【2008年6月2日〜 6月8日】


■戦争と平和の狭間で[080603 Asia Times]

(前略)先週アメリカのバグラム空軍基地から、ガイラット・バヒールが釈放された。ガイラット・バヒールはヒズビ・イスラミ・アフガニスタン(HIA)の責任者、グルブッディン・ヘクマチアルの義理の息子である。彼は2002年にアメリカの圧力により、イスラマバードにてISIに逮捕された。その後FBIに引き渡され、最終的にバグラムに連れて行かれた。最近はカルザイ政権に協力することを約束したために、カブールのプリ・チャクキ刑務所に移送されていた。

釈放直後カブールの大統領宮殿で迎えられ、武装勢力司令官との仲介役を引き受けるという条件で、HIAに強力な地位を政府内で与えることを約束された。ハッカーニとヘクマチアル、そしてアメリカに支援されたカルザイ政権の間を仲介する役目である。

ビハールの釈放は、ジハードの組織から歓迎された(中略)。彼の解放に先立ち、NATOはヘルマンド、ファラ、バッドギス、ヘラートなどのタリバンといくつかの和平協定を結んだが、タリバンが4月に春の攻撃を開始すると破棄された。

《平和をもてあそぶ》

パキスタンもアフガニスタンも、このような協定は長くは続かないことを承知しているが、平和が短命であることがわかりながらも、彼らと取り引きしている(中略)。そのよい例が、パイトゥッラー・マフスードである。

タリバン責任者のオマール師は、バイトゥッラーがパキスタンの治安部隊と戦い始め、彼がパキスターニ・テヘリーキ・タリバンを創設してから、彼と対立を始めた。バイトゥッラーが彼のアドバイスに耳を傾けないことがわかると、距離を置き始めた。ハーフィズ・グル・バハドゥールも同様である。

バイトゥッラーは最近和平協定を結んだが、再びパキスタンの治安部隊を攻撃する機を狙っていることは明らかだ。

アフガニスタンでは、カルザイが複数のタリバンと同じような協定を結んでいる。例えばアブドゥル・サラーム・ロケッティだ。彼もHIAのメンバーであるが、彼らが他のタリバンと取り引きするために役立たないことが、明らかになってきた。

というのは、バイトゥッラーのように、アルカイダと近い新たな司令官が出現し始めたからだ。その数はベテランのタリバン司令官よりも多くなりつつあり、今後対話をする機会がなくなる可能性がある。

いっぽう北部アフガニスタンの軍閥や政治家で組織されるアフガニスタンの連合前線とタリバンやHIAが、話し合いを始めたことを認めた。米支援のカルザイは、何もできない。彼は南部や北部では、受け入れられていない。

欧米は、パキスタンやサウジのように、タリバンに影響力を与えられるイスラーム国家を通じてのみ、解決策を見いだすことができるだろう。それが可能になれば、北部と南部の権力者たちからなる政府が出現し、アルカイダの系列が追い込まれる。タリバンはサウジやパキスタンの仲間だが、アルカイダは全員の敵だ。

しかしこれは「オマール師やハッカーニ、ヘクマチアルなどが主導すればに限る。これらの権力者が退けられれば、パイトゥッラー・マフスードのような人間が先頭に立ってしまうだろう。彼はアフガニスタンからグローバル戦争を行なうことだけを、夢みている。

hoonA struggle between war and peace
Syed Saleem Shahzad、KARACHI

■タリバン責任者、パキスタンで力を見せびらかす[080602 New York Times]

パキスタン軍がジャーナリストたちを南ワジリスタンに招待して、タリバンの拠点を破壊したことを見せびらかした数日後、パキスタン人タリバンのバイトゥッラー・マフスードが、同じ場所で記者会見を行ない、本当の支配者が誰であるかを誇示しした。

高価そうなトヨタのピックアップに乗って、武装したタリバン戦闘員たちと一緒にやってきたという(中略)。彼と彼の部下のカリ・フセインは、南北ワジリスタンに拠点を築いた。非協力的な長老たちを排除し、職がない若者を雇ってジハードに駆り立てた。今や部族地帯全体に、彼らの部下や協力者がいる。

南ワジリスタンには、自爆訓練キャンプがある。元タリバンによると、子供たちさえもがいるという。彼らは大胆に行動し、数千人からなるタリバン戦闘員の集まりを開催している。

地元のパキスタン政府は、マフスードの組織に対抗することができないという。水曜日にモーマンド行政区政府が、タリバンと和平協定を結んだ。ここではタリバンの会議や公開処刑が行なわれている。

(中略)マフスードは、シャビヘールという小さな枝族の出身で、当初はそれほど重要な人間ではなかった。しかしその後頭角を表し、パキスタン政府に保護されて力を得て来た。2005年にムシャラフと和平協定を結んでから、ますます力をつけてきた。

「このとき、政府は本気ではないということがわかった」と、ある部族民リーダーが語った。「もし軍がやる気だったら、2ヵ月で彼をやっつけることができる」。

やっつける代わりに、ISIは彼を「駒」として取っておいた。パキスタン政府は、インドに対する防波堤として、アフガニスタンで長期的な「戦略」を取り、マフスードはこの戦略の駒だったという。

2005年の和平協定は、マフスードに対する完全「降伏」だったと、元准将のマフムード・シャーが述べた。彼の要求に従い、マフスード族居住区にあった軍のチェックポスト、特にマキン・バザールのチェックポストと戦略的に重要だったカラマ山脈から撤退した。

1月に実施されたマフスードに対する作戦の最中、彼は一般市民の中に隠れたと、軍報道官が語る。

マフスードの力は、反シーア派の過激派、ラシュカレ・ジャングヴィ軍団のフセインの協力に依存するところが大きい。フセインはマフスードより年下で、自信家である。マフスードよりも由緒のあるベーロルザイ氏族の出身である。

フセインは自爆者の訓練学校を組織し、若者たちをジハードに駆り立てるための、プロパガンダDVDを制作している(中略)。彼によると、2006年5月から2007年5月まで、マフスードのプロパガンダ部門で仕事をしていたが、その後、争い事のために、フセインが自分の親戚8人の殺害を命じてから止めたという。しかし、その後もマフスードと仲がいい。「カリ・フセインがいなければ、バイトゥッラー・マフスードは何でもない」と、ある元タリバンが語る。

フセインはマフスードのナンバー2で、仲間の部族民の殺害を命じたり、人間の喉を自分で掻き切ったりする。アフガニスタンに行ったり、あるいはやって来る戦闘員たちは、まずフセインの元を訪れるという。フセインは自爆者のための学校を運営し、10歳くらいの少年もいたという(中略)。

1月に軍が南ワジリスタンのマフスード軍を攻撃し始めたとき、フセインはすでに彼らより一歩先んじていた。すでに自爆のための学校を北ワジリスタンに移していた。北ワジリスタンでフセインとバイトゥッラー・マフスードは、アフガンタリバン責任者のシラージュッディン・ハッカーニに保護された。

元タリバンによると、マフスードとアルカイダの関係は秘密になっているという。アルカイダは南ワジリスタンのタリバンに、軍事訓練を与えて協力している。訓練を受けたいタリバンは目隠しをされ、そのためにどこで訓練を受けているかわからないという。

最近マフスードの部下たちは、南ワジリスタンから離れた部族地帯にいる。マフスードのもう1人の部下のファキール・ムハンマドが、バジョール行政区を管轄している。

カイバル地域でも、マフスードの協力者が部族民を殺害している。パキスタンタリバンはペシャワルでさえ、脅かしている(中略)。

garrTaliban Leader Flaunts Power Inside Pakistan
JANE PERLEZ、PESHAWAR

■パキスタンのデンマーク大使館に爆弾[080602 BBC]

パキスタンのイスラマバードにあるデンマーク大使館の近くで、車を用いた爆発があり、少なくとも8人が死亡、30人ほどが負傷した。大使館関係者1人が死亡、3人が負傷したが、デンマーク人はいないという。

大使館の建物と外に駐車していた車が被害を受けた(中略)。

2005年にデンマークの新聞にムハンマドの風刺画が掲載されて以来、各地のオランダ大使館が脅迫されている。この風刺画が、2月に再び掲載された。

(中略)デンマーク大使館は各国大使館が連なる地域の外にあるが、風刺画が再販されてから警備が厳重になり、大使館職員の大半が帰国している。

爆発のあと、ノルウェーが大使館を閉鎖した。

(中略)犯人は大使館と隣の建物との間に、車を運転してきた(中略)。パキスタン人掃除夫が死亡し、雑用係と事務員2人が負傷した。その方の犠牲者は全員通行人と見られる。

garrBomb hits Pakistan Danish embassy
Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003 - 2008.