【2007年10月8日〜10月14日】


■タリバン、身代金を利用して英軍攻[071014 Sunday Telegraph]

アフガニスタンで拉致された韓国人捕虜のために支払われた数百万ドルで、英軍や米軍と戦うための兵器を購入していると、タリバンが主張した。

(中略)『Sunday Telegraph』が取材したタリバン戦闘員によると、金はイギリスやアメリカを攻撃するためのテロリストを訓練する資金になっている。

韓国は拉致された韓国人21人のために、身代金は支払っていないと繰り返し主張してきた。しかしヘルマンド州で英軍と戦っているタリバン3人に取材したところ、2回に分けて抵抗勢力たちに支払われた1000万ドルが、アフガニスタンや国外の作戦を強化するために、使用されていることがわかった。

「神からの贈り物だった」と、30歳のムッラー・ヒズボッラーが語った。「戦いのための武器や爆発物を、1年分は補給できる」。

彼によると金は8月に支払われ、その直後タリバン責任者のオマール師が、ラマダンの間に実施する、同盟軍への攻撃「ヌスラット(勝利)作戦」を命じた。この作戦で英兵4人がアフガニスタン南部で死亡した。

「ヌスラット作戦を命じられた時、兵器を購入する資金がほとんどなかったために、非常に心配していた」とムッラー・ヒズボッラーが語る。「しかし身代金のおかげで、作戦は大成功に終わった」。

ヒズボッラーと彼の2人の仲間は、アフガニスタン南部を指揮していた故ダドゥッラー師を継いだ、ムッラー・マンスールの部下だという。彼らとの取材は、数週間交渉した結果実現した。取材はパキスタンの国境付近の町キリ・アブドゥッラーにある、タリバンの隠れ家で行なわれた。

(中略)ヒズボッラーは、身代金に関して詳しく語った。「彼らは最初に12人の捕虜の解放と引き換えに、700万ドルを支払った。残りは8月31日に全員を解放した直後、支払われた」。

他の収入源は、ヘルマンドで生産される阿片だという。「宗教学者たちが、イスラームで禁じられているものでも、イスラームの敵と戦うジハードのためには許されるというファトゥアを出した」。

彼の仲間のムッラー・モヒブッラー(32歳)が、身代金の一部は、イギリスやアメリカからやって来た志願者たちを訓練して、母国に送り返して攻撃させるために使用されているという。「彼らは我々の国家を破壊したように、彼らをやっつけたい」。「これらの若者のほとんどが、自爆志願者だ」。

車に乗ったり自爆ジャケットを身につけた自爆志願者たちが、タリバンの主要な武器となっているという。志願者は3000人にのぼると主張する。「我々は戦闘ヘリコプターもB52も持っていない」と、ヒズボッラーが語る。「しかし、各地で自爆攻撃を実施する」。(中略)「我々は100年間でも戦う」(後略)。

garrTaliban use hostage cash to fund UK blitz
Massoud Ansari、Kila Abdullah, Pakistan

■ワジリスタンで再び戦闘[071013 News]

軍が部族民が身内を埋葬することを許可した翌日、治安部隊と地元タリバンとの衝突が北ワジリスタンで再開した。

警察関係者によると、自動兵器で武装したタリバンが木曜日の夜、アマン、バンダ、ゴーラ墓地にある治安部隊の検問所にロケット弾を撃ち込んだ。治安部隊が大砲で応戦したが、お互い死傷者はいない。

またバヌーからミランシャーに車で向かっていた治安部隊がバカ・ハイルで地雷を踏み、兵士2人が負傷した。

いっぽうタリバン報道官のアフマッドゥッラー・アフマディが、タリバンのシューラは、北ワジリスタンで停戦を結ぶ予定はないと語った。

hoonClashes resume in Waziristan
MIRANSHAH

■タリバンのリーダー、カブールは抵抗勢力と取り引きしたと自慢[071012 AFP]

タリバン責任者のムハンマド・オマール師が、アフガン政府は抵抗勢力と取り引きせざるを得なくなったと自慢し、先週タリバンの囚人5人が釈放されたことは大きな勝利だと主張した。

テロ監視サービスの『SITE』によると、ラマダン終了を記念してオマール師は、アフガン人は「侵略者」のために苦しんでいるが、抵抗運動のせいでアメリカに支持された政府は、タリバンと取り引きせざるを得なくなったと、オンライン声明を発表した。

「アフガン人のジハードと抵抗運動により、侵略者と同盟者たちはエミレート・イスラミ(タリバン)と取り引きせざるを得なかった」と、稚拙な英語の声明を出した。

オマール師は、タリバンのNATO主導軍とカブール政府の戦いは「最終段階に達し、侵略者とその仲間たちはアフガニスタンへの侵略は歴史的な過ちだったことを認めざるを得なくなった」と語った。

さらに別の声明でタリバンは、カブール政府はタリバンに譲歩しないと主張していたために、捕虜の交換は大きな成功だったと発表した。カブール政府は「ムジャヒディンとは絶対に取り引きしない」と主張していたので、「捕虜交換は大きな勝利だ」(後略)。

hoonTaliban leader boasts Kabul forced to bargain with insurgency
WASHINGTON

■武装勢力、処刑を自慢[071012 BBC]

ズルフィカール・マフスードは、南ワジリスタンの親タリバン系武装勢力のリーダーの1人だ。ズルフィカールとは両刃の剣を意味し、20代後半の男は我々に対して愛想良く振る舞っているが、その残虐さは明らかだった。

彼の部下は8月以来兵士200人を拉致し、軍を辱めた。政府は、兵士たちの解放に「ほとんど関心を示していない」と語る。「政府が拘束している我々の仲間30人を釈放しない限り、兵士は解放しない」。「また、我々の領土から撤退しなければならない」。

(中略)ズルフィカールによると、兵器や通信機器ごと兵士50人を拉致したという。「パキスタン陸軍に対する貯金だ」と、ずるがしこそうに言った。

アフガニスタンの国旗をつけた、強奪した車を見せられてから、我々は兵士たちの所に連れて行かれた。

アティーク・アザーム少佐とファルーフ・マンスール中佐は見かけは元気そうだったが、目には恐怖が映っていた。年下のアザーム少佐が、主に語ってくれた。「我々が投降したというのは、正確ではない」。「車列はシャカイからラッダに向かっていたところ、道路が崩れていたために停まらざるを得なかった」。シャカイとラッダには軍の拠点があり、車列が3つのキャンプに補給物資を運んでいた。車列は4つのグループに分かれていた。中心となるグループが補給物資を運び、残りは警護だった。

「車が停止すると、地元のタリバンが出て来て瓦礫を取り除いてくれた」とアザーム少佐が語った。しかし、その数はだんだん増えて来て、攻撃的になってきた。「数日前に武装勢力と軍隊の間で合意を交わしたのに、なんで我々が通行しているのか尋ねられた」。

アザーム少佐によると、車の中に留まっている限り、軍はマフスード族の領域を移動することができると聞いていたという。しかしタリバンは、そのようには理解していなかった。

アザーム少佐は、自分が指揮官から指示を得るために電話を何度もかけていると、彼らの態度が次第に硬化していったという。「待てと指示されたが、すでに何かをするには遅すぎた」。

その直後武装勢力たちは兵士たちを包囲し、囚われの身であると宣言した。「小さなグループに分けられ、連れて行かれた」。

司令官のザファール中佐も成り行きを確認したが、付け加えた。「最高司令官が武装勢力の責任者と交渉しているために、その結果が出るまで待つように言われた」。これらの話からわかったことは、ザファール中佐の部下たちには、武装勢力と交わした合意の正確な内容が伝えられていなかったということだ。そのために侵入してはならない領域に入ってしまい、通信がうまくとれず、囚われの身となった。

軍隊内では、最高司令官たちが政情に関心が向き、兵士たちの解放が後回しになっていると感じている者たちが多い。アザーム少佐とその仲間たちは、自分たちが今後どうなるのか不安でいる。

武装勢力たちは、8月に兵士1人を斬首。先週3人が射殺された。我々がインタビューした兵士たちは、射殺のことは知らなかった。

武装勢力の1人ファイサルは、「斬首するのが一番いい、人間的な殺し方だ」と語る。「頭を切り落とせば、魂はすぐに解放される。縛り首にすれば、魂は口からなかなか出て行くことができない」。「処罰したければ、喉ではなく、首の後ろから首を切り落とす」とフェイサルは語った。「このほうが痛いし、なかなか死ねない」。仲間の中には、53人の男の首を切ったこと者がいるという。

garrMilitants boast of executions
Syed Shoaib Hasan、South Waziristan

■タリバンの裏庭に入り込む[071012 BBC]

南ワジリスタンのジャンドーラの狭苦しい店の中で、我々はパキスタンの最も恐れる過激派に会うために待っていた。バイトゥッラー・マフスードは、恐ろしい自爆攻撃のいくつかを首謀したと疑われている。8月30日には、パキスタン兵200人以上を拉致した。

店の中には、AK47を携えた顧客でいっぱいだ。みんな親タリバン系武装勢力、簡単にいえばタリバンだ。どちらも同じだ。

ジャンドーラは、アフガニスタンとの国境にまで広がる、彼らの領域の入り口である。我々は町に入る前にいくつもの検問所を通過し、軍の車列は逆方向に向かっていた。一度、軍の検問も受けた。

兵士たちはギルギットから来ているようだった。彼らはこの地域の人間ではなく、ほとんどがシーア派ムスリムだ。シーア派は、スンナ派タリバンに嫌われている。彼らを挑発するために、ここに派遣されているのだろうか。

我々が待っていた一団が到着してリーダーが入ってくると、雰囲気は緊張した。マフムードは20代の、陽気なぽっちゃりした若者である。部族民たちの伝統に従った挨拶をした。胸に手を当てから手を叩き合う。彼は20代初めの4人の青年を伴ってやってきた。挨拶のあと、マフムードは我々についてくるように促した。

我々はピックアップに乗り込み、動き始めた。マフムードがAK47を肩にかけたまま運転する。私の同僚が彼と一緒に前に座った。私はファイサルという名前の若い過激派と後ろに座る。残りは荷台だ。機関銃が搭載されている。

「2日前、フェダイーンが車列を攻撃した」と、ファイサルが丘を迂回するときに言った。フェダイーンとは、自分を犠牲にする者のことである。タリバンの自爆犯だ。軍は兵士3人が負傷しただけと発表しているが、ファイサルは数人か死亡したと主張した。

数分後、険しい絶壁に囲まれた谷に入る。この地域はタルガと呼ばれ、歴史的に重要だ。ファイサルによると、インドとの分離独立の前、マフスード族がここで英国軍の車列200台を襲撃したという。英軍兵士全員が殺害された。

過去はいい教訓となると、ファイサルは語る。別の軍、パキスタン軍が今、ここに入り込もうとしているからだ。しかしこの地域では、ほとんどパキスタン兵はいない。放棄された検問所が残されているだけだ。

「車列を襲撃して以来、戻って来てない」と私のガイドは説明した。「英軍さえ、ここに留まることはできなかった。誰でも良く知ってることだ」。「武装した者が、我々の領域に入ってくることは許さない」。

目的地に着くまで、まだ数時間かかった。いくつかの小さな村を通過した。人々の反応にはびっくりした。子供たちは笑いながら手を振る。大人は尊敬と誇りを持った眼差しで見つめる。地元の人間は、全員武装勢力を応援しているようだ。

ファイサルは、なぜ自分たちが軍を標的にしているか、説明した。「政府の政策は、アメリカの利益のためだからだ」。彼とマフムードは、ブットがパキスタンに帰国してムシャラフと権力の座を分かち合えば、ますます親アメリカ主義が強くなると語る。「彼女はシーアだ。それに尽きる」。この反シーア感情は明白だ。8月の初め、バイトゥッラー・マフスードの戦闘員がシーア派の兵士を拉致して、斬首した。

数分後、目的地に着いた。巨大な壁に囲まれた建物が見えてきた。子供たちが迎えに出て、その後に武装したタリバンが続いた。中に入ると、我々のホストであるバイトゥッラーの報道官で腹心のズリフィカール・マフスードは、数時間後にやってくると言われた。遅れの理由はわからないが、パキスタン陸軍のせいではないことは確かだ。この地域は、武装勢力が完全に支配している。

ただこの時点で我々は、バイトゥッラー・マフスードはここにはいなくて、アフガニスタンで戦っているということは、まだ知らなかった。

ohVenturing into the Taleban's backyard
Syed Shoaib Hasan、South Waziristan

■パキスタンの戦闘で外国人武装勢力50人死亡[071011 AFP]

アフガニスタンとの国境付近で発生した激しい戦闘で死亡した抵抗勢力200人の中には、アラブ人を含む外国人戦闘員が含まれていたとパキスタン軍が発表し、アルカイダが関与していた様子があると述べた。

北ワジリスタンで続いている戦闘を終結させるためにジルガを開催した際に、死者の中に「外国人」がいたことを部族民が明らかにした。

(中略)死亡した外国人のうち、「25人がウズベクで25人がタジキスタン、アフガニスタン、アラブ人だった」と、部族民の発言として軍が声明を発表した。「これまでの戦闘の中で、外国人が最も打撃を受けたものだった」。

死者の多数が一般市民だったと住民が述べるいっぼうで、パキスタン軍47人が日曜日に発生した戦いで死亡したと、陸軍は語った。それぞれの発表を裏付ける証拠はない。

(中略)正式な停戦を結ぶための話し合いが続くさなかに、軍の車列が爆破された。「停戦は締結されていないのだから、武装勢力が攻撃してくれば、我々も行動する」と、軍報道官のワヒード・アルシャッドが述べた。

原理主義者の議員で仲介役のネック・ザマンは、「両者とも停戦に同意して、道路が解放されることを望んでいる」と述べた。しかしジルガのメンバーに近い長老によると、軍は道路の一部の封鎖を解除したものの、今のところ「解決策」はないという。

これまでも部族地帯では、治安部隊関係者が攻撃されると、パキスタン軍が武装勢力を攻撃するというパターンが続いていた。しかし今回は兵士たちは首を掻き切られ、焼かれているために、これまで以上の怒りが溜まっているようだ。

いっぼう、政府の支配がこれまで及んでいたパキスタンの北西部で、新たな武力衝突が発生した。北西辺境州のミュージック・ショップ6店が爆破され、その後の銃撃戦で警察官が死亡した。さらに武装勢力は理容店を爆破し、理容師の手が吹き飛んだ。

hoon50 foreign militants said killed in Pakistan clashes
MIRANSHAH

■パキスタンの抵抗勢力、捕虜をみせしめに[071011 BBC]

パキスタンの親タリバン系武装勢力が、政府は拉致された280人の兵士の安全のために何の努力もしていない、と語った。武装勢力は1ヵ月前に、南ワジリスタンで兵士たちを拉致している。

『BBC』は武装勢力から、兵士たちと接触することを許された。武装勢力たちはこの地域からの撤退を要求している。「我々はこの件に関して真剣で、平和的に解決したい思っている」と、武装勢力リーダーのバイトゥッラー・マフスードの報道官、ズルフィカール・マフスードが語った。「政府の考えは政府に聞くほうかいいが、彼らはこの件を真剣に考えていないようだ」。その理由のひとつとしては、大統領選挙の問題だという。「拉致された兵士が、将軍や大臣の息子や親戚だったら、何かするかもしれない」。

武装勢力たちは、3人の兵士を塀で囲まれた建物の中に連れて来て、拉致された経緯を強制的に話させた。

指令責任者のザフール大佐が語ったところによると、親タリバン系部族民たちにより、補給物資を離れたキャンプに運ぶ最中に車列を制止された。上司から待つように指示され、武装勢力の責任者と話し合った。話し合いが4時間続いたところ、すでに自分たちが包囲されていることに気づき、抵抗できなかった。今のことろ兵士たちは、丁重に扱われているが、すでに仲間3人が殺害されたことは知らなかった。

犯人たちは、投獄されている30人の仲間の釈放を望んでいる。またアフガニスタンのタリバンと一緒に戦うために自由に国境を行き来したいため、自分たちの居住区からの撤退を要求している(後略)。

ohPakistan rebels display hostages
Syed Shoaib Hasan

■警察が我々をタリバンに引き渡したと、ドイツ人と解放されたアフガン人が語る[071011 AFP]

ドイツ人技師と一緒に解放されたアフガン人が、自分たちをエスコートしていた警察官によりタリバンに引き渡されたと語った。

解放された翌日にこのアフガン人捕虜が、7月18日に拉致された直後、2人目のドイツ人が射殺されるのを目撃したと語った。ドイツ人やほかのアフガン人の仲間たちと一緒にワルダックでタリバンに引き渡されたあとは、殺害されてしまうだろうと思ったという。

解放された62歳のドイツ人技師のロドルフ・ブレシュミットは、木曜日にアフガニスタンを出国した。

一行はワルダックにある、バンディ・スルタンと呼ばれるダムで、ダムの壁の修理を請け負っていた。ワルダックのジャガト地区から警察官にエスコートされて出発したところ、この警察官が到着する時間を、誰かと電話で話していたという。到着すると、タリバンに拉致された。「何かをする時間もないうちに、タリバンがやってきた」。「警察に、『タリバンが来る』と言ったが、何もしなかった。ライフルを出すと、警察官の1人に叩かれ、『ここには50〜100人のタリバンがいるんだ。なぜそんなことをする』と言われた」。

しかしタリバンの数は少なく、一行は警察官が見守る中、連れて行かれた。この間にアフガン人1人が逃げた。「我々の国家の警察が、我々をタリバンに引き渡した」。「今後、どうして国家や警察を信用できるだろう」。

犯人たちはクエッタにいるタリバンの責任者から、電話で命令を受けていたという。首謀者の父親が諜報警察に逮捕されたという情報が入ると、アフガン人捕虜を殺害する準備を始めた。この父親は、今回の人質交換で釈放された。

3ヵ月間、捕虜たちはあちこちに移動させられ、一ヵ所に留まることはなかった。数日後、一行に着いて行けなくなったドイツ人が、ムッラー・グレネイドと呼ばれていたパキスタン人タリバンに、射殺された。背が低く、がっしりしていたために、このようなあだ名がついていたという。

「山を登るのは大変だった。彼は『ゆっくり歩いてくれ』と、何度も頼んだ」。「ムッラー・グレネイドが彼の胸を蹴って『なぜ文句をいつも言うのだ』と言って、射殺した」。

garrPolice handed us to Taliban, says Afghan freed with German
KABUL

■埋葬のため、停戦[071010 AFP]

空爆で死亡した50人を埋葬するために、数日間続いた激しい戦闘が中断して非公式の停戦が結ばれたと、関係者と目撃者が述べた。

住民によると、死者は女性や子供を含む住民だというが、軍のほうは、北ワジリスタンのイピ村の空爆で死亡したのは親タリバン系戦闘員だと主張した。

「村人たちが死者を埋葬し、負傷者も病院に運ぶために、停戦が1日だけ交わされた」と、部族民長老で教師のハーフィズ・アブドゥル・ワリが述べた。「空爆で死亡した50人の葬儀のために、3000人が集った」と、ある関係者が述べた。

(中略)イピの住民によると、まだ瓦礫の山から遺体を掘り起こしているという。村のバザールには爆弾が12発投下されたが、当時バザールには人があふれていた(後略)。

hoonPakistan clashes halt as tribesmen bury dead
Hasbanullah Khan、IPPI

■ドイツ人とアフガン人4人解放[071010 AFP]

アフガニスタン南部で拉致されていたドイツ人技師とアフガン人4人が、タリバンの囚人5人と引き換えに解放されたと、政府関係者とタリバン司令官が述べた。

ルドルフ・ブレシュミットは元気だと、ワルダック州のジャガト地区の知事ムハンマド・ナイームが述べた。「ドイツ人技師とアフガン人4人は、タリバン5人と引き換えに解放された」。

ナイームによると、州都のマイダン・シャーにある政府の諜報本部で人質が交換された。捕虜と交換されたタリバン5人は、「それほど重要な司令官ではなく、ドイツ人技師を拉致した犯人たちと関係があった」。

カブールのドイツ人関係者も、技師が解放されたことを確認した。「元気だ。カブールに戻る途中だ」(後略)。

hoonGerman, four Afghan hostages freed: official, Taliban
GHAZNI

■パキスタンの戦闘と空爆で250人死亡[071009 AP]

アフガニスタンとの国境近くで発生したイスラーム武装勢力と治安部隊の戦闘で、4日の間に250人が死亡した(中略)。

火曜日の午後、北ワジリスタンのバザールが空爆され、武装勢力50人以上と一般市民が殺害された。この他に数十人が負傷したと、住民が述べた。「空爆で店舗や一般家屋が破壊された」と、ハッサンがエピ村から電話で報告した。「我々は避難する」。ハッサンによると、近くのハダル・ヘール村でも巨大な爆発があり、爆撃もあったという。

軍報道官のワヒード・アルシャッドが、軍の航空機がミールアリ近くの1〜2ヵ所を空爆したと述べた。武装勢力50人が殺害されたことに関しては、確実な報告はない。また火曜日には道路脇で爆発があり、兵士2人が死亡した。

戦闘は、土曜日に準軍隊の車列が道路脇の爆弾で攻撃されたあとに発生した。喉を掻き切られた、数十人の兵士たちの遺体が砂漠地帯から引き取られたと、逃げて来た住民が語った。

(中略)軍は重火器を使用しているようだ。火曜日の空爆の前には軍が、土曜日以来、戦闘員150人と兵士45人が死亡したと発表した。さらに、12〜15人の兵士が行方不明になっている。このほかに、武装勢力50人と兵士20人が負傷した。

治安部隊は武装勢力が申し出た停戦を却下し、「作戦が完了して平和が戻るまで」戦うと、軍が声明を発表した。

土曜日の爆発のあと、武装勢力約300人が軍の車列を襲撃し、兵士22人を殺害、11人を負傷させた。他の兵士は拉致され、いまだに武装勢力の元にいる可能性があると、諜報関係者が述べた。

イス・ヘール村の住民によると、兵士3人から家に匿ってくれと懇願されたが、武装勢力に狙われることを恐れて拒否したという。3人はその後、軍のトラックで逃げた。

イス・ヘールと近くのメラン村の住民によると、砂漠地帯や道路に、喉を掻き切られた兵士たちの遺体が放置されていたという。ある女性によると、射殺された兵士8人の遺体が埃まみれになっていたと述べた(後略)。

garrBattles, airstrikes in Pakistan kill 250
BASHIRULLAH KHAN、MIRAN SHAH

■リークのためにアルカイダの秘密へのリンク、途切れる[071009 Washington Post]

イスラームテロ組織を監視する小さな個人の諜報会社が、先月新しいビンラディンのビデオを入手し、公式にビデオが発表される前の9月7日の朝の10時に、自分たちの手柄に関する情報をブッシュ政権に報告した。アルカイダがこれを放映するまで発表しないという条件で、政府関係者2人にこのビデオを見せた。

その20分後に、さまざまな諜報組織がこの会社のウェブサイトからビデオをダウンロードし始めた。そして正午にはビデオとそのテキストが、ブッシュ政権内からケーブルテレビにリークされ、世界中に放送された。

この会社、『SITE intelligence Group』の創設者によると、事前にビデオが発表されたことにより、アルカイダはコンピュータから情報が漏れないように安全管理を強化したために、これまで数年間極秘メッセージやビデオを入手したり、テロリストの通信ネットワークを盗聴することで自爆攻撃計画などの情報を得ることができたが、これが不可能になった。

「この技術を獲得するために数年かかったが、今や効力がなくなり、役に立たなくなった」と、44歳の会社創設者のカッツが語った。カッツは、これまで過激派のチャット・ルームやウェブサイトから声明やビデオを入手して公にしていることで、大きく注目されてきた。SITEの秘密の手口に関しては、さまざまな論議も巻き起こっていた。彼女の会社はテロリストグループに関するさまざまな諜報情報を提供し、アメリカを始め、さまざまな国の個人の会社や軍隊、諜報組織などに情報を売っている。

誰がリークしたかは、わかっていない。政府関係者はこのことに関してインタビューを受けることを拒否したが、カッツの主張を否定はしていない。また今回の出来事はアメリカの諜報情報収集に何の影響もないと語り、政府が攻撃を予知する能力に支障はないと述べた。

SITEが成功を収めていたことを認めながらも政府関係者は、アメリカの組織はアルカイダのウェブを監視する、独自の洗練された方法を持っていると述べた。「16のすべての諜報組織に、それぞれ適所に適任者が配置されている」と、国家情報の報道官、ロス・ファインスタインが語った。

しかし個人的には、今回のできごとを残念がる諜報関係者もいる。ある関係者は、SITEは「非常に役に立った」と述べ、アルカイダの秘密暴露に貢献していたと述べた。

9月7日に放送された、3年ぶりにビンラディンが登場したアルカイダのビデオは、国際的に注目された(中略)。アルカイダと関係のある配信会社が配信する1日前、世界各地で1日中放映された。

『Washington Post』が入手したコンピュータ・ログや記録から、SITEがこのビデオをアルカイダから数日前に奪っていたことがわかる。カッツは、ビデオを入手した正確な日付や詳細は発表してほしくないと述べ、公表されれば会社の方法論に関する極秘情報が明らかになってしまうという。

Search for International Terrorist Entitiesの略である『SITE』は2002年に設立され、テロリスト組織を追跡し、暴露することを目的としている。カッツはイラク生まれのイスラエル市民で、父親は1960年代にサダム・フセインに処刑された。テロリスト組織の捜索に、情熱を注いでいる。

「アルカイダの秘密の世界に関する重要な情報を提供することができた」とカッツは語る。会社の収入は、会費や契約者から得ているという。

カッツによると、ビンラディンのビデオをホワイトハウスに無料で提供することにし、関係者に有効に利用してもらおうと思ったと語る。以前会ったことがあるホワイトハウスの相談係、フレッド・フィールディングに最初に話を持ちかけ、その次に本土の保安における大統領の副アシスタントのジョエル・バグナルに話した。2人ともビデオのコピー入手に興味を示し、バグナルは、コピーを国家対テロセンターのナンパー2のマイケル・ライターに送ったらどうかと助言した。

政府と諜報関係者は、このビデオを誰が入手したか、コメントしなかった。カッツは、フィールデングとベガナルが彼女に、彼女がビデオの提供を申し出た時点で、ホワイトハウスはビデオを入手していないことを明らかにした。

9月7日の朝10時頃、ライターとフィールディングの2人が、ビデオやテキストを掲載するSITEのウェブサイトにリンクされたメールを使用て、彼女に連絡した。「どうか極秘であることを理解してほしい」と、カッツは返信した。「我々の調査に被害が出るので、配信しないでほしい」。

フィールディングはカッツに感謝のメールを出し、「あなたにお礼をいわなければならない」と書いた。ライターや国家情報局からの返事はなかった。

次に何か起きたのかは、明らかではない。しかしカッツがホワイトハウスにメールを出した数分後に、政府が登録しているコンピュータが、SITEのサーバーからビデオをダウンロードし始めたことがファイルのログからわかる。記録によると次の3時間、国防省や諜報組織が登録しているアドレスを持つコンピュータが、数十のダウンロードを開始した。

12時になると、いくつかのテレビ局がテキストのコピーを入手したと放送し始めた。3時頃に『Foxテレビ』のウェブサイトには、SITEが用いるロゴが記されたベージが掲載されていた。「このことから、政府がドキュメントをリークしたことは確かだ」と、カッツは午後5時にレイターにメールで述べた。

アルカイダ支持者たちは、自分たちの秘密のネットワークに侵入されたことを知り、SITEが入れないように守りを固めたとカッツは語る。

いくつかの小さな会社がSITEと競争しているが、アルカイダにアクセスする独自の方法があるとSITEが主張していることや、その動機や方法に疑問を持つ者もいる。競争者の1人である『Intel Center』の創設者ベン・ヴェンケは、情報を密かに諜報アナリストと分かち合わないで、ホワイトハウスに提供することにしたSITEの決断を疑問視する。

「最初にビデオを入手することが問題なのではない」と、ヴェンケは語った。「正確な諜報情報が的確な諜報コミューニティーに渡るように計らい、的確な方法と手段を踏まえながら対テロ作戦を支持することが重要だ」。

smellLeak Severed a Link to Al-Qaeda's Secrets
Joby Warrick

■北ワジリスタンで激しい戦闘[071009 News]

北ワジリスタンで日曜日から月曜日にかけて武装勢力と軍隊との間で激しい戦闘があり、数十人が死亡した。政府は兵士30人の遺体を引き取ったことを認め、村人は一般市民58人が死亡したと主張した。さらに兵士50人の行方がわかっていない。

ミールアリの住民とジルガの宗教指導者たちの仲介で、月曜日の夜に停戦協定が交わされた。村人たちによると、兵士たちは襲撃されて殺害された。パキスタン空軍が武装勢力の拠点を爆撃するのは、初めてのことだ。

軍の報道官は、武装勢力60人が戦闘で死亡したと述べた。各方面からの報告によると、土曜日の夜に軍の作戦が始まって以来、女性や子供を中心とした部族民58人が死亡した。村がジェット戦闘機で爆撃されるのは、初めてのことである。これまではコブラ戦闘ヘリコプターが使用されていた。

いっぽう北ワジリスタンの宗教指導者たちが組織するジルガの仲介で、死亡した兵士たちの遺体を引き取ったり、病院に運ぶことができた。ジルガによると、ハイスールで殺害された兵士30人の遺体を引き取ることができ、ミールアリの軍関係者に引き渡された。

さらにミールアリを訪れたジルガのメンバーが、兵士73人の遺体を引き取ったと語った。遺体の損傷は激しいという。(中略)地元の部族民リーダーのマリック・シェール・ハーンは、兵士45人の遺体がミールアリの軍関係者に引き渡されたと語った。状況を詳しく監視している行政官幹部が語ったところによると、日曜日に武装勢力に包囲された兵士200人のうち、生き延びたのはわずかなようだという。

しかし軍報道官のワヒード・アルシャッドは、軍事作戦の死者の大半が一般市民だったという報告を否定した。死亡した50〜60人は武装勢力で、一般市民はわずかだという。(中略)ジルガの宗教者たちが兵士30人の遺体をミールアリの政府関係者に引き渡したことは認めたが、停戦に関する情報はないと述べた。また、北ワジリスタンで軍のヘリコプターが墜落した事実もないと述べた(後略)。

hoonFierce battles continue in North Waziristan
Mushtaq Yusufzai & Haji Yaseen、PESHAWAR/MIRANSHAH

■アフガニスタンでオーストラリア兵死亡[071009 AFP]

月曜日にアフガニスタン中央部で、オーストラリアの装甲車の脇で爆発があり、オーストラリア兵1人が死亡した。別の1人も、重傷を負った。

(中略)月曜日にオランダのアパッチヘリコプター2機が、武装勢力に攻撃された。2機とも無事に着任して、乗員も無事だった(後略)。

hoonAustralian soldier killed in Afghanistan
KABUL

■パキスタン国境地帯の死傷者数、増える[071008 BBC]

北ワジリスタンの激しい戦闘で、親タリバン系武装勢力130人とパキスタン兵45人が死亡したと、パキスタン軍が発表した。これに先立ち、アフガニスタンとの国境付近で兵士50人が行方不明になったと、軍が述べた。

兵士たちは治安部隊の検問所を武装勢力に襲撃されたあと、行方不明になった。月曜日の夜、多数の居場所が確認されたが、25人が遺体で発見された。

《激しい戦闘》

週末に軍の車列が数回襲撃されたたため、軍がヘリコプター戦闘機やジェット戦闘機を用いて、村の近くの武装勢力の拠点を攻撃した。軍によると犠牲者は武装勢力と兵士であるが、地元の人々は住民10人が死亡したと述べている。

いっぽう、アシュファク・キアニ准将がパキスタン軍の新たな副長官になった。元ISI長官だったキアニは、ムシャラフが長官の座を退いた後、その地位を引き継ぐ予定である。彼は、部族地帯の武装勢力たちによる軍への圧力を、引き継ぐことになる。これらの作戦はアメリカの圧力のもとで実施されていると見られ、パキスタンでは評判が悪い。

しかし軍の上層部は真意はともかく、これまでの方針を変えないと思われるが、問題は下士官たちである。部族地帯で兵士200人が戦うことなく、武装勢力に拉致されている(後略)。

hoonPakistani border death toll rises

■アフガニスタンの報道機関、ドイツ人捕虜に会う[071008 AFP]

月曜日にアフガニスタンの報道機関が、タリバン関係者に拉致されたドイツ人技師とアフガン人5人を訪問した。暗い部屋に閉じ込められ、助けを求めていた。

ルドルフ・ブレシュミット技師が『パジュウォク・アフガン・ニュース』に、現在の環境の中で生き延びることはとても難しいと述べた。「アフガンとドイツ政府は、我々を救出するために努力してほしい」と、ブレシュミットがレポーターに語った。『パジュウォク』によると、6人は7月18日にワルダックで拉致され、ガズニの山中で監禁されている。

6人は暗い部屋に監禁され、覆面をした銃を持った男たちに監視されていた。冬が到来して寒くなっているにもかかわらず、毛布1枚しかなかった。監視をしていた男の1人が、「ドイツ政府がドイツ軍をアフガニスタンから撤退させるか、アフガン政府が我々の仲間を釈放するか、どちらかが条件だ」(後略)。

hoonAfghan news agency visits German hostage
KABUL

■アフガニスタンで武装勢力16人死亡[071008 AP]

ウズベク人軍閥の指揮下で戦っている武装勢力16人が、アフガニスタン東部の空爆で死亡したと、アフガニスタン関係者が月曜日に述べた。

日曜日に米軍が、ウズベキスタンイスラーム運動の責任者、タヒール・ユルダシュの戦闘員を空爆したと、パクティア州の警察長官ジャン・ムッラーヘールが述べた。

ムッラー・ヘールによると、パクティアのソロビ地区における戦いで、ウズベク人1人を逮捕したという。ウズベキスタンとチェチェンの戦闘員たちが、ユルダシュの指揮下で戦っていた。

パクティア州では、米軍主導同盟軍とアフガン兵がガルデズ地区で、4人の武装勢力を逮捕した(後略)。

hoonAfghanistan: 16 militants killed
KABUL

■ムシャラフをエスコート中のヘリコプター、墜落[071008 Reuters]

月曜日に、ムシャラフ大統領をエスコートしていたパキスタン軍ヘリコプターがカシミールで墜落し、兵士2人を含む4人が死亡したと、軍報道官が発表した。

土曜日に大統領選挙で勝利したムシャラフは、カシミールの地震被災地を訪れようとしていた。12人を乗せたヘリコプターは、ムシャラフのヘリの後を飛んでいた。

「ムシャラフが出発したあと、飛び立った」と、軍報道官のワヒード・アルシャッドが述べた。「大統領は無事に目的地に到着した」。

大統領報道官のラシッド・クレイシイ元少将が墜落で負傷した。4人の死者は、准将と特殊部隊員2人、国営テレビのカメラマンである。

「エンジンが不調になり、墜落した」とアルシャッドが述べた。「パイロットが不時着した。その後ヘリコプターの後部が炎上した」。ヘリコプターは空中で爆発したようで、攻撃された可能性は少ないという。

(中略)ムシャラフはヘリコプターで移動するとき、おとりとして航空機数機が一緒に飛び立つために、彼がどの機体にいるかはわからないようになっている(後略)。

hoonMusharraf escort chopper crashes killing 4
Amiruddin Mughal、GHORI

■パキスタン軍50人、戦闘の後行方不明に[071008 AFP]

部族地帯でパキスタン兵約50人が、銃撃戦のあとに行方不明になった。この地域では週末に、すでに80人が死亡している。兵士たちは朝以来、北ワジリスタンで行方不明になっている。

(中略)「兵士50人が行方不明になったという報告を受けている。彼らと連絡がとれず、居場所がわからない」と、軍報道官のワヒード・アルシャッドが述べた。兵士たちはミールアリ付近で新たな戦闘が発生した後、行方不明になった(後略)。

hoon50 Pakistani troops missing after clashes
MIRANSHAH

■北ワジリスタンの戦いで80人死亡、うち兵士20人[071008 News]

北ワジリスタンで日曜日に激しい戦いがあり、武装勢力50人と兵士20人、一般市民20人が死亡したと、部族の情報源が述べた。

パキスタン陸軍と親タリバン系武装勢力との戦いで、このほかに数十人が負傷した。いっぼうミールアリの別の情報源が語ったところによると、ハスヘールの近くで武装勢力が兵士250人を襲撃し、兵士40人が殺害され多数が負傷したという。兵士たちは日曜日に、ミールアリ〜ハイスール道路の封鎖を解除したあと、ミールアリの軍事基地に戻る途中だった。

さらにミールアリでは、大砲やロケット弾が各地で民家に当たり、女性や子供を含む部族民10人が死亡した。ハスヘールの長老によると、戦いのあと武装勢力が村に逃げ込んだために戦闘ヘリコプターが村を攻撃し、村人30人が死亡した。

軍報道官のワヒード・アルシャッドは、戦闘の犠牲者の数は70人だと述べた。武装勢力50人と兵士20人が死亡したという。軍が40人も兵士を失った事実はないと述べ、「噂にすぎない。我々が失ったのは40人ではなく20人だ」とあしらった。

治安部隊が戦闘ヘリコプターに援護されて、日曜日にハイスール、ジャイレール、フシャリ、ウマルキ、バロヘール村を攻撃した(中略)。

ミールアリからも、大砲やロケット弾が武装勢力の拠点に撃ち込まれた。戦闘で武装勢力30人が死亡し、15人が負傷したという。武装勢力側の通信を傍受して、犠牲者の数がわかったとアルシャッド報道官が述べた。報道官によると武装勢力との戦いで、兵士3人が死亡し、5人が負傷した。

さらに同地域で夕方、治安部隊がミールアリ〜ハイスール道路を封鎖した。その後道路封鎖を解除して基地に戻ろうとしたところ、ハスヘール橋の近くで襲撃に遭った。武装勢力が兵士を包囲して銃撃したと、行政官が述べた。兵士40人が死亡し、同数が負傷した。今現在も、武装勢力が治安部隊を攻撃している最中である。

しかしワヒード・アルシャッド報道官の報告によると、ハスヘールの治安部隊が武装勢力に襲撃され、兵士10人が死亡した。治安部隊が応戦して、武装勢力30人が死亡した。

また部族民情報源によると、治安部隊と武装勢力との戦いで地元の部族民10人が死亡し、6人が負傷した。そのうちの4人は、ハキムヘールで乗り合いバスで移動中、軍のヘリコプターにを攻撃されて死亡した(後略)。

hoon20 soldiers among 80 killed in North Waziristan battles
Mushtaq Yusufzai & Haji Yaseen、PESHAWAR/MIRANSHAH

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2007.