【2008年1月21日〜1月27日】


■ロワー・ディールのロケット弾攻撃で治安関係者3人死亡[080127 Dawn]

ロワー・ディールの政府関係者に対する初めてのテロ攻撃があり、金曜日の夜遅く、警察官2人と国境警察隊兵士1人が死亡、別の1人が負傷した。

情報源によると、武装勢力24人以上が、最近政府が設置した警察と国境警察の合同検問所を襲撃した。検問所は、ティメルガナから13キロ南のアシュレイ・グットのアフガン難民所のテントの近くに設置されていた。金曜日の夜には、9人の関係者がいた。抵抗勢力はまずロケット弾で攻撃してから、銃撃したという(後略)。

hoonThree security men killed in Dir Lower rocket attack
Mohabat Shah、TIMERGARA

■パキスタン「トンネル奪回」[080127 BBC]

パキスタンの治安部隊は、木曜日に親タリバン系武装勢力に奪われたトンネルを奪回したという。

治安部隊は、金曜日以来コハート・トンネルを奪回するために、作戦を開始していた。軍によると、この戦いで武装勢力70人が死亡したという。

武装勢力はトンネルを死守するために、ペシャワルとアフガニスタンとの国境を結ぶ幹線道路を封鎖した。この封鎖のために、両側で数百台の車輛が立ち往生した。

トンネルはダラ・アダム・ヘールの近くにある。この地域は、アルカイダと関係があるラシュカレ・ジャングヴィの拠点になっている。

木曜日に武装勢力が爆発物や補給物資を政府軍に運んでいたトラックを強奪し、トンネルを封鎖した。軍は金曜日に攻撃を開始し、戦闘ヘリコプターやダラ・アダム・ヘールの周囲の丘から大砲を撃って攻撃した。

治安部隊によると、日曜日に武装勢力24人が死亡し、前日には少なくとも45人が死亡したと主張している。政府軍側の死者は2人だけだという(後略)。

hoonPakistan 'seizes back key tunnel'

■パキスタン、CIA増員を求めるアメリカの極秘依頼をはねつける[080127 New York Times]

今月初めにアメリカ人諜報組織関係者2人が極秘にパキスタンを訪問し、CIAがアルカイダやタリバンが活動する部族地帯でもっと自由に活動できるようにムシャラフに圧力をかけたと、この訪問に関与している何人かの関係者が述べた。

しかしムシャラフは、1月9日に突然訪問してきた2人のアメリカ人関係者−−国家超総組織責任者のマイク・マッコーネルとCIA責任者のマイケル・ハイデン将軍の、パキスタンにアメリカ人戦闘員たちを増やしたいという提言をはねつけた。CIAが超極秘作戦を行なうことも、パキスタンの治安軍との合同作戦を行なうことも、却下したという。

そのかわりパキスタンとアメリカは、部族地帯上空で武器を搭載した無人偵察機で作戦を実施するなど、いくつかの協力態勢に関して話し合っている。また、パキスタンの治安部隊に抵抗する武装勢力たちに関する情報を、アメリカが迅速に入手できる方法を探し出そうとしていると、関係者が述べた。

アメリカとパキスタンの関係者はここ数ヵ月の間、アメリカがパキスタンに与えた過激派に対する情報の信憑性について、また情報を利用するスケジュールに関して質問しあった。アメリカ関係者は、パキスタンはこの地域でアルカイダ追跡を真剣に実施していないと、不満を表わしている。

1月9日の会談には、アシュファク・パルヴェズ・キヤニ陸軍参謀長も参加した(中略)。

『ニューヨーク・タイムズ』がこの極秘訪問についてアメリカ人とパキスタン人関係者に尋ねたところ、ムシャラフと諜報組織関係者との会談について語ってくれたものの、現在でもイスラマバードとワシントンの間で交わされている対話に関しては、明らかにされていない。

マッコーネルとハイデン将軍は、今後パキスタンをどう扱うか政権内で論議された5日後に、パキスタンを日帰りで訪れた(中略)。「この訪問の目的は、ムシャラフに残り時間が少ないこと」、パキスタンでさまざまな攻撃が続いていることで、彼が政権の座に就き続けることが難しくなるということを、確信させるものだったという。

アフガニスタンのCIA工作員や特殊部隊員たちは、ムシャラフの承認なしでパキスタンの部族地帯に入ることを望んでいると、公言している。ブッシュ政権内でも、ブッシュが彼らにもっと行動することを許すかどうか、意見が分かれている。ムシャラフはCIAが自由に行動することを却下し、マッコーネルとハイデンが帰国したあと、アメリカの不法な行動は侵略と見なすと、シンガポールの新聞に語った(中略)。

アメリカ人とパキスタン人報道官たちは、ムシャラフとアメリカの諜報組織関係者との会談があったことを認めたが、その詳細を語ることを拒否した(後略)。

hoonPakistan Rebuffs Secret U.S. Plea for C.I.A. Buildup
ERIC SCHMITT and DAVID E. SANGER、WASHINGTON

■アフガン人、拉致された米国人を捜索[080127 AP]

アフガン警察はカンダハルの警備を強化し、土曜日に拉致された米国人の女性援助活動家とアフガン人運転手とともに、誘拐犯たちの行方を追っている。

現在のところ、シド・ミッツェルと運転手のアブドゥル・ハディ誘拐に対する犯行声明は出されていない。2人は土曜日にカンダハルの住宅地で拉致された。

Asian Rural Life Development Foundationのプロジェクトに従事していたミッツェルは、拉致された当時ブルカを被っていた。組織の責任者ジェフ・パーマーによると、犯人たちからのコンタクトはないという。

(中略)ミッツェルはカンダハル大学で英語を教え、女子校で刺繍の授業を持っていた。流暢なパシュトゥ語を話す(後略)。

hoonAfghans hunt for kidnapped American
NOOR KHAN、KANDAHAR

■ムシャラフ、抵抗勢力の新たな挑戦に立ち向かう[080127 AFP]

イスラーム武装勢力がパキスタンの北西部に集結し、新たにムシャラフに挑戦している(中略)。

パキスタン軍は、抵抗勢力に奪われた爆発物を搭載した4台のトラックを取り戻すために、作戦を開始した。しかし武装勢力は、幹線道路であるハイウェイを封鎖した。

軍は、今回の衝突は南ワジリスタンの情勢とは関係がないと述べている(中略)。ダラ・アダム・ヘールでは「犯罪団が活動している」といわれ、「犯罪団がイスラーム抵抗勢力たちと協力して爆発物を積んだトラックを奪った」と、軍報道官のアッバス少将が語った。「インダス・ハイウェイ全体が、抵抗勢力に封鎖されている。今回の作戦の目的は道路封鎖を解除し、人々に救援物資を送ることだ」。

しかし部族地帯の問題に詳しいラヒムッラー・ユースフザイによると、今回事件と南ワジリスタンの情勢は関係し合い、武装勢力が戦術を変更したことを意味すると語る。

「関心をそらせるためにやっている。別の場所に軍を引きつけることで、南ワジリスタンの武装勢力たちに協力している」。「爆発物を搭載したトラックは、南ワジリスタンの軍に届けるはずのものだった。これを奪うことで、バイトゥッラー・マフスードに協力している」。

(中略)ユースフザイによると、今やタリバンとアルカイダは北西辺境州各地に存在し、軍が実施した作戦の報復のために自爆攻撃を行なうという防御的作戦はやめたのだという。「彼らは新たな戦場を開いた」。「彼らは力を得ると、すぐに攻撃したがる。戦略の変更だ。しかし長い間戦うことはできない。そのうち撤退して、隠れ家に逃げ込む」。

ムシャラフは、この問題にどう対処するか、決意しなければならない。「抵抗勢力たちが戦場を作り出せば作り出すほど、軍がどの程度戦い続けられるのか、いくつの戦場で戦い続けることができるのか、心配事がふえてくる」。

garrPakistan's Musharraf faces new militant challenge: analysts
Rana Jawad、ISLAMABAD

■新たなタリバン指導者、登場[080126 AP]

12月中旬、タリバンのグループを代表する40人が集り、1つの旗の下で一致団結することを誓い、新しい指導者を選んだ。

この旗はテヘリーケ・タリバン・パキスタン、あるいは「パキスタンのタリバン運動」で、約4万人からなる。指導者はバイトゥッラー・マフスードである。ベナジール・ブット暗殺の首謀者とされる。

この動きは、パキスタン軍と戦う協力隊の結成である(中略)。「アルカイダはここ2〜3年の間、マフスードの協力で基地を作ることに成功した」と、3週間前にマフスードにインタビューしたカタールのアルジャジーラ・テレビのレポーター、アフマッド・ザイダンが語る。「彼らは部族地帯を自由に動き回り、パキスタン軍を妨害している」。

マフスードは、たどたどしいアラビア語で、ビンラディンには会ったことがないが、ザルカウィはよく知っていると語った。ザルカウィは2年前、イラクで殺害されている。

アルカイダはマフスードに金と兵站学的アデバイスを与えていると、マフスードの仲間のモーラビ・ムスリムが『AP』に語った(中略)。

アルカイダの資金は、必ずしも現金で支給されるわけではない。たいがいはアラブ首長国連邦にいるアフガン人やパキスタン人のビジネスマンに、車などの高額品を買うための資金が与えられる。これらの物資はパキスタンに船で送られ、売られる。アルカイダの介入により、値段が3倍にもなることが多い。アルカイダに協力的なビジネスマンたちがいくらかの仲介手数料を取り、残りがアルカイダ関係者たちに分配される。

アフガニスタンやパキスタンのタリバンは同じイデオロギーのもとにあるが別組織だと、ムスリムが語る。両者の精神的指導者は、片目のムハンマド・オマール師である。マフスードは2001年に、オマール師に忠誠を誓った。

40代のマフスードは、オマール師同様その素性が明らかではない。写真を嫌い、タリバンに忠誠を誓う。教育は受けていない。「彼は悪行は決してしない。常に顔の半分を覆って歩く」と、元パキスタン軍准将のメフード・シャーが語った。「彼は謙虚で、丁寧な男だ」。

ムシャラフ大統領は、マフスードはパキスタンで最近発生している自爆攻撃の首謀者だと名指ししている。ブットを脅迫したとある新聞社が報道したが、彼はこれを否定している。ブット暗殺の首謀者であることも、否定した。

マフスードは、ジハードは平和への唯一の道だと語る。ムスリムによると、マフスードは1980年代後半に、アフガニスタンでソ連軍と戦った。当時彼はジャラウッディン・ハッカーニ師の元にいた。

ムスリムや別のタリバンの情報源によると、2001年にアメリカがアフガニスタンに侵攻すると、マフスードはタリバンとともにアフガニスタン東部のシャーエ・コットで戦った。ウズベク人、タジーク人、アラブ人戦闘員多数が、シャーエ・コットから南ワジリスタンに逃げたと言われる。マフスード族は南ワジリスタンではそれほど勢力的な部族ではないが、最も勇敢だと言われる。

マフスードの頭角は、パキスタン軍が米軍の資金で部族地帯を制御しようとしたにもかかわらず、失敗したことを示す。

米軍がアフガニスタンに侵攻したとき、マフスードはパキスタン人武装勢力の中では、重要人物ではなかった。「当時マフスードは小さなハエにすぎなかったが、そのうちに大きな問題を起こすような気がしていた」と、元パキスタン軍関係者のシャーが語る。「有力な部族民や宗教関係者を政府側に引き込み、彼のようなハードコアな人間を孤立させようとした」。

長い道のりだった。パキスタンは平和を持続させるために、金や武器を担保に入れさせた。もし悪行を行なったら、彼らの商売を妨害し、力でねじ伏せようとした。当時シャーは、ある部族民リーダーが所有していた店80店舗を取り壊したという。

その頃マフスードは、南ワジリスタンのリーダーでさえもなかった。ある時期マフスードは同じ部族出身の仲間との権力闘争に巻き込まれた。アブドゥッラー・マフスードである。アブドゥッラー・マフスードは、パキスタン政府と取り引きすることに反対した。

シャーによると、当時は部族の社会構造の中で工作し、台頭し始めていたパキスタン人タリバン司令官ではなく、部族民リーダーたちと取り引きしようとした。

しかし2004年の終わりになると、パキスタン軍は武装勢力と取り引きを始めたとシャーは語る。タリバンに協力的な北西辺境州政府である宗教政党の圧力により、彼らと取り引きすることになる(中略)。その結果パキスタン政府は2005年2月7日に、マフスードと和平協定を結んだ。

シャーによると、その後100人たらずだったマフスードの軍は一気に2万人にふくれあがった。北西辺境州にいるタリバンの半分である。この和平協定により彼はマフスードの軍を拡大し、親政府系部族民リーダーたちを殺害していった(中略)。1年間で、親タリバン系部族民リーダー123人が、スパイとして射殺された。絞首刑になったり、斬首された者もいる。バジョールでは、息子をタリバンの仲間に加えることで、タリバンに保護される一家もあるという。

マフスードは11月にムシャラフと取り引きして、捕虜の交換を行なった。タリバンに投降して拘束されていた数百人の兵士の解放と引き換えに、ムシャラフは政府が拘束していた19人を釈放した。その中にはマフスードの頭脳である、ジャラウッディン・ハッカーニの息子もいた。

hoonNew Taliban chief entering limelight
KATHY GANNON、PESHAWAR

■シャリーフ、パキスタンの過激主義緩和のために選択される[080126 Asia Times]

(前略)ワシントンとロンドンは、「テロとの戦争」の駒として、元首相のナワーズ・シャリーフを選んだようだ。

英外務省は、ナワーズ・シャリーフと弟のシェバーズ・シャリーフが亡命を終えてパキスタンに帰国して以来、来月予定されている総選挙で政治的使命を果たすことができるように、背面で話し合いを続けてきた。シャリーフが率いるパキスタンムスリム連合(PML)は、多数の議席を獲得すると期待されている。

これが実現すれば、シャリーフとムシャラフの協力態勢が注目される。国際的な人物やパキスタン人が、この問題を解決しようとしている。

ここで登場するのが、パキスタンの富豪の1人、ニアーズ・アフマッド元准将である。彼は、国際ビジネスに関わるいくつかの会社を持つ。そのひとつに、コハータにあるパキスタンの原子力研究所に資源を提供する会社がある。彼はムシャラフ時代に軍を退役し、またシャリーフの古い友人でもある。1999年にナワーズが失墜したときに、ムシャラフとナワーズの間を取り持とうとしたこともある。

PMLのある関係者が、ニアーズがシャリーフの弟とロンドンで会ったことを認めているが、それは個人的な理由だったと説明した(中略)。しかし権力の分かち合いに関わる、大きな問題を話し合ったと思われる。ワシントンとロンドンは、シャリーフが「テロとの戦争」を支持し、彼が宗教関係者たちと近いことから、過激主義を制御することができるのではないかと見ている。

ここ数日が重要だ(中略)。元中隊長だったハリッド・ハジャワが、次のように語った。「我々はこれらの動きを知っている。私は最近、アラブ首長国連邦で、ある人物と会った。彼によると、アメリカの本命は初めからナワーズ・シャリーフだったと言っていた。その理由は、彼は過激派内と繋がりが