【2008年1月14日〜1月20日】


■アルカイダが、ますます隆盛[080119 Asia Times]

アフガニスタンとの国境付近にあるパキスタンの城塞が武装勢力に占拠事件は、突発的な出来事ではない。あらゆる和平協定を無効にするための、アルカイダの攻撃である。

水曜日に武装した抵抗勢力数百人が、南ワジリスタンのサラローガ城を襲撃した。(中略)パキスタン軍報道官のアサール・アッバス少将によると、抵抗勢力40人が殺害されたという(中略)。

しかしタリバン報道官のモーラビ・オマルは、国境警察隊員16人が死亡し、24人以上が拘束されたという。仲間のほうは2人が死亡しただけで、約12人が負傷した。「城塞をいまだに占拠している」と、パキスタンの新聞社に電話で語った。

政府がブット女史暗殺首謀者としてバイトゥッラー・マフスードを名指ししてから、南ワジリスタンは不安定である。イスラマバードは何人かのタリバンリーダーたちと話し合うことで、状況を回復させようとしている。北ワジリスタンではハーフィズ・グル・バハドゥールが率いるパキスタン人タリバンが話し合いを行ない、政府の停戦協定を積極的に受け入れようとした(中略)。

しかしすぐに反応があった。武装勢力がモーマンド行政区を攻撃し、その後の水曜日の城塞攻撃に至った。

これは北ワジリスタンのミール・アリ周辺にいる、アルカイダたちの仕業である。アルカイダはパキスタン人タリバンが和平協定を結ぶことに反対し、武装勢力を分裂させようする政府の陰謀と見る。

アルカイダは、和平協定を結ぶとしたら自分たちが中心になり、またそのための最低条件を提示している。部族地帯からの治安部隊の撤退、シャリア法施行、モーラナ・アブドゥル・アジズの釈放、ムシャラフ大統領の辞任である。

《地図上のイデオロギー》

パキスタンの治安部隊に追い詰められたあと、アルカイダは部族地帯で激しく戦っている。『Asia Times Online』が入手したビデオを見ると、彼らの原理主義的メッセージは明白だ。

これはミール・アルにいるウズベキスタン・イスラーム運動責任者のタヒール・ユルダシェフから発信されている。いくつかの残虐な切り落とされた頭部をバックに、部族地帯にいる過激な原理主義使者たちのイデオロギーがメッセージとして流れる。アブドゥル・ハッカーニとユルダシェフのものもある。

南ワジリスタンで多数のパキスタン軍兵士が抵抗勢力に投降する場面や、2007年10月に起きた、パキスタンの部族地帯の歴史における最大の戦いだった北ワジリスタンの戦いが、詳しく録画されている。その場面の1つで、パキスタンのF16戦闘機が町を空爆する様子や、パキスタン人タリバンが報復する様子がある。ビデオでは、パキスタン兵150人が殺害されたと主張され、彼らの遺体や破壊された車輛や強奪された備品が映し出される。ビデオはパキスタン軍と戦うことを宣言し、イスラマバードを奪うまで戦い続けると主張。攻撃の標的はムシャラフだ。

このようなプロパガンダ資料をもって、アルカイダは自分たちが部族地帯の権威であることを主張しようとしている。同時に、パキスタン政府やパキスタン内のアメリカやイギリス関係者を標的とす抵抗勢力の組織、ジュンドゥッラーが蘇った。そのメンバーはアフガニスタンや南ワジリスタンで訓練を受けている。

《アルカイダの縮小とリバイバル》

(中略)イラクの例にならい、南北ワジリスタンにいるパキスタンのISIは、タリバンと接触しようとした。タリバン内の新しい責任者に接近し、パキスタン軍が武器や資金をばらまいた。その結果南ワジリスタンにいるウズベク人たちが虐殺され、北ワジリスタンからアルカイダ要員が一掃された。

しかしアルカイダはパキスタンの過激派地下組織、ラシュカレ・ジャングヴィやジャイシェ・ムハンマドなどに接近し、彼らの間に自分たちのイデオロギーを広めていった。その結果ネオ・タリバンが生まれ、パキスタン人・アフガン人戦闘員は、アルカイダのグローバル・ジハードのイデオロギーを受け入れた(中略)。

《話し合い》

(中略)イギリスや、アメリカの一部は、タリバンと話し合おうとしている。しかしオマール師やアルカイダ関係者は、これに加えられていないために、うまくいっていない。

2007年の間、カブールの英国大使館は、オマール師抜きで、アフガニスタン南西部にいるタリバンと、政治的解決策を見いだそうとした。さまざまな作戦が実施され、数100万ドルが、タリバンにばらまかれた。

しかし何もかもうまくいかず、イギリスとアメリカの亀裂が明らかになっただけだった。その間にタリバンは、態勢を整えた。

カブールのUN責任者だったアイルランド人のマイケル・センプルの例は、興味深い。彼はアフガニスタンで18年間暮らし、流暢なダリ語を話す。国連や英国大使館のアドバイザーなどさまざまな職に就いたが、タリバンと話し合ったとして先月国外追放になった。

欧米人の仲間たちは彼を、イギリス人スパイと呼ぶ。彼は1990年代後半のタリバン政権時代、アフガニスタン南部の部族民たちと密接な関係を築いた。センプルには、イスラーム教徒のパキスタン人妻がいる。

EUの資金やアイルランダの外務省が提供する開発資金を利用して、ヘルマンドへタリバンに会いにいった。パキスタン人の妻のルートを利用して、そして自分もムスリムであるかのような印象を与えながら、さらに資金をばらまくことによって、人々の信頼を勝ち取った。元タリバン司令官で、今はヘルマンドのムサ・カーラの行政官であるムッラー・サラームのような人間は、「ブロンドの髭のムスリム」に驚喜した。

センプルはアフガニスタンの内務省の許可を得て、ヘルマンドを訪れた。内務省は、アフガニスタン北部の政治家たちが牛耳っている。しかしアメリカやカルザイ大統領関係者たちは、タリバンと仲良くなったり、オマール師を否定しないままの彼らに、アフガニスタン各地の行政を任せることを嫌った。

ヘルマンド知事のアサドッゥラー・ワファはセンプルをパキスタン人工作員と呼び、その結果彼は国外追放となった。現在サンプルはイスラマバードで、妻の家族とともに住む。

カルザイ報道官のヒモユン・ハミッドザダは、「アフガニスタンは、このようなグレート・ゲームのような政策を受け入れない。アフガニスタンは宗主国に収められる植民地ではない。何事も、アフガニスタン政府の許可を得て、行動しなければならない」と、述べた。

しかしセンプルの計画は、イギリスのもっと大きな計画のほんの一部にすぎない。イギリス軍はアフガニスタンに、さらに10年間留まるという。

英国大使のコールズは、部族民民兵・アラビカイのアイディアを出した。過去においてアフガニスタンでは、軍が町に侵略してくると、人々は太鼓を叩いて敵と戦うために集った。それぞれの村や町は、自身の民兵を持つというアイディアである。これはすぐに、たまたまアメリカ人だったNATO軍司令官に反対された。

「コールズは、人々がタリバンと戦うと思った。しかし、タリバンはこの土地の人間だ」と、カブールにいる欧米の戦略アナリストが語る。「ヘルマンドで部族民民兵を組織するなど、ばかげている。ヘルマンドは抵抗勢力の巣だ。アラビカイなど、成功しない」。

しかし英国大使館報道官は、反論する。「アフガニスタン政府はアラビカイを認めている。アフガニスタンのいくつかの州では、成功している」。

イギリスは、故ダドゥッラー師の弟のムッラー・マンスゥール・ダドゥッラーを標的にした。彼はアフガニスタン南部のタリバン司令官である。パキスタンの野党の元責任使者、モーラリ・ファズール・レーマンの知恵を借りた作戦だ。

最初の何回かの話し合いはうまくいき、南西部のタリバン司令官数人が、和平協定に合意した。マンスール・ダドゥッラーは、自分がタリバン代表としてジルガに出席し、和平協定を結ぶ際に必要があればオマール師と話し合うと、レーマンに約束した。

しかしアフガニスタンの「同盟軍」たちはこれに反対した。特にアメリカは激怒した。その間にオマール師は行動した。ダドゥッラーは司令官の地位から退けられ、単なる歩兵にすぎなくなった。

いっぽうパキスタン内務省はレーマンに、彼がアルカイダの標的のナンバー・ワンとして狙われていると警告した。安全のために、レーマンの行動は厳しく制限されている。

このようにイギリスの工作は失敗し、タリバンは再びワジリスタンで再結成され、新たな春の攻撃に備えている(後略)。

hoonTHE RISE AND RISE OF AL-QAEDA
Syed Saleem Shahzad、KABUL

■南ワジリスタンの戦闘で武装勢力90人死亡[080119 News]

軍によると、金曜日に南ワジリスタンの治安部隊が武装勢力と激しい戦闘を行ない、90人を殺害した。

また情報源によると、南ワジリスタンのマフスード族居住区に隠れている武装勢力に対する大掛かりな戦闘を開始する準備が完了した。パキスタン軍兵士が北ワジリスタンのラズマックに派遣され、近くのマキンにいつでも入れる状態だという。

軍報道官のアサール・アッバスによると、ラッダ城塞の近くで武装勢力50〜60人が殺害され、チャグマライ近くでは、30人を殺害した。金曜日の朝の10時に武装勢力数十人がラッダ城に入り、軍の基地を攻撃した。治安部隊は抵抗勢力50〜60人を大砲や迫撃砲、小火器を使用して殺害した。残りの抵抗勢力は逃走したという。

チャグマライ近くを走行していた軍の車列を襲撃した武装勢力に対しては、ヘリコプター戦闘機が攻撃したという。敵の死傷者数はわからないが、バイトゥッラー・マフスードの戦闘員20〜30人が死亡したという通信を傍受したという。

武装勢力の拠点に戦闘機も飛来したが、偵察だけで、空爆はしなかったという。アッパス報道官によると、兵士4人が負傷した。武装勢力は木曜日の夜に、ラッダの国境警察の城塞を攻撃。軍側の犠牲者数はいない。

いっぽうバイトゥッラーの報道官のモーラビ・オマルが、金曜日の戦いで犠牲者が出たことを否定した。仲間はまだセプラトイ城を占拠しているという。

戦闘機に攻撃されたのは、マフスード族が居住するセプラトイ、チャグマライ、サラローガ、ラッダ、マキン地区の町である。南ワジリスタンの入り口にあるジャンドーラ行政関係者によると、治安部隊が金曜日にセプラトイ城を奪回した。

パキスタン軍の奇襲隊員52人が、ヘリコプターからイギリス時代に建設されたセプラトイ城に降り、激しい銃撃戦の結果準軍隊の基地を奪回した。武装勢力8人が死亡したという。兵士側の犠牲者は、発表されていない。また部族民によると、チャクマライ町周辺で治安部隊と武装勢力の間で激しい戦いが続き、地域全体が戦場になっている。

金曜日以来、両陣営とも重火器を使用している。犠牲者を確認することは難しい。

(中略)さらに情報源によると、南ワジリスタンのマフスード族の居住区に隠れる武装勢力に対して、大掛かりな攻撃を実施する準備が整ったという。数千人からなるパキスタン軍派遣部隊が北ワジリスタンのラズマックに集り、マキン地域に入ろうとしている(後略)。

hoon90 militants killed in S Waziristan clashes
Mushtaq Yusufzai & Irfan Burki、PESHAWAR / TANK

■パキスタンの国境で戦闘、武装勢力殺害[080118 AP]

金曜日にイスラーム武装勢力数十人がパキスタン軍との戦闘で死亡したと、軍が述べた。アフガニスタンとの国境付近にある軍の拠点を占拠している戦闘員たちを一掃するために、政府軍が作戦を開始したと報告されている。

(中略)今週になってマフスードの戦闘員数百人が、南ワジリスタンにある2つの軍の城塞を攻撃して、部族地帯におけるパキスタン軍の弱さを露見させた。

この地域の諜報関係者によると、治安軍が武装勢力一掃のために、攻撃を開始したという。

金曜日、抵抗勢力が小火器やロケット弾で城塞を攻撃した際に50〜60人が死亡したと、軍が発表した。治安軍は、迫撃砲や大砲を用いて応戦した。

軍によると、チャクマライ村の近くで軍の車列をし襲撃しようとして、さらに襲撃者30人ほどが殺害された。兵士側は、4人が負傷しただけだったというが、死傷者数は確認されていない。

金曜日に武装勢力多数が死亡したにもかかわらず、軍は抵抗勢力に対する作戦を実施していないと述べた。「南ワジリスタンで、一切の攻撃は行なっていない」と、アスタル・アッバス中将が述べた。

現場周辺の村の電話線が遮断されているために、事実確認をすることはできない。しかし連絡を取ることができた住民によると、政府軍の激しい砲撃とジェット戦闘機が空爆を実施したために、住民が避難していると述べた。「女性や子供たち数十人を連れた家族が、家畜に家財道具を積んで、山中を歩いて安全な場所に避難している」と、ラッダ近くのコット・ランガル・ヘールの住民、アブドゥル・ラヒームが述べた。

医療関係者のアラーム・シェールによると、多数の歩兵隊がヘリコプター戦闘機に援護され、この地域に入って来たという。村の近くで、2人が殺害された。「早朝、銃撃音や爆発音が聞こえた。地元の住民から負傷者が出たという電話を受けている」という。銃撃戦が続いているために、死亡した2人のそばに近づけないと付け加えた。

別の諜報関係者によると、日没後、武装勢力たちが南ワジリスタンと北ワジリスタンの境界にあるラズマック城塞を攻撃した。城塞にロケット弾数十発が発射され、治安部隊が大砲で応戦した。この衝突で死傷者が生じたかどうかは、わからない(後略)。

hoonPakistan border clash kills militants
ISHTIAQ MAHSUD、DERA ISMAIL KHAN

■CIA、ブット暗殺者を特定[080118 Washington Post]

CIAは、パキスタンの部族地帯のバイトウッーラ・マフスードの一味が、元パキスタン首相のブット女史を暗殺したという結論を下した。また国家の安全を脅かすために数々の武力行為を実行していると、CIA長官のマイサル・ハイデンがインタビューで答えた。

ハイデンによると、ブット女史はマフスードに協力している戦闘員によって殺害されたという。これはパキスタン政府の見解と一致する。

地元テロリストと国際テロリストたちが一致団結して、アメリカの盟友であるムシャラフ大統領の政権に大きな危害を与えていると、ハイデンが『ワシントン・ポスト』とのインタビューで語った。「おそらくパキスタンで起きていることの性格が変わってきたのだろう」。「以前も存在していた関係だが、現在それが非常に活発になった。アルカイダとさまざまな過激派、独立した組織との関係だ」。「彼らの意図は、パキスタン国家に危害を与え続けることだ」。

ブット暗殺後、パキスタン政府関係者は、マフスードと彼の支持者との間で傍受した会話を公開している。パキスタン人とアメリカ人の関係者は、この会話の入手方法については語っていない。これまでブッシュ政権は、パキスタンの主張に対して慎重な態度をとっていた。

(中略)ハイデンは、CIAがどのような根拠からこのような結論に達したかについては、語らなかった。「これはバイトゥッラー・マフスード周辺の組織の仕業だ。これに対する疑問はない」。

パキスタン問題について詳しい別の関係者はもう少し慎重だったが、「いい仮説だ」と述べた。ある関係者は、このような仮説に関して、「明確な」証拠はないと述べた。(後略)。

hoonCIA Places Blame for Bhutto Assassination
Joby Warrick