【2005年6月13日〜6月19日】
■アメリカ、アフガニスタンで「20人殺害」[050619 BBC]
●アメリカの戦闘機がアフガニスタンで空爆を実施し、抵抗勢力20人を殺害したと米軍が発表した。ヘルマンド州でパトロール隊が抵抗勢力に襲撃されたために、空から援護したという。米軍とアフガン軍には、負傷者はいないらしい。
●タリバンがGrishk地域で、ロケット弾でや小火器で狙って車例を包囲したと米軍が述べた。すぐに戦闘機や戦闘ヘリコプターが出動した。「最初の戦いで、15〜20人を殺害した」という。(後略)
US raid 'kills 20' in Afghanistan
■タリバン「誘拐された警察官を殺害」[050619 BBC]
●アフガニスタンのタリバン抵抗勢力が、カンダハルで誘拐された警察長官とともに高官たちを殺害した、と述べた。
●タリバン報道官のラティフ・ハキーミが、宗教リーダーの命令で、Nanai Khanを銃殺したと述べた。アフガン高官はまだこれを確認していない。
●Khanは、木曜日にMiana Shienで拘束されたアフガン人警察官や高官、少なくとも10人の1人だった。ハキーミは、残りの誘拐された高官たちの「裁判」が続いていると述べた。
●ハキーミは、Khanの遺体は村に捨てられたため、政府に回収しにくるように言った。
《ロケット弾》
●これとは別に日曜日、カンダハルにロケット弾3発が撃ち込まれた。またヘルマンド州では、銃を持った男が裁判官を含む3人を殺害したという。
Taleban 'kill abducted policeman'
■2人の「スパイ」殺害される[050619 Daily Times]
●ワナのバザールで、覆面をした男が「スパイ」を撃って負傷させ、彼の運転手と従兄弟が殺害された。
●Abdur Rehmanは重症を負った。「午後1時頃、覆面をした男にピックアップが狙われた。運転手と従兄弟が即死した」という。ネック・ムハンマドの一周忌が開催されている最中のことだった。
●部族民の長老が『Daily Times』に語ったところによると、Rehmanは治安組織のための「秘密工作員」であったために、武装勢力が彼を殺そうとしたのではないかという。3ヵ月前に、Rehmanの兄弟が北ワジリスタンで殺害されている。もう1人の兄弟も、アフガニスタンのパクティア州にあるMachadad Kot基地にいる米軍と関係していると疑われて殺害された。
Two killed in attack on 'spy'
WANA
■ネックの一周忌で、聖職者、ジハード続行を誓う[050619 Daily Times]
●ワナでは聖職者と数千人のタリバンが集まり、アメリカに対してジハードを続行することを再確認し、南北ワジリスタンで反ムジャヒディン作戦を実施しているパキスタン軍に警告を発した。
●アザム・ワルサックでネック・ムハンマドの1周忌に集まった者たちは、「アメリカ人が敗北」するまでジハードを続け、パキスタン軍には「ジハードの予告」を出して脅迫した。
●「アメリカに対するジハードは続く」と、新たなタリバン司令官Haji Muhammad Omarが語った。いまだに拘束されているネックの仲間たちが釈放されなければ、政府と締結した平和協定を無効にすると述べた。「拘束された部族民を釈放することが、和平協定の条件の1つだった。しかし彼らは釈放されていない。彼らが釈放されなければ和平協定は破棄する」という。
●ネックの部下、Maulana Abdul Azizは、「アメリカ人は、世界全体を支配したいのだ。ムジャヒディンたちは、彼らの夢を実現させない。そんなことは、絶対に許さない」と述べた。部族民、約3000人が集まった。
●有力な部族民長老たちは、招待されたにもかかわらず欠席した。
Nek's first death anniversary: Wana clerics vow to continue jihad
Iqbal Khattak、PESHAWAR
■テロリストの作られ方[050618 Asia Times]
●2年半前、パキスタンの最重要手配者、アシフ・ラムジが他の5人とともに、カラチのKorangiにある爆弾製造工場の爆発現場から遺体で発見された。ラムジはダニエル ・パール誘拐殺人事件や2002年のカラチの米総領事館爆破事件と関連して、指名手配になっていた。
●この事件によりKorangiとともに、隣のLandhiがラシュカレ・ジャングヴィの基地として注目された。Landhi〜Korangi地域は、「立ち入り禁止」地域となった。(中略)
《テロへの道》
●(中略)カラチのSharah-i-FaisalからKorangiまでは、たった15分である。ここは恐怖と緊張を感じるゲットーだ。日が暮れると、武装した若者が夜明けまでうろうろしている。時折発砲してその存在を誇示する。(後略)
●ラムジの爆弾工場は2002年12月に発見され、これに伴い、ラシュカレ・ジャングヴィのメンバー数十人が逮捕された。最近では、Tehseenと呼ばれる男が、カラチのシーア派モスクの自爆事件と関連して逮捕されている。Tehseenは、モスクの警備官に撃たれて負傷した。彼は、Korangiの貧しい家の出身だ。
《墜落》
●KorangiとLandhiは、1960年代にできた町だ。1947年のインドとの分離独立後、イギリス領インドからやってきた家族のために作られた。当時官僚たちは、イギリス式の町作りを取り入れた。(中略)1960年代にKorangiとLandhiで育った世代は、その貧しい出自にもかかわらず野心を持ち、多くが社会的に成功した。(中略)
●しかし1980年代になると、KorangiとLandhiは変わってしまう。金持ちになった者たちは、別の場所に移り住み、代わりにバングラデシュ、ミャンマー、そして大勢のパシュトゥン人が住み着いた。
●それでもインドからやってきた家族たちが、KorangiとLandhiの大部分を占めていた。1985年にカラチで創設されたMohajir Qaumi Movement(MQM) の中心となったのが、彼らだ。MQMはインドからやってきた家族たちの権利を守るための、国家的運動だった。
●MQMの武装部門が、武器庫や拷問部屋、軍事訓練所をLandhiに設立した。警察は立ち入ることができない。Mohajir Khailと呼ばれるこの場所は、外部の人間たちは立ち入り禁止だ。MQMは、Mohajir KhailをPPP(Pakistan Peoples' Party)やJamaat-i-Islamiなど、政治的対立者や他の民族、パシュトゥンやスィンド人を拷問する場所として用いた。
●Mohajir Khailは1993年に、パキスタン軍によって取り壊された。さらに軍は、MQMを分裂させることに成功する。その結果(現在服役中の)Afaq Ahmedの組織が派生した。さらに、軍はカラチ全体を取り締まる。Altaf Hussain(後にイギリスに亡命)が率いるMQMのメンバーが逮捕され、取り締まりは強化される。同時にAfaq Ahmedの組織を保護した。現在Altaf Hussainの組織はMuttahida Quami Movementと改名し、連邦・州政府において、政府と同盟を組んでいる。
●軍の作戦のおかげで、この地域はギャングの巣となった。毎日のように、銃を撃ち込まれた死体が、ごみ溜めから発見される。
《宗教−貧困者の頼り》
●1990年代、KorangiとLandhiの経済は混乱した。(中略)タリバンが1990年代中ごろに台頭してくると、この地域に住むパングラデシュやミャンマー出身の者たちが熱狂的に反応した。モスクの聖職者たちが親タリバン派だったからだ。MQMの両組織の人間たちは、さまざまな過激組織に属した。最も人気があったのが、セパ・イ・サハバだ。こうしてすでにギャングの巣だったこの地域は、ジハード団たちの天国となった。
●(中略)セパ・イ・サハバの枝組織であるラシュカレ・ジャングヴィに対する取り締まりが始まると、メンバーたちはタリバン政権が君臨するアフガニスタンに逃げた。彼らはアラブ人戦士たちと交流した。タリバンが崩壊すると、今度はアラブ人の友人を連れて、パキスタンに戻ってきた。
●アルカイダのアル・リビとともにムシャラフ暗殺を企てたアムジャッド・ファルーキは、ラシュカレ・ジャングヴィのリーダーだった。ラムジも同じだ。彼らは全員KorangiとLandhiに隠れていた。
《アメリカ、彼らをはめる》
●9.11以後、アメリカは多額の資金をパキスタンに提供して、アルカイダを取り締まらせようとした。しかしKorangiとLandhiのような場所がある限り、成功は望めない。そこでアメリカの諜報部は計画を考えた。MQMのAltaf Hussainの組織を使い、ジハード団や過激派を取り締まったのだ。その結果、多くの過激派が逮捕された。
《ケース・スタディ》
●(中略)Korangiのある男、20代のAkhtar(偽名)の例である。(中略)「KorangiとLandhiは、自爆者やラシュカレ・ジャングヴィの住み家だ。軍がこの地域で作戦を行なって以来、警察たちは全員に嫌がらせをした。(中略)私が逮捕されたとき、たまたまMQMの関係組織のメンバーと関わっていた。取り調べで拷問を受けた。その後Afaqのグループのリーダーが保釈金を払ってくれて、釈放してもらった。今私は、Afaqのグループのメンバーだ」。
●当時警察は、KorangiとLandhiで隠れんぼをしていた時代だった。若者が罪状もなく逮捕され、拷問される。政府がMQMの一方の組織を取り締まり、もう一方の組織を保護した。そしてすぐくら替えして、反対の味方になる。若者たちもそれに従って、所属する組織を変えた。そういうなかで、2つの組織が支配的になる。ひとつはセパ・イ・サハバ、そしてジャイシェ・ムハンマドだ。
●Maulana Masood Azhar(ジャイシェ・ムハンマド会長)は数十人の護衛を連れて、たびたびやってきた。彼のスピーチは感動的だった。大勢の若者たちが、ジャイシェ・ムハンマドとセパ・イ・サハバに参加した。
●しかし9.11以後、状況が変わった。ジャイシェ・ムハンマドとセパ・イ・サハバが活動を禁止される。メンバーたちは活動をやめたが、なかにはラシュカレ・ジャングヴィに参加する者もいた。(中略)今や、モスクに行く者たちはみんなテロリストの疑いがかけられる。当局はひどいことをした。買収する金のない者たちは、警察に見つかったら殺害されることを知っている。こうして自爆者になることを選んだ者たちが、大勢出てきたのだ(後略)。
The making of a terrorist
Syed Saleem Shahzad、KARACHI
■ネックの一周忌参加を呼びかける[050618 Daily Times]
●ワナで武装したタリバンリーダーたちが車に乗り、ワジール族たちにアザム・ワルサックで開催されるネック・ムハンマド司令官の一周忌に参加するように、ラウドスピーカーで呼びかけた。
●タリバンが「ムジャヒディンが、あなたがたをネック・ムハンマドの1周忌に招待する」と、ワナのバザールで呼びかけたと目撃者が語った。
●ネックを引き継いだHaji Muhammad Omarが、一周忌の式典で演説をするという。ワジール族の長老たちもこれに招待されているらしい。
Tribals asked to attend Nek's death anniversary
PESHAWAR
■「アブドゥッラー・マフスード」、プレスとおしゃべり[050618 Daily Times]
●アブドゥッラー・マフスードと名乗る男が、「アッサラーム・アレークム」と挨拶をしてペシャワルのメディアに電話をよこした。彼は再び活動を開始するという。「体調が悪かったので、沈黙していた」。
●アブドゥッラーの報道官と名乗る男が、3月13日に彼が死亡したと伝えていた。
●病気が何であったか、また治療を受けたかどうかについては語らなかったが、「治療のために天国に行っていた」と述べた。
●アブドゥッラーはパキスタンで「イスラーム法」のために戦い続けると述べた。「頭が切り落とされるまで戦う」と、ある場所から電話で語った。
'Abdullah Mehsud' chats with pressIqbal Khattak、PESHAWAR
■ラシッド、キャンプは難民のためと発言[050618 Daily Times]
●カシミール人戦闘員のために訓練所を設営したことがあるという報道を否定したラシッド情報相は金曜日に、国境の反対側にいる何者かが、インドとパキスタンとの間の和平交渉を決裂させようとしていると述べた。
●PTV(パキスタンテレビ)とのインタビューでラシッドは、彼が設営したというテロ訓練所は、カシミール人たちのための難民キャンプだったという。「兄弟たちにしてあげたことを恥じてはいない。不幸な兄弟たちを助けることは、ムスリムの使命だ」と語った。(中略)
●アスラム・ベーグ将軍の「無責任」な発言についても非難し、和平交渉の障害になる可能性があるために、メディアにこのことを取りあげないよう要求した。
Rashid says camps were for refugees
LAHORE
■自爆者とは? パキスタンの答え[050617 Christian Science Monitor]
●28歳のレンガ職人だったGul Hasanは、4年間で自爆者を集める仕事に従事するようになった。対テロ法廷は、カラチのシーア派モスクの自爆攻撃を計画したとして、Hasanを起訴した。なぜHasanのような男が過激主義に走り、どのように自爆志願者を集めるのだろうか。
●自爆攻撃を実行するのは、9.11の過激派取り締まりのあとに組織された、派生組織である。母体組織よりも小さく孤立しているこれらの枝組織は、アルカイダから資金をもらい、貧困層や不満の溜まった者たちをメンバーとして集めるという。
●自爆は9.11以後に起きるようになったと、カラチ大学犯罪学のFateh Mohammad Burfatは語る。自爆犯たちは「職のない、無学の者たちで、貧困層に属する。またイラクやアフガニスタンで活動している米軍を、イスラーム世界の敵と見ている者たちだ。自爆攻撃により、現生とあの世で勝利すると考えている」。
●Hasanは、ラシュカレ・ジャングヴィのメンバーだった兄が逮捕されたとき、過激派イスラームの世界に入った。単なる武器を持つ男から、カラチの過激派リーダーとなり、自爆者を勧誘して運ぶ仕事についたという。
《昇格》
●派生組織は、「新たな人員を洗脳し、武器を輸送から始まり、そのうち手配中の過激派を匿う仕事を与える」と、カラチ警察高官のGul Hameed Samooは語る。「使命を終えると、昇格する」。
●シーア派を殺害すること、「異教徒」からムスリムを解放することなど、リーダーたちは目的別に志願者を探す。自爆は、「天国への切符」である。
●派生グループのリーダーたちは、アフガニスタンやカシミールで戦ってきた。アフガニスタンのアラブ人戦闘員たちと接触し、ともに訓練を受けてきたといわれる。
●自爆攻撃の裏には、3つの層があるという。首謀者はほとんどがアルカイダで、仲介者を通してジハード団のリーダーに接触してくる。自爆攻撃者は「洗脳」された者だ。
●2003年12月のムシャラフ暗殺未遂事件の場合、首謀者は現在拘束中のアルカイダ工作員、アブ・ファラージだったという。攻撃を計画したのは殺害されたラシュカレ・ジャングヴィの責任者、アムジャッド・ファルーキだ。
●(中略)アルカイダの首謀者たちは教育を受けた者たちが多いが、攻撃を計画したり自爆する者たちは、教育を受けていないことが多い。「自爆者を探すリーダーたちは、モスクやマドラッサの聖職者に協力してもらい、単純な考えを持ち、仕事のない宗教的な若者たちを探す」と、警察の捜査官が述べた。
《落伍者》
●自爆攻撃者を探していたHasanは、8学年までしか教育を受けていない。ムシャラフを殺害しようとした自爆犯2人は、辺境州のマドラッサの落伍者だった。去年シーア派のモスクで自爆した2人、Neither Mohammad Ali KhatriとAkbar Niaziも、高校を卒業していない。
●最近の取り調べから、いかにして自爆者が集められ、教育されるかが明らかになってきた。警察の取り調べ官が、過激派の1人、Tehseenの言葉を紹介してくれた。「命を犠牲にしようとする少年を隔離する。以後、家族や友達と接触させない。彼に宗教的な本を与え、使命を果たすまで、ずっと祈り続けることになる」。
●警察は今月、攻撃されたシーア派のモスクの現場で、負傷したTehseenを逮捕した。彼は護衛として、自爆犯と行動していた。「ときに自爆者たちは目的地に達すると恐れをなし、逃げてしまう。リーダーたちは自爆者が心変わりしないように、家族を人質にとることもある」という。
●自爆攻撃の組織は5〜7人で行動する。2日以上、同じ場所に留まることはない。小さなグループで行動することで、政府の取り調べを免れるという。「彼らは常に逃走中で、資金に不足している。しかしこれは最も危険な戦術で、彼らを止めることはできない」と、カラチ警察長官のTariq Jameelは語る。「我々は彼らを目覚めさせ、社会から過激主義を一掃しなければならない。そうしなければ、自爆は派生組織に新たな生き方を与えることになってしまう」。
●先月58人の宗教学者たちが、ムスリムに対して自爆攻撃をしてはならないというファトゥアを出した。また公の場や祈りの場で自爆するれば、ムスリムではなくなるという。「非ムスリムやパキスタンにいる外国人を殺害することも、イスラームの教えに反する。なぜなら、彼らはパキスタン政府の保護下にあるからだ」と、ファトゥアを発令した聖職者の1人、Mufti Munib-ur Rehmanが語った。
Who are the suicide bombers? Pakistan's answer
Owais Tohid、KARACHI
■アルカイダ再び結集、とアフガン大臣[050617 AP]
●ビンラディンのアルカイダは再び結集し、アフガニスタンでイラク式攻撃を計画していると、国防大臣が金曜日に語った。
●最近入手した諜報情報によると、ここ3週間に6人ほどのアラブ人工作員がアフガニスタンに潜入したという。そのうちの2人が、モスクと米軍車列に対して自爆攻撃を行なったと、Rahim Wardak国防相が『AP』に語った。
●「アルカイダが再び結集したようだ。イラクだけではなく、アフガニスタンでも活動しようとしている」という。「これから3ヵ月間、(国会選挙にむけて)大変な時期を迎えることになる」。「敵は、なんとか選挙を失敗させようとしてくるはずだ」。(中略)
●アラブ人戦士たちが潜入したことに関しては、「彼らが潜入してきたという報告をあちこちから受けている。最後の報告は、モスクでの自爆事件があった直前だった」。(中略)
●Wardakは、アルカイダ戦士がどこから潜入してきたかについては言及しなかったが、あるアフガン諜報部の情報源が『AP』に語ったことによると、パキスタンのバローチスタンから国境を越えたという。このルートから、さらにアラブ人が潜入してきているらしい。
●今回の爆発事件は、これまでのアフガニスタンにおける戦術とは異なるものだ。タリバンは自爆攻撃をしてきたことはない。これはアラブ人たちの戦術といえる。
●国防相は特定の国家を名指しすることを避けながら、アルカイダとタリバンは、アフガニスタンに米軍やNATOが長期的に滞在することを望んでいない「地域的権力」から援助されていると語った。(中略)
●アフガン高官たちはたびたびパキスタンを非難してきたが、Wardakは1カ国以上が絡んでいると述べ、必ずしもアフガニスタンと国境を接している国ではないという。
●さらに、ビンラディンが戦略の変更を指示したかどうかはわからないと述べたが、テロの黒幕が、彼の軍隊を日々コントロールできる状況にいる可能性は少ない、と語った。「我々の諜報情報によると、アルカイダの指令系統や支配系統は分散している」。「ビンラディンからの大まかな指示はあったかもしれないが、彼が毎日のように指令を出し、物事をコントロールしているとは思えない」。(後略〕
Afghan Minister Says al-Qaida Regroups PAUL HAVEN、KABUL
■新たなアルカイダビデオ放映[050617 BBC]
●アルカイダNo. 2のザワヒリがビデオテープに出現し、ムスリム国家に「アメリカ式の改革概念」を受け入れないように警告した。
●『アルジャジーラ』が放映したビデオで、改革はすべてイスラーム法に基づくべきだと述べた。また平和的デモで改革を起こすことに対しても警告し、神の名のもとで戦うことによってのみ、達成できると語った。(中略)
●ザワヒリは、パキスタン、サウジ、エジプト政府が親欧米路線を取っていることに対して批判した。
New al-Qaeda videotape broadcast
■タリバン、アフガン人13人を南部で拘束[050617 Reuters]
●タリバンが、カンダハルでアフガン兵11人と警察幹部高官、地方責任者を拘束したと発表した。数日前には、米軍とアフガン軍がこの地域でゲリラに対して作戦を実施したばかりである。
●タリバン司令官のMullah Rahimが、木曜日にカンダハルのMian Nishin地方を襲撃して、13人を拘束したと述べた。「ある場所に隠した。リーダーからの指示を待ち、彼らの運命を決める」と、地方警察官の衛星電話を用いて『ロイター』に語った。
●カンダハルの警察幹部高官が、Rahimが使用した電話は警察長官のもので、当局は13人と接触できないでいることを認めた。
●Mian Nishinでは、アフガン軍と米軍が今週作戦を実施したばかりで、ゲリラ4人が殺害された場所である。
●これとは別に木曜日、ザーブル州で政府の車列を襲撃しようとしたゲリラ3人が殺害された。タリバン報道官はこの報告を否定し、タリバンは被害を受けていないと述べた。(中略)
●木曜日にアフガニスタンの米大使カリルザドが、ビンラディンやオマール師はアフガニスタンにいないと思う、と述べた。
Taliban say hold 13 Afghans in troubled south
KANDAHAR
■いかにして自爆姉妹が逮捕されたか[050617 News]
●6月4日に逮捕された2人のテロリスト姉妹は、出産が原因で逮捕に至ったと情報源が語った。
●情報源によると、HabibaとArifa姉妹のうちの1人が、モーマンド行政区のHasan Shahと結婚し、もう1人は今は現存しない宗教組織と関係していたある男と結婚したという。Hasanは、これまでテロ攻撃をいくつも首謀している。彼は故郷のモーマンドを出て、マラカンド行政区のAmandaraに住んでいたらしい。
●5月の最後の週に、Hasanは妻をスワートのサイド・シャリーフにある産院に預け、そこで男児を出産した。Hasanは子供の出産を携帯電話で親戚に伝えたところ、これを諜報組織が傍受し、その後彼は監視されていたという。
●妻が産院から退院すると、諜報組織は彼女を尾行し、もう1人の姉妹と義母とともにLandakiで逮捕した。女性の1人の手提げから、手榴弾も押収されたという目撃情報もある。その後目隠しされ、どこかに連れて行かれた。
How the sister bombers were arrested
Iftikhar Khan、MINGORA
■アラブ人、アフガン抵抗運動を支援[050616 Asia Times]
●ヨルダン人アル・ザルカウィとビンラディンのアルカイダの関係について記録された最近の出版物から、この2人の関係や、2人が中東にイスラーム・カリフ国家を設立しようとしている様子が明らかになる。
●アフガニスタンにおける合同軍に対する襲撃が急激に多くなっていることからも、アフガニスタンにいるアラブ人戦闘員たちが再び結集し、アメリカに対してアラブ人の前線が築かれたことが明白だ。イラクの抵抗運動も、衰えることがない。
《アフガン前線》
●6月1日に発生したカンダハルのモスクでの自爆テロの直後、アフガン高官は、事件はアルカイダのアラブ人の仕業と発表した。カンダハル州知事のGul Agha Sherzaiが報道陣に、「遺体には、アラブ人であることを示す書類があった」と述べ、「アラブ人アルカイダがアフガニスタンに再び入り、テロ攻撃を計画している」という諜報情報があったと付け加えた。さらに爆発現場で「発見された遺体の頭部」は、「アラブ人のよう」だったという情報もある。
●アフガン当局や米軍の意に反し、アフガニスタンにおける抵抗運動は増大している。(中略)これまでと違うことは、以前よりも洗練された攻撃や、新たな攻撃方法が用いられていることだ。
●ナンガハール州で平和的に開始された5月10日の学生デモは13の州に広まり、政府やアメリカに対して、組織立った抵抗運動が開始された兆候をみせた。しかしこれは結局暴動となって広がった。
●学生デモと時を同じくして、アフガンがソ連と戦った日々を追想するビラが、カブールで夜中にばらまかれた。ビラはナンガハールの出来事には触れずに、「ムジャヒディンにとって重要な任務が、今、開始された」と書かれていた。そしてアフガニスタンに米軍基地が常設される可能性があること、カルザイや前タリバンメンバーが、アフガニスタンをアメリカの傘下に入れようとしていることを非難した。
●(中略)カルザイは特定の国の名前を挙げることは避けたが、5月17日の親政府新聞の『Anis』は、イランがアフガニスタンを混乱させるために「膨大な資金を投入し、傭兵を雇った」と報じた。今回のデモは、カブールのイラン大使館と協力した「無謀な」アフガン人たちが計画した疑いがあるというのだ。
●この事件で、タリバンが果たした役割はわからない。タリバン報道官のラティフッラー・ハキミは、関わりを否定している。しかし5月29日のにカンダハルのCouncil of Ulemaの責任者で、タリバンに対立するMawlawi Abdullah Fayyazを殺害したことは認めた。いっぽうカンダハルのモスクの自爆テロに関しては、「やってはならないことだ。このような行為を非難する」と、ハキーミは声明を発表した。
●アフガニスタンでの暴力事件を識別することは、難しい。タリバンの名のもとで行なわれた犯行も、実は麻薬密売人や別の犯罪者の犯行だったりする。またタリバンは、自分たちがしてない事件についても、犯行声明を出したりする。しかし学生デモとモスク爆発事件について重要なのは、その組織だったやり方と、これらの行為の意味である。
●これまで自爆攻撃はアフガニスタンではほとんどなく、タリバンもこれを実施することは稀だ。さらにモスクを自爆攻撃するなど、ありえなかった。カンダハルの攻撃は、アルカイダに影響を受けたテロリストたちによる、新たな前線が開始されたといえよう。
《イラクの前線》
●ザルカウィについて最近出版された本「第2世代アルカイダ」は、ザルカウィとアルカイダの関係を描いている。アルカイダはザルカウィに資金を提供して、ヘラートに訓練所を作らせた。2001年にアメリカがアフガニスタンに侵攻すると、ザルカウィとアルカイダたちは散り散りになり、イランで再結集。7年以内にアフガニスタンで再び集まることを誓ったと、Global al-Qaeda of Islam Armyの安全の責任者であるサイーフ・アル・アデルが、本の中で書いている。
●ザルカウィとその仲間が、アル・アデルが指摘した7年という期間よりも早くアフガン前線に戻ってきたことは、2つのことが関係している。まず最初に、タリバンやタリバンに与えられたアルカイダ下級メンバーたちに、カブール政府や米軍に被害を与える力がなかったことである。またタリバンが選挙を妨害すると誓ったあとのアフガニスタンの政情が、比較的成功したことも挙げられる。しかし、ザルカウィとその支持者たちがアフガン前線を再び開いた最も重要な点は、5月にカブールとワシントンが締結した「戦略的パートナーシップ」のためである。このパートナーシップにより、異教徒の米軍がアフガニスタンに滞在することに同意し、許すことになるのだ。
●アル・アデルはさらに、ザルカウィが2001年に、イラクのクルディスタンを根拠地とするアンサール・アル・イスラームに支援されながら、イラクで自分の戦闘ネットワークを組織することを決意した経緯を語っている。アンサール・アル・イスラームとの関係は、アフガニスタンで築かれた。
●「我々は、次から次へとイランに集まっていった。アフガニスタンから離れていた、アラビア半島、クエート、アラブ首長国連邦の兄弟たちが、すでに集まっていた。彼らは資金を十分持っていた。我々は中央のリーダーシップと行動部隊を作った」とアル・アデルは語る。
●「アフガニスタンに戻り、そこで用意周到に計画された使命を遂行する戦士たちを組織した。いっぽう、彼らのために新たな場所を選んでくれる組織や兄弟たちの状況を、調べ始めた。Abu Musabと彼のヨルダン人、パレスチナ人の友人たちはイラクに行くことを選んだ。アメリカ人は遅かれ早かれ、イラクに侵攻する間違いを犯すだろうと予測したからだ。アメリカがイラクに侵攻すれば、政権が覆される。したがって我々は彼らと対立し、抵抗するのだ。我々にとっては、イスラーム国家を築くという歴史的な機会だ」とアル・アデルは語る(後略)
Arab boost for Afghan resistance
Amin Tarzi and Kathleen Ridolfo
■フランス、靴爆弾の関係者に求刑[050616 BBC]
●フランスの裁判所は、靴爆弾犯人リチャード・リードと関係したとして、パキスタン人容疑者に5年を求刑した。
●しかしGhulam Ramaに対する主な罪状は、カシミールの武装勢力と関係があったことだという。
●Ramaは「テロリスト計画と関係のある犯罪組織」に属しているとして起訴された、3人のうちの1人である。他の2人はRamaよりも罪状が軽く、近々釈放される予定である。
●Ramaは、フランスの慈善団体Chemin Droit(まっすぐな道)の責任者である。起訴状によると、Ramaはラシュカレ・トイバとの橋渡しをしていたという。また航空機を爆破しようと試みた、イギリス国籍のリードの「コンパス役」を果たしたと疑われている。
●しかし彼は、直接リードの事件とは関わっていなかったようだ。他の2人のフランス人、Hassan El CheguerとHakim Mokhfiも、Chemin Droitのメンバーだった。
France jails shoe-bomber contact
■カシミール独立派、帰国[050616 BBC]
●カシミール独立運動の穏健派リーダーが、パキスタンからインド領カシミールに帰国した。
●カシミール問題をパキスタン人高官や、パキスタン領カシミールの人間と話し合ったという。しかし活動家の1人のヤシン・マリクは、和平の話し合いにカシミール人が参加するかどうかは不明だと述べた。(中略)
●カシミール出身のシェイク・ラシッド情報相は、戦闘員たちに泊まる場所を提供したが、それ以上のことはしていないと述べた。
●しかし水曜日にパキスタン元陸軍長官が、ラシッドが以前カシミール人戦闘員たちのための訓練所を運営していたことがあると述べた。アスラム・ベーグ将軍が『BBCウルドゥー語放送』で、訓練所が1991年に閉鎖されるまで、ラシッド情報相が訓練所を運営していたと述べた。
●しかしラシッドは、これを否定している。ラシッドは家族がいるインド領カシミールを訪問予定だったが、計画通り実行されるかどうか不明だという。
Kashmiri separatists return home
■「パキスタンが我々を訓練した」と抵抗勢力[050616 BBC]
●パキスタン領カシミールの独立運動リーダーが、カシミールの戦闘員たちは1980年代、ISIから最初の訓練を受けたと述べた。
●Jammu and Kashmir Liberation Front(JKLF)の会長Amanullah Khanが、当時のパキスタンの軍事政権リーダー、ジアウル・ハク将軍が自分たちの運動を支援したと、1992年に初版が出版された『Continuous Struggle』の最新版で指摘した。(中略)
●この新版はまだ出版されていないが、『BBC』はこの本の抜き刷りを入手した。パキスタン領カシミールから仕掛けられるカシミール戦争に、いかにパキスタンが関わってきたかが書かれている。
《取り引き》
●JKLFは1998年に、インドの支配に対して最初に武器を取った組織である。Amanullah Khanによると、ISIは1987年に初頭にJKLFの幹部リーダーFarooq Haiderを通じて、接触してきたという。HaiderはISIと取り引きし、JKLFはインドの支配に対して戦う意志のある若いカシミール人たちを、パキスタン領カシミールに連れてくることになった。そこでISIにより、軍事訓練や武器を与えられる手はずになったと言う。
●目標は、インド領カシミールで戦いを開始することだった。Khanは当時取り引きには関わっていなかったが、「ジアウル・ハクの理念はJKLFの理念と一致している」と聞かされたために、実行することにしたという。
●「ジア将軍が、カシミールをOrganisation of Islamic Conference(OIC)の一部にしたいと考えていると思った。つまりカシミールの独立ということだ」。「だから取り引きを受け入れた」という。
●またこの申し出を受け入れたもうひとつの理由は、JKLFには「外部の協力」が不足していいために、これまで2度戦いを試みたが失敗したからだという。
《介入なし》
●Khanによると、JKLFはISIの当時の長官Akhtar Abdur Rehman将軍から、ISIはJKLFの理念には介入しないと言われたという。「ISIのFarooq准将から、ISIはジアウル・ハクの指示どおり、我々を無条件に援助すると言われた」。「さらに、ISIはJKLFの組織についても介入しないと言った」。またJKLFのリーダーは「政治的、外交的問題にはいっさい関わらず」、ISIから現金を受け取ることに同意したという。これは口約束だった。
●インド領カシミールからやってきた最初の若い戦士8人は、1988年2月にパキスタン領カシミールに到着した。そこでISIより軍事訓練や武器を与えられ、インド側に帰った。パキスタンから合図を送るまで行動してはならないと、指示されていた。
《戦い》
●カーンによると、3人の独立運動リーダー、Mohammed Afzal、Ghulam Hasan Lone、Ghulam Nabi Bhattが1988年月にパキスタンに呼ばれた。「長い話し合いの結果、1988年7月13日に戦いを開始することに決めた」。「しかし何らかの理由があり、スリナガルのAmar Singh Clubと中央郵便局、電報局が爆破された7月31日まで、戦いは開始できなかった」。
●カーンは、「栄誉ある最初の行動者」として、6人の戦闘員、Humayun Azad、Javed Jehangir、Shabbir Ahmed Guru、Arshad Kol、Ghulam Qadir、Mohammed Rafiqの名前を挙げている。「その後、アザド・カシミールには、次々と戦闘員がやってきた」。
●JKLFは1990年初頭に、ISIの高官1人が「オブザーバー」としてJKLFに参加することを要求したために、ISIと袂を分けたという。
'Pakistan trained us,' rebel says
Zulfiqar Ali
■パキスタンの軍と武装組織のつながり[050615 BBC]
●『BBC』は、パキスタンの治安部隊がなぜ過激派組織に対しての取り調べを強化し始めたかを示す、新たな証拠を入手した。
●現在9人、軍の奇襲隊員と市民8人が、ムシャラフ暗殺未遂事件と関わったとして起訴されている。アトック城内で行なわれた裁判の様子を写したカメラが、パキスタン軍とジハード団との間の関係を明らかにした。20年以上続いていた両者の関係が、ここにきて決裂したことを示しているともいえる。
《首謀者》
●裁判には登場しないが、1人の人間の名前が始終、浮上する。イギリス生まれのイスラーム過激派、アーマッド・オマル・サイード・シェイクである。
●シェイクはすでに逮捕されているために、今回の暗殺未遂事件では裁かれない。しかし裁判所に提出された証拠によると、親米政策を進める大統領の排除は、シェイク自身が考えたことが明らかになった。
●ダニエル・パール記者誘拐殺人犯として逮捕されたシェイクは、パキスタンにおける最も活動的な反米戦闘員だったようだ。
《目的のために志願者を集める》
●証拠によると、シェイクは自分の組織に軍の奇襲隊員を「募集」していたという。エリート部隊の下士官2人が彼の組織に入り、ムシャラフを殺害することに同意した。
●その1人、Naik Arshad Mahmoodは、今回の裁判で裁かれる9人のうちの1人である。いっぽうのZafar Iqbal Dogarは、検察側の証人として登場している。Dogarの証言によると、ムシャラフ暗殺を計画したのはシェイクだったという。
《暗殺計画》
●Dogarは2001年にシェイクに初めて会った。他の原理主義者たちとともに、シェイクがTablighi Jama'atと呼ばれるムスリム使節団のメンバーとして、ラワルピンディの訓練所を訪れたときだ。
●今のところ唯一わかっていることは、シェイクはムシャラフを殺害するための組織をまとめることに成功していたということだ。パキスタンのTablighi Jama'atは、世界における最大のムスリム使節団で、そのメンバーはムスリムの教えを説くために、軍の部隊や基地に招待される。
●シェックは2人の奇襲隊員と、数回会合を持った。そのうち最も重要だったのが、2001年にアメリカがアフガニスタンを攻撃した直後に開催された会合だった。
●Dogarによると、シェイクと約25人の過激派が集まったこの会合で、大統領を暗殺する計画が初めて浮上したという。シェイクは25人に、アメリカとムシャラフを含めたその仲間たちに打撃を与えるために活動することを、約束させたという。
●この会合後、数ヵ月、シイックは攻撃に用いるための武器や爆発物の収集を取り仕切った。
●彼が2002年に逮捕された後も組織と連絡を取り続けていたかどうかは、明らかではない。しかし2003年12月の事件の犯人たちが逮捕されると、シェイクはハイデラバード刑務所からラワルピンディ刑務所に移送され、そこで取り調べを受けている。
●しかし彼は、取り調べに協力しなかったらしい。幹部高官によると、彼が逮捕されたその日から、どんな取調官も彼から情報を得ることができないでいるのだという。
●唯一明らかなことは、オマル・シェイクは組織全体をまとめ、ムシャラフ暗殺に専念させることに成功したということだ。
《反発》
●この組織には、過激派、武装軍のメンバー、部族地帯出身の武装団、アルカイダの武装団など、さまざまな組織のメンバーが参加している。国家の治安組織にとっては脅威である。
●これらの過激派は一時は当局に育まれ、保護されていた。カシミールで戦っていたためだ。しかし、彼らが今やパキスタンの支配者に銃を向けていることに、なかなか気づかなかった。
●ジハード団内の方針の変化に気づいたために、当局が過激派に対する態度を変更した、という見方に反対するオブザーバーたちは多い。
●ここ数年間、パキスタンの治安部隊はイスラーム原理主義の組織を取り締まっている。しかし、これでパキスタンのリーダーシップに対する攻撃が終わったわけではない。今になって、シェイクがいかに大きな役割を果たしていたかを思い知っただけである。
●シェイクはこれまで裁判を、「イスラームと異教徒との間の戦い」における「時間のむだ遣い」と表現している。彼に対する判決が下された時、「私が殺されるのが早いか、私を殺したがっている者が殺されるのが早いか、確かめたい」と語ったといわれる。
Pakistan's military-militant link
■アフガニスタンで戦闘、14人死亡[050615 AP]
●約90人のタリバン戦闘員が、数百人のアフガン軍と米軍主導の同盟軍と衝突し、抵抗勢力7人が死亡、10人が負傷した。いっぽう抵抗勢力は医療クリニックを襲撃し、医師を初め、6人を殺害したと高官が水曜日に発表した。
●火曜日に抵抗勢力が、カンダハルとウルズガン州の間でアフガン軍と同盟軍のパトロール隊を襲撃し、その後戦闘になったと、Muslim Amid司令官が語った。
●アフガン兵4人が負傷し、抵抗勢力たちは負傷者を抱えて山中に逃げ込んだという。抵抗勢力2人が逮捕された。軍はいまだに抵抗勢力を山中で追跡しているようだ。
●米軍報道官のJerry O'Haraは、同盟軍が戦闘に巻き込まれていることを確認したが、詳細なコメントは避けた。同盟軍には負傷者はいないという。
●コースト州では医療クリニックが襲撃されたと、国境治安部隊のAlmar Gul Mungle司令官が述べた。タリバンが火曜日の夜に建物を襲撃し、7人を射殺したという。
●アメリカ軍司令官たちは、アフガニスタンの治安は回復していると主張しているが、春以来、抵抗勢力による襲撃が続いている。
●いっぽうパキスタンの『Geo』テレビが、タリバン司令官Mullah Akhtar Usmaniとのインタビューを放映した。Mullah Akhtar Usmaniによると、ビンラディンとオマール師は元気だという。
●オマール師はアフガニスタンの隠れ家から指示を出しており、抵抗勢力たちの規律は守られ、定期的に集まっているという。『Geo』テレビは、先週このインタビューを収録したと述べたが、収録場所を明らかにすることを拒否した。
Fighting in Afghanistan Leaves 14 Dead
NOOR KHAN
■「ビンラディンは生きていて元気」[050615 BBC]
●タリバン幹部司令官がテレビインタビューに答え、ビンラディンとオマール師は生きていて元気だと語った。
●「オマール師とコンタクトをとっており、指示を受けている」と、Mullah Akhtar Usmaniがパキスタンの『Geo』テレビで語った。
●『BBC』のラヒムッラー・ユースフザイによると、Mullah Akhtar Usmaniは2001年以前、タリバンの幹部司令官だったという。それ以来、タリバン抵抗運動の作戦責任者の座についているといわれる。
●「タリバンはアフガニスタン中にいる」。「その数はある州には多く、ある州には少ないかもしれない。しかし彼らに対する支持は、大きくなっている」と、顔を黒いスカーフで半分隠しながら語った。
●タリバンの居場所については語らないと述べ、「唯一言えることは、ビンラディンは生きていて元気だということだ」という。またオマール師は今でもタリバンを指揮していると語った。彼は「我々の司令官で、指示を出している」。
●パキスタンのオブザーバーたちは、米軍やパキスタン軍が戦闘員たちを逮捕しようとしているこの時期に、タリバン幹部司令官が『Geo』テレビ出演したことに驚きを表した。
'Osama Bin Laden alive and well'
■パキスタンの大臣、カシミールの抵抗勢力を訓練したことを否定[050615 Reuters]
●ラシッド情報相は火曜日に、カシミールの抵抗勢力たちがインドと戦うための訓練所を設営したという新聞の報道を否定した。
●「軍事訓練所を設営したことなどない。武装勢力やゲリラ戦法などとは関係ない」と、『ロイター』に語った。
●1989年にカシミールで衝突が起きた際、独立派の闘志ヤシン・マリクや他のカシミール人たちがパキスタンに来たときに世話をしたことは認めた。「カシミール人であるために、パンやバターを与えることは当然だ。それ以上のことはない」という。
●マリクは、『Daily Times』が事実とは異なった発言を掲載したと述べた。「ラシッドに関して、銃や訓練所との関係は話していない。我々が道端にいるときに、親切にしてもらったと述べただけだ」と、『ロイター』に述べた。(後略)
Pakistan minister denies training Kashmiri rebels
ISLAMABAD
■ヤシン・マリク、発作を起こして休養[050615 Dawn]
●Jammu Kashmir Liberation Front(JKLF) のリーダー、ヤシン・マリクは火曜日に発作を起こし、医者によって休養を勧められたという。イスラマバードでSenate Foreign Relations Committeeが開催して昼食会のあと、発作を起こした。6月2日にアザドカシミールに到着して以来の過密スケジュールで、疲れが溜まったようだという。
●一行に同行している高官は詳細を語らなかったが、医者に休養を取ることを勧められ、人と会うことを止められたという。アザドカシミールのKotliを訪問する予定だったが、キャンセルになったという。また当初の計画では水曜日にムザファバードに向かうことになっているが、まだはっきりしたことは言えないという。
●一行は、木曜日にバスでスリナガルに帰国予定である。
Yasin Malik suffers stroke; advised rest
ISLAMABAD
■大臣、カシミールの抵抗勢力を「支持」[050615 BBC]
●カシミールの独立運動のリーダー、ヤシン・マリクが『BBC』に、パキスタンのラシッド情報相が1980年代に独立運動戦士たちを保護し、援助したと述べた。しかしラシッドは訓練所を設営したわけではないという。
●パキスタンの新聞『Daily Times』が、ラシッド情報相が訓練所を設営したとマリクが述べたと報道したことに対して、インドは遺憾の意を表明した。
●マリクは『Daily Times』の記事は「完全な過ち」だと述べた。自分と独立運動戦士たちは1988〜89年の間に、ラワルピンディにあるラシッドの離れに滞在したと述べた。「彼の離れに匿ってもらった。我々はラシッドから援助され、まるで兄弟のように愛してもらった」と『BBC』に語った。「訓練という言葉を口にしたことはない」と付け加えた。
●ヤシン・マリクはインド領カシミールで活動するJammu and Kashmir Liberation Frontの独立運動のリーダーである。1988年にインドに対して初めて武器をとったが、1995年に暴力を用いることを放棄した穏健派である。(後略)
Minister 'backed' Kashmir rebels
■アフガンの衝突で「抵抗勢力」2人死亡[050614 BBC]
●アフガニスタン南部でアフガン軍と米軍が抵抗勢力と衝突し、戦士2人が死亡、12人が逮捕された。米軍報道官によると、衝突はカンダハルで発生したという。
●これとは別に警察が、ヘクマチアルと関係のある司令官18人が投降したと発表した。(中略)司令官たちは日曜日にガルデズで投降し、政府の恩赦の申し出を受け入れたという。(後略)
Two 'rebels' die in Afghan clash
■Sheikh Rashidがカシミール戦士を訓練、とヤシン[050614 Daily Times]
●カシミールの戦闘が一番激しいとき、ラシッド情報相が訓練所を設営し、約3500人のジハード志願者がゲリラ戦法を学んだと、Jammu & Kashmir Liberation Front(JKLF)会長のヤシン・マリークが明らかにした。
●「ラシッドがカシミール解放のために多大な貢献をした。前線にいるジハード志願者たちを支持してくれたが、彼の貢献について知る人は少ない」と、カシミール問題解決にカシミール人を含めるように要求する集会で、ヤシンは聴衆に語った。ラシッドはこの件に関して、コメントを拒否した。(後略)
Sheikh Rashid trained Kashmiri fighters: Yasin
Shahzad Raza、ISLAMABAD
■アフガンで自爆、4人負傷[050613 AP]
●アフガニスタン南部で車に乗った男が米軍車輌の近くで自爆し、米兵4人が負傷したと米軍報道官の発表した。
●負傷した4人のうち1人は重症だという。事件はカンダハルのハイウェイで起きた。自爆犯の頭部が現場近くで発見され、アラブ人のもののようだったと、カンダハル警察副長官のSalim Khan将軍が述べた。(中略)
●カンダハル周辺では、この他に爆弾3発が隠されていたという。すべて排除された。 (中略)
●タリバン報道官のラティーフ・ハキーミ師は『AP』に、月曜日の爆発に対する犯行声明を発表したが、実行者はアフガン人だったと述べた。ハキーミ師はしばしば『AP』に電話で犯行声明を発表するが、嘘だったり誇張されていることがたびたびある。
Suspected Afghan Suicide Bomb Wounds 4
NOOR KHAN、KANDAHAR
Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2005.