【2005年5月16日〜5月22日】


■アフガニスタンで爆弾、米兵死亡[050521 BBC]

ザーブル州で爆弾が爆発して米兵1人が死亡、3人が負傷したと米軍が発表した。爆弾はShinkay地域を走っていた車のそばで爆発したという。

タリバン報道官のラティフッラー・ハキーミが犯行声明を出した。

garrAfghanistan bomb kills US soldier


■パキスタン、国境を完全強化[050521 AFP]

パキスタン軍は、アルカイダ系過激派がパキスタンから国境を越えてアフガニスタンに入ることを「かなり不可能」にしたと、軍幹部司令官が述べた。

ペシャワルでSafdar Hussain中将が外交官関係者に記者会見を行ない、国境に7万兵を配置し、669のチェックポストを設置したと述べた。国境を越えての攻撃はかなり不可能になったという。(後略)

hoonPakistan has fully secured border with Afghanistan: military commander
PESHAWAR


■「ワジリスタンにはまだ100人の外国人が隠れている」[050521 News]

南ワジリスタンを金曜日に訪れた警察司令官のSafdar Hussainは、この地域にまだ100人ほどの外国人が隠れているが、もはやテロ攻撃ができなくなっていると述べた。マフスード族の居住地であるBarwandとAmzaray Narayで、記者会見を行ない、外国人たちは散り散りになり、逃走していると語った。(中略)

「外国人テロリストは、このすばらしい地域の平和を台なしにした。彼らはムスリムとムスリムを対決させるためにイスラームを分裂させ、パキスタンに危害を与えた」。「ジハードではなく、『ファサード』だった」と強調した。

Safdarは、9月9日からマフスード族の居住地で軍事作戦を開始して、テロリストの一掃に努めたと述べた。また部族のウレマが、地元部族民と外国人武装団との戦いはジハードではないというファトゥアを発令したという。

「外国人たちが良いムスリムではないという証拠は、去年のラマザン期間に、彼らが『Degs』の米を作っていたことからもわかる。パキスタンの兵士たちは断食していたのに、外国人武装団は食事をしていた」と語った。また外国人はマドラッサにいた兵士たちに発砲し、聖なる場所を破壊したと述べた。(後略)

hoon'100 foreigners still hiding in Waziristan'
Sailab Mahsud


■アルカイダ、9.11以前にアフガニスタンに秘密のメッセージを送る[050521 Daily Times]

9.11直前にアルカイダのメッセンジャーが、「Eleven Nine」というメッセージを持ってアフガニスタンに派遣された。しかしこの飛脚は数字の意味を知らず、計画に参加していなかったとという。

この事実は、『ロイター』が入手した、以前逮捕されたアルカイダメンバーのRamzi bin al-Shaibahの供述として、アメリカがドイツに送った書類に明らかにされている。

『ロイター』が入手したこのアメリカ法務省の書類によると、bin al-Shaibahの話として、ハンブルクを拠点とするモロッコ人Zakariya Essabarがアフガニスタンにいるアルカイダリーダーのもとに、アメリカに対する攻撃が実施される日にちを知らせるために派遣されたという。モロッコ人のEssabarは、Mukhtarという仲介者にメッセージを託すことになっていた。

書類によると、bin al-ShaibahはEssabarに、Eleven Nineというメッセージを託したが、その意味は教えなかったという。また別の質問に対して、bin al-Shaibahは、Essabarを部下と説明し、9.11について何も知らなかったと述べた。

いっぽうでbin al-Shaibahによると、ビンラディンの部下が「Essabarにアフガニスタンからドイツに戻り、アメリカのビザを取得して計画に参加するように指示した」という。bin al-ShaibahもEssabarも、アメリカのビザを取得できなかった。 (後略)

hoonAl Qaeda sent secret message to Afghanistan before 9/11
BERLIN


■アルカイダ関係で6人逮捕[050521 Daily Times]

警察はアルカイダを匿ったとして、また軍をロケット弾で攻撃しようとしたとして、6人の過激派を逮捕した。

容疑者のうち3人が、今週ムルタンで逮捕された。3人はヒズブル・ムジャヒディンのメンバーだった。警察によると逮捕されたのは、Ali Sher、Hafiz Ijaz Ahmed、Pir Muhammad Jamilだという。3人はアルカイダを最近匿っていたと、ある治安部高官が述べた。

残りの3人は、バヌーで軍の施設をロケット弾で攻撃しようと計画していたとして逮捕された。3人はジャイシュ・ムハンマドのメンバーだった。

hoonSix arrested for Qaeda link
MULTAN/PESHAWAR


■タリバンのせいにしろ[050521 Asia Times]

5月13日に、ウズベキスタンの治安部隊が、アンディジャンでデモ隊に発砲した。政府によると、50人の外国人戦士を含む、169人が死亡したという。しかし抵抗グループたちは、750人が死亡したと述べた。

5月14日にインターファックス通信は、ロシア外務省の「信頼のおける情報源」の話として、アフガニスタンから出発して、キルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの合流地点で再組織化された「強盗、イスラーム原理主義者、タリバン」たちが、アンディジャンの暴動を起こしたと述べた。

同じ日に、ロシアの外務大臣のサルゲイ・ラヴロフは、アンディジャンの出来事には、フェルガーナ谷からアフガニスタンのタリバン・キャンプに広がる「さまざまなグループ」が参加していたと発言した。

さらに5月15日にラヴロフは、ウズベキスタンの出来事には、タリバンのキャンプ出身者が参加していたことは「確かだ」と強調した。そしてカルザイが政府にタリバンを迎え入れようとしていることに言及し、「我々がテロリストに寛大になり、彼らに『ダブル・スタンダード』を適用すれば、タリバンの穏健派が存在するという概念も含めて、地域全体が危機に瀕する」と述べた。

ラヴロフの声明は、2つの問題を提起する。まず、タリバンがウズベキスタンを動かす能力があるのかどうか。そして、カブールがタリバンと和解することに対する、モスクワとの意見の不一致である。

《アンディジャンへの長い道》

タリバンがウズベキスタンにいるというラヴロフの主張に対しては、いくつかの疑問点がある。地理的にタリバンがアフガニスタンからウズベキスタンに入るためには、まず北部のバルフに行かなければならない。タリバンは2001年以後、この地域では活動していない。次に厳重に警備された国境沿いのアム川を、135キロ越えなければならない。ここからウズベキスタンあるいはタジキスタンの中をかなり通って、アンディジャンに入る。

これは不可能ではない。しかしタリバンの能力を考えると、ありえそうもないことだ。

タリバンの使命は、アフガニスタンを混乱させることである。アメリカと外国人部隊をアフガニスタンから撤退させ、イスラーム国家を築くこと。今のところこれは実現していない。さらにマンパワーに関して言えば、アフガン政府と戦うことができるほど、人材は充実していない。(中略)ウズベキスタンに仲間を送るほど、人間がいないようだ。

《和解》

カルザイの和解政策に関する批判は、今に始まったことではない。2004年にニューデリーを訪問したロシアのセルゲイ・イワノフ国防大臣は、カルザイの政策を非難している。モスクワは、「良い」タリバンも「悪い」タリバンも受け入れないというのだ。

ロシアとインドは「アフガニスタンのパシュトゥン化を心配している」と、イワノフは述べる。タリバンとの和解は「新たな戦争」を開始するようなものだ、と警戒。「いわゆる非穏健派タリバンはいまだに健在であり、新しいアフガン政府への参加を要求している穏健派とともに、自己主張している」とイワノフは述べた。(中略)

アフガニスタンにとって、ロシアの介入は悪い思い出である。2004年12月に開催されたアフガニスタンの聖職者会議は、イワノフの声明を受けて、彼の「無責任」な発言は「アフガニスタンが再び混乱することを望んでいることを示す」と述べた。

今回のアフガニスタンで起きた学生の反米デモに対して、カルザイは外国の要素が暴動を扇動したと批判。アメリカとの「戦略的同盟」を強調し、アフガニスタンにアメリカの基地を置くことを望み、タリバン問題を平和的に解決しようとしている。ラヴロフの発言は、確かにカルザイの主張を裏付けるといえよう。とはいえ、カルザイは今回の暴動にどの国が関係していたか、明言は避けている。

hoonBlame it on the Taliban
Amin Tarzi


■女性テレビ司会者、カブールで射殺[050520 AP]

欧米的スタイルで若者の人気を得ていたが、イスラーム宗教者のひんしゅくを買っていた画期的なアフガニスタンのテレビ司会者が、兄弟とのいさかいが原因で殺害されたと、警察が金曜日に発表した。

Shaima Rezayeeはブルカを捨てて洋装でテレビに出演し、MTVスタイルの司会者として活躍していた。水曜日にカブールの自宅で頭を撃たれて殺害されたRezayeeは、以前ラジオに出演し、命を狙われていると話していた。

彼女の殺害は、都会の若者と保守的な宗教者との間の亀裂を象徴する。(中略)

9.11以後、いくつかのテレビやラジオ局が放送を開始した。多くは女性の洋装や女性が働くこと、あるいは女性が公衆で歌うことを非難する宗教リーダーを警戒して、警備が強化されている。なかでもRezayeeが出演していたTolo TVは、論争の的になっていた。(中略)Tolo TVは先月、保守的な宗教者たちの圧力のために、Rezayeeを解雇した。

彼女の番組「Hop」は、マドンナのような西洋の歌手とともに、トルコやイランのポップシンガーの映像を流していた。また男性と女性アナウンサーの軽快な会話なども、宗教者の非難の対象となっていた。(中略)

Rezayeeは解雇されたあとラジオに出演し、番組のせいで、命が狙われているという噂を聞いたと語っていた。Tolo TVは、オーストラリアから帰国したアフガン人が開始したテレビ局で、最初はポップスを流すRadio Armanを開局している。(中略)

「この事件は自由な報道がまだアフガニスタンにはないことを示す」と、国境なき記者団が声明を発表した。

カブール警察は殺人の背景について語ることは避けたが、喪が明けたらRezayeeの兄弟を尋問するという。「殺人には、家族がかかわっていた可能性がある」という。

garrFemale Afghan TV Host Shot Dead in Kabul
DANIEL COONEY、KABUL


■破壊された村、武器の危険性が浮き彫り[050520 BBC]

(前略)アフガニスタンのDeh Kona村で、村の半分が爆発で消えた。爆発の原因となった武器庫は、今は跡形もない。29人が死亡した。すべて武器庫の所有者、Jalal Bajgah司令官の親戚だった。(中略)この事件は大悲劇だったにもかかわらず、アフガニスタンで立て続けに起きた出来事のため、話題から消えてしまった。(中略)

Bajgahは、事件は彼の敵であるタリバンの仕業だと主張するが、事故であることは明らかのようだ。戦いの最悪部分は終わったかもしれないが、「国はまだ戦場」だと国連非武装化計画の責任者Peter Babbingtonは語る。(中略)

Bajgahは今年の初めに、数千ドルと引き換えに自分が持つムジャヒディン戦士たちを解散させ、非武装化したことになっていた。それでも今回の爆発事件が発生したのだ。アフガン内務省は、彼が武器を隠し持っていたことを非難した。

Bajgah司令官はDeh Konaから離れ、近くのKhenjan町に建てた大きな家に住んでいる。彼は政府の非難に腹を立てていた。

「内務省はこのようなことを言わずに、真実を探求してほしい」という。しかしなぜ爆発物を弟の家の下に貯蔵していたのか、彼は理由を説明することはできない。ただアフガン当局や再建プログラム(PRT)を進めているNATOのオランダ軍には、爆発物があることを報告していたと主張する。「PRTと爆発物を移動させる話し合いを1週間前にしていた」という。「移動には協力が必要だ」。まだ他の爆発物を貯蔵しているのかと聞くと「もちろん」と答えた。しかしすべて処理して、戦いに従事していた過去から決別したいという。

他のムジャラディン同様、彼は予定されている国会選挙に出馬することを考えたという。民兵を解散し、武器を捨てた者だけが選挙に参加できる。「この地域の人間みんなが、私が立候補することを望んでいる。でも立候補したくない」という。

近くにあった武器庫を見せてくれた。中には戦車や砲弾、爆発物、ロケット推進式手投げ弾、迫撃砲などがうず高く積まれているた。

Pul-I Khumriにあるオランダ軍の基地のRene Baksteenは、爆発事件が発生する数週間前に、Bajgahから武器の収集についての話があったことを確認している。しかし小隊であるオランダ軍には、武器を回収するだけの能力がないという。武器が貯蔵されている場所に行くことさえ、大仕事だという。「ロバに乗っていくしかない」のだそうだ。

しかしアフガニスタンには数千トンの爆発物がいまだにあり、排除するためにはとほうもない時間がかかる。「80%を破壊しなければならないだろう」とPeter Babbingtonは警告する。

garrDestroyed village highlights arms issue
Andrew North、Deh Kona


■捕虜が殺害されたかどうか不明とCARE[050520 AP]

援助団体のCAREは、誘拐されたイタリア人捕虜が殺害されたという報告の信ぴょう性はわからないと述べ、釈放のために交渉しているという。

外国のメディアが、Clementina Cantoniの誘拐犯とされるTemur Shahが、政府が要求に同意しなかったために捕虜を殺害したと述べた、と報道した。

これに対してCAREの責任者は、報道が事実かどうかはわからない。Clementinaのために、できる限りのことをしていると述べた。

捕虜が殺害されたという報道が流れるとShahは『AP』に、Cantoniの治療のために医者を呼んだと電話で語った。「彼女は元気だ。彼女のために医者を連れてきた」という。(後略)

garrCARE Not Sure if Italian Hostage Slayed
KABUL


■カルザイ、アフガン「虐待」に怒り[050520 BBC]

カルザイはアフガニスタンにおける米軍の囚人虐待の事実を、受け入れられざる事実と非難した。大統領報道官は『BBC』に、囚人2人の死亡に関わった兵士たちは処罰を受けるべきだと述べた。

今回の疑惑は、『New York Times』が米軍調査委員会から入手した2000ページに及ぶ報告書に詳述されている。

最近起きた反米デモや今回の虐待の疑惑は、予定されているカルザイのアメリカ訪問に悪影響を及ぼす怖れがあるとみられている。

ワシントンの高官によると、報道された虐待に関しては捜査が行なわれ、責任者は取り調べを受けるという。(中略)

ペンタゴンの報道官によると、『New York Times』は古い題材から新たな話を作り出そうとしていると述べ、捜査は「非常に重大で詳細に及んでいた」という。「すべての囚人は人間的な扱いを受けている。この基準が満たされなければ、行動する」という。

『New York Times』は、軍の取り調べ方法に批判的なアメリカ人取締官からレポートを受け取った、と述べた。軍は当初、2人の人間が拷問で死亡した証拠はないと述べていた。後に去年の10月、兵士27人が起訴された事実が明るみに出た。そのうちの7人はいまだに起訴されている。

hoonKarzai angry at US Afghan 'abuse'


■2人のアフガン人囚人の死に関する拷問の報告−バグラム・ファイル[050520 New York Times]

若いアフガン人が目の前で死につつあるのに、アメリカ人の看守は彼を拷問し続けた。

Dilawarと呼ばれていた22歳のタクシー運転手は取り調べを受けるために、夜中の2時にバグラム刑務所の独房から引きずり出された。取り調べ室に連れてこられたDilawarを見た通訳によると、椅子に座った彼の足は制御できないほど震え、手は麻痺していた。4日間、両手首を鎖でつながれ、天井からつるされていたという。(中略)

看守はこの若い男にひざまずかせようとした。しかし数日間看守に蹴られ続けた彼の足は、もう曲げることができなくなっていた。取調官は、取り調べが終わったら医者を連れてきてやると言った。しかし独房に戻ると、看守は再び彼を天井から吊るすように支持されただけだった。「吊るしとけ」と技術兵Clausが言ったと、 看守の1人が述べた。

数時間たって、やっと医者がやってきた。しかしその時彼は、すでに死亡していた。軍の調査班が恐ろしい事実を知るまでには、数ヵ月かかった。取調官のほとんどがDilawarが無実で、単に基地の前を通りかかったタクシー運転手だったことを確信していたというのだ。

Dilawarの虐待による死の報告と、2002年12月に、Dilawarより6日前に死亡したもう1人の囚人Habibullahの報告は、『New York Times』が入手した2000ページからなる軍の機密犯罪調査書に報告されている。

このバグラム・ファイルには、若い未経験な兵士たちが囚人に拷問を繰り返す様子が描かれている。ちょうどアブグレイブ刑務所のデジタル写真の文章版といえよう。囚人に対する乱暴な取り扱いにより7人の兵士が有罪となったが、これは単に2人の囚人の死亡で片づけられない。

証言によると、取調官たちは情報を引き出すために虐待を行なったという。軍の警備官が行なう体罰であることもあった。またときには、退屈しのぎや残虐行為として、拷問を施していたようだ。(中略)

今のところ兵士7人だけが起訴されている。2人の死に関して有罪となった者はいない。2人の軍取調官も懲戒処分になったと軍報道官が述べた。しかしほとんどの者が無実を主張している。(中略)

すべての訴訟は現在保留中であり、バグラムの拷問問題はいまだに未解決である。しかし2人の師に関する文章やインタビューを検討すると、軍調査委員会と軍高官の報告の間には、大きな隔たりがある。

軍報道官は、死亡した2人は、ともに自然死だったと主張している。軍の検死官が死因を殺人と断定したあとも、この主張を変えていない。事件の2ヵ月後、アフガニスタンのアメリカ軍司令官Daniel K. McNeill准将は、兵士による拷問で2人の囚人が死亡したことを示す証拠は何もないと述べた。バグラムで用いられる方法は「取り調べ方法として一般的に用いられているもの」だという。(後略)

garrgarrIn U.S. Report, Brutal Details of 2 Afghan Inmates' Deaths
TIM GOLDEN


■Clementina Cantoni、善の力[050519 BBC]

(前略)アフガニスタンで生活して働いている者たちは、イラク型の誘拐が始まるのではないかと恐れていた。カブールでは、毎日のように治安悪化の噂が流れ、警戒が呼びかけられる。(中略)

戦いが続いていた地域で生活することを選べば、爆発やロケット弾攻撃には驚かない。しかし銃をつきつけられて誘拐されることは、恐ろしい。

アフガニスタンの空気は変わってきた。2002年にカブールに初めて到着したとき、アフガニスタンには楽観的な空気が漂っていた。Clementinaもこのころアフガニスタンにやってきた。

アフガン人たちは暖かく外国人を迎え入れ、カブールにはレストランやホテルが並び、ビジネスで活気があった。しかし今の空気は全くちがう。発展がなく、貧困が続く。アフガン人たちが当初持っていた感謝の気持ちは悲観的になり、怒りに変わってきている。先週の反米運動で16人が死亡した事件は、2年前にはあり得なかった。

しかし恐れの気持ちは高まっているが、戦争に疲れた多くのアフガン人たちは思慮深い人々で、あやうい民主主義ではあるが、なんとかこれに期待をかけている。以前アメリカ人が誘拐され、移動中の誘拐犯人の車から飛び降りた事件の例がこれを証明する。アメリカ人は道路に飛び降りると、数人のアフガン人たちが集まってきて、助けられたのだ。

さらにClementinaが誘拐されたときに、100人ほどのアフガン人の戦争未亡人が彼女の釈放を求めて集結した事実にも現れている。イタリアと『BBC』以外のメディアはこの画像を伝えていないことに、苛立ちを感じる。

アフガンの女性は、家の中でほとんど暮らしている。外国人女性のために家の中から外に出て、公衆で抗議する勇気を持った未亡人たちの行為には意味がある。さらに私の友人でもあるClementinaに対して、みんなが敬意を払っていることもわかる。

Clementinaは未亡人たちのための緊急食料プログラムに携わっていたが、彼女たちに仕事を与えることも、その活動のひとつだった。私もその一環として、2人の女性を掃除人として雇った。Clementinaは私に会うと必ずこの2人のことを尋ね、その子供たちのことを尋ねた。

数千人の女性たちがClementinaと関係があったが、彼女は全員のことをよく覚えていた。子供の名前、病気、家族の結婚のことなど。彼女が誘拐されたあと、世界中にいる彼女の友人たちが、彼女のことを心配している。(中略)

先週ロンドンに帰ったときに、空港でアフガニスタンを去ることにした同僚と偶然会った。「私たちがいても、何にもならないような気がする」と彼女は私に語った。「もう私たちを必要としていない。もっと危険になってくる」。彼女が間違っていることを、私は祈りたい。

しかし今後どうなろうとも、アフガニスタンにいた何人かが、何らかの変化を与えたことは確かだ。子供が、ときおり新鮮な肉を食べることができるようにする。母親が、病気の子供や薬を与えることができるようにする。そして冬の間は、暖かいコートが着られるようにする。ささいな変化だが、それは人間の一生を変えることができるものだ。Clementinaがしていたことは、そういうことだ。

彼女を誘拐した者に言いたい。彼女は世界の善の力となる人間だ。私たちは彼女を愛していて、彼女を返してほしい。

hoonClementina Cantoni: A force for good
Nadene Ghouri


■アメリカ資本の会社で働くアフガン人11人、殺害される[050519 AFP]

2度にわたってタリバン過激派の襲撃を受けて、アフガニスタン南部のアメリカ資本の会社で働くアフガン人11人が殺害された。

犠牲者のほとんどは、アメリカの会社Chemonicsで働いていた。Chemonicsは、ヘルマンド州で行なわれている違法ケシ栽培を取り締まっている。

木曜日にアフガン人6人がザーブルで殺害された。彼らは1日前にヘルマンド州で、同様の襲撃を受けて殺害された5人のアフガン人のうちの1人の遺体を運んでいた。

Chemonicsは、ケシ栽培をしている農民たちに、他の仕事を与える潅漑プロジェクトを実施している。(後略)

garr11 Afghans working with US-funded firm killed in restive south
KABUL


■アメリカ人兄弟、8ヵ月後にパキスタンから釈放[050519 Reuters]

イスラーム過激派と関係があるとして8ヵ月間拘束されていた2人のパキスタン系アメリカ人が、木曜日に釈放された。

釈放されたKashan Afzalによると、弟のZainとともに、逮捕時には拷問を受けたという。「8ヵ月と10日間拘束されていたが、先月、釈放された」と、『ロイター』に語った。アメリカ生まれの兄弟は8月に行方不明になった。親戚によると、諜報部員とみられる20人ほどの武装した男たちがカラチの自宅に押しかけ、2人をどこかに連れていったという。

「最初は拷問を受けた。パキスタンのどこかで拘束されていたが、どこだかはっきりわからない」とAfzalは語った。パキスタン人とともに、アメリカのFBI工作員からも取り調べを受けたという。誰が拷問を施したかについては、語らなかった。「ジハード組織に関して質問された」という。

ニューヨークの人権団体が3月に、パキスタン政府は2人を起訴するか釈放するべきだと訴えていた。またアメリカ政府にも調査を要求していた。パキスタン政府は、この兄弟を拘束していることをいまだに認めていない。

人権団体の報告によると、兄弟はイスラーム主義信奉者で、カシミールの過激派に属していたことがあるという。「しかし彼らが犯罪やテロ活動をしていた様子はない。また何らかの事件とかかわったとして、起訴されたこともない」という。

hoonU.S. brothers freed in Pakistan after eight months
Zeeshan Haider、ISLAMABAD


■タリバン高官、隠れ家から出てくる[050519 Guardian]

(前略)髭を生やしたMufti Habib-ur-Rehmanが、アフガニスタンの片田舎で人々の歓迎を受けていた。「戻ってこれて、うれしい」と、笑みを浮かべてRehmanは語る。Rehmanはタリバン政権時代の元州知事で、これまでパキスタンの国境地帯に隠れていた。米軍は彼に、2500ドルの賞金を掛けていた。

先月、地元のムラーと秘密の交渉が行なわれ、アメリカは発砲しないという約束のもとで、隠れ家からでてきた。「私はテロリストではない。再建に役立つために戻ってきた」と、カルザイ政権との協力を約束した。

Rehmanは今年になって政府と和解した、数十人のタリバン中級幹部の1人だ。これまで南部の4つの州で、和解プログラムが進んでいる。影響力のあるグループを説得することに成功し、司令官やヘルマンド州の前知事など数人が、恩赦の申し出を受け入れた。

火曜日に前タリバン外務大臣のムタワキル氏が、カンダハルから国会選挙に出馬することを表明した。

米軍はイラクに兵を回すためにアフガニスタンに駐屯する兵力を減らし、経費を100億ドル減らしたい。しかし再建計画は大幅に遅れている。アメリカはタリバン幹部の指名手配者リストを100人に減少させ、残りの者たちには帰国を許すことを表明。和解プログラムは成功していると主張する。「敵は今年になって明らかに弱体化した。彼らの影響力も減ってきた」と米軍司令官は述べる。

コースト州知事Merajuddin Pathanに挨拶したRehmanは、「それぞれの過去は振り返らない。未来が問題だ」とカメラに向かって語った。

しかしそれほど単純なことではない。先週タリバンリーダーのオマール師は、アフガニスタン政府との調停役を果たす前大統領Sibghatullah Mojaddediが申し出ていた恩赦を拒否した。「政府からの保証は必要ではない」と、タリバン報道官のラティフ・ハキーミが『ロイター』に語った。「オマール師は隠れているのではない。戦っているのだ」。

タリバン崩壊は、完全なる夢に思えることもある。先月以来、抵抗勢力との流血でアフガン兵30人、アメリカ兵3人、ルーマニア兵1人、タリバン150人が死亡したと報道されている。(中略)抵抗勢力たちはラジオ局「シャリーアの声」を再開し、移動トランスミッタを用いて発信している。

しかしアフガン高官たちは、平和的な解決が近いと主張する。コーストでは3つの計画が進行し、それぞれ10〜20人の抵抗勢力を獲得したという。彼らが注目しているのは北ワジリスタンだ。タリバンの住み家となっていることは明らかだ。

帰還したタリブのSyed Muhammadによると、北ワジリスタンのミランシャーではタリバン戦士が車で走り回り、地元のムラーがジハードを説く。「イスラームがアメリカに脅かされていると主張している。アメリカはまずアフガニスタンを破壊し、そのあとミランシャーにやってくると言っている」。

パキスタンのISIも重要な役割を果たしている。前タリバン3人によると、ISIは抵抗勢力たちに資金を流し、訓練していると語る。「公然の秘密だ」という。

コースト知事によると、ISIの一部の人間がムシャラフ政府に対立して動いているという。しかしパキスタンの対テロ高官Safdar Hussainはこの容疑を否定した。「国家内国家ではない。ジハード時代の番人たちはすでに引退した。ISIで働く者たちは、全員私の支配下にある」。

アラブ人たちが資金や武器を供給しているとも噂されるが、タリバンたちは戦うことに疲れてきたと 、去年故郷に帰り、密かにカルザイと会った過激派の聖職者Mullah Rahmatullah Mansoorが語る。和解プログラムがうまくいかない1つの理由は、グアンタナモに収監されているアフガン人のためだという。(中略)

タリバンとその幸せな帰還の背後には、政治的なもくろみがある。アナリストによると、カルザイのタリバン恩赦計画は、前北部同盟の反乱を恐れてのことだという。タリバンに対立していた北部同盟のリーダーたちは、現在カブールで大きな影響力をふるっているからだ。

楽観的な和解計画に反して、タリバンの帰還を悲観視する者もいる。タリバンの刑務所で5年間すごしたコーストの男は、「帰ってくるのは、アメリカ人のスパイだけだ。イデオロギーを持った者たちは、死ぬまで諦めることはないだろう」と予測した。

smellTaliban officials brought in from the cold
Declan Walsh、Khost


■アルカイダ2名、ラホールで逮捕[050519 Daily Times]

水曜日に諜報部がラホールのホテルで、スンナ派の過激派組織であるラシュカレ・ジャングヴィのメンバー2人を逮捕した。このうちの1人は、アルカイダのために資金を集めていたと疑われている。

容疑者2人、Mohammed Khaliq(42)とMaulvi Mohammed SadiqがMunawarホテルで逮捕された。2人は1992年にイラン人外交官を殺害したことで、指名手配されていた。警察はこの逮捕を確認していない。2人は90万ルピーを所持していた。

取り調べでSadiqは、パキスタンにいるアルカイダ戦士たちを匿ったり、さまざまな便宜を図っていたと述べたという。またテロ組織のために、資金を集めていた。

これとは別にペシャワル近くで、アルカイダと関係がある外国人が逮捕された。今のところ、この男の名前も国籍もわかっていない。

hoon2 Qaeda suspects caught in Lahore
LAHORE


■パキスタン、イギリス人アルカイダ容疑者を逮捕[050518 Reuters]

パキスタンの治安部隊がアルカイダと関係があるとして、イギリス国籍の男を逮捕した。

Shehzadと名乗る男が4日前、ペシャワル郊外のShabqadarで逮捕された。「アルカイダのメンバーだと思う」と、ある高官が『ロイター』に述べた。

高官によると、Shehzadはロンドン出身で、2003年3月にパキスタンに入ったらしい。Shehzadは偽名だと思われ、身分証明書に記載された住所はハイデラバードになっていたという。しかし取り調べでは、ハイデラバードを訪れたことがないことが判明した。

smellPakistan holds British al Qaeda suspect
PESHAWAR


■アルカイダ容疑者、3カ国語を話す[050518 Paktribune]

月曜日にShabqadarで、アルカイダと関係があるとして逮捕されたShehzadは、高度な教育を受け、3カ国語が話せるという。

Shehzadを匿っていたあるムジャヒッドによると、Shehzadは従兄弟の友達で、Tableeghiの集会で知りあったという。1年間モーマンド行政区のGandhabに住んでいたが、その後にShabqadarに移ったという。高度な教育を受け、アラビア語、英語、ペルシア語が話せ、コンピュータも操作できるという。Shabqadarの家からは、コンピュータ3台が押収された。

Shehzadは髭を生やし、足を負傷し、アフガン難民のように見えたという。逮捕された家は、外からも内側からも鍵がかけられていた。

hoonAl-Qaeda linked suspect can speak 3 foreign languages
PESHAWAR


■前タリバンリーダー、選挙に参加[050518 BBC]

前タリバン政権の外務大臣が、9月に予定されている国会選挙に参加するという。

ムタワキル氏は選挙管理委員会に、Wolosi Jirgaあるいは下院選挙戦に、カンダハルから立候補したいと述べた。(中略)ムタワキルはテレビのインタビューに答えて「国民全体が政治に参加できる時代を築きたい」と述べた。(後略)

hoonEx-Taleban chief to run in polls


■リビ、大統領暗殺を自白[050518 News]

リビが、2件のムシャラフ暗殺事件を首謀したことを自白したと、捜査官が『News』に語った。

リビは、いくつかのジハード組織に属するパキスタン人過激派と協力して、ムシャラフ暗殺を企てたという。リビは、ムシャラフのカシミール政策に腹を立てていた、地元のジハード志願者たちと協力したという。またラシュカレ・ジャングヴィ系列のスンナ派組織のリーダー、ファルーキを介して、地元過激派に紹介されたという。これらの過激派たちのほとんどが、カシミールの過激派組織に属していた。

リビと、アルカイダがスポンサーとなった地元スンナ派過激派が、クエッタなどでシーア派を標的としたテロを繰り返した。組織は、インドとイランがこれらのテロの背後にいるというデマを流し、ムシャラフ政権に傷をつけようとした。(中略)

「今のところ、彼は取り調べに協力しているが、自分1人で行動しており、アルカイダとの関係はないと主張している。しかし訓練された過激派はすべてを自白しないし、誤った情報を与えて捜査を混乱させる。そのうちアルカイダについての有益な情報が得られるのではないかと、期待している」。(後略)

hoonLibbi confesses to twin attacks on president
Mazhar Tufail、ISLAMABAD


■パキスタン、イギリス人アルカイダを逮捕[050518 BBC]

アルカイダと関係があるとして、イギリス国籍の男がパキスタンで逮捕された。

Shehzadという名前のパキスタン生まれの男が、パキスタンの北西部で逮捕された。この他にパキスタン人2人が一緒に逮捕されたが、後に釈放されたという。

パキスタンの治安部隊は、リビとこのイギリス人との関係を捜査している。情報源によると、このイギリス人容疑者はコンピューターのモニターの後ろの部屋に鍵をかけて、秘密の生活を送っていたという。コンピューター・ディスクと電子日記も、家宅捜査で押収された。

シェルパオ内相は、男がイギリス国籍だと述べただけで、その他の情報はわかっていない。今月初めにリビが逮捕されて以来、パキスタンはイギリスを根拠地とするイスラーム過激派との関係を捜索していた。

hoonsmellPakistan seizes 'al-Qaeda' Briton


■アフガン人「窃盗団」、イタリア人援助活動家を誘拐[050517 AP]

カブールでイタリア人援助活動家を誘拐したのは「窃盗団」だったと、警察が発表した。イタリアの外務大臣は、誘拐犯たちからコンタクトがあり、人質には危害が加えられていないと述べた。(後略)

hoonAfghan 'Thieves' Kidnap Italian Aid Worker
DANIEL COONEY


■マスード殺害計画者、起訴[050517 BBC]

パリの裁判所は、故アーマッド・シャー・マスード司令官殺害犯に協力したとして、4人の男に有罪判決をくだした。4人のイスラーム過激派は、2年〜7年の刑を言い渡された。

別の男がこれとは別の罪状で起訴されたが、その他の2人は無罪となった(後略)。

hoonMasood murder plotters convicted


■「アフガン抵抗勢力、パキスタン側から攻撃」[050517 News]

アフガン抵抗勢力たちはいまだにパキスタン側から攻撃を実施していると、米軍高官が月曜日に述べた。

「私はコースト州の基地にいるが、コーストに攻撃をしている抵抗勢力たちは、パキスタンから国境を越えて再び帰っていくと、はっきり断定することができる」と、Gary Cheek大佐が記者会見で述べた。

「パキスタン軍はワジリスタンで多くの作戦を実施し、抵抗勢力に大きな打撃を与えたと思う。もちろん作戦は続いているし、我々はパキスタン軍に協力する。パキスタンの戦いに対する貢献度を非難することは間違っているだろう」。「敵は去年よりも明らかに弱体化していると思う。敵の動きは国境付近に限定されている」。

さらに最近の戦いは米軍がパトロールを強化しているためで、抵抗勢力が新たに作戦をしているからではないと述べた。(後略)

hoon'Afghan militants attack from Pakistan'
KABUL


■Shabqadarでテロ容疑者逮捕[050517 News]

当局はペシャワル近郊のShabqadarにある家屋から、テロリストと関係があるとして3人の男を逮捕した。

ShabqadarのGhani Koroonaで、犯罪捜査局 (CID)が家宅捜査を実施した。テロ組織と関係があるとして逮捕されたShehzadは、1ヵ月前に家を借りたという。

情報によるとShehzadは1人で住んでいたというが、家宅捜査が実施された際には、家の所有者のMujibと別の地元の人間も一緒にいたという。2人はすぐに釈放されたが、Shehzadは取り調べのために、別の場所に移された。

hoonTerror suspect arrested from Shabqadar
Javed Aziz Khan、PESHAWAR


■科学者の核密輸におけるパキスタンの役割は?[050516 Los Angles Times]

2000年秋、パキスタン諜報部員はドバイに飛んだ、パキスタンの有名な核科学者を追跡した。前パキスタン軍幹部によると、パキスタンの原爆の父と呼ばれたAbdul Qadeer Khanは、「不審な人物」と会う所を監視された。

カーンが原子力の秘密を売っているという噂は以前からあったが、パキスタンの諜報部員は別の理由のために彼を追跡していた。カーンのこの旅は、政府がパキスタンの核研究所にかけていた規制に反していた。カーンがアラブ首長国連邦から帰国すると、ムシャラフは法に従うように警告した。しかしカーンは旅を続行したため、辞任させられる。そして捜索はそこで終わった。

カーンのドバイでの秘密の生活が、今回大きく注目されている。(中略)最大の謎は、パキスタン軍や政治的リーダーの知らないところでカーンが行動できたかどうかだ。この答えはカーンの密輸組織の全貌を知るためだけでなく、パキスタンが自国の原子爆弾をコントロールする能力があるかどうかにもかかわる。

これまでの調査で、パキスタンの政治的リーダーや軍の幹部は、カーンの密輸を見て見ぬふりをしていたと疑われている。ムシャラフは世界のメディアの批判にもかかわらず、カーンのドバイの取り引きや彼が得た巨大な利益に関する調査をしていない。カーンの功績はあまりにも大きいため、彼を取り締まることは不可能である。カーンの行動に見て見ぬふりを続けたために、カーンは自由に動き回ることができたのだ。(中略)

国際調査団は、パキスタンの誰が何を知っていたかを明らかにすることはできないだろうと見る。カーンを取り調べることは、誰にも許されない。ムシャラフは、カーンは政府の知らないところで密輸をしていたと主張する。また2003年後半まで、カーンがパキスタンの爆弾製造法を別の国に売っていた証拠はないと論じる。

《反原理主義同盟》

ブッシュ政権は、パキスタンの大統領の言葉に満足していると述べ、ムシャラフに対してカーンに関する圧力はかけていない。

しかし外国の核専門家たちに対しては、カーンほどの有名な科学者はどこへ行くのも自由であり、規制もかけられていなかったはずだと述べる。「彼のしたことは、研究所の仲間たちの協力がなければ不可能だった」と、カリフォルニアの武器製造会社Lawrence Livermore National Laboratoryの責任者、Michael Mayは語る。「ムシャラフを含め、彼の行動を知る人間はいなかったとは、とうてい信じられない」。(中略)

3年前のカーンのドバイ訪問は、パキスタンのISIとムシャラフにとって絶好の機会となった。IAEAの報告によると、カーンはリビアから受注された核兵器の即納品に対応するために、根拠地をアラブ首長国連邦に移した。アラブ首長国連邦でブローカーやリビア人高官と会い、そのために高級住宅地に高級アパートを購入した。

ムシャラフは政権に就いた頃、カーン研究所を含む国家の核兵器施設をコントロールするために、取り締まりを行なった。「不正ビジネスを取り締まる時期だった」と、当時カーンとぶつかった前高官が述べた。カーンは研究所の不正な動きや、海外出張、外国人とたびたび会っていることなどについて、答えることを拒否した。逆に研究所に規制をかけることに対して、真っ正面から攻撃してきた。彼が態度を変えるつもりがないことは、2000年の終わりに、カーンがドバイを訪問したことをISIがムシャラフに報告したことで、明らかになった。

ムシャラフはカーンを呼びつけ、証拠を突きつけたと前軍高官が延べる。カーンは、ISIが自分を尾行する権利はないと抗議したが、ドバイ訪問は、自分の研究所が中東国家に向けて製造した、肩で担ぐ携帯対空ロケット砲50台の売却を決定するためだったと述べた。

当時ムシャラフはまだ政権についたばかりだったため、カーンの知名度に遠慮していたとともに、カーンの対空ロケットの商売には無関心だった。ムシャラフはカーンの釈明を受け入れ、規制を守るよう言い渡したにすぎなかった。

しかしカーンは方針を変えなかった。数週間後、諜報部員たちは再びカーンがドバイを訪れ、怪しげな人間と会っていることを報告した。

ムシャラフの堪忍袋が切れた。2001年3月下旬、ムシャラフはカーンを研究所の責任者の地位から更迭して、大統領のアドバイザーという新たな職に任命した。渡航の自由は許した。そして、そこで捜索は打ち切りとなった。

カーンとムシャラフが対立していたという、これまで知られていなかった新たな事実は、前政府高官が明らかにし、別の前政府高官もこれを確認している。2人とも匿名を強く希望し、名前が判明した場合、政府により処罰されると語った。

これまでムシャラフは、アメリカの圧力でカーンを更迭したと思われている。しかし前高官たちは、カーンが新たな規制に背いたために、更迭されたのだと述べた。大統領はカーンの核密輸については知らなかったために、このくらいの罰則で十分だったのだという。

「目と鼻の先で事が起こっていたのに、気づかなかった」と、前政府高官が述べた。「欲しいものを手に入れた。爆弾だ。カーンがヨーロッパなどの各地にいる強欲なブローカーなど、怪しい人間を使っていることは知っていた。しかしこれは我々の軍事的な問題だった。だから怪しい行動も見逃していたのだ」。

《「核ウォール・マート」》

問題は、カーンがパキスタンの核兵器計画を確実なものにしている間に手がけていたことを、当局が知っていたかどうかだ。つまり「核のウォールマート」作りである。

パキスタンはカーンの行動を綿密に調査しなかったために、事実が明るみにでたあとも、言い逃れができた。「パキスタン人高官が問題に気づかなかったとしたら、それは気づきたくなかったからだ」と、スタンフォード大学のScott D. Saganは語る。

1972年、ブット首相がカーンに核兵器開発を任命した。しかし1977年にブットがジアウル・ハク大統領に排除されると、軍がカーンを支配した。カーン研究所も設立された。(中略)

研究所の前高官から得た新たな情報によると、研究所の安全を管轄していたのはカーンだったという。研究所を監視していた軍高官や研究所の職員は、軍ではなく、カーンによって給料が支払われていた。

カーンは要求されたものを作ることで、自由を得た。仕事の大半は競合していた研究所の科学者の功績ではあったが、カーンは国家的な英雄となった。富も得た。彼はそれを隠そうとしなかった。汚職が一般的な国で、これを怪しいと見る者はほとんどいなかった。 (中略)

《イランの初期のデザイン》

(中略)テヘランがカーンの最初の顧客だった。1987年に両国は核エネルギーに関して協力することに合意している。2人の前パキスタン高官によると、1989年に当時のイラン大統領Hashemi Rafsanjaniがパキスタンのベナジール・ブット首相に、パキスタンの将軍たちはイランに核兵器テクノロジーを与えることに同意したと語ったという。

2003年に別々に2人の高官と行なったインタビューによると、Rafsanjaniは、1988〜1991年に陸軍司令官だったアスラム・ベーグ将軍が開始した取り引きに関して、ブットに伺いをたてていたという。ブットはRafsanjaniとベーグ将軍に、取り引きは許可しないと語ったらしい。

ベーグ将軍は最近の電話インタビューで、当初テヘランといくつかの共同プロジェクトを開始し、アメリカの影響と対抗するこめにイランに近づいたと述べた。しかし、パキスタンの核についての情報をイランに渡すことを許可したことはないと否定する。 (中略)「核兵器は私の管轄分野ではない。カーンと政治的なリーダーの管轄だった」。

ブットによると、彼女が首相だった時代に、軍は核計画を再びコントロールしていたと主張する。しかし歴史家や政治的アナリストたちは、1947年以来、軍はパキスタンのすべてを支配しているという。

前国防省副長官だったHenry S. Rowenは、ベーグは1990年1月に、イランに核兵器テクノロジーを提供すると脅迫したという。この出来事は、去年『AP』が報告し、最近のインタビューでRowenも認めている。

Rowenによると、当時彼はパキスタンにいて、デリーとイスラマバードの関係を改善しようとしていた。アメリカは、パキスタンの核計画のためにパキスタンに対する援助を中止するかもしれないと述べると、「会話の途中でベーグは、パキスタンはイランと核テクノロジーを共有するかもしれないと述べた」。「このときは真面目に受け取らなかったが、そのようなことをしたら、パキスタンとアメリカの関係は最悪になると警告した」という。

ベーグは、このような会話をRowenとしたことは覚えていないと語った。

ブットとRafsanjaniの会談以前に、パキスタンがイランに核テクノロジーを提供した証拠がある。今年の3月、IAEA高官によるとカーンと一緒にいたブローカーが1987年にドバイでイラン高官と会い、遠心分離器のテクノロジーと核兵器のデザインを売ることをほのめかした。イランは核兵器のデザインの購入は断わったが、ウラニウムの遠心分離器を作るための部品を買うことにしたという。

「カーンは1987年にイラン人たちと会ったことはわかっている。しかしベーグが権力の座についたあと、カーンはイランと本格的に取り引きを始めた」と、前パキスタン高官が述べた。イランは1990年の中ごろに、パキスタンから遠心分離器などの密輸品を受け取る。ほとんどがカーンの研究所から直接送られた。

《ミサイルの取り引き》

カーンの北朝鮮との取り引きは、当初政府によって保護されていた。ブットは、1993年にカーンが北朝鮮を訪問したときに、ミサイルの設計図を購入することを認めた。当時カーン研究所は、核弾頭ミサイルを開発していた。だから北朝鮮の設計図に頼っていた。

アメリカの諜報部員によると、1990年にパキスタンの資金が不足していた時期に、北朝鮮との関係が変化したという。北朝鮮のミサイルの援助とパキスタンの遠心分離器のテクノロジーを交換したという。(中略)

カーンがイランやリビアに密輸をしたことは認めるものの、ムシャラフやパキスタンの幹部高官は、北朝鮮に核テクノロジーを与えたことを否定する。パキスタンは北朝鮮に金を支払ったと主張する。

「金は帳簿に記載されている」と、前軍幹部が述べる。「カーンが金を横取りして、代わりに北朝鮮に核設備を与えたのでない限り、我々が支払った」という。

カーンの核商売の金の動きを追跡することは難しい。処分されたものもあるし、ドバイやリヒテンシュタイン、スイスの銀行の暗闇に消えた。

(中略)カーンに近いパキスタン人ジャーナリストによると、カーンはベーグなどが核テクノロジーの売買を認めていたと主張しているという。カーンは多くの秘密を知っているために、外部のものが彼を取り調べることは許されないだろう。「誰か名前を出すかもしれない。ベーグが彼の行動を認めていたというかもしれない。そうすればパキスタンは困る。問題はないほうがいい」。

smellPakistan's Role in Scientist's Nuclear Trafficking Debated
Douglas Frantz


■北ワジリスタン、大きな問題[050516 Daily Times]

北ワジリスタンは南ワジリスタンと比べて、アルカイダやタリバン残党を掃討するのが困難だと、高官や部族の長老が述べた。

ある高官によると、北ワジリスタンにはマドラッサが数多くあり、人口の70%がジハード関係者たちを支持しているために、抵抗勢力の温床となっている。「部族地帯におけるテロとの戦争という面において、北ワジリスタンは他とは全く異なった土壌だ」という。

軍は南ワジリスタンをなんとか支配下に収めたあと、2005年初頭から北ワジリスタンで何回も作戦を実施し、外国人抵抗勢力を殺害したり逮捕してきた。「今後半年間の南ワジリスタンの推移は、政府にとって非常に大事だ。この間にこれまでの軍の努力が形にならない限り、すべて台なしだ」と高官はのべる。

南ワジリスタンは比較的安定しているように見えるが、法や秩序にしばしば問題が発生する。また政府が、故ネック・ムハンマドの仲間にばらまいた「行方不明の数百万ルピー」を追跡していないため、再び抵抗勢力たちが活動を開始するのではないかとみられている。政府はネック・ムハンマドのグループ(Haji Muhammad Sharif、Maulvi Abbas、Javed Karmazkhel、Haji Muhammad Omar、Maulvi Abdul Aziz)がアルカイダに負っていた借金返済のために、5000万ルピーを支払った。

hoonN Waziristan a serious challenge
Iqbal Khattak、PESHAWAR


■イタリア人援助活動家、アフガニスタンで誘拐[050516 AP]

4人の武装した男たちが、CARE Internationalのイタリア人女性活動家を乗っていた車から引きずりだして誘拐した。

去年発生した、国連選挙管理委員会活動家3人の誘拐犯が逮捕されたのに伴い、外国人が標的になる恐れがあるとして、治安組織が警戒を呼びかけていた最中だった。

Clementina Cantoni(32歳)の誘拐に関する犯行声明や身代金の要求は、今のところ出ていない。「カラシニコフを持った男4人が彼女の乗った車の窓を壊し、連れ去った。運転手は、動いたら殺すと脅された」と、CAREの責任者Paul Barkerが語った。運転手がカナダ人職員を、職員が住むカブールの自宅に下ろしたところ、セダンに乗った犯人たちが道をふさぎ、イタリア人を連れ去ったという。犯人たちは近くのキリスト教徒の墓地に向かって走り去った。(後略)

garrItalian Aid Worker Abducted in Afghanistan
DANIEL COONEY


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2005.