【2007年10月15日〜10月21日】


■ベナジール・ブット、強力な敵と対決[071021 Sunday Telegraph]

パキスタンの元首相ベナジール・ブットは、イスラーム過激派を支持する数百人のならず者エージェントがいる諜報組織を浄化しようとしている。

(中略)彼女が標的にしているのは、悪名高いISIだ。(中略)この「国家内国家」はアルカイダやタリバンに資金を調達し、今回のカラチで起きた自爆事件の首謀者と見られている。

ブット女史は『Sunday Telegraph』に、「宗教的、政治的感情に左右されない、専門的な治安組織が必要だ」と述べた。「諜報組織内の人間に大きな不信感があり、この者たちを排除しなければならない」。

ブットを攻撃しようとした犯人は、警備陣にブットの部下だと主張し、頼まれていた綿棒の入った箱を持って来たと言ったという。警備官や警察が2度彼を追い返したが、その時にはテロリストだと気づかなかった。3度目に彼は警備陣を突破して手榴弾を投げつけ、その後C4プラスチック爆弾とボルトでできた爆発物を起爆させた。犯人の頭部は無傷で、追い払った男であることが警察官により確認された。

情報源によると、男はブットの警備官たちと風貌が似ていたために、選ばれたようだ。バスの周りを警備していたのは、数百年前にパキスタンに来たアフリカの奴隷を祖先とするマクラニが多かった。「マクラニはPPP支持者で、信頼されている」と、警備関係者が述べた。「自爆した男は、マクラニとそっくりだった」。これまでも同じような手口が3度あったという。「パンジャーブ州に対する攻撃であったら、パンジャビを使う。悪意のあるやり方だ。いくらでも志願者がいることがわかる」。

情報源はブット女史が名指しした3人の人間の名前も明らかにしたが、『Sunday Telegrapn』はこれを公表しない。パキスタンの諜報組織内の、元幹部司令官が含まれている。

ブット女史は、ISIに対する不信感を露にする。(中略)ブットは個人的にもISIを嫌っている。彼女の父親のズルフィカール・アリ・ブットを処刑した、ジア・ウルハクの残党が多いと見られているからだ。

ブットはISI内にいる多数のハク支持者が、彼女の家系を攻撃しようとしていると疑っている。ISIから排除するべき人の数を聞くと「数百人だ。ジアの時代の人間が、いまだにあそこにいることを許してはならない」。

(中略)「彼女が彼らを排除したいのはわかるが、難しいだろう」と、パキスタンを拠点とする欧米関係者が語った。「パキスタンの政策の、大きな問題のひとつだ」(後略)。

hoonBenazir Bhutto takes on a powerful enemy
Colin Freeman、Karachi

■パキスタン窮地。アメリカ、政策を見直す[071021 New York Times]

今週のパキスタンの殺戮風景は、ブッシュにとっての「最悪なシナリオ」だった。アルカイダ・タリバン・核兵器が暗躍する国家の政策崩壊である。

ホワイトハウス関係者は、自分たちの盟友であるパキスタンの大統領ムシャラフは、彼のライバルだったベナジール・ブットと権力を分かち合い国家を保つだけの力があると信じていると主張した。

しかし6年前にアメリカがムシャラフに、敵になるか味方になるか選択を強制して以来、今やパキスタンに対するアメリカの影響力は限られていると警告する者もいる。ムシャラフ大統領には、以前のような力がない。

ムシャラフの、アルカイダやタリバンが計画を立てたり訓練を実施しているパキスタンの部族地帯に対する政策は失敗した。武力で制圧する彼の計画も効果がなく、政治的な打撃のほうが大きかった。9.11以後の大きな攻撃をたどると、すべてパキスタンに導かれる。諜報関係者は、ブッシュはテロリズムに対する戦いの「最前線」はイラクではなくパキスタンであることを認識するべきだと主張する。核兵器テクノロジーが漏洩したのも、この国である。

今年辞職した国務省のパキスタン担当官ダニエル・マルキーは、「初めからうまくいかなかった」と語る。「常に危険があった。現実的な戦略的なビジョンよりも、船が大きく揺れてしまう危険性のほうが大きかった」。

アメリカがパキスタンで起きている事柄を制御できなくなっている、と考える関係者もいる。パキスタンの政治的危機のせいで部族地帯にいるビンラディンを捕獲するチャンスを失う可能性もある、と心配する者もいる。アフガニスタンのタリバン抵抗勢力に対する戦いにも、悪影響が出るはずだ。パキスタン軍内に亀裂が生じれば、パキスタンの核兵器の安全も脅かされる。

これまでムシャラフ政府は、関係者を極秘にワシントンに送り、万が一陸軍長官が失墜したり暗殺されたとしても、兵器や核テクノロジーは十分コントロールできると主張してきた。そして新たなパキスタン陸軍副長官のアシュファク・パルヴェズ・カヤニは、親米路線の穏健派と見られている。

しかし関係者の中には、パキスタンの問題は沈静化するとは思えないと語る者もいる。「北西辺境州はいまだに支配することができず、テロリストの巣になっている」と、国家安全委員会の元関係者だったロバート・ブラックウィルが語る。「政策は失敗し、不安定だ。ムシャラフの力は失墜し、軍の方向性は定まっていない」。

(中略)ムシャラフもブッシュ政権も、新たな脅威に気づくのが遅すぎた。アルカイダやタリバンが部族地帯に拠点を築いていることに、なかなか気づかなかった。当時ブッシュもムシャラフも、アルカイダは弱体化し、タリバンも力を使い果たしたと主張していた。2004年に、当時アフガニスタンのアメリカ大使だったザルマイ・ハリルザドが、アルカイダやタリバンがパキスタンに新たな拠点を作り始めたと警告した。しかしブッシュ政権内の関係者は、ムシャラフに圧力をかけすぎるのは危険だと警告した。

パキスタンに関するアメリカの態度が統一されていなかったことが問題だったと、マーキー氏は語る。軍や諜報組織はビンラディンを追跡していた。CIAは核密輸を捜査していた。いっぽう国務省はパキスタンの部族地帯の開発計画のために、7億5千万ドルを援助した。またムシャラフは、陸軍をコントロールできる唯一の穏健派リーダーだと見られていた。軍が団結していれば、核兵器はコントロールされる。

しかし、ムシャラフに注目するのは間違いだと見る者もいる。パキスタン軍はもともと穏健で、ムシャラフがいなくなってもそのままだという。「我々の政策は、1人の人間に集中しすぎた。ムシャラフだ」と、ワシントンのCenter for Strategic and International Studiesのパキスタン専門家、テレシア・シェーファーが語る。「我々はパキスタンの友人ではなく、ムシャラフの友人と見られてしまった」。

部族地帯においては、特にそうだ。アメリカはビンラディンを探し出そうとしたが、失敗した(中略)。パキスタンはもともと部族地帯の戦闘に熱心ではなかったが、パキスタン軍は数百人の兵士を失った。最近も250人が死亡し、さらに250人が捕虜になっている。「屈辱的だ」と、ブッシュ政権関係者が語る。

地元のパキスタン人関係者は、ムシャラフは権力の座を保つのに忙しく、部族地帯の政策に熱心ではないという(中略)。今日、いまだに部族地帯はアルカイダの拠点であり、新たな司令塔がここから国際的な攻撃計画を立てている。(中略)「いくつかの攻撃を事前に防ぐことはできるが、拠点が隠されているために、向こうが有利だ」と、関係者は語る。「ブッシュが大統領でいる間は、大きな変化はないだろう。いかに我々がいらいらしているか、想像できるだろう」。

smellIn Pakistan Quandary, U.S. Reviews Stance
WASHINGTON、DAVID E. SANGER and DAVID ROHDE

■なぜベナジールが諜報部責任者を指差すか[071020 News]

ベナジールが10月18日に帰国することを発表したときに、ムシャラフは不安を感じた。彼は数週間帰国を延期するよう、彼女に促した。ドバイに幹部将軍2人を派遣して彼のメッセージを伝えたが、ベナジールは計画の変更はないと却下した。そしてドバイを発つ1日前に脅迫されていることを手紙でムシャラフに知らせ、もしパキスタンで命を狙われた場合、政府内にいる何人かの人間の仕業である可能性が高いとして、その名前を列挙した。

(中略)帰国の数時間後、2人の自爆犯が彼女の乗った車を狙った。140人以上が死亡し、550人が負傷した。PPPの責任者たちは、諜報部(Intelligence Bureau)の責任者、イジャーズ・シャー元准将の策略だと名指しした。ベナジール・ブットは数日前にロンドンでも彼の名前を出して、彼がPPPとムシャラフの協力体制を妨害しようとしていると不満を表明した。問題は、なぜPPPが文民諜報部責任者を、今回の事件の首謀者にしているかだ。アシフ・アル・ザルダリが語ったところによると、イジャーズ・シャーはイスラーム原理主義と関係があるという。シャーは2002年に、ダニエル・バール殺害の首謀者オマル・シェイクの投降を促すことができた、ただ1人の人間だ。

アシフ・アリ・ザルダリは、エジャーズ・シャーのような人間は、イスラーム原理主義者たちにベナジール・ブットへの攻撃を促すことができたと語る。エジャーズ・シャーは2002年には、パンジャーブ州内務大臣だった。彼はパンジャーブのナンカナ・サヒーブ地域の出身だが、オマール・シェイクの母親もこの地域の出身だ。治安組織がナンカナ・サヒーブにあるオマールの祖父母の家を家宅捜索した際、イジャーズ・シャーは当時裁判官だったオマールの叔父と連絡をとった。叔父がエジャーズ・シャーを通じて甥に投降を説得したために、彼は逮捕された。

PPPの情報源によると、エジャーズ・シャーはパンジャーブのPML-Qを築いた張本人だという。また2002年の選挙のあと、国会からPPPのメンバー20人を脱退させた。そのために、PPPは彼との間には摩擦があった。PML-QからPPPに寝返ったアビダ・フセインのような人間も、ベナジール・ブットにエジャーズ・シャーを悪く言っている。

シャーはムシャラフの信頼を受けているが、グジュラートのチョードリー家とも近い。

情報源によると、ベナジール・ブットはエジャーズ・シャーだけでてく、パンジャーブ州大臣のチョードリー・ペルヴェーズ・エラヒも、自分の敵として名指ししている。

(中略)PPPはエジャーズ・シャーやチョードリー・ペルヴェーズ・エラヒのような人間を名指ししてムシャラフに圧力をかけ、もっと大きな権力を得ようとよしている。PPPとムシャラフとの間のこのような不信感は、今後のためには良くない。

ムシャラフはPML-Qに、PPPに対して非難声明を出さないように説得した。PML-QとPPPはこれから大事な時期を迎えることになる。ブットだけでなくPML-Qのリーダーたちも、自爆犯の攻撃の標的になっている。PML-QとPPPの亀裂は、ムシャラフに対して反乱を目論んでいる者たちだけの利益になる(後略)。

hoonWhy Benazir points finger at IB chief
Hamid Mir、ISLAMABAD

■ベナジール、殺戮の責任者として3人を名指し[071020 News]

(前略)ベナジール・ブットが金曜日ビラワル・ハウスで記者会見して、爆発のあと国外に脱出するつもりはないと述べた。

(中略)ベナジールは、政府やアルカイダ、タリバン、パキスタン人タリバンが攻撃に関与していたことを否定し、4番目のグループの犯行だと述べた。ドバイから出る2日前に、ムシャラフにはこの組織のことを通達していたという。

政府を非難するわけではないと述べ、特定の個人がその地位と権力を乱用していると述べた。またMuttahida Qaumi Movementの関与も否定した。

ベナジールによると、もし自分が攻撃された場合、3人の人間が関与している疑いがあるという手紙をムシャラフ大統領に出していたという。3人の名前は公表されていない。

(中略)ベナジールは、2人の人間が攻撃を行ない、また警備官がピストルと自爆ジャケットを身につけた3人目を拘束したと述べた。パキスタンに到着する前、自爆団が彼女を殺害するために送られたという警告を受けていたという。

(中略)日没後、彼女の車列がジャラエ・ファイサルに向かう途中、街灯がついていなかったことを不審に思ったと述べた。街灯をつけるように国家安全アドバイザーに電話をかけようとしたが、電話線が切られていたという。暗かったために、シャラエ・ファイサルで何が起きているのかがわからなかったと述べ、この点を明らかにするべきだと要求した。

爆発の前に銃弾の音が聞こえたが、爆竹の音だと言われた。この音が聞こえたあと下の個室に降りて、今後の演説の打ち合わせをしていた。(中略)このあと爆発が起きた。

爆発の前に何者かが自分が乗っていた車のタイヤに発砲してパンクさせ、その後自爆犯の攻撃を受けたという(後略)。

hoonBenazir blames three for carnage
Tahir Hasan Khan、KARACHI

■新世代タリバン、権力の責任者に挑む[071019 AFP]

アフガニスタンで血なまぐさい攻撃を指揮しているアルカイダ系の司令官、シラージュ・ハッカーニが、タリバン責任者のオマール師に対抗して権力の座を狙っていると、米軍主導同盟軍が金曜日に述べた。

ハッカーニは「タリバンの幹部リーダーたちよりも若く攻撃的」で、カブール近くの東部や中央部から南部に至るまで、影響力を発しているという。

同盟軍は、ハッカーニに対して20万ドルの賞金を懸けている。ハッカーニはソ連に対する抵抗運動司令官として有名で、オマール師に近く、東部で最も影響力を誇るジャラウッディン・ハッカーニの息子である。「シラージュは今や父親よりも強力になり、タリバン責任者の座をオマール師と張り合っている」と、同盟軍報道官が述べた。

「シラージュは若い世代に属し、タリバン幹部リーダーたちよりも攻撃的で、これまで敬意を払われていた長老たちを排除しようとしている」と、デイブ・アンダース中佐が述べた。「誘拐、暗殺、女性の斬首、無差別殺人、自爆などのこれまでは見られなかった行為を指揮しているのはシラージュであり、タリバンの幹部リーダーたちに協力しながら、残虐行為を実施している」。

武装勢力たちがアルカイダと関係を持っているために、中東から資金が流れ、パキスタンやウズベキスタン、チェチェン、トルコなどから新たな戦闘員たちが入ってくるようになった。

米軍はハッカーニを妨害するために作戦を実施しており、これまでハッカーニの戦闘員30人以上を逮捕した。国境地帯では、パキスタン軍の協力もある。大量の武器も押収されたという。

hoonNew generation Taliban rivalling chief: US-led coalition
KABUL

■北西辺境州の武装勢力に対して、段階的な作戦を実施予定[071019 Dawn]

連邦政府は、北西辺境州の混乱を解決して秩序を回復させるために段階的な作戦を実施する計画を立てていると、信頼できる情報源が語った。

水曜日に、ムシャラフ大統領とアジズ首相を含めた幹部会議が開催された(中略)。情報源によると、連邦政府は南部と北部地域の法関係機関に、独自の計画を立てて作戦を実行する許可を与えたという。

北西辺境州は、連邦政府と諜報組織の協力と支持を約束された。必要であれば、軍も出動するという。

(中略)情報源によると、まだ計画段階で、いつ、どこで作戦が実施されるかは、州政府が決めるという。

(中略)ある関係者によると、政府は政治的、また非政治的な手段を取り、軍の力を借りることも考えているという。

今年の7月に連邦政府はスワートに軍を派遣したが、州政府がこの地域に軍を派遣すことに関して距離を置いたために、軍事作戦は行なわれていない(後略)。

hoonPhased operation against militants in NWFP planned
Ismail Khan、PESHAWAR

■パキスタン、武装勢力を一掃作戦を計画[071019 Asia Times]

南北ワジリスタンで、パキスタン陸軍とタリバン・アルカイダとの間の全面戦争が開始される。

パキスタン治安部隊高官によると、今回の作戦は、ワジリスタンを徹底的に制圧するためのものである。これまでの作戦はいつも欧米の諜報情報をもとに実施され、特定の基地を一掃したり越境を妨害するためのものだった。しかし今回パキスタン軍は、この地域一帯からタリバンとアルカイダを一掃することを目的とする。2週間前に開始した戦いは、ほんの序章にすぎない。

パキスタン陸軍に対戦するのは、アルカイダ幹部やタリバン指揮官、地元の宗教指導者、ワジール族やマフスード族の戦闘員たちで構成される、ムジャヒディのシューラ(議会)である。シューラはこれまでもワジリスタンでシャリア法を施行しようとし、グローバルなムスリム抵抗運動を指揮してきた。

(中略)「今回の戦いは、ワジリスタンを完全制圧するものだ。パキスタン陸軍は武装勢力たちに明確なメッセージを与え、ミールアリ、ミランシャー、ダンディ・ダルパ・ヘール、シャーワル、ラズマック、マガロティ、カローシャアンゴール・アッダに軍隊を派遣する。数千人の陸軍と準軍隊兵士が駐屯する、永久基地を設置する計画だ」と、ある関係者が述べた。

治安関係者によると、今回の一時停戦期間中、武装勢力に最終期限が伝達された。ラマダン後の襲撃をアフガニスタンで実施するためにワジリスタンに集まっていたアルカイダとタリバン司令官に最終期限を与え、アフガニスタンに追い返す。彼らは戦闘員とともにアフガニスタンに帰国し、2度とパキスタンに戻ってはならない。

彼らがいなくなったところで、陸軍の新長官アシュファク・パルヴェーズ・キアニの直接指揮と監視のもとで、陸軍と準軍隊がすべての戦略要所に基地を構え、地元の部族民を非武装化する。デュランド・ラインには塀が設置され、国境の警備が強化される。

武装勢力は、最終通達を却下した。

《問題》

諜報関係者たちは、ワジリスタンを制圧することで、アフガニスタンの抵抗運動は85%も減り、イラクの抵抗運動にも大きな打撃を与えるという。

武装勢力たちは、地元の人間に溶け込むことはできず、越境もできなく、対戦するしか選択肢がない。武装勢力の拠点はワジリスタンにあり、またワジリスタンで支援されている。また、ほとんどの者がワジール族か、他の地域出身のパキスタン人か、外国人である。彼らはアフガニスタンで支持される可能性は少なく、またワジール族でないものはパシュトゥ語も話せない。ワジリスタンに溶け込むことができないのも、言葉の問題があるからだ。

彼らがワジリスタンにいるのは、「ハワラ」という地下銀行のために、資金の調達が可能だからだ。

(中略)諜報情報によると、ラマダン中、タリバンの最高司令官、モーラビ・アブドゥル・カビール、ジャラウッディン・ハッカーニ、シラージュンディン・ハッカーニ、ナシールッディン・ハッカーニ、ムッラー・マンスール・ダドゥッラー等は全員北ワジリスタンに集結して、ラマダン後の作戦をアフガニスタン南部で計画していた。パキスタン軍はこれに先立ち武装勢力を戦いに従事させ、作戦に打撃を与えようとした。これらの武装勢力の司令塔たちが、いまだに北ワジリスタンにいると考えられている。

さらにシャーワルには、ウズベキスタンのイスラーム運動の過激派たちがいる。ウズベク人たちは、ウズベキスタンに対して抵抗活動を計画している。

この地域にはクルド人もいる。イランを通じてクルド人たちがワジリスタンに入って訓練を受け、イラクで米軍と戦う前にイランに戻ろうとしている。

「計画が成功してワジリスタンが完全制圧されれば、グローバルイスラーム原理主義抵抗運動は、2003年の時代に戻る」とパキスタンの関係者が語る。「その結果ゲリラ活動は単発的になり、効果もなくなる」。

ワジリスタンにおけるタリバンやアルカイダの安全には、生死がかかっている。そのために武装勢力はラホールやカラチ、イスラマバードで作戦を行ない、パキスタン軍の意思をくじこうとしている。いっぼうパキスタン軍は、空爆で武装勢力の意思をくじこうとしている。

軍が今後の戦いにかけていることは、パキスタン北部出身のシーア派の兵士たちがワジリスタンに派遣されていることからもわかる。これまでパキスタン陸軍は、パシュトゥーン人やスンナ派兵士を仲間のパシュトゥーン人やスンナ派と戦わせたために、失敗した。

smellPakistan plans all-out war on militants
Syed Saleem Shahzad

■ブットの車列の攻撃で130人死亡[071018 BBC]

ベナジール・ブット元首相の帰国を祝う群衆の中で2件の爆発があり、少なくとも130人が死亡した。

ブット女史はカラチの空港から、8年ぶりの帰国を祝う人々でごった返した道路を車で移動していたが、無事だった。彼女が乗ったトラックの窓はすべて粉々になり、ドアは吹き飛んだ。

イスラーム過激派や親タリバン系武装勢力たちが、ブット女史が帰国した場合攻撃すると脅迫していた。

(中略)死者のほとんどがPPPのメンバーだったが、直接被害を受けたのは警察の車で、警察官20人が死亡した。地元のテレビ局のカメラマンも死亡した。

カラチ警察長官のアスハール・ファルークは、2番目の爆発は自爆だった可能性が高いと述べた。「最初の爆発は手榴弾だった可能性があり、それほど大きな被害はなかった」。

爆発のあと、ブット女史は現場からカラチの自宅に直行した(後略)。

garrAttack on Bhutto convoy kills 130

■武装勢力と軍、捕虜交換に同意[071018 News]

バイトゥッラー・マフスードと軍関係者との間の話し合いがまとまり、両サイドがそれぞれ捕虜を交換することに同意したと、情報源が語った。

情報源によると、イード祭の3日前に、ISI関係者と武装勢力が南ワジリスタンのラッダの近くで話し合った。政府は、国内でテロ行為を実施したり計画を立てていたとして逮捕された過激派25人を釈放し、それと引き換えに武装勢力は、拉致した兵士全員を解放することに同意したという。

これに先立ち武装勢力はマフスード族のジルガに出席して、拉致した治安部隊兵士の解放に対して3つの条件を申し出ていた。仲間30人の解放と軍の検問所の撤去、マフスード族の領土からのパキスタン軍の撤退である。

(中略)軍関係者によると、マフスード族のジルガがまとまらなかったために、その後両サイドが直接話し合うことになった。マフスード族出身の軍高官の運転手が、武装勢力と彼の上司との間の話し合いを、仲介したという。

情報源によると、捕虜の交換はすぐに行なわれる予定だとういう。

しかし軍報道官のワヒード・アルシャッドは、そのような情報は聞いていないと述べた。「私の知っている限り、そのような情報はない」。ジルガは治安部隊兵士の解放を巡って、政府と武装勢力との間で話しあっているという。「ジルガはさまざまな点を話し合っており、まだ時間がかかる」(後略)。

hoonMilitants, Army agree to swap prisoners
Mushtaq Yusufzai & Irfan Barki
PESHAWAR / TANK

■パキスタンの国境地帯に停戦[071016 AFP]

パキスタン軍と武装勢力の間で発生した激しい戦闘のあと、アフガニスタンとの国境地帯で暫定的な停戦協定が結ばれた。

ミランシャーで停戦を締結するために、長老たちが話し合いを続けていた。「暫定的な停戦協定が結ばれ、軍の検問所4ヵ所が撤去された」と、ジルガを率いるファイズッラー・ハーンが語った。

軍は停戦を結んだことを否定し、ジルガや部族民平和委員会との話し合いは現在続いていると述べた。「治安部隊に関していえば、停戦の話し合いはまだ続いており、最終的な話し合いは今日終わる予定だ」と、軍報道官のワヒード・アルシャッドが述べた。「一般市民に対する規制は、緩和された」。

今のところ話し合いが続き、パキスタンがイードを祝っている間は、戦闘は中断している(後略)。

hoonCeasefire after Pakistan border bloodshed: tribal elder
MIRANSHAH

■インターネット・ジハード、アメリカ人読者を標的に[071015 New York Times]

ビンラディンが先月ビデオメッセージをアメリカ人に発信すると、若いジハード共感者がそれを世界に広めるために協力した。「アメリカ人たちはオサマの言葉に耳を傾け、彼のメッセージを重視しなけれぱならない」と、彼はブログに書き込んだ。「アメリカ人は、傲慢な人間だ」。

ビンラディンとは違い、このブロガーは僻地から書き込みをしているのではない。21歳のアメリカ人サミール・ハーンは、ノース・カロライナの両親の家から、過激なイスラーム主義グループが生産するマルチメディア作品を欧米に発信している。

最近はアルジェリア軍31人を殺害した北アフリカの武装勢力リーダーからの「よい知らせ」を掲載した。英語に翻訳された、過激なジハード論を展開する学術論文も掲載した。イラクの血なまぐさい武装勢力の最新ビデオをダウンロードできる秘密のサイトに、リンクが張られている。

彼のサイトには「敗者アメリカ」と名付けられたファイルがあり、アフガニスタンの戦闘に関するニュースが掲載されいる。「米兵が赤ん坊のように隠れているのが見える!!  アッラー・アクバル、アッラー・アクバル!!」と、コメントしている。

ハーンはサウジで生まれ、クイーンズで育った。彼はアルカイダの「イスラーム・ジハード・メディア」にとっては、少し変わった歩兵である。中流アメリカ人の家庭に育ち、彼の両親は彼の宗教熱を心配している。しかし彼は頑固だ。「真実を語るために最大の努力をする。不信心者の怒りを買ったとしても、真実を語ることが大切だ」。

ハーンは過激派のリーダーに協力したり法律を犯したりはしていないが、アルカイダなどのグループを発信する、個人のメディアオベレータである。これらのメッセージは非常に巧妙で、欧米の聴衆を標的に翻訳されている。

ウェストポイントのテロ専門家によると、ハーンのようなイスラーム過激派的見解を発信する英語のサイトは100近くあり、活発な常連読者は500人にのぼる。彼らにアクセスすることは難しいが、彼らが扱う過激的な題材やインタビューから、これらの過激派たちはイラク戦争やイスラームが攻撃されているイメージを利用して、若いアメリカ人やヨーロッパ人ムスリムに訴えようとしていることは確かだ。

冗長なアラビア語が、派手な英語の作品に作り替えられている。戦闘に加わって欧米で戦うことを女性に促す、39ページからなる英語の電子ブックレットも出回っている。

『Rakan bin Williams』のような、オンライン小説もある。これはアルカイダになったヨーロッパのキリスト教徒の話で、「自分たちの兄弟の旗を掲げて、邪悪な者たちに復讐することを神に誓う」。

イスラーム過激派は、粒子の粗い車の自爆攻撃テープをヒッブ・ポップリズムに乗ったモンタージュ・ビデオに作り替えて『YouTube』などで掲載している。

「ハリウッド映画を見ているようだ」と、21歳のドイツ人アルカイダシンパのアブ・サレが語る。彼は週に2回はベルリンのインターネット・カフェに行き、最新のビデオを見る。「インターネットは、私の物の見方を全く変えてしまった」。

《インターネット戦略》

アルカイダとそのシンパたちは、インターネットで通信して協力者たちを集めているが、ここ数ヵ月のあいだに、欧米を攻撃するメッセージや洗練されたメディアが急激に増えてきた。ビデオも増えた。今年の初め以来、アルカイダのメディア作戦、アル・サフブは、3日に1度、ビデオを発行している。

これは、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィの功績である。彼は2006年に米軍空爆で殺害された、メソポタミアのアルカイダ責任者だ。

10年前にザルカウィと一緒に刑務所に入れられていた元の仲間によると、ザルカウィはインターネットの力を監獄で学んだ。ザルカウィの監獄仲間は、手書きのニュースレター『アル・タウィード』を発行して、仲間の囚人たちを仲間に引き込んだ。「彼らをヨーロッパやイギリスなどの兄弟のもとに送り出す」と、過激派のウェブサイトのニュースレータに書き込んだある男が語った。

イラクでザルカウィはビデオカメラを戦争の武器にした。「各グループともビデオカメラを持ち、すべての作戦を録画するよう命じた」と、2005年にイラクを訪れ、モロッコやヨーロッパ各地の外国人戦闘員を訓練し、爆発物作りを指導したパレスチナ人過激派が語った。

2人のレバノン人諜報関係者が、アブ・オマルという名前のこのパレスチナ人が、ザルカウィと一緒に戦っていたことを認めた。オマルは『ニューヨーク・タイムズ』の記者に、イラクで戦う外国人戦闘員のビデオを見せてくれた。

37歳のオマルは、レバノンの自宅でグロック21ピストルをベルトに突っ込んだままインタビューに応じて、ザルカウィは自分が爆弾の作り方を指導しているところもビデオに収めさせ、自分が死んだ場合その技術が失われないようにした。

「カメラマンが2人いた。イラクに来る前からこの技術を身につけている人間だ」。「録画の後、ビデオを作る家がさまざまな場所にある」。

パレスチナ人のダヒナ・アル・マクダッシ26歳は、2年前にイラクで抵抗勢力のビデオを生産したという。「イラクの各町に小さな事務所があり、そこで誰かがフィルムの編集をしていた」。自分の「メディア部」はファルージャの近くにある家にあり、そこで6〜10人が仕事をしているという。「映像が完成すれば、ジハードのウェブサイトに送る」と、マクダッシ氏が語った。

《ブロパガンダ・ラッブ・ビデオ》

最も影響力のあるサイトは『タジュディード』で、これはサウジ人の反体制物理学者のムハンマド・マッサリ氏がロンドンで運営している。自宅近くのマクドナルドで食事をしながら、マッサリ博士はザルカウィが作成したイラクの抵抗勢力ビデオは、『Dirty Kuffar』のような作品を生んだと語った。Dirty Kuffarとは不信心者を意味するアラビア語である。2004年に作成されたこのラッブミュージックビデオは、欧米のリーダーたちが、イラク市民を殺害しながら喝采する米軍の画像が織り交ぜられている。

マッサリ博士はこのビデオの宣伝に協力し、同じよな作品が自分のウェブサイトにたくさん掲載されたと語る。「私のフォーラムに掲載されたビデオをいじったことはない」と、アラブ式の長い白い服を着たマッサリ博士が語る。「アルカイダシンパがこれをインターネットカフェから、パスワードで保護されたサイトにアッブロードしている。オーストラリアやブラジリアにいる友人に電話して、『ジョニー、こんにちは。今日あなたのお母さんが旅行に出かけたよ』と言う。これはビデオをダンウロードするための暗号だ。こうしてあちこちに痕跡を残すことなく出回り、そして誰かが私のサイトにリンクするんだ」。

去年の春、アルカイダは不敵にも、アメリカで素質のある協力者を募った。ビデオテープ・インタビューでビンラディンの腹心のザワヒリがマルコムXを讃え、アメリカのブラックアメリカンやマイノリティに、「すべての人間に懸けられた圧力を取り除くために、ジハードを行なう」ことを勧めた。

テープはすぐに注目された。ザワヒリは「黒人を大切にしている」と、アメリカのヒップボッブ都市文化雑誌の『Vib』のブロガーが書いた。このブログには、毎月160万人がアクセスすると言われる。「だから彼はこの週末発表されたミックス・テープで、マルコムXを引き合いに出しているのだ」。

32歳のセント・ルイス出身のイスラーム教徒に改宗したウマル・リーは、彼のムスリム・アメリカンのためのブログに、辛辣なザワヒリ批判を載せた。「アラブ世界には、二流の黒人が多数住んでいる」。それに対してアラブとブラックアメリカン原理主義者間の類似点についてのコメントが、殺到した。

1時間に及ぶアルカイダのビデオを4分に編集した『To Black Americans』と題されたビデオは、YouTubeに掲載されてから4ヵ月の間に、1800回アクセスがあった。

ノース・カロライナのブロガーのハーンも、自分のブログをこのYouTubeバージョンにリンクさせた。アルカイダとマルコムXのメッセージのわかりやすさに、感激したという。「自分たちのイデオロギーをシンプルな、影響力のあるメンセージに変え、草の根レベルに浸透させる天才的能力を持っている」。

ハーン氏は自分のブログを匿名で書いているが、以前オンライン・ディスカションで使用したeメール・アカウントから、 『The Times』に身元を暴かれた。(オンラインに掲載した写真のために、同じ名前を持つ、彼よりも10歳ほど年上のノース・カロリイナの住民と別人であることがわかった。)

地元のモスクでインタビューに答えた伝統的なアラビア式の衣装を着たハーン氏は、抵抗運動に走った自分の経緯を語った。

彼のブログは大きく注目されたために、ジハードサイトに反対するグループが、最近数回彼のサイトをシャットダウンさせた。政府が自分を取り締まらないことに、少しびっくりしていると語り「爆弾の作り方については、誰にも語ったことはない」という。

2003年に発言を始め、北アメリカにイスラームを広めたが、彼を邪魔する者は誰もいなかった。イラク戦争が激しくなっていくと、流血が主なテーマになってきた。イラクのお気に入りのビデオは、アメリカの前哨基地を攻撃する自爆攻撃だという。「これを見て、大きな喜びを感じた」。「自分たちがつぶされるという、アメリカが決して認めたくない事実だからだ」。

イラクに兵士たちを送り出している人々のあいだで生きていることをどう思うか尋ねると、「彼らの息子や娘に起きることは、私とは関係のないことだ。彼らは地獄の人間であり、彼らに関心はない」。

サウジの首都リヤドで生まれたハーン氏は、7つの時に家族とニューヨークに移り、クイーンズの近くのマスペスに住み着いた。15歳のときにクイーンズで、Islamic Organization of North America(IONA)という、原理主義であはあるが非暴力的な組織が運営するモスクのサマーキャンプに参加した。「宗教やブラザーフッドについて学び、とりこになった」。「今後の人生をどう過ごすかに気づいた。つまり熱心なムスリム、強いムスリムになり、ムスリムの宗教活動を行なっていこうと気づき、学校に帰った」。

祈りを欠かさなかった。質素な服を身につけた。ロサンゼルスのヒップホップ・グループ、Soldiers of Allah以外の音楽は聞かなかった。現在このグループは活動を止めてしまったが、『Bring Back Islam Back』のような曲は、世界の過激的な若者の間では有名だ。

原理主義を広めている非暴力の小さな組織、Islamic Thinkers Societyのメンバーと友人になり、タイムズ・スクエアなどでビラを配った。

2004年に家族とノースカロライナに移ると、3年間コミューニティー・カレッジに通い、キッチンナイフなどのさまざまな製品を売って収入を得ていた。

しかしその後2005年に『Inshallahshaheed』(神が望むなら殉教者となるの意)というブログを始めた。ハーンのブログが有名になるとともに、家族は彼を心配し始めた。穏健派ムスリムである父親はイマームに頼んで、彼を過激主義を捨てさせようとした。「クルアーンや学者たちを味方につけ、『おまえが考えていることは真実ではない』と説得したと、ハーンを最初に啓発したイスラームIONAのリーダーで、家族の親友であるムスタファ・エルティルクが語った。しかしハーンは耳を傾けなかった。

ハーンは、IONAとは一点において、意見が違ったと語る。組織はムスリム国家の責任者の承認なくして、ジハードを認めない。ハーンは承認など不必要だという。

エルテュルク氏は、「彼の父親や家族は、彼が何かしでかすのではないかと、とても恐れている」と語る。

《ブログのシャットダウン》

ハーンによると、父親にインターネットにアクセスできないように妨害されために、父親の心配を軽減させるために、自分のサイトに掲載された見解に自分は関係ないという注意書きを掲載した。

また彼のサイトのようなサイトをインターネットから排除しようとしている、一般市民の監視からも逃れてきた。9月になって2度、彼のブログはプロパイダーにシャットダウンされて、真っ黒になった。

ハーンは今度はMuslimpadというサイトにブログを移動させた。これを管理しているアメリカ人オペレーターは最近テキサスからヨルダンのアンマンに移った。このサイトの親フォーラムIslam Nerworkは、英語話者ムスリムの掲示板を運営している。以前のオペレーター、ダニエル・マルドナードは今年になってテロリストに指名され、連邦裁判所から、ソマリアのテロキャンプと関係していると告訴された。

ハーンは、ビンラディンと会う夢を見ると述べ、いつの日か武器を手にとるかもしれないとも語る。最近書いたエッセーで、ジハードはすべてのムスリムにとっての義務だと述べている。イラク、アフガニスタン、アルジェリアの戦士たちの一員になり、彼らに金を送るか、ジハード・メディアとして、過激ビデオを戦闘するべきだという。

今のところは、ムスリムに自分たちの宗教をわかりやすく説明しているという。最近警察したビデオには、イスラームに入信した、地雷で武装したソマリアのアメリカ人について、取材している。「イスラームに従う、ムスリムの1人だ」と、ハーンは書いている。

garrAn Internet Jihad Aims at U.S. Viewers
MICHAEL MOSS and SOUAD MEKHENNET
Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2007.