【2006年5月29日〜6月4日】
●抵抗勢力がアフガニスタンとの国境近くの部族地帯で準軍隊の車列を襲撃し、少なくともパキスタン兵2人が死亡した。
●治安部隊がミランシャー近くで襲撃されたあと、戦闘員との間で戦闘が発生したと、土曜日に目撃者が語った。
●「ミランシャーのすぐ外で、戦闘員たちがロケット弾を用いて車列を攻撃した。兵士2人が死亡し、2人が負傷した」と、治安関係者が語った。
●襲撃の直後に戦闘ヘリコプターが戦闘員たちの隠れ家を攻撃し、バザールでも銃撃音が聞こえたという。
●カンダハルで同盟軍の車列を狙って、車を用いた自爆事件が発生し、4人が死亡、少なくとも12人が負傷した。
●カンダハル州知事のアサッドゥッラー・ハリッドを乗せた車の近くで、爆発した。
●「同盟軍に被害はない」と、同盟軍報道官のスコット・ランディが語った。「一般市民4人が死亡し、12人以上が負傷した」と、内務省報道官のユースフ・スタニザイが述べた。
●ハリッド知事によると、自分が標的ではなかったという。「我々の車列と同盟軍の車列の間で爆発があった。犯人は我々を追い越して行った。ということは、私を狙ったものではない。同盟軍が狙われたのだ」。(後略)
●政府は、ワジリスタンに新たな軍を設置することを決定した。
●『BBC』の報道によると、新たな軍隊はレビと呼ばれ、行政官や行政府の力を拡大するために、創設されるという。部族地帯の7行政区のうち、現在バジョール、クラム、オークザイ行政区でレビが活動している。残りの4行政区では、地元警察のカサダールが活動している。
●レビ軍隊関係者が9ヵ月間にわたって、バジョールに設置された訓練所で訓練を実施する予定である。アメリカ当局も、新たな軍隊創設を知らされているという。
●アフガン治安部隊によると、アフガニスタン南部でタリバン12人を殺害し、18人以上を逮捕したという。
●金曜日、カンダハルの警察検問所をタリバン戦闘員数十人が襲撃したと、カンダハル州知事報道官のダウード・アーマンディが語った。戦闘で、「警察官4人が負傷したが、タリバン戦闘員12人を殺害した」という。
●これとは別に金曜日、戦闘員たちがヘルマンド州の警察検問所を襲撃し、警察官4人が負傷したとと、州報道官のモヒーディン・ハーンが述べた。
●その後18人が逮捕されたという。「少なくとも逮捕された人間のうち6人が、今回の襲撃に直接関わっていたようだ」という。(後略)
●カルザイ大統領はカブールで反米暴動が発生した数日後、カブール警察長官を含む、警察幹部数十人を解任した。
●警察司令官34人が解任され、約50人が異動になったと、内務省幹部が土曜日に述べた。
●大統領関係者によると、異動は以前から進行していた警察改造計画の一部で、月曜日の暴動の前から始まっていたという。「数ヵ月前から計画されていた内務省の改造計画の一部だ」と、大統領報道官が述べた。
●しかし内務省関係者によると、異動のいくつかは月曜日の暴動後に決まり、他は、暴動が発端となったという。「以前からの計画だったが、暴動で早まった」という。
●解任された者のなかには、カブール警察長官のジャミール・ジュンビシュがいる。「月曜日に、警察は何もできなかった。彼の解任は、暴動と関係があると思う」と、ある関係者が語った。彼に代わって、ハイウェイ警察長官のアマヌッラー・ゴザールが任命された。
●カブールの緊急警察部隊責任者のマハボブ・アミーリも解任された、と述べた。(後略)
●米軍とアフガン軍は戦闘機に援護されて、アフガニスタン南部でタリバンと激しい戦闘を繰り広げ、戦闘員が少なくとも35人死亡した。
●金曜日に米軍とアフガン軍が南部のチョーリ村をタリバンから奪回し、戦闘員20人を殺害したと、国防省報道官のザヒール・アジミが発表した。
●抵抗勢力数百人が水曜日にウルザガン州を襲撃し、地元の治安部隊は逃走。この後抵抗勢力は数日間、町を占拠した。
●米軍報道官のクリス・ミラー軍曹によると、アフガン軍と米軍の間には死傷者はいないという。警察は町を奪回した、と述べた。
●(中略)土曜日にアルジャジーラ・テレビが、ヘクマチアルが米軍に対して新たな警告を発したと報道した。「抵抗運動は弱くない。アフガニスタンの人たちは復讐をしたがっている。もっと長く駐留するなら、彼らはさらに死傷者が出ることを願っている」と、ヘクマチアルがオーディオ・テープで語ったという。
●これとは別に金曜日、戦闘員たちがカンダハルのミアナ・シェンにある警察署を襲撃し、戦闘員12人が死亡、17人が負傷したと、州報道官が述べた。
●金曜日にヘルマンド州では、戦闘員たちが洞窟からトラックに爆発物を積み替えているところを、同盟軍の戦闘機が爆撃した。戦闘員の死者の数は明らかになっていない。
●さらにヘマルンドでは金曜日に銃撃戦が発生し、米軍が戦闘員3人を殺害したと、同盟軍報道官のクエンティン・イニスが発表した。
●北部のバハーラン州では金曜日、アフガン援助活動家が銃撃され、致命傷を負った。
(後略)●アフガン軍と同盟軍数十人がアフガン南部をタリバンから奪回し、戦闘で抵抗勢力15人が死亡したと、国防省が発表した。
●同盟軍機から降下した兵士たちがウルズガン州のチョーラ地区を襲撃し、金曜日の夜遅くにタリバン戦闘員たちを山中に追いやったという。「少なくともタリバン15人の遺体が発見された。全部で20人ほどが死亡したと思われる」という。
●アフガン軍と米軍主導同盟軍が、逃走した戦闘員たちを追跡している。何人かが逮捕されたようだが、数は明らかではない。
●火曜日にタリバン戦闘員たちが山中から入ってきて、州本部や政府車輛を放火した。
(中略)その後地区はタリバンに占拠されていた。(後略)●パキスタンの警察がアフガニスタンとの国境付近を捜査していた際に爆発があり、警察官1人が死亡、3人が負傷したと、政府当局が土曜日に述べた。
●今年になって、パジョールの暴力沙汰が頻発している。
●金曜日に警察がパトロールをしていたところ、道路に不審物があることに気づいたという。捜査のために近づいたところ、リモート・コントロールで爆発が起こり、警察官1人が死亡し、3人が負傷した。7人が拘束され、取り調べを受けている。(後略)
●(前略)月曜日の暴動で注目すべきことは、カブールの住民は、タジーク族が多いということだ。暴徒たちはアーマッド・シャー・マスードのポスターをかかげていた。
(中略)●月曜日のカブールの暴動は、反カルザイ・反米感情をむき出しにしたものだった。またアフガニスタンの人口の30%を占めるタジークが、公然とカルザイに対立し、彼をアメリカの操り人形だと非難していることは、非常に悪い兆候だ。
●しかしタジークの離反は、予測されるものだった。アフガン政府が最近パンシール一派(マスードの拠点)を排除しつつあったために、政府に対する怒りが高まっていた。
●アフガニスタンに詳しい者だったら、3月頃、アフガン政府に根本的変化が生じたことに気づいたはずだ。元大統領で、イスラーム同胞団の派生組織であるジャマーティ・イスラームを創設したブルハヌッディン・ラバニ教授が、パキスタンがアフガニスタンの治安悪化に関与していると認めることを、拒否した。
●それどころか、パキスタンがタリバンに協力しているとカルザイ大統領がパキスタンを強く非難していた最中、パキスタン政府関係者たちに罪はないと主張した。
●さらに重要なことは、ラバニ氏は、パキスタンのメディアとのインタピューで直接これを語ったことだ。彼はパキスタンの一般民衆に向かってメッセージを発信し、カブールを否定して、ペシャワルやイスラマバードにおける、彼の古い絆を復活させようとした。
●これまでのアフガン政策の変遷を把握するためには、努力が必要だ。ラバニが1994年後半から1995年前半にかけてタリバンを支持していたことは、あまり知られていない。当時ラバニは、タリバンがヘクマチアルを排除してくれると期待していた。
●またジャマーティ・イスラームのイデオロギー−−イスラームとアフガン・ナショナリズム−−は、タリバンが率いる今日のアフガン抵抗運動の根底にあるものと同一だ。月曜日に発生したカブールの暴動の根底にも、これが存在する。
●(中略)ラバニと、タリバンあるいはヘクマチアルが率いるアフガン抵抗運動のイデオロギーに、それほど差はない。最近カナダ紙の『トロント・スター』が、カブールのモスクの宗教指導者たちが、カルザイ政権と占領軍に対する抵抗運動に参加するように礼拝に来た者たちを促していた、と報道した。
●「カブールの宗教指導者たちの中には、ジハードを呼びかける機が熟したと信じている者たちがいる」という。北部同盟が所有していた武器が、北部地域から南部にいるタリバンに流れているという報告もある。政治的差異が、あいまいになってきた。
●タジークたちの離反は、重要なタジークのリーダー、ムハンマド・ファヒームとユーノス・カヌーニがカルザイ政権から除外されたことに始まる。これちのリーダーたちは、タジークの間では大きな支持を受けている。カルザイが彼らを排除したことは、パンシール全体を辱めたことになった。
●さらにカルザイはこの3月、カリスマ的な外務大臣のアブドゥッラーを突如排除した。アブドゥッラーによると、彼がワシントンに公式訪問をしていた最中、突然電話で異動を知らされたという。ワシントンに立つ直前にカブールでカルザイに会ったが、そのときには彼の大臣としての職は、内閣の異動でも代わらないと語っていたという。
●「異動は唐突だった。事前に話題にされたこともなかったし、意向を聞かれたこともなかった」とアドゥッラーは語る。
●タジークにとってもうひとつ不可解なことは、アフガン国軍におけるタジークの存在を、制限していることだ。カルザイがパンシールの再建のために、開発資金を与えていないことが、さらに彼らの怒りを大きくしている。カルザイの意図は、タジークのナショナリズムに蹴りを入れると同時に、パシュトゥンの愛国主義に迎合し、南部や南西部のパシュトゥン地域に権力の拠点を築くことだ。
●しかしタリバンの抵抗運動を見てもわかるように、この政策は成功していない。同時にカルザイのタジークとの関係は、悪化していった。カルザイは、汎アフガンナショナリズムの統合のための拠点を、無意識に準備しているのかもしれない。
●カルザイは、北部同盟以外の派閥も政権から排除している。ウズベクのリーダーであるラシッド・ドスタムが、現在どのような位置にいるかは、明らかではない。
●カルザイは3月に、ドスタムを北部にある彼の権力の拠点から遠ざけ、カブールで生活させるために、彼を軍長官にした。すぐにドスタムは、責任よりも単なるお飾りの地位を与えられたことに気づいた。ばかにされたと感じてカブールから飛び出し、拠点であるシビルガーンに戻った。これまで比較的平穏だった北部地域では、それ以後暴力沙汰が起きている。(後略)
●金曜日にパキスタンの北西部で、2人の自爆攻撃者が爆発物を積んだ車をパキスタン軍の車列に激突させて、兵士4人が死亡、7人が負傷した。
●爆発は、バヌーからミランシャーに向かう幹線道路を移動していた車を、直撃した。この地域では、自爆攻撃は稀である。
●ショーカット・スルタン軍報道官によると、2人の犯人も死亡したという。「攻撃者1人の頭部を回収した」と、ある当局関係者が語った。犯人の遺体の一部がDNA鑑定のために、ペシャワルに持って行かれたという。また戦闘ヘリコプターに援護された治安部隊が、現場一帯に派遣された。
●金曜日に警察がパキスタンの南西部で、100人以上のシーア派ムスリムを殺害した宗教抗争の首謀者を逮捕した。
●スンナ派過激派組織のラシュカレ・ジャングヴィ軍団のリーダー、ハビーブ・ウッラーが木曜日遅くクエッタの自宅で逮捕されたと、州警察長のチョードリー・ムハンマド・ヤークッブが語った。
●ウッラーは、100人以上を殺害した2003と2004年に実施された2回の攻撃を含め、28回の攻撃を首謀したといわれる。(後略)
●月曜日の事故を目撃したカブールのハイウェー警察長官のアマヌッラー・ゴザール将軍によると、追突事故に巻き込まれたアメリカ人たちは、抗議に集まった群衆に発砲し、4人を殺害したという。
●米軍の暴走したトラックによる追突事故で3人が死亡し、米軍車列の最後の車輛が、抗議に集まった群衆から逃げようとして発砲、4人を殺害したと、ゴザール将軍が水曜日に述べた。
●米軍が故意に車を追突させたという噂は否定し、「事故だったことは確かだ」と述べた。
●(中略)軍報道官のトム・コリンズ大佐は、最後の車輛が群衆に発砲したり、アメリカ人により4人が殺害されたというような事実は聞いていないと語った。「我々の兵士たちは、群衆から発砲してきたと捉えており、自己防衛のために武器を使用した」という。
●1台に乗車した兵士が、群衆の頭上に発砲したが、その件に関しては現在捜査中だという。
●(中略)北部同盟の強力な司令官であるゴザール将軍によると、事故の数分後に現場に到着すると、米兵たちが車列を止め、他の車に乗っていて負傷した市民の手当をしていたという。残りの兵士たちは、警備に当たっていた。群衆たちが集まって兵士たちに石を投げ始め、警察が群衆を押さえられなくなったために、米軍たちは逃げたという。
●「最初の米軍車輛は威嚇射撃をしていた。しかし最後の車輛が、群衆に発砲した」という。米兵が4人を殺害したあと逃走すると、群衆は矛先をアフガン警察に向け、車に放火したり、警察官をナイフで刺したりした。暴動はあっというまに広がったという。
●ゴザール将軍はカルザイ大統領に会見し、この一件は明らかに事故だったが、米軍の態度が群衆の怒りに火をつけた、と述べたという。傲慢な運転−−高速で運転し、他の車に追い越しを許さない−−が、人びとをいらだたせたらしい。また負傷者の手当をしようと集まった群衆を制止したために、怒りが広がった。
●この夏、アフガニスタン南部ではアフガン人400人近くが、タリバンによる襲撃で死亡している。
●去年は数百人のゲリラがいたが、今タリバン司令官のダドゥッラー師は、1万2000人が武器を持ち、カンダハル、ヘルマンド、ザーブル、ウルズガンのタリバン前中心地の20地区を、制御していると主張している。パキスタンと隣接する東部の州にも、タリバンがいる。
●米軍がタリバンやアルカイダに打撃を与えて5年も経つ現時点で、なぜアフガニスタンはタリバンの抵抗運動に脅かされ、いまや支配されつつあるのだろう。
●現在アフガニスタンは、選挙で選ばれた大統領、政府、国会を持つ。しかし国際社会やアフガン政府は、南部のパシュトゥン居住地に、軍隊の派遣、治安の確保、国家再建のための資金を回すことに、失敗している。
●NATOも米軍も、過去5年間の成功や失敗に対して、正直になっていない。以下は、アメリカ・NATO・国連の、南部における失敗のチェックリストである。
●2001年以後、ワシントンはアフガニスタンの国家作りに真剣にならずにイラク戦争に従事してしまったために、国際社会の関心がそれてしまった。そのためにタリバン軍が、少しずつ力をつけていった。
●米軍主導同盟軍は、アフガニスタン南部に十分派遣されなかった。カンダハルに米兵3000人が駐屯し、いくつかの小さな基地はあったが、南部3〜4州には、実質的に軍は存在していなかった。南部の主要都市や国道の安全さえ、確保することができなかった。したがってタリバンが南部の空白を、着実に埋めつつあった。
●アフガニスタンは国家再建のために、前ユーゴスロビア、ハイチ、東チモールに費やされた資金より、はるかに少ない資金しか受け取っていない。南部の治安が確保されなかったために、国連の開発チームや欧米・アフガン援助団体が、再建に従事できない。欧米からの十分な資金援助、特に農業援助がほとんどなかった。この結果、芥子栽培が、蔓延した。
●麻薬経済により政府高官に汚職がはびこり、政府の権威が失墜してタリバンに資金が流れていった。南部の再建計画の失敗により、民衆の期待は裏切られ、タリバンへの共感、アフガン政府への怒りが強くなっていった。麻薬資金でタリバンは武器調達のための資金を得て、戦闘員や自爆者たちに、給料を提供するようになった。
●5年の間カルザイ大統領は、パシュトゥンの軍閥たちが南部の州の知事や警察長になることを容認してきた。これらの軍閥のほとんどは、1990年代にタリバンに降伏した者たちだった。しかし2001年、タリバン掃討のために米軍が彼らの協力をあおいだために、蘇ったのだ。北部同盟の軍閥と違い、これらのパシュトゥン軍閥は政府の味方で、2004年の大統領選の際にはカルザイに協力した。しかしカルザイに忠実を誓いながらも、麻薬密輸を手がけ、汚職がはびこった。さらに犯罪人やタリバンと取り引きを行ない、開発事業に関しては全く無能だった。南部のパシュトゥンたちにとって、カルザイ政権の意図の結果が、これらの軍閥知事たちの汚職として象徴されてしまった。
●カブールは、これらの軍閥知事を更迭するまで軍を派遣しないとNATO国家に圧力をかけられるまで、行動しなかった。カナダ、イギリス、オランダが、カンダハル、ヘルマンド、ウルズガン知事の辞任を強制した。
●カブールが2003年に、パキスタンに住む穏健派タリバンに恩赦を与え、故郷に帰る保証を申し出たのは、賢明な和解計画だった。しかしその対処の仕方を、誤ってしまった。北部同盟は、タリバンとのいかなる和解も拒否した。タリバンに対する申し出は、アメリカとアフガン諜報組織を通して、秘密裏に行なわれた。国際社会の支持を得て、公然とタリバンの帰還を保証・保護し、またタリバンの更正に勤めるべきだった。パキスタンは、タリバンの帰還を説得することを、拒否した。ワシントンも、イスラマバードにそうするよう圧力をかけることを、拒否した。和解計画は、失敗した。
●2001年のタリバン政権崩壊後、タリバンたちはパキスタンのバローチスタンと北西辺境州に、隠れ家を確保した。主要な兵站学的基地、訓練所を築き、資金を集めるルートを確保。マドラッサや難民キャンプから、戦闘員たちを集めた。タリバンはMMAと麻薬マフィア、犯罪組織の協力を得るいっぽうで、軍事政権は、彼らに対して見て見ぬ振りをした。アルカイダは、タリバンが他のアフガンや中央アジアの抵抗勢力と同盟を結ぶための橋渡しをした。
●こうしてタリバン抵抗運動は、アフガニスタンの主な主役たちーーアメリカ、NATO、国連、国際社会、アフガン政府、パキスタンのような隣人ーーの政策の失敗を、反映する。
●NATO軍やアフガン軍がタリバンを負かすためには、これらの問題を正直に、率直に認めなければならない。
●アフガニスタンにいる米軍主導の同盟軍は、今週発生した追突事故後暴動で、軍が「防衛」のために発砲したことが捜査から判明した、と述べた。
●(中略)同盟軍報道官のコム・コリンズによると、「捜査から、群衆が我々の兵士に発砲してきたために、防衛のために武器を用いたことがわかった」というが、どちらが先に発砲したかはわからないと付け加えた。
●兵士たちが群衆に向かって、あるいは頭上を発砲したかどうか、言明するには時期尚早だと述べた。目撃者によると、米軍兵士による発砲で、4人が死亡したという。
●(中略)コリンズによると、6万ポンド重トラックを運転していた運転手は、事故を防ぐために「最大の努力」をしたが、車輛のブレーキが壊れ、他の車に追突することを防げなかったという。「兵士は逮捕されていない。故意に追突したことを示す証拠は、現時点ではない」という。(後略)
●親タリバン派戦闘員が部族地帯にある治安部隊検問所に、ロケット弾と迫撃砲80発を撃ち込んだ。
●死傷者の報告はないが、ロケット弾が発射されたと思われる南ワジリスタンのシャカイ地域で、当局が捜索活動をしているという。
●これとは別に、水曜日の早朝にシャカイで兵士が乗った車が地雷を踏み、兵士2人が負傷した。
●(中略)「ロケット弾50発と迫撃砲10発が、シャカイのランディヌール軍キャンプ場に撃ち込まれた。死傷者の報告はない」と、ワナの治安関係者が述べた。
●さらに北ワジリスタンを含めて、3ヵ所のキャンプにも、ロケット弾20発が撃ち込まれた。(後略)
●火曜日遅く、抵抗勢力がウルズガン州のチョーラ地区を襲撃し、数時間にわたった銃撃戦の末、警察と地区本部を乗っ取ったと、州警察長のハッジ・ロジ・ハーンが語った。
●「夜間に本部を占拠したが、朝には引き上げた」と、ハーンが述べた。「地区の中心は、無法地帯になっている。救援隊が到着次第、奪回する」。
●タリバン報道官のユースフ・アーマディは、地区にはタリバンがまだ留まっており、警察本部に放火したと述べた。抵抗勢力が警察官8人を殺害したと主張しているが、まだ確認されていない。
●これとは別に火曜日遅く、タリバンがザーブル州の警察車列にロケット弾を撃ち込み、地元警察司令官を殺害、警察官3人を負傷させたと、州報道官のグーラブ・シャー・アリヘイルが述べた。
●カラート地区のそばを移動していた3台の車列のうちの1台に、ロケット推進手榴弾が当たり、司令官ムハンマド・ラスヒルが死亡した。
●これとは別に水曜日にヘルマンド州で、対ソ連時代の元司令官が銃殺されたと、州報道官が述べた。アブドゥル・ハキーム・アフンザダが、自宅があるカジャック地区から町に向かっていたところを、襲撃されたという。タリバンの仕業と思われる。
●またガズニ州では、警察がタリバン6人を逮捕した。逮捕者の中には、州レベルの司令官2人が含まれていると、シール・アラーム州知事が発表した。(後略)
●月曜日、米軍車輛が引き起こした交通事故から反米感情が噴出してカブールに暴動が発生、少なくとも14人が死亡し、数十人が負傷した。
●目撃者によると、追突事故のあと、石を投げ始めたアフガン人に向かって、米兵が発砲した。いっぽう米軍は、威嚇射撃だったと主張している。
●今回の追突事故で米軍の存在に対する怒りが爆発し、事故は故意的なものだったという噂が広まったこともあり、急速に暴力沙汰が広がった。アフガン警察やアフガン軍が暴徒を鎮圧化しようとして発砲し、混乱は6時間にも及んだ。暴徒たちは町に広がり、略奪が各地で起こり、建物や車、警察の検問所が放火された。最終的に14人が死亡し、90人以上が病院などで手当を受けたという。2001年のタリバン崩壊後、カブールにおける最悪の流血沙汰となった。
●内相は、夜間戒厳令を出した。カルザイ大統領はテレビに出演し、平静を保つよう、呼びかけた。「これまで国は、暴徒によって破壊されてきた。今回は、追突事故を言いがかりにしている」と語った。
●暴動は一気に広がり、数百人の警察官が出動した。(中略)米軍とアフガン警察は、群衆を解散させるために武器を用いたために、数十人が銃撃を受けて、病院で手当を受けている。
●死者の中には、7歳の少年を始め、重傷を負った小学生2人がいると、カイール・ハナ病院の医師が語った。病院で4人が息を引き取り、60人以上が応急手当を受けた後、他の病院に運ばれた。
●暴動が瞬時に発生したのは、衝突事故で5人が死亡した反動だったようだが、アフガン人たちが政府や外国軍に対していらだちを感じているためだと、住民は述べる。
●アフガン王家の家系でビジネスマンのアリ・シラージュは、アフガニスタン南部における戦闘員に対する作戦で村を爆撃していることや、今回のカブールの交通事故を見れば、米軍は人びとの生活に無関心な態度をとっていることが明白で、これが大きな問題となっているという。「このような態度が不信感や憎しみを生み出している」。
●月曜日早朝、12台からなる米軍車列が多重追突事故を起こし、市民5人が殺害され、多数が負傷したとカルザイ政府が発表した。
●(中略)暴徒化した群衆が米軍車列とかけつけたアフガン警察に、石を投げ始めたという。「少なくとも同盟軍車輛1台が、群衆に威嚇射撃した形跡がある」と、米軍が発表した。
●暴徒や目撃者によると米軍は、群衆が石を投げ始めると、発砲したと語った。(後略)
●パキスタンの北西部で、イスラーム戦闘員が親政府派長老が乗った車に発砲し、長老を殺害、同乗者2人を負傷させた。
●月曜日の夜に南ワジリスタンで、車に乗っていたメヘルディル・ハーン・シャマンケールが襲撃された。別の車に乗った覆面をした5人の男が、南ワジリスタンのジャンドーラ近くのシャオール村に帰る途中だったシャマンケールの車を銃撃した。
●シャマンケールは、南ワジリスタンの戦闘員の取り締まりを支持し、政府関係者としばしば話し合っていたという。(後略)
●月曜日にバジョール行政区から10キロ離れたインヤット・カーラ村で地雷が爆発し、畑で遊んでいた3人の女の子が死亡した。
●また北ワジリスタンで発生した爆発のあと、軍は月曜日にその報復として、誤って一般市民を殺害した。
●最初の事件では、女の子が地雷を踏んだために、爆発が起きた。
●北ワジリスタンのマチ・ケール村を通過していた軍の車列が、道路脇に仕掛けられた爆弾で被害を受けた。パキスタン軍は報復攻撃で、誤って一般市民を殺害した。
●タリバンがアフガニスタン南西部を制圧したと、アルジャジーラテレビがダドゥッラー師の話として、報道した。
●ダドゥッラー師が逮捕されたという報告が広がって以来、初めてのアルジャジーラとのインタビューで、タリバンのリーダーはNATO軍を攻撃すると脅迫した、と報道した。
●ダドゥッラーは、アメリカがイスラームやムスリムと戦っていることを非難した。アメリカが、アフガニスタン南部の一般市民を攻撃していることを非難し、ワシントンはアフガン人全員を敵と見なし、市民を殺害していると述べた。(後略)
●月曜日、米軍を巻き込んだ交通事故のあとに暴動が発生し、米軍とアフガン軍が抗議に集まった群衆に発砲した。警察と目撃者によると、少なくとも5人が死亡し、60人が負傷した。
●数百人のデモ隊がカルザイ大統領の宮殿に集まり、「カルザイに死を、アメリカに死を」と叫んだ。米大使館近くで、銃撃音も聞こえた。スタッフは安全な場所に非難したという。
●暴徒は、国際援助団体CAREの事務所などの建物を略奪し、外国人を車から引きづり下ろして、殴打している様子が目撃された。
●同盟軍報道官のトマス・コリンズによると、同盟軍車列の貨物トラックが、技術的欠陥のために、混雑した交差点で、少なくとも12台の一般車輛に追突したという。
●米軍は現場で銃撃があったことを認め、軍車輛に乗車していた同盟君関係者が民衆に発砲したという。「悲劇的な出来事で、この事件で死傷者が出たことを残念に思う」と述べた。
●米軍主導同盟軍によると、追突事故で少なくとも1人が死亡し、6人が負傷した。アフガン保健省報道官のアブドゥッラー・ファヒームによると、カブールの病院に5人の遺体が運び込まれ、60人以上のアフガン人が手当を受けているという。
●死傷者の中には、外国人はいない。
●目撃者によると、少なくとも3台の四輪駆動車が郊外からカブールに入ってきて、ラッシュアワー時に、数台の一般車に追突した。「アメリカの車列が追突した。一般市民のことを何とも思っていないようだった」と、目撃者が述べた。
●追突で3人が死亡し、16人の負傷したと、カブール警察長のシェール・シャー・ウサフィが語った。米軍は群衆に発砲し、1人が死亡し、2人が負傷したという。
●現場にいたカブール交通警察司令官によると、米軍がデモ隊に発砲するのを目撃したという。
●『AP』テレビニュースの映像では、憤慨した若者たちが、米軍トラック3台と四輪駆動車3台に石を投げつけている様子が映っている。また四輪駆動車に備え付けられた機関銃が、群衆の頭上を発砲しながら走り去って行く様子も映された。
●NATO軍のヘリコプターも、現場の上を旋回していた。(後略)
●月曜日に米軍主導同盟軍の空軍機が、アフガニスタン南部で会合を開いていたタリバンを爆撃し、戦闘員数十人を殺害したと、アフガン政府関係者が述べた。
●これとは別にカンダハルで、カナダ兵5人が銃撃戦で負傷した。カナダ兵たちは、パトロールしていたところを襲撃されたという。5人のうち1人は重傷である。
●戦闘員の1人の遺体も放置され、このほか5人が死亡したという。
●ヘルマンド州のカンジャキ地区の空爆で、戦闘員50人以上が死亡した。現場が山中であるために、死傷者の数の確認はまだとれていないという。(後略)