【2006年12月4日〜12月10日】


■タリバンの死亡者数「正確ではない」[061210 BBC]

アフガニスタンのNATO軍が、今月初めの戦闘でタリバン戦闘員80人を殺害したと発表したが、これは正確ではなかったという。

日曜日の声明によると、殺害された戦闘員は7人か8人だったという。戦闘員の数や死傷者の数に混乱があったが、過ちが正されなかった。

このヘルマンド州のムサ・カーラの戦闘では、英軍と一緒に戦っていたオランダ軍が巻き込まれた。

戦闘にも関わらずNATO軍によると、ムサ・カーラで英軍との間で交わされた取り引きは、いまだに有効だという。

hoonTaleban death toll 'inaccurate'

■事実に向き合い、タリバンと話し合う必要性[061210 Observer]

通常、軍は勝つ必要があるが、抵抗勢力の法則は、負けさえしなければいい。人々は真実を認めたがらないが、我々はアフガニスタンの戦争に敗北はしてないものの、勝利もしていない。現状を見れば、今後勝つ見込みもない。つまり、厳しい選択を迫られていることになる。イラクでしているように、今後も人間や金を失いながらも、ジェームズ・ベーカーレポートのアフガン版が戦略を変更するように忠告するまで、今後ももがき続けることもできよう。しかし今、戦略を変えることもできる。

何がうまくいかなかったのか、研究する必要がある。2002年の戦争以後4年間も、アフガニスタンを腐らせるままにしてしまったことは、悲劇的な過ちだった。当時南西部を取り仕切っていたアメリカ人たちは、この地域を特殊部隊の狩猟場のように扱い、再建に無頓着だった。

アフガニスタンに旅した際に私は、ブラグマティックで比較的希望を持っていた地元の人々が、落胆し、不満を持ち、そして敵意を表し始めるのを見て来た。タリバンの巧妙な戦略によって、さらに問題が悪化した。この春、ヘルマンド州に送られたパラシュート隊の兵士たちは、準備万端だった。しかしアフガニスタンに着くや否や、彼らの使命は変更された。困難の多い平和維持から、激しい「戦闘行為」に変わった。再建に不可欠な「安全地帯」は、結局出現しなかった。さらに事を複雑にしたのが、アメリカ人、カナダ人、オランダ人などに囲まれたイギリス人が、タリバンが敷いたワナに簡単にはまってしまい、空爆による「巻き添え被害」を出したことにより、ますます窮地に陥った。結果は、残酷にも明らかだ。タリバンはある地域から追い払われたかもしれないが、南東部では、これまで以上に強力になった。カンダハルは今の所、彼らの手に陥っていない。しかし、道路やその周囲は、彼らの支配下にある。

今後も状況は好転しないということを、我々は認めなければならない。パキスタンにあるタリバンの隠れ家が、近々なくなる気配はない。抵抗運動のイデオロギー的、民族的、宗教的、商業的、政治的、軍事的ネットワークを排除するためには、数十年はかかりそうだ。さらにフランスやドイツなどのNATOパートナーは弱腰しで、今後その態度は変わりそうもない。フランスは撤退する予定で、ドイツは隊に敷いている規制のおかげで、役立たずだ。

先週アフガニスタンから帰って来たあるイギリス人幹部高官が、もし行動の自由と5年の猶予を与えられれば、イギリスのNATO軍司令官のデビッド・リチャーズ将軍は抵抗勢力を負かすことができると私に語った。これは本当かもしれない。しかし彼は、そのどちらも手に入れることはない。この関係者は、麻薬の取り引きに関しても、過激な意見を持っていた。我々がアヘンを買い上げ、密売人と取り引きし、麻薬畑は一掃しないというものだ。これらもすべて、可能性がない。

さらにヨーロッパの人間は、過敏になっている。イラクの苦い体験により、ヨーロッパの有権者たちは、アフガニスタンの戦争を続けることを望まず、犠牲者や費用が加算していくことを嫌っている。タリバンは、このことを知っている。これらの問題をして、「安全が確立しないために、再建はない。だから、安全がない」という悪循環が続く。我々は戦いに負けはしないだろう。しかしタリバンも負けない。

いくつかのことを、直ちになさなくてはならない。特殊部隊はタリバンの幹部リーダーを標的にし、他の軍事作戦は、アフガン軍やアフガン警察を強化するために行なう程度にとどめておく。カルザイの危うい政権は、最も腐敗した政府高官や、最も悪徳な麻薬密売人を摘発する。

我々は、今のところ安定している地域にもっと資金と兵士を増やし、タリバンが支配している地域の人々に、彼らが失っているものを見せつける。パキスタン人たちに圧力をかけ、国境地帯に対して社会的、経済的、政治的な洗練された方策を適応して、タリバンに対する支持を払拭していく。さらに我々は、タリバンは一枚岩であるのではなく、いくつもの要員で構成されるということを、忘れてはならならない。

最後まで戦う、狂信的なハードコアもいる。しかし、彼らを孤立させることはできる。他の者たちは、買収したり、脅かしたり、説得したり、あるいは中央政府に参加することを誘うことができるはずだ。つまりどんなに受け入れがたいことであっても、タリバンと話し合うことだ大事だ。

悲しいことに、長引く、お金のかかる、うまくいかない戦争を防ぐには、ブラグマティックな方法で賭けをするしかない。これ以上、誤りを重ねることはできない。

rightfacts and talk to the Taliban in Afghanistan
Jason Burke

■タリバン、アフガン平和ジルガ参加の可能性あり[061210 Daily Times]

タリバン戦闘員が土曜日、アフガニスタンの戦闘を終わらせるために開催される予定のジルガに参加するかもしれないと、語った。

アフガニスタンとパキスタンは、武力衝突を解決するためにそれぞれジルガを開催予定である。しかし、参加者や開催場所、日時は未定であるが、両国政府ともに、穏健派タリバンはジルガに参加すべきだと主張している。「タリバンはアフガニスタンにおける最大の政治的、軍事的勢力である。彼らなくして、どんなシステムも成功しない」と、タリバン報道官のカリ・ムハンマド・ユースフが衛星電話で語った。

(中略)ユースフによると、タリバンはジルガに招待されていないという。もし招待されれば、条件を出すと語った。「今のところ、パキスタンとアフガニスタン間の政府レベルのジルガのようだ。もしどこかのグループが無視されれば、それは政治的な話し合いであり、意味はない」とユースフが述べた。「タリバンは弱いと言う者は、ばかなやつらだ」。(後略)

hoonTaliban could join Afghan peace jirgas
SPIN BOLDAK

■新たなタリバンの規則により、アフガン人教師標的に[061209 AP]

アフガニスタン南部で教師2人が射殺された事件は、タリバンの規則に従ったものだったという。教師たちはまず警告され、その後殴打されるが、それでも教師を続ければ、殺害されるという。

9月か10月に開催されたタリバン幹部会議で、新たな30の規則ができた。規則は、個人的な理由によりジハードで用いる機器を用いてはならないというものから、戦闘員たちはタバコを吸ってはならないなど、健康管理上のことにまで及ぶ。援助活動家や教育者に対する警告も、含まれている。

第24条は、「異教徒たちのシステムを強化するためのものであるために、操り人形政権のもとで」教師をしてはならないという。次の25条では、タリバンの警告を無視する者は殺害されるという。

土曜日早朝にタリバン戦闘員がクナール州の民家に押し入り、女性教師2人を含む5人の家族を射殺した。女性たちは、教師をやめるように命令する脅迫の手紙を受けていたという。母親と祖父、男性の親戚も一緒に殺害された。(中略)

9条…タリバンは個人的な目的のために、ジハードに用いる機器や所有物を使用してはならない。

10条…すべてのタリバンは、資金や機器を使用する際には上司の許可を得る。

12条…1つのムジャヒディングルーブは、戦力を増強させるために、別のムジャヒディングループからメンバーを迎えてはならない。

16条…司令官の許可なくして家宅捜索したり、武器を押収することは厳禁。

17条…戦闘員は一般市民から金を財産を奪ってはならない。

18条…戦闘員はタバコを吸ってはならない。

19条…ムジャヒディンは、髭がまだ生えない少年を戦場に連れ出したり、自宅の密室に連れて行ってはならない。(後略)

hoonNew Taliban rules target Afghan teachers
JASON STRAZIUSO、KABUL

■武装勢力、女性教師2人を含む5人、射殺[061209 AFP]

タリバン戦闘員たちがアフガニスタン東部の民家に押し入り、女性教師2人を含む一家5人を射殺した。

事件は金曜日の夜遅く、クナール州ナラング地区で発生したと、地元警察官のアブドゥル・サブール・アライヤが述べた。女性教師2人のほかに、学校の職員、主婦と若い男の子が殺害されたという。「タリバンの仕業だ」と、アライヤが述べた。

「一家は、仕事を止めるように抵抗勢力から何度も警告されていた」。「教師として働くのをやめろとタリバンなどの悪者に脅かされていると、以前語っていた」という。

hoonMilitants gundown five including two Afghan female teachers
ASADABAD

■アフガン国境の安全の取り引きなし[061209 BBC]

フルジッド・カスーリによると、パキスタンは、パキスタンとアフガニスタンとの間の武力行為を終わられせるために最大限のことをしているというが、タリバンの武力行為に対処するために開催予定の国境間のジルガに関しては、何の進展もないまま両国間の会談が終わった。

(中略)パキスタンのカスーリ外務大臣は木曜日にカブールに到着し、カルザイ大統領と会談した。(後略)

hoonNo deal on Afghan border security

■戦い、一時休止[061209 Asia Times]

2001年にタリバン政権が崩壊した後、タリバンは外国軍に対して、それほど組織立たない単発的な攻撃をしかけ、タリバンは大きな被害を受けた。

当記者は、オマール師のシューラ(議会)のメンバーを含む、多数タリバン司令官に会っている。彼らはタリバン運動の核ではあったが、マドラッサで教育を受けた若者が主で、展望というものを持っていなかった。タリバンのシューラはデュランド・ラインの近くで開催され、若者たちは非常に神経質に見えた。恐れさえ、抱いていた。

これらの男たちが中心となって、抵抗運動が行なわれていた。しかし数年経った今年の春の攻撃は、驚くほどの成功を収めた。タリバンはアフガニスタン南部と南西部を支配し、外国軍に大きな被害を与えた。

カルザイ政権の不人気のために、タリバンが一般民衆の支持を勝ち取ったことは確かだ。でも、それだけではない。

若いタリバンたちが、成長したとも考えられる。しかし、それも違う。これまで通り彼らは、視野が狭く、短絡的だ。

何が起きたかというと、4月頃、武装勢力の指令が、伝説的なムジャヒディン司令官のモーラナ・ジャラウッディン・ハッカーニに引き継がれたのだ。彼は元はタリバンではなく、1980年代にソ連と戦ったベテラン・ムジャヒディンである。1990年代にソ連が撤退すると、コーストを制圧したタリバンにハッカーニは投降している。

この春の攻撃のためにハッカーニは、非常に献身的ではあるがナイーブなタリバンの野戦司令官を、戦闘に慣れたムジャヒディンの仲間たちと入れ替えた。彼のモットーは、「展望がなければ、希望はない」。ハッカーニは、部下たちが前線で勝利した時には、タリバンを残して別の前線に向かい、あとはタリバンが自分たちのイスラーム思想のもとで、自分たちでやっていくという合意を、オマール師と結んだ。

いっぽうムジャヒディンたちは、自分たちが若いタリバンの下にいるとは思っていない。お互い、外国人の占領軍に対して、共通の憎しみを持っている。

こうしてタリバン運動は、アフガニスタン国内の反米軍感情のもとで団結し、地元に規律と秩序をもたらした。

《戦闘員と対面して》

タリバンの拠点であるヘルマンドのムサ・カーラにいる間、当記者は同州のナウザード地区の司令官と、衛星電話でコンタクトした。彼はNATO軍とアフガン国軍の基地に対して攻撃をしかけていたが、その当時は、1週間にわたる停戦が続いていた。

司令官に会いに行くのは危険だといわれ、私が滞在していた地元のホテルに、車が迎えくることになった。

数時間たったが、迎えは来ない。最終的に昼食後、背の高い、鋭い目の体格のいい男がホテルのロビーに歩いてきて、柱のそばに座って緑茶を注文した。彼はこの場所について、良く知っているようだった。

私は彼の隣に座り、昼食を注文し、黙って食べた。しかし代金を払おうとすると、この見知らぬ男は私の手首をつかんだ。「彼は我々の客人だ。私が金を払う」。そして1000ルピー札を払い、ウェイターは何も言わずに、それをポケットに入れた。

「私はアブドゥル・サタールで。あなたをナウザードに連れていく」と男は言い、やっと微笑んだ。我々は高性能なダブル・キャビンに乗り、地平線まで続く砂漠に走り出した。

美しい丘にある町、ギライ・タンギを過ぎ、土の家でできた小さな住居群に着いた。若者2人が待ち構えており、我々は、木々や花々、野菜などが植えられた家に連れて行かれた。

私の心臓はどきどきしていた。そこには約12人の若者たちが立っており、全員AK-47を持っていた。壁には弾薬が山積みにされ、AK-47やマシンガン、ロケット推進手榴弾、地雷、ロケット砲などもうず高く、積み上げられていた。

鋭い目と頑強な体の色の白い男が、私を抱きしめて挨拶した。「ムジャヒディンの拠点、ナウザードのにようこそ。私はアブドゥル・カリーク・アフンドだ」。

アフンドは、以前アーマッド・シャー・マスードと関係があった。マスードはアルカイダに暗殺されたが、これは明らかにビンラディンからタリバンへの贈り物だった。アフンドはカンダハルでソ連軍と戦っていたが、その後オマール師に忠誠を誓った。

アフンドは、非常に優れた軍事司令官で、戦場が彼の家のようなものだ。タリバン支配の時代には、マザリシャリーフの野戦司令官だった。ここが陥落すると、ヘルマンドに移った。

「ここは部族社会だ。私は尊敬されているメンバーで、ムジャヒッドとしても、尊敬されている」と、アフンドが語った。「私はナウザードに住み続けている。アメリカが軍事作戦を実施しはじめると、部族民はこの土地を出るように忠告してくれた。作戦が終わったときに、再び戻って来た」。

すでに暗くなりかけ、我々は夕食の前の祈りを始めた。夕食は、少なくとも3日前に作られたパンで、とても固くて味けなかった。水っぽいカレーにパンを浸して食べた。各人、少量の乾燥肉を受け取った。アフンドは自分の肉を半分にして、私にくれた。「あなたは客人だ。たくさん食べなさい」。

「あなたは、政府の一員となっている自分の部族民と戦うことはないのか」と、私はアフンドに尋ねた。

「いや。彼らは我々の力だ。なぜ彼らを攻撃しなければならない。私はカルザイ政権に参加したり、国会選挙で選ばれた前タリバンと、同じ考えを持っている。彼らは本心から、また信念を持って、政府に参加しているのではない。仕方なく、味方についているのだ」と、戦争によりベテランになったタリバンが語った。

「ムラー・アブドゥル・サラーム・ロケティのような人間が、カルザイ政権に参加すると思うか」と、アフンドが尋ねた。ロケティはアフガニスタン南西部を任されている、オマール師の腹心である。彼は降伏したあとしばらく拘束されたが、すぐに釈放された。2005年の選挙では、ザーブル州から出馬して、当選した。

「すべてが計算されたことだった。ロケティはパキスタン政府と対立していたために、パキスタンには行けない。彼は非常に有名な人間だから、アフガニスタンで隠れることはできない。そこで降伏した。私は、彼のことを知り尽くしている。アメリカやそのいいなりになっている人間たちの間で、黙っているはずがない」。

「ソ連と戦ったアフガンの国民的英雄で、現在カブール政権にいる人間も同じことだ。例えば、イスマイル・ハーンだ。彼のことは良く知っている。彼は誠実な男だ。彼は連邦大臣としてカブールにいても、落ち着かないはずだ。彼は、なんとかして外国軍を追い出そうと考えている。しかし同時に、タリバンが過去に彼を不当に扱ったために、タリバンを完全には信じているわけではない。だから、いまだにアフガン政府内にいるのだ」。

アフンドは、以前の対立にもかかわらず、前北部同盟司令官とタリバンが、そのうち結託するだろうと確信している。

「もちろんアーマッド・シャー・マスードは、タリバンと戦っていた。彼がもし捕まっていたなら、殺されていただろう。しかし彼に対して起きたことは、タリバンの政策に反することだった。9.11にしても同じことだ。タリバンの政策ではなかった」。

「最近、シーア派とスンナ派の間の差違、パシュトゥーンとタジークの間の差違は忘れられ、アフガン国家は新たな熱意を持って外国軍を排除しようとしている。冬になってしまい、今は人を動かすことは難しい。しかし2007年の春と夏がくれば、カルザイ政権は外国軍とともに、カブールから追い出されるだろう」と、アフンドは自信を持って語った。

最近アフンドはバグラーン地区でタリバンを指揮し、ムサ・カーラで英軍を負かした。今彼は、ナウザードにいるNATO軍と停戦協定を交わしている。

「そのうち彼らは、ナウザードから撤退するだろう。しかし戦いは終わったわけではない。彼らがアフガニスタンから完全に去るまで、次の前線で戦う」。

翌日朝の祈りのあと、他の建物から女性や子供の声が聞こえてきた。「前線に女性や子供もいるのか」と尋ねてみた。「そうだ。この村はアフガン軍とNATO軍基地のまわりにあるために、彼らを攻撃することにしたんだ。村人たちは我々に家を貸してくれている。そこに我々は、武器を貯蔵している。他の人々は、ごく普通に生活している。以前と全く同じように。このようにして、現在のアフガニスタンの抵抗運動が進められている」。

hoonTime out from a siege
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■アフガニスタンで首席行政官殺害される[061207 AFP]

タリバン戦闘員がアフガニスタン西部で首席行政官を射殺したと、関係者が述べた。東部でも別の政府関係者が暗殺されそうになった。

へラート州のグルサン地区行政官のアブドゥル・ザヒールが、ヘラートに向か途中で射殺された。彼のボディーガード1人も、負傷したという。

さらに水曜日にはパクティア州のパルマル地区の首席行政官ムハンマド・ムビーンが、武装した男たちに殺害されそうになった。ムビーンのボディーガードと数分間銃撃戦が続き、その後犯人たちは逃走した。

hoonMilitants kill district chief in Afghanistan
HERAT

■手荒い裁きと咲き誇るケシ[061206 Asia Times]

ヘルマンド州のゲリシュクに近づくと、1つの世界が終わり、新たな世界が始まる。アフガン警察が常駐する最後の検問所を過ぎると、タリバンの国が始まる。

この検問所を通過すると、道路は消え、千一夜物語を喚起する世界に入る。広大な大地と丘は、侵略してくる軍を飲み込み、水路は自然の防壁となり、襲撃するにはもってこいだ。さらにこの地域のパシュトン部族民は必要に応じて、味方をすぐにすり替える。英軍は、このことをムサ・カーラで思い知らされた。

今年の中ば頃、NATO軍は英軍の指令のもとで、この地域に入った。そしてムサ・カーラは、英軍とタリバンとの間の激しい戦場となった。

行政本部の建物を拠点としていた英軍は、毎日のように攻撃された。その後英隊は、救援にかけつけたオランダ歩兵隊によって救われたが、今度はオランダ隊がタリバンに攻撃された。1ヵ月後、オランダ隊は再び英軍に指揮権を引き渡したが、その後英軍は10月中頃、村から去った。

タリバンと取り引きし、すべてを親タリバン派の長老たちに引き渡したのだ。今この地域には、NATO軍やアフガン国軍はいない。そしてタリバンの裏庭となり、ここでタリバンは資金を貯めては分配し、武器を保存し、親タリバン軍隊が再結成されている。

数ヵ月前までは、軍閥たちが郊外を支配して、ジャーナリストや外国人活動家などを誘拐していた。被害者たちは、身代金と引き換えに解放されることがほとんどだったが、単に殺害された者もいる。

タリバンのもとでは、部外者は逮捕されるが、スパイかどうか裁判にかけられる。もし有罪となれば、首が切り落とされる。

密告者に関しても同様だ。ここはタリバンの拠点であるために、来年の攻撃のために、できるだけ資金を貯蓄してとっておきたい。同様に反タリバン要員がいれば、排除したい。密告者たちは裁判にかけられ、その後公衆の前で、ナイフを用いて喉が掻き切られる。

これらの残虐な殺人は録画され、CDに焼かれて配布される。携帯電話でも配信され、カブールのカルザイ政権関係者にも送られる。

「これらの処刑や処刑方法は、当然だ。なぜならこれらの密告者のせいで米軍は我々を爆撃し、無実の人間数百人が殺害されたからだ。だから、強力なメッセージを広める必要性がある」と、ハジ・ナイマトゥッラーが語った。

50代のハジ・ナイマトゥッラーは、片足のタリバン司令官で、1980年代にはソ連軍とも戦った。最近はムサ・カーラで英軍と戦い、足に重傷を負った。

《戦いの傷跡》

ムサ・カーラ地区のデー・ゾール村でまず気づくことは、木々からぶらさがる数々の英軍の備品だ。地元民によると、激しい戦闘の最中、英軍救援隊の車輛がムサ・カーラに向かったという。

車列は何事もなく−−しかし監視されながら−−デー・ゾールに到着した。そこでタリバン戦闘員たちが、畑に沿って続く塀の後ろで待ち構えていた。車列は激しい銃火を浴びた。村人によると、英軍兵士50人が殺害され、遺体が木々からつり下げられたという。英軍がムサ・カーラから撤退するという取り引きがタリバンと交わされるまで、遺体は数日間そのままだったという。その後遺体は引き渡されたが、備品が残ったという。この出来事は、村ではもっぱらの話題となっている。しかし、報道機関に報告されることはなかった。

英軍、警察、アフガン国軍、カブール政権関係者が撤退すると、ムサ・カーラには警察や正式な政府も、裁判所もなくなった。部族の長老だけが残った。

「このような機関がなくても、過去と比べれば、結構うまくいっている」と、アブドゥル・ナビが語った。アブドゥル・ナビは「ホテル」を経営している。「アフガン警察やアフガン国軍のおかげで、人生は台無しになっていた」とナビは語る。「彼らは金を巻き上げ、強盗がはびこり、追いはぎに遭うことなしに、夜間に旅することは不可能だった。少年たちが誘拐され、少女さえもが誘拐された。これらの犯罪の裏には、アフガン警察や軍がいた」。

「民衆の反応は自然なもので、彼らに立ち向かった。しかしその後米軍がこの地域を爆撃し始め、NATO軍やアフガン国軍が、混乱を制圧しようとし始めた。毎日のように、ホテルの前に遺体があった。そして最終的にタリバンが戦場にやってきた。町全体が無人となり、英軍とタリバンが戦い始めた。アフガン軍は、タリバンを追いまくった。ホテルの中にもやってきて、家宅捜索をしては強奪していった。タリバンが最終的に勝ち、外国人は撤退した」。

「町の人間はムサ・カーラに戻った。警察や軍がいなくなり、平和になった」。(中略)

《ケシの力》

これが、ムサ・カーラの現状だ。ヘルマンドの他の地域と同様、ムサ・カーラの人間はアメリカがタリバンを一掃したときに、彼らにさよならを告げた。そしてアメリカが支持するカブールのカルザイ政権を、歓迎した。村人は、タリバンがゲリラ攻撃をすることをいやがり、平和的に暮らしたくないなら、出て行ってほしいと要求した。

人々は、自分たちの商売を続けることだけを望んでいた。ケシ栽培だ。タリバンは、これまでこれを禁じている。

しかし、アメリカ人たちもケシ栽培を許さない。ただ、補償の申し出はあった。金か、何か他のものだ。しかし、結局は除草剤が撒かれただけだった。

2年前、タリバンはムサ・カーラに拠点を作ろうとしたが、草の根の支持を得ることができずに、去った。今彼らは、王冠こそかぶっていないが、王様だ。タリバン司令官のハジ・ナイマトゥッラーは、経緯を次のように語った。

「2001年にタリバンがカブールとカンダハルから撤退するや否や、ヘルマンドでは新たなステップが始まった。私はムサ・カーラの司令官だったために、新しい行政官から賄賂を要求され、払わないならそれなりの処遇を受けることになると言われた」。

「そこで私はパグラーン地区のアフタック村に避難した。この地域の人々は、我々の味方ではなかった。しかし、5年経っても自分たちのためには何も行なわれないということを、人々は自覚した」。

「カルザイ政府との敵対につながるような、他の出来事もあった。特に2003年に、ヘルマンド州知事のシェール・ムハンマドが、アフタック村でタリバンと戦ったときのことだ。この戦いで死亡した80人のうち、ほとんどが一般市民だった。そこで、村人は知事に補償を求めた」。

「ジルガのメンバーも、知事に同じ要求をした。知事はこれを受け入れたが、補償を得た者は1人もいない。同じような出来事が、他にもあった。知事が約束しても、約束が守られないのだ」。

「その結果、人々は再びタリバンに寝返った。そしてムラー・アブドゥル・マナンの指令のもとで、7月17日にムサ・カーラの英軍基地を攻撃したのだ」とハジ・ナイマトゥッラーは語った。

英軍基地は、町の中心のマーケットのそばにあった。タリバンは町の人々を避難させ、近くの店や家に向かって、トンネルを掘った。戦いは激しかった。町のモスクがすべて爆撃された。タリバンの隠れ家とみられた家も爆撃された。いまだに残っている店は、蜂の巣のような銃弾の跡が残っている。

「戦いは長引き、人々は嫌気がさし、疲労困憊していた。特に、撤退する道を見いだせない英軍は補給もなく、疲れ果てていた。最終的に、地元の部族民とムラ・カーラのカルザイ政権関係者との間で取り引きが交わされ、今後タリバンもカルザイ政権もこの地域を支配しないことになった。その代わりに部族の長老たちが中立の人間を推薦し、行政を執ることになった」とナイマトゥッラーは語った。

しかし現実的には、この地域にはタリバンであふれ、タリバンに支配されている。彼らは犯罪を厳しく取り締まっているが、村人がケシ栽培をすることは許している。タリバンが支配するヘルマンドの地域では、どこでもケシが咲き乱れている。

ohRough justice and blooming poppies
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■アフガンの自爆で6人死亡[061206 AP]

水曜日、自爆犯が南アフガニスタンの警備請負会社の建物の外で自爆し、アメリカ人2人とアフガン人4人が死亡したと、関係者と目撃者が述べた。

犯人は、 カンダハルにあるUSPI警備会社の建物から男たちが出てきたところを狙って自爆したと、会社の関係者であるロフッラー・ハーンが述べた。他に3人が負傷したという。

現場は、カンダハルにあるカナダ地方再建チームの反対側にあたる。カンダハルではここ9日間で、自爆事件が9回起きている。

hoonAfghanistan suicide bomber kills 6
KANDAHAR

■アフガニスタンで英兵1人死亡、1人負傷[061205 AFP]

火曜日にアフガニスタン南部におけるタリバンとの戦いで、英兵1人が死亡、1人が負傷したと、英国の国防省が発表した。

ヘルマンド州のガルムサールを攻撃したタリバン戦闘員たちに報復するために英軍とアフガン軍が作戦を実施し、英軍2人が負傷した。「その後1人が死亡した」と、国防省報道官が述べた。タリバン政権崩壊後にアフガニスタンで死亡した英軍の数は、これで42人となった。

hoonBritish soldier killed, another wounded in Afghanistan: official
LONDON

■アフガニスタンで記者2人行方不明[061205 AP]

アフガニスタンのNATO軍によると、ジャーナリスト2人が南部で誘拐された恐れがあるという。

NATO軍報道官のルーク・ニティングが、カンダハルでジャーナリスト2人が行方不明になったと発表した。身元やメディア組織は明らかにされていない。「ドイツ政府が、アフガニスタン南部でジャーナリスト2人が誘拐されたと言っている」とニティングが述べた。

カブールのドイツ大使館関係者は、この件に関して情報は何もないという。

hoonNATO: 2 reporters missing in Afghanistan
KABUL

■NATO軍2人、アフガンの自爆攻撃で負傷[061205 AFP]

自爆犯がアフガニスタン南部で軍の車列に突撃し、NATO軍兵士2人を含む少なくとも6人が、負傷した。

爆発は、カンダハルで発生した。(中略)NATO軍は自分たちの車列に対する自爆攻撃があったことを認め、車2台が損傷し、兵士2人が「軽症」を負ったと発表した。治安関係者によると、被害を受けたのはカナダ軍だという。

『AFP』の記者が現場で、ISAFの印がついた軍用車が横転しているのを目撃している。一般車輛3台も損傷し、そのうち1台は大破していた。

hoonTwo NATO troops among several hurt in Afghan suicide attack
KANDAHAR

■謎の敵の拠点で、米軍生存するために苦戦[061205 Guardian]

もしアフガニスタンに観光業が発達したなら、絵はがきのように美しいコレンガル谷は人気を得ていたにちがいない。(中略)しかしここに駐屯している米兵にとっては、コレンガルは即席爆発装置の谷だ。(中略)

この谷に入るための唯一のルートは、敵対心が露な村人や好戦的な抵抗勢力が待ち構えている渓谷の中を行く、舗装されていないくねくね道しかない。兵士たちはたびたび襲撃されるが、何よりも彼らが恐れるのは、即席爆弾だ。爆発すれば四輪駆動車は八つ裂きになるか、谷底に転落する。10月、リチャード・バランスキー中尉はあわやというところで、難を逃れた。仲間3人がこれで負傷した。同じ場所で、5回も狙われている。「彼らの家にミサイルを撃ち込んだ。手榴弾も撃ち込んだ。でも、まだあそこに住んでいる」と彼は語る。「この道は、大嫌いだ」。

米軍基地にいる兵士たちも、気分はほとんど同じた。丘の上で働く12人のアフガン人労働者が今年になって誘拐され、正門からたった数メートルのところで殺害された。兵士たちはトイレに行くときでさえ、狙撃されるのを恐れて防護服で出かける。周囲の斜面には、狙撃手がうろうろしている。おそらくチェチェン人だ。無線の傍受や、彼が真っすぐ射撃できることからわかる。

「アフガン人のほとんどがめくらめっぽうに撃ち、祈るだけだ」と、技術兵のブラッド・ヒューゲンズが言う。「奴は違う」。

すぐあとに、このことが劇的に証明された。ヒューゲンズが岩の斜面に座って歓談していると、4フィートの所を弾丸が通過した。(中略)

必死に敵を探すと、木々の中で金属がきらりと光るのが見えために、発砲した。隣にいたドノバン・メイドール下士官も、機関銃を乱射した。(中略)数分後、6マイル離れたキャンプ・ブレッシングから、榴弾砲が6発飛んできた。「彼がまだ死んでないとしても、しばらくはやってこないだろう」。後に幹部高官たちは、狙撃者は、あのチェチェン人ではないと思うと述べた。

コレンガルの戦いは、グローバルであるとともに、ローカルなものでもある。彼らは、この地域がアルカイダや国際テロリズムと関係していることに注目している。この谷には、1980年代後半にアフガニスタンにやってきたエジプト人ジハード者、アブ・イフラスがいる。

諜報機関関係者によると、彼はアルカイダ組織のなかの「大物」だという。9.11攻撃は、このコレンガルで計画されたともいわれる。「外国人はいるか? もちろん。だから、アメリカ人がここにいるのだ。これはテロリズムに対するグローバル戦争だ」と、米軍基地司令官のジム・ナイト大佐が述べた。

しかし彼らが直接戦っているのは、地元のアルカイダエージェントだ。その1人は、軍閥のグルブディン・ヘクマチアル。彼は隣のパキスタンから、志願兵や軍需品をロバに載せて送ってくる。「ベシャワルには、コレンガルだけのためのモスクがある。そこに負傷者が運び込まれ、治療を受けて再び送り込んでくる」と、キャンプ・ブレシングのジョエル・ハンセンが述べた。しかしアメリカ人たちのもっと重要な仕事は、アルカイダと頑固な地元戦闘員との間の関係を絶つことだ。

「へとへとになるまで、敵を殺すことはできる。しかし住民全体が抵抗勢力に反旗を翻すまで、ここに留まる」と、マクナイト大佐は言う。「我々はヴェトナムではこの点で誤り、イギリスはアメリカ革命で、この点を誤った。敵と味方を分けることが必要だ」。

しかしこの問題は、簡単ではない。仲間のクナールの人間の間でも、コレンガルの人間は別と考えられている。男たちは髭を赤く染め、自分たちだけが理解できるパシュトゥの方言を用いる。そして外部の介入に強く抵抗する。多くは地元の税制のおかげで裕福な、材木商人だ。ソ連に占領されていた時代、赤軍はコレンガルを1度攻撃したが、征服することはできなかった。米軍との関係も、同じだ。

マクナイト大尉によると、地元シューラのメンバーの中には、戦闘員を支持する者もいて、匿っているという。「政府に対立している、サメのようなものだ」。この敵対心と直接対戦することになった。先週マクナイト大尉はシューラ(村の長老会議)で、協力を仰いだ。しかし彼らは大尉に、立ち去るよう要求した。

「話し合いの結果、アメリカ人たちに去ってほしい。彼らが来て以来、何もかもがひどくなった」と、ハジ・ザルワール・ハーンが語る。自分たちの共同体は、対抗勢力との関係はないと主張する。「彼らが発砲している音は聞くが、どこに住んでいるのか全くわからない」と、山頂を指差しながら言った。「これに関して、我々ができることはない」。若い行政官のムハンマド・レーマンも、賛否両論の方法を用いて、コレンガルの人間をアルカイダから離そうとしている。9月に小麦粉と食用油、ベブシなどの食料が谷に輸送されることを禁止した。コレンガルの人たちは、ロバを使って、他の地域から食料を運び込んだ。そこでレーマンは谷の住民に身分証明書の発行を停止した。2週間後、米軍キャンプの労働者4人が誘拐されたために、ラシュカレとして知られている部族民の軍隊を組織して、彼らに思い知らせてやろうとした。

土曜日の朝、反応があった。誘拐された4人のアフガン人のうちの3人の遺体が、山の斜面に捨てられていた。頭を撃たれていた。金や不器用な統制は、イデオロギー同様に影響力がある。若い無職の農民は、米兵を即席爆弾で攻撃するごとに、2600ボンドが支払われるという。地元のリーダーたちは、木材商売を規制しようとしているカルザイ政府に憤慨している。「木材商売が、唯一の商売だ。これを彼らは我々から取り上げようとしている」と、ハジ・ザルワール・ハーンは語る。

ある夕方、ジョーズ・ウルータイア軍曹が、彼の隊を道路脇の無人の家に引き入れ、そこで夜を過ごすことにした。奇妙なことに、一番近くの村の名前はタリバンだった。(中略)

兵士たちは、精神的にも肉体的にも疲れ果てている。隊は3月以来、28人のうち10人を失った。そのうち2人が死亡した。1人は即席爆弾によりトラックの中から吹き飛ばされた。もう1人は、頭を撃たれた。彼らの使命は、アフガン政府のために「悪い奴ら」捕まえることだ。もはや9.11の復讐は、彼らの機動力とはなっていない。「大変な仕事だ」。「今は仕事をやり遂げ、みんなそろって帰りたい。それだけだ」。

hoonIn the heartland of a mysterious enemy, US troops battle to survive
Declan Walsh、Korengal Valley

■タリバン、いかに戦闘に備えるか[061204 Asia Times]

タリバンの春の攻撃が成功したあと、今カブールでは、タリバンとの和平協定を要求する声が強くなっている。またアメリカやパキスタンからも、タリバンと取り引きをしない限り平和は訪れないという意見が出始めた。

しかしタリバンは、すでに次の攻撃計画を立てており、カンダハルを奪回しようとしている。

アフガン人たちは伝統を熟知しており、現在の外国軍に対する抵抗運動は、今後さらに大きな抵抗運動に育って行くと見ているが、それがどのように実現されるかは、まだわからない。

『Asia Times』は答えを得るために、タリバンの領土奥深くに入り込んだ。

アフガニスタン南西部のパシュトゥーンの拠点は、今や外国軍やカルザイ政権に対して抵抗するタリバンに協調的になっている。タリバンは村のほとんどを支配している。

南西部の中心は、カンダハルだ。その周囲、特にカンダハルの近くにあるタリバン戦略的な中心地のパンジャワイ地区は、非常に攻撃的だ。

カンダハル自体では、単発的な攻撃しか起きていない。町自体は、NATOの支配下にあるようにみえる。(中略)すべての幹線道路や交差点はアフガン警察やアフガン軍に監視され、表面的には、カンダハルは安定しているように見える。しかし、これは見せかけだ。

《土地っ子》

アブドゥル・ジャリールは、カンダハルに住む中級家庭の男で、生粋の土地っ子だという。1996〜2001年の間、彼はタリバンの中堅高官だった。

カンダハルが陥落したあと、地下に潜った。家族には、こっそり会いにいった。そのうち、カンダハルを自由に出歩くようになった。それでもタリバンとの接触は避けていた。しかしここ数ヵ月で、状況は変わった。

「これまでは、公の場に出ることを拒否してきた。タリバンを擁護するような言葉を発することを、恐れた。でも、今はどこにでも行ける。バザールに行って、自分がタリバンであると堂々と言えるようになった」と語る。

しかし彼は戦闘員ではない。パンジャワイ地区にいるタリバン司令官たちに、戦略的な協力を提供するだけだ。

もちろんアブドゥル・ジャリルは、タリバンの活動に関して詳しくは語らなかった。しかしカンダハルの人間が、彼のように、再びタリバンの仲間になっていることがわかる。

この変化の大きな理由は、パシュトゥーン地域のムードが変化してきたためだ。これまではタリバンに味方をしていただけだったが、今や彼らを完全に支持し始めたのだ。

パシュトゥーンの拠点であるカンダハル、ヘルマンド、ウルズガンにいる部族民のほとんどが、今や政治的に孤立し、占領軍に信頼されていないと感じている。

一般市民に対する空爆が繰り返されたために、タリバン側の人間になった者もいる。彼らはタリバンの歩兵隊を歓迎している。

このようにして、タリバンから離れていたジャリールのような人間が、再び動き出した。

ジャリールの家に居候している2人の人間、メフムードとハミッドは、2人とも20代後半だ。3人ともカンダハルのマドラッサ出身で、風貌から宗教家のように見える。

メフムードとハミッドは、アフガン人慈善家や商人、ビジネスマンから献金を集め、資金や衛星電話、ブリベイド・カードや毛布、衣服や食料を調達し、カンダハルやパンジャワイ周辺のタリバン戦闘員に与えている。

「状況は変わったんだ」と、メヘムードが語る。「抵抗運動のための献金を集めに行くと、ボケットがいっぱいになる。商人たちの中には、携帯電話を充電したり、毎月3000ルピー相当のプリベイド・カードを調達することを約束する者もいる。毛布やジャケット、野菜や肉、小麦粉など買ってくれる、現金をくれる者もいる。我々はこれらを前線にもっていくんだ」。

2人によると、これらのネットワークによりタリバンはいっそう強くなり、組織され、意気が上がっている。

《全体像》

ジャリールは、タリバンの兵站に関わっているが、彼の責任はもっと戦略的なものであり、来年の戦いの準備をしている。カンダハルを奪回し、その後カブール政府を追い出すために、アフガニスタン南部の抵抗勢力たちを動かすことだ。

ジャリールは、この仕事の適任者だ。彼は都市部でのゲリラ戦の訓練を受け、特に仕掛け爆弾の使用法について長けている。パキスタンの北ワジリスタンで、これらの技を習ったのだ。

ジャリールの役割は、タリバンとその抵抗運動に協調している政府関係者との間を取り持つことだ。危険な地域に行かなければならない時は、カンダハル出身の親切な幹部クラスの政府高官が、政府ナンバーをつけた自分のジーブを出してくれる。彼によると、彼が入手する物資のほとんどが、政府から調達されるという。

タリバンの戦略に関しては、「イラクの抵抗勢力が用いる、遠隔装置爆弾のテクニックを使っている。しかし、我々のテクノロジーは違う。イラクはさまざまな爆発物を用いて改良して、それをリモートコントロールで扱う。我々の爆発物は対人、対戦車爆弾だ。これらは、カブールの共産党政権が崩壊したあとに軍閥たちが入手したものだが、その後我々に売ってくれたり、寄付してくれた」。

「我々は、これらの地雷をリモートコントロールを用いて使っている。しかしこれだけではない。アメリカの爆弾も使っている」。

「米軍が空爆で用いる爆弾の多くが、不発弾だ。私はこれらの不発弾を解体する専門家だ。私のような人間がたくさんいる。我々は爆発物だけを取り出し、これを自爆攻撃で用いる」とジャリールは語る。

「タリバンは来年の夏、再び動き出す。しかし重要な役目を果たすのは、地元の部族民や新政府派軍閥だ。カルザイが属する部族(デュラニ)を含め、どの部族もカブール政府を支持していない。タリバンがリーダーとなる。しかし、動くのは不満を持っている部族民や軍閥だ」とジャリールは語る。

3人によると、冬の間、タリバンはさらに協力体制を確立し、政府との関係も良くしていく。秘密の武器庫も、補充される。

《再び行動》

仲間のカマール・ユースフザイと一緒に、我々はムサ・カーラに行くことにした。タリバンとの戦いの末、英軍は地元の長老たちにこの地域を引き渡して撤退した。

ジャリールは、我々2人だけでタクシーに乗ってはならないと忠告した。私はアフガン人として通るが、カマールはパキスタン人に見える。そこで我々は乗り合いタクシーに乗ることにした。

カンダハルを出てすぐに、運転手はすぐにパシシュトゥ音楽をかけ始めた。すると乗員の1人が抗議し、自分が持っているものをかけてほしいと言った。われわれタリバンのジハードの歌(音楽がついていない)をかけて、旅することになった。アメリカを非難するテープだ。

このあとは、ムハンマドを賛美し、欧米が出版したムハンマドの風刺画を攻撃するテープに変わった。歌い手は、アフガニスタンのアメリカ人を敗北させて復讐すると誓った。

ヘルマンドに行くまでに、いくつかの検問所を通過した。しかしアフガン警察は検問をせず、運転手に10ルピーを要求しただけだった。

「これは通行税ではない。単なる警察のゆすりだ。どうしようもないので払っているんだ」と、運転手がぼやいた。アフガン警察は、評判が悪い。ゆすりが好きで、旅人を脅す。誘拐や暗殺も、何とも思わない。

タクシーが目的地のゲリシュクに近づくと、タリバンのテープをかけた乗員が微笑みながら言った。「あなたは誰なんだ。なぜムサ・カーラに行くんだ」。

「私はジャーナリストで、タリバンがこの地域でどうしているか、どのように作戦を行なっているのか見たい」と私は、彼がタリバンであることを承知の上で言った。

「ああ、ジャーナリストか。つまりわざわざ危険に近づく人間だな。よかったね。私も同じゲームをする人間だ」と笑いながら答えたが、名乗らなかった。

しかし、彼は冗談を言ったのではなかった。彼はヘルマンドにいるタリバンとカンダハルのタリバンの間の活動を、取り仕切っているタリバン組織の人間だった。

ヘルマンドにいるタリバンは、カンダハル陥落計画の中心にいる。野戦司令官たちの多くがそこに集結し、オマール師は親タリバンの旗のもとで、すべての部族民を統括するための公式な組織を作ろうと、動き始めている。

hoonHow the Taliban prepare for battle
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■「ウズベク人」自爆犯、バヌーの警察官を殺害[061204 Daily Times]

警察官が、ウズベク人と思われる外国人をバヌーのドマイル地区で身体検査をしようとしたところ、男が体に装置した爆発物を起爆し、警察官1人が死亡、1人が負傷した。「警察がベルシャ語を話す男の車を包囲した。男は身体検査を拒否して、警察官に発砲した」という。

男はそのまま逃げようとしたが取り押さえられ、警察官が犯人の体に装着した爆発物を取り外そうとしたところ、自爆したという。警察官は重傷を負い、その後死亡した。容疑者を載せていたタクシーの運転手が逮捕された。

hoon‘Uzbek’bomber kills Bannu cop
PESHAWAR

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2006.