。1990年ころ、2つは統合してHUAとなり、Khalilが会長となり、Akhtarが副会長になった。ファルーキはAkhtarと密接につながっていた。

1980年代、AbbasiはISIの代表として、ニューデリーのパキスタン大使館の准将となったが、インド政府は彼を追放した。パキスタンに帰国後、彼は北部地域に派遣された。1990年代、ナワーズ・シャリーフ首相時代に、Abbasiはシアチェン氷河のインド軍と陸軍の許可なく交戦、インド軍に敗退し、その結果更迭された。これ以後Abbasiは、パキスタンの陸軍に対して憎しみを持ち、Akhtarと結託していた。ムシャラフが権力についた1999年の直後、ムシャラフはAbbasiを釈放した。彼はHizbollahという反米組織を作り、HUJIと一緒に行動した。

1996年9月、タリバンがジャララバードとカブールを占拠する。パキスタンのマドラッサ出身者がタリバンに加わったが、ファルーキはHUAの責任者として、この一団に参加した。ファルーキ一団がカブールを占拠すると、国連事務所に向かい、ナジブラーを絞首刑に処する。ジャララバードには当時ビンラディンが住んでいた。タリバンがジャララバードを占拠すると、タリバンとビンラディンはファルーキ一団とともに、カンダハルに移動した。

1997年10月にHUAは再びHUMとHUJIに分かれ、AkhtarはHUJIの会長となり、ファルーキは副会長となった。1999年、HUMのメンバーが、カトマンドゥを立ったインド航空機をハイジャックしてカンダハルへと向かった。そしてオマル・シェイクとHUMのMaulana Masood Azharの釈放を求めた。インド政府はこれに応じる。ハイジャック犯の中に、Mansur Hasnainという男がいた。この男こそ、ファルーキ自身だったとパキスタンのメディアは報道している。Maulana Azharがパキスタンに帰国したことで、HUMは分裂し、Azharとその一団はJaish-e-Mohammad(JEM)を形成する。

オマル・シェイクはラホールに住み、ビンラディンの世話係としてIIFの面倒をみた。以前ISIの手下だったAzharとオマル・シェイクは、再びISIとの関係を再開した。オマルはたびたびカンダハルを訪れ、ビンラディンと会った。その間に9.11の計画を知り、これを現在のISI長官のEhsanul Haqに報告したといわれる。当時Ehsanul Haqは、ペシャワルの警察司令官だった。

アメリカが2001年10月にアフガニスタンで爆撃を開始すると、約3万人のパキスタン人がアフガニスタンに出向いた。その最大のグループが、ファルーキに率いられたHUJIのメンバーだった。しかしアメリカの攻撃を受けると、ファルーキを始め、多くがパキスタンに逃げ帰った。ファルーキはその後ビノリ・マドラッサのMufti Shamzaiに匿われ、そこからラホールに住んでいたオマル・シェイクと、Ramzi Binalshibhとともにカラチに住んでいたKhalid Shaikh Mohammadにコンタクトとった。

2002年、アメリカの圧力でムシャラフはLET、JEM、SSPの活動を禁止し、そのリーダーたちを軟禁した。しかしすべてが見せかけだった。また、陸軍内に支持者が多かったHUMやHUJIは野放しだった。さらにAkhtarやFarooqiに対しても、行動しなかった。

《ダニエル・パール事件》

2002年1月、ダニエル・パールは靴爆弾犯・リチャード・リードのパキスタンとの関係を調べるために、カラチに出かけた。カラチに出かける前、バールは情報収集のために、前CIA長官のJames Woolseyや、アメリカにいるパキスタン出身ロビイストのMansoor Ijazに相談している。

パールは特に、アフロ・アメリカ人に人気があるアメリカのカリブのテロ組織、Jamaat-ul-Fuqra(JUF)のリーダー、Mubarik Ali Shah Gilaniに会いたがっていた。リードがJUFのメンバーで、1990年代にパキスタンのHUMの訓練所にいたと言われていたからだ。カラチに入る前、パールはパキスタン空軍の退役高官で、ISIにも在籍していた、Khalid Khwajaという男と、Mohammad Bashirという男とメールを交わしていた。Mohammad Bashirは後に、オマル・シェイクであることがわかる。Mansoor Ijazがパールに、Khwajaへの紹介状を書いたらしい。なぜ彼がBashirと知り合ったかはわからない。(中略)

2003年1月23日、パールは誘拐される。(中略)オマル・シェイクはISIに保護されたあと、誘拐犯として逮捕された。(中略)オマルはパールを誘拐し、ファルークに引き渡したと告白している。(中略)。

数日後、パールが殺されたことが発表されるが、しばらく遺体は見つからなかった。5月16日、カラチ警察はal-Rashid Trustが所有する土地から、切断された遺体を発見する。『News』の記事によると、遺体の埋葬地は、あるFazal Karimの情報で判明したという。この新聞によるとFazal Karimは、Lashkar-e-JhangvのNaeem Bukhariがグループのリーダーで、このグループには「3人のイエメン・バローチ(父がイエメンで母がバローチスタン出身者)」がいると告白したという。Naeem Bukhariは当時、警察から手配中だった。またFazal Karimはオマルが、パール殺害計画に参加していたと認めた。

カラチ警察によるとFazal Karimからの情報で、ファルーキは当時、一度逮捕されたという。しかしISIが彼の釈放を命じた。またイエメン・バローチの1人はKhalid Shaikh Mohammadで、パールの首の切断に加わったという。(中略)

ムシャラフが2003年12月に暗殺されそうになると、最初はJEMの仕業と見られていたが、後にHUJIが浮上した。陸軍には、HUJIのメンバーが多い。1月末には、HUJIに属す陸軍の空軍メンバーが関係していたという証拠があがり、ファルーキがリビア人の指示に従って彼らを組織していたといわれはじめる。しかしムシャラフは、この時点ではこれを肯定しなかった。

6月にカラチで発生した警察司令官暗殺事件は、HUJIと新たな組織、Jundullah(Army of Allah)の犯行といわれ、ファルーキがこれも組織していたようだ。警察は当初Jundullahのメンバーたちの取り調べを極秘にして、ファルーキの逃走を防ごうとしたが、情報相ラシッドがこれをメディアに発表してしまう。ファルーキはカラチからNawabshahに逃走した。ムシャラフは6月になって、はじめて空軍メンバーが暗殺未遂に関わっていたこと、ファルーキとリビア人が関係していたことを認めた。そして2人に対する捜索が始まったが、誰かがファルーキが死ぬことを望んだのだ。

8月にドバイでHUJI会長のQari Saifullah Akhtarが逮捕され、パキスタンに引き渡された。現在その取り調べに関しては何もわかっていない。パキスタンのジハード組織の活動について最も不思議なのは、なぜムシャラフがHUJIに寛容なのかということだ。HUJIが陸軍や空軍にも浸透して、彼を暗殺しようとしたというのに。

smellWhy Amjad Farooqi had to die
By B Raman、CHENNAI


■ファルーキは生きたまま逮捕できたはず[040929 Daily Times]

目撃者によると、ファルーキは致命傷を受け、その場に放置された30分後に死亡したという。当局は、体に爆弾が巻き付けられていることを恐れていた。

目撃者によると、ファルーキは武器を持たず、銃撃戦もなかったという。治安当局が午前10時から1時の間、家に立てこもった者たちを外に出るよう威嚇射撃をしていたにすぎないと述べた。死亡した者だけが撃たれたようで、家の壁面など周囲には、銃痕が確認されていない。

「ファルーキは髭を剃っていたが、数分前に剃ったばかりのようだった」と目撃者は語る。治安部隊は何度も投降を要求し、催涙ガスも効果がなかった。3時間後にやっとファルーキが家から出てきて、クルアーンを大きな声で唱え、「絶対に投降しないから殺せ」と述べたらしい。

hoon'Farooqi could have been taken alive'
By Ahmed Raza、HYDERABAD


■パキスタン、手配者確保。一応……[040929 Asia Times]

ファルーキ(Amjad Farooqi)の捜索は、公的には次のようになっている。ファルーキの居場所は、Nawabshahの町にあった隠れ家で用いた携帯電話から足がついた。治安部隊が家を包囲し、中から激しい銃撃を受けた。銃撃戦でファルーキのほかに、2人が殺害され、3人が逮捕された。ファルーキはリビア人でムシャラフ暗殺を首謀していたといわれるAbu Faraj al-Libbiと関係があった可能性があり、彼は今すでに逮捕されているかもしれない。

パキスタンの治安当局幹部によると、「ファルーキの殺害は、パキスタン内のアルカイダ組織にとっては致命的だ。彼がアルカイダに、攻撃を実施するマンパワーを提供していたのだ」と述べる。

これが国際メディアに流布している見解だ。そしてムシャラフが、テロとの戦争に協力していることが強調されている。しかし『Asia Times』は別の事実をつかんだ。

9.11以前、ファルーキはジハード組織の歩兵にすぎなかった。彼が重要人物として浮上したのは、たった6ヵ月前だ。しかも当局による情報が元となっている。ファルーキは、自分について語ることはついになかった。彼が致命傷を受けて横たわっている間に発した最後の言葉は、「神よ、あなた1人が真実を知っている」だった。それからクルアーンを数節唱え、死亡した。

パンジャーブ州警察の記録によると、ファルーキはほとんど知られていなかった。ところが一夜で、Khalid Shaikh Mohammadの腹心になっていたのだ。『Asia Times』が入手した情報によると、ファルーキは1970年代に、ファイサラバードで生まれた。(中略)アメリカがアフガニスタンを攻撃し始めた頃から、ファルーキは逃走生活に入った。パール記者との関係で、手配されたからだ。

別の情報源によると、ファルーキは1980年代にジハードのための資金を集めていたという。そして1987年には、ソ連に対するアフガン・ジハードに参加した。後にカシミールやアフガニスタンを何度も訪れている。またHarkatul Ansar(HA)とも関係を持った。HAはHarkat-i-Jihad-i-Islamiから派生し、1990年代に、アメリカからテロ組織と指名されている。HAはMaulana Fazalur Rehman Khalilが主導。後にファルーキはラシュカリ・ジャングヴィ (LJ)とも関係した。

パンジャーブ警察諜報部のファイルによると、ファルーキはLJ司令官Shakil Ahmedと関係があることを示している。Shakil Ahmedは後に警察に殺害された。ファルーキの名前がこのファイルに浮上した直後、諜報部やISIが彼のファイルを調べたが、結局、他の組織との関係は見いだせなかったようだ。彼は一匹オオカミだったと言う者もいる。

またある高官は、ファルーキは南ワジリスタンの抵抗勢力と関係があったと述べ、Khalid Shaikh Mohammadとの仲介役を勤めていたという。またファルーキはパキスタンのジハード組織の創始者、Saifullah Akhtarの腹心ともいわれる。Saifullah Akhtarは最近アラブ首長国連邦で逮捕され、パキスタンに引き渡された。

さまざまの諜報情報から、ファルーキがファイサラバード、Kamalia、カラチ、ワジリスタンなどにいることを告げていた。これまで何回か、彼を逮捕する作戦が実施されてきた。今年の1月11日にはファルーキの義父の家が捜索され、6人が逮捕されている。しかしこの作戦後、捜索の記録はない。ただし警察当局は、何度も彼を逮捕しようとしたが取り逃がしてきたと、発表している。

情報源によると、ファルーキの死は、計画通りにはいかなかったという。当局はムシャラフが海外から帰ってくるまで、この作戦を極秘にしておきたかったのだ。ムシャラフが帰国したあと、ファルーキの遺体が公に発表されるはずだった。しかしドバイのテレビ局が、事件の数時間後にニュースを流してしまった。情報局は直ちに全テレビ局に、このクリップを削除するよう、要求した。しかしロイターがすでにこれを入手し、全世界に配信してしまったのだ。ただしファルーキの死亡を、「当局幹部は確認しなかった」としている。

火曜日になると、すべてのメディアがこれを取り上げ、当局は、ファルーキのコンピューター化された経歴などを発信することで対応した。今や、誰もがファルーキは殺害されたと信じている。

ここで問題なのは、メディアに提示された彼のアイデンティティー・カードだ。いくつかの明らかな点から、これが彼のものであるはずはない。例えばカードで使用されているフォントは、本来のものとは違う。そして最も重要なことは、これがコンピュータ化されているという点である。このようなカードが制度化されたのは、ファルーキが要手配者となった後のことだ。彼はどうやって公的なIDカードを入手できたのだろう。彼の身元を証明するために、当局が早急にお粗末なIDカードを作ったとしか思えない。

確かに当局は、アメリカを満足させるための「重要人物」を提供した。ファルーキの最後の言葉、「神よ、あなた1人が真実を知っている」という言葉を忘れてはならない。

smellPakistan gets its man ... sort of
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■兵士5人、ワナの爆発で死亡[040928 News]

南ワジリスタンのJandola-Wana間の道路で、軍の車列が2回にわたり、遠隔操作された爆弾で爆発し、兵士5人が死亡、13人が負傷した。事件は、Madijan村付近のSrasewzaで起きたという。(中略)現場は、マフスード族の居住地である。(中略)

いっぽうマフスード族居住地のKarwan ManzaとThanakに包囲されている抵抗勢力たちに対して、Asman ManzaとTiarza基地にいる軍が、攻撃を再開した。攻撃は日曜日から月曜日の夜まで続いていた。特に軍は、抵抗勢力の動きが観察されているNaray Sar山頂を狙っているという。抵抗勢力は、夜間に軍にロケット弾攻撃を行なった。死傷者についての情報はない。(中略)

また部族の抵抗勢力たちと話し合いを終えた、19人からなるマフスード族長老や聖職者たちが、行政官Asmatullah Gandapurがペシャワルから戻ってくるのを待っている。話し合いの結果を行政官と討論する必要があるという。抵抗勢力との話し合いは、難航しているようだ。(後略)

hoonFive soldiers die in Wana blasts
By Sailab Mahsud、WANA


■Farooqiの殺害で、重要な疑問が残る[040928 News]

日曜日にファルーキ(Amjad Farooqi)が殺害されたことは大きな勝利であったが、治安当局高官たちは、彼の死によって、大きな謎が残ってしまったことを心配する。さらにムシャラフ暗殺未遂やダニエル・バール殺害事件の裁判にも、大きな影響をきたす恐れもあるという。

「ファルーキを生きたまま逮捕することが大事だった」と、ある高官が述べる。「ファルーキは、歩兵と殺人を命令する者との間の、仲介役だった」。「彼が死んでしまった今、最も重要な謎の手掛かりもなくなった。ファルーキを動かしていたパキスタン人、またはアルカイダが誰なのか、いまだにわからない」と別の高官も語る。

リビア人Abu Ferajとファルーキとの間に、何らかの関係があったという報告もある。ファルーキが12月25日に起きた自爆テロに関係していたという確かな証拠が、軍の捜索で浮上したという。また12月11日にムシャラフ暗殺を狙い、橋の下に爆弾を仕掛けたパキスタン空軍技術官とファルーキとの間にも、関係があることがわかっている。さらに最も驚くべきことは、ファルーキがムシャラフの警備に関する極秘情報を入手することができたことだ。つまり、何人かの陸軍下士官と関係があったようだ。

Lt-Gen Kiyaniが率いる軍の捜索から、大統領の警備に対する暗号が漏れていたことがわかった。12月11日に一味が大統領を暗殺しようとした後、さらに12月25日の大統領の行動をつかみ、2度目の攻撃をしかけてきたのだ。またパキスタン空軍の技術官が、諜報部や警察に気づかれずに、2日もかけてC4爆発物を橋の下に仕掛けていたことに、驚きを隠せないでいる。警察も諜報部も、大統領が用いるルートを厳重に監視することになっていたはずだ。

さらに空軍諜報部が、12月初旬に開催された原理主義組織の集会に20人以上のパキスタン空軍メンバーが参加し、ムシャラフを暗殺するための計画を、パキスタン空軍基地で練っていることをつかめなかったことも、驚きだ。

このような点からパキスタン高官は、ファルーキが死亡してしまったことで、彼と関係した者たちの情報が入手できなくなってしまったのを心配する。さらにパール記者事件に関する重要な情報も消えてしまった。

パール記者の事件に関しても、ファルーキは重要人物だった。「パール記者誘拐殺人事件とその様子をビデオに撮って全世界に発表したのは、ファルーキとKhalid Shaikh Mohammadの仕業だ」と、ある諜報官は述べる。ファルーキはオマル・シェイクと関係があったために、ムシャラフ暗殺未遂事件の調査官たちは、オマルをハイデラバード刑務所から軍の取り調べ室に移し、数週間にわたって尋問した。

諜報部と警察高官によると、ファルーキは偽名をよく使っていたという。ムシャラフの事件に関係した者たちは、彼を「ドクター」と呼び、パール記者の関係者は彼をイムティアズ・ファルーキと呼んだ。またインド航空ハイジャック事件と関係した者は、マンスール・ハッサンと呼んでいたらしい。

事情をよく知っている高官によると、ファルーキは2000年12月にハイジャックされてカンダハルに向かった、インド航空ハイジャック犯の1人だったという。インド政府は乗員乗客と引き換えに、3人のパキスタン人過激派を釈放した。その中に、オマル・シェイクと、ジャイシェ・ムハンマドの創設者、Maulana Masud Azharがいた。

ファルーキを生きたまま逮捕することがいかに大事だったかを、多くの者が語る。「ある意味で、ラワルピンディでSaid Akbarが殺害されたことと比較できるだろう。彼が死亡したことで、今でもLaiquat Ali Khan首相を暗殺したのが誰なのか、わかっていない」と、ある高官は述べる。

日曜日の作戦についての情報に詳しいある幹部によると、銃撃戦が3時間に及んでいたにもかかわらず、ファルクークは投降する様子はなかった。そして逃走しようとして、借家の外で射殺されたという。

garrsmellFarooqi's killing leaves important questions unanswered
By Kamran Khan


■アフガン、選挙ノート[040927 BBC]

(前略)壁や入り口に張られた候補者のポスターが、アフガニスタンで選挙戦が行なわれている証拠である。ほとんどが、地元の人間と微笑んでいるカルザイ氏だ。ここはアフガンのリーダーの故郷、パシュトゥン族の故郷である。

選挙戦では、選挙する側が動く。「我々の選挙は、候補者が人々の元に出向くのではない」と、カルザイの選挙を切り盛りしている彼の弟、Ahmed Wali Karzaiが述べる。村や町に出向くかわりに、カルザイの選挙運動では、カンダハルで開催されるジルガに部族の長老やリーダーたちを呼ぶのだ。「各地の影響力のある人々がそれぞれの村に帰り、村人と話し合う」と、Ahmed Karzaiは語る。そこで誰に票を入れるか、指示するのだ。カンダハルの約100人の長老たちが、カルザイの選挙事務所に集まっている。彼らはスピーチに耳を傾ける。マトンと飯の昼食が続く。

しかし集まった人々は、大統領自身に会うことはない。彼は選挙日まで、カンダハルに旅する予定はない。2年前、彼はここで暗殺されかかった。これがジルガの利点のひとつでもある。選挙活動家にとっては、安全だ。

ジルガが終わると、長老たちは誰を推薦すべきかを決めるために、家に戻る。しかしこのシステムでは、人々に選ぶ自由があるといえるのだろうか。「各国に、それぞれのやり方がある」と、Ahmed Karzaiは語る。「アフガン人はこうして未来を決めてきたのだ。我々はジルガの人間だ。ジルガに人々が従う。今後もこうやって物事を決めていくだろう。こうやって1000年、やってきたのだ」。カルザイがこの地域すべての票を確保するのは、確実のようだ。

「カンダハルだけではない」。「今のところカンダハルは、95%は確実だ。ヘルマンド州の人々もいる。誰も彼らのもとには行っていないが、大統領を支持すると表明している」。

カルザイがカンダハル、ザーブル、ウルズガン、ヘルマンド、ニムローズの南部5州で勝利することを誰もが疑わないが、これは勝ちレースではない。驚いたことに、彼の競争相手、ユヌス・カヌーニもここで動いている。何人か著名な人間が、彼を支持している。たとえば数ヵ月前に、カルザイがカンダハルの警備司令官から更迭したKhan Mohammed Khanがいる。彼は新たな地位、警察長官の地位に満足せず、カヌーニを支持した。

選挙事務所で、彼らは支持者の会合を終えたばかりだった。うまくいっていると、カヌーニの選挙運動責任者のHaji Fida Mohammedが述べた。「まだわからないが、60〜70%は確実だ」。タジーク族のカヌーニが南部のカンダハル出身者に嫌われていることを考慮すれば、これは強気だ。しかしHaji Mohammedは、カヌーニがガルザイと取引して、引き下がればうれしい、とも語る。「統一と平和がほしい」という。(後略)

hoonAfghan election notebook - Karzai's hometown
By Andrew North


■アフガニスタンで米兵3人負傷[040927 AP]

アフガニスタンで、重傷者を含む3人の米兵が負傷したと、米軍が月曜日に発表した。また5人以上のタリバンを逮捕し、グアンタナモ刑務所から釈放されていた、抵抗勢力司令官1人の死亡を確認した。

ザーブル州のカラートで、土曜日に抵抗勢力が車両を襲撃し、米兵が負傷した。うち1人は重傷だという。また土曜日以来、タリバンのリーダー「5人以上」を逮捕したというが、詳細は語らなかった。

さらにウルズガン州のタリバンの拠点にいた抵抗勢力司令官、Abdul Ghaffarを殺害したことを確認した。アフガン人高官によると、Abdul Ghaffarは別の2人とともに土曜日の夜、銃撃戦の結果殺害されたという。彼はグアンタナモ刑務所から釈放されたあと、抵抗運動に合流していた。内務大臣Ali Ahmad Jalaliによると、Ghaffarは米軍がタリバンの掃討作戦を開始した直後に逮捕されたが、約8ヵ月後に釈放されたらしい。ある米軍高官によると、Ghaffarはグアンタナモ刑務所に収容されていたと述べた。

ペンタゴンの報道官Lt. Cmdr. Flex Plexicoは、「囚人の釈放には危険が伴う。当時入手した情報に基づき、誰を釈放するかを決める。何人かは、真実を隠すことに非常に長けていることを忘れてはならない」と述べた。

hoon3 U.S. Soldiers Injured in Afghan Attack
By STEPHEN GRAHAM、KABUL


■パキスタン、4人の過激派を逮捕[040927 AP]

パキスタン治安当局は、アルカイダ幹部を殺害した1日後の月曜日に、4人の過激派を逮捕した。

日曜日に投降拒否を誓って死亡したAmjad Hussain Farooqiは、ムシャラフ大統領暗殺未遂事件の首謀者であるとともに、パール記者の殺害にも責任があるといわれる。この取り調べで、イスラーム聖職者1人を含む3人が逮捕された。(中略)

あらたな暴力沙汰としては、南ワジリスタンの部族地帯でパキスタン軍の車隊が襲撃され、兵士5人が死亡、少なくとも6人が負傷した。

パキスタン内相のSherpaoによると、FarooqiはKhalid Shaikh Mohammadやアフリカの米大使館爆破事件と関係があるエジプト人Saif al-Adelに協力していたという。Saif al-Adelは現在パキスタンかアフガニスタン、あるいはイランに隠れているらしい。Khalid Shaikh MohammadはFarooqiに、「大統領など、パキスタンのVIPだけを狙う」よう、指示を出していたといわれる。

月曜日には、Farooqiが隠れていたNawabshah近くの2つの町で、取り締まりが行なわれた。まずスックルでは3人の兄弟が逮捕された。1人は過激派ジャイシェ・ムハンマドと関係があるKhalid Ansariであることがわかった。4人目はMirpurkhasで逮捕されたらしい。重要人物であるために、まだ身元が発表されていない。

リビア人、Abu Faraj al-Libbiが、ムシャラフ大統領暗殺を組織したといわれているが、「FarooqiはAbu Farajの腹心だった」とSherpao内相は語った。

南ワジリスタンでは、パキスタン軍の車列近くで爆弾が爆発して、トラック2台が破壊された。その後ワナ東部のSarwakaiに、ロケット弾が撃ち込まれた。兵士5人が死亡、数人が負傷したと発表されている。隊はSarwakaiからJandolaに向かっていた。

hoonPakistanis Arrest Four Militant Suspects
By ZARAR KHAN


■「ワナの戦士、洗練され、残酷」と軍[04927 News]

部族地帯に隠れているアルカイダと関連のある戦闘員たちは、洗練されているとともに残酷で、衛星電話を持ち、敵の遺体を切断すると、軍司令官が述べた。

南ワジリスタンの野戦司令官、Niaz Khattak少将によると、ワジリスタンに隠れてい戦闘員たちは地元民に、自分たちは「異教徒に対して」ジハードを戦っていると思い込ませていると述べた。高官によると、600〜700人のウズベク人やチェチェン人戦闘員がこの地域にまだ隠れているという。「なかには、1979〜1989年のアフガン・ジハードで戦った、本当の戦士もいるかもしれない。しかし、ほとんどの者たちが18〜25歳だ。彼らはアフガン・ジハードの間にいたはずがない」。「彼らは新参者だ。非常に優れ、教育や軍事訓練を受けている戦闘員で、地元のワジール族よりも優れている」。

彼らはワジール族に対して知的に、社会的に、身体的に支配しはじめ、ワジール族たちの軍事リーダーになっていった。戦闘員たちはイワシの缶詰めを食べ、缶ジュースを飲み、軍事地図や高度な軍事文献を持っている。戦士たちのリュックサックの中には缶詰や飲み物のほかに、優秀な薬や救急用品、コンパス、双眼鏡、GPSやツラヤの電話が入っていた。また爆発物や起爆装置、ロケット弾を発射するためのタイマーなどもあった。

またKhattak少将は、アルカイダと関係がある戦闘員やその地元協力者は、捕虜を虐待し、3月の戦闘においては、遺体を切り刻んだという。「普通の人間が遺体を虐待し、内臓を切り刻むなど、今まで聞いたことがない」と述べた。

hoonWana fighters sophisticated, brutal: military
ISLAMABAD


■部族民過激派、水曜日に投降予定[040927 News]

外国人抵抗勢力を匿ったとされる最重要容疑者、Sharif、Noor Islam、Abdul Aziz、Maulvi Abbas、Javedを含む手配中の抵抗勢力たちが、水曜日に行政側に投降するという合意に達した。

Geaテレビによると、北西辺境州知事と容疑者の間で、何らかの合意に達したという。北西辺境州知事の特使が、この話し合いに重要な役割を果たしたという。合意の内容は伏せられているが、知事が数日間のうちにワナを訪れたときに発表されるようだ。

hoonWanted tribal militants to surrender on Wednesday
WANA


■テロリストAmjad Farooqi、Nawabshahで殺害さる[040927 News]

日曜日に、ムシャラフ暗殺未遂に関わったAmjad Farooqiが殺害され、女性2人と子供3人を含む7人が当局に逮捕された。

Farooqiは隠れ家をレンジャー部隊に襲撃され、話し合いが決列した末に殺害された。情報をもとにレンジャー部隊が家を包囲し、内部に立てこもった者たちに、家から出るよう呼びかけた。2時間後、ショールをかぶった男が出てきて、話し合いが始まった。話し合いの前に、男はショールを取るように言われたが、男はこれを拒否した。話し合いは30分ほど続いたが、男が家に戻ろうとすると、治安部隊員が発砲し、男はその場で殺害された。後に、家に立てこもっていた7人が逮捕された。

カラチの諜報部員によると、逮捕された2人の男はAbdul RehmanとYaqoob Farooqiだというが、Amjad Hussain Farooqiとどのような関係なのかは、今のところわかっていない。殺害された男はウルドゥーで、逮捕されるよりも死を選ぶと叫んだらしい。「アラーへの約束を守る」と、空を指し示して叫んだといわれる。

hoonTerrorist Amjad Farooqi killed in Nawabshah
By Anwer Shaikh、NAWABSHAH


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003, 2004.