【2006年2月20日〜2月26日】


■カラチで数千人、風刺画に抗議 [060226 AP]

「アメリカに死を」叫ぶ約2万5000人がカラチでデモを繰り広げたが、ラホールでは警察が宗教指導者やその支持者数十人を逮捕して、デモを食い止めた。

カラチでは、スンナ派の宗教団体Tahafuz-e-Khatm-e-Nabuwaが組織した抗議集会が実施された。

ラホールでは、土曜日と日曜日に政治家や宗教学校関係者など150人が、罪状なしに逮捕あるいは拘束された。(中略)宗教政党のリーダーのQazi Hussain Ahmedが集会を率いることになっていたが、警察の車でどこかに連れ去られたという。

またラホール行きの飛行機に乗ることを妨害された野党のリーダー、マウラナ・ファズル・レーマンは、抗議を続けることを誓った。「宗教者や政治活動家を逮捕することで、政府は許しがたい独裁的な態度をとった」と語った。「政府は民主主義的な価値観を否定し、預言者を侮辱した権力に加担している」という。

また警察はMovement for Justice partyを率いるクリケットの英雄イムラン・カーンとその支持者10人も逮捕した。

hoonThousands Protest Drawings in Karachi
ASIF SHAHZAD、LAHORE

■アメリカ、バグラム収容所の状況を弁護[060226 AP]

米軍は日曜日に、アフガニスタンの基地にいる500人の容疑者の収容に関して弁護し、人間的に扱われ、「最前の生活条件」を与えていると述べた。

『New York Times』が日曜日に、パグラム収容所に収容されている容疑者はワイヤーの檻に12人ずつ入れられ、弁護士をつけることも、罪状が明らかにされることもなく、2〜3年間収容されていると報道した。

(中略)米軍報道官のヨンツ大佐は、収容者たちが3年まで拘束されることに関しては肯定も否定もせず、収容者に関しては国防省が決めると語った。しかし収容者全員がかつては「敵戦闘員」であり、その身分は定期的に見直されているという。

(中略)また現在約500人がバグラムに収容され、「ジュネーブ協定にもとづいて、最善の環境と医療が与えられている」という。しかし米軍は、「敵戦闘員」は、ジュネーブ協定の対象ではないと主張している。(後略)

hoonU.S. Defends Conditions at Bagram Prison
Kabul

■アフガニスタンの刑務所、グアンタナモに追いつく[060226 New York Times]

グアンタナモ収容所について国際社会が論議を交わす間、米軍はこれまであまり表沙汰になっていないアフガニスタンのバクラム収容所の規模を、密かに拡大してきた。ここにはテロ容疑者500人が、原始的な環境のなかで、罪状もはっきりしないまま収容されている。

ペンタゴン関係者によると、ここに収容されている囚人の大半はアフガン人で、いずれは釈放されたり、あるいはアメリカの援助で建設予定のアフガン刑務所に移される予定だ。

しかし収容者のなかには、すでに2〜3年拘束されている者もいる。グアンタナモ収容所にいる者たちと違い、彼らには弁護士がつけられることもなく、「敵戦闘員」というだけで、明らかな罪状もないという。

政府関係者のなかには、バグラムの状況は、グアンタナモ収容所の囚人たちに対する人権問題が話題になり、2004年6月に最高裁判所の判決が下された当時と同じようになってきている、と主張する者もいる。

グアンタナモの関係者たちは、国会議員やジャーナリストに収容所の見学を許しているが、バグラムは2002年以来、その内部は極秘にされている。国際赤十字以外の訪問者を拒否し、拘束者の名前も公表していない。遠くから写真を撮ることも禁じられている。

前拘束者や、軍事関係者、兵士等の話を総括すると、キューバの収容所よりも厳しく、寒々しい場所のようである。大きなワイヤーの檻のなかに数十人が収容され、1年前までは地べたに敷かれたマットに寝かされていた。便所の代わりには、プラスチックのバケツが使用される。最近改正が行なわれる前までは、狭い運動所に短期間出る事以外、ほとんど日光を見ることもなかった。

「もともとバグラムは、長期収容所ではなかった。今は資金も資源もないまま、長期収容所になっている」と、ある国防省関係者が語った。グアンタナモと比べると、「バグラムのほうがひどいと、誰もが認めるだろう」と言う。

前収容者によると、最近の改革で少し状況はましになり、人権団体によれば、2003年以来、拷問される者の数も減ったという。しかしペンタゴンの収容所の責任者Charles D. Stimsonは、いまだにバグラム収容所について語ることを拒否している。

(中略)

「グアンタナモは、攻撃の的になった」と、ある前政府関係者は語る。「しかし、バグラムについて言う者は誰もいなかった。アフガニスタンにあったからだ」。

しかしバグラム収容所に収監される人びとの数が増えるとともに、ブッシュ政権の、重要テロ容疑者を拘束し続ける能力が問われるようになってきた。

この件に関する諜報情報に詳しい関係者によると、パグラム収容所にいる40人ほどは、パキスタン人、アラブ人などの外国人だという。以前CIAが、アフガニスタンなどの国々の秘密の収容所で拘束していた容疑者たちもいる。CIAは、容疑者たちが法廷に立つことを恐れて、グアンタナモに送りたがらないという。

国防省関係者たちは、CIAがいわゆるブラック・サイトから容疑者を移そうとしたとき、諜報組織が手放したテロ容疑者の責任を受け継ぐことを渋るペンタゴン関係者との間で、関係が緊張したという。国防省は「ゴミ捨て場になることを恐れている」。「他に選択肢がないのだ」という。

バグラム収容所の収容者数は、増加するいっぼうだ。軍は収容者の名前などの情報を公表していないため、これまで中には長期間収容されている者がいることが、明らかにならなかった。

ペンタゴンが2005年の初頭に一部を釈放することを決めていなければ、その数はさらに増えていたはずだ。2005年1月以来、アフガニスタンの米軍司令官は、政府の和解プログラムの一環として、バグラムから350人を釈放した。それでも収容者の収容所滞在期間は、平均14.5ヵ月である。

(中略)バグラムでは、2002年12月にアフガン人2人が死亡した事件以来、拷問による死者の数は激減したと、アフガンと外国の人権団体は語る。

(中略)「アメリカ人たちは人びとを不当に拘束している」と、アフガンの人権団体のShamsullah Ahmadzaiは語る。「拘束者たちは、自分たちの無実を主張できる機会を剥奪されている」。

アフガン政府は、カブールにアメリカ資本で立てられる刑務所が完成次第、現在バグラムにいるアフガン人450人と、グアンタナモにいる100人を引き取ることになっている。しかしこの新しい刑務所を誰が運営するか、収容者たちがどのようにして裁判所で裁かれるかなど、問題は山積みだ。バグラム収容所の一部は、引き続き使用される可能性もあるという。

バグラムでもグアンタナモでも、バグラムで拘束されている重要な非アフガン人囚人の移送に、頭を悩ましている。

(中略)中央アジア司令部がペンタゴンにアルカイダ幹部約12人をグアンタナモに移そうとしていたとき、そのうちの1人Omar al-Faruqを含む4人が、脱獄した。バグラムにいた兵士によると、2002年の夏にCIAの工作員によってバグラムに送られたFaruqは、1ヵ月後に収容所からどこかに移されたという。

この件に関して詳しい政府関係者によると、Faruqは再びCIAの手でバグラムに戻されたあと、去年の7月、他の男たちと夜中に監獄を抜け出し、箱を積み上げて扉を乗り越えたのだという。

(中略)それ以来、ペンタゴンの幹部官僚たちは、バグラムからキューバへ収容者を移送する提案が途絶えたという。グアンタナモに移送することで、新たな国際批判がわき起こることを恐れ、ラムスフェルド国防長官に許可を得ることをためらっているのだという。バグラムの収容者に言及してある政府関係者は、「視界から消し、意識から消す」ことだと語った。

garrA Growing Afghan Prison Rivals Bleak Guant◯amo
TIM GOLDEN and ERIC SCHMITT

■パキスタンでは大歓迎[060226 Washington Post]

ブッシュ大統領は来週末にイスラマバード訪問予定である。おそらくビンラディンの居場所に最も近づく時だ。彼のネメシスは、おそらく世界で最も危険地帯の一つである、アルカイダ・センターといわれるパキスタンのパシュトゥン・ベルトにいるはずだ。ブッシュがいる所から、車で数時間の場所である。

この12ヵ月の間で、CIAやペンタゴン関係者はこれまで3年間の持論−−ビンラディンはパキスタンとアフガニスタンとの国境の部族地帯に隠れているという主張を、密かに修正している。今かれらは、ビンラディンは「アフガニスタンにはいない」と自信をもって主張する。これまでの曖昧さはない。ビンラディンはパキスタンにいるのだ。

問題は1つ。アメリカとその同盟国のパキスタンは、どう対処しているのだ?

十分対処していない。2001年以後のアメリカとパキスタンの政策は、パキスタンの北西辺境州の原理主義化を進め、ビンラディンやタリバンたちにとっては、好都合だ。この地域はビンラディンの隠れ家となり、タリバンたちはここからアフガニスタンに入り、襲撃を繰り返す。

ブッシュ政権が繰り返し主張してきたこととは、ほど遠い。彼らの主張のほとんどすべてが、はったりと嘘だ。「身を潜めている人間と戦っているが、彼は現在敗走している」と、今月初めにライス国務省長官が語った。しかしビンラディンは敗走していない。彼は、彼が居心地の良い生活ができるよう、あらゆる配慮をしている友人たちに守られているのだ。

彼の腹心、ザワヒリは、パキスタンの部族地帯では忙しく動き回っているようだ。1月3日には、アメリカのミサイルはあわやということろで、夕食会に招かれるはずだったザワヒリを取り逃した。

このことから、ビンラディンと彼の部下たちにとって、大きな変化があったことを証明する。9.11以前、ビンラディンの影響力はアフガニスタンのパシュトゥン族の居住地に限られていた。ここはタリバンの権力の中心地であり、彼らの活動地だ。(中略)

ビンラディンが最後に公共の場に現れたのはジャララバードで、タリバン政権が崩壊した直後の、2001年11月10日である。この時期に同じ地域にいたアメリカ人ジャーナリストによると、約1000人のパシュトゥン人名士や戦闘員の前で演説し、アメリカの侵略者たちに抵抗することを呼びかけた。そこでドルやルピーをばらまいた直後、トラボラの山中に消え、その後行方をくらました。(CIAは数日後まで、この出来事について知らなかった。)

アフガン人パシュトゥン族のなかで、彼を裏切ろうという者はまずいないはずだ。しかし時間とともに、アフガニスタンは変わった。今アフガン人パシュトゥンは、平和の恩恵を求めている。経済、開発、道路、学校などだ。

それと引き換えに、パキスタン人パシュトゥン族は9.11当時よりもますます原理主義化した。そしてパキスタンのパシュトゥン・ベルトでは、タリバンとアルカイダたちが人材を募集し、兵站学や武器、資金を集めている。

ビンラディンの新たな友人関係は、パキスタンのパシュトゥン・ベルトに沿って続く2000マイルに広がっている。チトラルに始まり、中国との国境近くの北部地域、南はワジリスタンを含む部族地帯、さらにバローチスタンのZhob、さらに州都のクエッタやイランとの国境にまで広がる。砂漠から雪山地帯まで、その地形も多様だ。人口もまばらだ。ビンラディンにとっては恰好の隠れ家である。

アルカイダの資金や思想、組織能力によって、パキスタンのパシュトゥン・ベルトは過激派の拠点となった。しかしアメリカとパキスタンの政策は、それに拍車をかけているといえる。タリバンやアルカイダは、米軍によってアフガニスタンから追われたにもかかわらず、ラムズフェルド国防相長官が地上軍を十分派遣しなかったために、過激派たちは逃走し、パキスタンのパシュトゥン・ベルトで再結成したのだ。1994年にバローチスタンに出現したタリバンは、再び古巣に居を構え、アルカイダは自分たちが熟知していた部族地帯に隠れた。1980年代、対ソ連ムジャヒディンたちのために、ビンラディンはこの地域に数々のトンネルや洞窟を掘っていたのだ。

その後は、災難が続いた。タリバン政権崩壊後27ヵ月間、ムシャラフ大統領は、過激派たちがパシュトゥンの部族地帯で自由に行動することを許し、アフガニスタンから逃走してきた戦闘員たちのための軍事訓練所の再開さえ、許してしまった。アラブ人、中央アジア人、チェチェン人、カシミール、アフリカ、ウイグル、東南アジア出身者たちもいる。ビンラディンが1996年にこの地域にやってきた時代以来、戦闘員たちは久しぶりに集結し、再会することになった。

ムシャラフは、アラブ人アルカイダを数人を逮捕してはいる。しかしアメリカが率いる同盟軍はアフガニスタンに長くは留まらないと確信していたために、タリバンを逮捕しないでいた。アフガニスタンが再び市民戦争に巻き込まれて混乱する時に備えて、タリバンとの絆を持ち続けたかったのだ。さらに陸軍は9.11以前に訓練された、カシミールの過激派組織も保護し続けた。

事実、2002年の3月、タリバン崩壊後3ヵ月後、アメリカはイラク戦争に備えるために、アフガニスタンから特殊部隊や偵察機を引き上げ始めた。バグダッドに気を取られ、アメリカは部族地帯で何が起きているのか、注意を払わなかった。パキスタン陸軍が南ワジリスタンに入った2004年3月までの間に過激派たちの力は強力になり、最初の戦いでパキスタン兵250人が死亡する羽目になった。

それ以来、ビンラディンからパシュトゥン人たちを遠ざける政策はない。陸軍は確実に拠点を失っていった。賄賂と圧力の両方でどうにもならなくなっていた部族地帯を管轄する地元行政官たちは、地元の状況について無知で横柄な将軍に取って代わった。今日、南北ワジリスタンを始め、部族地帯を支配するのは過激派だ。いっぼうパキスタン軍7万人がこの地域に派遣されているが、パトロールするのが怖くて、駐屯地に立てこもっている。親政府派の部族長老100人以上が、アメリカやパキスタンの秘密組織に情報を流しているとして、暗殺された。

南部のバローチスタン州政府は、親タリバンを掲げる原理主義政権が支配している。2002年に権力の座に就いたイスラーム神学者協会が各省を支配し、タリバン支援をはばからない。

そのため、タリバンがアフガニスタンで襲撃を行なうための、新たな拠点が確立されてしまった。去年アフガニスタンで死亡した米兵99人は、バローチスタンを拠点とするタリバンにやられている。ワシントンの主眼は、ビンラディンを逮捕し、ワジリスタンにいるといわれる、彼の部下であるアルカイダ一味を一掃することだった。しかしアメリカは、カルザイ大統領の抗議にもかかわらず、パキスタンにタリバンを取り締まらせることに失敗している。今月イスラマバードを訪問したカルザイは、パキスタンで訓練されている自爆志願者たちに関する諜報情報リストをムシャラフに提供した。ここ数ヵ月間、アフガニスタンでは100人近くが、30回の攻撃で死亡している。NATO平和維持軍兵や、カナダ人外交官も、犠牲者になった。

このリストには、アフガニスタンに出かける自爆犯たちに爆弾を提供する人間など、パキスタン人の手配師たちの名前と住所が挙げられている。イスラーム原理主義の本屋や、カラチなどのモスクやマドラッサで、人材が選ばれる。訓練は、バローチスタンのクエッタやチャマンなどで行なわれる。

「我々はムシャラフ大統領に、非常に詳しいテロ行為の情報を提供した。パキスタンが対処しやすくなるように、細かな打ち合わせをした」と、2月17日にイスラマバードで会ったときに、カルザイは私に語った。「アメリカ人が死んでいる。カナダ人外交官も殺害された。国民は苦しんでいる。これらのテロ行為をやめさせ、アフガニスタンの内政に干渉させないようにする時期がきた。結果を期待している」。

これらの結果は、容易に得ることはできない。ビンラディンはパキスタンのパシュトゥン・ベルトに、戦闘員や協力者たちをたくさん抱えている。パキスタン人パシュトゥンでビンラディンを裏切る者は、たとえ2700万ドルの賞金がかかっていようとも、誰もいないだろう。アフガニスタンの麻薬密輸業や湾岸地域から入ってくるスーツケースに詰め込まれたキャッシュのために、アルカイダも地元パシュトゥンも、金には困っていない。パキスタン陸軍は、国家的枠組み内にパシシュトゥン人たちの居場所を提供しないために、部族民たちに信用されていない。さらに1月のミサイル攻撃のように、アメリカが介入して女性や子供が殺害されるような間違った行為があれば、その結果は明らかだ。

アフガニスタンから米軍を撤退させようという、ワシントンの最近の決議は、アルカイダたちに、自分たちが勝利しているという確信を与えてしまっている。5年間も捕まらず、殺されないビンラディは、1日生き延びるごとに、彼を支持し保護する過激派たちを仲間に入れて行く。

hoonHe's Welcome In Pakistan
Ahmed Rashid

■アフガン囚人、刑務所を占拠[060226 BBC]

アフガニスタンのカブールにあるPul-e-Charkhi刑務所が、収容者たちに占拠されたと政府関係者が述べた。

情報源によると、収容者4人が死亡したというが、アフガン人政府幹部はこれを否定している。

タリバンやアルカイダをはじめ、その他の囚人を収容している刑務所の一角で、激しい暴動が起きた。女性囚人を収容する一角に囚人数百人が立てこもり、一部からは火が上がっているという。

ある政府高官が語ったところによると、女性看守2人が捕虜に捕られたという。アフガン軍が刑務所内に入り、状況を鎮圧しようとしている。

現場では銃撃戦が続いていた。警察が問題の一角を封鎖し、脱獄した者はいないと刑務所関係者が語った。

情報筋によると、タリバンとアルカイダが暴動を引き起こしたという。

暴動は1300人が収容されているBlock2で、囚人の制服に関する規則改正が行なわれたあとに発生した。

先月、タリバン容疑者7人が脱獄している。(後略)

hoonAfghan prisoners seize jail wing

■カブール刑務所で暴動[060226 AP]

カブールの刑務所で、囚人数百人が看守と衝突し、刑務所の一部に立てこもったと、政府関係者が日曜日に語った。

警察と軍隊がPlicharki刑務所を包囲し、政府関係者たちが、アルカイダやタリバンを含む囚人たちと交渉を続けている。

日曜日、約2時間の間隔で、2度の銃撃戦が聞こえてきた。銃撃戦の音がした数分後、救急車が刑務所内から走り去った。

暴動は土曜日の夜に発生し、囚人たちが看守たちを刑務所内から追い払ったと、刑務所の責任者Abdul Salaam Bakshiが語った。アルカイダやタリバンが、囚人に協力しているという。

アフガン軍兵士100人が、刑務所を包囲した。「問題はすべて刑務所内のことだ。平和的に解決したいと思う」と、Bakshiが語った。

法務省副大臣のMohammed Qasim Hashimzaiが、少なくとも囚人4人が負傷したが、囚人たちは手当を拒否しているという。看守たちには、負傷者はいないらしい。

Bakshiによると、囚人たちが看守を襲撃して脱獄しようとしたところ、制止された。囚人たちは小さなナイフや、壊れた家具で作ったこん棒を持っているという。また寝具に、火がつけられた。

(中略)Hashimazaiによると、囚人はまだ脱獄しようとしており、約100人が女性囚人収容所の一角を占拠しているという。

先月タリバン7人が脱獄して以来、囚人は新たな囚人服を着用することになったが、これを拒否した者たちが暴動を引き起こしたという。

法務省の使節団が日曜日の朝に刑務所を訪れ、立てこもっている囚人たちと交渉をしている。「彼らの要求を聞いているところだ」とHashimazaiが述べた。「交渉で解決できなければ、それなりの対処をしなければならない」という。(後略)

hoonnmates Riot at High-Security Kabul Prison
AMIR SHAH、KABUL

■軍事活動、終わったわけではないとKhalil[060225 News]

北ワジリスタンの軍事作戦に関して、北西辺境州知事のKhalilur Rahmanは金曜日に、部族民たちが外国人容疑者を追い出し、パキスタン陸軍による作戦を実施しないですむように和平を申し出た、と語った。

和平の内容について問うたところ、部族民たちに課された使命を遂行するか、それなりの対処を受けるるか、選択の機会を与えたという。

「ある意味では重大な局面を迎えた。外国人戦闘員を取り締まることができないでいるからには、軍は強攻策を実施しなければならなくなる」と部族民に語ったという。地域から外国人戦闘員がすべてがいなくなるまで、軍事作戦は終結しないと語った。「部族民たちには、軍事作戦は一時的に延期されているだけだと語った。部族の慣例や伝統に従ってテロリストを取り締まり、地域の平和をとりもどすために、自分たちで対処する最後の機会だと言った」と説明した。

長老たちが使命を果たすために期限があるのかと尋ねたところ、期限はないと語った。「実に明快なことだ。政府は不必要な外国人を一掃するために、北ワジリスタンに機会を与えようと言ったのだ。長老たちにその能力がなかったり、あるいは使命を果たすことを拒否するのなら、大掛かりな軍事作戦を強行すると警告したのだ」。

知事のコメントは、地元や外国のメディアで大きく取り上げられた。特に国際メディアではこれを、アルカイダやタリバンと関係する戦闘員たちの取り締まりが終わったことを意味する、と捉えたようだ。知事はこれに不快感を示し、内容からはずれていると批判した。(中略)

hoonArmy action not over yet: Khalil
Rahimullah Yusufzai、PESHAWAR

■アフガニスタン、諜報情報をパキスタンと共有[060224 AP]

カルザイ大統領は、オマール師の居場所に関する諜報情報をパキスタンに渡した。

先週カルザイがイスラマバードを訪問した際に、諜報情報が提供されたという。またパキスタンの国境地帯や都市部にあるテロリストの訓練所の場所についても、情報が提供された。

(中略)「我々はオマール師を始め、パキスタンにいると思われる彼の部下についての情報を提供した」と、アフガニスタン政府関係者が語った。パキスタンにいると思われる者たちは、オマール師のほかに、アフガニスタン南部の作戦を指揮するダドゥッラー師、前カンダハル司令官のAhktar Mohammed Usmaniがいる。どこに隠れているかについては、語らなかった。

パキスタンの諜報部関係者によると、オマール師はパキスタンのどこかに隠れて国境地帯を点々としていると、カルザイが語っていたという。しかしその居場所についての詳細は、語らなかった。

パキスタンの内務省幹部は、オマール師の居場所について疑うことは簡単だが、「証拠はあるのだろうか」と尋ねた。

(中略)アフガニスタンのアブドゥッラー外相が語ったところによると、アフガニスタンの抵抗勢力からバローチスタン州に武器が密輸されている可能性があるととして、アフガニスタンに諜報情報を提供したという。アブドゥッラーは、アフガニスタンから武器が密輸されている可能性はあるが、アフガン政府が指図しているのではないと語った。

あるアフガニスタンの対テロ対策関係者によると、アフガニスタンはパキスタンにタリバン幹部や司令官など、150人の容疑者のリストを提供したという。「多数のタリバンがクエッタ、ペシャワル、カラチに住んでいる」と語る。アフガニスタンはパキスタンに、住所などの細かな情報を提供したという。

この関係者によると、容疑者リストにはダドゥッラー師が含まれ、パキスタンとアフガニスタンの間を行き来して、抵抗運動を指揮しているという。

ダドゥッラーは12月に『AP』の電話インタビューに応じ、タリバン200人が自爆攻撃をする覚悟ができていると主張し、自分はアフガニスタンにいるとも語っていた。

9.11以後、パキスタン政府はタリバン支援を中止したが、アフガン政府関係者たちは、パキスタンのISI内部にはいまだにタリバンを支援している者たちがいる、と疑っている。パキスタンは、強くこれを否定している。

アフガン政府幹部高官によると、タリバンのリーダーを逮捕することよりも、クエッタ、ペシャワル、カラチを始め、ワジリスタンの国境地帯にあるテロ訓練所を閉鎖することのほうが重要だと語る。

アフガニスタンで逮捕され、取り調べを受けた容疑者たちの情報から、抵抗勢力は訓練所で戦闘の訓練をはじめ、爆弾製造、武器の扱い方、自爆テロの実施方法などを教えられていることがわかったという。

hoonAfghanistan Shares Intel With Pakistan
MATTHEW PENNINGTON、KABUL

■パキスタン、抗議集会に先立ちイスラーム主義者のリーダーを拘束[060224 Reuters]

パキスタン当局は金曜日に、予定されていたムハンマドの漫画に対する全国的な抗議集会に先立ち、イスラーム政党の会長を拘束した。

MMA会長のQazi Hussain Ahmedが、ラホールの党事務所で拘束されたとパンジャーブ州政府が発表した。「党事務所から出ることはできない」と、州の報道官TaimurAzmat Usmanが述べた。今週になってAhmedが拘束されたのは、2度目である。(後略)

hoonPakistan detains Islamist leader ahead of protests

■北ワジリスタンでの作戦、延期[060224 News]

北西辺境州知事のKhalilur Rehmanが木曜日に、北ワジリスタンの部族民たちは伝統と慣習に従って平和を回復することができるはずだとして、政府は軍事作戦を実施することを延期した、と述べた。

「政府は、以前決めたことを中止したというわけではない。部族民たちに、自分たち自身で問題を解決してほしいだけだ。改善が見られなかった場合、作戦は本格的に実施される」と、ミランシャーで開催されたUtmanzai Wazir族 とDaur族のジルガで発言した。(後略)

hoonOperations in North Waziristan suspended
PESHAWAR

■ムシャラフ、支配力を弱める[060222 Asia Times]

ムハンマドの漫画に対する極秘の政府主催の抗議運動は、ムシャラフ大統領に対するキャンペーンにすり替わっている。このような見地から、(預言者ムハンマドに関する)Shah-i-Mustafaの運動は、すでにTehrik-i-Nizam-i-Mustafa運動の第一段階に変わってしまったといえる。これはムハンマドの道、あるいはシャリア法を、社会に強要するという意味である。

MMAのリーダーのQazi Hussain Ahmedは、3月23日までにムシャラフの解任を求めているが、数週間のうちに、軍事政権はさらにその支配力を失う可能性がでてきた。

タリバンが支配する南北ワジリスタンを含んでいる北西辺境州の部族地帯では、行政はすでに力を失っている。パキスタンの治安部隊は、ワナとミランシャーにある本部の外に出ることができない。

同様にバローチスタン州も、窮地に追いやられている。軍は抵抗勢力たちを支配することができない。ほとんど毎日のように、この資源豊かな地域のガスパイプラインは爆破され、電線は切断される。パキスタン軍は何もできない。先週、中国人技師3人とパキスタン人運転手がバローチスタンで射殺された。中国人は、グワダール港の建設を請け負っていた。

このような状況のなかで、パンジャーブだけが体制側の拠点として機能していた。しかし、ここも今となっては危なくなった。

パンジャーブ州を通して、例えばChiniotのような小さな地区でも、陸軍本部があるラワルピンディでも、首都のイスラマバードでも、国家に対する不満をぶつけるために大衆が街頭に繰り出した。

《政治的局面の上では》

政府が、ムハンマドの漫画に対する抗議運動をけしかけ、後援したことは、公然の秘密だ。パキスタンにおける原理主義の危険性を欧米に見せつけ、軍事的独裁政権によってのみ、これを制御できることを印象づけるためだ。

この計画は失敗し、政府もすぐにこれに気づく。例えばパンジャーブで実施されたデモの直後、政府側は州や連邦首都に、Section 144といわれる集会禁止令を出した。しかし禁止令にもかかわらず、イスラマバードでは日曜日に大きな抗議集会が行なわれた。警察は催涙ガスやゴム弾を用いて民衆を追い払い、あちこちで大勢が逮捕された。

(中略)逮捕された者のなかには、イスラーム協会の副会長Syed Munawar Hasanもいる。Qazi Hussain Ahmedも、ラホールの自宅で逮捕された。しかし反応があまりにも大きかったために、翌日釈放された。

MMAやイスラーム協会は、漫画に対する民衆の抗議運動を利用して、ムシャラフ政権に対する反対運動にすりかえた。唯一の障害が、MMAの最も強力な要員である国会議員でイスラーム神学者協会会長のマウラナ・ファズル・レーマンだ。彼は、このようなキャンペーンを開始する準備ができていない。

しかしMMA内部の人間が語るところによると、レーマンがこの動きを支持するかどうかはそれほど重要ではない。なぜなら、大衆がこのキャンペーンを動かしているからだ。

《政治的局面の裏で》

宗教政党に加えて、パキスタンの原理主義組織がいわゆるTehrik-i-Nizam-i-Mustafaを受け入れ、それに従ってムシャラフ排除に動き出した。マドラッサやモスクも、これを呼びかけている。

イスラマバードにあるラール・マスジットのMaulana Abdul Azizの呼びかけに応じて、金曜日に約5000人が親米ムシャラフ政権に対してジハードを実施し、命を犠牲にすることを誓った。イスラマバードの他のモスクや、ラワルピンディ、ラホールでも同様である。

Maulana Abdul AzizとGhazi Abdul Rasheedは、暗殺されたMaulana Abdullahの息子である。政府はこの兄弟の過激な発言のために、2人を逮捕したいのだが、民衆だけでなく陸軍内部にも彼らの強力な支持者が多いため、逮捕に踏み切れない。政府は2人を指名手配にしているにもかかわらず、ラール・マスジッドの近くにある彼らの小さな家を、政府の幹部高官多数が訪れる。

前代未聞のことだが、黒々とカルマ(唯一の神以外神はなし、ムハンマドは神の使者なり)が書かれた白い旗が多数、抗議集会で見られた。これらの特別な旗は、1400年前に預言者ムハンマドが用いたものであることを、誰もが思い出すだろう。

《歴史的類似性》

現在の状況は、左派と右派が手を結んだPakistan National Allianceが1977年にTehrik-i-Nizam-i-Mustafaを発令し、その結果ジアウル・ハク将軍がクーデターを起こし、ズルフィカール・アリ・ブットを背任して軍事政権を創設した、波乱の時代と似ている。

ある元政治家は、1970年代に反伝統主義がはびこり、深刻な時代になったことを思い起こす。アルコールが社会文化の一部となり、野心家たちが権力の回廊を支配していた。(中略)この元政治家によると、「Tehrik-i-Nizam-i-Mustafaは、政権が社会的規範を変えようとしたときの、政権に対する大衆の反乱だ」と語る。

ムシャラフに対する不満の理由は、当時とは異なっているだろう。何よりも彼らの不満は「テロとの戦争」における彼の親米主義的態度だ。モスク、ジハード団、宗教政党、野党たちまでもが、この動きに加担している。そしてムシャラフは現在、中国訪問中だ。

金曜日に、野党は全国的な抗議運動を呼びかけた。日曜日にはラホールでデモが予定されている。もちろんラホールでも、集会運動禁止令が出されている。

来月は、さらに抗議運動が予定されている。ブッシュ大統領のパキスタン訪問と、ちょうど時期が重なる。

状況は山場を迎える。

smellMusharraf losing his grip
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■オマール師、イスラエルの船の襲撃に資金を提供[060222 Daily Times]

シリア人のアルカイダ容疑者が取締官に、イスラエルのクルーズ船を襲撃しようとして未遂に終わった計画は、タリバンのオマール師が資金援助をしていたと語ったと、『NTVテレビ』が火曜日に報道した。

Loa'i Mohammad Haj Bakr al-Saqaが取り調べ官に、オマール師から5万ドルを受け取り、彼の名目でイスラエルを標的にするように言われたと語った。いっぽうでオマール師は、アメリカを標的にすることを望まなかったという。

Al-Saqaは8月に、イスラエルのクルーズ船の攻撃を計画していたとして、トルコで逮捕された。イスタンブールで58人が殺害された自爆テロの首謀者として、告訴されている。トルコの検察官は、親欧米国家を攻撃するよう、ビンラディンから個人的に使命を授けられていたと主張している。(後略)

hoonAttacker says Mulla Omar funded attempt on Israeli ship
ANKARA

■ワジリスタンで部族民2人、射殺される[060222 News]

南ワジリスタンのアンゴール・アッダで、何者かが部族民2人を射殺した。また、同じ地域にあった政府の学校が爆破された。

政府関係者と部族民の情報源によると、月曜日にアンゴール・アッダで、覆面をした男たちがBadshahKhanと弟のRasul Khanを射殺したという。男たちは2人を足で追跡し、射殺したあと、何事もなく歩き去った。

なぜ2人が殺害されたか、原因は明らかではない。しかし村人のなかには、戦闘員たちが、2人がアメリカのスパイであることを疑っていたようだと語った。2人はしばしば、アフガニスタン側に渡っていた。

いっぽうアンゴール・アッダの近くにあるPanjgoona村の政府の小学校が、爆発で損傷した。学校には誰もいなかったために、被害者はいない。

hoonTwo tribesmen shot dead in S Waziristan
Sailab Mahsud

■イスラーム過激派11人、死刑宣告される[060221 AP]

火曜日に、2004年にパキスタン陸軍の中将を暗殺しようとして10人を殺害した、11人のイスラーム過激派に死刑が宣告された。

カラチで刑が宣告されたあと、被告たちは手錠をかけられた手を挙げ、全員で「神は偉大なり!」と叫んだ。また「宣告で我々を殺すことができても、我々の意気は高い」と語った。

Ahsan Saleem Hayat中将が乗った車が、2004年6月に襲撃された。Hayatは難を免れたが、兵士6人と警察官3人、通行人1人の10人が殺害された。

(中略)火曜日の宣告のあと、首謀者のAtta-ur Rahmanは報道陣に、裁判者はジハードを止めることはできないと語った。「もし一介ののAtta-ur Rahmanが死んでも、私の代わりの者たちが来てジハードを続ける」と国内の過激派組織Jundallahの会長、Rahmanは語った。

被告は控訴するという。

hoon11 Islamic Militants Sentenced to Death
ZARAR KHAN、KARACHI,

■アメリカの収容所での死亡者、調査[060221 BBC]

2002年8月以来、100人近い囚人がイラクとアフガニスタンのアメリカの収容所で死亡していることが、アメリカの人権団体による調査の報告書で明らかになった。

死亡者98人のうち、34人は殺人であることが断定、または疑われていると、調査の結果が『BBC』の番組『Newsnight』で報道された。ペンタゴンは『Newsnight』に、まだ報告を見ていないと述べ、真実であれば、「厳重」に受け止めて調査すると述べた。

(中略)報告によると、34件を殺人と断定し、「意図的、あるいは無謀な行為」の結果だという。さらに11件が殺人の疑いがあり、8〜12人が拷問で死亡したと報告する。

しかしこのような事実が明るみに出ても、告訴されることはほとんどなく、罪も軽いという。(後略)

garrReport probes US custody deaths

■アフガニスタンのムスリム同士の衝突の裏に、前州知事[060221 Washington Post]

シーア派にとっては、もっとも聖なる、大切な日たった。Mehdi Buzerk Mosqueで約250人の男たちがアシュラの儀礼をしている最中に、「神は偉大なり、シーア派引っ込め、知事引っ込め」と叫んでいるのが聞こえていた。

男たちは逃げ出したが、何人かはモスクの屋根に登り、スンナ派がモスク内になだれ込み、部屋に火を放つ様子をこわごわ見守った。(中略)

通常、平和なこの町で起きた暴動で、4人が死亡し、120人が負傷した。当初は宗教抗争だと思われていた。しかし住民たちは、それだけではないと語る。

「スンニとシーアの問題ではない」と、車ディーラーのGhulam Hussainが語った。「権力を失い、それを取り戻そうとしている人間の仕業だ」と言う。

前州知事のイスマイル・ハーンの仕業だと考える者が多い。地元政府関係者や国際オブザーバーたちは、権力を奪回しようとしているハーンが仕組んだ事件である可能性があると語る。ハーンは18ヵ月前に、アメリカ外交官たちに説得されて、州知事を退いた。

もう一つ問題なのは、カルザイ大統領がハーンと戦う意欲を見せていないことだ、とオブザーバーたちは語る。2004年にハーンがヘラートから呼び寄せられ、国会内で地位を与えられたとき、地方権力者たちに対処する、民主主義政府の能力が証明されたと評価されていた。それ以来カルザイは、地元の軍閥たち多数の権力を奪ってきた。

しかしカルザイは今になって、アフガニスタンの最も強力な軍閥を手放し、2月9日の事件の調査のために、ヘラートに送り返した。カブールからヘラートにただちに帰ったハーンは、丘の上の自宅で、使節団や有力者、情報提供者たちを迎えて過ごしている。

「イスマイル・ハーンは、いまだにヘラートでは権力を持っている」と、ヘラートでNatoを指令するDario Ranieri大佐が語る。「カルザイ大統領は、ハーンに権力があることを知っている」。

カルザイの報道官であるKarim Rahimiは、問題解決のためにハーンが選出されたことを弁護する。「彼はヘラートの長老だ。大統領は、彼がこのような状況において役立つと判断した」。

しかし、ハーンのヘラートへの帰還には、問題が多い。シーア派たちは、地元スンナ派にいまだに命を狙われているとおののいている。シーア派である現州知事は、辞職を申し出た。

治安関係者、宗教指導者、国際援助活動家、目撃者たちによると、今回の暴力沙汰は非常によく統率され、ハーンを事務所に戻すことを計算しての行動だったと語る。首謀者は、ハーンが権力の座から追い払われた時、最も激しく抗議した彼に忠実な者たちだったという。

暴動があった日は、スンニとシーアがブルー・モスクに集まり、互いに信義を交わしたという。(中略)しかし後になると、この信義が崩れてしまった。モスクの外で、シーア派がスンニの旗を破ったという叫び声が聞こえてきた。これが本当だったのかどうかは、確かめることはできない。しかし反応は早かった。どこからともなく、スンナ派の男たち数百人が集まり、「シーア派をやっつけろ」と叫んでいた。

住民によると、これまでスンニとシーアの抗争は、ほとんどなかったという。6ヵ月前、カルザイがシーア派の州知事を任命したあと、緊張が高まった。ムハンマドを冒涜する漫画の事件が起きて、住民1万人が抗議運動を実施してからは、一触即発だった。

他のスンナ派の集団もどこからともなく現れ、シーア派のキャンプに向かった。シーア派の中には、手榴弾やカラシニコフを持ち出したものもいる。シーア派の兵士や警察はシーア派の住民に武器を貸し与えていたと、目撃者が語る。スンナ派の政府関係者も、同じことをスンナ派の住民にした。こうして激しい衝突が発生したのだ。(中略)

「イスマイル・ハーンは、もし自分がここにいなければ、状況はこのようになってしまうということを、政府に知らしめたいのだ」と、ヘラートの宗教議会を率いるスンナ派の宗教者Molwi Khudaidad Salehは語る。「知事の仕事がしたくてたまらない。しかし政府が彼を任命したら、ヘラートの人びとは彼を受け入れないだろう。彼は非常に残虐な男だ。殺人者だ」。

50代後半のハーンには、まだ多くの支持者がいる。ヘラートはアフガニスタンの最も美しい町で、文化の中心でもある。建物には真新しいガラスが輝き、公園には物乞いは1人もいない。

タリバン政権崩壊後の3年間で、すべてハーンが成し遂げたことだ。国境の交易に関税をかけ、ヘラートの町を再建したのだ。また反ソ連、反タリバン司令官としても名高く、2度もヘラートを圧政から解放した。(中略)

しかしソ連やタリバンと変わらず、ハーンを圧政的な支配者と見る者も多い。人権団体は虐待や、女性の権利を奪っていると非難する。

現州知事のSeyyed Hussein Anwariは、カルザイがハーンを派遣したことに動揺し、辞職を申し出た。ハーンと6人の委員は事実を検証し、目撃者の証言を聞き取っている。「彼は、知事に再びなろうとは思っていないと語る」とシーア派の宗教者のNaderAli Mehdaviは語る。「しかし彼の腹の底は、神のみぞ知る」。

hoonSome See Hand of Former Governor Behind Muslim Clash in Afghanistan
Griff Witte、HERAT

■アフガニスタンの抵抗運動に、DVD活躍[060221 BBC]

カブールからコーストは、たったの200キロだ。しかしアフガニスタンの首都は、この国境地帯の州をコントロールできないでいる。

カブールの政府関係者たちは、隣のパキスタンから完全武装した戦闘員たちが定期的に入り込み、彼らを制止することができないという。

僻地では、政府の幹部関係者の殺害に、5000ドル以上の賞金が懸けられていると、ある行政官が語った。「巨額だ。アルカイダには、湾岸地域から入ってくる金がある」と、アルカイダを支持するアラブ人たちを言及する。

《プロパガンダ》

コーストの地方政府は、状況をすべてパキスタンのせいにしている。戦闘員たちは、パキスタンの部族地帯のミランシャーに訓練所を作ることを許可されていると語る。これらのキャンプのうち数カ所が撮影され、DVDの形で両国に出回っている。映像は抵抗勢力に反対する者たちに恐怖を植え付け、新たな戦闘員を募集するために用いられる。また資金の収集のために、海外に送られることもある。

解説はアラビア語で、宗教歌がバックに流れる。制作者たちは、アフガニスタンとイラクを関係づけようとしているようだ。

最近出回ったDVDでは、あるアフガン人がアメリカのスパイだったことを告白する。その後イラクにいるアルカイダのリーダー、ザルカウィの写真の前で、斬首される。

別の映像では、犯罪人だといわれる数人の男たちが、観衆の前で処刑される。その後頭を切り落とされた遺体が、ミランシャーの町中を、車に引きずられて行く。タリバン式の処刑方法だ。

3番目のDVDは、アラブ人やウズベク人と思われる10人ほどの戦闘員のグループが、訓練所で戦闘方法を学んでいる様子を追う。その後DVDは、戦闘員がコーストのアフガン国軍を襲撃し、検問所を突破して行く様子が映し出される。「戦闘員たちは最新の武器、弾薬、金を携え、国境を越える」と、地元の行政官が語った。

《自爆攻撃》

抵抗勢力たちは、英軍がNatoを率いるアフガニスタン南部を最も激しく攻撃しているが、コーストの住民によると、毎日のように小競り合いがあり、道路脇では爆弾が爆発し、銃撃戦があると言う。学校や保健所などで活動する人びとを追い払うには、十分だ。

米軍報道官のジェームズ・ヨンツ大佐によると、戦闘員たちはこれまでと戦術を変え、一般市民を攻撃するようになったという。自爆攻撃もある。

これはアフガニスタンの再建を妨害するもので、「人びとの意思をくじく」ためのものだ。「彼らは勝利しているのではない。必死になっているのだ」と、ヨンツは語る。

先週カルザイ大統領はイスラマバードを訪れ、抵抗勢力に圧力をかけるよう、パキスタンに要求した。

同じ日に、『BBC』のレポーターが国境の村のMakhay Kandawを訪れた。

《警備の欠如》

最近パキスタンにいる戦闘員たちは、Makhay Kandawからアフガニスタン側に入っているといわれているが、ここには政府の治安関係者は1人もいなかった。検問所もない。「まるでホテルに入る、大きく開け放たれたドアのようだった」とレポーターは語る。「でもチェックインには、誰もいない」。

カルザイは、パキスタンが戦闘員たちに協力しているとまでは言わなかったが、コースト州知事のMirajudin Pattanははっきり糾弾する。

「タリバンとアルカイダはパキスタン国内に訓練所を持っており、パキスタン政府は彼らを援助している」と『BBC』に語った。「私を殺害しようと数回自爆攻撃者を派遣してきた。しかし失敗したようだ」。

パキスタンはこれを否定する。戦闘員がパキスタン内で活動しないよう、あらゆる手を尽くしていると語る。アルカイダ数百人を逮捕し、数千人の兵士たちを部族地帯に派遣した。

hoonDVD role in Afghan insurgency
Mark Dummet and Bilal Sarwary、Khost

■オサマ、生きて逮捕されないと誓う[060221 News]

オサマ・ビンラディンは、生きて逮捕されることは決してないと誓い、米軍はサダム・フセインと同じように「野蛮」になったと語るオーディオ・テープを、過激派のウェブサイトに発表した。

テープの内容は、1月19日にアルジャジーラが発表したものと同じだったが、アルカイダテロ組織は近々アメリカの国土で新たな攻撃を実施するとも述べた。

hoonOsama vows never to be captured alive
CAIRO

■ウズベク人2人と部族民、Miraliの衝突で死亡[060221 News]

月曜日に発生した外国人戦闘員と地元の部族民との間の衝突で、ウズベク人2人と地元の若い部族民が、北ワジリスタンのMirali村の近くで死亡した。

政府関係者は、外国人戦闘員たちが死亡した2人の仲間の遺体を持ち去ったと述べたが、地元の情報源によると、村人がウズベク人らしき戦闘員の遺体を持ち去り、埋葬したという。

事件は、Miraliから2キロの地点にあるHassokhel村で起きた。目撃者によると、白い車に乗った武装した男たちがHassokhel村に到着し、17歳のShanzebが撃たれた。村人たちが戦闘員に発砲し、1人を殺害、他の者たちは逃走した。

タクシー運転手だったShanzebは後に死亡したが、死の直前、最近自分の車の貸与に関してウズベク人たちと争った、と話している。ウズベク人に復讐されたのではないかと語ったという。

この出来事の1時間後、外国人戦闘員たちが死亡した仲間の復讐と、その遺体の回収のために再び村に戻ってきた。目撃者によると、再び銃撃戦があり、外国人戦闘員1人が死亡した。

これとは別に、Mirali近くのKajhoraiにある国境警察隊の基地に、ロケット弾が4発が撃ち込まれた。

《Sailab Mahsud追記》

南ワジリスタンでは月曜日、陸軍兵士2人が地雷を踏んで負傷し、別の事件では準軍隊兵士3人が行方不明となった。

さらにアンゴール・アッダの近くで改良爆弾が爆発した。当時道路には誰もいなかったために、負傷者はいない。また月曜日にラズマックとバヌーを結ぶ道路で、改良爆弾2発が爆発した。軍の車両が一部損傷したが、負傷者はいない。

これとは別に、日曜日にBarwand Ouspasで、部族民警察のチェックポストが爆発した。当時チェックポストには誰もいなかったために、負傷者はいないようだ。

hoonTwo Uzbeks, tribesman killed in Mirali clash
MIRANSHAH

■ムシャラフ、選挙の苦悩[060220 BBC]

去年のムシャラフ大統領の政治ゲームのプランは、明快だった。紛争カシミールに関するインドとの争いに決着をつける。パキスタン全土に恩恵を与えることになるはずのカルバ・ダム建設の決行。実現すれば、50年間続いたインドとの紛争を解決した、ムガール帝国時代以来の偉大なる王になったはずだった。

しかし計画は破綻した。10月の地震以後、軍が劇的な形で多数のカシミールのジハード団をよみがえらせたが、軍がこれらの組織を温存している限り、インドはムシャラフの和平計画に応じることを拒否した。

またスィンド州では、カルバ・ダム建設でパキスタン南部は渇水する恐れがあるとして、大掛かりな抗議運動が展開した。

ムシャラフ将軍は、さらにさまざまな問題に直面している。

バローチ抵抗軍と対決するために、軍がバローチスタン州に派遣された。ブグティ族報道官のシャーヒッド・ブグティによると、12月の終わり以来5週間で、一般市民75人と治安部隊関係者62人、そして何人もの抵抗勢力たちが、マルリ族とブグティ族の居住地を中心とした激しい戦闘で死亡した。軍は、死傷者の数を公表していない。

内閣や政権を握るPakistan Muslim League(PML)は、去年PMLのChaudhry ShujaatHussainとMushahid Hussainと、バローチのリーダー、ナワーブ・アクバル・ブグティとの間で合意に達した和平協定になぜ軍が従わないのか、不審に思っている。この和平協定では、バローチスタンはこれまで以上の自治権を持つことになっていた。

何度も協議を交わした結果、PMLのリーダーたちはバローチ族に高く評価された報告書を発表した。この報告書は、これまで存在していたバローチ族に対する差別を、初めて公的に認めたのものだっだ。

しかしこの報告書には、埃がたまっている。

今、戦闘は劇的にエスカレートしてきた。残虐で汚職に満ち、市民を差別的に扱うとして憎まれている非バローチ民兵からなる国境警察隊員たちに対して、パローチ族の怒りが爆発した。

パキスタンの人権団体によると、国境警察隊は裁判外の処刑を12件実施したという。政府はこれを否定している。

《逆効果》

アフガニスタンと接する部族地帯や北西辺境州では、軍はアルカイダやタリバン戦士たちを逮捕するために派遣され、部族民たちには開発プロジェクトを与えて、未来のある政治を与えるはずだった。

軍がパトロールしているはずの地域で、今タリバンが、法と秩序を維持している。

スィンド州では、軍はウルドゥー語話者のMuttahida Quami Mahazと結託し、世俗的なPakistan Peoples Partyを抑制して、スィンディを阻害している。

原理主義者たちは、デンマークの漫画の問題を機に、毎日のように抗議運動を展開している。これらのデモは、本来の漫画に対する抗議ではなくなり、反ムシャラフ運動になってきた。

しかしこれらの騒乱にもかかわらず、陸軍関係者の70%の出身地であるパンジャーブ州の政治家たちは、ムシャラフ将軍がいかに2期目の大統領になるか、その保証に関心が向いている。

もしゲームが計画通り進行していたなら、2007年の総選挙戦のあと、2期目の大統領として立候補し、新たな国会を開始することになったはずだ。

しかし彼の人気は急激に衰退しており、危険な道のりだ。したがって陸軍や政治家たちは、選挙を何らかの方法で2008年に延期し、ムシャラフ将軍が現国会による選挙で2期目を確保することを目論んでいる。

これは成功するかもしれない。しかし軍事政権を引き伸ばすことは、パキスタンの山積みの問題−政治的、経済的、地域な問題−を解決しはしない。

hoonMusharraf's electoral quandary
Ahmed Rashid

■パキスタンのイスラーム主義者のリーダー釈放、さらなる抗議を誓う[060220 Reuters]

昨日抗議集会に参加しようとして逮捕され、自宅軟禁となったパキスタンのイスラーム連合政党のリーダーが釈放され、党はムハンマドの漫画に対する抗議運動を今後も続けることを誓った。

MMAによると、党員3463人のほとんどが拘束され、いまだに釈放されていないという。しかし会長のQazi Hussain Ahmedは月曜日の朝、ラホールの自宅から出ることを許された。

Ahmedは後にイスラマバードに到着し、MMAの会合に出席した。逮捕された者のうち何人かは釈放されたが、ほとんどがまだ拘束されているという。

党の報道官Shahid Shamsiは、MMAは金曜日に全国的な抗議集会を行ない、日曜日にはラホールで別の抗議集会を行なうと語った。また3月3日にも全国的なストライキを予定しているという。さらに3月5日には、カラチで抗議集会が開催される予定である。

これらの抗議集会は、ブッシュ大統領のパキスタン訪問と重なる恐れがある。ブッシュは3月初旬にパキスタンを訪問予定であるが、日程の詳細は公表されていない。

パキスタンでは、デンマークの新聞に掲載されたムハンマドの漫画に関する抗議運動で、先週5人が死亡した。この事件で、ムシャラフが欧米主導のテロとの戦争に協力していることが、やり玉にあがっている。

Qazi Hussain Ahmedが率いるイスラーム協会のの副会長Syed Munawar Hussanは日曜日に、「ムシャラフが失墜するまで」抗議を続けることを誓った。

警察の取り締まりや、道路封鎖、催涙ガスや威嚇射撃にもかかわらず、日曜日にはイスラマバードに約1000人のデモ隊が繰り出し、宗教的・反政府的スローガンを唱えた。

(中略)イスラマバードの抗議運動参加者たちは、漫画が出版されたすべての国々から、パキスタンの大使が引き上げることを要求した。パキスタンは漫画に対する抗議として金曜日に、在デンマークパキスタン大使を召還している。

日曜日にデンマーグは、安全面から、予定されていた休暇を2日切り上げ、在パキスタンデンマーク大使を帰国させたと述べた。

デンマークの新聞『Jyllands-Posten』の編集長は謝罪し、日曜日にはサウジの新聞に謝罪文が掲載された。

ペシャワルの宗教指導者は、デンマークの漫画家の殺害に、懸賞金を懸けた。

hoonPakistan Islamists vow more protests as leader freed
Raja Asghar、ISLAMABAD

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2006.