【2008年1月28日〜2月3日】


■ベナジール・ブットー、墓の中からビンラディンの息子を非難[080203 Sunday Times]

日曜日に『The Sunday Times』が入手したベナジール・ブットーの死後に発表された自伝で、ブットーは彼女を暗殺するための4つの「暗殺集団」の1つの責任者として、ビンラディンの16歳の息子を名指しした。

12月にラワルピンディで暗殺された元パキスタン首相は、ムシャラフと「親切なムスリム政府」に、ハムザ・ビンラディンが自分を暗殺しようとしていると警告したという。

ビンラディンの10代の息子の名前が出たことで、ハムザが次期アルカイダ責任者になる可能性があるという諜報情報を確実なものにするといえる。

新しい自伝のなかでブットーは、「ムシャラフと外国のムスリム政府に、4つの自爆攻撃集団が私を殺害しようとするだろうと伝えた。私が入手した報告によると、タリバン軍閥のバイトゥッラー・マフスード、ビンラディンの息子のハムザ・ビンラディン、ラール・マスジッドの武装勢力、そしてカラチを拠点とした武装勢力が私を狙っている」と語った。

ハムザは、2001年に南ワジリスタンのパキスタン軍の基地が攻撃された際、タリバンとアルカイダが一緒に映った短いビデオに登場しただけで、彼の話題が公になったことはない。

去年の9月、ハムザはアルカイダの幹部責任者として、パキスタンとアフガニスタンの国境付近でジハードを行なっているという報告書が発表された。

ブットーの自伝では、自爆犯がカラチで自分を殺そうとした事件に言及し、赤ん坊の服の下にプラスチック爆弾を縫い付け、赤ん坊を爆弾にした犯人について説明した。彼女によると、ある男性が赤ん坊を彼女に抱かせようとして、彼女が乗っていた車のそばにいた警察官に子供を手渡した直後に爆発が起きたという。

ohBhutto accuses Osama Bin Laden's son from beyond the grave
Dean Nelson and Ghulam Hasnain

■アルカイダの「殺害」に疑問[080202 BBC]

アル・リビの場合のように、アルカイダの重要な工作員の死をイスラーム過激派がウェブサイトで発表することは稀だ。これまでアルカイダ責任者の声明を掲載してきた『Ekhlaas.org』と『as-Sahab』の2つのウェブサイトが、リビの死を発表した。

通常これらのウェブサイトやアルカイダとその関係者は、工作員が殺害されたことを否定する。組織の幹部が殺害されれば、メンバーが士気喪失する可能性があるからだ。

今回のことは、2つのことを意味する。

アル・リビが北ワジリスタンのミールアリ近くの村でアメリカのミサイル攻撃で殺害されたことを、隠し通すことができなくなったから。または生きているにもかかわらず、彼が死んだと発表して追跡の手から免れることである。

ミールアリ近くの村は、パキスタン政府の支配の及ばない地域であるために、彼の死を証明する証拠を入手することは難しい。アフガニスタンにいる米軍やNATO軍の基地からも遠い。

ミールアリから南に2キロ離れたフーシャリ・トリヘール・ワジール村でミサイル攻撃があった4日あとになっても、パキスタン政府は空爆があった事実や死者の数、またその身元を特定できない。

政府と軍は、関係者を村に派遣することは難しく、また危険だと考えている。

北西辺境州知事のオワイス・アフマッド・ガニが記者が語ったところによと、政府はやっと関係者を村に派遣したという。しかし、 政府が村で得た情報を公開するかどうか、疑問である。

確かな証拠がないために、さまざまな憶測が飛び交っている。

北ワジリスタンのパキスタン人タリバンは、死亡したアラブ人や中央アジア人13人の中に、アル・リビは入っていなかったと主張している。しかしアル・リビが最近この地域にいたことは、認めている。

いくつかの報告から、アル・リビは攻撃があった時期に家にはいなかったが、彼の部下のアブ・サヘルがいて、殺害された可能性が考えられる。

もしアル・リビが殺害されたとすれば、アルカイダにとっては大きな損失だ(中略)。

もしアル・リビがパキスタンで死亡したことが確認されれば、みなが信じているように、ザワヒリやビンラディンでさえもがパキスタンの部族地帯に隠れている可能性が真実味を帯びてくる。アルカイダやタリバン戦闘員を追跡するために、アメリカがパキスタンの部族地帯に軍を派遣する許可を得る正当性も出てくる。

smellAl-Qaeda 'killing' spawns doubts
Rahimullah Yusufzai、Peshawar

■治安部隊関係者6人、北ワジリスタンの自爆攻撃で死亡[080202 News]

金曜日に北ワジリスタンのハジュリ検問所に、爆発物を搭載した車に乗った男が激突し、治安関係者6人と一般市民を含む15人が負傷した。

検問所は北ワジリスタンの入り口の、バヌーとミランシャーを結ぶ道路に設置されている(中略)。

今回の攻撃は、無人偵察機がミラリ近くの村を攻撃したことへの報復と思われる。国際メディアによると、今回のミサイル攻撃でアルカイダのナンバー3であるアブ・ライス・アル・リビと仲間12人が死亡した。

部族の情報源によると、南ワジリスタンのバイトゥッラー・マフスードの仲間たちが、リビの報復をしたのではないかと語った。リビはバイトゥッラーと良い関係にあったという。

hoonSix security men killed in N Waziristan suicide attack
Javed Afridi & Haji Mujtaba、PESHAWAR/MIRANSHAH

■パキスタンの攻撃、なかなか進まぬアルカイダ捜索に拍車[080201 Reuters]

今週パキスタンでアルカイダ幹部責任者のアブ・サイス・アル・リビがミサイルで殺害されたことは、アメリカにとってはこの2年の間のアルカイダとの戦いにおいては、最大の成功だった。

2005年にパキスタンの工作員がブルカを被ったアルカイダのナンバー3を逮捕したあと、同年12月にその後継者となったハムザ・ラビアが同じようなミサイル攻撃で殺害された。

ラビア同様リビは、北ワジリスタンのミールアリ近くの村で使用していた民家を無人偵察機で攻撃された。

(中略)リビはビンラディンの組織の重要なメンバーだったが、アルカイダ組織のどのような地位にいたかは、アナリストの間で意見がまちまちだ。

たった3ヵ月前にはザワヒリとともにビデオに登場して、アルカイダが、すでにアフガニスタンでタリバンやアルカイダとともに戦っているLibyan Islamic Fighting Groupが合体したことを表明していた。

『アルカイダの中』の著者であるローハン・グナラトナによると、リビはアルカイダとリビア、アルジェリア、ウズベク、トルクメンなどのイスラーム過激派組織を統合する役を負っていたという。「彼は、北ワジリスタンに訓練を受けに来る欧米に住むパキスタン人過激派たちを世話していた」という。リビは熟練した戦士だったが、訓練が主な仕事で、作戦を指揮していたかどうかは疑わしいという。

外の世界の者は、ビンラディンやザワヒリ以外のアルカイダのメンバーを知らない。欧米政府関係者によると、リビはアルカイダのグローバル部門と軍事幹部司令官の上位6人の中に入るという。

(中略)パキスタンの部族地帯を管轄していた元治安部隊責任者のマフムード・シャーは、リビは北ワジリスタンで活動している4つのアルカイダ組織のうちの1つを動かしていたにすぎないと語る。「アルカイダはいくつもの集団を持っている。彼は3番目の集団に属し、この集団にはたくさんの人間がいる」。

グナラトナによると、ザワヒリの仲間のエジプト人2人が、この地域の作戦を請け負っているという。その1人のオバイダ・アル・マスリが、パキスタン紙によると、彼はリビとともに月曜日の攻撃で死亡した。

ベテランジハード者のシャック・サイード・アル・マスリがアフガニスタンの作戦の責任者で、アルカイダの10人議会のメンバーの1人である(後略)。

hoonPakistan strike ends lean time in al Qaeda hunt
Simon Cameron-Moore、ISLAMABAD

■タリバン打撃を受けるが、戦闘は続く[080202 Asia Times]

今週アブ・ライス・アル・リビが殺害されたことで、タリバンは最大の打撃を受けた(中略)。しかし長期的な目でみれば、彼らには支持者はたくさんおり、大きな障害とはないだろう。

(中略)欧米のメディアはアル・リビをアルカイダのナンバー3と表現しているが、彼が有名になったのは、アルカイダとの関係のためではない。彼はアフガニスタンの占領軍に対するアフガン抵抗運動の最高司令官であり、タリバンが成功を収めた作戦、特にアフガニスタン東部の作戦すべての首謀者である。

リビは、アフガニスタンのジハードにすべてを捧げた戦士だった。パキスタン軍関係者も、彼のゲリラ戦法や人々を統率する能力を評価し、「真のムジャーヒッド」と賞賛した。

これまで何度かパキスタンの治安部隊が彼を追い詰めたが、捕まえることはできなかった。逃げた後で彼は軍関係者にメッセージを送り、戦うことはできたがムスリムと戦う意思はなく、逃げることを選んだと述べた。

去年殺害されたダドゥッラー師は、去年バグラムを攻撃したと主張していたが、実際に攻撃を計画したのはリビだった。NATOもこれを認めている。アフガン人司令官、特にシラージュッディン・ハッカーニの作戦は、すべてリビが考案したものである。

アフガニスタンで戦うアラブ人たちは、すべてアルカイダだと考えられている。しかし、これは誤りである。アフガニスタンには、アラブ人のいくつかのグループがいる。彼らは全員がアルカイダではない。リビもそうだ。彼はアルカイダに協力するのではなく、常に自分で決断を下していた。彼は国際的なテロ行為には関与せず、アフガニスタンのNATO軍とだけ戦い、戦闘員たちに現代的なゲリラ戦法のテクニックを教えていた。

リビは、タリバンにとっては最高のインストラクターだった。2006年にNATOに破壊されたコハートのシャンキアリ訓練所も、彼が作った。対空ミサイルの使用法など、さまざまな技術をアフガン人たちに訓練した。

またシェイク・エッサのように、パキスタン政府に抵抗するように部族地帯で人々を先導する学者ではない。またザワヒリのように、欧米を破壊することを呼びかける預言者でもない。リビはアフガニスタンにいるNATOに対して防衛戦(抵抗の戦い)を戦い、パキスタンを攻撃することに反対する、単純な戦士だった。彼は仲間と生活し、外国で戦い、その成果は世界に大きく反響した。

彼の死により、ワジリスタンのタクフィリ思想が、ますます強くなるだろう。タクフィリたちは、たとえムスリムであっても、敬虔な者以外に対しては戦いを挑む。パキスタン攻撃も含まれる。リビは彼らを制御していた。そしてタリバンは、アフガニスタンに狙いを定めている。

《ショーは続く》

アフガニスタン東部のNATO軍司令官、デビッド・ロドリゲツは、タリバンはパキスタン政府を不安定にすることに焦点を当てているために、春の攻撃はないだろうと述べた。

しかし、これは間違いである。オマール師は、パキスタン人タリバン責任者のバイトゥッラー・マフスードを「更迭」することで、すべての抵抗運動はアフガニスタンで実施しなければならないことを、明らかにしている。バイトゥッラーは、パキスタンを標的にしている。

リビの死で、春の攻撃は活発になる。ヘルマンド州からタリバンの使節団が、南ワジリスタンに到着した。これはいくつかの組織を統括し、春の攻撃のために一致団結させるするためである。

マフスードも、今後はパキスタンの治安部隊とマフスードとの間の敵対関係に終止符を打ち、アフガニスタンに目標を定めるよう圧力がかけられるだろう。

マフスードや他の新たな組織を別として、部族地帯のすべてのジハード組織が、パキスタンの治安部隊と和平協定を結んだ。そして春の攻撃のために、再結成している。

ハラカトゥル・ムジャヒディン・アル・アシミ、ハラカトゥル・アンサール、ララカティ・ジハーディ・イスラミ、アンサルス・スンナ、アンサルス・ムスリムーンは、メンバーや物資をすべてワジリスタンに移し、アフガニスタンでの新たな攻撃に備えている。

これらの組織は、それぞれの武器、数百万ドルの資金、数百人の戦士、さらに補給物資や金を持っている。

1950年代にワジリスタンで英軍を、そしてパキスタン軍を敗北させたアピのファキールの伝説は、彼の子孫、北ワジリスタンのハーフィズ・グル・バハドゥールに受け継がれている。グルはテヘリーキ・タリバン・パキスタンの副責任者で、マフスード族の長でもある。オマール師がバイトゥッラー・マフスードを更迭したあと、グルはパキスタンの治安部隊と和平協定を結んだ。

南ワジリスタンのタリバンの元責任者、ワジール族のハッジ・オマルもバイトゥッラーと袂を分ち、現在北ワジリスタンで暮らす。彼も治安部隊と和平協定を結び、現在アフガニスタンのために資金とメンバーを集めている。

ミールアリを拠点とするウズベク人も、ウズベキスタンイスラーム運動を率いるタヒール・ユルダシェフから離反し、アフガンタリバンと協力し始めた。こうなるとマフスードは、ラシュカレ・ジャングヴィとシェイク・エッサが率いるアルカイダ内のタクフィリ・グループとともに、孤立することになる。

いっぽうパキスタンの警察は、カラチでカシーム・トゥーリを逮捕したと発表した。当初彼は死亡したと伝えられていたが、警察によるとトゥーリは負傷しているだけだという。彼の組織は、マフスードの組織に資金を調達していると思われている。

こうしてマフスードは資金源にも困り、完全に孤立化した。リビの死で最大の痛手を受けると思われる。

リビの死で、タリバンは確かに打撃を受けた。彼は稀な才能を持つ、野戦司令官だった。しかし、タリバンの春の攻撃の準備はすでに彼の死の前から始まり、今やさらに急ビッチで進んでいる。

hoonTaliban take a hit, but the fight goes on
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■パキスタンの攻撃、なかなか進まぬアルカイダ捜索に拍車[080201 Reuters]

今週パキスタンでアルカイダ幹部責任者のアブ・サイス・アル・リビがミサイルで殺害されたことは、アメリカにとってはこの2年の間のアルカイダとの戦いにおいては、最大の成功だった。

2005年にパキスタンの工作員がブルカを被ったアルカイダのナンバー3を逮捕したあと、同年12月にその後継者となったハムザ・ラビアが同じようなミサイル攻撃で殺害された。

ラビア同様リビは、北ワジリスタンのミールアリ近くの村で使用していた民家を無人偵察機で攻撃された。

(中略)リビはビンラディンの組織の重要なメンバーだったが、アルカイダ組織のどのような地位にいたかは、アナリストの間で意見がまちまちだ。

たった3ヵ月前にはザワヒリとともにビデオに登場して、アルカイダが、すでにアフガニスタンでタリバンやアルカイダとともに戦っているLibyan Islamic Fighting Group