【2006年9月4日〜9月10日】


■ビンラディンの跡、完全に消える[060910 Washington Post]

ビンラディンを逮捕、あるいは殺害するよう任命されているアメリカ奇襲隊員たちは、2年以上もビンラディンにつながる信憑性のある情報を得ていない。(中略)「我々が入手したわずかの情報も、リアルタイムの情報ではない」と、ある対テロ関係者が述べた。ビンラディンの痕跡は、アメリカの歴史の中でも最大の捜索活動を展開しているにもかかわらず、「まったくなくなった」という。

しかしこの3ヵ月、ブッシュ大統領からの「問題地点を攻めよ」という命令のために、CIAはビンラディン捜査班の人数を急増させた。諜報関係者たちが軍の秘密めいたJoint Special Operations Command(JSOC) と組み、国家安全局(NSA)や諜報機関と一緒に協力している。

問題は、「問題地点」がどこなのか、誰にもわからないことだ。

諜報関係者は、ビンラディンはアフガニスタンとパキスタンの間の北部の部族地帯自治区にいると信じている。(中略)9.11以後、さまざまな要因のために捜索が困難になった。ビンラディンの内部サークルにCIAが入れないこと、パキスタンが捜索に乗り気でないこと、アフガニスタンにおけるタリバンとアルカイダの再出現、イラクの抵抗運動の強さ。そしてアメリカ政府自身の分裂のためだ。

(中略)CIAが入手したビデオテープの中でビンラディンは、夜間気づかれずに横たわることができる穴の掘り方を彼の一行に指示していた。後ろのほうでは、米軍機が爆弾を投下している。「昨日はあそこにいた」と、ビンラディンは無関心な声で言う。ビデオは、パキスタン国内か、パキスタンに向かう途中のことのようだと、対テロ関係者は憶測した。

それは2001年12月だった。その2ヵ月あと、ブッシュはアフガニスタンにおけるビンラディンの捜索を率いていた特殊部隊とCIA捜査官を呼び戻した。イラク戦争に備えるためだった。

《ビンラディンは生きている》

(中略)あまり信用できないことで有名なパキスタンの諜報機関は、ビンラディンが生きていることは確かだという。なぜなら彼の死を悼むメッセージを傍受した者が、1人もいないからだ。「アルカイダは彼の死を悼み、大掛かりな報復をするはずだ」と、パキスタンの内相のアフタブ・ハーン・シェルパオは語る。

パキスタンの諜報関係者も、ビンラディンはアルカイダの活動にいまだに関わっていると考えている。1998年に東アフリカで起きた米大使館爆破事件首謀者のアーマッド・ハルファン・ガイラニと、去年逮捕されたビンラディンとアルカイダ幹部を結ぶメッセンジャーだったアブ・ファラージ・アル・リビの例が挙げられる。

リビと、2004年7月にパキスタンで逮捕されたガイラニは、ザワヒリに会ったり彼から命令を受けたり、ビンラディンの言葉を直接聞いたことのなる最後の人間た。「ガイラニとリビは2人とも、オサマは元気で、ザワヒリと同様に活動を続けていることを知っていた」と、あるパキスタン人諜関係者が述べた。

カラチでインタビューした2人のパキスタン人諜報機関関係者は、彼らがビンラディンに関する信憑性のある情報を受けたのは、2003年4月が最後だったという。3ヵ月前にアフガニスタンのコーストで、アルカイダのリーダー、タウフィク・ビン・アタシュを逮捕したときだ。

2000年のアメリカ・コール船爆破事件に協力していたアタシュによると、コーストから2時間ほどのアフガニスタンの山中で、ビンラディンと会ったという。

当時パキスタンは、アメリカの最重要情報源だった。パキスタンはアメリカの諜報コミュニティーから資金をもらい、高価な国家安全局(NSA)の盗聴器などをもらっていた。

「技術情報のためにISIは、NSAと手を取り合って協力する」とパキスタンの諜報機関関係者が述べた。「9.11以後、アメリカはパキスタンの技術情報を向上させるために、最大の援助している」。

『ワシントンポスト』は、テロ攻撃がいかにして国家の政策や社会、文化を変化させたかを、検証する。2002年の初頭からアメリカは、NSAやCIAの人間数人を、ビンラディンがいそうな場所に送り出している。彼らはパキスタンのエリート陸軍である特殊部隊と行動していると、あるパキスタン人諜報関係者が語った。

NSAなどの専門家は、一緒に行動しているCIAのために画像や電子盗聴情報を収集し、CIAはこれを部族地帯やバローチスタンにいるパキスタン人部隊と共有する。

しかし高度なテクノロジーをもっても、地元の地形は大きな障害となる(中略)。

《パキスタンの情報源を失う》

ビンラディンを英雄ととらえるムスリム国家であるパキスタンは、アメリカの捜索にだんだん協力しなくなってきた。陸軍が部族地帯で作戦を実施した2004年以後、諜報情報源を失った。部族地帯に血縁者を持つ兵士たちが、報復を恐れて情報を提供してくなったからだ。

2005年5月以降、少なくとも23人の反タリバン部族民たちが、南北ワジリスタンで暗殺された。(中略)

パキスタン人とアメリカ人の対テロ関係者は、パキスタンがビンラディンの捜索を中止したことを認めている。「パキスタン人の協力なくして、何も出てこない。作戦も実施できない」と、ある元対テロ関係者が述べた。

先週パキスタンは、タリバンと和平協定を結んだ。

(中略)ワナにいるパキスタン軍関係者によると、ビンラディンは3重の警護を受けているという。それぞれ警護の輪は、お互いを知らない。ときに決められたフラッシュライトで合図を送り、アメリカの偵察機から免れるために、女装もする。

パキスタンは、米軍の小隊がパキスタン軍とともに行動することを時には許す。しかし非常にデリケートな問題であるために、公的にはアメリカの存在を否定している。しかし米軍は、することがほとんど何もないと、不平をこぼす。アフガニスタンにいる米軍も同じだ。追うべき標的がいない。

ビンラディン捜索はテクノロジーに負うところが多いが、つい最近までは無人偵察機(UAV)が不足していた。特に2003年に、イラク戦争が最重要事項になってからだ。

2003年にアフガニスタンの司令官だったジョン・R・バインズは、2003年7月に、もう少しの所でビンラディンを攻撃できたと述べた。しかしビンラディンが取ると見られた3つの逃走ルートがあったにもかかわらず、偵察機が1機しかなかった。「UAVは、もっとも可能性がありそうなルートに配置されたが、ビンラディンはそのルートを取らなかった」。「彼を30分で捕らえることができる場所にまできていたのに、何も実現しなかった」。

世界にはさまざまな高度なテクノロジーがあるにもかかわらず、ビンラディンはローテクを選んでいる(中略)。

《司令系統の問題》

最初の2〜3年間は、ペンタゴンとCIAがお互いを諜報を隠していると非難し合っているために、ビンラディンの捜索に影響が出た。しかしラムズフェルド国防長官の縄張り制は、今や伝説になってしまったという。

例えば2002年11月、CIAのヘルフェイアー・ミサイルを搭載した無人偵察機が、イエメンの砂漠を移動していたアルカイダ幹部を殺害した。1週間後ラムズフェルドは、攻撃を成功させたのが国防省ではなくCIAだったことに関して、怒りを表明した。

「どうやって情報を得たのだろうか?」と、あるトップ会談で彼が諜報情報について尋ねたという。技術的には国防省の一部だった国家安全局の当時の長官でだったマイケル・ハイドンが、自分が情報を与えたと言った。

「なぜ私たちに与えない」と、ラムズフェルドは追求した。情報源によると、ハイドンはラムズフェルドに、CIAと情報を共有するメカニズムはうまくいっていると答えたという。これに対してラムズフェルドは、今後そういうことはあってはならないと述べた。

現在CIA長官のハイドンの報道官によると、彼はこのような会話をしたことを覚えていないという。「国防省がビンラディンを殺害したり逮捕するための作戦を妨害するようなことをするなど、考えられない」と述べ、NSAはCIAや国防省と諜報情報を共有していると主張した。

当時ラムズフェルドは、Special Operations Command(SOCOM)によってビンラディンを捕らえるための自分の計画を押し進めていた。(中略)しかし現在は、諜報情報を集めるためにCIAを動かしJSOCを送り出すような、ビンラディン捜索の指揮を統括する者はいない。

しかし2003年以来JSOC司令官の地位にいるスタンリー・マックリスタル准将は、CIAとの関係を改善して、ビンラディン捜索の実質的なリーダーとなっている。

(中略)マックリスタルは現在、パキスタン政府の許可を得ずにパキスタン国内に入ってビンラディンを追跡する権限を持っていると、2人のアメリカ人関係者が語った。

この「権限」とは、「標的を追え」ということで、もし標的がビンラディンであれば、マックリスタルは自分の判断で行動をとることができる。アメリカの部隊は非常に特殊な状況においてのみパキスタンに入ることができ、パキスタンは彼らに許可を与えていないと表明すると理解されている。

作戦に詳しい2人の関係者によると、今年の1月、JSOC隊がパキスタン側のサイドガイ村に越境し、パキスタンはこれに対して抗議した。パキスタン人諜報官によると、1週間後、リビの取り調べから得た情報に従い、CIAがダマドーラ村の民家をミサイルで攻撃した。パキスタンとアメリカの関係者は、ザワヒリが隠れていると見ていた。

ミサイルは、一般市民13人を殺害した。ザワヒリはいなかった。「ザワヒリがダマドーラを訪れることは、100%確かだった。しかし彼は最後の瞬間に消えた」と、パキスタン人諜報関係者が述べる。ダマドーラの住民たちは、反米スローガンを唱え続けた。「アメリカに死を!」

「再び我々はザワヒリを見失った」と、パキスタン人の諜報関係者は述べる。「彼はテレビに出没し続ける。不愉快だが、彼も彼のボスも、どこに隠れているかわからない」。

garrBin Laden Trail 'Stone Cold'
By Dana Priest、Ann Scott Tyson

■アフガン州知事、自爆犯に殺害される[060910 AP]

自爆犯が、パクティア州知事と彼の家の外にいた2人を殺害したと、警察が日曜日に発表した。ガルデズのアブドゥル・ハキーム・タニワール知事の自宅の外で、この他3人が負傷した。

ファラ州のカライガルでは、ピックアップトラックに乗ったタリバンがロケット推進手榴弾やAK-47を用いて政府関係の建物を攻撃し、2部屋と診療所に放火したという。この攻撃で、警察官2人も殺害された。

(中略)体に爆発物を巻き付けた男が、州知事が車に乗り込もうとしているところに走り寄り、自爆した。知事とともに、秘書とボディーガードも死亡した。(後略)

hoonAfghan Governor Killed by Suicide Bomber
KABUL

■NATO軍とアフガン軍、抵抗勢力94人を殺害[060910 AFP]

戦闘機に援護されたNATO軍が、アフガニスタン南部にあるタリバンの拠点で夜通し戦いを続け、抵抗勢力94人を殺害した。反撃するために集まった抵抗勢力に対しても「大きな損害」を与えたと、NATOの国際平和維持軍が声明を発表した。

9月2日に開始した『メドゥーサ作戦』により、これまで抵抗勢力420人が殺害されたことになる。作戦は、カンダハルのパンジャワイ地区で実施された。

土曜日の夜遅くから日曜日の明け方にかけて、パンジャワイ地区で4つの戦いがあり、抵抗勢力94人が殺害されたと、国際平和維持軍が発表した。

反撃しようとした抵抗勢力たちも、砲撃隊や近接支援機で攻撃され、大きな打撃を受けたという。(後略)

hoonNATO, Afghan troops kill 94 rebels in offensive
KANDAHAR

■カブールに、自爆組織[060910 AP]

カブールに自爆組織があり、外国軍を標的にしていると、米軍が日曜日に述べた。

(中略)トム・コリンズ米軍報道官によると、同盟軍はカブールに自爆犯がいることを事前に知っていたが、使用される車の車種がわからなかったという。

「同盟軍は、カブールに自爆犯がいるという諜報情報を入手していたが、男の容貌や彼が用いる車についての情報がなかった。しかし彼を知っていて、情報を持っていた者がいたことは確かだ。彼らが通報してくれていたら、多くの命が奪われなかったはずだ」。

自爆組織について詳細を語らなかったが、「今後も大きな脅威である」と述べた。

hoonU.S. military: Suicide cell in Kabul
KABUL

■イギリスがアフガン補強部隊を押さえる間も兵士死亡[060910 Sunday Times]

NATO関係者によると、イギリスはアフガニスタン南部でタリバンと戦うために、さらに800兵を派遣することに同意したが、その後これを取り下げたという。

(中略)当初、英軍かアフガニスタンでは銃を1発も発砲することなく帰国することを期待していると述べていたジョン・リード国防大臣は、現在ヘルマンドにいる3300人の他には、部隊は一切派遣しないと述べた。

(中略)タリバンの抵抗運動の中心地、ヘルマンド州にいるのは英軍である。(中略)NATO関係者によると、イギリスはヘルマンド北部の2つの地区に、少人数の隊を派遣するという軽卒な行動をしたという。サンギン、ムサ・カーラ・ナウザードに、論議を呼んでいる「小隊基地」を設営することは、当初の計画にはなかったという。

この計画は大失敗となり、簡単にタリバンの標的となった。彼らは基地を奪回しようとしている。今のところ成功こそしていないが、死亡した英軍兵士16人は、全員この北部を中心とした前哨基地で命を奪われた。

抵抗勢力たちはムサ・カーラとサンギンにいる英軍を、繰り返し攻撃している。タリバンが勝利していないのは、基地を守るために派遣された勇敢なバラシュート隊、グルカ兵、王立アイリッシュ兵のおかげだ。

ヘリコプターが不足しているために、前哨基地からは食料も水もなくなることがよくある。サンギンにいる隊は、毎日タリバンから平均3度、「接触」される。

(中略)サンギンの基地に補給物資を運んだ後で足止めをくったカナダ軍関係者が、「見ていて驚嘆する、信じられない兵士たち」と、イギリスのパラシュート隊を表現した。

サンギンは「西部」のようだったという。「サンギンに着くと、地元の人間に石など、手当たり次第に物を投げつけられた。友好的な場所ではなかった」。

英軍基地に近づくと、迫撃砲を撃たれた。なんとか到着したが、すでに暗くなってしまったので、泊まらざるを得なかった。「その夜3回、小火器や迫撃砲、ロケット推進手榴弾で攻撃された。英軍がこのような状況の中で1ヵ月以上いるなど、信じられない」。

数日後カナダ隊は、英軍バラシュート隊の攻撃に協力するために、再びサンギンに呼び戻された。「4日間、防弾ベストを取ることも、ヘルメットをぬいで靴下を替えることさえできなかった」。「毎日2〜3回攻撃され、それに対戦した」。

NATOの諜報情報によると、アフガン戦士たちはヒット・エンド・ラン攻撃をして、一度攻撃されるとすばやく散って消えしまうだろうと見ていたという。「手強いとは思っていたが、これほどとは思わなかった。特に、彼らが真っ正面から戦うとは、予測していなかった」と、ある英軍関係者が述べた。

ここ数週間、NATO軍司令官のリチャーズ准将が、カナダ軍主導の最大の作戦「メドゥーサ作戦」を指揮している。

最初はNimrod MR2が墜落して英兵14人が死亡し、カナダ兵5人が死亡したが、カナダ兵、オランダ兵、デンマーク兵は、英軍と米軍特殊部隊に援護され、数百人のタリバン戦闘員を殺害したと発表している。

「次の3〜6ヵ月が肝心だ」と、リチャーズが昨日語った。「タリバンに対して心理的に優位に立っている。NATOはタリバンを敗北させることができるという確信を、人々に与えている。もし秋までに800〜1000人が増兵されれば、実現することができる」。

hoonTroops die as UK holds back Afghan reinforcements
Michael Smith、Kabul

■間違った作戦が「意味のない戦争」になると、兵士が除隊[060910 Sunday Times]

アフガニスタン南部の英軍特殊任務部隊司令官の元補佐官が、ヘルマンド州の作戦は「抵抗勢力との戦いを考えるための教科書的なケース」と説明した。「大きな作戦を実施することに意味はなく、状況をさらに混乱させるだけだ」と、先月任務に嫌気がさして軍を除隊したレオ・ドチャティー大尉が述べた。「家を破壊され、子供たちを殺害された人々は、全員イギリスと戦い始めるだろう」。「明白なことだ。家や芥子畑を失った者たちは、戦いに出る。私だったら当然そうする」。

「我々は、おそろしいほど要領の悪いことをしている。村を空爆したり機銃掃射しているアメリカ人とは別のことをすると言い続けてきたのに、全く同じことをしている」。

(中略)最初の計画からずいぶん離れてしまったと、ヘルマンド州のチャーリー・ナングス司令官の補佐官だったドチャティーは語る。

「計画では州都ラシュカル・ガーの安全を確保し、開発計画を開始し、政府の権限が及ぶようにすることだった。この間に、混乱しているヘルマンド北部は押さえられる。つまり、軍事的手段だけで解決できない問題には、『巻き込まれない』ことにしていた」。

チャティーによると、タリバンが北部の町の行政官たちを倒し始めたことを恐れてヘルマンド州知事が圧力をかけてきたために、計画が「それてしまった」という。

英軍が5月25日にサンギンを確保した頃から、問題が始まった。自分を含む隊は、タリバンの中心地や麻薬密輸が横行するこの地域を奪回するために、暗視ゴーグルもなく、わずかな車輛だけで派遣された。車が足りなかったために、ピックアップ・トラックを借りなければならなかったという。

さらにサンギンに基地を設置すると、今度は自分たちの基地を確立することに失敗した。舗装道路もない。電気も水もない。協力者がいないために、隊は開発計画を実施することもできず、人々の信用を獲得する機会を失ってしまった。

「軍は三角形の1辺にすぎない。国際開発省はどこだ。外務省は?」。芥子畑や彼らの生活の糧を破壊するためだけに来たのではないという、我々の意図を民衆に知らせるために、ほんの一瞬だけ窓が開いていた。その間、タリバンがゆっくり我々を観察しているのを感じた。我々をどう効果的に攻撃するか、計画を立てていたのだ」。

結局タリバンは6月11日に攻撃してきて、ジム・フィリップソン大尉が、ヘルマンドで死亡する最初の英兵となった。

「今や機会は失われてしまい、我々はサンギンで生き延びることだけを考えている。狂気の沙汰だ」。「北部の町に、少人数が広範囲に広がっている。隊が生き延びる方法は、攻撃を激しくして人間を多数殺害することだ。ショッキングなことだ。私はそれには参加したくない」。

garrTop soldier quits as blundering campaign turns into 'pointless' war
Christina Lamb

■和平協定にもかかわらず、軍駐屯[060910 Daily Times]

和平協定にも関わらず、陸軍は部族地帯に留まると、政府関係者が土曜日に述べた。

「ワジリスタンから軍が撤退するとは、誰もいっていない」と、外務省報道官のタスニム・アスラームが述べた。彼女のコメントは、アリ・ムハンマド・ジャン・オラクザイ北西辺境州知事が、和平協定には軍の撤退は含まれていないと発言していたことを受けている。(後略)

hoonTroops to remain in Waziristan despite truce
ISLAMABAD

■元タリバン要人、暗殺を詳述[060909 AP]

(前略)アーマッド・シャー・マスード司令官がビデオカメラに隠された爆弾で暗殺されてから5年たった今、土曜日に前タリバン高官が、この事件をアルカイダがいかに計画したかを語った。

当時のタリバン外務省の中東・アフリカ責任者だったワヒード・モズダーが『AP』に、ビンラディンが9月13日付けでオマール師に宛てた、同盟軍に対する攻撃開始を促すサイン入りの手紙を見せた。

アラビア語で書かれたこの手紙のなかでビンラディンは、もしアメリカが9.11攻撃に対応してこなければ、超権力の座を失う。しかしアメリカが戦いを開始したら、経済は大きな打撃を受け、ソ連と同じ運命をたどるだろうと記されていた。

アルカイダの「パンシールの獅子」マスード暗殺計画については、ほとんど知られていない。

(中略)犯人たちは北アフリカ出身のアラブ人で、ベルギーの偽パスボートを持っていた。「我々はこのジャーナリストを疑わなかった。リーダーたちは不注意だった」と、爆発で重傷を負った、マスードのアドバイザーだったマスード・ハリリが語った。2人のアラブ人のうち1人は爆発で死亡し、1人は逆上したボディーガードに射殺された。

モザダーによると、ビンラディンがタリバンの情報大臣、アミール・ハーン・ムッタキとカンダハルで会ったとき−−ちょうど2000年のラマダン明けの時期−−この計画をほのめかしたという。

通訳を介して行なわれたというこの会合に関してモザダーは、ビンラディンはムッタキに、タリバンはアルカイダがメディアに接触することを制限していると不平をもらしたという。「私の手は背中で縛られ、口をテープでふさがれている」と、ビンラディンは憤慨していたという。

ムッタキは、アルカイダの基地を保護していることや北部同盟と戦っていることで、タリバンに課された国際的な圧力のせいだと述べた。ビンラディンは返事をする前、しばらく考えていたという。そして「あなたの問題は理解できる。私はあなたの問題を解決する方法を考えている」と言った。

モザダーによると、次の春、アルカイダとタリバンがカンダハルで用いていた公的メディアオフィスに、パキスタンから小包が送られてきた。箱は新しく見えたが、中には古っぼいビデオカメラが入っていた。局にいたコンピュータ技師が、不思議がっていた。その日あとから、きれいに髭を剃った2人のアラブ人を伴ったアルカイダ関係者が、小包を受け取りにきた。アフガニスタンでは誰もが髭を生やしていたために、不思議な光景だったという。

カリームとアルベットという名前の2人のこのアラブ人は、タリバン外務大臣のアブドゥル・ワキール・ムタワキルのインタビューを、カメラで録画していた。ムタワキルは録画のコピーを要求したが、結局何も渡されなかった。

ムザダーによると、アラブ人たちはその後ビンラディン、ザワヒリ、オマール師と会い、彼らに祝福されながらカブールに向かった。カブールで外務省は彼らに、北部同盟が占拠するパンシールに入るための許可を与えた。

北部同盟側の信用を得るために、ジャーナリストたちはロンドンのイスラーム組織から、パンシールにいる北部同盟司令官、アブドゥル・ラスール・サイヤーフ宛ての紹介状を持っていたと、マスードの部下だったアブドゥッラー・アブドゥッラーが語る。

今年初めまで外務大臣だったアブドゥッラーによると、この紹介状のために、アラブ人たちはパンシールに入ることができたという。サイヤーフは、彼らのレボートにより、世界が北部同盟側につくことを期待できると考えたが、同時に現在のアフガン軍長官である、当時の前線司令官ビスムッラー・ハーンに、「彼らに気をつける」ように警告した。

アブドゥッラーによると、アラブ人たちがパンシールにいるのを、暗殺の20日ほど前に見たという。「ちらっと遭遇しただけだった。思い起こしてみると、彼らの視線は憎しみの視線だった」。

ジャーナリストたちは、マスードと会う機会を待った。ホジャ・バシウッディンでその機会が訪れると、彼らは15の質問を用意していた。そのうち8つがビンラディンについてだった。

現在トルコにいるアフガン大使、ハリリによると、カメラが録画を始めるとともに、最初の質問をマスードのために英語に訳し始めた。「アフガニスタンの状況は?」そのとき火の玉が、部屋を貫いた。

北部同盟を守るために、マスードの死は6日間伏せられていた。しかし発表されたころ、9.11攻撃が世界を変えていた。2ヵ月後、マスードの軍はアメリカの空爆の力に助けられ、タリバンを敗北させた。

garrEx-Taliban chief details assassination
MATTHEW PENNINGTON、KABUL

■オマール師、パキスタンに[060909 CNN]

隻眼のオマール師はパキスタンに住んでいるが、ビンラディンがいる場所と同じではないと、アメリカの諜報機関関係者が述べた。オマール師は、バローチスタンのクエッタか、その周辺に住んでいるという。

情報源によると、オマール師の居場所は「クエッタのある特定の地域にまで追跡できていた時期もあった」という。(中略)オマール師はいまだにジハード戦士たちを「高次元で指揮」しているが、毎日の作戦はダドゥッラー師が指揮しているという。

(中略)アメリカ政府関係者は、オマール師はアフガニスタンとの国境地域にいると、これまで言い続けてきた。またオマール師についての情報源は、ビンラディンの居場所についても語った。

情報源によると、ビンラディンはアフガン・パキスタンの北部の国境で、チトラルと隣接するバジョールにいるようだという。(後略)

hoonMullah Omar in Pakistan
Peter Bergen、Anderson Cooper、Charlie Moore、Kabul

■ワジリスタン、いまだにお荷物[060909 Daily Times]

政府はワジリスタンの軍事作戦に関して国際的な支持を得ているが、アルカイダの取り締まりが効果的かどうかに関しては、さまざまな意見が出ている。

最初は南ワジリスタンから始まったが、3年たった今、今度は北ワジリスタンだ。ワナからミランシャーに焦点が移ったわけだが、南ではまだ問題が続いている。

月曜日に、銃を持った男が、カラシニコフを押収しようとした政府関係者に発砲し、3人が死亡、4人が負傷した。男はバザールで武器を持っていたために、取り調べを受けた。発砲後、男は逃走した。正確に言うと、この男はミランシャーの行政官イフティハール・アーマッドと彼の部下を殺害し、その他4人を負傷させたのだ。

いっぽう南ワジリスタンのワナの学校とカニグラムの診療所で、爆発があった。この地域にはまだ問題があることを、証明している。

テロリストたちがシャーワル谷に集結しているという情報に基づき、別の作戦が実施された。ベシャワル警察司令官のサフダール・フセインは、新たな武力行為に対抗するために、ヘリコプターに援護された隊を派遣した。また逃走したガンマンを追うために、ミランシャーに戒厳令を敷いた。つまり、アルカイダに協力する地元民たちを手なづけたという主張に、信憑性はないのである。(後略)

hoonWaziristan remains a simmering embarrassment

■戦闘員、部族地帯でアメリカのスパイを殺害[060909 AFP]

親タリバン派戦闘員がパキスタンの部族地帯で、アメリカのためにスパイ活動をしたとして、年老いた部族民を射殺した。

準軍隊兵士が、ミランシャー郊外でラヒーム・ジャンの銃殺死体を発見した。「アメリカのスパイであることを自白した。同じ行為をする者は、同じ運命をたどる」というメモが遺体に残されていた。(後略)

hoonSuspected militants kill alleged US spy in Pakistani tribal zone
MIRANSHAH

■アフガニスタンの戦闘で「タリバン40人死亡」[060909 BBC]

アフガニスタン南部の作戦で、NATO軍がタリバン40人を殺害したと発表した。最新の戦いは、カンダハルで起きた。

パンジャワイ地区での戦闘で、空爆と砲撃により、タリバン40人以上が死亡したという。報道陣は現場に入れないために、死傷者の数を確認することはできない。

NATO報道官によると、この地域で、爆弾製造施設を発見したという。(後略)

hoonAfghan clashes 'kill 40 Taleban

■北ワジリスタンから軍は撤退しないと州知事[060909 Dawn]

北西辺境州知事のアリ・ムハンマド・ジャン・オラクザイが、軍は北ワジリスタンから撤退しないと述べた。今後もアフガニスタンとの国境に留まり、越境がないか監視するという。

「和平協定により、この地域から軍を撤退させることはない」と、オラクザイ知事が金曜日に記者会見で述べた。

政府は戦闘員、または地元タリバンと取り引きを交わしてはいないと述べた。「タリバンとの取り引に調印していない。これは政府とウトマンザイ族との間の取り引きだ」と、答えた。

今回の取り引の中心人物といわれる知事は、地域に住んでいる外国人に恩赦を与えたことや、戦闘員に武器を返還したことなど、さまざまな取り引き内容内容を弁護した。「戦闘員に武器を返還したとしても、戦闘行為を認めたのではない」と主張した。

また部族地帯に住む外国人に恩赦を与えたが、これはビンラディンなどアルカイダのリーダーたちには当てはまらないとも述べた。

この地域にいる外国人の数に関しては、正確な数はわからないが、数百人だと主張した。今回の和平協定は、この地域全体にとって大きな利益となり、アフガニスタンにいる米軍主導同盟軍にとっても、メリットがあると述べた。

「合意に達する前に、米大使に3回会って声明した。フランスとドイツ大使にも会った」という。

(中略)北ワジリスタンのあとには、南ワジリスタンの問題に取り組みむためにジルガを開催し、行政内の問題を解説すると述べた。(後略)

hoonNo troop withdrawal from N. Waziristan: governor
PESHAWAR

■カブールの爆発で米兵2人を含む16人死亡[060908 New York Times]

自爆犯がカブールの米大使館のすぐそばで米軍車輛に車を激突させ、少なくとも2人の米兵を含む16人を殺害、29人を負傷させた。

米軍は、兵士2人の死亡を確認し、別の2人が負傷したと発表した。アフガン警察は米兵5人と一般市民11人、そして自爆犯が死亡したと述べている。

(中略)アフガニスタン南西部では道路脇に仕掛けられた爆弾で、NATO軍兵士1人が死亡、3人が負傷した。またカンダハルではNATO軍車列に、歩いて近寄った自爆犯が自爆したが、犯人以外に死亡した者はいない。カンダハルの西部では、カナダ軍が数百人の抵抗勢力たちと激しい戦闘を続けている。

NATO軍関係者がワルシャワで会談を開き、アフガニスタンへ兵士の数を増強するかどうか、話し合っている。(中略)NATO軍は8月1日以来、28人の兵士を失っており、タリバン抵抗勢力の規模と力に驚かされている。しかしNATO軍の英軍司令官でビッド・リチャーズ准将は、6週間たった今は風向きが変わりつつあり、タリバン戦闘員たちは意気を失いつつあって、いくつかの地域では敗北していると述べた。

カブールでは、米軍の装甲四輪駆動車が小さな破片に引き裂かれ、爆発で命を奪われなかった者がいたことのほうが不思議だった。現場のアフガン警察は、米兵5人が死亡したと述べ、目撃者数人が、爆発後米兵3人が横たわっているのを見たと述べた。

目撃者たちは、兵士たちが、木々に引っかかった米軍兵士の制服や遺体の一部を拾い集めていたために、死亡した兵士の数はもっと多い可能性もあると述べた。四輪駆動車のシートが、木からぶるさがっていた。車線の間の並木道に爆発の残骸が広がり、両側のビルの窓ガラスが吹き飛んでいる。警察が遺体をバケツの中に拾い集めていた。

爆発で死亡した兵士たちは、地方再建計画チームの一員で、地元アフガン社会の再建と協力を提供していた。(後略)

garrBlast Kills 16 in Afghan Capital, Including 2 U.S. Soldiers
CARLOTTA GALL and ABDUL WAHEED WAFA、KABUL

■こんにちはアルカイダ、さようならアメリカ[060908 Asia Times]

パキスタンのタリバンとイスラマバードとの間に和平協定が結ばれて大きく注目されたが、親アルカイダ要員とパキスタン政府の間で、もっと重要な出来事が起きている。アルカイダ幹部は今後逮捕されることはなく、すでに逮捕されている者たちは、釈放されるのだ。このことでイスラマバードとワシントンの関係は、決定的になるだろう。

火曜日にパキスタンは、パキスタンのタリバンがアフガニスタンで攻撃をしないことと引き換えに、ワジリスタンから軍隊を撤退させることに合意した。

ほとんどの報道が、パキスタンが拘束している部族民の釈放が、この和平協定の障害となっていると報告していた。しかし実際には、部族民たちはすでに釈放されていたのだ。

最大の問題は、そしてこれは報道されなかったことだが、アルカイダと関係がある過激派組織のメンバーの釈放だった。

今、戦闘員とイスラマバードの間では、ビンラディンやザワヒリそしてタリバンのリーダーのオマール師を含む「最重要」指名手配者を、当局は逮捕しないという合意を交わした。

このリストに入っているパキスタン人は、サウード・メーモンとイブラヒム・チョートーである。彼らは今後逮捕されることはない。サウード・メーモンは、アメリカ人ジャーナリストのダニエル・パールが殺害された家の持ち主だ。またパキスタンは、パキスタン国内で逮捕された多数の人間を釈放することにも、合意した。

この中の重要人物に、グーラム・ムスタファがいる。彼は、去年パキスタン当局に逮捕された。ムスタファは、パキスタンにおけるアルカイダ責任者である。『Asia Times』が予測したとおり、ムスタファは「ブラック・ホール」の中に消え、アメリカに引き渡されもせず、起訴もされていない。

ムスタファは、数日中には釈放されると見られる。彼は一時ビンラディンに近く、アルカイダの戦略や資金源、パキスタン陸軍との関係について熟知していた。

《自由になった戦闘員》

「パキスタン当局は、ついに我々をムジャヒディンの代表として受け入れた」と、ミランシャーで開催された宗教会議で、ワジール・ハーンが『Asia Times』に語った。「われわれはもはや犯罪人ではなく、日常的な取り引きには不可欠な存在になった。当局は、一時は指名手配になっていた私や私の仲間が話し合いに参加しても文句は言わないことを、暗黙に了解した」。

ワジール・ハーンは、一時ビンラディンとの仲介をしていた、重要人物である。またワジリスタンにおける、ビンラディンの重要な部下の1人でもある。彼は「名手配者」の筆頭にいた。しかし今、彼は自由の身だ。「状況は劇的に変わった」と彼は語る。

ワジール・ハーンや彼の仲間にとって、状況は個人的なレベルで劇的に変わった。しかし大局的に見ても、大きな変化が起きた。

パキスタンは9.11以前に戻っているのだ。

「9.11以後、パキスタンは混乱した」と、ある過激派が語った。「すべてのジハード組織は、今後どのような処罰を受けるか事前に知らされ、しばらく目立たないようにした方がいいと、注意された。しかし注意に従わない向こう見ずの者もいて、当局に迷惑をかけた。そのためにアメリカに介入され、アルカイダ700人以上が、逮捕されることになってしまった」。

「しかし、状況は再び変化した。パキスタン陸軍にとって、パキスタン国家が大事であることはわかっているが、陸軍はイスラームに関して完全に妥協しないことも知っている」。

イスラマバードとワジリスタンにいるパキスタンのタリバンとの間の和平協定は、ワシントンにとっては受け入れがたいものだ。とはいえ、パキスタンの一定地域内にアフガニスタンにいる外国軍が戦闘員を追跡して入ることをパキスタンが許しているために、若干打撃は緩和されている。

しかしイスラマバードは、国内問題になんとかけりをつけるとともに、アメリカ政府を追い払おうとしている。

ワジリスタンの状況は、すでに手がつけられなくなっていて、すでにパキスタンとは別の国家である。さらにバローチスタンでも問題が生じている。(中略)

《地図の作り直し》

(中略)アフガニスタンでは、タリバンが南部のほとんどをコントロールし、オマール師はじきに、アフガニスタンイスラーム首長国の復活を表明するだろう。

パキスタンの刑務所の扉が開く音とともに、アメリカとの軋轢が始まる。イスラマバードは独自の外交を開始し、アフガニスタンにいるタリバンたちに協力する。アフガニスタンは再び、パキスタンのプレイグラウンドになりうる。

ohPakistan: Hello al-Qaeda, goodbye America
Syed Saleem Shahzad、MIRANSHAH

■アフガンの自爆で米兵2人を含む18人死亡[060908 AP]

金曜日にカブールで、爆発物を搭載した車に乗った運転手が米軍車列に激突して、米兵2人を含む少なくとも18人を死亡させた。負傷した31人の中には、米兵2人が含まれる。

カブールのアメリカ大使館のそばで爆発がおきた。英軍将軍が、アフガニスタン南部における戦闘は、イラクの戦闘よりも激しいと発言した直後のことである。

爆発により、アメリカの四輪駆動車と米兵たちの制服の破片が木々の上にまで飛び散り、炎上した。車爆弾の威力で、周囲の地域の建物の窓がこなごなになった。

アフガン人16人が死亡し、29人が負傷したという。犯人も死亡し、車に乗っていた米兵2人が死亡、2人が負傷したと、米軍報道官が述べた。

目撃者によると、体格の良い男が運転する青い色のトヨタ・カローラが猛スピードで別の車を追い抜き、その後米軍の車列に突っ込んだという。

「爆発のあと、地面に倒れ込んでしまった。米兵が、近くの別の車に向かって発砲し始めた。そこいら中から火が上がった」。

現場にいた『AP』のレポーターが、米兵2人の遺体を見たという。

(中略)金曜日の朝早く、タリバン戦闘員70人ほどがワルダック州の政府関係の建物にロケット弾を撃ち込んだ。タリバン8人が殺害され、4人が負傷したという。8人が逮捕された。

カンダハルのパンジャワイ地区では、NATO軍がタリバンの位置に向かって、夜通し迫撃砲と大砲を撃ち込んだ。(後略)

hoon2 GIs among 18 killed by Afghan bomber
PAUL GARWOOD、KABU

■アフガン軍、「兵士さらに必要」[060908 BBC]

NATOのリーダーが、アフガニスタン南部でタリバンゲリラと戦うためには補強部隊が必要だと述べた。

(中略)またアフガニスタンの英軍司令官が、現地での戦いはイラクよりも緊迫していると述べた。

アド・バトラー准将が、隊は1日に数十回攻撃されているが、兵士の意気は高いという。「戦闘は毎日のように、イラクよりも激しい」という。英軍は敵と白兵戦になることもあり、「接近して、個人との対戦になる」と述べた。

《補強部隊》

これに先立ちNATO軍最高司令官のジェームズ・ジョーンズ将軍が、同盟軍はこの地域の戦闘の激しさに不意打ちを食らったと述べた。しかし数週間後には、抵抗勢力に打ち勝つだろうと予測した。

地上軍の司令官たちは、数百人の兵士を増強し、ヘリコプターや輸送機も必要だと述べた。

hoonAfghan force 'needs more troops'

■アメリカが逮捕しているテロ容疑者[060907 BBC]

アメリカが逮捕しているテロ容疑者14人が、CIAの秘密収容所からグアンタナモ刑務所に移送された。

14人は、ハリッド・シェイク・ムハンマド(Khalid Sheikh Mohammed)、アブ・ズバイダ(Abu Zubaydah)、ラムジ・ビナルシブ(Ramzi Binalshibh)、ハンバリ(Hambali)、ムスタファ・アーマッド・アル・ハウサウィ(Mustafa Ahmad al-Hawsawi)、アブ・ファラージ・アル・リビ(Abu Faraj al-Libbi)、ムハンマド・ナジール・ビン・レプ(Mohammed Nazir Bin Lep)、アリ・アブド・アル・アジズ・アリ(Ali Abd al-Aziz Ali)、ワリッド・ビン・アタシュ(Walid bin Attash)、マジッド・ハーン(Majid Khan)、アブダル・ラヒーム・アルナシリ(Abd al-Rahim al-Nashiri)、アーマッド・ラリファン・ガイラニ(Ahmed Khalfan Ghailani)、ゴウレッド・ハッサン・ドーラッド(Gouled Hassan Dourad)、ムハンマド・ファリック・ビン・アミン(Mohd Farik Bin Amin)である。

hoonProfile: Key US terror suspects

■ビンラディンの「9.11」ビデオ放送される[060907 BBC]

『アルジャジーラテレビ』が、ビンラディンが9.11ハイジャック犯と会見する様子を映した、これまで未発表のビデオを放映した。アルカイダが「攻撃の準備をして、予行演習をしている」様子だという。

ビンラディンは黒っぽい服に白い帽子という出で立ちで、山の中を歩いている。

またアルカイダのリーダーが、ラムジ・ビナルシブとムハンマド・アテーフに会見する様子も収められ、場所はアルジャジーラによると、アフガニスタンの山中だという。ビナルシブは2002年に逮捕され、アテーフは2001年の終わりに空爆で殺害された。

この会見の様子は、9.11の直前に撮られたと思われる。

アルジャジーラはさらに、イラクのアルカイダリーダーがイラク人たちに、抵抗運動に参加するよう呼びかけるビデオを放映した。

アブ・ハムザ・アル・ムハジールと思われる人間が、勝利は確実だと述べた。

(中略)アルジャジーラは、ビデオをどこで入手したか、発表していない。

hoonBin Laden's 9/11 video' broadcast

■アフガニスタンで英兵3人死亡[060906 BBC]

アフガニスタン各地で英兵3人が死亡したと、英国防省が発表した。

関係者がすでに、ヘルマンド州で地雷が爆発して英兵1人が死亡したと発表している。その後兵士1人が殺害され、1人が重傷を負ったという。さらに金曜日の戦いに巻き込まれた兵士1人が、傷のために死亡したことが明らかになった。

英軍は水曜日にヘルマンド北部で、2つの戦いに遭遇した。このほかに地雷の爆発もあり、6人が負傷し、そのうち5人が重傷を負った。

3つ目の戦いで英兵が「重傷を負い」、その他に1人が大きな怪我を負ったと、国防省が発表した。(後略)

hoonThree soldiers die in Afghanistan

■ブッシュ、容疑者14人をグアンタナモに送還[060906 Washington Post]

ブッシュ大統領は今日、以前CIAが秘密収容所に拘束していたアルカイダ容疑者14人をグアンタナモに送還したと発表し、9.11攻撃を含む犯罪を特殊軍事裁判で裁くための法案を、国会に提出した。

ホワイトハウスで行なわれたスピーチでブッシュは、容疑者14人の中には、9.11計画首謀者のハリッド・シェイク・ムハンマドが含まれていると述べた。

《CIA秘密収容所》

『ワシントンボスト』のレポーター、ダナ・プリーストが11月2日に、テロ容疑者たちを秘密収容所に拘束するネットワークをCIAが運営していることを報告した。彼女はこの報道で4月17日に、ピューリッツァー賞を獲得した。

ブッシュは、今回の送還により、「CIAのプログラムにはテロリストがいないことを意味する」と述べた。しかし今後さらに容疑者が逮捕された場合、CIAの秘密収容所プログラムが彼らから重要な情報を引き出すために、「非常に重要」になることを強調した。

ブッシュはまず最初に、CIAによるムハンマドなどのアルカイダ工作員の取り調べから大きな情報を得たことを説明して、その後送還について語った。取り調べは「厳しい」が、完全に合法であると述べ、取り調べ方法に関してCIAを擁護した。

CIAの収容所プログラムを擁護することで、ブッシュは『ワシントンポスト』が報告した秘密収容所の存在を、初めて公に認めたことになる。

(中略)ブッシュは9.11直後に逮捕されたアルカイダ工作員アブ・ズバイダの例を取り上げ、「ビンラディンの腹心」は取調官に初めのうちは情報を与えていたが、その後何も語らなくなったと述べた。しかしCIAが「他の方法」を用いたためにアブ・ズバイダは他のアルカイダ幹部の逮捕につながる情報を提供し、新たなテロ計画を防ぐことができたという。

この取り調べからラムジ・ビナルシブが逮捕され、さらにムハンマドが逮捕された。ムハンマドの取り調べからは、「アメリカを攻撃する別の計画を防ぐことができた」という。またインドネシアの過激派、ハムバリの逮捕にもつながった。

(中略)ブッシュは、この計画では拷問は用いていないと強く強調し、取り調べ方法は法務省やCIAの検査官によって吟味されていると述べた。「アメリカは拷問を用いない。私はそれを認めないし、今後も認めない」という。

ブッシュは次の段階として、「テロリストを戦争犯罪のために裁くために、軍事委員会を結成することを認める法案を国会に提出した」と述べた。

国家情報長官官房はその後、グアンタナモに送還された14人を明らかにした。その中には、ハムバリ本名リドゥアン・イサムディンも含まれている。(後略)

hoonBush Transfers 14 Key Suspects to Guantanamo
William Branigin

■パキスタン、国境のコントロールを部族民たちに[060906 New York Times]

パキスタンの中央政府は火曜日に、戦闘員たちが国境を越えてアフガニスタンで戦闘活動をすることを止めさせる代わりに、国境地帯での自由を許した。

この取り引きは、タリバンやアルカイダに協力する山岳地帯の部族民や過激派たちとの戦いで打撃を受けたパキスタン軍が、なんとか面目を保ちつつ撤退するための方策とらえられている。政府は、戦闘員たちが北ワジリスタンで自由に活動することを許してしまったことになる。

政府は、外国人は法や和平協定に従えば、部族地帯に留まることを許した。これは部族地帯から外国人戦闘員を一掃するためのキャンペーン開始以来、最大の屈辱である。ビンラディンやアルカイダ幹部たちは、この地域に隠れている。

(中略)北ワジリスタンにいるタリバン議会の7人の代表者たちが調印したこの協定で、戦闘員たちは「国境を越えて隣国アフガニスタンに入り、戦闘行為はしない」と約束した。

政府側は地上戦と空中戦を中止し、問題解決は地元の習慣や伝統に従うことを約束した。部族地帯はこれまでも、ほとんどの自治権を持っている。

パキスタン兵たちはこの地域に設置された検問所から撤退を始め、地元の部族民たちに引き継いだ。

政府はこれまで拘束していた戦闘員全員を釈放し、戦闘員側は政府軍や政府関係の施設を攻撃せず、また並行的な行政を実施しないことを約束した。両者とも、戦闘の際に押収した武器やその他の機器を返還することに同意した。

今回の協定は、以前南ワジリスタンで交わされたものと似ている。このときは戦闘員がパキスタン軍を攻撃しないかわりに、戦闘員たちの武装を許し、彼らを自由にしてしまった。

戦闘員側の報道官のアブドゥッラー・ファルハードは、電話でのインタビューに答え、北ワジリスタンには外国人戦闘員はいないと述べ、政府は彼らが存在しているという証拠を示すべきだと主張した。「彼らがここにいないんだから、心配することはない」という。

今回の協定は、戦闘員たちが停戦を宣言したあとに結成された、大ジルガの仲介で達成された。政府がジルガに頼ったということは、この地域を軍事的にはコントロールできないことを認めたという意味をもつ。

hoonPakistan Lets Tribal Chiefs Keep Control Along Border
ISMAIL KHAN and CARLOTTA GALL、PESHAWAR

■アフガニスタンでタリバン数十人死亡[060905 BBC]

NATO軍によるアフガニスタン南部での攻撃が開始されて4日目、火曜日の米軍の砲撃と空爆で、タリバン戦闘員50〜60人が死亡したと、同盟軍報道官が発表した。

NATO軍によると、今回の作戦ですでにタリバン200人以上を殺害したという。

NATO軍下で戦う米軍が、カンダハル州のパンジャワイ地区でタリバンと衝突した。NATO軍報道官のクエンティン・イニス中佐によると、軍がタリバンの位置を確認したあと、戦闘となった。軍の報告から、戦闘員50〜60人を殺害した模様だと述べた。NATO軍とアフガン軍側には、死傷者はいない。

戦闘の現場に行くことができないために、死者の数を確認することはできない。

アフガン国防省は以前死者の数を89人としていたが、土曜日以来200人が死亡したと発表した。死者の中には、タリバン司令官4人とそのボディーガード12人を含むという。

カナダ兵5人も死亡した。そのうちの1人は、米軍戦闘機による誤射で死亡している。

南部のタリバン司令官のダドゥッラー師は、200人以上が死亡したというNATOの主張を否定している。

タリバン報道官だというカリ・ソーセフ・アフマディが、もしNATOがタリバン戦闘員多数を殺害したのなら、証拠をメディアに見せるべきだと主張した。またタリバン戦闘員数百人がパンジュワイ地区に包囲されているという報道を否定し、NATO軍やアフガン軍と戦っている最中だと述べた。

別のNATO軍報道官のスコット・ランディ中佐は、火曜日に約700人のタリバンがパンシャワイとザーリ地区の間に包囲されたと発表した。さらにNATOは、タリバン80人を逮捕し、180人が逃走したと報告している。「複合的な戦場となっている。あるタリバングループは包囲され、他の者たちは移動している」とランディが述べた。(後略)

hoonDozens of Taliban killed in Afghanistan
NOOR KHAN、KANDAHAR

■アフガニスタンのシンボル、失敗のシンボルに[060905 New York Times]

7月の月曜日の朝、町のモスクに歩いて向かっていた著名な宗教指導者を、タリバン派が射殺した。その5ヵ月後、近くの村の学校で生徒たちが見守る中、教師が射殺された。その翌月、タリバンは別のモスクに押し掛け、外国の援助団体のために働くアフガン人技師を射殺。彼が神に祈って額を地面に押し付けているところを、背後から撃った。

今年の春と夏、南部の州ではゆっくり、そして組織だった襲撃が続いている。タリバンとその仲間たちが道路に検問所を設置し、燃料を輸送するトラック20台に放火して再建計画を妨害している。ヘルマンド州では教師5人、裁判官1人と警察官数十人が殺害された。学校や裁判所はめちゃくちゃにされた。

(中略)5年前ラシャカル・ガーは、米軍が主導する国家安定計画にとっては、理想的な町のように見えた。冷戦中の30年間、アメリカはここで大規模の開発計画を展開し、モダンな州都を建設し、郊外型の広々した家屋を建て、水力発電所や300マイルにわたる水路を作り、25万エーカーの砂漠を豊かにした。アフガン人たちは、この町を「リトル・アメリカ」と呼んでいた。

今日リトル・アメリカはタリバンの抵抗運動の中心地で、麻薬商売の中心でもある。今年になって米軍とNATO軍106人の命を奪った。アフガニスタンを通して、道路脇に設置された爆弾は30%も増え、自爆テロも2倍になった。統計的には、イラクと同様、危険な場所になった。

ヘルマンドの最近の状態は、米軍が当初タリバンに勝利して以来、アフガニスタンがいかにテロとの戦争の最前線になってしまったかを、象徴する。

問題は2002年に始まった。アフガン人たちが外国諸国から援助を求めていたにもかかわらず、それを有利に利用できなかったためだ。

まず国防省は、当時の国務省長官だったパウエルとアフガニスタンの新リーダーが平和維持軍としてまとまった数の兵士を要求していたにもかかわらず、たった8000人の軍隊を純粋に戦闘目的のためだけに派遣した。米軍進行後の最初の18ヵ月の間、米軍主導同盟軍はカブールの外に平和維持軍を派遣せず、ヘルマンド州などの治安は、地元アフガン人に任せた。

「アメリカを含む世界が治安を重視しなかったことは、間違いだった。このことにより、今アメリカは悩まされている」と、国務省の政策プランニング責任者のリチャード・ハースが述べる。

(中略)いっぼうタリバンのリーダーシップは、隣りのパキスタンに隠れ家を見いだした。当時のCIAの対テロ責任者で、イスラマバード支局の責任者でもあったロバート・グレニエールは、その後、見国境を行き来することになるタリバン司令官をて見ぬふりをした。

アフガニスタンのカルザイ大統領は、優柔不断や汚職、不介入で非難されている。

ヘルマンドでは、治安や政府のコントロールが行き届いていないために、アフガニスタン最大のヘロイン産出地となった。

2005年になると、地元のタリバン戦闘員と麻薬密売人たちが、政府と結託した。今日ヘルマンドの教育を受けたエリートたちは、地元高官が麻薬密売人や貧困にあえぐ農民たちと一緒に、生存するために芥子栽培を行なっていると非難する。

(中略)冷戦時代にヘルマンド谷では、荒野のなかで貧困であえぎ、ソ連の影響下にあったアフガニスタン南部の発展のために、アメリカ人技師とその家族たちが壮大な計画を立てた。

30年以上にわたって、アメリカ政府とMorrison-Knudsenが古代の灌漑システムを拡大していった。生活の根源は、ヘルマンド川だ。(中略)期待していたほどの灌漑は実現できなかったが、訓練プログラムはアメリカ人たちの意思を受け継いだアフガン人技師や技術者を、生み出した。

「その多くはアメリカに住み、勉強し、アメリカ人の妻をめとった」と、この地域を1960年に訪れたイギリスの歴史家、アーノルド・トインビーが書いている。「ヘルマンド川のおかげで、彼らが砂漠の中から生みだした新しい世界は、アジアの中のアメリカになるだろう」。

この事業に関わっていた若いアフガン人のなかに、オロミ婦人がいる。彼女は、町の共学の学校に入学した、最初の女子生徒の1人だ。ヘルマンド出身の、最初の女性大卒者でもある。

最近インタビューすると、彼女はわずかな英語しか覚えていなかった。しかし当時のアメリカ人教師の名前を覚えており、「きらきら星」を歌うこともできた。放課後は、アメリカ人の子供たちと、バスケットボールをして遊んだ。「いい時代だった」と、ラシシュカル・ガーの学校や清潔な町を思い出しながら語った。「幸せだった」。

しかし1979年のソ連侵攻直前、アメリカはこの町を見捨てたために、彼女の幸せは短かかった。その後、ゲリラ戦や市民戦争が20年間続いた。1990年代に、ラシュカレ・ガーの町は、かつての兵士が盗賊となって徘徊し、軍閥たちが農民たちに芥子栽培を促した。ヘルマンドでタリバンが立ち上がると、住民たちは歓迎した。盗賊たちが彼らに裁かれると賞賛し、犯罪はなくなった。

しかしオロミ婦人を始め、女性の生活は、台無しになった。(中略)

2001年に、再び希望が湧いた。再びアメリカの支援が始まることを夢見た。「あのころは、本当にうれしかった。やっと自由になれると思った」と、オロミ婦人は語る。

《道路と道路封鎖》

ラシュカル・ガーをはじめ、アフガニスタンの期待が高まるとともに、ワシントンでは、アフガニスタンの再建と治安の各府に関するアメリカの役割に関して、意見の違いが生じた。

タリバン政権崩壊後に、アフガニスタンの最初の米大使となったロバート・フィンは、アメリカはアフガン人たちの貞節を獲得するために、再建計画に力を入れるよう、提案した。まずは町を結ぶ道路だ。アメリカが冷戦自体、建設に協力した道路だ。

「道路建設を提案したが、『否』という答えだった」。「ワシントンでは、『もうその種のプロジェクトはしない』ということだった」。

(中略)最終的にアメリカは、2002年にアフガニスタン再建のために2億8700万ドル、EUが4億9500万ドル、日本が2億ドル、サウジが7300万ドルを提供することにしたが、どこも迅速には動かなかった。(後略)

hoonAfghan Symbol for Change Becomes a Symbol of Failure
DAVID ROHDE、LASHKAR GAH

■パキスタンのタリバンと和平協定[060905 BBC]

パキスタン政府は、アフガニスタンとの国境付近にいる親タリバン派戦闘員たちと、和平協定を結んだ。

協定により部族民たちは、外国人戦闘員を追い出すとともに、アフガニスタン側に入って戦闘行為をしなことを約束し、それと引き換えに軍は、この地域に派遣している兵士の数を削減する。

《戦略の失敗》

部族民の長老からなる大ジルガの仲介で協定が締結されたのは、パキスタン軍がアフガニスタン国境でタリバンやアルカイダ掃討のために進出して以来、初めてのことである。

協定に従い、パキスタン軍はこの地域で地上戦や空中戦を実施しないことになる。逆に地元民たちは、外国人戦闘員を匿ったり、アフガニスタンに入って戦闘行為を行なったり、パキスタン政府軍や政府関係の施設を攻撃しないことを約束した。

タリバンはパキスタンとアフガニスタンの両方に支持者がいるために、このような条件を守ることは難しいと見られている。

オブザーバーたちによると、ジルガが結成されたことは戦闘員たちの力を認めたことであり、政府の軍事作戦が失敗したことを意味するという。

政府は6月に、拘束していた親タリバン派部族民50人を釈放している。それ以後も戦闘員たちの要求を飲み、北ワジリスタンに設置された新たな検問所を撤去し、さらに150人の部族民を釈放した。

hoonPakistan 'Taleban' in peace deal

■NATO軍、複合戦で戦う[050904 BBC]

タリバンゲリラがアフガニスタン南部で、NATOのスパイだとして男を木から吊るした。

そのころNATO軍は、『メドゥーサ作戦』で土曜日以来、タリバン200人を殺害したと発表した。

この2つの事件は、アフガニスタンでNATOが直面する問題を象徴している。完全装備した軍は、抵抗勢力と正面から戦って、彼らを常に敗北させる。しかし正面から戦っているだけでは、タリバンに対処できない。

男は、ヘルマンド州で絞首刑にされた。現在英軍が根拠地としている地域だ。しかしタリバンはいまだに自身の「裁判」を実施し、「同盟軍と異教徒政府」のスパイとして有罪の判決を下した。数週間前、70歳の老婆と13歳の孫が、同じようにヘルマンドで絞首刑になったばかりだ。

NATOの大きな勝利も、タリバンが南部で自由に活動し、地元の人間に恐怖を植えつける限り、かすんでしまう。

タリバンがなぜNATOとあえて対戦するのか、謎と言うしかない。

英軍司令官は、抵抗勢力たちは向こう見ずで、簡単に標的となってしまうような場所に大人数で集まると語る。

NATOによると、今年の夏の戦いで、1000人に近い戦闘員が死亡したという。

危険なのは、『メドゥーサ作戦』の結果、タリバンがアフガニスタン南部から別の場所に移動したり隠れたりしてしまうことだ。ゲリラ軍の典型的な戦法だ。

タリバンとの戦いにおいて、一般のアフガン人の支持が何よりも大事だ。NATOによると、週末の戦いでは一般市民の犠牲者はいないという。しかしアフガン国防相は、一般市民が犠牲になったと述べた。

以前ヘルマンド州のナウザードで英軍は、タリバンに町を奪われそうになり、米軍機を呼んだ。地元の人間によると、バザールが空爆され、一般市民が死亡した。真偽はともかく、このままではアフガニスタンはイラクになってしまう。

《麻薬密売》

NATOはさらにアフガニスタンで問題を抱えている。欧米はタリバンと戦うとともに、麻薬商売の撲滅に努めている。

現実的には、英軍は今のところ麻薬密売を無視している。戦うべき戦争があるからだ。麻薬商売と戦うのは、先のことだ。

しかしもしタリバン掃討作戦の協力者たちが、地元の麻薬王だったらどうする? 麻薬密売がもたらすアフガン政府内の汚職問題を考えれば、あり得ることだ。

軍司令官たちは、今年の始め、タリバンのほうが有利だったことを認める。ゲリラたちはカンダハルのパンジャワイ、ヘルマンドのサンギン、ムサ・カレ、ノウザードを占拠した。今NATOがこれを奪い返そうとしている。

英軍が受けている命令は変わっていないが、ある国防関係者によると、先手を売ってタリバンの基地を、これまで以上に激しく攻撃するように言われているという。

アフガニスタンのNATO軍を指揮する英軍の将軍は、アフガニスタン政府が勝利するためには、この先6ヵ月が勝負だという。

今後も急ピッチの戦闘が続くことが予測され、両陣営に大きな犠牲者が出るだろう。NATOは、タリバンは大きな打撃を受けると信じている。幹部司令官たちは、これまでの犠牲により、アフガニスタンに勝利をもたらすと信じる。

hoonNato troops in complex fight
Paul Wood

■NATO兵士、味方の誤射で死亡[060904 Reuters]

月曜日にアフガニスタン南部におけるタリバンとの戦いで、味方による誤射によりNATO軍兵士1人が死亡、数人が負傷した。

隊は、カンダハルでタリバン戦闘員たちとの戦っていた際に、戦闘機2機の機銃掃射を受けたという。(後略)

hoonFriendly fire kills NATO soldier in Afghanistan
KABUL

■カブールの自爆で5人死亡[060904 BBC]

カブールで少なくともアフガン人市民4人と英兵1人が、NATO軍の車列を狙った自爆で死亡した。このカブール〜ジャララバード間の道路で発生したこの爆発で、別の英軍兵士と一般市民4人も、負傷した。

負傷した兵士は重傷を負ったと、国防省が発表した。(後略)

hoonKabul suicide bomber kills five

■ジルガ、ワジリスタンから外国人の一掃に期待[060904 News]

政府主催の大ジルガは、北ワジリスタンに平和を回復させるためにさまざまな労力を費やしたという。

長老や部族民、戦闘員、政府関係者からのインタビューから、ワジール族とダワール族が、戦闘員と政府の間を取り持ったことがわかった。外国人の問題もおおかた解決され、北ワジリスタンから立ち去るように言われているという。その多数はタヒール・ユルデシェフを中心とした、ウズベク人たちである。

タヒールは、パキスタン軍の軍事作戦によって南ワジリスタンのワナを出て、北ワジリスタンに隠れていた。地元民によると、彼は常に移動しており、同じ場所に留まることはないという。

「彼は現在アフガニスタンか、南ワジリスタンにいる」と、ミラリの戦闘員が語った。タヒールは、他のタリバンやアラブ人司令官と一緒にアフガニスタン東部や南部で活動しており、ゲリラ攻撃を実施したり、改良爆弾を仕掛けているという。

「現在大事なことは、ウズベク人たちを北ワジリスタンから退去させることだ」と、あるジルガのメンバーが語った。「我々は楽観しているが、この問題を話し合いで解決したいと思っている」。

ウズベク人、タジーク人、アラブ人が地元ミラリ地区にいることを快く思っていないグル・バハドゥル司令官の支持者と、外国人ムジャヒディンを擁護している地元のグループの間に対立があるようだ。

外国人たちは、ミラリに留まることを望んでいるという。しかし住民によると、グル・バハドゥル司令官のグループが強力であるために、和平協定の条件に外国人の立ち退きが含まれている場合、それを実現させるだろうと見ている。

他の条件のなかには、デリケートな地域や国境地帯には国境警察隊員が派遣されるが、地元の部族民警察のカサダールが以前と同様、検問所や幹線道路を警備することも含まれているという。また作戦で死亡した非戦闘員の家族は、補償されるという。

特筆すべきことは、一般住民は、外国人の存在を何とも思っていないことだ。彼らはムジャヒディン、あるいはホームレスと見なされ、パシュトゥンの伝統に従って客人として歓待されている。

女性たちでさえこれらの「ムジャヒディン」の退去に反対しているが、政府の見解を支持するモーラナ・サディーク・ヌールやグル・バハドゥルのような宗教指導者のキャンペーンのために、次第に外国人に対する支持が弱くなっている。(後略)

hoonJirga hopeful of evicting foreigners from Waziristan
Behroz Khan、MIRANSHAH

■軍、北ワジリスタンから撤退[060904 Daily Times]

諜報機関関係者によると、日曜日に、数百人の兵士たちが北ワジリスタンの検問所から撤退を始めたという。

ミランシャーで道路を封鎖していた11カ所の検問所から、兵士250人が撤退した。また政府関係の建物を警備していた多数の兵士たちも撤退したという。軍報道官は、この撤退を確認していない。(後略)

hoonTroops withdraw from N Waziristan
MIRANSHAH

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