【2008年4月7日〜 4月13日】


■アフガン人は誰の味方?[080412 Daily Telegraph]

英軍がヘルマンド州のムサカーラをタリバンから奪回するために2年間かかったが、アフガニスタンでは毎日のように地元民に裏切られていると、トン・コーリンが報告する。

英軍はアフガン人たちを守るためにアフガニスタンに駐屯しているが、アフガン人と英軍兵士との関係を向上させることは、好意の印でもある。タリバンと英軍との間の戦いで崩壊した地元の学校を再建するために、2人の職人が雇われた(中略)。

職人は計画どおりやってきて、教室を塗り始めた。しかし彼らが50マイルほど離れた自宅に帰る時間が来ると、関係者は心配しはじめた。民衆は英軍に敵意を持つからだ。

英軍は2人を帰宅させるために、ヘリコプターを呼ぼうとした。道路はタリバンに狙われるためだ。しかし職人はそれを断わり、陸路で帰れるか、運を試してみると述べた。しかし彼らは帰宅できなかった。タリバン戦闘員に襲撃され、英軍のために働く職人だということがわかると、すぐに絞首刑にした。

12月に英軍がムラカーラを奪回すると、ヘルマンドの治安の向上の大きな一歩として賞賛された。英軍が2年前にタリバンの拠点であるこの地域に進出して以来、戦いが絶えない。英兵91人が戦場で死亡している。

2006年にヘルマンドをタリバンから奪回すと、当時NATO軍司令官だった英軍のデビッド・リチャーズ将軍と長老たちとの間で取り引きが交わされ、町は長老たちに引き渡された。数ヵ月後、町は再びタリバンの手に落ちたために、英軍は再び戦いを開始しなければならなかった。

今週空軍司令官のジョック・スターラップ卿とムサカーラを訪れると、この地域は再び英軍の支配下にあった(中略)。しかし村人にタリバンに協力しないように説得することは、並大抵のことではない(中略)。

軍事的に、英軍はヘルマンドでさまざまなことを成し遂げた。すべての町を英軍が支配している。しかしアフガン人たちを再建プログラムで援助することは、また別のことだ。町の住民は、イギリスによる「解放」に敵意を持っているからだ。

「地元の人間は目をみてくれない」と、若いパトロー隊員が語る。「下を見つめてすれすがう」「歓迎されているという気持ちになれない。どのような風向きになるか、彼らはじっと待っている感じだ。我々がここに留まることができるのか、それともタリバンがまた帰ってくるかと。誰がここを支配するかがはっきりするまで、協力するつもりがないようだ」。

ジョック卿は、ヘルマンドの成功は、アフガン人たちが国を再建するための第一歩だと信じている。「再建と治安の回復は同時に行なわなければならない。そして治安は、アフガン人によって確立していくべきだ」。「現実的にならなけれぱならない。我々は約束したら、実行しなければならない」。

しかしタリバンは、再建プログラムが英軍の成功にいかに大切かを熟知しているために、NATO軍に協力するアフガン人たちを攻撃する。カンダハルでは、イギリスのために働く請負会社の家族が拉致された。NATO軍兵士に懐中電灯をもらった12歳の少年が、首を斬られた。

さらに英軍基地から離れた地域の治安を確保することは、難しい。人材や設備、特にヘリコプターが足りないためだ(中略)。英軍の基地があるキャンプ・バイトンからムラカーラに行くためにジョック卿は、まず古いシー・キングヘリコプターで飛ばなければならない(中略)。

人英材不足や機材の不足は何とかなるとしても、英軍幹部関係者は再建計画の経験は深くない。最近の大きな成功としては、タリバンに協力していた長老数人を、味方につけことだ。ムラカーラ知事のムッラー・サラームは、元タリバン責任者だ。彼は去年の暮れに、イギリスに協力することにした。警察や治安関係者も、味方をについた。しかしNATO司令官たちは、彼らは本当はどちらの味方なのかいまだにわからず、警戒している。「我々が言ったりやったりすることが、タリバンに筒抜けになっている可能性がある」と、ある英軍関係者が認めた。

殺害された2人の職人に関しても、英軍関係者たちは、警察関係者が2人の身元を知っていたと確信している。しかし何らかの対処をしたら、彼らと関係のある人間たちがさらに報復される可能性があるために、何もできないでいる。一緒に働いているアフガン人リーダーの多数が、まだタリバンとの関係を保っていることも確かだ。

アフガンの部族民たちの忠誠心は、常に変わるものだ。イギリス人たちは、アフガン人の言葉を信用できないことを熟知している。「諺がある。アフガン人を借りることはできる。でも買うことはできない」(後略)。

hoonWhose side are the Afghans on?
Con Coughlin

■カイバルでひと騒動[080411 Asia Times]

(前略)タリバンは新たな春の攻撃で、アフガニスタンとパキスタンの国境地域、特にカイバル峠を狙う可能性が高い(中略)。

3月29日に国境の町トルハムに、合同諜報センターが設置された。全部で6つのセンターが予定されているが、そのうちの1つである。それぞれ国境の両側に3ヵ所ずつ設置され、それぞれ300万ドルが費やされる。

(中略)この新しい国境センターは、NATO軍とアフガニスタンとパキスタンの諜報組織との間で諜報情報を共有する目的で作られ、5〜20人の諜報組織の人間が待機する。革新的なのは、アメリカの偵察機から送られてくる映像を、リアルタイムで見られることだ(中略)。

このような華々しい説明にも関わらず、1つだけ問題がある。パキスタン軍は、このプロジェクトにあまり協力的ではないことだ。パキスタン軍報道官のアサール・アッバス少将によると、「現在、関係者によってこのプロポーザルは高く評価され、注目されている。しかしパキスタンはこの件に関して、まだ検討中だ」。

アッバスを始め他の関係者は、このプロジェクトに関するパキスタンの考えを明らかにすることを拒否し、いつまでに決議するかさえも明らかにしていない。このプロジェクトに協力するかどうかは、パキスタンのギラニ首相が、タリバンなどの武装勢力に対してパキスタンがどういう態度を取るかに左右されるようだ。新首相は、武装勢力に対して軍事行動を取るのではなく、話し合いを主張している。ISIがタリバンに関する情報を共有するかも、明らかではない(中略)。

《辺境地域におけるアメリカの介入》

パキスタンの辺境地域の治安を向上させ、タリバンの影響を軽減させるために、アメリカはさまざまな策をとっている。経済援助を与えたり、国境警察隊を訓練したり、CIAの監視態勢の強化をはかったりである。

CIAは無人偵察機を飛ばして情報を入手し、タリバンの隠れ家などをミサイルで攻撃する。そのためにパキスタンは、アメリカが国境地域で軍事作戦をするのではないかと、憶測している。

3月30日にマイケル・ハイデンCIA長官が、アフガニスタンとパキスタンの国境地域から、アメリカに対してテロ攻撃が実施されるだろうと言い切った。「もしテロ攻撃が今後発生したら、それは国境地帯で計画されるだろう」(中略)。またビンラディンとザワヒリはパキスタンの部族地帯におり、そこで「欧米人のように見える工作員」を訓練していると述べた(中略)。

《トルハム・ゲート》

有名なカイバル峠の終点であるトルハムに最初の諜報センターが設置されたことから、この町の重要性がうかがわれる。

トルハムは、アフガニスタンにいる米軍とISAF軍に補給物資を供給する入口であり、タリバンの春の攻撃の標的の1つだと言われる。アフガニスタンのナンガルハル州とパキスタンのカイバル行政区の間のトルハムは、両国にとって経済的に非常に重要な町である。

すでにタリバンは、トルハムを攻撃している。3月20日には、アフガニスタンの同盟軍に燃料を運んでいたオイル・タンクローリー40台が爆破された。当時アフガニスタンに入るために、タンクローリー70〜100台が通関のために足止めされてい。

この攻撃の前日、米軍将校が、軍事物資の輸送車がトルハムを通関するための手続きを簡略化させようとしたが、パキスタンの税官吏関係者は将校と会うことも拒否した。通常トルハムでは、車は通関のために20日間駐車場で足止めをくらう。

軍のバグラム基地からトルハムにファックスされるべき許可書が遅れたために、問題が生じていた。これらのファックスが届かなければ、車はアフガニスタンに入れない。タンクローリーの運転手が、パキスタン国内で道すがら燃料を売り、その後トルハムで自分たちの車に放火し、補償金を受けようとしたという疑いもかけられている。

パキスタンが2年前に国境ゲートを廃止したために、トルハムでは密入国が盛んになった。アフガニスタンとパキスタンはNATO関係者を交えて、国境ゲートを復帰させるために話し合いを行なったが、合意に至っていない(中略)。

《結論》

パキスタンが諜報情報の共有に前向きではないことから、さまざまな疑問が生じる。ISIはいまだにアフガン・タリバンに協力しているのか? 軍と諜報組織に行政は及ばないのか? タリバンと協力するが、タリバンの仲間であるアルカイダとは協力しないことなど可能か? なぜ辺境地域の警備は、装備も訓練を上回る正規軍ではなく、貧弱なパシュトゥの国境警察隊員が受け持つのか?

4月3日に、ギラニ首相がキアニ陸軍参謀長と治安やテロリズムに関して話し合ったあと、「政治的、経済的開発に基づき、信頼のおける武装勢力の協力のもとで」テロ政策を行なうとことが発表された(中略)。

いっぽう国境問題に関しては、協力態勢の欠如が指摘されるが、それは各要員に責任がある。タリバンは、アフガニスタンの国際軍を維持していくための弱点として、補給物資が運ばれるトルハムを狙っている。兵站学的にも、トルハムは弱点である。官僚的な仕事ぶりや内輪もめのために諜報情報が共有できないでいることは、アフガニスタンの作戦を危ういものにする。

garrCarryings on up the Khyber
Andrew McGregor

■米国連大使、辞任予定[080411 BBC]

アフガニスタンの大統領選に立候補すると噂されているザルマイ・ハリルザドが、数ヵ月のうちに国連大使を辞任すると述べた。

このアフガン生まれの外交官は、アフガニスタンのアリアナ・ネットワークのテレビインタビューに答えた。「数ヵ月のうちに仕事を辞任して、個人的なビジネスを開始する」と、ハリルザドが述べた。

ハリルザドはイラクとアフガニスタンの米大使を勤めたあと、2007年4月に国連大使になった。カブールでは「総督」、あるいはアフガニスタンの実の大統領と言われた。また駐バグダッド大使として、イラク国内で最も力のある人間の1人となった。

ニューヨークで実施されたアリアナのインタビューに応じたハリルザドは、アフガニスタンの大統領に立候補する計画はないと、噂を打ち消した。「私はアフガニスタンでなんらかの地位に就くつもりはない。しかしアフガン人のためには尽くしたい」。

1951年生まれでパシュトゥ語とダリ語を話すハリルザドは、レバノンで教育を受けたあと、家族とともに1970年代中頃にアメリカに渡り、アメリカ市民となった。

国連の米報道官は、ハリルザドには「辞任する計画はない」と述べた。

hoonUS ambassador to UN to step down

■タリバン、話し合いについて語る[080411 Asia Times]

先週パキスタンの北西辺境州ダラ・アダムヘール地区のインダス・ハイウェイにかかる橋が破壊され、タリバンはパキスタンからアフガニスタンのNATO軍へと補給物資が運ばれるルートを遮断した。

先週開催されたサミットで、モスクワは、食料や非軍事物資の輸送、「非致命的ではない軍事物資」がロシア経由でアフガニスタンに運ばれることを認めた。しかしタリバンは、協定が結ばれても、自分たちの状況に打撃を与えるものではないと考えている。NATO軍は、パキスタンを通じてアフガニスタンに入ってくる物資の70%が、タリバンの妨害の影響を受けていることを認識している。

タリバンの戦いは、新たな局面に入った。これまでのゲリラ戦法ではなく、伝説的なベトナム人司令官 ヴォーグェンザップ将軍がとった戦術を採用した。すでに部族地帯にいるパキスタン軍は、この戦術により手なずけられた。

「タリバンは周到に統率された戦術を採用し、孤立した軍の駐屯地を一時的に占拠して敵を捕虜にし、その後彼らを解放する」とタリバン報道官の「ドクター・ジェラー」がクナール州からの電話で語った。

「これはヴォーグェンザップ将軍のゲリラ戦術の、第2段階である。第3段階は、昔ながらの1対1の戦いだ。これで敵の意気が失われる」と、ジャラーが述べた。「雨で少し遅れをとってしまった。しかし4月の中旬になるころ、我々の動きがわかるだろう」。

ジャラーによると、タリバンはすでにヌーリスタン州で攻撃を開始して、米兵数人を殺害したという。報復で爆撃されたが、一般市民が犠牲になっただけだと述べた。

2007年にタリバンとアルカイダは、南ワジリスタンでパキスタン軍を相手にこの戦術を採用した。バヌーのような孤立した軍の駐屯地やその他の施設を標的にする。数時間目的地を占拠して、兵士何十人をも捕虜にした。人質は、逮捕されたタリバンと人交換されたり、対戦協定を結ぶための多と引きととして使われる。

タリバンの新たな戦術は、今はタリバン運動に参加している元パキスタン陸軍関係者たちが考えだしたものだ。カシミールの抵抗運動のために訓練を受けた、ISIのインド部門の人間の協力を受けている。

これらの「ネオ・タリバン」は、アフガニスタンの抵抗運動の形を変えた。これまでと違って、マンパワーを無駄に失わないように気をつけている。2008年におけるタリバンの活動は、アフガニスタン東部が中心となる。

「タリバンの90%で、春の戦いの準備が整った」と、パキスタン人タリバンが語った。「1万人が新たに我々の仲間になった。これらのうちの半分が訓練を終え、旧メンバーとともにすでに動き始めた。残りの5000人が現在訓練を受けて、第2弾として今後活動は開始する」。

「NATOの補給線の遮断は、我々の作戦の助奏にすぎない。別の補給線を確保するために交わされたNATOのロシアとの取り引きも、意味がない。NATOはパキスタンなしでもやっていけると、パキスタンにプレッシャーをかけるためのポーズにすぎない」。

(中略)アフガニスタンに軍事物資をいかに供給するかが、アメリカにとっての最大の課題になりそうだ。リチャード・ボウチャーとジョン・ネグロポンティが最近パキスタンのカイバル行政区を訪れ、長老たちを味方につけようとした。しかしタリバンが脅迫したため、この秘密の会合に集ったのは、たった3人だけだった。

(中略)ネオ・タリバンという新しい世代が、シラージュ・ハッカーニのもとに集結した。彼らはイデオロギー的に、これまでよりいっそう原理主義的傾向が強いが、カシミールのインド軍やパキスタン軍と戦って経験を積んだ人間が、周到な戦術を練っている。

hoonThe Taliban talk the talk
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■アフガニスタンの自爆で8人死亡[080410 AFP]

木曜日にアフガニスタンの国際軍の車列を標的とした、車を用いた自爆攻撃があり、一般市民8人が死亡、外国兵3人を含む24人が負傷した。

カンダハルの空港に向かう道路で起きた今回の攻撃に対して、タリバンが犯行声明を発表した。

「8人が死亡し、警察官2人を含む24人が負傷した。自爆攻撃だった」と、州警察長官のサイード・アガ・サキーブが述べた。外国軍の車列が通過したときに、爆発があったという。

NATO軍報道官が、この爆発で外国人兵士3人が負傷したと述べた(後略)。

hoonSuicide blast in Afghanistan kills eight
Nasrat Shoaib、KANDAHAR

■アルカイダの幹部司令官、死亡か[080410 Washington Post]

アルカイダの作戦計画責任者が去年、パキスタンの僻地で病死したようだと、米対テロ関係者が水曜日に述べた。

関係者によると「はっきりした証拠」から、アブ・オバイダ・アル・マスリは肝炎を煩い、死亡したと思われる。マスリはエジプト人で、2005年に起きたロンドンの爆弾事件や、翌年の航空機爆破未遂事件を計画していた。

関係者はマスリが死亡したことに対する詳しい情報や、米諜報組織がどのような経緯で情報を入手したかは語らなかった。

マスリは2006年にも死亡が伝えられた。このときパキスタン関係者が、彼のほかにアルカイダ幹部高官3人が、パキスタンの部族地帯のダマドーラで、無人偵察機からミサイルで攻撃されて死亡したと報告した。しかし後になってアメリカとパキスタンの治安関係者が、当時村にはアルカイダ幹部関係者たちはいなかったと述べたが、彼の死亡説は数ヵ月間噂された。

アルカイダのプロパガンダ部門やパキスタン関係者は、マスリが死亡したことを確認してはいない。北ワジリスタンのタリバン関係者も、マスリの死は確認されていないと述べた。これまでアルカイダは幹部関係者の死をインターネットで発表し、殉教者として賞賛してきた(中略)。

マスリはアルカイダ内部の人間として、最も謎に満ちたメンバーの1人である。アメリカやヨーロッパ、パキスタンの関係者も、彼の本名はわからないという(中略)。

40代中頃と言われ、アフガニスタンの聖戦のベテラン戦士だった。その後2001年にアフガニスタンに米軍が侵略して、アルカイダの作戦計画者が次々死亡すると、アルカイダの幹部クラスの地位に一気に上がり詰めた。

「基本的に、欧米に対するアルカイダの攻撃を担当していた」と、米対テロ関係者が述べた。マスリはヨーロッパに多数の知り合いがおり、1990年代にはヨローッパ中を旅し、その後2000年にアフガニスタンに戻ったといわれる(中略)。

マスリは2006年10月にも、ミサイルで狙われた。当時彼はザワヒリと一緒に、パキスタン北西部のチンガイにあるマドラッサを訪問予定だった。パキスタンのヘリコプター戦闘機が80人以上を殺害したが、マスリとザワヒリはこの中にはいなかった。

パキスタンの関係者によると、マスリは、1995年にイスラマバードのエジプト大使館を狙った自爆事件にも関わっていたという。この事件で17人が死亡した。

hoonSenior Al-Qaeda Commander Believed to Be Dead
Craig Whitlock and Karen DeYoung、BERLIN

■アルカイダ責任者アル・マスリ「死亡」[080409 BBC]

アフガニスタンでアルカイダによる攻撃を計画していた幹部責任者アブ・オバイダ・アル・マスリは死亡したと思われると、米諜報関係者が述べた。

イギリスなどで攻撃を行なっているアルカイダの重要人物であるマスリは、「自然死」したようだと述べた。「彼は死亡しているようだ」と、米関係者が述べた。

米関係者が『BBC』に、マスリはおそらく肝炎のために、過去2ヵ月の間に死亡したようだと述べた。エジプト生まれのこの過激派は、アルカイダ責任者の中心人物だったと言われている。

アフガニスタンの元軍事司令官だったマスリは、タリバン政権崩壊後はアメリカ主導軍に対する攻撃を指揮していた。その後欧米でも、攻撃を開始した。

死亡する前にはパキスタンの部族地帯に隠れていたと思われるが、彼は非常に高い地位にいたために、後継者はまだ決まっていないはずたという。

彼は謎の人物で、本名はいまだにわからない。アブ・オバイダ・アル・マスリは、「エジプト人オバイダの父」という、アラビア語の仮名である。

これまでマスリは、2度暗殺計画を免れている。パキスタンの関係者によると、2006年にアフガニスタンとの国境近くの村をミサイルで攻撃して殺害したと報告したが、後に当時彼は村にいなかったことがわかった。同じ年に再び別のパキスタンの村でミサイル攻撃を実施したが、標的には当たらなかった。

Asia Pacific Foundationのテロ専門家のゴーエル氏によると、マスリは爆発物の専門家だった。またヨーロッパに住むパキスタン系ムスリムにイスラーム過激主義を広め、パキスタンに連れて来て訓練していたという。「テロの捜索をしていると、常にパキスタンに導かれる。マスリはパキスタンにあるアルカイダの拠点の重要人物だった」と『ロイター』に述べている。

hoonAl-Qaeda leader al-Masri 'dead'

■アフガニスタンの武力衝突でNATO兵士含む35人死亡[080408 AFP]

火曜日にNATO主導軍兵士1人と一般市民17人を含む35人が、アフガニスタンで死亡した。

ザーブル州では、タリバンによる攻撃で道路建設に従事していた17人の一般市民が死亡した。「敵が、ザーブルで道路建設を行なっていた一般市民の労働者を殺害した。17人が死亡し、16人が負傷した」と、内務省報道官のゼマライ・バシャーリが述べた。

これに対抗してアフガン軍と外国軍がタリバンを攻撃して、抵抗勢力7人が死亡し、12人が負傷した(中略)。「事件のあと、アフガン国軍と警察、国際軍が現場に急行して敵を追い払い、7人を殺害して12人を負傷させた」。

タリバン報道官のユースフ・アフマッドが、「我々の犯行だ」と後にべた(中略)。

いっぽう火曜日にガズニ州で爆発があり、NATO軍兵士1人が死亡、別の1人が負傷した。ガズニ州では月曜日にも爆発があり、ポーランド兵2人が負傷している。(中略)。

さらにヘラートのシンハンド地区で、抵抗勢力が警察の検問所を攻撃して、警察官2人が死亡した(後略)。

hoonNATO soldier among 35 killed in Afghan violence
Nasrat Shoaib、KANDAHAR

■アフガン軍閥攻撃で、16人死亡[080407 AP]

アフガニスタン北東部で、米軍とアフガン軍による空爆で16人が死亡したと、州知事が述べた。隊は、武装勢力責任者を捜索中に空爆を行なった。

タミーム・ヌーリスタニ知事によると、日曜日に戦いが発生したヌーリスタン州のドハビ地区に、警察が到着したという。アフガン軍と米軍主導軍は、ドハビ地区でグラブディン・ヘクマチアルが他の幹部司令官たちと会合を開いたと主張している。

別の州関係者によると、数時間続いた戦闘で、一般市民多数が死亡した。ヌーリスタニは月曜日に、死亡した16人が一般市民かどうか決めるには時期尚早だと述べた。

米軍関係者とアフガン国防省は、一般市民が死亡したことを否定している。

hoon16 die in strike against Afghan warlord
KANDAHAR

■アフガン、「タリバン司令官逮捕」[080407 BBC]

アフガン政府関係者によると、タリバンの幹部司令官がカンダハルで逮捕された。

アフガニスタン南部のタリバン副責任者のムッラー・アブドゥル・ジャバールが、パキスタンに向かっていたところを逮捕された。

タリバン報道官が『BBC』に語ったところによると、ムッラー・アブドゥル・ジャバールが逮捕されたという情報はないという。

最近、タリバンの幹部司令官2人が逮捕されている。今月初めには、ヘルマンド州でムッラー・ナキブッラーが逮捕された。ナキブッラーは、収容所から2度脱走したパシュトゥーンの抵抗勢力司令官だった。また2ヵ月前にパキスタンの治安部隊が、マンスール・ダドゥッラーを逮捕している(後略)。

hoonAfghans 'seize Taleban commander'

Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2008.