【2005年8月1日〜8月7日】


■テロリスト、作戦基地をウェブに変更[050807 Washington Post]

2001年11月にジャララバードの雪山の中、タリバンが崩壊してアルカイダがアフガニスタンの隠れ家を失いつつあった時期、ビンラディンの伝記作家ハミッド・ミールは「アルカイダ・メンバーの2人に1人が、カラシニコフとともにラップトップ・コンピュータを抱え」、流浪の旅に出ていくのを見ていた。液晶画面には、モハメット・アタの写真が映っていた。

その4年後、アルカイダはゲリラ運動を、物質的空間からサイバースペースへと移動する。歴史的な出来事だ。秘密の隠れ家や近所のインターネット・カフェで、ラップトップとDVDを持った暗号で通信する若いジハード者たちは、これまでアフガニスタンで行なっていた訓練、通信、作戦計画、説教設備を、インターネットという新しい場所で再現しようとしている。(中略)

イラクにいるアルカイダの自爆班や襲撃班は、訓練や戦略的サポートをウェブに頼り、インターネットの匿名性を利用しながら、サイバースペースの無法地帯のなかで自由に活動している。最近爆弾事件を計画、あるいは実行したカタール、エジプト、ヨーロッバのアルカイダ関係組織は、インターネットに強く依存している。

このような例から、欧米の諜報組織やテロ専門家は、国務省の対テロ専門家のDennis Pluchinskyが言うように、アルカイダやさまざまな「組織や臨機応変に結成される組織」は、「ウェブで統制された」存在となった。インターネット自身の性格に阻まれ、政府はこのオンラインの存在を防ぐことができない。

またアルカイダやその関係組織は、教材のオンライン図書館を作りつつある。メッセージ・ボードやチャットなどで、専門家が質問に答えたりもする。内容は多義にわたる。リチンを混合する方法、一般的な化学薬品から爆弾を製造する方法、漁師のふりをしてシリアからイラクに潜入する方法、米兵の撃ち方、夜間砂漠を走行する際、星で方角を定める方法など。これらの情報はアラビア語、ウルドゥー、パシュトゥなど、ジハード志願者たちの母国語でウェブに掲載されている。

サウジのアラブ組織が、2004年にオンライン・マガジンを始め、インターネットで志願者を募集し始めた。「ムジャヒディンの兄弟たちよ、偉大なる訓練所に参加するために、外国に行く必要はない」と、『Muaskar al-Battar』または『剣のキャンプ』が宣言した。「1人で、自宅や兄弟と一緒に、訓練プログラムを始めることができる」。

「生物学的兵器」という、15ページからなるアラビア語のドキュメントが、2ヵ月前にアルカイダのリーダーの1人、Mustafa Setmariam Nasarのウェブサイトに掲載された。Nasarはジハード運動の最も重要な伝道者で、Abu Musab Surというペンネームでたびたび登場する。彼のドキュメントには、わずかなウィルスが入手できれば、「いかにして肺炎を生物学兵器として使うか」、その方法が説明されている。(中略)

ジハード団たちは、物質的世界では軍や警察に阻まれるが、サイバースペースではこれらの障害を突破できる。攻撃を計画する際にモスクで集まったり、偽造書類を用いて国境を超えれば、工作員たちは危険にさらされることになる。ウェブで仕事をしたほうが安全だ。アルカイダたちは「インターネットにより、時間と空間の問題を解決したと認識」している。

アルカイダがウェブに侵入することで、「移動中に彼らを攻撃できない」と、ビンラディンを追跡していた前CIA捜査班のMichael Scheuerが述べる。「訓練を受けるためには、スーダン、イエメン、もしくはアフガニスタンに行かなければならなかった」。今、旅をしなければならなくなったとしても、工作員たちは「罪に問われるようなものを運ばなくていい。計画書もいらない。設計図もいらない。計算式もいらない」。すべてがウェブにある。「あるいは、インターネットで送ってもらえばいい。そして、それは何億という他のメッセージのなかに紛れてしまうのだ」。

9.11以後、ジハード関係のウェブ・サイトがいくつも出現した。イスラエルのハイファ大学の教授Gabriel Weimannが8年前に調べたところ、12あった。今は4500以上ある。「すべてが信仰を通じて、またある種のコミュニティを通じて、間接的につながっている」。

(中略)国境や民族の違いがないというウェブの形態は、ビンラディンのアルカイダのヴィジョン−−世界的なムスリムのウンマに反乱を呼びかけ、信者を刺激すること−−と一致している。ビンラディンは他のアラブ人リーダーと違い、自分の周りに、人種的にも民族的にもさまざまな信奉者を集め、古い偏見や国境を無視していくことで、ムスリムの間で支持されている。ウェブは、このユートピア的な野望に感銘した、虹色のジハード志願者の集まりとなった。ウェブは、アルカイダにグローバル規模の「ヴァーチャル隠れ家」を提供すると、テロ専門家のBruce Hoffmanは語る。「インターネットは、今日のテロリズムの理想的媒体だ。匿名であるが、広がりを持つ」。

(中略)ビンラディンはアフガニスタンに隠れているときに、登場したばかりの一般使用衛星電話を使い始めた。一般に普及する前にすでにハンディ・カムを使用して、プロパガンダ・ビデオを制作。ビンラディンの息子は、ジャララバードの隠れ家にいた頃、コンピュータ・ゲームで遊んでいた。

しかし今日のビンラディンとザワヒリは、彼らの若い信奉者たちに遅れをとっている。2人はいまだに間に合わせのスタジオで声明を録音し、かなりの危険を冒しながら運び屋を使い、それらをアル・ジャジーラなどの衛星テレビ局に送り届ける。しかし、若い信奉者たちはウェブ・サイトに移行し、短いビデオはインターネットを通じて数百万人のもとに、瞬時に送られる。

オンライン・ビデオは、アフガンの訓練所を再現している。『Washington Post』が入手したビデオには、アフガニスタンで撮影された訓練の様子が納められている。道路上の暗殺、家の襲撃、ロケット推進手投げ弾の撃ち方、車の爆発、村の襲撃、橋の破壊、SA-7地対空ミサイルの発射方法。捕虜の捕らえ方を練習する際に、訓練士が男女を部屋の中に追い込みながら「行け、行け!」と英語で叫ぶのを聞いて、制作者が苦笑している。

(中略)9.11以後のアルカイダのコミュニケーション媒体は、Alneda.comだった。(中略)このサイトのウェブマスターは、Yusuf Ayiriだと言われている。彼はサウジの宗教指導者で、一時期アフガニスタンでアルカイダのインストラクターをしていた。彼を取り締まろうとしていたアメリカ当局は、2002年の夏、いくつものコンピューター・サーバーを追跡した。ある時点で、あるポルノグラファーがAlneda.comのドメインを取得し、このサイトはサーバーをマレーシアに移し、その後テキサス、ミシガンへと移動する。Ayiriは2003年5月にサウジの治安部隊との銃撃戦で死亡した。彼のサイトは、消えた。

固定したインターネット・サイトが危険であることに気づき、アルカイダたちはフリー・アップロード・サービスを提供するインターネット・サイトを利用するようになる。Alneda.comに対する攻撃から、「ジハード者たちがインターネットをもっと匿名性の高く、もっと安全な方法で、定住せずに用いるようになる」と、米政府コンサルタントのBen N. Venzkeは語る。「組織は固定のサイトを使用せず、メッセージをディスカッション・ボードに載せる。なかでも有名なフォーラムが『Qalah』あるいは『城塞』である。これはアブダビのアドレスで登録され、アメリカのHouston Internet providerがホストである。イギリスに亡命したサウジの反体制派Saad Faqihにつながっていると見られている。Faqihはこれを否定している。

『Qalah』では、アルカイダ志願者たちはハッキングテクニックを学ぶことができる。またイラクの断頭ビデオや9.11ハイジャック犯への賛歌、自爆攻撃の正当性などが掲載されている。サウジのオンライン・マガジン『Sawt al-Jihad』は、イラクで死んだ「殉教者」の名前を羅列する。このフォーラムは7.7事件の数時間後に、以前は無名のSecret Organization of al Qaeda in Europeという名前のもとで犯行声明を出したあと、急に消えた。

最近になってアルカイダたちはウェブを戦略的目的にも用い始めた。特に若い志願者たちを訓練するためである。もし攻撃したければ、必要なものはインターネットにある。(中略)

また秘密の通信を保護するためにも、使用される。パキスタンで逮捕されたKHM(ハリッド・シェイク・ムハンマド)は、自分のEメールがアメリカなどで盗聴されないためのテクニック、いわゆる『dead drop』方法を用いていた。彼はHotmailのような無料のサービスを利用し、ドラフトの形態でメッセージを書き、ドラフトとして保存する。それから比較的な安全なメッセージ・ボードでチャットしている間に、アカウント名とパスワードを送るのだ。

受取人はEメールアカウントを開け、ドラフトを読む。Eメールメッセージは送信されないために、盗聴される危険性が低くなる。Khalid Shaikh Mohammadは『silverbullet』というバスワードを使っていた。目的のメッセージを隠すために、一連のスパムメールを送信するのも、ジハードコミュニケーターの方法だ。(後略)

garrTerrorists Turn to the Web as Base of Operations
Steve Coll and Susan B. Glasser


■軍、ミランシャー付近で爆発を免れる[050807 News]

土曜日、北ワジリスタンをパトロールしていた準軍隊が橋をわたっている際中、橋下で爆発があった。運よく負傷者はいなかったが、橋は破壊されたという。

これとは別に、治安部隊員がラズマック町で、手榴弾を持っている男を逮捕した。 (後略)

hoonTroops escape roadside explosion near Miranshah
MIRANSHAH


■パキスタンの均衡は、ムシャラフ均衡[050806 Reuters]

パキスタンの過激派取り締まりにより、宗教の権利が侵害されているという憤慨が生じているが、パキスタンの穏健派はこれを支持しており、過激派を否定しながらイスラームの大義には賛同するという、社会の矛盾が露になった。

パキスタンの国民の90%はムスリムであり、原理主義に反対する者たちは多い。しかし反米、反西欧感情は強く、国内のイスラーム原理主義組織の力は大きい。

この矛盾を解決することがムシャラフの主要な使命であるが、欧米からの支持を受け続けるために、彼はこの亀裂を存続させていると指摘する者たちもいる。

「パキスタン人は世俗主義を受け入れないが、暴力や原理主義は好まない。自分たちの生活を続けられれば、それでいいのだ」と、カラチの政治コメンテーターIrfan Husainは語る。

このような考えの者たちは多い。「もしムシャラフが過激主義者を取り締まれば、大勢が彼を支持するだろう」と、カラチで買い物をしていた学生のFaiza Jamshedが述べた。

ラワルピンディで公衆電話ブースで働くAtif Sheraziは、ムシャラフがマドラッサを取り締まり、過激主義に歯止めをかけることには賛成だと述べた。「我々がテロリストではないということを世界に知らせるために、これはやらなければならないことだ」。

しかし統計や政治を見ると、ムシャラフが過激派たちを取り締まることが得策ではないことを示している。

先月のアメリカのPew Research Centreの統計によると、パキスタン人の52%が、イスラーム過激主義を国にとっての脅威と感じていることがわかった。いっぼうで、51%のパキスタン人が、ビンラディンが「世界を変えるために正しいことをしていると」考え、彼をある程度、あるいは強く支持している。

《ムシャラフの関心のため?》

ムシャラフは、6年前の政権のような世俗的な政党を導入するつもりはない、と見るアナリストは多い。これらの政党は歴史的に穏健派ムスリムを代表していたが、今は本流からはずされている。

政府と原理主義政党であるMMAは、ある種の合意に達している。MMAは議席を11%を獲得した2002年まで、議席の6%以上を占めたことがなかった。現在は国会最大の野党であり、パキスタンの4州の中の2州、バローチスタンと北西辺境州で権力の座についている。

「彼らを主流に持ち込み、羽振りをきかせることを許している。本当に彼らを阻止しているといえるか?」と、ラホールの活動家Khawar Mumtazは語る。

貧困が広がるなかで、原理主義組織が受け入れられる土壌ができていると、アナリストは語る。「ビンラディンが掲げる議論を支持する人々の問題を解決できなければ、どうやってビンラディンへの支持を阻止できるだろうか?」と、パキスタンの前首相アドバイザーHusain Haqqaniは言う。

問題の根源は、軍がパキスタンを支配していること自体にある、と見る者もいる。1980年代の大統領、ジア・ウル・ハクは、ソ連のアフガニスタン侵略に対立することで、欧米の盟友となった。ジアはパキスタン軍にイスラーム主義を導入し、アメリカとサウジから資金を得て、アラブ人ムジャヒディンたちをソ連と戦わせた。

その20年後、ムシャラフはこの政策を変えようとしている。

原理主義組織たちは、政策の転換に憤慨しており、ムシャラフは少なくとも2度、暗殺されそうになった。しかし、大統領は再び取り締まりを実施したにもかかわらず、彼は手加減していると見る者もいる。

「イスラーム主義の力は、軍が繁栄し続けるために、見逃されている」とHaqqani。ムシャラフは原理主義の力を必要としている。そうでなければ、パキスタン人やワシントンは彼を見捨てるだろう。「彼は原理主義を修正したいのだ。一掃するつもりはない」。

hoonPakistan's balancing act is Musharraf's Simon Cameron-Moore、ISLAMABAD


■バイトゥッラー、軍に対するコメントに謝罪[050806 Daily Times]

パイトゥッラー・マフスードは警察司令官のサフダル・フセインに、軍に対して挑発的なコメントをしたことを謝罪した。

Ladhaで開催された話し合いの場で、バイトゥッラーは地元民のために、今後軍と協力すると誓った。警察司令官はバイトゥッラーの言葉を受け入れ、部族地帯の人々の発展と繁栄のために協力すると述べた。

hoonBaitullah sorry for remarks against Army
PESHAWAR


■ピストル所持の日本人、ギルギットで拘束される[050706 Daily Times]

金曜日に警察が、ピストルを所持していた日本人観光客を逮捕した。警察によると、Municipalバス停で、日本人観光客が乗客と争っているという情報が入った。警察が観光客を取り調べたところ、ピストル2丁を所持していたという。1つはおもちゃで、他方は地元で組み立てた30口径のピストルだった。(後略)

hoonJapanese tourist held with pistol in Gilgit
GILGIT


■軍、ワジリスタンの爆弾犯人を逮捕[050806 Daily Times]

木曜日に爆弾が爆発して5人の兵士が死亡した現場近くで、容疑者が逮捕された。

部族の情報源によると、軍がミランシャーとLowara Mandi間の道路を封鎖した後、遠隔操作爆弾を爆発させた容疑で、男が逮捕されたという。

地元民によると、逮捕者は地元の部族民だったようだ。(後略)

hoonTroops arrest suspect after Waziristan blast
PESHAWAR


■パキスタンに核部品を輸送したイスラエル人、服役[050806 Daily Times]

パキスタンに核テクノロジーを輸送しようとしたイスラエル人ビジネスマンが、3年の刑を宣告された。(中略)

イスラエル人Asher Karniの相棒と言われているパキスタン人のビジネスマンHumayun A Khanは、今のところ逮捕されていない。(後略)

hoonIsraeli jailed for shipping nuclear gadgets to Pakistan
WASHINGTON


■すべての道はパキスタンに通じる[050805 Times]

7.7自爆事件の捜査官たちは、イギリス人爆弾犯たちが海外で誰に会ったかを暴こうとしている。そのうちの3人は同時にパキスタンにいたが、イスラマバード政府は、彼らと国内のテロ容疑者たちとの関係を否定している。イギリスの捜査官たちの考えは別だ。爆弾犯たちは、アルカイダの幹部と直接関係している、パキスタンの組織の人間と会ったと疑っている。これらの組織は、若いイギリス人たちに武器や爆発物の使用方法を教え、組織の人間たちをアルカイダのテロキャンプに送り込んでいる。また少なくともイギリス人6人を、自爆犯として育てた。7.7爆弾犯4人の「才能を見抜いた」人間と、母国を攻撃するよう説得した人間との関係を明らかにすることは、大変な作業だ。しかし捜査官たちは、関係を調べていると、常にパキスタンが浮上すると言う。

スコットランドヤードは、ロンドンの高校からドロップアウトしたZeeshan Siddiquiの例を挙げる。彼は1999年に「聖なる戦士」になるために家を出て、今はイスラマバードの刑務所にいる。Siddiquiはロンドンの事件に先立ち、アルカイダの有名な人物と関係があるとして、パキスタンで逮捕された。スコットランドヤードの対テロチームは、Siddiquiが今年の初めに、リードの爆弾犯の1人Shehzad Tanweerと会っていたという事実に注目している。2人が何を話し合ったのか、Tanweerがパキスタンにいた3ヵ月の間に誰と会ったのか。Tanweerは、アメリカ人が死亡した教会襲撃事件の首謀者Osama Nazirを含め、ジャイシェ・ムハンマドのメンバー数人と会ったらしい。ジャイシェはイギリスでも活動しており、大学や原理主義的なモスクから支持を得ている。

ジャイシェのメンバーには、アーマッド・オマル・シェイクがいる。またイギリス人としての最初の自爆者、Mohammad Bilalもいる。彼は2000年のクリスマスの日に、カシミールのインド軍チェックポストに車で突っ込んだ。ジャイシェとラシュカレ・トイバは、イギリスから年間500万ポンドの献金を受けている。イギリスから何人がテロ訓練所に送り込まれているかはわからないが、7.7爆破犯のうちの3人は、そこに行っていた。7.7爆破犯の国際的なリンクが、アメリカの捜査官たちを悩ませている。ロンドンの爆破犯たちを育てた組織は、ニューヨークでも活動していたのだ。(中略)

捜査官たちは当初、テロリストは高度な軍用爆発物を使用したと見ていた。しかし実際は、HMDTと呼ばれるホームメイド爆弾だった。この爆弾の作り方は、インターネットで簡単に入手できる。しかし、これらの爆弾には洗練された装置が使用されており、爆弾制作に熟練していたことがわかる。材料を冷やしておくために、高価な冷蔵庫も買った。また車で移動するためにクーラーボックスを購入し、暴発を防いだ。爆発させるために、携帯電話のアラームを使う。パキスタンは、7.7以後の取り締まりで逮捕された600人の中に、イギリスと関係のある者は1人もいないと言う。しかしある治安部の情報源は、そのうちの7人が7.7の爆弾犯との関係を取り調べられていると語った。

smellAll roads lead to Pakistan for team hunting bombers
Daniel McGrory


■ムシャラフの、過激派取り締まりの矛盾[050805 Washington Post]

先週、パキスタンの治安部隊がイスラーム過激派数百人を逮捕した最中、28歳のIbrahim Qazmiはパキスタンの北西部のハーブショップで枕に寄りかかりながら、皮肉な笑いを浮かべていた。

9.11直後、QazmiaをはじめとするSipah-i-Sahabaの仲間数十人が、ムシャラフの取り締まりで逮捕された。しかしQazmiは10日後、告訴されずに釈放された。組織は活動を停止させられたが、名前を変えただけで、再び活動を始めた。リーダーの最高幹部は国会議員に選出され、Qazmiは北西辺境州議会の議員に選ばれた。

「活動禁止にもかかわらず、我々は強くなっただけさ」と、Qazmiは笑いながら言う。Qazmiの話は、ムシャラフの矛盾を浮き彫りにしている。

2001年以後、ムシャラフ政府は700人以上のアルカイダを逮捕したり殺害している。先週ムシャラフは、アルカイダの垂直・水平リンクをずたずたにしたと、外国人ジャーナリストに語った。

しかし自国で育った過激派対策に関しては、彼がどの程度貢献しているか、曖昧である。

2003年以来、ムシャラフは原理主義イスラーム政党MMAと同盟を組んでいる。政府は国内の過激派組織16の活動を禁止し、戦闘員数千人を逮捕した。しかし、ほとんどがその後密かに釈放されている。(中略)

同様にパキスタン軍は国境付近近くにあるアルカイダの基地で、戦闘員300人近くを殺害したが、その後タリバンたちがアフガニスタンに入ることを防ぐことができない、あるいは防がないでいる。

「9.11後の取り締まりは、欧米に対する見せかけだった」と、ペシャワルの人権活動家のAfrasiab Khattakは語る。

garrMusharraf's Contradictory Crackdown on Radicals
By N.C. Aizenman


■米兵2人、アフガニスタンで溺死[050805 AP]

アフガニスタン東部で、抵抗勢力に対する作戦を実施していた米軍の車が川に滑り落ち、アメリカの軍関係者2人が溺死したと、米軍が金曜日に発表した。

同じ日に、別の米兵がパキスタンとの国境付近で道路脇の爆弾が爆発し、死亡している。

別の2人の軍関係者は、車がジャララバード東部を流れるクナール川に落ちる前に飛び降りた。車はこの地域で作戦を実施していた車列の一部で、川は雪解け水で氾濫していたという。

hoonTwo U.S. Troops Drown in Afghanistan KABUL


■アルカイダの「チヌークビデオ」放映される[050805 BBC]

アラブのテレビ局が、アルカイダ戦士たちが撮影したという、アフガニスタンで米軍チヌークヘリコプターを撃墜する様子を映したビデオを放映した。

テープには、戦闘で死亡した米兵のIDカードや、アメリカのコンピュータからキャプチャーとしたという書類が映し出された。この戦闘は先月、クナールで発生した。

「抑圧者の戦争」と題されたこのビデオは、覆面を被った3人の男が英語、フランス語、ウルドゥー語で語った。

クナールの作戦で死亡した、米兵のDanny DietzのIDカードがビデオに映された。さらに米軍の軍事計画が含まれていたコンピュータを取得したと、主張した。

米軍は、まだテープを見ていないという。(中略)

当時2人のタリバン報道官が、チヌーク撃墜のビデオがあると述べていた。

hoonAl-Qaeda's 'Chinook video' aired


■アルカイダ、逃走中?[050805 New York Times]

米兵が、パキスタンとの国境付近とアフガニスタンの米軍基地との間をヘリコプターで飛びながら、目を凝らす。「彼らは山の中の小さな窪地にいる」と、先週の金曜日のインタビューで語った。「彼らの垂直・水平コミュニケーション経路を遮断した」。

しかしアフガニスタンの国会選挙が2ヵ月後に迫ったこの時期、アルカイダやタリバンとのそ仲間たちはパキスタンの北西部で再結成しているらしく、国境付近での攻撃はますます激しくなった。

アフガニスタン南部と西部への攻撃は頻発し、その戦術はこれまで以上に大胆で、洗練されてきた。いっぼうパキスタンの国境地帯ではここ2ヵ月間、特に南北ワジリスタンでは、暴力沙汰が絶えない。パキスタンの軍施設が攻撃され、当局に協力している部族リーダーたちが、次々に暗殺されている。

アメリカの諜報官は、ビンラディンは国境沿いのヒンドゥークシュ山脈内に隠れていると繰り返し発言している。

カルザイの側近たちは、パキスタンが親タリバン要員を匿っていると、強く非難を繰り返す。アフガニスタン政府は、アフガニスタンの大統領選挙が終わったあと、パキスタンはタリバン一掃に協力してくれるものだと信じていたと、カルザイの報道官のJaved Ludinは述べる。しかし最近の攻撃見ると、それは誤りだったと非難する。「我々は間違っていた。彼らは準備をしていたのだ」と、タリバンについて語った。

ムシャラフの、山岳部の無法地帯や町中に隠れている抵抗勢力たちに対する戦略が、再び注目されている。7.7爆弾事件の捜査官たちは、4人の爆弾犯人のうちの2人が、パキスタンで誰に会い、何をしていたのかを調べている。

同時にアメリカ高官たちは、表向きにはムシャラフを支持しているが、最近国境地帯でパキスタン軍やアフガン軍、米軍に対する攻撃が頻繁になってきたことから、抵抗勢力に対するムシャラフの手腕に疑問を感じ始めている。

金曜日に外国人ジャーナリストを対象とした記者会見で、ムシャラフは、過激派活動の取り調べを慎重に行なっていると述べた。庶民が政府に対して、反乱を起こすすことを恐れているのだ。「私は虚勢を張らない。現実的な行動をとる」。「灰色のエリアがたくさんある。この灰色のエリアは、注意深く取り扱うべきだ」。

(中略)最近、少なくとも諜報高官1人と政府に協力していた部族の長老2人が暗殺された。10日前、北ワジリスタンではロケット弾40発が、軍のチェックポストに撃ち込まれた。木曜日には、パキスタン兵5人が、北ワジリスタンで地雷の爆発で死亡した。

部族地帯の知事の秘書Asad Munirは、タリバン、アルカイダ、ヘクマチアルの戦闘員たちの仕業だと見ている。Munirによると、国境の両側で活動している司令官たちが攻撃を指揮している。北ワジリスタンだけで、このような司令官約150人がいる。「悪影響として、情報提供者、情報源がいなくなってきた」。「地元民は恐れをなして、諜報組織の人間を避け始めている」。

先週南ワジリスタンのある場所から、ある抵抗勢力司令官が電話インタビューに応じ、部下たちがワジリスタンからアフガニスタンに越境していることを自慢した。「道などいくらでもある」。「我々は、ハイテク機器や洗練された武器を持つ敵と戦えるよう、今まで以上に組織化され、訓練されている。蛇と戦うためには、同じレベルになる必要がある」。

(中略)2002年にパキスタン高官が、アルカイダは南ワジリスタンから世界に向けて作戦を行なっていると述べた。パキスタンの捜査官によると、逮捕されたパキスタン人コンピュータ技師は、南ワジリスタンに隠れているアルカイダから運び屋を通じてメッセージを受け取り、それをインターネットで工作員たちに発信したと告白している。

2004年に実施された軍の作戦後、パキスタン人高官は、この地域を一掃したと自慢していた。しかし1年後、パキスタン擁護派でさえ、パキスタンが南ワジリスタンをコントロールしているかどうか怪しいと言う。新たな疑問は、北ワジリスタンからも、抵抗勢力たちが作戦を実施している可能性だ。北ワジリスタンのミランシャーから、アフガニスタンに入っている気配がある。

アフガニスタンにいる米軍は、パキスタン側に入ることができない。しかし最近24人の戦闘員たちが、パキスタン側で死亡しているのが発見された。米軍がパキスタン内に侵入したかどうかは、明らかではない。

ザーブルの前タリバン野戦司令官のMullah Said Mirが水曜日に、自分はパキスタンのクエッタとアフガニスタンを往来する戦士の1人だったと述べた。クエッタの軍事訓練所で数ヵ月前、タリバン戦士たちがアフガン人の若者に遠隔装置爆弾の操作方法を教えているのを目撃したという。

garrQaeda on the Run? Raids Seem to Belie Pakistani's Word
DAVID ROHDE and SOMINI SENGUPTA


■アメリカ、アフガン囚人を故郷に返す予定[050805 AP]

グアンタナモ刑務所に収監されているアフガン人が、アフガニスタンに送還されるという。

カルザイ大統領は、グアンタナモ刑務所をはじめ、他の刑務所にいるアフガン人数百人をアフガニスタンに引き渡すことをワシントンに求めてきた。米大使館とアフガン政府は、「アフガニスタンとアメリカは、アフガン人囚人を徐々にアフガン政府に引き渡すことに合意した」という共同声明を発表した。(後略)

hoonU.S. Sending Afghan Detainees Home
DANIEL COONEY


■ミランシャーで兵士5人殺害される[050805 Daily Times]

木曜日に北ワジリスタンで遠隔操作爆弾が爆発し、パキスタン軍の下士官を含む5人の兵士が死亡した。

Dattakhelとミランシャーの間に、軍の車列を狙った爆発物が設置されていた。兵士2人も負傷した。

「兵士4人が即死し、5人目は病院に運ばれる途中で死亡した」。(中略)

《AP追記》

木曜日にアフガンとの国境地域で、地雷を設置しようとしていた男が誤って爆発物を爆発させ、死亡した。事件はミランシャーの郊外で起きた。「兵士たちを標的に、地雷を埋蔵しようとしていたようだ」という。

hoon5 soldiers killed near Miranshah Iqbal Khattak、PESHAWAR


■アフガン諜報官、タリバンに射殺される[050804 AFP]

ザーブル州の諜報部責任者が、タリバンに射殺された。

デーチョパン地域を早朝歩いていたMohammad Rasulが、バイク2台に乗ったタリバンによって射殺された。(中略)

タリバン報道官のラティフ・ハキーミが、犯行声明を発表した。「戦士たちが、諜報部責任者とボディーガードを殺害した」。アフガン高官によると、殺害されたのはRasulだけだという。

また木曜日には、Marja地域の宗教指導者Mullah Zarifも、タリバンに攻撃され、負傷した。ハキーミによると、政府の支持を受けていたために、攻撃したという。

hoonAfghan intelligence official shot dead by Taliban rebels
KANDAHAR


■米兵、アフガニスタンで殺害される[050804 AP]

木曜日に米軍の車両の近くで道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、米軍人1人が死亡、1人が負傷した。アフガン兵1人も負傷したという。事件は、パクティア州のウルグン基地の近くで発生した。(後略)

hoonU.S. Service Member Killed in Afghanistan
KABUL


■アルカイダ、「爆弾はブレアの責任」[050804 BBC]

ビンラディンの腹心のザワヒリが、ブレアの外交政策のせいでロンドンは今後も攻撃される、と発言した。

ザワヒリの声明は、ビデオテープを通して『アルジャジーラテレビ』で放映された。

「ブレアは、ロンドンの中心に破壊をもたらした。神の思し召しに従い、今後、さらに破壊が行なわれるだろう」。またイラクは、ヴェトナムよりもひどい結果を見ることになると、アメリカに警告した。

(中略)白い装束に黒いターバンを巻いたザワヒリは、傍らにライフルを置いて語りかけた。他の国々にはさらなる暴力を防ぐために、ムスリムの土地から去るように警告した。(後略)

hoonAl-Qaeda 'blames Blair for bombs'


■「タリバン法」攻撃される[050804 BBC]

パキスタンの最高裁判所は、タリバン式の道徳法を北西辺境州で採用することは、憲法に反するという判決を下した。州知事は、法案にサインする必要はないという。

弁護士によると、最高裁判所の見解は法的に拘束力はないが、道徳的見地から、決定権があるといえる。法として採用されるためには、州知事のサインが必要である。 (後略)

hoonPakistan 'Taleban law' attacked


■アフガニスタンで抵抗勢力が8人を殺害[050803 AP]

軍の制服を着たタリバンが警察官と兵士8人を殺害したあと、アフガン治安部隊員2000人が水曜日にアフガニスタン東部に向かった。

数十台のトラックが兵士を乗せてヌーリスタン州に向かった際に、道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、兵士1人が死亡、5人が負傷した。兵士たちがヌーリスタンに到着すると、抵抗勢力たちはすでに逃走したあとだった。

内務相報道官のLatfullah Mashalによると、抵抗勢力数十人が火曜日にヌーリスタン州の警察ポストを襲撃し、銃撃戦が数時間続いたという。その結果、兵士4人と警察官4人が死亡した。襲撃者たちは、米軍が訓練した新アフガン国軍の制服を着ていたという。(中略)

これとは別に火曜日、ヘルマンド州で、帰途についた選挙管理委員が何者かに銃殺された。

またパクティア州ではアフガン軍とタリバンの間で銃撃戦が発生し、抵抗勢力1人が負傷、武器が押収されたと米軍報道官が発表した。

ザーブルでは、地元タリバン司令官とその29人の部下がアフガン当局に投降した。抵抗勢力たちは爆発物や武器を引き渡した。

hoonRebel Attack Kills Eight in Afghanistan
DANIEL COONEY、KABUL


■ワジリスタン、同盟軍攻撃の拠点[050803 Dawn]

ペシャワル警察司令官のサフダル・フセイン准将が北ワジリスタンを訪れ、軍が南ワジリスタンで作戦を実施したあと、外国人容疑者や地元協力者たちは南ワジリスタンから北ワジリスタンに移ったと述べた。容疑者たちはアフガニスタンで攻撃を行なうために、部族地帯を用いているという。(後略)

hoonWaziristan used for attacks on allied forces
Pazir Gul、MIRANSHAH


■最重要指名手配人[050801 Guardian]

ロンドンの爆弾犯人たちがパキスタンを訪れたことがあると判明しても、驚く者は少なかった。(中略)外国人ジャーナリストとして初めてワジリスタンの山の中に入ったDeclan Walshが、報告する。

軍のヘリコプターがシャカイを飛び立とうとしていた。ワジール族の長老Faridullah Khanは、私と一緒に離発着地のそばを歩いていた。彼によると、1年前、この地域はアルカイダの拠点だったという。

ウズベク人、チェチェン人、アラブ人たちが、要塞のようにそびえ立つ塀で囲まれた敷地の中にいた。ここで新人を訓練し、パキスタンや欧米で攻撃をするための計画を練っていた。またビデオ機器やCDを制作できる備品がそろった、プロパガンダ工場もあった。地元民たちの間では、外国人たちを匿う者もあった。パンやベッドを提供することで、富を築いた者たちもいる。しかし多くは、単に恐れおののいていた。

「アルカイダは谷のあらゆる所にいた。しかし今年はいない。軍が追い出したのだ。平和が戻った」とKhan。

そして24時間後、Khanは死んでいた。幹線道路で待ち構えていた犯人たちが、彼のジープが通りかかると銃弾を彼に浴びせたのだ。南ワジリスタンで、軍司令官に会いに行く途中だった。目撃者によると、Khanがその場で死ななかったために、車にロケット弾が撃ち込まれたという。

軍司令官は、恨みが原因の殺人だったという。部族地帯では誰でもが銃を持ち、銃こそが法律だ。しかしワジール族のリーダーをはじめとする欧米の外交官たちは、Khanが殺害されたのは、昨年軍がアルカイダに対する作戦を行なった際、彼が軍に協力したからだと見ている。

「部族地帯では、恐怖感が広がっている。アルカイダは、情報提供者たちを殺害している。おそらくKhanは、欧米組織と関係があると見られたのだろう。それが致命的だった」と、ペシャワルの人権団体活動家のAfrasiab Khattakが述べた。

(中略)去年の春までに、ワジリスタンはアルカイダ最大の拠点だった。ワジール族に守られ、少なくとも15のキャンプがあった。ほとんどがワナとシャカイに集中していた。抵抗勢力たちは、国内外の標的に対して、攻撃を計画していた。アル・リビは、2度にわたるムシャラフ暗殺計画をワナから指揮した。パキスタン人コンピュータ技師のムハンマド・ナイーム・ヌール・カーンも、ワナを訪れた。7.7の爆弾犯人も、ここを訪れた可能性がある。「アルカイダ関係者にとって、ワナを訪れることは巡礼のようなものだった」と、ある諜報部高官が述べた。

パキスタンは南ワジリスタンに問題があることを、ずっと認めずにいた。しかし2004年にアメリカの圧力のもとで、とうとう7万人の兵士を動員して、作戦を実施した。(中略)軍は多大な犠牲を払う羽目になったが、勝利した。抵抗勢力300人が死亡した。そのうち半分が外国人だった。パキスタン兵も250人死亡した。

警察司令官のサフダル・フセイン准将は、作戦に関する記録をノートにつけている。ノートの扉のページには、スクラップがいっぱいだ。中央アジア人戦闘員の遺体の写真。口から血を流した虚ろな目の若者たち。子供さえいた。「この男、フセインはたった12歳で、ウズベキスタンから来た」という。

他のページには、シャカイのプロパガンダ工場から見つかったコンピュータやビデオなどの備品、地元協力者に対する支払い調書(平均20日で145ポンド)、ワジール族やマフスード族と交わした和平協定の書類などが記録されている。

しかしこの勝利は、アルカイダに対して決定的ではなかった。ビンラディンの居場所も明らかにならなかった。死亡した中央アジア人戦士は、タヒール・ユルダシャフのもとで戦う、単なる歩兵にすぎなかった。

「本当のムスリムでさえなかった。ラマダンの最中に彼らを襲撃すると、昼食を作っている最中だった」。「クルアーンを朗唱することさえ、できなかった」と、タリバンについての著書があるアーマッド・ラシッドは述べる。ウズベク戦士たちのほとんどが、犯罪者やナショナリスト、ドラッグ密輸に関わり、イスラーム主義者たちを中心に集まっていた。「9.11以前は、国際テロリズムには関わっていなかった。ビンラディンは、今でも彼らを信頼しているとは思えない」。

いっぼうで大きな獲物、ユルダシャフ、アル・ビビ、そしてもしかしたらビンラディンでさえもが、逃走した。

パキスタン軍は、いまだにワジリスタンを捜索している。しかしもはや、重要な戦闘員はいないという。100人ほどの残党たちが北ワジリスタンに逃走したが、ここの住民は、南の従兄弟たちよりも、彼らを歓迎していないようだ。抵抗勢力たちは3〜4人ずつ、どこかに匿われている。ブルカをかぶって逃走しようとしたところを、逮捕された者もいる。

北ワジリスタンの司令官Gen Akram Sahi中佐は、最近になって12回、テロリストの捜索を実施したが、スーダン人とイエメン人の2人を発見したにすぎないという。

対テロ戦略は、新たな局面に入った。エンジニアが井戸を掘ったり、学校や道路を建設している。誰も声を大にして言わないが、アメリカが金を提供している。今年になるまで、シャカイへ行くにはロバに乗るしかなかった。「道路を作ればビジネスが入る。ビジネスは、テロの妨げとなる」と、工事の責任者Waqar Hussain大佐が主張する。

しかしワジリスタンは、平和とはかけ離れている。悪評高い辺境犯罪規制のもとで、軍はアルカイダ共鳴者たちの家に火を放ち、4万5000ポンドの罰金を徴収した。今月になってからは、2万7500人の難民が住んでいた数十のアフガン難民キャンプが閉鎖された。

アルカイダと地元協力者たちは、シャカイのFaridullah Khanのような政府の「協力者」たちを殺害している。南ワジリスタンでは、軍やアメリカの協力者たちに対する怒りが高まり、流血沙汰が続出している。

「誰もがアメリカ人たちに憤慨している」と、家に5発のロケット弾が撃ち込まれた木材商人のNiaz Muhammadが語る。「彼らが戦うときには、平和のためだと主張する。我々が戦えば、テロリストにされる」。

Muhammadによると、軍が有名なMullah Shafiという男を捜索のためにマキン村を攻撃したときに、住民15人が死亡したという。「彼がアルカイダに協力していたことは、誰もが知っていた」。しかしこの宗教指導者は、戦闘の最中に逃走した。しばらく鳴りを潜めてから、再び村に帰った。いっぽうアルカイダは5人の政府寄りの長老を殺害して、復讐した。

ビンラディンは追いつめられているようだ。だけど、本当だろうか。

ビンラディンの居場所は、いろいろ噂されている。カシミールからカイバル峠にまで広がっている。北ワジリスタンのShomal山脈に隠れているとも言われる。最近では、アフガンの国境地帯からバジョールにかけての地域にいると噂される。アル・リビが隠れていた場所だ。最新の情報では、荷物と一緒にジープにすし詰め状態になったアラブ人が、アフガニスタンの山の中に消えるのをバジョールの住民が目撃した。

ビンラディンが捕まらないのは、CIAの前責任者Gary Schroenの提唱するように、パキスタンがビンラディンを捕まえたくないからだと言われる。人権監視団体のAli Dayan Hassanは、「険しい地形」のためにビンラディンが捕まらないという理論は「嘘っぱち」で、軍は部族地帯に幅広い情報網を持っているという。軍やISIの中には、原理主義がいまだに根強い。

しかしあるアメリカ外交官は、このような話の信憑性を「疑っている」という。Schroenは、古い情報をもとに発言している可能性がある。「ムシャラフや政府幹部が、故意に失敗しているとは思えない。ビンラディンを逮捕したくない者たちが、下士官の中にいるのではないか? それはあり得る。しかし断言することはできない」。

トラボラ後のビンラディンのことは、想像するしかない。幾重もの警備に囲まれている。運び屋を通してメッセージを送り、電話をかけることはない。馬に乗るか、ブルカを被って移動し、アメリカの偵察機を免れる。アル・リビは現在グアンタナモにいるが、ビンラディンの情報は何も提供していない。もしかしてビンラディンは別の国にいるのかもしれない。アフガニスタンや中国、イランかもしれない。

しかし1つだけ確かなことがある。ビンラディンがもしパキスタンで逮捕されたら、ムシャラフにとっては、大きなトラウマとなる。イラク戦争のおかげで、ビンラディンはイスラーム世界ではロビン・ブッドのような存在になった。穏健派ムスリムの間でも然り。パキスタンでは63%がビンラディンを支持するが、ブッシュへの支持は9%にすぎない。

ある午後、アル・リビが逮捕された家の前で、Mukthiar Gulが水を運んでいた。もしアル・リビが誰か知っていたら、喜んで彼を逃がしただろうと言う。「彼はイスラームのために働いていた。ジハードだ」。彼の友人もうなずく。もしそれがビンラディンでも同じだろうかと尋ねると、「もちろん」と、ほほえんだ。

hoonMost wanted
Declan Walsh


■7月21日の爆弾犯人たちもパキスタンと関係[050801 NBC]

7月21日の爆破未遂事件と関係して、ロンドンでさらに2人が逮捕され、当局は2回目の事件と関わった爆弾犯たちについて、新たな情報を得たという。新たな情報によると、ロンドンの爆弾犯たちもパキスタンと関わりがあった可能性がある。

欧米の対テロ高官たちによると、当局は7月21日の爆弾犯たちのリーダーが、去年、パキスタンに行った可能性があるという。

Muktar Said Ibrahimは、イギリスのパスポートを昨秋入手した。高官たちによると、彼は12月にイギリスからサウジに行き、そこからパキスタンに向かったらしい。「パキスタンのジハード団やアルカイダと関係があった可能性がある」と、テロアナリストのDan Benjaminが述べた。7.7爆弾犯2人は、11月にカラチに到着したと見られているために、Ibrahimは同時期にパキスタンにいた可能性がある。(後略)

hoonJuly 21 bomb suspects also linked to Pakistan
Lisa Myers


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2005.