【2004年10月25日〜10月31日】


■犠牲者の家族、政府を許す[041031 Dawn]

Spinkay Raghzayに対する砲撃で15人の部族民が死亡した事件に関して、犠牲者の家族はマフスード族のジルガの決議に従い、政府の謝罪を受け入れることにしたと土曜日に発表した。

約200人のマフスード族の長老からなるジルガは、行政側からとして各家族に50万ルピーを支払い、さらにペシャワルの警察司令官のSafdar Hussain准将から20万ルピーが支払われることになった。

政府の誠意を受け入れ、マフスード族は治安部隊と再び協力し、Spinkay Raghzayにいる外国人勢力の捜査を開始すると述べた。10月26日にSheikh Ziaratで開催されていたジルガに大砲が撃ち込まれ、15人が死亡し13人が負傷して以来、捜査活動は中止されていた。以前軍は砲撃を認めず、抵抗勢力の仕業だと発表していた。

部族の伝統に従い、ジルガは犠牲者の家族に「Nanawathi」として、子ヤギ11頭を贈った。

hoonVictims' families forgive govt: Shelling on jirga
WANA


■捕虜になっている選挙活動家、ビデオに登場[041031 AP]

アルジャジーラテレビに、アフガニスタンで誘拐された外国人選挙活動家3人の映像が流れた。Jaish-al Muslimeenの報道官が、国連やイギリス軍がアフガニスタンから撤退しなければ、人質を殺害すると主張した。「3日のうちに、我々の要求を飲まなければ、3人を殺害する」と、Ishaq Manzoorが『AP』に電話で語った。「イラクと同様、国連は撤退するべきだ」。

アルジャジーラテレビで、3人が壁に寄りかかってすわっている様子が映し出された。Manzoorは、誘拐犯たちはグアンタナモ刑務所とバグラムに収監されているムスリム全員の釈放も要求していると述べた。(中略)

高官によると、誘拐犯の車がカブール西部にあるPaghman谷に向かっているのが目撃されたという。この谷は、山賊が出没することで有名である。

garrKidnapped Workers Seen in Afghan Video
By STEPHEN GRAHAM、KABUL


■Jaish、国連の捕虜を殺害すると脅迫[041030 News]

国連の選挙活動家3人を誘拐したアフガン抵抗勢力のリーダーは、アフガン軍や米軍が捕虜の捜索を続ければ、彼らを殺すと脅迫した。

Jaishul MuslimeenのリーダーのSyed Akbar Aghaが電話で『News』に、捕虜の交渉を開始するために、捜索を打ち切るよう要求した。捕虜には危害を加えないが、「捜索を続行して自分たちに危険が迫った場合、若者たちのなかには捕虜を殺害しようとする者が出るかもしれない」と警告した。

47歳のAghaによると、Jaishul Muslimeenは昨晩会議を開き、捕虜を釈放するための条件を決めたと述べた。捕虜の捜索を中止したら、解放の条件を発表するという。「我々はアフガニスタンやグアンタナモ刑務所に収監されている捕虜の釈放を要求する」と述べた。 【家】Jaish threatens to kill UN hostages
By Rahimullah Yusufzai、PESHAWAR


■ビンラディンのテープ、イスラマバードで入手とアルジャジーラ[041030 AP]

アルジャジーラテレビは土曜日に、ビンラディンのビデオ・メッセージは、イスラマバードの事務所で受け取ったと述べた。金曜日に事務所の門のところに、封筒に入ったテープを警備員が見つけたという。

smellAl-Jazeera says it received Osama bin Laden tape in Pakistani capital


■アメリカはさらなる攻撃を防ぐことができる、とビンラディン[041029 AP]

大統領選挙の4日前の金曜日に放映されたビデオで、ビンラディンは、もしアメリカがムスリムの安全を脅かさないのであれば、さらなる9.11のような攻撃を防ぐことができると語った。

「あなたがたの安全は、ケリーやブッシュやアルカイダの手にあるのではない。あなたがたの安全は、自分の手の中にある」と、ビンラディンは語った。「我々の安全に介入しない国は、自分たちの国の安全を保障したことになる」。

ビンラディンは初めて9.11の攻撃を命令したことを認め、イスラエルやアメリカがレバノン人やパレスチナ人を脅かしているから攻撃したと語った。(中略)

アルジャジーラが放映したビデオのなかで、ビンラディンは長い灰色の髭をはやし、白い伝統的な服とターバンを身につけ、金色の羽織を羽織っていた。テーブルを前に、茶色のカーテンをバックに座っていた。手に障害はないようで、健康のように見えた。

アルジャジーラテレビは約7分間のテープを流したが、放映は一部だと述べ、ビンラディンが他に何を語ったかについては触れなかった。ビデオが放映される前、米国務省はカタール政府に、アルジャジーラに放映を差し止めを要求してほしいと述べたといをう。(後略)

ohBin Laden: U.S. Can Avoid Another Attack
By MAGGIE MICHAEL


■アメリカ大使館、マリオットホテルに近寄らないように呼びかける[041029 AP]

パキスタン高官は、木曜日に起きたイスラマバードのマリオットホテルの爆発は漏電が原因で、爆弾事件ではないと主張しているが、米大使館は金曜日に、ホテルに近寄らないように警告した。大使館は、木曜日の爆発がテロリストのしわざなのか、単なる事故なのか、断定はしなかった。

爆弾事件の数分後、パキスタン高官はホテル玄関付近のエアコンの漏電による爆発と発表した。負傷した者の中には、イタリア人2人と米国外交官がいたという。米外交官は、もう1人のアメリカ人高官とホテルで食事をしていた。外交官の名前は明らかにされていない。

smellU.S. Embassy warns diplomats to stay away from Marriott hotel
following blast; Pakistani officials insist it was an accident


■選挙活動家、アフガニスタンで誘拐される[041028 AP]

軍服を着た武装した男が木曜日に、カブールの国連の車両を止め、運転手を殴打してから3人の外国人選挙活動家を誘拐した。

誘拐された者のうち2人は女性で、アイルランド系イギリス人とコソボ国籍である。3人目は、フィリビン人男性外交官だという。

タリバンの系列の組織のJamiat Jaish-al Muslimeenが、犯行声明を出した。この組織の報道官だというIshaq Manzoorが、3人は安全な場所にいると述べた。「彼らの身元を確認次第、もしその国籍の国家がアフガニスタンに派兵していれば、軍の撤退を要求する」と、『AP』に衛星電話で語った。(後略)

garrElection Workers Kidnapped in Afghanistan
KABUL


■オサマとシーア派の復讐[041028 Asia Times]

パキスタンとアフガニスタンのシーア派は、彼らに対する残虐な仕打ちを記憶している。今ビンラディンの捜索で、彼らは復讐を遂げようとしている。

1988年の事件を、彼らは決して忘れないのだ。北部地域に住むシーア派数百人が、惨殺された。当時のジアウル・ハク大統領が、ペシャワルに住んでいたビンラディンと彼のスンナ派軍隊に、これを実行させたのだ。1988年、ハク大統領が乗った飛行機は同乗していたシーア派空軍兵士の仕業で爆発し、死亡したといわれる。さらにハク大統領の腹心で、シーア派を嫌悪していたペシャワルのFazle Haq元中将も、暗殺された。

1994年から2001年のタリバン政権は、シーア派ハザラ族を虐殺した。これを実行したのがアルカイダとパキスタンのシパエ・サハバ・パキスタン (SSP)、そしてその軍事部門、ラシュカレ・ジャングウィ(LEJ)である。これに怒って、パキスタンで展開したスンナ派の反米運動には、シーア派は加わらなかった。

2003年以来、シーア派はビンラディン逮捕のために、独自の捜索をしているようだ。Khalid Shaikh Mohammadが逮捕されたのは、バローチスタンのクエッタ在住のシーア派メンバーの情報のおかげといわれる。これを受けて、ビンラディンのイスラーム戦線に属するSSPとLEJは、2003年7月にクエッタ在住のシーア派ハザラ族を虐殺した。さらにカラチなどのシーア派に対する攻撃が続く。

今年の7月、シーア派はKhalid Shaikh Mohammadの甥であるMassob Arooshiの逮捕でパキスタン当局に協力して、復讐を遂げる.Arooshiは前Pakistan Telecommunication Company Limitedの技師であった、Abbas Khanの家で逮捕された。Abbas Khanの父親は、シンド州警察の副長官だったという。Arooshiの逮捕の結果、7月12日にアルカイダのコンピュータ技師Muhammad Naeem Noor Khanが逮捕。さらに25日にはタンザニア人Ahmed Khalfan Ghailaniが、LEJのメンバーの家で逮捕された。(中略)

SSPとLEJは、再びシーア派を攻撃し始めた。モスクでの自爆テロ、暗殺されたSSP会長アザム・タリクの1周忌に起きた車爆弾など。アザム・タリクはムシャラフと密接な関係をもっていた。今度はSSPが、ラホールでシーア派モスクで自爆テロを行ない、復讐した。こうして復讐が永遠と続く。(中略)

シーア派は、アメリカやムシャラフのためにビンラディンを捜索しているのではない。アルカイダやタリバンに殺害された者たちへの、復讐である。彼らはアメリカやパキスタンと協力しているのではないのだ。

hoonOsama and his Shi'ite
By B Raman


■ブッシュがトラボラで何をしたか[041027 Asia Times]

(前略)10月の贈り物はどうしたのか? アメリカの大統領選はもう1週間を切った。ビンラディンはまだ出てこない。全世界が質問している。ビンラディンはどこ?

パキスタンに聞いてもわからない。「ビンラディンがどこにいるか、誰も知らない」と、日曜日に外務省報道官のMasood Khanが述べた。ペンタゴン高官数人のリークによると、ビンラディンは南ワジリスタンに隠れているという。バローチスタン州のToba Kakar山脈とそう離れていない地域だ。Khanはこの情報にびっくりしていたようだ。「我々はこの件について、ペンタゴンと接触している」という。パキスタン軍に聞いても埒があかない。これまでペンタゴンの言うとおり動いてきたが、何の結果もなかったと述べる。ムシャラフは、ビンラディンが生きていることは「ある証拠のために確かで」あるが、「どこにいるかはわからない」と、最近のNBCテレビのインタビューで語った。

さらにムシャラフは、FBIとISIが協力して、ビンラディンを捜索しているとも述べた。ということはISIは、ムシャラフが知らないことを知っているのかもしれない。カラチのISI高官が『Asia Times』に語ったところによると、ビンラディンとザワヒリがどこにいるのか、「カギはまったく出てこない」という。でもアフガニスタンにいることは確かだと述べた。ペシャワルの情報源によると、もう「数ヵ月間」、アフガニスタン側にいるという。なぜならパキスタンの部族地帯には、FBIやISI工作員が活動しているからだ。

ムシャラフは、ホワイトハウスやペンタゴンから、ビンラディン捜索に関して圧力は受けていないという。「アルカイダの幹部たちは逮捕された。山を攻撃し、南ワジリスタンにあった3カ所の隠れ家を攻撃した。今や彼らは逃走中だ。散り散りになった。我々が知らない隠れ家もいくつかあるだろうが、少なくともアルカイダに関しては、彼らは孤立し、散り散りだ」。

《トラボラでトレッキング》

ということはビンラディンは、10月の贈り物ではない。ザダムのように逮捕されたり、見せ物にはならない。2001年に11月の贈り物として出現できたはずなのに、惜しいことだ。

2001年11月17日、タリバン政権が崩壊するなか、ビンラディン一家はジャララバードをトヨタのランドクルーザーで25台の車列を組んで移動し、トラボラに到着した。11月下旬、イエメン人ムジャヒディンたちに守られてトラボラの凍てつく洞窟に隠れ、感動的なスピーチをした。彼の部下の1人で後にアフガンムジャヒディンに逮捕されたAbu Bakarによると、ビンラディンは「陣地を固守し、殉教に備えよ。私もあなた方にじきに会いにいく」と述べたという。

数日後、11月30日頃、ビンラディンは4人のイエメン人ムジャヒディンとトラボラを脱出し、パキスタンのParachinar村を目指した。誰にも妨害されずに徒歩で旅し、それ以後消えた。

米軍B-52機が無慈悲に攻撃を開始したころ、ビンラディンはすでにトラボラを後にしていたと、アフガン人ムジャヒディン多数が『Asia Times』に語っている。11月下旬には、パキスタン側で彼に会った者もいる。軍閥のハザラット・アリは、トラボラにいるビンラディンとアルカイダを追うよう、ペンタゴンの指令を受けた。スーツケース一杯の金を受け取り、これをカメラの前で見せびらかした。しかし彼は、米軍特殊部隊とはほとんどコンタクトをとっていなかった。

大事なことは、ビンラディンがすでにパキスタンにいたにもかかわらず、タンパにあるアメリカ中央指令のトミー・フランクス将軍は、ラムズフェルドから、フセイン排除のための指令を受けていたということだ。Bob Woodward「12月1日」の攻撃計画によると、ラムズフェルドはフランクスにイラク戦争の極秘計画を持ってくるよう、命令していた。(中略)

また12月初旬、アフガニスタン東部の諜報活動の責任者のPir Baksh Bardiwalは、混乱していた。なぜペンタゴンはトラボラから出る道すべてを封鎖しないのか。アメリカが金を支払って雇ったハザラット・アリのムジャヒディンたちは、すべての道を熟知しているというのに? トラボラで捕まったのは、アラブ人アルカイダ戦士数人だけにすぎない。トラボラに留まって殉教した多くのアルカイダ戦士は、アメリカの爆撃で瓦礫の中に埋まった。Pir Bakshは、「アルカイダは米軍の足のすぐ下から逃げた」と断言する。

ということは、ペンタゴンの失敗、ラムズフェルドとフランクスの失敗だ。ホワイトハウスの失敗。それには2つの理由がある。まずペンタゴンは、アフガニスタン東部の信頼のおけない軍閥に頼ってしまったことだ。スーツケースに詰まった金を片手に、偽りの情報を米軍に与えていたのだ。そして第2の理由は、ホワイトハウスとペンタゴンの関心は、すでにサダム崩壊に向いていたこと。ケリーが、ブッシュをトラボラの失敗で責めるとは当然のことだ。「テロとの戦争」の最高司令官としてのブッシュ神話は、大きく崩れた。

smellHow Bush blew it in Tora Bora
By Pepe Escobar


■ビンラディンらアフガニスタン東部に隠れている[041027 News]

ビンラディンは、パキスタンとの国境付近のアフガニスタン東部に隠れており、米軍の数が少ないことや地形的条件、住民が非協力的であるために、逮捕できない。

GEOテレビの番組によると、ビンラディンはパキスタンとアフガニスタンの部族地帯をやすやすと移動していると、著名なアフガニスタン人ジャーテリストのSami Yousafzaiが主張した。Yousafzaiによると、ビンラディンは去年の春までアフガニスタンのクナール州に隠れていたが、その後、隠れ家を変えたという。

Yousafzaiは、雑誌『ニューズウィーク』の記者で、南ワジリスタンに入ろうとして、パキスタン軍に数ヵ月前に逮捕された。ビンラディンを捜していたようだ。米国務省の説得で、Yousafzaiは釈放されている。

Yousafzaiによると、アフガニスタン東部を訪れたところ、ビンラディンとザワヒリが昨年発表したビデオがクナール州の山中で撮影されたことを、突き止めたという。オマール師は、オルズグン州の山中に、小さな事務所を持っている。このタリバンのリーダーは、ヘルマンド州を自由に移動しているらしい。パシュトゥン族が占めるこの地域では、尊敬されているようだ。

タリバンはアフガニスタン東部と南部の15の地域で、大きな影響力をいまだに持っている。ザーブル州では、髭を生やしていなければ入れない地域があり、音楽は禁止されている。アフガニスタンにタリバンが存在していることを、カルザイ大統領は4月に予定されている国会選挙で無視することはできないと述べる。

hoonOsama hiding in eastern Afghanistan
KABUL


■アルカイダと関係のある過激派、パキスタンで銃殺される[041027 Reuters]

水曜日にパキスタンの治安部隊と衝突し、アルカイダと関係のある過激派3人が死亡、3人が負傷したという。事件は南ワジリスタンのアザム・ワルサックで発生した。過激派は車で移動中、軍のチェックボストに発砲した。

「軍は応戦し、その場で射殺した」と、軍報道官のショーカット・スルタンが『ロイター』に語った。死亡した過激派の国籍は不明である。

この事件は、親政府派の部族民たちに迫撃砲が撃ち込まれ、少なくとも14人に対した事件の翌日に起きた。犠牲者は、抵抗勢力司令官のアブドゥッラー・マフスードの捜索のために、Spinkai Raghazai地域をパトロールしようとしていた地元戦闘員たちだった。

hoonQaeda-Linked Militants Killed in Pakistan Shootout
WANA


■パキスタンの部族民死者、11人にのぼる[0410277 BBC]

火曜日に南ワジリスタンで部族民が迫撃砲で攻撃され、11人が死亡した。約100人の部族民たちが、抵抗勢力のリーダーアブドゥッラー・マフスードの捜索について話し合うために、集まっていた。

水曜日に、パキスタン軍はワナ付近での戦闘で、抵抗勢力3人を殺害したと発表した。

ペシャワルにいる『BBC』のHaroon Rashidの報告によると、火曜日の迫撃砲の攻撃について、軍はイスラーム過激派の仕業だと述べたという。部族民は、死亡者は17人となり、6人が負傷したと発表した。

garrPakistan tribal deaths rise to 11


■大統領、多角戦争の脅威に立ち向かう[041026 Washington Post]

2001年9.11の1年後、ブッシュ大統領は核兵器テクノロジーが、好ましくないものの手に渡っているという極秘情報を目にした。

核の闇マーケットが、リビアをはじめとした国々に核兵器装置を密輸している。イランは10年以上核兵器開発を隠蔽していた。北朝鮮はウラン濃縮に成功しそうだ。そして1992年から1999年にかけて4回、ロシアから「武器になりうる、武器として使用可能な核材料」が密輸された。さらに9.11の1ヵ月前にビンラディンに会ったといわれるパキスタンの核研究所の2人の幹部を、ビンラディンと会った目的についてウソ発見器にかけたところ、引っかかった。

ブッシュほど、核の危険性についてこれほど多くの脅威にさらされた大統領はいないだろう。「テロとの戦争」のように、ブッシュの核拡散に対する対策は、さまざまな経緯をとった。

《北朝鮮とイランの核を排除には、今のところ成功していない》

2002年夏、北朝鮮とイラクは自国で核兵器を作るために、大きな一歩をとげた。 (中略)一般的には知られていないが、ブッシュはこの原子力時代に、世界初の個人による核マーケット封鎖にとりかかった。アブドゥル・カディール・カーンの核の闇マーケットだ。ブッシュの協力者であるイギリスのブレアも、リビアの地下組織捜索摘発に一役買い、成功を納めた。しかしブッシュは、すぐに摘発するべきだというイギリスの忠告に従わず、カーンが北朝鮮からの注文に応じるまで「監視して待つ」対策をとった。カーンが北朝鮮からの注文に応じたために、パキスタンは窮地に追いやられた結果となった。さらにブッシュは、核兵器がテロリストの手に及ぶことも許した。この戦略で、イラクと戦う口実ができたのだ。

ブッシュは、入ってくる諜報情報に悩んだ。イラクが核兵器開発を再開したとCIAは誤った判断を下したが、他のならず者国家のなかには、さらに進んでいる国があると米諜報局は報告した。予想もしない国家が慎重に計画して、テロリストに核兵器を密輸しているという情報は常に存在した。本紙は、このことに関して検証する。

ブッシュ大統領の側近でこの記事に協力してくれたのは、John R. Bolton国務次官だけである。彼はリビアの核放棄とカーンの闇マーケット発見を、ブッシュの最大の功績と述べる。

《同意しない権利》

ブッシュが仕事につくやいなや、アナリスト数人が機密情報や諜報情報の交換のために集まった。アルカイダが核兵器を入手しようとしたら、どこから入手するだろう、という問題だ。ブッシュの対テロ戦略の責任者、リチャード・クラークは、「可能性としては、核保有国のなかのどこかから、完全な兵器を購入することが考えられた」。「旧ソ連連邦が第一候補だった。彼らは武器をたくさん保有していたし、管理に関わっている人間も多かった。パキスタンのように兵器の数が限定され、またその状況もよく把握されている国よりは、可能性が大きいと考えた」。

ロシアに蔓延する汚職や過激派と結びついたチェチェンの不穏分子から、核が漏れる危険性は多いにある。しかし2つの理由から、これはあり得そうもなかった。まず武器を売った結果、逆に攻撃される可能性がある。2つ目の理由として、核装置を調べればどこで作られたかはすぐに明らかになるため、大きな国内問題になり得る。

アルカイダも同じことを考えたとみられる。1998年のイスラエルの諜報組織の報告によると、ビンラディンはカザフスタンの仲介者に200万ポンドを払い、核弾頭を購入しようとしたが、輸送は実現しなかったらしい。National Intelligence Estimateの報告によると、旧ソ連かパキスタンが密輸をする可能性が高いと警告している。

ブッシュの意見は別だった。2002年1月29日に大統領は「核兵器がアルカイダの手に流れないようにする」と主張。そしてその後「テロリストがこれらの武器をもっていないか捜査したところ、サダムが持っていた」と述べる。「脅威を受け入れることが我々の仕事だった」と、元国務省Bureau of Intelligence and ResearchのGreg Thielmannは述べた。ホワイトハウスは、「同意しない権利がある」と述べた。

《パキスタンにおいて。ムシャラフまたはカーン》

2001年3月27日、ムシャラフはカーン博士のために宴会を開いた。カーン博士は、パキスタンを核保有国家にしたが、ムシャラフは意外なことに、カーンを引退させた。当時、ムシャラフはカーンが秘密を持っていることを知っていた。米政府が、忠告していたのだ。

ブッシュが大統領になった年、イギリスとアメリカの諜報部がカーンを調査した結果、大きな秘密が明らかになった。ちょうどクリントンの最終在位のころ、ロンドンとワシントンは、大きな脅威を発見したのだ。核爆弾の製造法が、個人的に世界を相手に売買されている。

最近のイギリス政府の報道によると、ブッシュが大統領の座についたころ、CIAとFBIは「カーンが核拡散ネットワークの中心」であることをつかんでいたという。「リビアと思われる、少なくとも中東のある国家に」ウラン濃縮装置を売っていたというのだ。カーンは設計図を売っていただけでなく、部品の大量生産も始めていた。

アメリカはジレンマを抱えていた。恐ろしいことだったが、不完全な情報であり、また機密情報減に頼っていたからだ。そして疑惑の中心人物は、パキスタンではムシャラフよりも影響力がある人物だった。ブッシュ政権はイスラマバードに特使を送り、警告した。カーン研究所で何かが起きている。そしてその秘密が海外に漏洩されている。ある高官によると、国務次官のRobert Einhornがパキスタンの核兵器を監視している3つ星将軍に、「あなたはこの問題について全く気づいていないのか、あるいは共謀者であるかのどちらかに違いない。いずれにしても、大問題だ」と述べたという。

米高官は、カーンの名前を直接出したわけではない。問題が明るみに出た場合、ムシャラフは権力の座を失う可能性もあり、最悪の場合、「核兵器を持つパキスタンが、原理主義国家になる」ことを恐れたという。

あるパキスタン人アドバイザーによると、カーンの引退は、ムシャラフがワシントンを満足させるために演出したのだという。さらに国民の疑惑を避けるために、カーンと同時にもう1人の幹部も引退させた。ブッシュ政権は、ムシャラフのこの決断を歓迎したように見えた。

2001年の後半、「イギリス政府は、我々が介入する前に、カーンは何からの密輸を開始する」のではないかと警戒しはじめた。さらにカーンには数人の顧客がいることを、CIAとイギリスの諜報部はつかんだ。しかし相手が誰なのかは、リビア以外、特定できなかった。

9.11以後ブッシュはパキスタンに、タリバンとアルカイダとの関係を切るよう圧力をかけた。アーミテージ国務次官はパキスタンのISI長官、マフムード・アーマッドに、「無視できない」要求のリストを作っていた。このリストの中にカーンを入れるべきかどうかが、論議となった。

当時、軍の戦略計画の責任者だったFeroz Hassan Khanは、もしアーミテージがこの時期パキスタンに、核の闇マーケットに対処するよう要求していたなら、「肯定的な反応があっただろう」とインタビューで語っている。しかしブッシュは、ムシャラフにさらなる圧力をかけることができるはずだと信じた。

6週間後、CIA会長のジョージ・テネットはブッシュに、大きな秘密を報告した。パキスタン人核科学者、Sultan Bashiruddin MahmoodとChaudhary Abdul Majidが、その夏にアフガニスタンでビンラディンと会ったというのだ。この2人が、カーン博士と関係があるかどうかはわからなかった。あとになって、カーンとは関係がないことが明らかになったが、このときテネットは2人を質問するために、イスラマバードに急行した。

しかしこのときもテネットは、カーンについては触れなかった。パキスタン人高官は、テネットがほとんど何も語らなかったために、「アメリカの本当の目的は、我々の核の可能性を探っているのではないか」と疑ったという。「核については、情報を与えないいつもりたった」と付け加えた。

2002年3月に、はじめてカーンがパキスタン国外にも拠点をもつことがわかる。イギリスの諜報情報により、カーンはドバイにいる相棒とビジネスをしており、「マレーシアに自分の工場を作った」というのだ。さらに2002年7月には、カーンが「核弾頭を作る」方法を売っているという情報も入った。

ブレア政権は、パキスタンにカーンについて警告し、彼のネットワークを阻止するように忠告する時期がきたと主張した。しかし「我々は同意しなかった」とあるアメリカ人政策立案者は語った。すぐに行動すれば、監視できなくなる。

カーンは名目上軟禁されていたが、自由に海外を動き回っていた。あるパキスタン人外交官幹部によると、北京を訪れたときに中国当局が「私の側にきて、カーンは中国に来ては人々を買収しているから、追い払って欲しいと述べた」という。外交官によると、パキスタンはカーンの偽造パスポートを押収したが、それでも彼は外国に通ったという。パキスタンは、カーンが海外で行動しないように、監視しなかったようだ。ブッシュ政権は、核テクノロジーのセールスを阻止するべきか、セールスの内容を知るために監視するべきか、揺れていた。

《北朝鮮への密輸》

ロンドンとワシントンが監視していた2001年と2002年、大きな闇マーケットの取引を見逃していた。当時カーンは北朝鮮に、数万のガス遠心分離機を密輸していた。それまで北朝鮮は、1ないし2個の核兵器を持つと推察されていた。(中略)

《「列車事故」を受け継ぐ》 (略)

《イランの買い物》 (略)

《リビアの敗北》 (略)

《未解決な問題》

カーンの最初の顧客はイランで、次に北朝鮮、そしてリビアが続く。しかしアメリカとイギリスは、このほかに第4国があるはずだと警戒する。その証拠は、到着しなかった船である。リビアが核を放棄した直後、トリポリの科学者が遠心分離機の追加注文をカーンに発注した。カーンの組織は仲介者を通して活動していたために、リビア人たちは誰が、どこで積み荷をするのか知らなかった。ワシントン、ロンドン、ウィーンの捜査官にも、いまだにこれがどうなったのか把握していない。

さらに、リビアが高度濃縮ウランをどこから購入したかもまだ判明していない。そして最大の問題は、カーンの海外における商品の受発注記録で、得意先がどこかなのかが判明していない。おらく第4国はシリア、エジプト、スーダン、サウジ、クエートと思われる。

カーンのネットワークは、さまざまな側面から「またもやアルカイダ」問題と同じだとあるアメリカ人捜査官が述べる。ブッシュは9月30日に行ったケリーとの論争で、「カーンのネットワークは裁かれた」と語った。しかし質問者は尋ねる。「組織のリーダーを捕まえただけで意味があるか? 組織や製造者、仲介者は独立しているのか? 彼らが何者なのか明らかになっているのか? カーンだけとは信じられない」。

2月4日以来、カーンは自宅軟禁となっている。パキスタンの諜報部はアメリカや国連の質問状には文章で返答している。パキスタンは適当に返事をし、どこかから入手した情報を流しているが、カーンはすべてを語っているわけではない。「カーンは、パキスタンの計画を熟知している」ために、「カーンに質問に答えさせるわけにはいかないのだ」と、以前パキスタンの大統領の核アドバイザーだったFeroz Khanは述べる。「まだカーンは組織能力を持ち、いつ彼が役に立つようになるか、わからない」という。

カーンが告白をした夜、ムシャラフはパキスタン中の新聞記者をイスラマバードに集めた。そして国内の聴衆のためにウルドゥー語で、リビアの「ムスリムの兄弟たちは我々を裏切る前に、我々に断わりもしなかった」と、語ったという。ある雑誌記者はムシャラフに、パキスタンは核の非拡散に関して海外と協力するのかどうか、国連がカーンに質問することを許すのかどうか、カーンや彼と一緒に逮捕された軍関係者の取り調べ記録を国外に公開するのかどうか質問したところ、「3つともあり得ない」と答えた。

《ロシアとパキスタンの備蓄》

しかし、リビアの核放棄、カーンの組織の露見、イラクの戦争は、どれも最大の脅威ではない。最大の脅威は「ロシアの核材料やテクノロジーが盗まれたり、拡散する危険性」だと、テネットが去年発表した。(中略)世界のプルトニウムと濃縮ウランの半分はロシアにある。(中略)「最大の脅威はロシアとパキスタンから入る材料だ」とCIAのコンサルタントRobert L. Gallucciは語った。(後略)

smellUnprecedented Peril Forces Tough Calls
President Faces a Multi-Front Battle Against Threats Known, Unknown
By Barton Gellman and Dafna Linzer


■ケリー、ブッシュ、ビンラディン[041026 Asia Times]

米大統領選挙のキャンペーンで、ケリー候補は2001年にトラボラでビンラディンを逃がしてしまったことを責める。ケリーによると、アメリカの失敗は、米軍を用いるかわりに、ブッシュはアフガン軍閥に頼り、彼らがビンラディンを逃がしたというのだ。

これは半分真実で半分間違っている。米軍が、トラボラの地形を熟知しているアフガン軍閥やパキスタン人・アフガン人麻薬王たちに頼ろうとしたことは真実だ。ペンタゴンは、アメリカの麻薬管理当局に、ビンラディンを逮捕するまでは麻薬王たちを逮捕しないよう要請し、9.11以前に逮捕されていたパキスタン人麻薬王の何人かは、釈放さえされた。ペンタゴンが、トラボラのために彼らを利用しようとしたためだ。

いっぽう、ケリーが間違っているのは、トラボラ作戦は米軍が指令し、米軍と空軍に大きな被害が出たことだ。しかし米軍は洞窟の中には入らなかった。アフガン人にそれをさせ、アルカイダと対面することを避けたのだ。

ラマザン明けにあわせた去年の米軍イラク侵攻以前、ビンラディンはイラク人たちにアメリカと戦うよう、声明を発表した。アルジャジーラが2003年2月11日に放送したビンラディンのメッセージでは、トラボラでアルカイダがいかに米軍と戦ったかを説明。イラク人にこれを見習うよう、促した。ビンラディンの言葉を信じるなら、米軍はトラボラ戦を主導したのであり、ケリーは間違っている。しかしビンラディンはアフガン軍閥の役割については語らず、「我々と15日間戦った偽善者の軍隊」と説明するにとどまる。

トラボラの作戦は、2つの理由で失敗した。まず軍閥と麻薬王たちが、二重の取引をしたことだ。米軍に情報を流すいっぼうで、ビンラディンにその様子を伝えていた。次に、アメリカがアフガニスタン国境を封鎖することに頼っていたパキスタンが、ビンラディンやジハードテロリストの越境を黙認した。

事実、トラボラで負傷したビンラディンはカラチのビノリ・モスクに連れて行かれ、2002年8月まで治療を受けた。それ以後、消えた。4月までは、ビデオやオーディオメッセージを通して部下と接触。その後は何の便りもない。

ビンラディンは毎年少なくとも3回は、部下にメッセージを送っていた。アメリカを攻撃したテロリストを称えるための9.11の記念日、ラマダンの前、ラマダンの後。しかし今年は何もない。代わりにザワヒリからのメッセージがあったが、ラマダン前にはこれもない。

この沈黙には、次のような理由が考えられる。死亡説。パキスタンのシーア派の情報源によると、ビンラディンが死亡している可能性が高いという。しかし私はこれを信じることはできない。もし死亡していたら、部族地帯で噂は一気に広まるだろう。彼は崇められ、その埋葬地を巡礼に訪れる者が絶えないはずだ。スンナ派の部族民たちは、ビンラディンは生きているはずだと主張する。しかし、彼を見た者はいない。

もうひとつの可能性は、安全のために、何のコンタクトをとらなくなったことだ。部下は離れていき、アルカイダやイスラーム戦線の指導者ではもはやない。ザワヒリが最近前面にでているのは、パキスタンやアフガニスタンでは、彼がリーダーシップをとっているからだろう。ビンラディンはもはやイスラーム戦線を指令していない。パキスタンのラシュカレ・トイバ(LET)が、今はイスラーム戦線を率いる。イラクにもジハード団を送り、資金も提供しているのだ。

もしビンラディンが生きているなら、どこにいる? 米軍はパキスタンとアフガニスタン両方の部族地帯にいると主張してきた。今度はバローチスタン、特にバローチスタンのパシュトゥン族の居住区にいると、主張を変えた。もしパローチ人居住区に入れば、スンナ派ではあるが、パローチ族やシーア派のハザラに捕まる可能性がある。

過去において私は、ビンラディンがアフガニスタンの国境に近い部族地帯に隠れている可能性はないはずと、主張し続けている。なぜなら、米軍がアフガン側で待ち構えているからだ。ビンラディンの居場所を突き止めれば、パキスタンの許可があろうがなかろうが、彼を殺害するか捕らえるだろう。

パキスタンのシーア派の情報源によると、パキスタン支配のカシミールにいる可能性が大きいという。パキスタン支配のカシミールは、イラクのファルージャのようなものだ。スンナ派の拠点である。米軍も到達できない。

smellOn Kerry, Bush and bin Laden
By B Raman


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003, 2004.