【2005年7月18日〜7月24日】


■ロンドン攻撃におけるアルカイダ養成所[050724 Sunday Telegraph]

土曜日、ラワルピンディのパキスタン陸軍の建物の奥で金属製の扉が開き、イギリス人高官2人が中に入った。机の前には、武装した警備員に挟まれ、髭をはやして手錠をかけられた男が座っていた。イギリス人はMI5のメンバーである。彼らのビジネス・スーツの下には、武器や録音機が隠されているとISI高官は考える。

1人は流暢なウルドゥーを話した。もう1人は対テロ専門家だ。アルカイダによるロンドンの爆弾事件の捜査のために、イスラマバードにやってきた。手錠をかけられた男は、Zeeshan Hyder Siddiqui(25)である。ペシャワルで2ヵ月前に逮捕された。ISIが取り調べた際、ヒースローに住んでいたとき、ロンドンのパブやレストラン、駅などを爆弾で攻撃しようとしたが失敗した、と述べた。

別の部屋でMI5を待ち受けているのは、1年前にラホールで逮捕されたNaeem Noor Khan、別名Abu Talhaである。アルカイダ組織が、ヒースロー空港や地下鉄を襲ってロンドンを麻痺させる計画をたてていたことを、告白した。彼はイギリス国籍ではないが、イギリスを数回訪れたことがあり、2003年にはヒースローと近いリーディングにアパートを借りて住んでいた。

Siddiquiの所持品を調べた結果、仲間の1人が攻撃を実行することを拒否したために、計画が流れたことがわかった。『Operation Wagan』と命名された作戦だった。MI5の高官たちは、この作戦の代わりに計画された攻撃について、Siddiquiが何か知っているのではないかと、考えている。

7.7事件の捜査は、どれもパキスタンにたどりつく。パキスタンのある諜報部高官が言うように、パキスタンは「アルカイダとタリバンがいまだに繁栄し、再結成する養成所」になってしまった。

(中略)スコットランド・ヤードは、ロンドンとラホールに拠点があるヒズブ・テヘリールの活動に注目している。若者たちを洗脳し、アルカイダの作戦の実行役として送り込んでいると、パキスタン人諜報部高官は述べる。

しかしイギリスのヒズブ・テヘリールは先週、組織は暴力や武力、テロリズムを否定すると述べた。報道官によると組織は政治的であり、「イスラームは、無実な市民を傷つけることを許さない」という。

カラチで押収されたアルカイダの書類によると、ロンドンの爆弾犯たちがいかにして連絡をとりあったかがわかる。携帯電話から、300の3桁暗号メッセージが並んでいた。地下に潜るという暗号は「721」。会うべきではないは「352」。「943」はMSNメッセンジャーを用いて接触しろ、という意味だ。武器が必要になった場合は「730」。

パキスタンに滞在中、タンウィール容疑者はファイサラバードのKottanにある、親戚の家で過ごした。ムハンマド・カーンは、週に2度、タンウィールを訪れたようだ。『Sunday Telegraph』がつかんだ事実によると、ISIの情報源は、カーンがロンドンの自爆チームのリーダーで、ここにきて初めて身元が明かにされたアルカイダ工作員であり、ロンドンの事件の首謀者と思える人間と接触していたと考えている。先週ISIの情報源が、カーンが接触していた人物はMohammed Yasin、別名Ustad(“先生”)Osamaで、Harkat-e-Jihadの爆弾の専門家だという。部族地帯にいるテロ訓練所のベテランで、30代だという。「自爆ジャケット」を作る専門家らしい。仕事の最中、指を2本失っている。

Yasinは、パキスタンが発表したテロリストの「最重要指名手配者」70人のリストの中に入っている。イギリス系ムスリムを、アフガニスタンやボスニアで闘わせる手配をしていたらしい。彼はカーンに、ロンドンの攻撃で用いるためのホームメイド爆弾の作り方を訓練していたと疑われている。

リーズの小学校で助手をしていたカーンが、インド生まれのムスリム、ハルーン・ラシッド・アスワットに会ったかどうかも、捜査している。(中略)アスワットは、ISIから、ロンドン爆弾事件の首謀者と見られている。彼がパキスタンにいるという確証はないが、ISIは彼の行方を必死に探している。先週同じ名字を持つ男がイスラマバード近辺で逮捕されたが、48時間後に釈放された。

パキスタンの捜査官たちによると、2004年にイギリスのアルカイダ系スリーバー・セルのメンバーがパキスタンを訪れ、地元の「自爆者」たちを募り、イギリスで攻撃を実施するために連れ帰ることを検討した。しかしこの計画は中止になった。イギリスに入国した際、拘束される可能性が大きかったからだ。その代案として、パキスタンにいるアルカイダ工作員が、自爆攻撃のためにイギリス人の若者を募ることを提案した。そのような使命を達成するために必要なイデオロギーは、必要であればパキスタンではすぐに得ることができる。

問題は、何人が参加し、訓練を受けたかだ。そしてMI5やスコットランド・ヤード、協力者のISIが、いかに迅速に陰謀を暴き、テロの連鎖を断つことができるかだ。イギリスの対テロ高官は、パキスタンはイスラーム過激派に対して二面性を持つと見てきた。ムシャラフは木曜日に過激派の取り締まりを宣言したが、遅すぎるかもしれない。 (中略)

(中略)ムシャラフに対する抗議運動が続いているが、デモ参加者たちはムスリムが、ましてパキスタン系の人間が爆弾の犯人だったことを受け入れることを拒んでいる。「9.11同様、ユダヤ人のしわざだ」と、イスラーム神学者協会のS. A. Shamsiは語った。(後略)

garrPakistan: the incubator for al-Qaeda's attacks on London
Toby Harnden、Islamabad and Massoud Ansari、Rawalpindi


■米兵、アフガン南部の攻撃で殺害される[050724 Reuters]

日曜日にタリバンゲリラにより米兵1人が殺害され、1人が負傷した。

ヘルマンド州のGiriskh町で起きた戦闘で、少なくとも戦闘員1人が殺害され、2人が負傷したと、米軍報道官のJerry O'Haraが述べた。アフガン人通訳も負傷したという。

「パトロールをしていた米軍が、襲撃された」。空軍が呼ばれ、約20人ほどの戦闘員たちを襲撃したという。「敵が建物に隠れたために、爆撃した。負傷者の数はわからない。作戦はまだ続いている」。

今年に入って米兵が36人死亡している。

《パキスタンで自爆攻撃》

国境の反対側のパキスタン側では、米軍のために燃料を運ぼうとしていたトラックのそばで自爆攻撃者が自爆し、男性と女性を負傷させたとパキスタン人治安高官が述べた。事件はチャマンのパキスタン・アフガニスタン・フレンドシップ・ゲートのそばで起きた。

これとは別に日曜日、タリバンがカンダハル州のMaiwand地域の欧米資本の病院を爆撃した。1人が負傷したという。

garrU.S. soldier killed in attack in Afghan south


■軍、南ワジリスタンにポストを設置予定[050724 Daily Times]

軍はワナ〜アザムワルサック間の道路に、チェクッポストを設置することを検討中だという。(中略)金曜日に、Malik Mir Zalam Khanと2人の兄弟、息子と甥が、ワナで殺害された。また部族警察「将軍」のTaj Muhammadを含む5人の部族民が、それぞれ別の場所で殺害されている。

軍は去年、ネック・ムハンマドと和平協定を結んだあと、チェックポストを撤去している。「軍は(チェックポストを設置するかどうかの)最終決定を近々出す」と、南ワジリスタン行政官のLaiq Hussainが述べた。ネックの組織が、「和平協定を侵害」したと捉える可能性があり、注意深い行動が必要だという。

Laiqによると、殺害されたMir Zalam Khanの家族は、誰に殺されたか語っていない。ネックの組織がこれらの事件と関わっているかどうかについては、「彼らは和平協定に従っており、事件とは関わりがないと述べている」と語った。

hoonArmy mulls posts in S Waziristan
Iqbal Khattak、PESHAWAR


■打撃を受けたタリバン、子供をリクルート[050724 AP]

数ヵ月間続いている激しい戦闘で打撃を受けたタリバンは、抵抗勢力たちに子供をを受け入れるように促し、家庭から息子1人を戦闘員として送り出すよう強制していると、米軍司令官が土曜日に語った。

戦闘によりタリバンの指令系統が崩れ、戦闘員たちは再結成できなくなっていると、米軍作戦司令官のJason Kamiyaが述べた。(中略)

抵抗勢力たちは、殺害され仲間に代わる新たな戦闘員を必死に募集しているという。各家庭に、「戦うために息子を提供する」よう、強制している地域さえある。(中略)

アフガン政府は、タリバン戦士たちはパキスタンのマドラッサから来ると繰り返し主張しているが、Kamiyaによると、現在タリバンはアフガニスタン国内から人材を集めている。

最近抵抗勢力が大きな打撃を受けたのは、4月以来3回にわたって、大人数で集まっているところを、空と地上から襲撃されたからだと述べた。6月に、170人の戦士たちが山岳部で殺害された。

「組織だった指令系統がなくなった。彼らが再結成し、組織立った攻撃をする方策をすべて破壊した」という。(後略)

hoonHard-Hit Taliban Recruiting Kids
DANIEL COONEY


■アメリカの努力にもかかわらず、パキスタンはテロの温床[050723 Wall Street Journal]

2004年3月、アルカイダのリーダーたちがパキスタンの部族地帯で話し合いのために集まった。パキスタンの諜報部によると、参加者のなかには、ビンラディンの作戦司令官といわれるリビア人がいた。別の参加者、Abu Issa al Hindiは現在アメリカでテロとの関係で告訴されている。この日の題目には、イギリスで攻撃を実施するための計画が含まれていたと、最近のアルカイダの逮捕に関わったパキスタン人高官が述べた。イギリスとパキスタンの治安部高官は、彼らと7.7攻撃との関連を探っているという。昨日もロンドンで、爆弾騒ぎがあった。2つの事件の関連性は今のところはっきりしない。しかし南アジアのアナリストと欧米の諜報部高官たちにとって、1つだけ明らかなことがある。パキスタンが、グローバル・テロリストたちの温床であり、後方支援の中心地だということだ。3年間、アメリカとパキスタンが、部族地帯からアルカイダやタリバンを一掃しようとしているにもかかわらずにだ。

(中略)昨日ムシャラフはテレビ演説で、イスラーム過激派の取り締まりを宣言した。(中略)しかし南アジアや欧米の高官は、あまり期待していない。その理由としてまず、パキスタン軍はカシミールで戦っている過激派を、たとえテロ組織と関わりがあったとしても、取り締まるつもりがないからだ。そしてムシャラフ政権は、イスラーム過激派に共感している政治政党と同盟を組んでいる。過激派たちはパキスタン陸軍内に大きな影響力を持つため、ムシャラフはなかなか取り締まりができない。最近のテロ捜査から、いつもパキスタンが浮上してくる。ロンドンの自爆テロ犯のうち3人は、最近パキスタンを訪れている。おそらくパキスタンで過激派組織と接触し、訓練を受けていたのだろう。去年の9月、バルセロナのスペイン警察は、パキスタン人組織を摘発した。この組織は1万8000ドルをパキスタンにいるアルカイダ工作員たちに送ったという。金の送り先には、ダニエル・バール記者を殺害した首謀者もいた。去年7月に逮捕されたコンピュータ技師のNaeem Noor Khanは、ロンドンのヒースロー空港やワシントンの世界銀行の建物の写真を持っていた。

(中略)さまざまな情報源によると、KhanはEメールで、イギリスにいるアルカイダ工作員と、南ワジリスタンの司令官に連絡をとっていた。(中略)Khanはバルセロナのパキスタン人ともつながりがあったようだ。スペインの組織は、彼にも資金を送金していた。(後略)

hoonDespite U.S. Effort, Pakistan Remains Key Terror Hub


■タリバン、裁判官を殺害[050723 BBC]

タリバンがアフガニスタン南部で、裁判官を銃で殺害した。土曜日にカンダハル州のPanjwayi地域で、裁判官のQazi Namatullahがバイクに乗った2人の男に殺害されたという。

土曜日に地元高官のMohammad Shafiも死亡した。前日Shawalikot地域で爆弾により、負傷した。

部族のリーダーたちは、ヌーリスタン州で誘拐された3人の選挙委員会の解放に向けて、交渉中だという。

garr'Taleban' shoot dead Afghan judge


■過激派結束し、リーダーは分裂[050723 Asia Times]

9.11の時と同様、パキスタンは再び軍隊とモスクとの間の分かれ道で、立ち往生している。

ただし大きな違いは、今回アメリカとイギリスがパキスタンの動向を注意深く見張っていることだ。その結果ムシャラフは、宗教的・政治的各方面から、大きな抵抗を受けるだろう。治安部隊は、全国から300人にものぼるイスラーム過激派容疑者を拘束した。

その結果パキスタン国内に、大きな変化が起きた。権力の回廊には大きな亀裂が生じ、いっぼう地下の過激派組織は一致団結したのだ。ムシャラフの木曜日の演説は、軍とモスクが決裂したことを表明するものだった。名前こそ出さなかったが、イスラーム協会を、逆進的組織と形容した。「彼らは1948年に、カシミールのジハードを非イスラーム的と宣言した−−イスラーム協会の創設者Syed Maududiが、カシミールを解放するためにワジール族を送り込むことに言及し、戦争は国家が宣言するものであり、市民が宣言するものではないと述べた−−それなのに今、彼らはインドとパキスタンの和平交渉を妨害している」。(中略)問題は、パキスタン陸軍が、宗教からの分離を受け入れるかどうかだ。

木曜日、警察はカラチのビノリマドラッサを捜索し、外国人学生数人を拘束した。MMAはこれに強く抗議した。マドラッサが政府にどう対応するかは、二次的なことである。問題は、今後政府が欧米の圧力に屈して「本気」に行動した場合に備えて、地下に潜った過激派組織が団結したことだ。

これまでの「取り締まり」は、どれも見せかけだった。組織はメンバーの逮捕を事前に知らされ、嵐が収まるまで辛抱するようにと言いきかせられた。いまや過激派も軍も、欧米をごまかせないことを承知している。(後略)

hoonUnited militants, divided leaders
Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■ムシャラフが過激派のマドラッサを閉鎖するまで、何事も変わらない[050722 Daily Telegraph]

(中略)今月になるまでロンドンにとって、テロ攻撃は遠く離れた国の出来事だった。しかしパキスタンにとっては違う。9.11以後、市民1000人と同数の治安部員たちが死亡した。

イギリスは、ムスリムの説教師にモスクや会議室、イギリス人ムスリムの応接間で憎しみを説く自由を与えていた。過激主義を広めるための印刷物やビデオが、ムスリム社会の奥深くにまで浸透していった。外部の者はこの現象を、イギリス独自のエキセントリシティーやリベラリズムと見ていたが、ここ数年間外国の諜報組織は、イギリスのだらしなさにかんかんになっていた。

7.7爆弾犯人4人は、イスラーム過激主義を学ぶためにパキスタンの学校やマドラッサに入学する必要はなかった。ヨークシャーでも、十分ことがたりたからだ。専門家たちは、去年パキスタンにやってきたロンドンの爆弾犯人たちは、思想を埋め込まれにやってきたのではない、と見始めている。すでに完全に洗脳されており、パキスタンでの日々は、爆発物の扱いの訓練を受けるために、アルカイダやパキスタンの過激派組織と接触して費やした可能性がある。

テレビで、リードにいるイギリスのパキスタン人の暮らしぶりを見たパキスタン人は、誰も彼らを社会に統合しようとしていないことを知り、ショックを受けたに違いない。リードは、まるでゲットーか、貧困に苦しむパキスタンの村のようだった。唯一の違いは、赤いレンガの家に住んでいることだけだ。

イギリス人ムスリムは、自分たちに混じって住んでいる過激派たちに対処していない。これは彼らの責任だ。過激派たちは社会に同化することや外婚を拒み、故郷から祈祷リーダーを連れてくることに固執する。外の世界を全く無視する人々である。

移民たちは、自分たちの伝統とホスト国が提供する現代化の間で板挟みになることが常だ。しかしアジア系ムスリムほど、現代化を宗教的に否定する人間はいない。これは恥ずべきことだ。

イギリス人の60パーセントが、ブレアのイラク政策に怒りを感じているが、ムスリム共同体においては、これはもっと強い。ブレアにとって、イラク政策を続けながらアジア系ムスリムの過激主義に対処することは、困難極まる。

ムシャラフは、過激主義の取り締まりをほとんどしていない。(中略)今週、250人以上が逮捕された。そしてムシャラフの昨晩のスピーチで、イスラーム過激主義に対してジハードを行なうよう、民衆に呼びかけた。しかし9.11以後、取り締まりはしばしば行なわれているが、逮捕者はほとんど釈放されている。

パキスタン人はこのような声明発表を、退屈に見守る。欧米のためのショーだと見ている。(中略)ムシャラフは昨晩も、過激派組織がコントロールするマドラッサを閉鎖する命令を出すことができなかった。2002年に彼が約束した改革は、実現されていない。ロンドンの爆弾事件が起きるまで、アメリカもイギリスもムシャラフになぜこれを実施していないか、問いただそうとはしなかった。

アルカイダのために動いている、パキスタンの過激派組織がコントロールするマドラッサは、今もなお自由に行動している。ラシュカレ・トイバは改称していまだに活動を続け、運営している最大のマドラッサの見せかけだけを変え、欧米の報道陣に見せるモデル校としている。

イスラーム原理主義の基盤は、いまだに存在している。単に一時的に休眠しているだけだ。訓練所がさまざまな場所に出現している。過激派組織のなかには、3回も活動を禁止されながら、再度改称して浮上するものものある。

9.11以後の欧米の失敗は、ムシャラフとのやりとりを、すべて秘密裏に行なってきたことだ。公然としたかけひきを実施し、軍が否定したりごまかしたりできなくすることだ。同時にイギリスは、これまで以上にムスリム少数派を社会に取り込むよう、多くことをしなければならない。

hoonNothing will change until Musharraf closes Pakistan's militant
madrassasAhmed Rashid、Lahore


■部族地帯で9人、撃たれる[050722 AFP]

アフガニスタンと接する国境地帯で、銃を持った男たちがアルカイダ捜索に協力した政府寄りの部族のリーダーたちを襲撃して、9人が殺害された。

金曜日に何者かが南ワジリスタンのワナで、部族の長老Malik Mirza Alamとその2人の兄弟、息子と甥を殺害したという。

Alamは2週間前にも命を狙われたが、そのときには逃げることができた。2年前には、息子を殺害されている。

これとは別に木曜日に南ワジリスタンのKurmaで、別の政府寄りの部族の長老Taj Mohammadが、タリバンと関係のある戦闘員に銃殺された。「戦闘員はMohammadの体に80発の弾丸を撃ち込んだ」という。

Mohammadは去年の10月、2人の中国人技師を誘拐した戦闘員に対する作戦が実施された際に、当局に協力していた。

北ワジリスタンではリモート・コントロール爆弾が爆発して、パキスタン兵3人が負傷した。(後略)

garrNine shot dead in Pakistan's restive tribal area near Afghan border
ISLAMABAD


■ムシャラフ、2方向を見て過激派との戦争を語る[050722 BBC]

ムシャラフ大統領は木曜日にテレビに出演し、パキスタン国内と国際社会の2方向を見て声明を発表した。

声明のほとんどは、国内の現実を浮き彫りにするために費やされた。しかし最も重要だったのが、外の世界の活発な援助や支持がなければ、パキスタンは過激派の問題に取り組むことはできないという事実だ。

ムシャラフが以前に発表していた発言で重要だったのは、パキスタンが「直接的または間接的」に過激主義とのつながりがあることを認めていることだ。「何かが起きると、我々は直接、あるいは間接的に関わっていたことが判明する」と述べた。「関わっている」のであり、「原因がある」のではないという。「過激派たちは、パキスタンを訪問したか、あるいはアフガニスタンに入るために経由したようだ」。

《過激主義の現実》

これは、イスラーム過激派と関係があることを率直に肯定するという、新たな政策の開始を意味した。

ムシャラフ将軍は、国家内の過激派と関係があるという現実を踏まえて、行動してきた。彼によると1980年代にアメリカに支援されたアフガン戦争の際に、2万〜3万人のイスラーム戦闘員たちが、パキスタンから世界各国に広がったという。資金や武器はすべてパキスタンを経由した。「彼らは今どこにいる?」と質問する。「全員がアフガニスタンにいまだにいるとは思えない」。大統領は質問をそこで切った。

彼らがその後パキスタンに来たことは、誰でもが想像するだろう。そして彼らはどのように受け入れられたのか?

《憎しみの拡大》

ムシャラフがいう、「正統的イスラーム思想」に従う者たちがいる。次に啓蒙され、教育を受けた者。そして最後に、アフガン戦争のおかげでイスラームをどうとらえるか、混乱している大多数の者たちがいる。

大統領によると、正当派は26年間、資金を集め、人材を求め、軍事訓練を提供し、過激派たちの力を借りて、憎しみを広める印刷物をばらまいてきた。ときに過激派たちは、パキスタンの主流派である宗教政党から、支持を得てきたという。

この彼の発言から、国家がイスラーム過激派に理想的な聖域を与えてきたと結論づけざるを得ない。

ムシャラフの国民に向けてのこの演説に、欠点を見いだすことはできない。パキスタン陸軍−−アフガニスタンで、パキスタンの親ジハード政策を計画、実行する組織−−の長官として、彼以上に、パキスタンで何が起きているか把握しているものはほとんどいないだろう。

重要なことは、大統領が語った問題に世界がどう反応するかだ。彼の対処の仕方は、多面性をもつ。

ムシャラフ将軍は、Organisation of Islamic Conferenceにおいて、これまで以上に大きな役割を得ることを望んでいる。さらに欧米からはいっそう活発な援助と支持を求める。これは過激主義を根絶するためだけでなく、ムスリム国家が、貧困のサイクルから抜け出るための援助である。

そして最後にしかも最も重要なのが、ムスリム世界を巻き込む抗争に深い思慮をもってほしいと、欧米社会に要求したことだ。

彼の演説を聞くと、欧米とムスリム世界が互いの争いを解決しなければ、過激主義の一掃は望めないように思える。

hoonMusharraf looks two ways in extremist fight
Aamer Ahmed Khan


■国境なきジハード[050722 Asia Times]

イラクのバース党とアフガニスタンのタリバンとの間につながりができた。(中略)

パキスタンの南ワジリスタンとアフガニスタンとの間の山中、そしてパグダッド南部でできあがった計画をそれぞれ母国に持ち帰り、侵略軍と戦おうとしている。

7月7日のロンドンの爆弾攻撃は、この計画の第一段階である。

Jaishul al-Qiba al-Jihadi al-Siri al-Alamiは、2003年の中頃に南ワジリスタンで結成された。Ansarul Sunnahも同じころ、バグダッドで結成された。この組織はクルド人、アラブ人、パキスタン人、アフガン人からなり、アメリカやその同盟国と戦うことが目的である。

この2組織は、資金を集めるためにその支部を世界中に作ろうとしており、さらにイラクのサマラとファルージャ、そして南ワジリスタンに存在する軍事訓練所に人員を集めることが、最大の目的である。

カラチで逮捕されたJaishul Qibaの男たちの取り調べから、組織はいくつかの支部に分かれ、それぞれに名前を与えたことが明かになった。ひとつがJundullahで、この組織は去年カラチで、警察司令官の車の行列を襲撃した。

Ansarul Sunnahは基本的にモスールとスレイマニアから統率していたが、現在はイラク中央部で活動している。当初リーダーたちはAnsar ul-Islamのクルド族だったが、後にバース党員や他のイスラームアラブ組織がAnsarul Sunnahに合流した。

2004年の終わりから今年の初めにかけて実施された南ワジリスタンの軍事作戦で、軍はアラビア語、英語、パシュトゥ語で作られた宣伝用CDを制作していたフィルム・スタジオを発見した。当記者が見たビデオ・クリップには、爆発物の製造法が紹介されていた。またパキスタン軍と部族民たちの戦闘場面もあった。

これらの制作物は、Jaishul Qibaが制作したものと同一であることがひと目でわかる。米軍は、イラクのサマラで同じようなものを押収している。

『Asia Times』が入手した情報によると、数ヵ月前にバグダッドで、多数のバース党員からなるイラクの抵抗勢力メンバーが、アフガン抵抗運動のタリバンとアルカイダに会った。そこで、お互い共通の目的を達成するための戦略を確認したのだ。

『Asia Times』は以前、都市部のゲリラ戦法の専門家、Mullah Mehmood Haq Yarについてと、戦争が開始する前に、オマール師が彼をイラクに派遣したことについて詳しく報道した。そこで彼はイラク北部でイスラーム組織と接触し、イラクの抵抗運動が用いている戦略をアフガニスタンに持ち帰ったのだ。

戦略の概要は、中央指令をなくし、抵抗運動を小さなグループに分散させ、それぞれの根拠地でゲリラ活動をするというものだ。力を1点に集めないことで安全性が保証され、それぞれの作戦が成功する可能性が高くなる。

パキスタンとアフガニスタンの国境地帯が無法状態であること、そしてイラクも同様に無法状態であるために、抵抗勢力たちは世界中から若者たちを募り、訓練することが可能になっている。

パキスタンの治安アナリストたちは、世界中から若者たちが南ワジリスタンのキャンプに来ては母国に帰っていくことは事実だ、と述べる。

現段階では、ロンドンの爆弾犯人たちはマドラッサを訪問したと言われているが、南ワジリスタンのキャンプに参加した証拠はない。(中略)

「抵抗運動は、地理的境界線を超えた世界的な動きになっている。人間の本能が刺激されてしまったのだ。デージー・カッターなどの兵器で破壊が行なわれるのを目撃したムスリムの若者たちは、自分たちの資金や居場所に応じて、ターゲットを定め始めたのだ」と、ISI元長官のハミッド・グル将軍が述べた。

「世界的な抵抗運動の拡大は事実だ。欧米はマドラッサを非難しているが、今回のロンドンの爆弾犯人といわれる若者たちは、欧米の教育を受けていたことも事実だ。アルカイダ幹部と同様だ。1〜2度宗教学校に行ったところで、若者たちに原理主義を植えつけることはできない。個人が出来事にどう反応するかが、問題なのだ。報道によると、若者たちはイギリス社会の一部だった。イギリス人たちのように生活し、ガールフレンドがいた。ごく一般的なイギリスの社会人と同じだ」。

garrJihad without borders
Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■ロンドン爆弾犯はパキスタンで逮捕されてない[050721 AFP]

在パキスタンのイギリス大使Mark Lyall-Grantは、メディアが報道しているように、宗教学校などの捜索でアルカイダ容疑者が逮捕されたというメディアの報道を否定した。

「7月7日以来、パキスタンではロンドンの爆弾事件と関係して逮捕された者は1人もいないということを、明らかにしたい」。「攻撃は海外の国家が実施したのではない」。「イギリス人が実施したことだ」。

後に報道陣たちに、「逮捕された者たちは、ロンドンの爆弾事件と関係がない。イギリスとパキスタンの報道関係者たちの間では、行き違いがいろいろある」。「しかし攻撃に関して、追跡するべき手がかりがあることは確かだ。パキスタン当局とは、このことに関して協力している」。(後略)

hoonNo Pakistan arrests over London bombings: British high commissioner
ISLAMABAD


■逮捕された200人のなかにイギリス爆弾犯[050721 Daily Times]

パキスタンはロンドンの爆弾事件と関連して、イギリス系ムスリムを含めたイスラーム過激派200人を逮捕した。

法関係者が火曜日の夜遅く、Sargodha地域のQasimul Uloomマドラッサで、ハルーン・ラシッド・アスワットを逮捕したと情報源が『Daily Times』に語った。治安関係者によると、爆発物やドルの現金、地図などを押収したという。

しかしラシッド情報相は『Daily Times』に、逮捕されたのはハルーン・ラシッドで、メディアが報道しているように、ハルーン・ラシッド・アスワットではないという。

諜報部高官によると、男がアスワドでなかったとしても重要人物であることは確かで、ロンドンの爆弾事件の解決の糸口になる可能性があるという。「取り調べのために、ラホールに連れていかれた」。(後略)

hoonUK bombing suspect among 200 held


■アルカイダ幹部、犯行の直前に爆弾犯に電話[050721 The Times]

ロンドンのテロ攻撃と関係のあるイギリス人アルカイダ幹部が、昨晩パキスタンの警察の取り調べを受けた。この男の所持していた携帯電話の記録から、自爆テロ犯たちに電話をかけていたことがわかった。

スコットランド・ヤードは、爆弾事件が起きる数時間前にイギリスから出国したハルーン・ラシッド・アスワットの行方を追っている。

アスワットは爆弾犯人の1人と同じ西ヨークシャーの出身で、攻撃の最終計画を検討するために、事件の20日前にイギリスに到着したといわれる。4人が自爆する数時間前に、自分の携帯電話で自爆チームと話した。

3年前から欧米の諜報部組織はアスワットに注目しており、アメリカにアルカイダのキャンプを作ろうとしていたとして、FBIから嫌疑をかけられている。マドラッサで逮捕されたとき、偽名を用いてビジネスマンのふりをしていたという。イスラマバード近郊のSargodhaのモスクで、パキスタンの諜報部に逮捕され、刑務所に入れられた。

治安部の情報源によると、多数の銃で武装し、自爆ベルトを装着、1万7000ポンドを所持していたという。イギリスのパスポートを持ち、アフガニスタンに逃走しようとしていた。

自爆テロ犯のうち2人と一緒にマドラッサにいたと思われるアスワットは、そのうちの1人、ムハンマド・スィディーク・カーンが7.7攻撃の朝に、アスワットに電話をかけてきたことで取り調べられているという。

諜報部の情報源によると、2人の自爆テロ犯とアスワットの間で、事件当日までに合計20回の通話があったという。パキスタンの治安部の情報源は、「この男がロンドンの事件で重要な役目を果たしていたと思う」と述べた。

イスラマバードの高官によると、ロンドンの事件と直接関係した8人の男がおり、シャーザッド・タンウィールと直接電話でコンタクトをとっていたという。

アルワットは過激派組織に10年在籍し、アフガニスタンのKhaldenにあったキャンプでビンラディンに会ったらしい。

『The Times』が入手したFBIの記録によると、アスワットは1999年にロンドンにいたイスラーム聖職者により、オレゴンにキャンプを作るために派遣された。(後略)

garrTop al-Qaeda Briton called Tube bombers before attack
Zahid Hussain、Islamabad、Daniel McGrory、Sean O’Neill


■9.11以後、7.7がイスラマバードを震撼[050721 Daily Times]

火曜日に政府は、今年の初めに着手しながら放棄していた仕事をやっと開始したようだ。マドラッサやモスクに捜査官たちを派遣し、「憎しみ」を植えつける印刷物を所持していた100人近い者たちを逮捕した。ブレア首相がパキスタンに、テロを教えたり訓練しているマドラッサを摘発するように要求した直後のことである。(中略)

イスラマバードでは、約40人が逮捕された。国会野党のMaulana Fazlur Rehmanの個人秘書であるMufti Ibrarも、逮捕者に含まれている。Lal Masjidモスクを含む、8つのマドラッサが取り調べを受けた。このモスクはデオバンド派の最も有力なモスクで、シーア派との宗教抗争と関わっている。この他に、Jamia Farooqia、Madrassa Jamia al-Umar、Rana Marketと I-8/3にあるマドラッサが取り調べを受けた。

以前も政府はLal Masjidモスクを取り調べようとしたが、イムラン・カーンのような政治家が介入して、中止された。Lal Masjidモスクのイマームは、ライバルの宗教組織から何度も暗殺されそうになっているが、その都度免れている。警察は、捜索を妨害しようとして集まった約6000人の学生男女に、立ち向かわなければならなかった。Lal Masjidモスクのイマームは、これまでも同様、やすやすと逃走した。

パンジャーブでも取り締まりがあった。ラホールだけで、これまで敵対心があるとして名前が挙がっていなかったマドラッサから、30人の過激派が逮捕された。Khushab、Faisalabad、DG Khan、ムルタンでも取り締まりがあった。これらはデトバンド派や、アラブ人スポンサーと関係があるAhle Hadithの中心地として知られており、国内の「慈善家」からも支援されている。ある情報源によると、「慈善家」の寄付は1400億ルピーにのぼるという。そのうち90億が現金だ。(中略)

問題は次のようである。ロンドンの爆弾攻撃を受けて、ムシャラフは地方政府の選挙を目前に迎えた混乱や、北西辺境州のヒスパ法案採用の危機を解決するために、上層部の協力を得ることに成功しただろうか。「パキスタンは9.11以後に出した選択と同じ選択をすることを強制された。これにより、ムシャラフが望みさえすれば、彼は野党を敗北させ、啓蒙的な穏健主義という彼の政策を勝利させることができるだろう」とアナリストはみる。9.11以後に約束したことを実行するために、7.7まで時間がかかったことは残念なことだ。貴重な時間は失われてしまい、敵に行動する時間を与えてしまった。今さら、戻れない。

hoonAfter 9/11, it has taken 7/7 to shake up Islamabad


■イギリス、7.7攻撃と関連して、聖職者の腹心を捜索[050721 New York Times]

爆弾テロリストの捜索をしている警察は、イギリスの最も過激なイスラーム原理主義者の前腹心の行方を追っている。イギリスとヨーロッパ、アメリカの諜報官や警察は、この男が7.7攻撃で重要な役目を果たしたと疑っている。

ハルーン・ラシッド・アスワット(31)は、イングランドのデューズベリー出身で、ロンドン北部のフィングベリー・パーク・モスクで説教をしていた盲目で片手の原理主義聖職者、アブ・ハムザ・アルマスリの腹心だった。2004年4月に逮捕されたアルマスリは、若者たちにアフガニスタンやイラクなどでジハードをすることを勧めていたとされ、テロに関係した容疑でアメリカに引き渡されることになっている。

諜報部員や警察によると、アスワットは6年前にオレゴンで、軍事訓練キャンプを設営する計画にも加わっていたという。

スコットランド・ヤードは、アスワットが4人の爆弾犯人たちに協力していたとみている。アスワットが爆弾犯人たちとどう関わっていたかは、明らかにされていない。ある高官によると、アスワットは4人の爆弾犯人の1人のムハンマド・スィディーク・カーンと同じデューズベリーで育ったという。水曜日にアスワットの家族が、ここ10年間、彼は家族のもとに戻っていないと述べた。

アスワットの行方はわかっていないが、捜査官幹部によると、イギリスにいないことは確かだという。高官たちによると、アスワットはパキスタン出身ということだが、家族の近所の住民によると、インドのグジュラート出身だという。

「まだ彼を首謀者と決定したのではない」と、アメリカ人高官が述べた。「まだ証拠はない。彼の関係者を調べている段階だが、可能性はある」という。

アメリカ人高官と2人のヨーロッパ人高官によると、アスワットは1999年末と2000年初めにオレゴンに数週間滞在し、アルカイダの訓練所を開こうとしていたという。彼の名前はオレゴンの事件と関連した裁判所の記録には記載されず、告訴もされなかったが、タリバンに協力したことで有罪になったJames Ujaamaと関係していたらしい。Ujaamaは現在、アルマスリに対して提出されている合衆国テロ告訴状の証人である。

アメリカ人高官は、現在指名手配になっているアスワットが、オレゴン事件のアスワットと同人物かどうか確認されてはいないと、注意を促した。

アスワットは、1990年代後半にビンラディンと会ったといわれる。アルカイダが運営していたアフガニスタンとパキスタンのキャンプで、訓練を受けたらしい。

最近になってアスワットは、ロンドン爆弾事件の首謀者を捜索している捜査班たちから注目されるようになった。スコットランド・ヤードは、4人の爆弾犯人たちは、戦略的、資金的、技術的援助を外部の者から受けていたと見ており、アスワットには、それだけのリーダーシップをとる能力があったという。

アスワットに関する捜索は、今週になってパキスタンで活発になった。パキスタン政府高官によると、アスワットと名前が似ている2人の男が逮捕されたが、その後関係がないとして釈放されたと語った。

別のパキスタン人諜報官は、アスワットは1999年以来、イギリスで犯罪捜査の対象となっていたというが、イギリスの高官はこの件に関しては何も語っていない。メトロポリタン警察は以前、イギリスの「要注意人物」リストに入っている男が、7.7事件の2週間前に、フェリーでイングランドに入ったと述べている。その後この男は、爆弾事件の朝か前夜に、ヒースロー空港から出国した。この男がアスワットかどうかは、明かにされていない。

ヨーロッパやアメリカの高官は、アスワットは2001年のアメリカによるアフガニスタン爆撃で死亡したと報告されていたが、捜査官たちが今になって、まだ生存していると言い始めたと述べた。

ムシャラフ大統領に近い高官によると、イギリスの捜査官がパキスタン高官に、アスワットがパキスタンを2003年に訪れたと述べたという。アスワットがパキスタンに入国した記録は、今のところまだ発見されていないようだ。

200人以上の過激派が、最近のパキスタンの取り締まりで逮捕されたが、これらの逮捕は爆弾事件とは関係がないと、パキスタン人高官は主張する。

パキスタンの捜査官は、ロンドンの爆弾犯人の動きを捜査中だという。(中略)タンウィールは2004年から2005年にかけて、ファイサラバードの叔父の家に滞在したらしい。(中略)

アスワットは、フィンズベリー・パーク・モスクのウェブサイトを制作し、アルマスリの説教を世界に普及させることに協力していた。

アメリカの警察は、アルマスリをイギリスからアメリカに連れてきて、オレゴンの訓練所事件に関して告訴しようとしている。彼の引き渡しに関する裁判が7月5日に開始され、ロンドンの爆弾事件の朝にも、裁判が行なわれていた。

アルマスリはオレゴンの事件だけでなく、アメリカ人2人を含む観光客16人を1998年に捕虜にした、過激派グループを援助した罪に問われている。イエメン治安部隊が救出作戦を実施した際に、捕虜4人が殺害され、残りが負傷した。

アルマスリの説教を受けた者には、靴爆弾犯人のリチャード・リードがいる。

イギリスの捜査官はアスワットの行方を探すとともに、2004年の春に、パキスタン系イギリス人8人が、1300ポンドの爆発物を所持していたことで逮捕された事件との関係を調べている。爆弾犯人のうちの2人は、この8人と関係があったという。このとき、パキスタン系カナダ人も逮捕された。(後略)

garrBritish Seeking Cleric's Top Aide in Connection With July 7 Attack
DON VAN NATTA JR.、LONDON


■パキスタンの取り締まりで拘束者多数[050720 BBC]

パキスタンの警察が宗教学校やモスクなどを捜索し、200人を拘束した。(中略)

Lal Masjidとして知られているイスラマバードにあるモスクと、それに付随した宗教学校は、活動を禁止されている過激派組織を支持しているといわれている。武装した警察官が真夜中に学校に入り、聖職者2人と学生15人以上を拘束した。

その後数百人の学生が学校の外に集まり、アメリカとムシャラフに反対するスローガンを繰り返した。警察が催涙ガスを撃ち込んだ。

治安部高官によると、パンジャーブ州の3つの都市で、70人以上が拘束されたという。北西辺境州では活動を禁止されている過激派組織のメンバーだとして、40人が逮捕された。

治安部高官が『BBC』に語ったところによると、今回の取り締まりは、ロンドンの爆弾犯人との関係を探るためだという。しかしラシッド情報相は、逮捕者の中にロンドンの爆弾事件と関係のあるイギリス人ムスリムが含まれているという報道を、否定した。「逮捕されたのはアルカイダ容疑者ではない。メディアが報道しているような、アルカイダの人間ではない」という。ラホールでロンドンの攻撃と「直接関係のある」男が逮捕されたという報道も、確認できなかった。(後略)

hoonScores detained in Pakistan raids


■パキスタンの取り締まりは見せかけか[050720 New York Times]

3年半前、ムシャラフは過激派の取り締まりを誓った。「国内外でテロリズムと関係するすべてのパキスタン人に対して、厳しく対処する」と語った。

今週になって、ロンドンの爆弾犯人のうちの3人が去年パキスタンを訪れたことが判明した。政府の約束や否定にもかかわらず、過激派はパキスタンでいまだに活動している。マドラッサは海外で戦う過激派予備軍を教育し、募集している。2002年に逮捕されたこれらの過激派のリーダーやメンバーは、再び日常生活に戻っている。過激派の軍事訓練所も存在する。欧米外交官によれば、「単に住所を変えただけ」だという。

パキスタンは再び取り締まりを約束した。しかし今回の取り締まりは、以前とどう変わるのだろうか。

月曜日に『Daily Times』が、「パキスタンはいまだにテロリズムの発進地か?」という記事を掲載した。

もしロンドンの容疑者たちが過激派とコンタクトをとるためにパキスタンを訪れたとしたら、やってきたのは彼らだけではないはずだと、アメリカやパキスタンの高官は語る。5月に別のパキスタン系イギリス人Zeeshan Siddiqueが逮捕されている。現在、ロンドンの事件やイスラーム原理主義者たちと関係があったかどうか、取り調べを受けている。Siddiqueの日記によると、2005年3月6日に、彼の仲間の1人が「びびっている」ことを嘆いた。またその1週間あと、「ワゴンが中止になった」ことを知る。イギリス人高官は、「ワゴン」が何を意味するのか、何らかの攻撃を意味するのかどうか、捜査中だという。

火曜日にイスラーム政党のリーダーが、ロンドンの事件と関連して、警察が組織の幹部高官を逮捕したと発表した。イスラマバードの中心で、警察は2つのモスクの手入れを実施し、怒った数百人の学生たちが抗議した。

パキスタンの高官は、ロンドンの攻撃におけるパキスタンの役割を安易に結びつけてはならないと警告する。訓練所の存在も否定する。マドラッサの改革も行なわれているという。過激派組織は公的に活動を禁じられ、アルカイダやタリバンと対決して、数百人の兵士たちが死亡したと述べる。

「パキスタンを訪問したといっても、必ずしも爆弾事件と関係があるわけではない」と、外務大臣報道官のNaeem Khanが火曜日に述べた。「ムシャラフは過激派やテロがパキスタンで育つことを許さないと、繰り返し述べている。パキスタン政府は取り締まりに全力を注いでいる。少しずつやっていかなければならない」。

しかし外交官やアナリスト、また宗教リーダーたちでさえ、この言葉には説得力がないという。ラホールのある政府寄りの宗教リーダーが言うには、取り締まりにもかかわらず、いくつかのグループは活動することを密かに許されているという。

「かつてしていたことを、今でもしている」と、デオバンド派のマドラッサの責任者Ajmal Qadriが述べた。「人間を集めている。カシミールで活動している。訓練も続けられている。公的には活動を禁止されているが、実際には活動している」。

彼のマドラッサの前には、いまだに組織の軍事部門の看板がかかっている。ジャミアット・ウル・ムジャヒディン。Qadriは、組織は軍事キャンペーンには関わっていないと主張する。

彼は、過激派の活動を取り締まるというムシャラフの方針を尊重しているという。また賛同者が多い宗教過激派の取り締まりを、厳しくしても意味がないとも語る。ロンドンの爆弾事件のあと、厄介なことが起こるとも思わないと述べた。

その証明として。前ラシュカレ・トイバの会長Hafiz Saeedが、2002年にムシャラフが演説をした直後に逮捕された。しかし1年後、ラホール裁判所の命令により釈放される。彼は軍事部門との関係を回復し、新たに政治部門、Jamaat-ud-Daawaを開始し、137のマドラッサを抱えている。報道官を通してSaeedは、女性ジャーナリストからインタビューを受けることを拒否してきた。

garrTo Many, Talk of a Crackdown in Pakistan Seems Hollow
SOMINI SENGUPTA and DAVID ROHDE、ISLAMABAD


■パキスタン、イギリス人ムスリムを逮捕[050720 Reuters]

パキスタン治安部は、ロンドンの爆弾事件と関連したと疑われているイギリス人ムスリムを逮捕したと、パキスタン人諜報部員が述べた。

Haroon Rashid Aswadが今週の初めに、ラホールで逮捕された。パキスタン人高官は、Aswadの逮捕は確認されていないと述べた。

hoonPakistan arrests UK Muslim suspect in London bombs
ISLAMABAD


■パキスタン、ロンドン爆発事件と関連して、7人を逮捕[050719 AP]

パキスタン警察は火曜日に、ロンドン自爆犯と関係があるとして、7人のイスラーム過激派を逮捕したという。また国内の取り締まりで、過激派と関係のある82人を逮捕した。

(中略)ある警察高官によると、逮捕された7人はラシュカレ・ジャングヴィとジャイシェ・ムハンマドのメンバーだという。(中略)このうちの5人はパンジャーブ州で最近逮捕され、残りの2人はスィンド州で昨晩逮捕された。(後略)

hoonPakistan Holding Seven in London Probe
ASIF SHAHZAD、LAHORE


■5人のRAW工作員、カラチで逮捕[050719 News]

警察が月曜日に、インド諜報部Research and Analysis Wing(RAW)と関係がある男5人を逮捕した。何らかの妨害行為をしようとしていたという。警察はピストルや爆発物なども押収した。逮捕された5人は、スィンド州内陸部にあるテロ組織の活動家である。

カラチの警察高官によると、軍の諜報部からの情報でアル・ファラ警察管轄区を捜索して、男たちを逮捕したという。

2005年3月に既に逮捕されている、今回逮捕された5人の仲間が明かした情報によると、バローチスタン州のSibiから30キロほど入った場所にあるキャンプで、武器の扱いや爆弾作りやテロ活動の訓練を受けているという。(後略)

hoonFive RAW agents arrested in Karachi
KARACHI


■イギリス人容疑者、パキスタンを訪問[050719 AP]

ロンドン自爆犯の容疑者4人のうちの3人が、去年カラチを訪れていたことが判明したと、入管官吏局が述べた。

そのうちの1人は、2004年7月にカラチに到着した。2004年11月には他の2人が同じ飛行機に乗って到着し、同機で2月にロンドンに戻ったと連邦捜査局のShahid Hayyatが述べた。

ハシーブ・フセインが2004年7月15日に、サウジアラビア航空機でカラチに到着した。シャーザッド・タンウィールとムハンマド・シィディーク・カーンの2人は、トルコ航空航空機で2004年11月19日にカラチに到着、2004年2月8日に再び同機で戻っている。

『NBC News』が欧米諜報部高官による話として月曜日に報道したことによると、アメリカに拘束されているアルカイダ工作員Mohammed Junad Babarが捜査官に、カーンをパキスタンの訓練所に連れて行ったと話しているという。(後略)

hoonOfficial: U.K. Suspects Visited Pakistan
ZARAR KHAN、KARACHI


■タリバン司令官幹部と4人の幹部部下、拘束[050719 News]

タリバン幹部高官Mulla Mohammad Kabirとその部下4人が、ノーシェラ地方で逮捕された。ラシッド情報相は、この逮捕を確認していない。

政府関係者も今回の逮捕については、口を閉ざしている。また逮捕された者の身元も、一般には明かされていない。逮捕が真実だとすると、パキスタンで逮捕されたタリバンリーダーとしては、もっとも重要人物といえる。

さまざまな情報源から入ってきた情報を照らし合わせると、ノーシェラのAkora KhattakとBab-i-Jadeedで捜索が行なわれて、逮捕が実施されたという。ある重要な宗教指導者が、Mulla Kabirをはじめとしたタリバンの逮捕を確認した。ノーシェラの警察も、逮捕のことは聞いていると述べた。

Mulla Kabirは、ナンガハール東部の州知事だった。Kabirとビンラディンは2001年11月末か12月初めに、ジャララバードからトラボラ山脈に移動した。

Mulla Kabirとともに逮捕されたのは、タリバン運動で重要な役目を果たしていたMulla Abdul Qadeerである。戦士の募集やタリバン軍に補給物資を調達する役割を負っていた。一時は、ペシャワルのタリバン事務所を運営していたこともある。タリバン政権崩壊後は、地下に潜った。

オマール師のために一時働いていたこともあるMulla Abdul Haqも、逮捕された。オマール師の腹心とも言われているが、これは誤りである。しかしカンダハルにいた頃、オマールのそばで活動していたことは事実である。

Mulla Kabirの弟Mulla Abdul Azizも、一緒に逮捕されたといわれる。Azizは、Mulla Kabirがナンガハル知事だったころに、アシスタントとして働いていた。ノーシェラで逮捕された5人目の身元は、現在のところ分かっていない。

情報源によると、Mulla Kabirは3日前にPabbi町のそばのBab-i-Jadeedで逮捕されたが、逮捕は公表されなかった。パキスタンのさまざまな諜報組織や対テロ専門家とともに、CIDパンジャーブとCIDペシャワルの人間が、捜索に加わった。コンピューター・ディスクや書類、車輌など、さまざまな物品が押収された。逮捕者が住んでいた借家の持ち主も、一緒に逮捕された。

Bab-i-Jadeedの捜査から得た情報にもとづいて、Akora Khattakにあるキャンプに捜査が移り、残りのタリバンたちが逮捕された。捜査は日曜日の夜に実施された。情報源によると、タリバンのリーダーたちが衛星電話を用いて会話をして客をもてなしていたために、囮にはまったという。

いっぽうラシッド情報相は、Mulla Muhammad Kabirの逮捕を確認していない。

hoonTop Taliban commander, four senior colleagues held
Rahimullah Yusufzai & Mushtaq Paracha、PESHAWAR/NOWSHERA


■アフガニスタン、タリバン逮捕を歓迎[050719 AP]

アフガニスタンは火曜日に、パキスタンでタリバン幹部5人が逮捕されたという報道を歓迎すると述べた。しかしそのうちの1人がオマール師の腹心だという報道を、否定した。

パキスタンの諜報部が『AP』に語ったところによると、逮捕された者のうちの1人Maulvi Abdul Qadeerは、タリバン特別議会の会長で、オマール師の腹心だと述べた。しかしアフガニスタン国防省報道官のMohammed Saher Azimiは、「事実ではない」と述べた。「タリバンのリーダーのなかには、Qadeerという名前の男はいない」という。

匿名のタリバン前幹部も、Qadeerはタリバン幹部ではなく、オマールのアドバイザーだったこともないと言う。

パキスタン高官によると、5人のうちの別の1人はAbdul Kabirで、アフガニスタンのナンガハール前州知事だったという。(後略)

hoonAfghanistan Welcomes Arrests of Taliban
AMIR SHAH、KABUL


■パキスタン、タリバン高官を逮捕[050719 Reuters]

パキスタンの治安部隊が、パキスタンの北西部でタリバン高官を逮捕したという。パキスタンの新聞が、オマール師の腹心であるMawlavi Abdul Kabirが逮捕されたと報道した。(中略)

パキスタンの『Afghan Islamic Press』が、Kabirが逮捕されたことをある情報源が確認したと報道したが、タリバン報道官のラティフ・ハキーミは、これを否定した。「そのような報告は聞いていない」。「今朝、彼の親戚や友人とコンタクトを取ったが、全員これを否定した」という。

ハキーミによると、Kabirはタリバンの政治委員会の責任者ということで、オマールに次ぐ地位に就く。Kabirは4月に、カルザイ大統領と和解したという根拠のない噂を否定している。Kabirはタリバン政権が存続していた頃、アフガニスタン東部の最高軍事司令官だった。

アフガンの情報源によると、ビンラディンを含めたアルカイダ幹部が、トラボラから安全に逃げるためのおぜん立てをしたという。(後略)

hoonPakistan holds suspected Taliban officials
ISLAMABAD


■パキスタンはテロリズムの発射台か?[050718 Daily Times]

パキスタンのマドラッサは、ロンドンの自爆犯3人と関わりがあったことを否定しているが、パキスタンの諜報部員によると、3人が去年の11月から今年の2月にかけてパキスタンを訪問したことは明らかだという。

ムハンマド・スィディーク・カーンとシャーザット・タンウィールは、ラホール、またはパンジャーブ州の別の町に滞在したといわれる。最年少のハシーブ・フセインは、カラチを訪れたようだ。パキスタンから帰った6ヵ月後、彼らはテロ行為に走る。この6ヵ月の間に、アルカイダのマニュアルに従って、爆弾の作り方を専門家から学んだ。

パキスタンの警察は、彼らの足取りを捜索している。ラホール、ファイサラバード、Gujranwala、Toba Tek Singh、Kamaliaが捜査の中心だ。ファイサラバード、Toba Tek Singh、Kamaliaからは、4人が逮捕されたといわれる。別の1人がラホールで逮捕された。

インドからは、テロ訓練所がいまだに存在している証拠があると主張され、アフガニスタンからは「パキスタン人」タリバンを非難されているパキスタンは、今後さらに守りの体勢に入るだろう。また先週はパキスタン領内で、24人のタリバン(ウズベク人3人とスーダン人1人を含む)が米軍によって殺害されたために、北ワジリスタンでは感情的になった地元部族民数千人が、その葬儀に参加した。いっぽう以前アブドゥッラー・マフスードを取り逃がしてしまった軍は再び部族地帯に入り、アルカイダと関係があるといわれる新たな抵抗勢力たちを捜索している。

警察はパンジャーブ州で、アルカイダと関係のある過激派の捜索を開始した。ムシャラフは、パキスタンの治安が思うようにいっていないことを明らかにし、活動することを禁止され、新たな名前のもとで活動している過激派たちの取り締まりを命令した。ムシャラフによると、過激派が行動していることは今まで知らず、今初めて知らされたと述べた(ムシャラフが特別命令を出したとしても−−出すはずはないが−−、ラシュカレの会長が手錠をかけられることを想像する者はいない)。真実は、3つのジハード組織(自分を殺そうと計画したメンバーがいる)が公然と活動し、政府は気にしていないことに気づいたウルドゥー語新聞は、組織についておおっびらに書き立てている。少なくともラホールにいる1人のリーダーは、定期的にウルドゥー語新聞に登場し、ムシャラフの「親米・親印」政策を非難している。このリーダーの「改称した」組織は非常に有名で、野党の政治家たちを堂々と集会に招き、パンジャーブ州政府もそれを黙認しているのだ。ビンラディンと個人的に親しい別の「リーダー」は、イスラマバードにある居心地の良い、高級邸宅を離れたことはない。定期的に「摘発」はされるが、告訴されたことはない。

パキスタンのジハードの歴史において、大きなマドラッサはイスラームの名のもとでイスラーム主義者がテロを実施するために、利用されてきた。アルカイダは宗教闘争には関わらないとされるが、パキスタンにいるその仲間は宗教闘争に没頭し、ジハードの別の側面を衆人にさらしている。カラチの有名なDarul Ulumたちが、この抗争で殺害された。この内輪もめのために、カラチは国際テロリストたちのテロ訓練所というレッテルを貼られた。インドネシア人爆弾犯が育っただけでなく、タイのパッターニー数百人も育った。タイの未来は、おそらくムシャラフが警察官に命令を下したときに名前が出たはずのジハードのリーダーたちによって、ラホールのムルタン道路上で決定されたといわれる。

ヨーロッパのイスラーム過激派は、マドラッサではなくモスクで育った。2001年にアメリカを攻撃したハンブルクの組織“19”は、ハンブルクのAl Qudsモスクのモロッコ人聖職者の魔法にかけられた。全員がKhalid Shaikh Mohammadの指導のもとでアフガニスタンに向かう途中、アルカイダの接触を受けた。Khalid Shaikh Mohammadはクウェートから資金援助を受けながら、カラチに何年も住んでいた。(中略)

不運にも、パキスタンはアルカイダ計画を実行するための、世界的な発射台であるかのようになってしまった。ムシャラフがISIを取り締まり、テロ訓練所を封鎖したあと、パキスタンのテロ・ハイウェイは封鎖されたと誰もが思ったはずだ。だから世界は、「啓蒙的で穏健な」パキスタンのイスラーム主義者に憤りを感じるのだ。そしてだからこそ、精神的なものであるかのように振る舞いながら、実際は金銭で動いている 「成長中」の組織を取り締まることが、パキスタン自身にとって重要なのだ。

hoonIs Pakistan still a launch-pad for terrorism?


■殺害された17人はカザフ人だったとパキスタン[050718 AFP]

パキスタン軍によると、国境付近で銃殺された戦士17人は全員カザフスタン出身者で、女性や10代の若者たちが含まれてたいという。

「全員カザフスタン出身者だった」と、軍報道官のショーカット・スルタンが述べた。(中略)「全員訓練された戦士だった」という。女性や若者たちも、爆発物を扱う訓練を受けていたと付け加えた。

地元高官や長老たちが2時間にわたって投降を説得したが、車で逃走しようとしたために、銃撃戦となったという。軍が車を制止しようとしたところ、女性たちが手投げ弾を投げたという。(後略)

hoonPakistan says all 17 militants killed in gunbattle were from
KazakhstanISLAMABAD


■アフガン戦争戦犯の名前[050718 New York Times]

アフガン戦争の戦犯のリストが、人権団体によって日曜日に発表された。そのうちの多数が、予定されいてる国会選挙の候補者として、名前が登録されている。(中略)

アフガン選挙委員会は先週、権利の失効を疑われる立候補者208人のうち、11人だけが軍事組織と関係しているとして無効にした。11人のうちの1人は重要な司令官だったというが、残りは中堅的な地域司令官らしい。

(中略)人権団体のリストのなかで特に注目されるのが、内相として警察の支配権を持つSayyid Muhammad Gulabzoiと、国防相としてアフガン軍を管理しているShahnawaz Tanaiである。Gulabzoiはコースト州から国会議員に立候補している。Tanaiが設立した新政党は、現在立候補者を調整している。

ソ連撤退後に権力の座についたムジャヒディンの党派も、残虐行為の名目で非難されている。党派のリーダー、また司令官個人の名前も挙がった。公的な役職には就いていないが、ジハード政党のリーダーとして影響力が強いラスール・サイヤーフ、去年カルザイと大統領選挙で対抗したムハンマド・モハケークの名前も挙がっている。また軍事的な地位を保っているドスタム将軍もいる。さらに現在副大統領のカリム・カリールも、1990年代の党派司令官として、名前が挙げられた。

1993年にカブールのAfsharで起きた有名な虐殺事件に部下たちが直接関与したとされるHajji Sher Alamは、最近ガズニ州知事に任命された。(中略)タリバン政権時代のタリバン司令官の名前も、列挙されている。現在アメリカに拘束されている者もいれば、いまだにパキスタンに隠れている者もいる。(後略)

garrReport Names Abusers in Afghan Wars
CARLOTTA GALL


■北ワジリスタン攻撃で18人死亡[050718 News]

土曜日に、ミランシャー付近の枯れ沢を走っていた車に軍が発砲し、兵士を含む18人が殺害された。

地元民によると死亡者17人は、政府の指示に従って北ワジリスタンのアフガン難民キャンプからアフガニスタンに移動していた難民だったという。しかし当局は外国人だったと主張し、メディアは戦闘員だったと発表した。

死亡した兵士は、車の乗員との銃撃戦で死亡したという。

この事件で、75歳と35歳の女性2人と、1才の男児と生後半年の女児4人が負傷した。負傷者たちはパシュトゥ語を話し、見かけからアフガン難民だったという。

事件は北ワジリスタンのWaziri Kotで発生した。破損したトラックを見たレポーターや地元部族民によると、ティーポットや鍋、衣服などの日常品が残っていたという。家族が所持品を持って移動していたようだった。

北ワジリスタンからアフガニスタンに帰還するアフガン難民たちは、通常このミランシャーからThallのルートをとり、その後クラム行政区のBagzaiとKacha Pakhaを通過してコーストに入る。国境のGhulam Khan村を通過することを禁じられているために、この迂回ルートを辿るのだ。

北ワジリスタンの行政官Tariq Hayatによると、銃撃戦で車中にあった手投げ弾などの火器が爆発したために、大きな犠牲者が発生したという。

外国人がいるという密告を受け、軍や準軍隊が土曜日の夜に捜索を開始した。夜間、密かに逃走を企てた抵抗勢力である可能性が高い、ということだった。そのため、アフガニスタンに入るルートが厳重な監視下に置かれた。真夜中、ミランシャーの夜空は約3時間、軍の銃撃で明るくなった。

軍はトラックを軽・重火器で攻撃し、ロケット弾が命中したという。トラックは炎上し、激しく損傷した。姿形をとどめない遺体も多く、負傷した4人の生存は奇跡に近かったという。

軍報道官のショーカット・スルタン中将が、交戦で兵士1人が死亡したと発表した。また軍は爆発物や弾薬、爆弾製造機を回収したという。カザフ国籍のパスポート4冊も回収され、死亡者の国籍が推察される。このほかにカザフ語で書かれた日記も、回収された。

報告によると、外国人戦士が孤立した場所になる建物にいるという情報を受け、治安部隊がこの建物を捜査したところ、テロ攻撃に用いるさまざまな道具が発見されたという。この捜索の最中に戦闘員たちが2台のトラックで逃走しようとした。トラックは停止するように命令されたにもかかわらず、これを無視し、戦闘員たちが銃撃してきた。これに受けて軍が発砲し、トラック1台を破損させ、2台目を停止させた。行政官や地元の長老たちが、女性数人を含むトラックの乗員に投降するように説得した。説得は2〜3時間続いたが、戦闘員たちが女性を盾に、逃走しようとした。

再び軍が発砲したために、戦闘員や女性がトラックから銃撃しはじめ、手投げ弾を投げた。これで兵士1人が死亡した。軍は戦闘員を殺害し、負傷者を逮捕したという。地元の協力者16人も逮捕された。

hoon18 killed in North Waziristan attack
MIR ALI


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2005.