【2004年3月29日〜4月4日】


■家庭の安らぎに誘惑される[040404 Washington Post]

ニューヨークの世界貿易ビルに飛行機が突入したことを聞くと、彼らは笑って喜んだ。その後米軍のジェット機がアフガニスタンで爆撃を始めると、パキスタンの部族地帯に逃げ込んだ。今、Uygunjon Saidovは、生まれ育った埃っぽい街に戻っている。隣人たちは、彼がテロリストだったことを知らない。「もうやめた」と彼は言う。

米軍とその合同軍がアフガニスタンから、そしてパキスタンとの国境付近からアルカイダを一掃するいっぽうで、抵抗勢力の中には、生まれ故郷に戻る者が出てきた。ウズベキスタンに帰ってきたSaidovにとって、新たな人生は土器を作り、3人の娘の面倒をみることだ。しかし別の者にとっては、母国に帰ることは再び新たな暴力の人生を始めることでもある。最近47人が犠牲になった、一連の自爆テロが続いた。

捜査陣は、外国で訓練をうけた抵抗勢力の仕業だという。今のところ、死亡した自爆テロリストや逮捕者たちはウズベク人のようだ。詳細は発表されてない。33人が戦士で、7人の女性を含んでいる。(中略)

アルカイダやタリバンと戦った外国人の多くは、ウズベク人だった。大部分がウズベクイスラム運動、またはIMUのメンバーだ。南ワジリスタンでパキスタン軍と戦った者の多くも、ウズベク人だった。これはカリモフ大統領にとっては、大きな挑戦だ。Saidovが家に帰ってきてみると、武器を捨てれば、帰ってきた戦士たちには恩赦が与えられていることを知った。

Saidovはアルカイダ戦士たちに、正式に仲間に加わることを誘われたが、彼は密かにパキスタンのウズベク大使館と接触していたという。「二度とテロリストたちと協力しないと、政府と約束した」という。(中略)

Saidovは30人の友達とタジキスタンに行き、IMUのナマンガニ司令官の訓練所に行き着いたという。そこでカラシニコフやロケット弾の扱い方を学んだ。「冒険を夢見ていた。ジハードの意味は、あとになってわかった」という。アルカイダやタリバンと一緒に戦うために、アフガニスタンに派遣され、バグラムに行ったという。そこで敵と戦った。

(中略)アフガン人、アラブ人、チェチェン人と一緒に戦った。アメリカ人も2人いたという。9.11の夜には、みんなで狂喜した。(中略)しかしその2ヵ月後、米軍戦闘機に追われ、車列で山を旅し、パキスタンの部族地帯に入った。そこから、彼を含むウズベク人数十人が、カラチに入った。そしてもう十分だと思ったという。

「カラチに住んでいたときに、アルカイダに加わらないかと誘われた」。「入りたければ、入れた。でも、もうこういう生活に疲れた。家族と平和な暮らしがしたくなった。家族に会いたくなった。平和な生活を欲した。人間は変化できる」。

hoonThe Comfort of Home Lures Some Back By Peter Baker、NAVOI


■隊と部族民、交戦・北ワジリスタンで車列攻撃さる[040404 Dawn]

パキスタン軍と地元部族民が、北ワジリスタンの行政本部から20キロのところで交戦した。負傷者はいない模様。ミランシャーの高官によると、交戦は誤解から生じたとすぐに発表した。

地元民によると、シャワル方面に向かう陸軍部隊を運んでいた車列が、Duttakhel地方のManzarkhel村から攻撃されたという。部隊は重武器で応戦し、戦闘ヘリコプターの出動した。約1時間ほど交戦は続いたが、負傷者はいない模様だ。攻撃は、Karriというある男の家から行なわれたようだ。Karriは、以前家を取り壊された容疑者の1人であるが、その息子が、部隊が家を攻撃に来たと勘違いし、銃撃したという。

部隊の新たな動きは、シャワル山地で実施予定の作戦の一部と思われる。シャワル山地は深い森で被われ、作戦を展開するためには非常に条件が悪い地域だ。「Kaloosha-II」作戦を免れた武装戦士たちが、ここに隠れているとみられる。

いっぽう、北ワジリスタン、MiraliのTochi Scouts Fortに向けて、ロケット弾が撃ち込まれた。被害はない。

北ワジタスタンの部族地帯では、シャワルの部族民たちに先月、軍高官と兵士を殺害した容疑者の引き渡しに、6日間の期限を言い渡した。Shawal地方に住むKabulkhel、Janikhel、Bakakhel Wazirたちに最終通達が出されると時を同じくして、重武器と戦闘ヘリコプターがミランシャーに到着した。FATAのBrig Mehmood Shahは、部隊の活動は、通常のものだと説明した。しかし政府は部族民たちに圧力をかけ、外国人戦士やその地元協力者と対決させようとしているという。

高官は、南ワジリスタンに向かっていた車列を攻撃した容疑者を引き渡すよう、3氏族に通告したと述べた。部族民たちは部族志願兵lashkarを組織し、4月8日に設定された期限までに容疑者を探し出し、当局に報告することになっている。3月16日の攻撃で、Abdul Waheed少佐と兵士Musaが死亡、3人が負傷した。

政府は新たな部隊をミランシャーに送った。地元民によると、トラック数百台と兵士たちが、バヌーからラムザックとミランシャーに入ってきたという。シャワル山地で作戦が行なわれる恐れがある。

smellTroops, tribesmen exchange fire: Convoy attacked in N. Waziristan
By Pazir Gul、MIRAMSHAH


■カラチ警察署、銃撃され5人死亡[040404 Reuters]

少なくとも10人の狙撃手がカラチの警察署になだれこみ、警察官にクルアーンの一部を朗唱させてから、5人の警察官を殺害、1人を負傷させた。攻撃者たちはカラチ空港から約5キロほどの所で銃撃戦を展開し、その後、車で逃走した。

狙撃手たちは、死亡あるいは負傷した仲間を連れて、数台の車に分乗して逃げたという。犯人たちの背後関係は、今のところわかっていない。(後略)

garrGunmen storm Karachi police post, kill 5
By Aamir Ashraf、KARACHI


■アフガン国軍と米軍、アルカイダ戦士を攻撃予定[040404 Reuters]

アフガンと米軍は、パキスタンの部族地帯からアフガニスタン側に逃げたアルカイダに対する攻撃を近々開始するようだと、アフガン高官が述べた。

パクティア州知事Haji Gulab Mangalは、南ワジリスタンから大量の兵士が逃げてきたという。「アフガン軍は、合同軍とともに作戦に備えるように言われている」と、『ロイター』に電話で語った。

米軍が3月7日に『山嵐』作戦を開始して以来、アフガニスタンでは抵抗勢力20人が殺害され、41人が逮捕された。パキスタン側でパキスタン軍が作戦を行なっているあいだ、最近アフガニスタンに合流した約2000人の米海兵隊が、アフガン側の国境付近の見張りを強化している。Mangalによると、抵抗勢力たちはSaroza地域にいるようで、ウズベク人、チェチェン人、タジーク人、アフガン人だという。これらの戦士たちが再びパキスタンに入ることが考えられるので、パキスタン軍は監視を続けなければならないという。

米軍報道官は、南部と南西部、東部で作戦を実施しているというが、今後の作戦についてのコメントは避けた。

土曜日に、北ワジリスタンに移動していたパキスタン軍の車列が銃撃され、銃撃戦が1時間ほど続いたが、負傷者はいないという。また南ワジリスタンでは日曜日に、果樹園に隠れていた戦士たちが、ワナ近くの準軍隊のチェックポストに発砲し、戦闘となった。負傷者はいないようだ。

hoonAfghans, U.S. to attack al Qaeda fighters -official
By Saeed Ali Achakzai、SPIN BOLDAK


■パキスタン、軍の中庸路線への引き込み、苦戦[040404 Washington Post]

パキスタン軍事大学の環境は、イギリス宗主国時代の悪臭がする。クリケット、ポロ、高天井の食堂、ターバンを巻いたウェイター、白いテーブルクロス。Lt. Col. Saadat Saeed Bhuttaは、誇らしげに言う。「イギリスの伝統をすべて保持している。乾杯以外はね」。そして食事の前にはかならず「Bismillah(神の名のもとで)」と言うのが習慣だ。

しかしイギリス時代からの変化は、アルコールの禁止やイスラム的な祈りだけではない。なかでも宗教の強調は明白だ。大学の入口にはアラビア語で、「神を信じる者に、勝利が待つ」と掲げられている。戦死者は、「殉教者の回廊」で称えられる。授業では、イスラム学を半年間学ぶ。

「我々の根本はイスラムだ」と、大学を卒業予定のManan Abdul(20)が語る。パンジャーブ州の軍高官の息子だ。「指揮をとるとき、決定を迫られたとき、預言者に導かれる。彼に安らかあれ」

このような信仰の表現は、1970年代後半から始まった陸軍の「イスラム化」の遺産であり、アフガニスタンのタリバンなど、イスラム原理主義への支持にもつながっていった。しかしムシャラフは今、国を中庸路線に変化させようと苦心している。陸軍が受け継いだこの遺産を払拭することが、彼にとって最も困難で、かつ最優先事業になっているようだ。

「イスラマバードでは、酒飲みの将軍たちが戻ってきたと、冗談が飛んでいる」と、軍について詳しい、欧米で教育を受けた学者がいう。陸軍はイギリスの伝統を強く受け継いでおり、平和維持のために尽くし、役得や特権を保持することに強い関心を持つ、統制のとれた組織である。国家防衛に従事するだけでなく、パキスタンの陸軍は政治や経済力を支配し、文民組織、例えば大学にも影響力を与え、不動産や商業も牛耳る。

陸軍は宗教的なシンボルやスローガンを大事にしすぎていると、ある幹部が警告する。たとえば「信仰、信心、ジハードがアラーの道」というモットーだ。28年間も掲げられてきた。欧米に対するスローガンではなく、「かけ声」なのだそうだ。ザワヒリがパキスタン軍に対して、「裏切り者」ムシャラフに対抗せよと、最近2度声明を発表したが、あまり効果はないようだ。

「世俗的軍隊ではないが、過激なジハード軍でもない」と、退役軍人Col. Abdul Qayyumは語る。パキスタン軍にイスラム化をもたらした、故ジア・ウル・ハクの友人だ。「陸軍の根本的エトスは、ムスリムだ。ハクの時代に、それが広がった。今この傾向は弱まっている。個人的には、反乱の可能性はないように見える」。

しかし中庸路線をうたいながらも、ムシャラフと陸軍は、イスラム原理主義者と強い絆を持ち続ける。2002年の選挙で、6つのイスラム原理主義政党が同盟して以来、ムシャラフは原理主義政党の繁栄を黙認していると、アナリストは語る。パキスタンで最も支持者が多い世俗野党から自分を守るために、彼らを利用しているのだ。

しかしムシャラフはアメリカと協力していることで、軍隊内の原理主義者から、脅かされているようだ。たとえば2002年6月に、ムシャラフが乗った車列の爆破を計画したとして、準軍隊の警部補が告訴されている。去年の12月25日も彼を暗殺しようとしたとして、2人の空軍技術者が逮捕された。アルカイダ幹部Khalid Shaikh Mohammadを匿ったとして、陸軍少佐も裁判を受けている。この少佐の行動を知っていたにもかかわらず、報告しなかったとして、大佐と別の2人の高官が逮捕された。「少佐は個人的に行動していたが、アルカイダが陸軍内に侵入していたことは事実だ」と、あるパキスタン幹部が述べる。

パキスタンの核兵器の安全性についても、懸念が広がる。カディール・カーン博士のスキャンダルだ。「いつか、必ず爆発する」と、前ISI長官で保守的ムスリムのLt. Gen. Hamid Gulは語る。「青い枝を曲げるようだ。いつかは折れる。でもいつかはわからない」。

防衛兵器生産の責任者だった退役軍人Lt. Gen. Talat Masoodは、そこまでは言い切らないが、「中級、下級軍人たちの問題が大きい。考えが教化、洗脳されているために、階級を納得させ、整頓するためには時間がかかる。すぐに切り換えることは難しい」という。

これらの教化は、ジアの時代に徹底された。彼は原理主義者で、イスラム聖職者たちの影響力を強化し、軍の大学にイスラムの教えを導入、陸軍にイスラムの刻印を押すことを求めた。イスラムの拡大は、1980年代にアフガニスタンでソ連と戦うイスラムゲリラたちに、武器や弾薬を(CIAによって供給された)をばらまくことで、さらに強化されていった。

ソ連撤退後は、アメリカとパキスタンの関係は希薄になった。ワシントンはパキスタンの核計画に対して制裁を加え、軍事訓練を中止した。これは軍にとって、裏切り行為と映った。しかしほとんどの制裁は、9.11以後、解除されている。軍事訓練計画も、再開した。

陸軍は1995年になると、ジアの遺産を再び受け入れはじめた。パキスタンにイスラム革命を起こそうとして、少将に導かれた制服をきた過激派たちが、逮捕された。その直接の結果として、中佐以上の軍人は、原理主義に傾倒していないか「厳重に取り調べ」られたと、退役米軍人Col. David Smithは述べる。彼は2000年から2003年にかけて、陸軍武官としてパキスタンで2度任務に就いた。過激思想を持つ者は粛正こそされなかったが、密かに解雇されたらしい。「今日も、この方式がまだ実施されている」という。

Smithは、イスラム過激主義に対する軍の態度について、ある日のことを語る。2001年12月に、陸軍高校の卒業式に招かれた。卒業生の中で、髭を生やした者を数えた。外国人陸軍武官は、陸軍内部の宗教色をはかるために、髭の数を数えるのが慣例だ。数えおわると、ISIの高官が近づいてきて、「髭を生やした者は何人いかた」と尋ねた。225人のうち、30人だったと答え、去年は45人だったと付け加えた。しかしこのISI幹部は、長い髭だけが問題であり、たった3人しかいなかったと、反論したという。「長い髭の者だけが心配だ」。(中略)

外国人の客のために開かれた集まりで、軍人として形成するためにはイスラムが重要だと何人かの学生が強調するのを、中佐で学校の理事でもあるBhuttaは、呆れ顔で聞いていた。いたたまれなくなって「でもイスラム学の授業は、週どのくらいの割合あるんだ?」と、口を挟んだ。宗教ではなく、政治経済、コンピュータや歴史などに、もっと時間を割いて勉強していることを強調した。

「宗教に過度に傾倒していた時代があった。でも、もう影は薄い」と大学の司令官commandantは述べる。大学生活は、決して宗教に圧倒されてはいないようだ。学生たちはインターネットを楽しみ、テレビを鑑賞していた。

hoonPakistan Struggles to Put Army on Moderate Course
By John Lancaster


■Zalikhel、アルカイダ捜索に参加[040404 Daily Times]

Zalikhel枝族たちはアルカイダや部族民協力者に、政府に投降するか南ワジリスタンを去るかしてほしいと要求した。

しかしZalikhel族のMalik Bostanは、部族民容疑者5人の投降よりも、アルカイダの追放のほうが大事だと、『Daily Times』に述べた。「まずアルカイダを追い出すことが優先だ。そうすれば軍が我々の土地で作戦を実施することはなく、破壊されなくてすむ。容疑者も捜すが、まずすべきことは、アルカイダに対処することだ」という。またAhmedzai族に、Zalikhel族と協力してアルカイダを追い出してほしいと述べた。

しかしAhmedzai族の長老は、Malik Bostanがいうように、一緒に捜索を実施することに楽天的ではなかった。「問題はZalikhel族内部のことであり、自分たちの規律を正せないなら、彼らを援助することはできない」という。「まずZalikhel族が行動することが必要で、もし他の部族民の援助が必要であることがわかったら、援助する」。

いっぽうアザム・ワルサックでは、武器バザールでミサイルが爆発して、約70店舗が炎上、3人が負傷したようだ。このマーケットはソ連侵攻時代、アフガンムジャヒディンにとっての重要な武器の入手源だったという。爆発の原因は明らかではないが、ピックアップに武器を積載している最中に、爆発が起こったという説もある。

hoonZalikhels join hunt for Al Qaeda
PESHAWAR


■部族の問題に介入しないよう、政党に警告[040404 Daily Times]

イスラム協会Jamaat-e-Islamiが「ジルガ」を開催したことに対して、全部族地帯部族のリーダーたちは、自分たちの問題に政党が介入すべきではないと警告した。

土曜日に開催された大ジルガで、AhmedzaiとZallikhel Wazir族に対し、部族民容疑者の引き渡しを4月10日までとする期限を言い渡し、チェチェン人、ウズベク人、アラブ人などの外国人を、1ヵ月以内に追い払うことを決定した。また最近部族地帯に対して、政治的介入があることを憂慮し、不快感を示した。「我々は政治に介入しないできたし、今後もそのつもりだ。我々の問題は部族の伝統と習慣にもとづいて解決するつもりだ。政治政党の介入は、許さない」という。今回された大ジルガは、現在ペシャワルで開催されている「ジルガ」を否定し、部族民のことを考えたものではなく、単なるショーだと批判した。(後略)

hoonParties warned against meddling in tribal affairs
PESHAWAR


■米軍、アフガン抵抗運動の司令官を逮捕[040403 Reuters]

米軍は、アフガニスタンにいる外国軍に戦争を宣言している過激派に属するアフガン司令官を逮捕したと、米軍報道官が土曜日に述べた。

Hezb-i-Islamiの司令官Amanullahが、ワルダック州で逮捕されたかどうか尋ねると、「建物を捜索したが、男はヘクマチアルか、それと関係する組織に属すと信じる理由がある」と述べたが、名前は明らかにしなかった。

Amanullahは、対ソ連時代、ワルダックにおけるヘクマチアルの重要な司令官だった。しかしヘクマチアルとは異なり、カルザイ政権に対しては何らの抵抗運動を行なってない。ヘクマチアルの居場所は、現在わからない。

smellUS forces detain Afghan rebel commander in raid
KABUL


■米軍、アフガニスタンで戦闘員を殺害[040403 AP]

米軍兵士がパキスタンとの国境付近をパトロール中、手榴弾を投げつけようとした戦闘員を射殺し、2人を逮捕した。

水曜日に、コーストをパトロール中の米軍の車列に手榴弾が投げつけられたが、負傷したものはいなかったという。「応戦して1人を射殺、2人を逮捕した」と米軍報道官のLt. Col. Bryan Hilfertyが述べた。

手榴弾で攻撃される前、同じ日にコーストで米軍501st Parachute Infantry Regimentの兵士が足を撃たれて負傷した。また今週初めにはワルダック州で、ある司令官を逮捕している。この男が「ヘクマチアルか、それと関係する組織に属すると信じる理由がある」と述べたが、詳細は避けた。

hoonU.S. Soldiers Kill Militant in Afghanistan
By STEPHEN GRAHAM、KABUL


■ヘクマチアル、再び色を変える[040403 Asia Times]

(前略)『Asia Times』は、Hezb-i-Islami Afghanistan(HIA)のヘクマチアルが、9月に開催予定の総選挙に参加できることを条件に、抵抗運動をやめることに応じたという情報をつかんだ。このような動向は、アメリカとNATOが撤退する日時の決定にも関わってくる。

『Asia Times』は2月に、ヘクマチアルはアメリカから和平の申し出があり、引き換えに選挙戦に参加することを打診されていたが、これに返答してないと報道した(「アフガニスタン、全面戦争/040224 Asia Times」)。このような打開策のニュースは、アフガニスタンにとっては最高のタイミングである。

ヘクマチアルに近い情報源によると、HIAの幹部、Khalid Farooqui、Dr Qasim Hamat、Dr Jan Mohammed Hamkar、Engineer Tariqなどがカルザイに招かれ、対話を開始するためにカブールを訪れたという。政府側は、ラッバーニ前大統領、Abdul Rab Rasool Sayyaf、ファヒーム国防大臣、副大統領が参加する。会談では停戦が話し合われ、アフガン政治におけるHIAの役割が検討される。HIAは停戦と引き換えにカブールに事務所を設立することに同意したが、外国軍の撤退の期限を明確にすることを条件にしている。

パキスタンは当初「穏健派」タリバンと取り引きし、強硬派タリバンを追い出そうと計画した。ジャラウッディン・ハッカーニなどが妥当と考えられていたが、オマール師を裏切る者がいなかったために、失敗に終わった。その後パキスタンは、下級タリバンたちに自分たちの党を作るよう、説得した。例えばJamiat-i-Khudamul Koran(またはFurqan) やJaishul Muslemeenである。しかしJamiat-i-Khudamul KoranはCIAとISI両方から多額の資金を与えられていたにもかかわらず、イスラマバードを捨ててアメリカと戦うために、タリバン抵抗運動に参加してしまった。Jaishul Muslemeenは地元のメディアに声明を発表するぐらいしか、活動することができなかった。

いっぽうISIはインドに支援された北部同盟に対処するために、なんとかHIAを支援してアフガニスタンにおける利益を獲得しようとした。さらにISIは1980年代に関係を築いた軍閥たちを利用して、北部同盟に対抗するように仕向けた。しかしHIAの司令官たちは、アメリカに対する抵抗運動に加わったために、パキスタンの目的は果たせなかった。

それでもISIとCIAは、ペシャワルにいるHIAのリーダーたちとの古い絆を再開した。またISIは、HIAの報道官兼イスラマバードにおける政策面でのリーダーで、ヘクマチアルの義理の息子であるDr Ghairat Bahairを逮捕し、さらにFBIに引き渡して、圧力をかけた。

《背景とその重要性》

アフガニスタンの選挙は6月に予定されていたが、9月に延期された。国連は条件として1000万人の選挙民の登録を課しているが、現在はその15%しか達成してない。カンダハル、クナール、ヌーリスタン、ナンガハル、オルズガンなどは危険が多くて、選挙管理委員会が選挙民の登録のために赴くことができないでいる。

1980年代、Hezb-i-Islami Afghanistanは最大勢力だった。しかしタリバンの成功とともにHIAは犠牲者になり、1995年に首相となったヘクマチアルは、イランに亡命した。HIAの司令官の多くはタリバンに投降し、ウズベクやタジク系の者たちは逃亡したか、北部同盟に入った。政治への介入をやめ、ビジネスマンとしてパキスタンや欧州、例えばキプロス、フランス、イギリスに出ていった者もいる。

現在興味深いことに、カブール、ジャララバード、コースト、カンダハルの政府関係機関は、主に前HIA高官が任についている。彼らがどの程度中央政府に忠実なのかは、明らかではない。

ヘクマチアルの戦術の一部は、ソ連時代のムジャヒディンの友人で、現在カルザイ政権の一部になっている者たちと関係を修復することだった。イスマイル・ハーンやドスタム将軍、Sayyafなどである。ヘクマチアルは忠実な司令官のもとに、以前からの戦士数千人を再び召集し、現在アフガニスタン東部でアメリカと戦っている。

問題は、もしヘクマチアルがオマール師とアフガン抵抗勢力を裏切ったとして、彼は権力を持ちつづけることができるかということだ。答えは、過去に遡って見いだせるだろう。ラッバーニと故マスード司令官が率いるイスラム協会(Jamiat-i-Islami)とヘクマチアルのHIAは、もともとイデオロギーとして、アフガニスタンのムスリム同盟の流れを汲む。しかし1990年代にカブールを取り合った際に、政治的に仲を違えた。しかしタリバン出現とともに、彼らは再び手をとった。ヘクマチナルは首相になり、ラッバーニが大統領に就任、タリバンと対抗するために利害のために結託したのだ。

この結果、HIA内部で政治的な論争があらわになった。ヘクマチアルはペシャワルで何度も司令官や派閥のリーダーと会合を持ち、マスードと協力していることを正当化しようとした。これに失敗すると、最後の切り札を持ち出した。強力なムジャヒディンとして、そしてリーダーとして彼が得たカリスマ性を利用しようとしたのだ。ターバン(アフガン部族社会の尊敬のシンボル)を地面に置き、彼の支持を拒否する派閥のリーダーたちに、ターバンをまたぐように要求した。しかしほとんどの者が、ターバンをまたいだ。このとき彼は、新たに出現したタリバンに敗北したことを認識した。そしてタリバンの道を妨害しないと主張し、テヘランへの亡命を決めた。

抵抗運動からヘクマチアルが引くことは、クナールにとっては大きな打撃となり、また抵抗運動全体の計画も狂うことが予測される。しかし、まだ可能性がある。彼の司令官の多くはヘクマチアルに従わずに、タリバンと合流するのではないか。ヘクマチアルは、政治的野望を達成するために、寝返ることを辞さない。タリバンがカブールを獲って以来、彼は常に国家における自分の役割を狙っていた。しかし国際イスラム戦線が世界的な反米運動を起こし、アフガニスタンの抵抗勢力にも特別な役割を与えている今、ヘクマチアルは注意深く行動する必要がある。安易な決定をすれば、彼は1人取り残され、誰も味方についてくれないだろう。

ohohsmellAfghanistan: Hekmatyar changes color again
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■ユダヤ人と米国人がアルカイダの新たな標的トップ・リストに[040403 Daily Times]

アルカイダネットワークは、ユダヤ人とアメリカ人を第一標的とする、新たな戦術の実施を支持者に発表したと、ドイツの『ZDFテレビ』が金曜日に報道した。

「都市の標的」と題された50ページからなる文章が、さまざまなウェブサイトに掲載された。発信源はAbdulaziz al-Mukrinで、アラブ世界の新たなアルカイダリーダーだと名乗る。(中略)

標的はユダヤ人、キリスト教徒がトップに掲げられ、さらにキリスト教徒としてアメリカ人、イギリス人、スペイン人、オーストラリア人、カナダ人、イタリア人などが掲載されている。(後略)

hoonAl Qaedaユplans new targets, Jews and Americans top list
BERLIN


■イスラム協会、ワナの作戦中止を要求[040403 Daily Times]

イスラム協会Jamaat-e-Islami(JI) が部族長に大ジルガを召集し、ワナにおける作戦の中止を訴え、政府がアメリカに協力していることを非難した。

FATA出身の国会議員や7つの部族地帯、6つの辺境地域の下院議員を含む部族長たちが集まり、政府に作戦を直ちに中止するよう、要請した。JIはジルガの要請に従い、ワナに対する政策を今後打ち出すという。(中略)

hoonJI wants Wana operation stopped
By Zakir Hassnain、PESHAWAR


■軍作戦の新標的はShakai[040403 Daily Times]

ほとんどのアラブ人アルカイダは、軍が作戦を開始する前にドルをばらまいて逃走ルートを確保し、ワナから去っていたと、情報源が『Daily Times』に語った。しかしザワヒリに関しては、ある2人の下級諜報部員が逮捕され、彼の逃走を助けた容疑で取り調べを受けているらしい。さらに、ジハード組織や地元情報源によると、ワナ近くのShakai村が、抵抗勢力を匿っているとして、軍の次の標的になりそうだと語った。

《なぜアルカイダが部族地帯に隠れたのか》

トラボラから、アルカイダとタリバン戦士数百人が米軍の攻撃を免れて入ってきた。約1600人が家族とともに、集団で流入してきたといわれる。ある集団はノーシェラに、別の集団はデラ・イスマイル・ハーンに、そして3つ目がミランシャーのジャラウッディン・ハッカーニのマドラッサに到着した。アメリカ人タリバン、ジョン・ウォーカーを始め、イギリス、ヨーロッパ、アメリカ人アルカイダ50人も一緒だったという。別の1グループを含む4つの集団のうち、2つの集団はタリバン司令官、Malik JananとSherazが率いた。

情報源によると、資金を持っていたアラブ人たちはこの地域に落ち着き、工作員を通して女性や子供を中心とした家族を、本国に送り返したという。1人2000ドルを払ったといわれる。Qaddafi International Foundationと北西辺境州MMAのリーダーJaved Ibraheem Parachaが、これらのアラブ人たちを海外に送り返すために一役買ったと疑われている。

中国、チェチェン、タジキスタンなどの中央アジア出身のテロリストやアラブ人たちがこの地域に留まったのは、客人歓待の習慣があったためだという。ただし、毎週100ドルから300ドルを部族民に支払ったらしい。ここからアラブ人たちはカラチ、ラホール、ファイサラバード、カシミールなどに散り、ウズベク人、チェチェン人、中国人は部族地帯に留まり、毎週100から300ドルを支払ったようだ。ザワヒリは約1年、ワジリスタンの「Red Mountain」に配下の者たちと滞在したらしい。「部族民たちは、共感と金のために、戦士たちに協力した」ようだ。

しかし、全員が協力したわけでもない。120人の戦士からなる4番目のアルカイダの集団が、トラボラからクラム行政区に入ると、Mangial族が戦士たちを拘束し、武器や貴重品を奪い、後に金と引き換えに返却したという。

中国人たちは十分資金を持たなかったようで、作戦で殺害された外国人のほとんどは、この集団の者だったという。

情報源によると、すでにアラブ人家族がこの地域にいたが、アルカイダとは直接関係がないという。「部族地帯の両側では、慈善活動をしているアラブ人定住者がいる」という。「タリバン時代には戦士として活動していなかったにもかかわらず、アメリカは彼らを区別してない」と情報源は語る。

アラブ人とウズベク人戦士たちは部族のジルガで、3月26日に捕虜となった14人のパキスタン政府の人間の釈放を交渉するために、南ワジリスタンの抵抗勢力の隠れ家に行くことを申し入れていた。さらに、もし国連が彼らをアメリカに引き渡さないことを保証すれば、投降する準備があると述べたと、ワナにいる情報源が語る。しかし、パキスタン軍はこれを拒否した。「パキスタン人高官たちは、これをアルカイダの罠ととらえ、国連が今回の作戦に介入しないことも知っていた」という。

《部族地帯の諜報組織》

当初パキスタンは、アルカイダやタリバン戦士に対する情報を十分もっていなかったために、注意を払っていなかった。パキスタンの諜報組織は、部族地帯にはほとんどネットワークを持っていなかったためだ。しかしアメリカの諜報部はアフガン側から、これらの地域にアルカイダ戦士たちが集結しているという情報を、繰り返し受けていた。

パキスタン政府は部族地帯にいるアルカイダに対して、厳しい態度を取るつもりはなかった。しかしアメリカを満足するために、政府は行政官の助言に従って、巨額を部族のマリク(リーダー)たちに配り、アルカイダ戦士を匿っている家に、彼らを裏切るよう説得する買収金として与えた。しかしマリクは金を独り占めした。アルカイダとタリバンが、ワジリスタンに出現するようになったという情報が出回ってから、問題が深刻になってきた。ビンラディン、オマール師、ヘクマチアルがこの地域で目撃されるようになり、パキスタンやアフガンのジハード組織がこの地域で人員を募集し始め、移動訓練所を設立し始めた。

最初の訓練所は、Harkat-ul-Jihad-e-Isalmi(HJI)が、クラム行政区の「Haji Maidan」の土地に作られた。2002年11月4日に、ここからアフガニスタン側にある米軍基地に、ロケット弾が発射された。米軍は報復に、戦闘ヘリコプターで攻撃してきた。

2002年9月5日にバヌの部族民が、アルカイダと関係があるとしてパキスタン軍が逮捕した6人の容疑者を、力づくで釈放させた。これはパキスタン軍にとっては、大変な出来事だった。しかしさらに大きな事件が、2003年7月に起きた。アルカイダ戦士に協力したワジール枝族が、北ワジリスタンのDara Aka Khelからダラにあるアメリカ軍基地を襲撃し、5人の米兵を誘拐したのだ。パキスタン軍はこのとき初めて、部族民たちに対して軍の作戦を実施した。作戦は3日間続いたが、軍宣伝部は、「通常の訓練」と発表したに過ぎなかった。

このような動きがあったために、2003年10月に「山獅子作戦」が実施され、アルカイダ戦士13人と部族民や辺境警察の隊員が殺害された。

外国人戦士の存在が最初に浮上したのは、北西辺境州政府のある職員と諜報官がアザム・ワルサックを訪問したときに、ヴェールを被ったチェチェン人女性が、手榴弾を持っているのを目撃したときだ。

情報源によると、Kalooshaにあったトンネルは、抵抗勢力が逃走するために掘ったのではないという。「このようなトンネルは、ワナにはどこにでもある。我々の土地について知らない者だけが、そのような的外れな主張をする」という。地元の情報源によると、米軍は今回の作戦には加わってなかったが、12人のアメリカ人がワナに、satellite centerを設けていたという。

ohohsmellShakai next target for military operation
By Amir Rana、LAHORE


■ワナに新たな部隊派遣[040403 Daily Times]

新たな部隊がワナに到着し、部族地帯からアルカイダや外国人戦士を追い払う作戦を開始すると、諜報部高官が金曜日に述べた。(中略)

ワナの行政官Rehmatullah WazirはZalikhel枝族のジルガで、容疑者を引き渡さなければ、強硬手段に出ると警告した。(中略)。Zalikhelの長老たちは、状況は理解できたと述べたが、政府にも責任があると訴えた。行政側か状況を軽んじたために、アメリカがパキスタンに圧力をかけ始めた時には、すでに手に負えなくなっていたと非難した。「しかし外国人が留まれば、近々再び作戦が行なわれることを理解したので、彼らに退去してもらう」と長老は述べた。土曜日にジルガを開催し、行政と軍の命令を決議するという。

軍のヘリコプターがビラを配り、住民に、軍と準軍隊が国境の西部を防衛しており、ワジタスタンの発展に従事しているというメッセージを送った。「外国人が、部族の客人歓待の伝統を利用している。武器を捨てるように言うと、兵士や無実なワジール族を殺害する。巨大な力(アメリカのことか?)アフガニスタンとの国境で軍事活動を展開している。パキスタン軍と部族民は、協力して外国人のパキスタン入国を防いでいる。あなた方には、外国人に国から出て行くように申し出てほしい。辺境警察、軍隊、部族民は兄弟だ」と、ウルドゥーで書かれていた。(後略)

garrMore troops sent to Wana to flush out militants
By Iqbal Khattak、PESHAWAR


■ワナで新たな作戦開始か[040403 The Nation]

軍は北ワジリスタンで新たな作戦を開始するようだ。(中略)

ミランシャーの特派員によると、北ワジリスタンの住民の間では、金曜日に軍やヘリコプターが到着し始めるとともに、混乱が生じている。バヌからミランシャーに軍の車列が到着しはじめ、ヘリコプターが旋回していた。

いっぽう行政側は、少佐と警察官を殺害した容疑者を引き渡すよう、Shawal族に6日間の期限を申し渡した。行政側はジルガで、Janikhel、Bakakhel、Kabalkhel氏族に猶予期限を告げ、150人からなるジルガのメンバーはこれを受け入れた。しかし、もし4月8日までに使命を達成できなければ、再びジルガを開催して今後のことを話し合うという。3月19日にShawal地方に駐屯していた軍のキャンプを群集が襲い、Abdul Waheed少佐と準軍隊員のMusa Khanが殺害され、3人が負傷した。

smellFresh operation in Wana likely
from Shaiq Hussain、ISLAMABAD


■パキスタン、新たな部隊をアルカイダの捜索に派遣[040402 Reuters]

パキスタンは、アルカイダや外国人抵抗組織を捜索するために、新たな軍をアフガニスタンとの国境付近に派遣した。ある諜報部高官によると、北ワジリスタンで、あらたな作戦が開始されるという。

すでにいる1万3千人の正規軍と準軍隊に、さらに3500人が追加で派遣された。「新たな軍は、木曜日に南ワジリスタンに到着した」という。パキスタンのリーダーたちは、ビンラディンやアルカイダ幹部がどこに隠れているのかはわからないが、アラブ人、アフガン人、ウズベク人、チェチェン人を含むアルカイダ戦士たちは、最近の戦いを免れたという。

パキスタン軍は飛行機を用いてビラを配り、村人たちに外国人戦士を匿まわないように呼びかけているようだ。ある諜報部高官によると、当局は北ワジリスタンで新たな作戦を開始することを計画しているという。パキスタン軍高官は今回の作戦について、コメントするのを避けた。

smellPakistan sends fresh troops in al Qaeda push
By Hafiz Wazir、WANA


■外国人に恩赦の申し出、兵増強[040402 Dawn]

木曜日、北西辺境州知事のLt-Gen Syed Iftikhar Hussain Shahは外国人抵抗勢力に、武器を捨てれば、平和的にこのまま住むことを許すと申し出た。また南ワジリスタンには、すでに駐屯している正規軍と準軍隊数千人に加え、さらに軍が派兵された。 (中略)

約3500兵からなるパキスタン軍師団が、これまで駐屯していた正規軍1万兵と準軍隊3500兵に、ワナで合流した。これまでで最大の兵力が集結したことになる。政府は北ワジリスタンで、新たな作戦を開始するような気配である。

ムシャラフはテレビ放送で、外国人戦士たちが北ワジリスタンの部族地帯にも隠れていると述べた。南ワジリスタンとアフガニスタンと間のShawal山で作戦を開始するのかどうかは、まだ明らかではない。深い森に包まれたこの地域は、軍が行動するには非常に困難な地域である。外国人兵士たちが、Kalooshaの非常線を突破したあと、ここに集結したという諜報情報が入っている。

なぜ抵抗勢力は、恩赦を浮け入れないのかと知事に尋ねたところ、信頼と勇気がないからだろうと答えた。「彼らにどうやって納得させたらいいのか、わからない。ムシャラフも同じことを申し出た。私も申し出た。行政官もメッセージを送り、部族の長老たちが、それを伝えにいった。彼らには選択の余地がない。投降するか、この地を去るか、殺されるかだ。部族地帯で流血は避けたい。我々の目的は、この地域からテロリストを一掃することだ」。

知事は、投降した外国人戦士たちは最初取り調べを受けるが、その後受け入れる部族民が保証人となり、このまま生活することを許されるという。「人数を把握する必要がある。そこで何をしていたのか、誰とつきあっていたのかなどを知る必要がある」。

いっぽう政府側の情報源によると、作戦で逮捕された163人の容疑者は、アトックのManser Campに、取り調べのために連れて行かれたという。ほとんどが地元部族民とアフガン人だという。しかし外国人戦士が混ざっている可能性も、まだ捨て切れない。(後略)

smellAmnesty offer to foreigners renewed: More troops sent to South
Waziristan By Ismail Khan、PESHAWAR


■部族志願兵、外国人に退去を要請[040402 The News]

6000人からなるマフスード族の部族志願兵Lashkarが木曜日に、南ワジリスタンで外国人を匿っている部族民に、外国人を追放しなければそれなりの対処を受けることになる、と警告した。(中略)

ウレマ(宗教学者)のMaulana Ainullahは、アフガニスタンの北部同盟が、南ワジリスタンに工作員を送り込み、誤った情報などを与えて混乱を起こさせていることを非難した。また捕虜になっていた行政職員Matiullah BurkiとAhmad Nawaz Marwatの殺害を強く非難し、イスラムの教えとパシュトゥン族の掟に反すると訴えた。

いっぽう行政側はワナで187人からなるAhmadzai Wazir族のジルガを開催し、今後のことを話し合った。

hoonLashkar asks foreigners to leave
By Sailab Mahsud、WANA


■9億9900万ルピー、ワナの被害者に補償[040402 Daily Times]

連邦政府は木曜日に、部族地帯の作戦で命や財産を失った者たちに、9億9900万ルピーの補償すると発表した。いっぽうマフスード族の部族民たちが、Sarwakai付近の軍車列襲撃の容疑者を捜索している。(中略)

北西辺境州知事Syed Iftikhar Hussainは、部族地帯に隠れている戦士たちは武器を放棄して「攻撃的な態度」を捨てれば、土地に留まることを許すと、部族の長老を招いたジルガで発表した。「この地域に隠れている外国人が降伏し、部族民たちが、今後彼らが悪い行動を起こさないよう責任を持つのであれば、政府は彼らに留まることを認める」という。「もし外国人が戦いたいのなら、自国に帰ってそこで戦うべきだ」と付け加えた。

hoonRs 999 million as compensation for Wana victims
ISLAMABAD


■50国以上がアフガニスタンを援助[040401 AP]

木曜日、アフガニスタンを支持する国々が、カブール以外の町にも軍隊を派遣して、国を安全にするために援助することに同意した。しかし新たな軍の派遣については、言及しなかった。

カルザイは、50ヵ国以上が3年間で82億ドルを援助を約束し、国の再建を支持してくれたと述べた。またアフガニスタンとその周辺の国々が、ドラッグ密輸のために戦うことを約束した。「ドラッグ、軍閥、テロリズムは、それぞれ相乗し合う」とカルザイ。「アフガニスタンが平和を得るためには、これの3つを同時に排除しなければならない」。

NATOは5つのチームを夏までに派遣することになっているが、新たな軍の派遣計画はない。イタリアは300人まで派兵できると述べた。クンドゥーズに派兵しているドイツの外務大臣Joschka Fischerは、「数ヵ国が派兵することに関心を持っている」と述べた。この問題は、金曜日に話し合うという。

しかし、「美辞麗句ではなく、実際の行動が必要だ」とCARE InternationalのKevin Henryが述べる。「NATOは兵を拡大すると、9月から言っている。もう4月だ」。 (後略)

hoonMore Than 50 Nations to Aid Afghanistan
By GEIR MOULSON


■ウズベク、暴力事件とアルカイダの関係を捜索[040401 Reuters]

ウズベキスタンは、少なくとも43人が殺害された暴力事件に、アルカイダが絡んでいるかどうか、捜索しているという。「Hizb ut-Tahrirやアルカイダなどのテロリストが関与している可能性を、まだ排除してない」と、General Rashid Kadyrovがロシアのタス通信に語った。

アフガニスタンと隣接するウズベキスタンは、「国際テロリズム」に脅迫され、タリバン型の運動が生じていると、ムスリム反体制派に対する取り締まりを正当化している。欧米外交筋は、今回の暴力は、地元の過激派の仕業ではないかともみる。

つい最近の暴力事件では、ブハラの民家で爆発物が爆発して、女性が負傷した。内務省高官によると、彼女はイスラム抵抗勢力のメンバーで、自爆しようとしていたという。日曜日には同じ町でアパートが爆発し、10人が殺害された。警察は「テロリスト」が爆弾を作っていたという。内務省高官は、この女性はワッハーブ派に属していたと発表し、同じ組織の男性メンバーが逮捕されている。水曜日には、タシュケントで男が自爆した。内務省は月曜日に、20人の自爆テロ者がタシュケントで自爆したというが、これは確認されてない。目撃者によると、銃撃戦があった場所に、銃撃を受けた遺体数体を見たという。

信頼できる情報の欠如のために、詳細はほとんどわからない。(中略)ある政府高官は、アルカイダとの関係づけるのは、まだ時期早々という。別の保安部高官は、Islamic Movement of Uzbekistan(IMU)のメンバーの仕業とも考えられると述べた。IMUはタリバンとともに、2001年にアフガニスタンでアメリカと戦っている。IMUのリーダー、タヒール・ユルダシェフはパキスタンにいると言われ、最近パキスタンが実施した作戦で負傷し、逃走中らしい。Hizb ut-Tahrirは、テロや武装抗争には関わってないと主張した。

ウズベキスタンはワシントンの支持を受ける代償として、アメリカがアフガニスタンで作戦を実施するために、軍の基地を使用することを認めている。

smellUzbeks probe al Qaeda link to rumbling violence
By Michael Steen


■警察、e-mail捜索でパキスタンにたどりつく[040401 Guardian]

警察のコンピュータ専門家たちは、西サセックスのインターネット・カフェから発信されたe-mailの記録を捜査し、イギリスの8人のテロ容疑者とパキスタン武装勢力幹部との間の関係を見いだそうとしている。

イギリスで、大きな爆弾事件を計画していた男たちの取り調べで、MI5とMI6は、彼らに助言を与えていた影響力のある外国人を捜索している。火曜日に8人の容疑者が逮捕されたが、昨日、拘留期限がさらに3日間延長された。

拘留期限の延長は、ロンドンのテロリストを援助していたとして、ソフトウェア開発者Mohammed Momin Khawajaがカナダで逮捕されたからである。Khawaja氏はパキスタン系カナダ人で、テログループの活動に貢献、あるいは、参加し、テロ行為に便宜を図った罪で告訴された。この行為は「2003年11月10日と2004年3月29日に、オタワと、あるいはロンドンで」起きたという。Khawajaは最近、婚約者に会うためにロンドンを訪れたことは認めていが、「彼らは、存在しないことを捜索しようとしている。なんとかして、事件をでっちあげようとしている」と反論する。

ロンドンで聴取を受けている容疑者たちは、イギリスで生まれ育ったが、そのうち7人はパキスタン系である。対テロ組織の情報源は、国際的関係を暴露することに、自信を見せる。パキスタンが視野に入っていることを明言する高官もいる。

容疑者3人が住む家から、約半トンの爆発物が押収された。(中略)容疑者たちはイギリスで「聖戦」を行なうように、関係者からe-mailで指示を受けていたようだ。容疑者数人はパキスタンを訪れ、テロの訓練所で訓練を受けていたと思われる。32歳の男以外は全員22歳以下で、3人は10代。それほど宗教的ではなく、アルカイダ幹部と直接の関わりもなさそうだ。しかしアルカイダの反米イデオロギーには、感銘を受けている。おそらくアメリカのイラク侵攻や、パキスタンの北西地域でアメリカに支持されて実施された、アルカイダやタリバンに対するキャンペーンに動かされたのだろう。 (中略)

Crawleyに住むOmar(22)、Shujah Khyam(17)の兄弟と従兄弟のAhmad Khan(18)の親戚たちは、3人とも無罪だという。しかしAhmadの父は、Omarがパキスタンの国境地帯を訪れたことを認めた。Omarがパキスタンに発って6週間ほどしてから、家族が彼を迎えにいったようだ。「従兄弟たちがパキスタン軍の諜報部高官なので、彼を探し出してくれた」という。またMI5のエージェントが2度OmarとShujahのもとを訪れ、パキスタンに行くように勧めたという。警察も治安部も、これを否定する。

イギリスのイスラム原理主義組織al-MuhajirounのリーダーOmar Bakri Mohammedは、逮捕された者のうち、Omar Khyamを含む数人の名前を知っていると述べた。2000年には、Crawleyに住む約40人のグループが、過激度が足りないとして、al-Muhajirounから脱退したようだ。(後略)

smellPolice search emails for trail to Pakistan
Rosie Cowan, Richard Norton-Taylor and Audrey Gillan


■テロで英国警察、カナダと協力[040401 Reuters]

イギリスの警察は木曜日に、イギリスとカナダで「テロ組織」を援助したとして告訴されたオタワのソフトウェア開発者に関して、カナダ当局と協力して捜査していると発表した。

パキスタン人の両親を持つ29歳のカナダ人Mohammed Momin Khawajaは、月曜日にカナダ警察に逮捕され、「テロ行為を知りながら便宜を図った」罪で逮捕された。イギリスでテロを計画していたとして、警察が8人のパキスタン系イギリス人を逮捕したあと、カナダの逮捕が発表された。(中略)イギリスで逮捕された容疑者たちは、海外のアルカイダ「頭脳」とe-mailで接触していたといわれる。

イギリスにいるムスリムのリーダーたちは、イギリスにある1000ヵ所近くのモスクのイマーム(導師)たちに、警察に協力してテロと戦うように呼びかけた。しかし原理主義のグループのリーダーは、イギリスにいる200万人のムスリムは、このような呼びかけを無視するべきだと発表した。「ムスリムは、独自の生き方をする。ムスリムに対立するような権威と協力することは、イスラムの教えに反する」と、原理主義組織l-Muhajirounの責任者Sheikh Omar Bakri Muhammadが『BBC』で語った。「イギリスにいるムスリムは、自分たちを守る必要がある。しかし暴力を用いてはならない。集い、イマームと話し合う自由がある」。(後略)

hoonUK police working with Canada after terror arrest
By Michael Holden、LONDON


■「部族ではなく個人がワナで抵抗」[040401 Daily Times]

軍報道官のShaukat Sultanは、ワナの抵抗は部族ではなく、個人によるものだと発表した。南ワジリスタンでも北ワジリスタンでも、部族民全体としては軍を歓迎したという。また南ワジリスタンで、ワジール族から抵抗を受けたという事実も否定した。ワジール族の枝族に属する個人がやったことだという。

またアメリカの圧力のもとで作戦を行なっているのではないとし、パウエル国務省長官のパキスタン訪問の前に、すでに決まっていたと述べた。

smell“Individuals, not tribes resisted in Wana”
ISLAMABAD


■アルカイダ捜索に大きな勢力形成[040401 The News]

マフスード族の3000人以上の部族民志願兵Lashkarが水曜日に集まり、車列を襲撃して20人のパキスタン軍兵士を殺害した犯人を捜索することになった。木曜日には、6000人にまで人数を増やす予定だという。マフスード族の居住地であるLadhaからSarwakaiにかけて、大がかりな捜索を開始する。

またパキスタン軍がSarwakaiに向かっている、という情報もある。タンクの目撃者によると、軍車輌が数十台、南ワジリスタンに向かったという。ヘリコプターが上空を旋回していた。軍はSarwakaiに滞在する予定である。新たな作戦が開始するのではないかと、村人は心配しているようだ。

マフスード族のLashkarは、今日Kotki村で捜索をする予定である。Lashkarのメンバーによると、アルカイダと関係がある者は、この地域から出て行くように要請されるという。拒否すれば、政府に引き渡し、家に火をつける。しかし容疑者が何人いるのかは、明らかにされてない。そのうちの1人は、アフガニスタンで親タリバンとして戦う戦士、ブルキ族のWaliur Rahmanである。彼の兄弟2人と家族の客が、既に逮捕されている。

いっぽうワナでは、行政官Mohammad Azam KhanがAhmadzai Wazir族にジルガを開催させ、最近の状況を話し合うという。再びZalikhelが話題の中心となり、5人の容疑者を引き渡さなければ、それなりの対処がなされる予定である。すでにZalikhelsは、2人の行政職員を殺害した犯人を、10日のうちに引き渡すように要請されている。殺害された1人、Matiullah Burkiは、南ワジリスタンのブルキ族長老Dr Qareebの甥である。いっぽうMir Nawaz Marwatは、タンク地域のMullazai Kakakhel出身である。 (中略)

smellBig force to target al-Qaeda suspects
By Rahimullah Yusufzai & Sailab Mahsud、PESHAWAR/WANA


■パキスタン、重要な役目を果たす[040401 Asia Times]

ワシントンはムシャラフに、南ワジリスタンの部族地帯で新たな作戦を開始するよう、さらに圧力をかけている。前回の作戦はみじめな結果に終わった。ムシャラフは大統領でありつづけながら、まだ軍の参謀長としての地位を維持している。しかしこの問題が、再び論争の種となりつつある。さらにワナの作戦の失敗のあと、軍組織内では、軍を政治から切り離すために、2つの役職を分離すべきだという論争が出現した。

軍と国家の分離に対する要求は、作戦の最中、「重要人物」の神話が出現したのをきっかけに起きた。戦いが始まったころ、ザワヒリがいる可能性があると報道された。後に軍はこれを否定。その後はタヒール・ユルダシェフと「アブドゥッラー」が、重傷を負い、死亡したと報道された。ユルダシェフはウズベク人の有名な戦士だ。しかしアブドゥッラーの話は、世界が彼の背景を知っていたなら、軍をあざ笑ったにちがいない。最初、パキスタンのISI宣伝部が、彼をアルカイダのメンバーだと述べていたとしてもだ。

ユルダシェフと「アブドゥッラー」は、パキスタンのジハード志願者たちの間では、もっとも有名な2人の人物だ。パキスタンの映画にはよく登場する。ユルダシェフは、イスラエルやチェチェンの悲惨な出来事を引き合いに、アメリカと戦うイスラムの道理を説く。「アブドゥッラー」はチェチェン人ゲリラで、その古典的なゲリラ戦法のため、ジハード志願者たちの間では有名だ。映画の中では、ロシア人戦士を殺している。

米軍のアフガニスタン爆撃で、ユルダシェフはアフガニスタン北部を去った。現在の居場所はわからないが、最近ではコーストにいるといわれていた。パキスタン当局はそこから話をたぐり、ユルダシェフはアフガニスタンとの国境のShawal山地に隠れていると、独自に憶測した。負傷したとさえ言った。アブドゥッラーのパキスタンでの人気を考え、彼もアフガニスタンにいることにし、アルカイダのスパイ頭となった。しかしすぐに、彼はアフガニスタンにいる証拠がないことに気づいた。結局死亡したことになったが、後にまたISI宣伝部が彼はスパイ頭ではなく、単なるスパイだと訂正した。遺体が回収されてない「エジプト人」だという。

これらは、ワナの作戦の失敗を隠すものだ。パキスタン軍は、民族的に分離してしまった。南ワジリスタンで作戦が開始される前、ムシャラフはパシュトゥンのAli Jan Orakzaiをペシャワル警察司令官から異動させ、パンジャーブ人Lieutenant-General Safdar Hussainを任命した。これはパシュトゥン高官たちから、反パシュトゥン的行為と見られた。軍の中でパシュトゥンは、パンジャーブ人に次いで多い。この緊張感が作戦の中、両陣営で持続した。パシュトゥン族の兵士や高官数名は、作戦に参加してパシュトゥン族を攻撃することを拒否した。

パシュトゥン族の捕虜の扱い方も、この離反を反映する。パシュトゥンの準軍隊を捕虜にした部族民たちは、彼らを丁寧に扱ったという。後に彼らは釈放された。しかしパンジャーブ人だった捕虜たちは、殺害されたのだ。

ある信頼できる情報源が『Asia Times』に語ったところによると、ムシャラフにはこの失敗のために、2つの危機がのしかかっているという。まず米軍司令官が定期的にパキスタンを訪れ、カイバル行政区から南ワジリスタンまで、外国戦士たちの完全な取り締まりを要求している。米軍とパキスタン軍が協力して、はじめてこの作戦は成功すると強調しているようだ。この作戦の目的は、Shawal山地にいると思われるジハード戦士の基地を、撲滅させることだ。したがって南北ワジリスタンで、新たな作戦は不可避だ。

さらにもうひとつは、国際原子力機構IAEAからの圧力だ。IAEAは今イランにおり、それと関連してパキスタンで捜索を開始しようとしている。これはパキスタン人にとっては、もうひとつのデリケートな問題だ。

アメリカの圧力がかかっているため、パキスタンはこの2つを回避することは難しい。しかしいっぽうで、これに応じてしまえば、再びイスラム原理主義が活発に動き始める。かれらは国際イスラム戦線が描いた、さらに大きな作戦のなかで、この好機に乗じようとしている。アフガンの抵抗勢力は、パキスタンの裏庭を支配すれば、成功に導かれる。もし国がイスラム過激派の手中に陥るか、あるいは無政府状態と混乱に陥れば、抵抗勢力は勝利する。

ohgarrPakistan to play a pivotal role
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■アフガニスタン、ジハード志願者再び[040401 Asia Times]

アフガニスタンの山に春が訪れるとともに、国際イスラム戦線が動き始めた。ウズベキスタンがその証拠だ。数日間で一連のテロ攻撃が続き、40人以上が死亡した。しかし本当の戦場はアフガニスタンだ。そしてパキスタンが重要な役割を果たす。

ウズベキスタンのテロは、Hizb ut-Tahrirの仕業だといわれる。しかし、真実は違うと思われる。このグループは現政権の転覆を狙っているが、これまで伝統的には非暴力的だった。ウズベキスタンの暴動は、むしろアフガニスタンと関係がある。

《パキスタンと中央アジアの関係》

ウズベキスタンのイスラム過激派の発展のなかで、スーフィーの “Naqshband”がソ連時代、ソ連の体制に反対する地下ネットワークとして出現した。これらのスーフィーは、“専制的”君主に対する抵抗運動を信じていた。1979年以後、ソ連がアフガニスタンに侵攻した際、スーフィーがこれに抵抗したことをきっかけに、このネットワークはパキスタンのISIと接触した。

ISIはCIAと協力してこの抵抗勢力を援助し、この闘争をアフガニスタンに留めておくのではなく、ソ連本土でも行なうよう、戦術を考えた。これを仲介したのがヘクマチアルが率いるHizb-i-Islami Afghanistan(HIA)だ。HIAはムスリム同胞団の思想を中央アジアに広めるのに、一役買って出た。目的は一般ムスリムを引き込むことではなく、ウズベキスタンを含むそれぞれの地域で、ソ連の体制を攻撃する革命家を募集することだった。

これらの作戦は、1980年代の半ば頃に開始され、それ以後長期にわたり、新たな世代が地下作戦に従事した。パキスタンの部族民のような孤立した共同体と違って、抵抗勢力との関わりは容易には見破られない。この新世代の抵抗勢力は、中央アジアの都市文化の一部であり、秘密工作員であり、簡単に特定されることはない。

いっぼうパキスタン軍はHIAの内部に特別な諜報組織をもち、パキスタン人やアフガン人がそのために訓練された。パキスタン人は、全員ISI工作員だった。しかし1989年以後、ソ連侵攻が終わるころ、HIAは独立して動きはじめ、アラブ人や中央アジアの若者たちを、組織に組み込んでいった。彼らはアフガニスタンの訓練所に送り込まれ、アラブ人訓練士から、訓練を受けた。中央アジアの志願兵たちは、アラブ人たちといい関係を築いた。

1980年代、アフガニスタンはパキスタンの独裁者、ジア・ウル・ハクの世界観を実験する絶好の土壌となり、当時のスパイ頭Lieutenant-General Akhtar Abdul Rehman(後に将軍)とともに、国際イラムム部隊が活躍した。これがビンラディンの国際イスラム戦線となっていった。アルカイダや中央アジアの独立したいくつもの組織を、傘下に入れた。CIA・ISIと関係があり、HIAのアフガニスタンの訓練所で訓練を受けた者たちだ。

この文脈のなかで、ウズベキスタンのテロは、孤立したテロと見ることはできない。アフガニスタンにおける新たなジハードの始まりで、中央アジアの仲間たちを引き込んでいくだろう。

garrAfghanistan: Return of the jihadis
By Syed Saleem Shahzad、KARACHI


■部族地帯の作戦でさまざまな結果[0403301 Christian Science Monitor]

(前略)アナリストによると、今回の南ワジリスタンの作戦で、パキスタンは低地の村で匿われていた戦士たちを、アフガニスタンとの国境沿いの山の中に追い払い、戦術的に有利にはなったという。しかし重要人物を捕らえることには失敗し、アメリカに援助されたパキスタンの諜報情報の失敗、部族民の間で広まる外国人戦士たちへの共感が明らかになった。

「作戦の規模は巨大で、パキスタン軍が出動したことで期待が高まったが、失望に終わった」とペシャワルのアナリストBehrouz Khanが述べる。「チェチェン人やウズベク人を逮捕なり殺害することは、パキスタンにとっては重要な意味があるが、アメリカにとっては関心がない。彼らはアラブ人かアルカイダ幹部を逮捕することを望んでいた」。

パキスタンはザワヒリを包囲している可能性を挙げていたが、後に、それがウズベクのテロリスト、タヒール・ユルダッシュに変わった。高官によると、ユルダッシュは防弾を施した車で逃走したといわれる。(中略)ある情報源によると、ユルダッシュは配下の者たちと、北ワジタスタンとアフガニスタンのパクティア州を眺むShawwal山地に隠れるという。他の外国人戦士たちは、ShikaiとKhamrang山地にいるようだ。(後略)

smellMixed results for Pakistan's tribal offensive
By Owais Tohid、PESHAWAR


■イギリスでパキスタン系ムスリム8人逮捕[040331 Daily Times]

イギリスの警察は火曜日に、9.11以後の最大の対テロ作戦を行ない、爆発物を持ったパキスタン系ムスリム8人を逮捕した。

イギリスの警察は24の別々の家宅捜索を行ない、全部で半トンの爆発物を押収した。17歳〜32歳の8人のパキスタン系イギリス国籍の男たちが、テロ行為を計画していたとして逮捕された。

garr8 Muslims of Pakistani origin arrested in UK
LONDON


■オマール師、ザーブルで負傷していない[040331 Paktribune]

タリバンの報道官Mufti Lateefullah Hikimiは、3月の米軍攻撃により、オマール師がザーブルで負傷し、ボディーガード4人が死亡したという報道を否定した。

Radio Tehranとの電話インタビューで、Hakimiはここ2週間、ザーブルでは爆撃はないとう述べた。アメリカも、ザーブルでは爆撃を行なってないと述べている。

hoonMullah Omer not injured in Zabul: Spokesman
KABUL


■部族民、容疑者引き渡しに10日の猶予[040331 Daily Times]

火曜日に全部族民によるジルガがZalikhel枝族に、行政側が求める5人の最重要容疑者(Neik Muhammad、Muhammad Sharif、Noor Islam、Maulvi Abbas、Javed Tarmazkhel)を10日間のうちに引き渡すことを要求した。Zalikhelは水曜日にジルガを開催し、これらの容疑者の逮捕に対する戦略を話し合う予定である。自分たちでできるか、それとも他部族の援助を必要とするのかを、判断することになっているという。

「もしZalikhelがジルガの決議を守らなければ、政府の行動を許すことになる」と、ワジール族の長、Malik Qadir Khanが述べた。しかしZalikhelが態度を変える可能性はあまり期待できそうもない。Zalikhelの長老Malik Muhammad Anwarは、自分たちが容疑者たちに対して無力であり、また非協力的だという認識を否定した。「我々は行政側が要求している163人を引き渡し、容疑者の家28軒を取り壊した。我々がいらだっているのは、政治的な経緯に、筋が通ってなかったことだ。政府は5回も、ジルガや部族民の志願兵が話し合いを予定していたその日に、作戦を実施した」と『Daily Times』に述べた。(後略)

garrTribals get ten days to give up wanted men
By Iqbal Khattak、WANA


■2人の職員、死亡[040331 The News]

捕虜となっていた2人の行政職員が火曜日に、井戸の中から遺体で見つかった。(中略)2人は手を頭部で縛られ、頭と胸を撃たれていた。遺体はKalothia付近のZiarh Ghozay村の井戸の中から発見された。この他に井戸の中には、別の2〜3遺体が投げ込まれ、その後、移動された形跡が残っていたという。もしこれが真実であれば、武装勢力のリーダーNek Mohammadの証言と一致する。

Nek Mohammadは火曜日夜に『The News』に電話で接触し、2人の職員とともにいるはずだった部下2人も行方不明だと述べた。「2人を、捕虜として捕らえていたはずの2人のムジャヒジィンを捜している。我々の部下たちも、殉教したようだ」と述べていた。

なぜ、そして誰が2人の職員を井戸に放置したか尋ねるとNek Mohammadは、行動を起こした者は誤った判断をしたと述べた。自分の部下が2人を殺害したことは認めず、また自分の部下たちの遺体を同じ井戸から回収したことも認めなかった。「我々の部下の消息を掴んだところで、真実がわかるだろう。2日間、2人の職員の遺体を捜してすごした」と主張した。

さらに別の噂もある。2人は、捕虜となっていた家が軍の戦闘ヘリコプターで攻撃されたために、死亡したという説である。Kalothiaとその周辺の村は、パキスタン軍の攻撃の対象となっていた。(中略)

いっぽうNek Mohammadは、自分たちは再びパキスタン軍と辺境警察がアザム・ワルサックに派遣されたら、抵抗すると主張した。先日ジルガの使節団と会見したときに、今後、政府は部族民の問題に介入すべきではなく、問題は地元の伝統と習慣のもとで解決するという点で、意見が一致したと述べた。「パキスタンの法律のもとで、我々FATAの人間は特別の地位を持つ。これは尊重されねばならず、軍は部族地帯に入ってはならない」と抗議した。

またNek Mohammadは、ウズベク戦士タヒール・ユルダシェフが負傷したという報道を否定した。「彼は平野部にはいなかった。山にいるだろう」と述べた。さらに、アルカイダの諜報部幹部アブドゥッラーが死亡したという報道も否定した。彼は最近の作戦で、アラブ人は1人も殺害されず、逮捕されてもないという。「政府はアフガンを別の民族と区別することができないようだ。ときにはチェチェン、またはウズベク、アラブなどという。我々の土地には、さまざまな出自のアフガン人がいるのだ」と説明した。

Nek Mohammadによると、自分たちは7人の戦士を失い、6〜7人が負傷したという。いっぼう政府側は300人が死亡したと述べた。また部族民の家45軒が取り壊されたという。「アフガン難民が住む、土の家を含めば、85軒が取り壊された。井戸も果樹園も破壊された」という。これらの損害に対する補償と、以前部族民が政府に引き渡した、27人の部族民の解放を要求した。

smellTwo Tehsildars found dead
By Rahimullah Yusufzai & Sailab Mahsud、PESHAWAR/WANA


■米兵、アフガニスタンで心と感情を求めて捜索[040330 New York Times]

パキスタンから15マイルのところで、24歳のLt. Reid Finnは部下たちと荷物を降ろした。中はアフガンの村人に配る毛布、シャツ、裁縫道具だ。抗生成物質などの薬も配った。村の長老Muhammad Saniとお茶を飲み、新たな学校か井戸を作るための資金を提供すると申し出ていた。「悪いヤツを捕まえるのに協力してくれれば、それだけ見返りがある」。

ビンラディンとタリバン戦士を捕まえるために、米軍は戦術を変えた。これまでの捜索活動や急襲ではなく、国家建設に従事している。住民とよい関係を築いて強いアフガン国家ができれば、よい諜報を得ることができ、アメリカがアフガニスタンを去るのが早くなる。しかしある日は学校を建設し、ある日は銃を容疑者に突きつけるという緊張感が続き、成功への前途はあまり明るくない。

Lieutenant Finnの隊とこれとは別の50人からなる2つの隊は、国境付近の15〜25マイルをパトロールし、すべての情報を把握することを使命とする。300の村があり、3つの主要なパシュトゥン族が生活する。タリバンとアルカイダがパキスタンからアフガニスタンに行き来する、密輸のルートがある地域である。

隊の使命はアフガン人の信頼を勝ち取り、よりよい生活を約束することだ。4000万ドルが、学校や井戸を村に作る計画に投じられる。ある村では、アメリカの毛布と裁縫道具をめぐり、ケンカが生じた。別の村では、以前、タリバンは学校で宗教を教えていたが、今は化学や物理、英語を400人の生徒に教えていると、ある教員が語った。別の男は、医者になるために学校に入り直したという。33歳で、8学年に在籍中だ。

アメリカ人たちは、新たな作戦により、抵抗勢力についての情報がこれ以上に得られると期待している。住民の協力を勝ち取ること。しかし目的を勝ち取るためには、軍事力も用いる。威嚇行為、圧倒的な力、手を背後で縛り、顔を地面に押しつける。3日間のパトロールの結果、彼らが住民の心と感情を勝ち取ったのか、失ったのか、はっきりしない。

《1日目・逮捕》

Lieutenant Finnの隊が別の3つの隊とともに、3日にわたるパトロールに出かけた。 (中略)まず最初に、地元のテロ組織のメンバーといわれる4兄弟の逮捕を試みる。その後は援助活動を行ない、長老と会う予定だ。

(中略)車列は朝の6時半に現われ、圧倒的な軍事力を誇示し、A-10戦闘機が上空を旋回。米軍の車輌が7軒の家を包囲した。そのうちのひとつを急襲すると、容疑者の兄弟のうち1人を発見。60歳を越えているとみられる容疑者Rashid Rahmanを捕まえ、顔を地面に押しつけ、プラスチックの紐で手を背後で縛る。30歳の息子も同じように手を縛られ、顔を地面に押しつけられた。

アメリカ人たちは女性に立ち去るように命令し、家の中を家宅捜査した。(中略)古びたLee-Enfieldライフルとカラシニコフが発見されたが、これはアフガン家庭にとっては、一般的な家財道具だ。このほかにアヘンとハシシが少量見つかった。これも一般家庭ではめずらしくない。

いっぽう、16歳のMuhammad Rahmanが、嘘をついたことで捕まった。アメリカ人に武器は持ってないと述べていたが、その後カラシニコフ2丁と中国製迫撃砲が見つかった。アメリカ人は怒り、少年の手を縛り、顔に麻袋をかぶせ、険しい丘の斜面を降りてきた。「彼は嘘つきだから、キューバに連れて行く」と叫んだが、その後解放した。少年は、迫撃砲を見つけたので、売ろうと思ったという。

女性が大騒ぎをし、祈りの文句を唱えるあいだ、ある兵士が迫撃砲を少年にかつがけ、もう1人が押収したライフルを掲げ、記念写真をとった。少年は文句を言わず、かわりにアフガニスタンに安定をもたらしたことを感謝した。「アメリカ人が来てとてもうれしい。彼らに学校を作ってほしいと言ったところだ」。

《2日目・朝、援助》

次の日、パトロールは警察署を訪れた。(中略)44歳のFaiz Muhammadは、アメリカ人たちをお茶に招いた。そして前日にスカウトが発見した、迫撃砲や地雷などの引き渡しを快く了解したが、車も、電話も、ラジオもなく、彼の上司の許可をとる手段がないという。タクシーを停め、10ドルくれれば近くの警察署に許可を取りに行き、20分で戻るという。

(中略)警察署の設備は古い。66のロケット弾があるが、発射台はない。警察官全員がカラシニコフをもっているが、弾薬は120発しかない。警官は、15ドルの月給を、3ヵ月間支払われてないと訴える。またイタリア人たちがこの村に学校と病院を作ることを約束したが、まだ何もできていないという。以前に訪れた米兵は、警察署を修復すると約束したが、これも音沙汰がないようだ。「アメリカ人の約束はどこへ行ったのか?」。37歳の農民Muhammad Rasulは、村には学校と病院が必要だという。「我々は病院を建てることはできる。でも医者が必要だ」と25歳のLt. Brett Sheats。「医者はいない」とRasulが答えると、会話は終わった。

Muhammadが戻ってくると、Captain Condreyは、ラジオ、衛星電話、制服の購入を考えると述べ、アメリカ人たちが昨日没収したカラシニコフの弾薬100弾を与えた。兵士たちが立ち去るまえ、Muhammadは小さな声で述べた。以前の警察長は、警察官の中にタリバンがいることを恐れていたという。自分はMangal族だが、警察官のほとんどは地元のZadrans族だ。「私は1人っきりで、銃を持っていない。銃をくれないだろうか?」

《2日目・昼、危険》

その日の午後、アメリカ人たちは3日間の中で最も危険な使命を開始した。アルカイダやタリバンが、パキスタンからアフガニスタンに侵入してくる枯れ沢のパトロールだ。「敵を銃殺することはできない。彼らは武器を持ってない」。パキスタンの誠実さには疑問がある。「敵は我々がパキスタンに入れないことを知っているから、それを利用する」という。(中略)

枯れ沢に入って30分ほど経つと、小さな村にきた。10代の少年が、アメリカ人が近づくと携帯無線に何か話し、走り去った。20分で、隊は村を包囲した。威圧的な態度でSgt. First Class Donald L. Thomasが村人に、「もし村をこのままにしておきたいなら」、無線やすべての武器を20分間で引き渡せと命令する。「嘘をついたら家を取り壊す」。しかし村人は怖がるどころか、混乱しているようで、お互いの顔を見てにこにこしている。全員が嘘をついているようだった。期限時間内に、村人はカラシニコフの弾薬を差し出したが、カラシニコフはない。アメリカ人は家宅捜索を始めた。しかし武器はなかった。見つかったのは、生ハシシ2000ポンドだけだ。

無線で話していた少年が捕まったが、結局、誰し相手はわからない。無線もないという。くたくたになって5時間後、村を去る。パキスタン国境付近の河原で野営した。何も起こらなかった。

《3日目・部外者》

6時に河原で目覚め、1時間もしないうちに、80人ほどの村人が、好奇心をもって彼らを眺めに集まった。米軍がアフガニスタンで与えている、圧倒的な力を表わす瞬間のように思えたが、同時に、アフガニスタンの社会から、いかに自分たちが部外者であるかを感じる。アフガン人の協力があれば、アメリカはほとんど何でもできるように思える。しかしアメリカ人がアフガン人たちに、よりよい生活を与えることを証明しないかぎり、彼らは部外者にすぎない。「彼らは30年間、軍隊の力を見続けてきた。学校が立ち、井戸が掘られるまで、何も変わらない」。

hoonG.I.'s in Afghanistan on Hunt, but Now for Hearts and Minds
By DAVID ROHDE、DWAMANDA


■パキスタンの「成功」、懐疑的[040330 BBC]

パキスタン政府は、12日間続いた南ワジリスタンの戦いに終止符を打ち、軍をアザム・ワルサックから撤退させた。しかし軍は今後もワナに留まり、部族民の協力を得ながら、アルカイダやタリパンに対する捜索を行なうという。

月曜日に軍の報道官は、アルカイダの諜報幹部のAbdullahという名前の男を殺害したと発表した。しかしAbdullahという名前はアルカイダのリストに乗ってないために、この男の素性には怪しいものがある。この主張と同様に、今回の軍の成功は、非常に懐疑的にとらえられている。(中略)

戦闘で命を失った150人ほどの人々のうち、60人が兵士たちだ。このような高い死亡率は予測されたものではなく、今後の兵士たちの士気が低下するのを防げないだろう。武装勢力は地元部族民の協力を得て、ゲリラ戦法を用いて軍や民兵に不意打ちをかけた。最終的に政府は、抵抗勢力側が人質として捕らえた12人の準軍隊の解放のために、部族の長老や宗教者たちに頼らざるを得なくなってしまった。

政府は外国人テロリストを何人も逮捕し、18人を殺害したという。しかし報道陣には公表されていないために、その真実はわからない。逮捕された163人のほとんどは村人であり、大多数がそのうち釈放されると見られる。

それ以上深刻なのが、一般市民の死亡だ。数千人の人々が家を追われ、財産を奪われ、家を取り壊された。部族たちが武装勢力のためにと思ってやったことは、結局、一般市民のつけとなった。

ムシャラフに対立する野党も、南ワジリスタンの作戦を非難する。ベナジール・ブットのPPP、ナワーズ・シャリーフのPML、国民主義者やイスラム政党MMAに至るまで、全ての政党が南ワジリスタンの攻撃を終了させることを要求している。アメリカのためにこの攻撃を行なったと信じる者も、少なくない。

ムシャラフは使命を果たし、アメリカの傍らについた。ムシャラフに対して、大きな圧力がかかっていたことは、確かだ。

rightScepticism greets Pakistan 'success'
By Rahimullah Yusufzai、Peshawar


■パキスタン人2人、アルカイダにより処刑[040330 Reuters]

武装勢力は、2人のパキスタン人捕虜を銃殺していこことがわかった。2人は月曜日遅く、井戸のそばの溝の中に放置されていた。手を後ろで縛られ、頭と胸を撃たれていたという。(後略)

garrTwo Pakistanis executed
by al Qaeda militantsBy Hafiz Wazir、WANA


■死亡したアルカイダ、地元戦士[040330 AP]

最近パキスタン軍に殺害されたというアルカイダ戦士は、テロネットワークの諜報部幹部ではなく、地元戦士だったと、パキスタン軍報道官が発表した。

別のパキスタン諜報部員によると、軍は1998年のタンザニアの米大使館爆破事件と関りがあるAbdullah Ahmed Abdullahの写真を逮捕された武装勢力に見せたが、誰も写真を特定したものはいないという。報道官は、殺されたAbdullahは、ワナにおけるアルカイダの諜報部の責任者だったにすぎないと述べた。Abdullahの遺体が回収されたのかどうかは、わからない。

いっぼう、当局は南ワジリスタンの行政職員2人の遺体を発見した。Kaloosha地区の部族民が2人を発見し、当局に運んだ。遺体は井戸の中に放置され、数日前に殺されたらしい。

garrDead al-Qaida Man Said Local Operative
By MUNIR AHMAD、ISLAMABAD


■2人の行方不明者、遺体で発見[040330 Daily Times]

捕虜にされていた2人の行政官職員が、遺体で発見された。情報源が『Daily Times』に語ったところによると、2人は月曜日に遺体で発見されたというが、どこで発見されたかは述べなかった。

garr2 missing officials found dead
WANA


■部族民、人質2人を殺害[040330 The Nation]

日曜日に解放されなかった2人の行政官職員は、数日前に殺されたと、ある情報源が『The Nation』に語った。

garrTribals killed two hostages'
WANA


■ワナ、平常に戻りつつある[040330 The Nation]

(前略)アザム・ワルザサックでは、Yargulkhel枝族の家80軒が取り壊され、学校や果樹園も破壊された。Yargulkhelと関係のないAshrafkhelの家7軒も取り壊されたといい、政府に対する怒りが爆発している。(中略)

驚くことに、最も重要な容疑者とされているNek Mohammadがこの地域で目撃された。「ほら、あそこにNek Mohammadが歩いている」と、本記者にタクシー運転手が述べ、ワナの方向から走ってきた青のダブルキャビン・ピックアップを指差した。彼によると、Nekはすべての道を熟知しており、しばしば部族民たちを鼓舞するためにやってくるという。Nek Mohmmadに、自分たちが受けた被害について訴える者は誰もいないようだ。

ワナでは52人からなるジルガがまだ開催されており、無実な者たちが負った被害に対する補償が話し合われているという。(後略)

smellNormalcy returning to Wana >From Allah Noor Wazir and Khalid Kheshgi、WANA


■家族、自宅に戻る[040330 The News]

パキスタン軍と辺境警備隊がアザム・ワルサックから撤退後、自宅から避難した家族たちが数百人戻ってきた。しかし多くの者たちは、不当に罰を受けたと訴える。

いっぽう2人の行政職員の解放が遅れており、運命が案じられる。2人は月曜日の3時までに戻る予定だったが、夜になってもまだ戻らない。武装勢力のリーダーNek MohammadとHaji Sharifは先日ジルガの使節団と会見したときに、この2人は人質にしていないと述べていた。武装勢力はこの2人を、ワナで逮捕されたHaji Sharifの従兄弟と交換する予定だと噂されている。

いっぽうマフスード族の居住区では、政府に協力する者は罰されるというビラが配布された。政府と協力しているマフスード族の部族志願兵たちも、批判された。(中略)これにもかかわらず、約4000人のマフスード部族民は月曜日にタンクに集まり、今後、部族志願兵を6000人に増強し、軍の車列を襲撃した犯人の捜索に赴くと発表した。 (中略)

月曜日にShakai地域の長老たちは行政側に、容疑者の捜索のためにさらに2日必要だと述べ、これが受け入れられた。Shakaiの住民、Dawar KhanとIda Khanは、アルカイダとタリバンを自宅に匿ったとされ、すでに家は取り壊されている。2人が引き渡されなければ、Shakaiで軍の作戦が始まる可能性がある。

南ワジリスタンでは、Abdullahという名のアルカイダ幹部の諜報官が殺害されたという情報を、受け入れてないという。(中略)

いっぽう、自宅に帰った住民たちは、家財道具や財産が盗まれ、家が破壊されたことを訴えた。Yargulkhel枝族と協力していなかったAshrafkhel氏族の家も、取り壊されていた。井戸、果樹園などの生活の糧となるものも破壊され、またパスポートやビザも失ったと嘆く者たちもいる。この地域の部族民数百人は、湾岸諸国に出稼ぎに出ている。

garrDisplaced families return home
By Rahimullah Yusufzai & Sailab Mahsud、PESHAWAR/WANA


■ムシャラフの代償[040330 Asia Times]

(前略)南ワジリスタンの衝突は、一応解決したが、問題は山積みだ。

《助けの要請》

政府は結局、影響力のある聖職者たちの助けを借りて、抵抗勢力を説得しなければならなかった。聖職者たちは、6つのイスラム連合政党であるMMAに属す。彼らは反米を掲げるが、いざというときにはムシャラフに協力する。

軍は2つの点で、聖職者たちの協力を仰いだ。 ・部族民たちに協力するよう、その影響力を用いた。 ・イスマバードの過激な宗教リーダーたちが、部族地帯で死亡した兵士の葬式を拒否するキャンペーンを繰り広げたが、これに歯止めをかけた。

《勝利者と敗北者》

(中略)内部に精通している者の情報によると、南ワジリスタンの作戦の失敗の原因は、「諜報部のなかの諜報部」そして「軍のなかの軍」の要員たちが、「イスラムの名目において」部族民たちを支持したからだという。この情報源によると、兵士と準軍隊兵士150人以上が、作戦に参加することを拒否した。大佐と少佐1人ずつが含まれる。

ザワヒリのテープも、大きな打撃となった。(中略)その結果、ISIと軍諜報部、諜報局は金曜日に、このテープがどのような影響を与えるかを、各方面の専門家も招いて話し合った。

さらに南ワジリスタンの作戦による政策の失敗は非常に大きく、ムシャラフは故ジア・ウル・ハク将軍の息子、Ejazul Haqを、宗教問題の大臣として連邦議会に招き、社会の宗教的側面に関して、彼の影響力を借りることにしたほどだ。

《部族民、熟考する》

日曜日、パキスタン軍が撤退し始めると、パシュトゥ語のビラがバヌー、北ワジリスタン、南ワジリスタンに出回った。「タリバンやアルカイダのムジャヒディンを、追ってはならない」と書かれていた。そしてパキスタンと協力し、スパイ活動をした部族民たちに、警告を発した。

月曜日に開催されたワナの集会で、宗教者や部族リーダーたちが話し合った。「まるでJasn-e-Fatah(D-Dayの祭)だった」と参加者が言う。「ワジール族たちは、100人以上のジルガ参加者たちに、感謝の記しとしてターバンを配った」。

イスラマバードの国会議員などが、スピーチをして、次のようなことを語った。 ・統一した国家のように戦った部族たちへの祝福。 ・部族民たちは悪と戦う「栄光ある伝統」を再び証明した。 ・FATAは今後も独立する。 ・中央行政はいつも部族民に敵対し、「冷酷で野蛮」な新たな伝統を形成した。 ・ムシャラフは、ビンラディン、ザワヒリ、その他アルカイダ幹部が存在するという、誤った情報に導かれた。

捜索と称して軍は部族民の家84軒を取り壊し、容疑者たちが脱出するためにトンネルを使用したと、全くのたらめを言っていたと結論づける。これらのトンネルは、水を運ぶために何年も使われているのだという。軍はそれを壊してしまったので、この地域の水のシステムも壊れてしまった。この衝突で死亡したのは殉教者で、「お上」のために死亡した者たちに、謝罪した。

ohMusharraf left counting the cost
KARACHI


■武装民兵、カブールに挑戦[040330 Asia Times]

(前略)ヘラートで起きたイスマイル・ハーンとNayebzadah司令官の衝突の結果、約1500人のアフガン軍がヘラートに派遣されたが、アナリストたちは今後、この国軍がヘラートに留まる可能性もあるという。

これ以前も国軍兵士が、Defense Ministry's 4th Corpsのヘラート第17駐屯部隊に派遣されてきた。この部隊は、イスマイル・ハーンの隊が占拠する以前は、Nayebzadah将軍の本部だった。国防省は、今後国軍はここに永続的に駐屯させるかどうか、考慮中だ。

アメリカもアフガン政府も、今回の衝突はアフガニスタンの強力な軍閥と、国防省から派遣された将軍との間の衝突であるという事実から、目を背けようとしている。Nayebzadahの隊は、中央政府の隊である。彼は、カルザイから指令を受ける。

去年以来、イスマイル・ハーンとアフガン中央政府の間には、強力なパワー・ゲームが続いてきた。「去年カルザイは、4th Corpsに新たな司令官を派遣したが、彼は任務に就くことができなかった。なぜならイスマイル・ハーンが当時知事として、そして軍の長として、4th Corpsを牛耳っていたからだ。アフガン国軍をそこに派遣することで、これを変えることができるかもしれない」とアフガニスタンのInternational Crisis GroupのVikram Parekhは述べる。

しかし4th Corpsは、アフガン国軍とは全く異なったものである。アフガン国軍は現在米軍とともに活動している。(中略)アフガン国軍をヘラートに駐屯させれば、事は劇的に変化すると考えられる。「アフガン国軍がヘラートに長期的に滞在すれば、中央政府とヘラートの間の関係は、軍事的にも政治的にも変わってくると思う」とParekhは語る。

ハーンの報道官は、ヘラート知事は国軍の駐留を望まないと主張する。駐留の必要はなく、「不公平」だという。アフガニスタンの米国大使Khalilzadによると、イスマイル・ハーンは公的には国軍を受け入れているようだ。しかしヘラートの危機は終わってはいない、と予言する。

いっぽう、知事の息子が殺害されたヘラートの衝突に関して、国防相ファヒームは、Sadeqの死は「小さな事件によって発展した悲劇的な出来事」と説明した。死亡者は16人と、これまでの報告よりも少なく修正された。また当初言われていたような暗殺ではないと、外務相Abdullah Abdullahが語った。

smellArmed militias challenge Kabul
By Ron Synovitz、KABUL


■アフガン司令官、投降すべき[040329 Reuters]

ヘラート知事の息子殺害事件を調査するために、アフガン政府の調査団が月曜日にヘラートに到着。米軍高官は、殺害に責任がある司令官に投降を呼びかけた。

Zahir Nayebzada司令官は最近カルザイ政府によって、ヘラート部隊の責任者として任命されていた。しかし知事の息子Mirwais Sadiqを殺害後、逃走した。知事のイスマイル・ハーンとNayebzadaの衝突のあと、中央政府はアフガン国軍1500人をヘラートに派遣した。Nayebzadaは自らの部隊とともに、ヘラートの隣りのBaghdisに逃げたと思われる。

ヘラートの米軍再建チームのLieutenant-Colonel James Handは、中央政府がヘラートに隣接するBaghdisに逃げたと思われるNayebzadaを呼び戻そうとしていることは知っている、と述べた。「Nayebzada将軍と中央政府に、できるかぎり早急にカブールに戻ることが実現するよう、呼びかけたい」と述べた。彼はハーンと、カブールが派遣した委員会、両方とに会見したようだ。この問題を解決しなければ、ヘラートにおいて、中央政府は信用を失うだろうと忠告する。アフガニスタンを混乱に陥れようと企む者たちの、思うつぼになる可能性もあるという。

Nayebzadaが逃走してから、ヘラートのテレビは、Nayebzadaをヘラートの第17部隊の司令官から更迭したと発表した。国防省がこれを認可したとされるが、カブールはこれを認めてない。

smellAfghan commander should surrender -US
By David Brunnstrom、HERAT


■アルカイダ高官殺害とパキスタン[040329 AP]

パキスタンの部族地帯で行なわれた軍の作戦で、アルカイダの諜報部幹部が殺害されたと、月曜日に軍の高官が述べた。

軍報道官Maj. Gen. Shaukat Sultanは、諜報部幹部のAbdullahだと述べたが、その他の情報はないという。Sultanは、Abdullahの死を「独自の諜報源」から得たとしたが、その遺体があるのかどうかは明らかにしなかった。作戦では武装勢力63人が殺害され、73人の外国人を含む167人が逮捕された。

smellPakistan Claims to Kill al-Qaida Official
By AHSANULLAH WAZIR、WANA


■「アルカイダ幹部、死亡」[040329 BBC]

アフガニスタンとの国境でパキスタンが実施した作戦で、アルカイダ幹部が死亡したと軍が発表した。

パキスタン軍報道官はこの男を「Abdullah」と述べ、諜報部幹部だったという。しかし米軍高官は、『BBC』に、このような男については聞いてないと述べた。米高官は、この男についてパキスタンからさらに情報が入ってくるのを、待っているという。

smellsmell'Senior al-Qaeda operative dead'


■オマール師、アメリカの攻撃で重傷負う[040329 Dawn]

オマール師が3月中旬にアメリカからの爆撃を受けて重傷を負い、ボディーガード4人が負傷したと、ウルドゥー語紙『Daily Ausaf』が報道した。

Dr. Jabbar Azizの話として、同紙はオマール師がザーブルで攻撃され、足と体の左の部分を負傷したという。危険な状態は脱したが、2ヵ月ほどは動けないようだという。

ohTaliban chief Mulla Omar reportedly seriously wounded in U.S. raids
ISLAMABAD


■政府軍と武装勢力、対立の終焉[040329 Washington Post]

政府軍とイスラム戦士の間で12日間に及んだ対立は、日曜日に平和的に解決した。 (中略)

パキスタンの北西部では、イスラムの保守的な価値観が大事にされ、厳しい部族の掟が日常生活を支配する。また欧米やパキスタンの高官たちが犯罪人やテロリストと呼んでいるチェチェン人、ウズベク、アラブ人たちを含むワジリスタンの外国人イスラム戦士たちに対しても、根本的に考え方が異なる。政府高官や専門家たち、部族のリーダーたちは、これらの武装勢力は1980年代からこの地域に住み着いた住民だと説明する。彼らは土地を買い、地元の女性と結婚して地元民に溶けこんだ。

「アメリカ人とパキスタン人が、これらの人間を我々の部族のもとに送り込んだ」と、南ワジリスタン出身の国会議員で、イスラム聖職者のMohammed Mirajuddinはテレビ番組で語った。「彼らは謙虚な人間で、単に生きる権利を求めているだけだ。我々は彼らに投降を呼びかけることはできる。しかしかれらをアメリカに引き渡し、髭を剃ることを要求するなら、決して協力はしない」。

パキスタン北西部のジャーナリストのRahimullah Yusufzaiは、これらの戦士たちがパキスタン軍や辺境警察を痛めつけることができたのは、対ソ連戦の時代、パキスタンが彼らを訓練したからだという。我々は彼らをテロリストと呼ぶ。しかし、部族地帯の人々の多くは彼らを「自由への戦士」と呼ぶ、と述べる。

軍報道官のMaj. Gen. Shaukat Sultanは、パキスタンの主な部族民たちは、パキスタン軍の行動を支持し、一部の小さな枝族だけが過激派に協力しているという。しかしYusufzaiは、先週パキスタンの北西部の各地で発生したロケット弾攻撃は、「問題は南ワジリスタンに限らない、というメッセージを送っている」と述べた。

Sultanは、政府は繰り返し戦士たちに恩赦を申し出、地元長老たちに問題を解決させようとしたと語る。しかし部族リーダー数人は、軍は自分たちの居住区で急に作戦を開始し、自治を認めた自分たちの伝統を侵害したと訴えた。自分たちとともに生活している外国の「客人」を保護することを、義務と感じるものも多い。「我々の多くは政府の味方で、問題を解決したいと思っている。しかし、我々のやり方がある。外部の軍が介入してくることは好まないと、クラム行政区の医師で国会議員Javed Hussainは述べる。「かれらを自由の戦士とは呼ばないが、客人ではある」。「我々部族民の間では、『私の客を殺したら、あなたの客を100人殺そう』という諺がある」。(中略)

部族民の掟を無視したことの他に、デリケートな民族問題も生じた。パシュトゥン族の地域に、主にパンジャーブ人で構成される軍が派遣された。その結果、パキスタンのイスラム政党たちは、大々的に抗議した。(後略)

hoonGovernment Troops, Millitants End Pakistan Confrontation
By Pamela Constable、ISLAMABAD


■12人の辺境警察隊員、戻る[040329 Daily Times]

11日に及んだアルカイダや地元協力者に対する作戦は、12人の辺境警察隊員の解放とともに終了した。パキスタン軍と準軍隊は、アザム・ワルザック周辺から撤退した。 (中略)

ワナにいる諜報部高官によると、ウズベク戦士タヒール・ユルダシェフはChilghoza森に隠れているという。この森は非常に深く、上空から、中に隠れている者を発見することは難しいようだ。軍はこの森の中に入る意志はないと、諜報官は述べた。部族地帯の治安責任者Brig(r)Mehmood Shahは、ユルダシェフはアフガニスタン側に逃げた可能性は低いという。「負傷しているから、この地域にまだいる」。(後略)

smell12 FC men back home
By Iqbal Khattak、PESHAWAR


■軍、アザム・ワルサックから撤退[040329 The News]

イスラム武装戦士たちは日曜日に、人質となっていた12人の準軍隊を解放し、その結果パキスタン軍と辺境保安隊がアザム・ワルサックから撤退し始めた。

目撃者によると、兵士や民兵たちは正午頃、シン・ワルサックやその周辺の村から撤退しはじめたという。「村にいた軍は引き上げた。ヘリコプターに上空から支援されながら、ワナの方角に向かった」。2週間ぶりに村に入ることを許された報道陣によると、午後遅くには、撤退はすべて完了したという。約1万兵がいたようだ。

これに先んじ、人質となっていた辺境警備隊たちは日曜日の朝、部族の長老、ウレマや議員たちの努力により解放された。南ワジリスタンのマフスード族、Subedar Razmak Khanは、仲間は戦士たちに丁寧に扱われたと述べた。12人が解放されたことになっているが、そのうちの1人Manzoorは、前日すでに脱走したという。南ワジタスタン行政官Mohammad Azam Khanは、Manzoorはワナの辺境保安隊のキャンプに、他の11人よりも早く帰ってきたと述べた。

しかしジルガの宗教学者の1人で、JUI-FのリーダーMaulana Abdur Rahmanによると、12人全員が日曜日の朝に解放されたが、「Manzoor1人が別の方角へ行った」ようだという。(中略)人質たちはある人物のもとに引き渡され、その後Tiarzaに到着し、車に乗ってワナに送られたようだ。まだ人質となっている行政職員の2人も、今日解放されるという。Maulana Abdur Rahmanをはじめとしたジルガのメンバーによると、武装勢力はこの2人を捕虜にしていないと述べたという。「真実はわからない。しかし2人は安全で、月曜日にワナに戻るだろう」と語った。(中略)

緊張を緩和するために、行政官Azam Khanはジルガのメンバーに、今後ワナのアザム・ワルサックに住むZalikhel族のYargulkhel枝族が所有する店舗を、取り壊したりしないと述べた。軍の撤退とともに、アザム・ワルサックの住民が家に戻り始めた。シン・ワルサックを訪れた報道陣によると、軍のチェックポストは取り除かれた。戻った住民たちは、家が破壊され、財産を持って行かれたと訴えている。(中略)

Maulana Abdur Rahmanは、Kalosaha村で発見されたトンネルが、逃走するために戦士たちが掘ったと報道されたことを疑問視した。「このようなトンネルは、ワナにはどこにでもある。我々の土地を知らない者たちだけが、このような的外れな主張をする」と強調した。

いっぼうマフスード族は、今後も政府に協力し、Sarwakaiで軍の車列を襲撃した犯人の捜索を続けると述べた。(中略)3000人が集まったDray Mahsud、すなわちマフスード3枝族のジルガに参加した者の話によると、自分たちの居住区では軍の作戦をする必要がないという。政府に容疑者とその隠れ場所を特定してもらったら、その後は自分たちで行動するのだそうだ。

部族民の情報源によると、タヒール・ユルダシェフは右の肩に軽傷を負っただけだという。Kalosha村から逃走しようとしたときに、銃弾が肩をかすったようだ。武装勢力のリーダーHaji Sharifの息子が、彼を安全な場所に避難させたという。どこにいるかはわからないが、国境付近の山の中と思われる。

hoonTroops pull out of Azam Warsak area
By Rahimullah Yusufzai & Sailab Mahsud、PESHAWAR/WANA


Sniffed Out By Trail Dog 0-1, 2003, 2004.